書物の森               (2017年10月17日更新) 
◇◇ 生者から生者へ◇◇  
 ▲▽▲書物の森 2018年▲▽▲

■「時間老年学」大塚邦明(ミシマ社)
こころの時計が加齢とともに速く進むようになるからです。こころの時計が刻む、時の流れの速さには、いわゆる五感(視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚)とは異なる特性があります。時間を受容する感覚器がないという特性です。歳とともに、一年や一日といった時間が、思いのほか速く感じるように、加齢とともに、神経細胞の処理能力が低下し、信号を運ぶスピードが落ちてくるからです。あるいは、からだの運動能力が低下し、若い頃であれば一日でできたkとがこなせなくってしまうことなども、関わっているかもしれません。p27

人類が地球を征服できたのは、私は、人が時間を支配する術を身につけたからだと思います。人には智慧があります。そのおかげで人は、時間を予測する砂時計、朝を知る概日時計、春を知る季節時計、老いを計る老化時計を統括することができました。今では、急死を予知する時計すら身につけようとする勢いです。
もう一つに重要な能力があります。「こころ」です。人のからだにある60兆個の細胞が、互いにネットワークをつくることで「こころ」という仕組みをつくりあげました。こころは、幸福感、善悪の判断、情報処理の能力などいろいろな働きを担います。p31

■「なんでもやってみよう」ー私の写真史―細江英公(窓社)
■「世界の真実」―ナショナルジオグラフィック傑作写真―(日経ナショナルジオグラフィック社)
■「太陽の鉛筆1975」東松照明」(赤々社)
■「ユージンスミス写真集」ユージンスミス(クレヴィアス)
■「太陽の鉛筆2015」(赤々社)
■「めったに見られない瞬間」(二見書房)
■「ダンナの骨壺」高峰秀子(河出書房新社)

■「アリと猪木のものがたり」村松友則(河出書房新社)
■「ひさ伝」笹沢信(新潮社)
■「不発弾と生きる」ー祈りを織るラオスー大石芳野写真集(藤原書店)
■「なんでもやってみよう」ー私の写真史ー細江英公(窓社)
■「時間老年学」大塚邦明(ミシマ社)


▲▽▲書物の森 2017年▲▽▲

■「芸術家たちの肖像」ロベール・ドアーノ写真集(岩波書店)
■「習近平暗殺計画」加藤隆則(文藝春秋)
■「日本戦後史論」内田樹×白井聡)徳間書店
■「父吉田健一」吉田曉子(河出書房新書)
■「対詩 2馬力」谷川俊太郎・覚和歌子(ナナロク社)
■「アメリカンドリームの終わり」ノーム・チョムスキー:寺島隆吉+寺島美紀子訳義(ディスカヴァ―・トゥエンティワン)
■「百と八つの流れ星 上下」丸山健二(岩波書店)
■「清冽」後藤正治(中央公論新社

■詩は文芸の領域で最上位に位置するものであろうが、多数の読者をもつジャンルではない。P7

■遺書で、また口頭でも、死後の処理を託されていた。遺体はすぐに荼毘に付すこと・・・通夜や葬儀や偲ぶ会などは無用・・・詩碑その他も一切お断りするように・・・死後、日数を経て近しい人々に「別れの手紙を差し上げてほしい・・・。

このたび、私 2006年2月17日
くも膜下出血にてこの世とおさらばすることになりました。
私の意志で、葬儀、お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花をふくめ、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけだと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思いだして下さればそれで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生を豊かにしてくださいましたことか・・・。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。
ありがとうございました。p33

■自分に出会うっていうことは、ほんとにむつかしいことですね。一番むつかしいことかもしれない。そして、二十歳なんていうのは、そのもっともトバ口なんだと思いますね。一番もやもやして不透明で、一番苦しい時期だと思います。p78

■たとえば戦争責任は女には一切関係ないとは到底思えず、日本が今尚ダメ国ならばその半分の責任は女にあるというふうに。p158

■天皇批判を許さない風潮は常にあって、過剰反応を示すグループはいまも存在する。戦後も年月を経てなお、天皇を批判的に取り上げることはタブーであり続けてきた。p159
頭で考える
■金子光晴がもっともたいせつにしたのは「個人」というものでした。国家権力にも思想にも、そっぽをむいて「自分自身のからだで感じとるという根本の権利を、なにものにもゆずりわたそうとしませんでした。p169

■悲しめる友よ

悲しめる友よ
女性は男性よりさきに死んではいけない
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。
男性がひとりあとに残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、あとへの残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆も知っている事であり、女子大学で教えないだけだ。p198

■「17歳」橋口譲二(岩波書店)
■「猫光線」武田花(中央公論新社)
■「一日 夢の棚」黒井千次(講談社)
■「失われた世界の記憶」(光村推古書院)
「詩ふたつ」長田弘(クレヨンハウス)
■「われらの獲物は、一滴の光り」開口健(KKロングセラーズ)
■「現代詩の魅力」嶋岡晨(東京新聞出版局)
■「遊戯」藤原伊織(講談社)
■「河は眠らない」開口建×写真・青柳陽一(文藝春秋)
■「海があるということ」川崎洋詩集(理論社)
■「愛する伴侶を失って」加賀乙彦×津村節子(集英社)
■「愛の年代記」塩野七生(新潮社)
■「カマキリの雪予想」ベスト・エッセー集(文藝春秋)
■「眼の海」辺見庸(毎日新聞社)
■「花の指紋」言葉、写真、作庭・丸山健二(求龍堂)
■「大鮃・おひょう・藤原新也(三五館)
■「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」ケント・ギルバード(講談社新書)
■「針穴のパリ」田所美恵子写真集(河出書房新社)
■「ルバイヤート」四行詩・オマル・ハイヤーム(小川亮作訳)
■「アレクサンドリアの風」中川道夫(写真)池澤夏樹(文)
■「人間科学」養老孟司(筑摩書房)
「いのちの始まりと終わりに」柳澤桂子(相思社)
■「ブンとフン」井上ひさし(新潮文庫)伊能↑
■「健全な肉体に狂気は宿る」内田樹・春日武彦木
「しのびよる破局」辺見庸(角川文庫)
■「奪還」麻生磯(講談社文化)
■「とんび」重松清(角川書店)■
■「強父論」阿川佐和子(文藝春秋)い
■「懐かしい年への手紙」大江健三郎(講談社)
■「流れとよどみ」大森荘蔵(産業図書)「
■「カッコウが鳴くあの一瞬」近藤直子訳
■「睡魔」梁・石日(ヤン・ソギル)幻冬舎
■「サイコパス」中野信子(文春新書)居
「無名」沢木耕太郎(幻冬舎)
〇ただ待つということから来る待つ疲労感かもしれない。何を待つのかわからずただじっと待つことしかできない。朝が来るのを、つまり時が過ぎていくことを。p41

〇恐らく、死者は最もふさわしい時になるはずなのだ。どんな月であれ、死んだ月が彼の月なのだ。p241

〇死の直前、父が発した、自分は何もしなかった、というひとことは、ぶこん悔恨の言葉ではなく、ただ事実を述べただけだったのかもしれない。いや、むしろ、何もしなかった自分をそのまま受け入れての言葉だったのかもしれない。p252
「プーチンの実像」(朝日新聞国際報道部)
「隣人が殺人者に変わる時」ルワンダ・ジェノサイド・生存者たちの証言(かもがわ出版)
「加藤周一が書いた加藤周一」鷲巣力偏
〇人は束縛を脱すれば脱するほど、自分自身に束縛されるのである。p112
「こころ」谷川俊太郎(朝日新聞出版)
「迷走するイギリス」細谷雄一(慶応大学出版会)
「須賀敦子の手紙」須賀敦子(つるとはな)
「金子みすゞ 心の風景」金子みすゞ(美術年間社)
〇生活にリズムをつけないとベッタリコとなってしまって誰かに踏まれたおモチのようになってしまうから。p26
「妖女のごとく」遠藤周作(講談社)
「ザビエルとその弟子」加賀乙彦(講談社)
〇深く内省してよく考え抜いたすえに決定したことを固く守り通していくという強い意志の人だ。p81

〇分厚い書物の森のようにぎっしり詰まった思い出となって、どのページを操ってみても懐かしい追想がびっしり記載されてあった。p110

〇信仰が人生最高の価値である事実にも気づかず、果敢ない金儲けと世俗の名声しか知らぬ無知愚昧の阿呆で終わっておりましたでしょう。p151
「僕の死に方」金子哲雄(小学館)
「中国GDPの大嘘」高橋洋一(講談社)
「新しい道徳」北野武(幻冬舎)
「ゼロの迎撃」安生正(宝島社)


「運のつき」養老孟司」(マガジンハウス)
○私はいま六十六歳、もはや高齢者の仲間入りです。この歳になったら、新しいことなんか、とうていはじめられなせんね。いままでやってきたことを、自分なりに整理する。それだけで精一杯です。p8

○でも私たちは毎日眠るじゃないですか。そのまま死んでしまったら、どうなりますか。二度と目がさめない。それで死を「永遠の眠り」というんでしょうが。寝ている本人にとっては、生きていようが、死んでようが、関係ないじゃないですか。寝ている以上は、死んだことにも気づかないんですから。p9

○私は二人称の死だけが、実は本当の死だと思っています。逆に、だからなかなか死だとは思えない。親子兄弟、親しい人の死は、長いあいだ納得がいかないのです。p25

○(死体の引き取り)いまにして思えば、これが勉強になりました。だって、まさに外の世界、世間に出ますからね。いろいろな人に出会うし、いろいろな目にあいます。それも仕事のうちです。しかも、ふつうにしてたら、経験できないことが多い。デカルトの「方法序説」だと思いますが「世間という、より大きな書物を読むために」、自分は書斎を出たという記述があります。p53

○両極を考えて、はじめて中庸がなりたつんです。p82

■「父が生前よく言ったのは、映像化は娘を嫁にだすようなものなんだから、実家の親がああだこうだと言うのはおかしいと。ましてや息子が言うのは変ですからね」遠藤龍之介(映画・沈黙」について。(朝日新聞2017.01.18夕刊)

「老いの風景」物語で経験する「生老病死」(石井勝)中央公論社
○臨死体験者にいわせ、「いずれ死ぬときは死ぬ。生きることは生きている間ににしかできない。生きている間にしかできないことを、思いきりしておきたい」p197
○「殺すのは誰でもよかった」という言葉を耳にするたびに、その若者は身内の人の「死」に立ち会ったことも、その亡骸を目前にしたことがなかったのでは―そんな思いに駆られます。「死」と向き合わないことは、「生と」向き合わないことだからです。p211
○「老人力」の赤瀬川がいうように、墓は遡っても祖父母までの三代まで、逆に下ってもせいぜい孫までの三代なのでしょう。p219

「いとおしい日々」小池真理子・写真ハナブサ・リュウ(徳間書店)
「炸裂志」■連科イエン・リエンコー(泉京鹿訳)河出書房新社

■「神の島 沖ノ島」藤原新也・安倍龍太郎(小学館)
○おそらくして、当然それは死への不安である。この海の世界独特の、無意識の中に生じる死への不安は、風が吹き、海が荒れはじめると一気に意識の表層に躍り出る。だが不思議なことにその時、船乗りの気持ちは逆に躁状態となる。私の場合もそうだ。死を賭した時間の中で逆に生命が活性化するということかも知れない。p11

「便利」は人を不幸にする」(佐倉統)新潮社

「みかん畑に帰りたかった」埜口保男(小学館)
○北の北米、女の南米、我慢のアフリカ、さとりのインド、何もないのかヨーロッパ。p35

○世界一周を2回実践し、104カ国、12万キロメートルを走り抜ければ、自転車で食えぬこともなかったが、いつまでも、というわけにはいかない。それも回を追って条件を厳しくしていかないと、批判まで浴びせてくる。それをかわそうとグレードアップしていけば、最後に待つのは死である。p197

○「支援しているのは河野兵市であって、河野一家ではないという意見が出まして」(略)河野が凱旋するたびに、イベントの規模は大きくなっていく。そうしてますます発展してゆく組織に、やがて本人まで飲み込まれてしまったのだろう。そして組織が肥大化すれば、小さな軋轢もどうしても起こってくる。p236

「全思考」北野武(幻冬舎)
○身体は、どんな状態にあっても、生きようとする。自決っていうのは、その強い本能を、精神が屈服させることだ。肉体の運動をコントロールするのは精神だけど、その究極は、頭で肉体を殺すこと。三島さんはつまり、それをやったんだろう。p34

○人生のゴールは死ぬことなのだ。競争なら、早くゴールに着いた方が勝ちだ。だったら、早く死んだ方が勝ちなんじゃないか。釈迦だって、生きることは苦しみだと言っている。それなら、生まれてすぐに死ぬのがいちばん幸せかもわからない。人生の苦しみを感じずにすむのだから。人生は長生きすりゃいいってもんじゃない。p37

○生命は精子の段階から敵と味方に分かれて、猛烈に争いながら、卵子を目指す。卵子にたどりついて生き延びるのは、そういう何億個のなかのたった一匹でしかない。生きることは、殺すことなのだ。p99

○絵画の世界でも、印象派が出て、キュビスムになるまではある程度の時間がかかっているわけだから、それも仕方ないなあと思う。(略)だけどこれは、お笑いだけの現象じゃなくて
、音楽でも芸術でも、今はそういう状況に陥っている。(略)もしかすると、人間の文化、あるいは人類そのものが終りに近づいているのかなあと思ったりもする。人間の文明は崩壊に向かっているんのだろうか。そうじゃなくて、今はあくまでも過渡期で、耐えているだけなのだと思いたい。p110

○道具のおかげで何かが便利になれば、その分だけ確実に人間の能力が退化する。つまり、これは文明そのものが抱えている病理なのだ。p155

○良くいえば、ほころびを繕う天才。俺の右に出る監督はいない。そのかわり、出来上がった作品は最初に考えたのと全然違ったりする。何これ?っていうくらいに。だけど俺の映画は、それでいいのだ。p179

○いい漫才をしているときは、なにを喋ったか憶えていなかった。いい映画を撮っているときは、神経がピリピリしてくる。いい絵を描いているときは、涎がたれるというわけだ。p185

「香水」パドリック・ジュースキント(池内紀訳)文藝春秋

キッシンジャー(米元国務長官)16・12・27読売新聞。
「これは哲学的な深遠なテーマだ。インターネットは人類の性質を予期せぬ形に変えてしまったからだ。ボタン一押しで多くの情報が得られるようになったが、情報を記憶する記憶する必要がなくなった。記憶しなければ人間は考えなくなる。その結果、知識を受容するする能力が著しく損なわれ、何もかにもが感情に左右されるようになり、物事を近視眼的にしか見られなくなった。この問題を研究し、対策を考える必要がある。トランプ氏が駆使するツイッターなどインターネットが民主主義の姿を大きく変えようとしている、の問いかけに。

■「絶対音感」最相葉月(さいしょうはずき)小学館
○絶対音感を持たない私たちが、彼らは蝙蝠(こうもり)の羽音に惑わされる人々を思う一方で、彼らは扉の向こうにいる私たちが味気ないモノクロのいると想像する。同じ五感を持つ人間なのに、お互いの知覚に壁がある。p36

「白い道」吉村昭(岩波書店)
「路」吉田修一(文藝春秋)
「測量船」三好達治(日本図書センター)
「6時間後に君は死ぬ」高野和明(講談社)
「TEN YEARS OF PICTURE POWER」(写真の力)ニューズウィーク日本版編集部

「水の透視画法」辺見庸(共同通信社)
○「戦争や大震災など大無比の災忌(さいやく)のまえには、なにかしらかすかに兆すものがあるにちがいない、というのがわたしの勘にもひとしいかんがえがある。作家はそうした兆しをもとめて街をへめぐり、海山を渉猟(しょうりょう)し、非難におくせずものを表現するほかないさだめにある。p11

○人の思考の奇跡にもにた銀糸の飛翔は、年々うすれゆく記憶の底で、たまさかかすかに光をあげるだけである。思うだに遊糸ははかない。むなしく哀しい。見たと思っても、まるで錯覚のようにあやふやである。歴史や記憶のふたしかさのように、どこか形而上的なヒントをかいまみせたかと思うと、もうかき消えている。p59

○「私はずっと鏡におびえてきた。鏡面に映るおのれをみる行為そのものに、自分へのそこはかない裏切りと背反、さらには自分のしょうことない人格分裂と自己偽装のようなものを感じてしまう。だから怖い。水面や鏡のなかの自身を客観視して、美しいと陶酔したり醜いと自己嫌悪したりすることから、人の自我の分裂がはじまったともいわれる。p71

○メガネの女の職員がひとつ生あくびをした。半開きの口の中が、濃いモスグリーンの闇がひとかたまり載っていたのだ。これもいまおきつつあることの「微」ではなかろうか。「あくびをするとき、人間自身が深淵となって口を開く」(ベンヤミン)p125

○うたぐりと検証が根源的であればあるほど、表現が隠喩(いんゆ)にみちていればいるほど、そして思考の射程が長く屈折すればするほど、ファストフード化し、頭脳が退化したジャーナリズムはその問題を無視する。p80

○時代がうつろうときには、それとはそれとははっきりわかるしるしがあるわけではなく、たいがいが暗転と意識もせずに、あぶない坂をみなといっしょに笑いながらころげていくものだそうだ。p92

○私は心中いいかえたのだ。<世界がまだ滅んでいないにせよ、その唯一の根拠は、たまたま現に存在しているだけのことだ>と。p125

○かつて用いられていたのに、いまはめっきりつかわれなくなったことば―「膚接」(ふせつ)である。皮膚をおしあてがうように、人であれ物であれ、なにかと密接すること。p129

○―ここ数年、社会の流れが自分のなかでよく整理できなくなった。できごともよくわかたない。そこからくるあきらめのようなものが、人間滅亡後の風景を自分に組み立てさせているのではないだろうか―「どうすればいいのでしょうね。あたなたにはそんなことがありませんか」(串田孫一)p155

○記憶というのはさほどまで執拗なものか。自問は徐々にわが身にむかう。日本という国は記憶の精査を敗戦と同時にうちきり、その過去を現在の文脈によってもののみごとに変造しぬいている。すなわち、たくみに忘れたふりをしている。p147

○「せめて笑いを強いるな。強られるな。個としての彼らを解放せよ。「彼らとは当時の天皇と皇后である。(中野重治の言葉)p196

○よりどころとしたのはむしろラーゲリやナチの強制収容所に蔓延した人間不信のはての
「ディスコミュニケーション(交感不能)状況ではなかったのか。恐るべき個我はそこでむきだしにされた。p209

○脳出血後遺症の視床痛が右肩に感じられているのだ。世に二大激痛というのがありましてね、末期ガンの痛みと視床痛がそれです。p238

○ところは中国であった。「すごい」という、ほとんど無意味な形容詞は、日本のごときちっちゃな日常ではなく中国という絶大な時空の万象にもちいいてこそ適切である。そこには人の世のあらゆる質と醜さと欲と、ただちに「醜」と互換できるだろう「美」と裏切りのすべてが、昔もいまも凡人の想像をはるかにこえてあったし、ますます過剰にありつづけている。p242

○あのころ、やくたいもないごろつきはいくらでもいた。並行して、侠客や義賊の幻想もまだしっかり生きていた。異風が異風としてあったのだ。金持ちは表面はうらやまがられていたが、金の亡者は心底軽蔑された。p258

○あの闇には、東京のような時計的な時間、ロンドンのような数学的で実効的で時間はかけらもなかった。あの闇には、語ろうたってとても語りえない生と死と徒労の果てない堆積があった。p280

○あれら青闇の過去のひだの底から、なにごとも白くさらしつくしながら結局はなにも見えなくなったいまへと、はからずも生きながらえてしまったことのうかつをおもう。p281

○老いると総じてふきげんになるわけがこのごろわかってきた。風景を若いときのようにまっさらなものに感じなくなるからだ。おどろきと発見が減ればへるほど老いは深まる。p283

○「短いったって、詩はじっさい長編小説みたいなものだから、時間かかってもしかたがないじゃないか。とにかく書くことだ。書こう、書こう。いつもそうおもうことだ」p308

○ITを酷使してただもうけたいだけの投機屋たち。つぎからつぎに売りだされる新しい電子機器のたんなる端末と化してしまったひとびとの群れ。なすすべき内面的省察をしなくなった詩や思想。テクノロジーの発展にぴったり並行して内観がどんどん阻碍(そがい)され、実存それじたいがむなしくかんじてしかたないのは、世界大戦期およびその前後をふくめ、史上もっとも貧寒とした空洞の時代なのではないか。p325

○水と火。地鳴りと海鳴り。それらを交響してわたしたちになにかを命じているようにおもわれた。たとえば「ひとよ、われに恐懼(きょうく)せよ」と。あるいは「ひとよ、おもいあがるな」と。p328

○わたしという、よるべないにひとりのこころが、読者という、よるべないひとりのこころに、か細い橋をかける行為。散文であれ詩であれ、文を書くということはそういうことだ。p332

■「東京プリズン」赤坂真理(河出書房新社)
○クリーンキル?と誰かがつぶやいた。クリーンキルとは苦しませない殺し方なのだろうか
、でも親のヘラジカはそのまま数歩、幼獣に向かって優美に歩いた。そして優美な曲線を描いてゆっくり崩れた。p35

○失われた場所こそ故郷である。ダムに沈んだ町のように。だから記憶をありありと体験したいと私は願った。今、そこにいるように。それしか、思いだせる方法は私にはないから。p70

○わけもわからずに許せるというのは、無条件の許しなのかあるいは結局何もわからない証か。母にも何もわかっていない。私にも何も。事態は何ひとつ、変わっていない。何もわからないままに許せるのは、恵みなのか、嘘かごまかしなのか、強さかそれとも弱さか。にもかかわらず大切な人の死は、一種の恩赦をくれる。p124

○「笑うのよ。そうしたら鏡も笑う。そうしたら笑ったあなたを、抱きしめる。鏡はあなたより先に行動できない。あなたがあなたの望むように行動すれば、鏡は従う。p167

「アトミック・ボックス」池澤夏樹(毎日新聞社)
「地層捜査」佐々木譲(文藝春秋)
「張り込み日記・渡辺雄吉写真集」(ナナロク社)
「独裁国家に行ってきた」マサキ(彩図社)
「魂の伴侶(ソウルメイト)」ブライアン・?・ワイス/山川紘矢・亜希子訳

「イスラム国の内部へ」(ユルゲン・トーデンへファー著・正樹訳)白水社
○根本から言えば、新たなテロリストを生み出さずにアラブのテロリストと闘うことができるのは、アラブの人々だけである。p33

○ISが、想像を絶する残虐さで敵のパイロットを処刑する時の炎もリストに載っていない。我々の爆撃による無数の犠牲者たちが同じように苦痛に満ちてしだいに焼け死んでいくことは人々の関心を引かない。爆撃は合法的なものであり、それに伴う焼死は、容認された軍事作戦には避けがたい「随伴被害」である。p35

○「我々は野蛮人ではなく、ただ生きたいだけです。西側諸国の反イスラーム戦争では、アメリカは屠殺者であり我々は羊です。50カ国以上が我々と敵対関係にあります。しかし、彼らが我々を倒すことはあり得ません。我々の強さの基盤は、我々の武器、財力、戦闘員ではなく、我々が正しい道を歩んでいるという事実です」p202。

「作家の四季」池波正太郎(講談社)hp未
○いまの若い人たちは、その肥料の匂いに「あっ、いやな匂い…」と、顔をしかめる。自分の躰から、その(いやな匂い)がす私もる物体を排泄するくせに「何をいうか!」と、いいたくなる。p18

○おのれの健康をほこる気持ちは、いささかもない。生と死は、いつも、となり合わせになっているのだから…。六十年生きて来て、いまさら感じることは、我欲のない人ほど幸福になっていることだ。むろんのこと、これは金銭とは別のもので、いかに我欲を張って財産を得たところで人間は満たされない。その実例を、数え切れぬほどに、私は、この目で見てきた。p33

○そもそも人間の生活の八割は、ほとんど、双方の勘ちがいによって成り立っているのである。p63

○人間世界の事象は、物の見方、考え方によって黒が白ともなるし、悲劇も喜劇となるのである。それは男女の知性、ユーモア、ペーソース、良質の感傷をもつことができる人間というもの特権。p167

○長命の人が多いように、おもわれている。吉行さんは、言下に、「それは、錯覚なんだ。実態は弱っているんだよ。なんとなく平均寿命が長くという…医学も死なせてくれない。それだけの話だよ。と、いわれた。同感である。六十までは元気で、仕事も存分にやれたが、六十三、四歳になってから、急に衰えた。先ず第一に、五十になるまで旺盛だった好奇心がなくなり、つぎに、あらゆる面での欲望が、汐を引くように消えてしまった。p237
▲▽▲書物の森 2016年▲▽▲

「嫌いなことから、人は学ぶ」養老孟司(新潮社)
○公式に大学を辞めた平成七年四月一日、この日に外へ出たら、空が明るかった。世界を倍明るくするには、太陽エネルギーを二倍に増やす必要はない。気分を変えさえすればいい。p47

○二十年本を書き続けたら、六十五歳でだしぬけに本が売れた。競馬であてたようなものだが、競馬ならどこかで「当てよう」と思っていたはずである。私にそんなつもりはない。「無意識に当てようと思っているだろうが」。そう思う人もあるかもしれない。そこまでいうなら、私もいわせてもらう。私にとって、人生自体が競馬や勝負事と同じだから、わざわざ人生の真似事をして時間を潰すような、そんな面倒なことはしたくない。p51

○解剖学では骨学と筋学を分けたりする。その調子で分けるから、脳機能と意識が「まさか関係あるとは思わない」ことになる。脳の専門家だって「脳を調べても心はわからない」といい出す。そりゃ当たり前で、どう調べたって、脳も心も最終的にはわかりはしない。それはニヒリズムではない。わからなくたって、調べなきゃならないのである。少しはわかるかもしれないからである。最終的にわからないんなら、調べる必要はないというのは、最後は死ぬんだから、生きる必要はないというというようなもである。それなら勝手に死ね、と私は思う。p72

○近代合理主義は、あらゆる不安を消すことをモットーとしている。核家族は老人を排除し、いまでは子どもすら排除する。そろそろ同居しなければならないものを、もう一度、生活に戻したらどうか。不安を排除し、奇跡を排除し、タバコを排除する。黴菌を排除し、ゴキブリを排除し、最後に人間を排除するのは、時間の問題であろう。p82

○(シャンタラム・2011年新潮文庫)著者は英国式の刑務所制度の難点を指摘している。看守の非人道的行為を抑えるべき監督官が、現場を知らない。見ようとしない。見ないでも、仕事が済む。霞が関に似ている。旧大蔵省の官僚みたいなものである。ある若い官僚が、現場なんか見たら、予算の査定なんかできないと述べていた。官僚制度は文化を越えて同じである。p220

○最後にドイツ人学生は「日本人は生きていませんからねえ」という。それに中国人学生も全面的に賛意を表す。たまたまその前に、インド人のインテリが日本に滞在した印象記を読んだ。そこにも同じ台詞があった記憶がある。それはなんなのか。「日本人は生きていない」。多くのインテリがそう評するのである。その意味は日本人にはなかなか通じない。

○人生はいつも命がけで小なりといえども、虫採りだって命がけである。それをひたすら安全を大事にしてきたのは、私ではない。どうせ命がけなら、いやなことをするなんて、バカらしい。面白いと思うことをしたほうがいい。それで面白いと思うことばかりというなら、とんでもない。一つ面白いことをするには、百も面白くないことをしなきゃならない。(略)それなら人生、自分で面白くするしかないないじゃないか。その意味では若原なんて、達人の域に達している。あれを見て、日本人は生きていないなんて、だれもいわないであろう。p233

「もうろくの詩」森毅(青土社)
○夢のなかで鏡を見ることがないのは、夢そのものが鏡であるからではなかろうか。p13

○もっとも、死ぬということは、定義として永遠に意識がなくなることだから(肉体の脳死か心臓死かはともかく)、ぼくは意識論者だ。意識とはなにかと問われると困るけれど、死者の意識を認めないことにしている。孔子さんにあやかっているようだが、お釈迦さん本人もいくらかそんなところがある。それより、せっかく死があるのに、霊がそのまま残っていたら霊界が混みあって困る。どんどん生まれるためには死んだら消えることにしたほうがつりあいがとれる。p44

○つまり、「死とはなにか」という人生最後の問いについては、寓者であり続けるよりない。これは、これは、人生の最後が死であるのと、つりあっている。p63

○昔は本好きの男の子は軟弱非国民で、体に悪い(結核になる)、心に悪い(神経症になる)、頭に悪い(おとなの思想にかぶれる)。たばこと本は不良の始まりだった。ヘビースモーカーで、ヘビーリーダー。ヘビーの基準は、日に五十本、月に五十册と思う。年をとって減らすようにしているが、日に二十本、月に二十册までいかぬ。p154

○文学や音楽にかぎらず、身につけたものを捨てて、おしゃれになるのが老人の芸能であるのは、世阿弥が説いたとおり、それが、人間にとっての文化というものだろう。青春も老人も、心のおしゃれとしてつながっている。それが、読書のよいところ。p167

「約定」青山文平(新潮社)
○刀の目利きには、銘の真贋を見抜いて折り紙をつける目利きと、”折れぬ曲がらぬ斬れる”を見極める武家目利きがある。p82

○「だがな、俺は、儒者の学問で腹は膨れるぬと思ったが、直次郎は、民の腹を膨らませるには学問が欠かせぬというのだ」「剣で民の腹を膨らますことはできぬが、学問ならできるとな」p89

「男という名の絶望」奥田祥子(幻冬舎新書)
「犬の掟」佐々木譲(新潮社)
「犬の霧」辺見庸(鉄筆)
「いとおしい日々」小池真理子(徳間書店)
「生ける死者に眠りを」フィリップ・マクドナルド(鈴木景子訳)論創社
「ルポ難民追跡」坂口裕彦(岩波新書)
「堤清二 罪と罰」児玉博(文藝春秋)

「夕庭」丸山健二(朝日新聞社)
○私が追い求めてやまない庭といのは、私がめざしてやまない小説といっしょで、現実と想像、地味と派手、抑制と浮揚、やすらぎとときめき、混乱と秩序、野性種と園芸種、そうした相反するテーマのちょうど境目にある。紙のように薄い、ぎりぎりのはざまに存在している。ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながなんとかそこに食い込み、踏みとどまろうとするにはどうしても神業に肉薄せねばならず、ひとつ間違えるととんでもないことになり兼ねない世界なのだが、挑戦してみる価値は充分にある。p38

○文化の香りなどという軽薄な言葉を一蹴してしまう、地図にも記載されていないような地区で出会う年寄りの顔には、文章では到底捉えきれない独特の迫力がある。それはただただ凄まじいの一語に尽きる。人間の持つ暗い面ばかりが凝縮されて、仮面のように顔に張りついてしまっている。そんな顔になるためにこの世に生まれてきた人間は決して少なくないことを思い知らされるたびに、ペンの動きがぴたっと停止する。
(略)それとは正反対の顔に出会うことがある。仙人もかくやと思えるほどの素晴らしい人相をした老人や老婆を稀に見かける。心の豊かさと清らかさが全面に滲み出た、その純一無垢な表情は、私のような柄の悪い余所者にじろじろ見られてもまったく崩れることがない。そんなときは決まって、これぞ人間本来の姿ではないかという感動が津波のような勢いで押し寄せてくる。p78

○色とりどりの候鳥の羽音が透徹した大気を震わせるとき、ふとわれに返る一瞬がある。言葉を唯一の頼みとして、形而下から化形而上へと分け入り、太極まで肉迫しようとする、そうした生活がいかに異常であるかに今更ながら気づき、胴震いを覚えるのだ。まともではない生き方をし四半世紀ものあいだつづけてしまったという後悔が胸のうちをすっとよぎったかと思うと、その黒々とした稲妻は、仕事だから仕方ないという大義名分を一撃のものに粉砕する。そして私は、人っこひとりいない、清らかな水がさらさらと流れているばかりの、孤なる魂にはいささか広すぎる河原の真ん中に、腰抜けになってぽつねんと佇んでいる。p79

○体験しなければ理解できないというのでは、あまりにも貧弱な想像力ではないでしょうか。人間が化け物であることくらいは、青春の入り口でわかるはずです。人間ほど理不尽な存在は他に類をみないという事実は自明の理なのです。その壁の前で身をすくめてしまったのでは、文学は一歩も先に進むことができないのです。p115

○あの世は存在すると思っています。証拠はありませんが、直感でそれを信じています。だからといって、神秘主義や宗教にしがみつくつもりはありません。p115

○それでもなおスキンヘッドをやめないのは、ひとえに仕事のために役立っていると信じているからだ。ひんやりと冷えた頭が脳にいい影響を与えていると信じきっているからだ。確かに以前より頭の回転が良くなった。神経が鋭くなり、外界の変化に敏感になった。閃きの数が増え、枝葉末節にとらわれることなく本質や核心に迫れるようになった。とても錯覚とは思えないほどだ。p116

○「おれが死んだら力のありそうな身内に連絡しろ。誰もいなかったら誰かを雇え。通夜だの葬式だの面倒なことをするな。坊主など間違っても呼ぶな。飾りも何もない棺に放り込み、おれがあらかじめ掘っておく穴に投げこんで、さっさと土をかぶせてしまえ。地面は真っ平にして、墓標の類は一切立てるな。花や線香も供えるな。そして、あとは忘れろ。忘れて、二度とそこを訪れるな。また、誰かに訊かれても絶対に場所を教えるな。特に仕事の関係者には言うな。死んでからも文学とかかずらうなんてごめんだぞ」と。それから妻に訊いた。「おまえはどうしてもらいたい?」と。すると妻は、暗くてじめじめした墓地や、ごみごみしているしている墓地でなければいいと言い、こうつけ加えた。「山のてっぺんのような見晴らしのいいところなら最高ね」と。p120

○若いときの酒はさほどでなくても、歳をとってからの酒は確実に脳細胞を蝕(むしば)み、要するに才能を鈍化させる。酒と文学は切っても切れない仲だと信じている者も多いようだが、アルコールの力を借りて生まれた文学というのは、それ以上の文学になり得ていないし、しまいにはアル中の世まいへと堕ちていく。アルコールによって古い切り株のようにひび割れて縮んだ脳で考えられるのは、芸術家としてはありふれている惨めな死を選ぶことぐらいだろう。彼らの才能は涸れたのではなく、自ら涸らしてしまったのではないだろうか。そうしたことをも含めての才能だったのかもしれない。p155

「生死刻々」石原慎太郎(文藝春秋)
○彼にとっては初めてのエベレストだそうで、人によっては緊張が高じて半分頭がおかしくなる客もいるとシェルパの一人はいっていましたが。p84
○あの幻覚や幻聴というものは何なのでしょうか。夢でもない、幻でもない。とにかく実にはっきりとその音を聞くのだし、ある情景を目にしたのです。特に幻聴の方は、嘘だ、こんなことがある筈はないと自分にいいきかせながらも実にはっきりと耳に伝わってきました。p129

「嫌いなことから学ぶⅡ」養老孟司(文藝春秋)
○日本の家には、ケチな家であろうと、なぜか塀がある。それを私は長年、奇妙だと思ってきた。考えてみればしかし、なんのことはない。あれは私的空間を境するものなのである。塀の中こそ「公的な私的空間」である。だからお嫁さんは大変だったので、それはある私的空間から、別な私的空間への移動を意味したからである。新しい私的空間への慣習を身につけさせるのが、「封建的な役割」姑の役割だった。p24

「老いを光らせるために」松永吾一(大和書房)
○「三日前に雪が降ったの。おばあちゃんは松の葉に積もった雪を食べたいから赤塗りのお椀に取って…と言われたから、取ってきて食べさせたのよ。そしたら『おいしかった。ありがとう。月の光までご馳走になった』とよろこばれてね」p22

○「…死ぬことはこの世から消えてなくなることではなく、その人間が生きていた、という事実を証明するものなのだ。死は、人間の一生にしめ括りをつけ、その生涯を完成させるものだ。消滅ではなく完成だ」山本周五郎「虚空遍歴」より。p49

○とくに現代人の死との付き合い方は中世の日本人とくらべて素人だから、戦乱や飢餓や疫病で道ばたに死人が転がっていた時代の様相とはちがう、もう一つの「近代地獄絵巻」をつくることになるかもしれない。p54

○「金子光晴は充分に生きたから、死後は完全に消滅」という希望はほとんどすべて裏切られていく。p67

○「うん。死が怖いとは思わなくてすむような強い意志が、なによりもほしかったので、その信念のようなものを動かぬものにするために遺書を書いた、と言ったほうがいいのかな」p75

○「むかしは年寄りは家族といっしょに暮して、知恵の送り手という役目を果たしてきから、大事にされてきたけれど、いまは情報量が多すぎて知恵を受けつぐ必要がなくなって、家庭の中での座を失ってしまったんだ」p116

○医師の日野原重明さんは、「人間のみが他の生きもの持たないものをもっている。それは、人間は早晩死ぬということ、また死を予知する生きものであるということである」と書いていて、それに共感したのだが、そのことも自覚できずに死に向かっていく痴呆は、悲しい。私もそれをなにより怖れてきた。p204

「米中逆転」―なぜ世界は多極化するのか?― 田中宇(さかい)(角川書店)
○日中などアジアの人々は、政府や上司の言いつけは守ることはできるが、自分の頭で考える訓練をほとんどやっておらず、システム思考力が弱い。日本の場合、企業には、自社製品の技術開発や経営のシステムを思考する能力の高い人々がいたが、企業を超えて国家システムや、世界の中での
日本勢のあり方については、すでに欧米人が作ったものの上に乗って動くことしかやっていない。p136

「カイラスに死す」河原五郎(新風舎)
○「人は常に暴力におびえ、死を恐れる。すべての生命は愛しいものだ。諸々の事物は無情である。生じては滅びるものである。財産も高い身分地位も終には離れる。すべての命は必ず死に至る。それぞれの善と悪との報いを受けて、業に従わねばならない。」ご玉ゴータマ・シッダルクが残した言葉。p108

○ヒマラヤの奥地でそう簡単に病院や学校づくりができるわけがなかった。まず、困ったのが医療品の確保だった。医薬品というものはほとんどなく、包帯ひとつ事欠く状態だった。薬や器材がなくては、西洋医学はほとんど機能しないことを私は身をもって知った。必要な薬品は自然界に生える薬草から得るしかなかった。p130

「日本の思想をよむ」末木文美士(すえきふみひこ)角川書店
○僕は、日本の伝統思想を三つの種類に分けるのがよいのではと考えている。それらを非常に単純に、小伝統・中伝統・大伝統と呼ぶことにする。小伝統は、第二次大戦後の伝統であり、中伝統は明治以降、第二次敗戦までの期間に形成された伝統である。それに対して大伝統は、明治以前の前近代の伝統である。p58

○死者や神仏のように、目に見えない他者の領域は、古くは「冥(みょう・或いは「幽」(幽冥)と呼ばれ、目に見える「顕・けん」世界と密接に関係していると考えられてきた。「冥」の領域は、前近代の大伝統においては常識的なことであったが、近代の合理的な発想に覆い隠され、排除されるようになった。だが実を言えば、近代の中伝統においても、「冥」の世界を扱う神道がきわめて重要な役割りを果たしているのであり、それが表面の言説の世界から消し去られたというに過ぎなかった。それに対して、小伝統では、そのような「冥」を受け入れる装置が作られなかったことで、「冥」の世界は行方を失ってしまった。p153

「唐牛伝」佐野眞一(小学館)
○庶子として生まれた健太郎は、祖母の籍に入れられた。これによって、健太郎は戸籍の上では、母親の弟ということになった。p51

○唐牛の魅力?うーん、陽気なところかな。嫌なところ?北海道や沖縄出身者共通に見られる無責任さかな。いずれにしても、全学連委員長までやったんだから、もう少し「名を惜しんで」でほしかったな。p134

○「ものごとは必ず複眼で見るんだ」陸軍中野学校出身の草間孝次の言葉。

○「おいカロケン、安保条約の条文、読んだことあるのか」と訊いたことがある。「バカヤロー、そんなもん、読むわけねえだろう、それが答えだ」(笑)。考えてみりゃ、彼にすれば読む必要なんぞなかったんでしょうね。要するに反日共系全学連は、ソ連にすり寄る共産党も嫌なら、米国に従属する自民党も嫌、つまり根っこのところにナショナリズムがあったんだね。p206

○島成郎は「言葉によって表現する詩人もいるが、彼の場合は行動や生活そのも、その生き方で詩を表したように思えます」p209

○与論島では農業構造改善事業が大々的に行われていたという。農業構造改善事業とは、農業の所得向上を
はかることを目的とした国家プロジェクトのことである。「唐牛さんたちは、そういった土木工事に参加して日銭を稼いでいたと聞いています」。かつては国家に反逆した男が、国家プロジェクトの末端で糊口をしのぐ。食うために仕方なかったとはいえ、時代の変化をいきなり鼻先につきつけられたような気がした。p302

○「―要するに、唐牛健太郎という人生はもう60年安保で燃焼し尽くしちゃってさ。そういう意味では、名誉欲もないし、物欲もない。地位も欲しがるタイプではないし。歴史的人物っていうほどではないけど、やっぱり時代のヒーロー。時代のアイドルだね」元新自由クラブ幹事長、山口敏夫の話。p365

○「いい一日だったから、この日を僕たちのはじまりにしよう」という言葉が書かれていた。(唐牛から初めてもらった田村正敏への手紙)。田村が死んだとき、その手紙は遺言で棺の中に入れられた。このエピソードから伝わってくるのは、唐牛は革命家というより、アジテーションという短いフレーズで他人をそそのかす天性の「詩人」だったのではないか、という思いである。p367

○唐牛の人間性を、「剛毅(ごうき)な半面、極端なほど含蓄な人間だった」と分析している(元来は無口であった唐牛は、後年特に酒が入ると饒舌なほど多弁になりその語りは人をあきさせなかったが、自分自身の心の襞は頑なまでに人に見せることを拒んだ)追悼集から島成郎の話。p384

「科学者と戦争」池内了(岩波新書)
○「デュアルユース」という言葉が何度も出てきた。同じような意味で、「両義性」「一面性」という言葉も使われる。科学がデュアルユースであるとは、もともと科学研究の成果が民生(平和)利用にも使われることを意味した。一本のナイフが、リンゴの皮を?くのにも、人を殺すのにも使われるように、いかなる科学・技術の成果物も、使い方次第で生活の助け(平和のために)にも殺人(戦争のために)にも使うことができる。科学そのものは中立だが、技術となると善にも悪にも用いられるという考えだ。p114

○科学者は、自分が発見した事柄が先々どのように使われることを想像する力を持っている。その想像から得られる結果を直視しなければならない。直視しようとしないのは、科学者として怠慢であり無責任といわれても仕方がない。何らかの悲劇が起こると推測できたときは行動を起こさなければならない。それが面倒というなら、人間としての資格はないといわざるえない。研究の成果がどう使われるかが科学が活かしも殺しもするのである。p152

「死との対話」山田真美(スパイス)

○「ヒンドゥー教徒としての証を見せろと言われれば、私は喜んでガンジス河に浸かり、皆もそうしているように、その水をガブガブ飲んでみせましょう。けれども誰かから『化学者としてのおまえは、本当にこの水は安全なのか』と問われたら、答えはもちろん『ノー』です。化学者としては絶対に入りたくない。けれども信仰者としては入ることは躊躇する。それが私にとってのガンジス河です」p54

○カワワニとは別に、巡礼者たちが沐浴するポイントに、しばし水中窃盗団が現れることも指摘されている。彼らの手口は、あらかじめに狙いを定めておいた巡礼者を水の中に引きずり込んで溺死させ、それからゆっくり金目のものや現金など奪い取って、そのあとは死体を河に流してしまうというものだ。p58

○「私のたましいは、むしろ窒息を選び、私の骨よりも死を選びます。私は命をいといます。私はいつまでも生きたくありません。私にかまわないでください。私の日々はむなしいものです」(「ヨブ記」第七章15~16)p128

○「金を貸してもいいけど、いつ返してくれる?」「カル」。インドで生まれ、ずっとインドで暮らしている普通のインド人が「カル」と答えた場合には、「いつの日か」あるいは「今生で返すことはできないかも知れないけれど、来世で返せたら返しますよ」という意味に近いと考えて、あまり期待せず気長に待っているのが無難だろう。「カル」という単語には、驚いたことに「昨日」という意味もあるのだ。インド人にとって、「昨日」と「明日」、「前世」と「来世」のあいだに本質的な違いはない。なぜならば、あらゆる生命の営みは輪廻転生を繰り返しており、それは言ってみれば大きな輪のようなものだから、輪には始まりもなく、終りもない。明日もなければ昨日もない。まさに「円」すなわち「縁」なのである。p148

○死体を川の上まで運び上げ、石のまな板の上で「百八」に切り分けて、川に流し弔っていた人々。その、痛々しく不気味な葬送の方法が、卒然、あまりにも厳粛で、あまりにも切実な、人間の最も
根源的な祈りのかたちとして、私の心に深く迫ってきたのである。彼らは信じていた。切り分けられた百八のパーツはのうち、いちばん初めに川に投げ込まれる死体の「頭」が、正面から着水すれば
、吉。その人は迷わず成仏できると。川の下で死者の家族や友人たちが、数珠を握りしめ、無我夢中で祈っている。願わくば迷うことなく、まっすぐ成仏したまえ。願わくば心安らかにこの世を去り、仏とひとつになりたまえ。p235

○近代性とは、非本質的で外面的な手段、非本質的で、物質的な生き方ではないかと僕は思う。(ダライ・ラマ、死を語る)p246

○大事なのは、まず人間を愛することだよ。分かり合う心があってこそ、他者の問題を解決することができるのだからね。これがもっとも価値のあることなんだ。p247

○インドは、とてもいいかげんで、とつてもなく寛大な国であり、そこには<精神と物質><善と悪><好きと嫌い>といった二元論的な価値観ではとても測りきれない。より大きな普遍的な真実がある。p253

「木村伊兵衛 パリ残像」(株式会社クレヴィス)

○こちらに来てつくづく感じたのは、写真家の思想と表現に対する骨組みの問題である。これを考えることが出来ただけでも、私にはこの旅行がどんなにためになったかわからない。p96

「月蟲」内池久貴(主婦の友社)

○「ゆらゆらした女性なんです。悪い意味じゃありませんよ。じっと一点を見つめられる目をしているのに、常に揺らめいている感じがするのです」p17

○実に、芸術とは、人が、自分の弱みと戦うことです。その戦う力が基準となって、諸物に名辞なイメージなり蓄える興へる力です。p226

「密航屋」野村宏之(新潮社)

○日本人と中国人は所詮、水と油。共通の試練に攪拌されたら仮初の共闘態勢を組めるかも知れないが、嵐が過ぎれば分離していく。それが自然の法則だ。p69

○昔から中国人の気質は、「北京愛国、上海出国、広東売国」と評されてきたが、海外への出稼ぎを望む華南人は無尽蔵だった。p146

○自分を物差しにするわけにはいかないが、少なくとも、やれ癒しだ、自分探しだ、グルメだなどと、箱庭のマトリックスに耽溺する同国人が、この連中に歯が立つとは思えなかった。先刻ぶった持論に則すれば、自らの生命維持に費やす意志と手段を見失った日本人は、隆盛する中国人に国土を侵されても仕方ないことになる。自分は決して縄張りを守る権利を否定するわけではないが、自分の帰属する羊の群れを、ただち飢狼の軍勢と対決させる覚悟もできていなかった。p152

○好きか嫌いかと問われたら、自分は中国人が嫌いである。姿形が似ていても、日本人とはまったく異質の民族と認識しているし、「馬」稼業を通じて、漠然としていた偏見は、確信に変わった。にもかかわらず、ここのところ、世の中の見え方が、自己欺瞞の用い方ばかりうまくなった日本人よりも、韜晦(とうかい)を知らない無鉄砲な中国人、明らかに近づいている。p202

○リムジンバスの車窓から眺める東京の夜景は白い輝点の集合体で、無遠慮な緑やピンク色のネオンに侘び寂の感性をすっかり麻痺させられて久しい自分の目には、街の生命力に不安をおぼえてしまうほど儚げに見えた。p231

○これだけは断言できる。日本に行った自分が何をするのか知らない「じゃぱゆきさん」など皆無である。p234

○「ジョークをご存知ですか。イタリア人とフランス人と日本人の男二人と女一人が無人島に流された。さて、彼らはどうするか?」「イタリア人は決闘して、生き残った男が女を物にする。フランス人は三角関係を楽しむ」「日本人は?」
「本社からの指示を待つ」p272

○「後ろ振り返って他人を頼るな。自分の責任で前を見ろ」あの時、何気なく発したセリフは、果たして大妹に投げかけた言葉だったのだろうか。p296

○かえりみて、身の丈に合わない自意識を疑わず、ワガママを自由と履き違えた挙句、勤勉な同国人が長年かけて培った国籍の信用に寄生し、日頃煙たがっている自国政府の庇護を受けなければならない生き方は、どんなダンディズムとも無縁の代物でした。p298

「ひとびとの精神史」震災前後(岩波書店)栗原

○戦後70年のひとびとの精神史は、精神の転回点として、少なくても五つ瀬をつくってきた。第一に、いのちをつなぐ場所を拓くこと。第二に、まなざしの転換。中央からの遠近法に抗して逆遠近法のまなざしを拓くこと。第三に、システムの内破と離脱を経て、ひとびとの公共圏に踏み出すこと。第四の、「内的難民性」に反転させて、「もう一つの連帯」を編むこと。第五に、人間性の外部の他者による、また、不在の他者による、自己の構成ということへの気づき。(略)いのちをつなぐ場所を拓くことが、戦後日本の精神史の起点となった。p3

「龍の棲む家」玄侑宗久(文藝春秋)

○「陸上競技のトラックって、どこの国も左廻りでしょ」「ええ」幹夫は思わず立ち止まった。「人間って、左足で体重を支えて、右足で方向を決めてるんですって」「…ええ?誰でも?」「ええ。だから、呆けるって、そういう、人間にもともと具わった自然に還ることじゃないかしら」p95

○「うちの父は?」「おおむね回帰型ですね。自分らしかった時に回帰するわけですけど、でもやっぱりみんな違うんですよ」なんだか佳代子は、自分で言ったことに自分で苛立つようだった。幹夫が「ちなみに他の型は」と訊くと、冷静に、葛藤型は老いと馴染めずに葛藤している状態で、暴言や粗暴行為、情緒不安定などが特徴。また遊離型は、現実との関係を諦めて自閉し、現実から遊離してしまうのだと、簡潔に説明してくれた。p95

「孤独について」中島義道(文春新書)

○孤独というのは自分に課せられたものではなく、自分があらためて選びとったものだという「価値の転換」に成功すると、そこにたいそう自由で居心地のよい世界が広がっていることに気づく。孤独とはもともと自分が望んだものだということをー。p123

○幸福に関する貧乏性なのである。そして、よくよく考えた末に人生を(半分)降りようと思った。
自分のこれまでの苦しく辛かった人生を徹底的に吟味しよう、自分の五十年間の過去を骨までしゃぶるように思いだそう。そのために生きようと考えた。もう、普通の意味で積極的に「生きる」のはやめよう。「いち抜けた」と叫んで外側から人生レースを眺めてみることにしよう。p155(1946年生まれ)

「コンビニ人間」村田紗耶香(文藝春秋9月号)

○「あの…修復されますよ?」「えっ?」よく聞こえなかったのか、白羽さんが聞き返す。(略)コンビニは強制的に正常化される場所だから、あなたなんて、すぐに修復されてしまいますよ。私はそれを口に出さず、のらりくらりと着替えている白羽さんのことを見つめていた。p440

『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』安田浩一(朝日新聞出版)

○実際「嫌韓」ならぬ「嫌沖」の言説は巷にあふれている。身勝手、左翼の島、反日。一部保守論壇やネットを中心に流布するこうした「嫌沖」の言葉を何の検証もなくなぞっただけにすぎない。誇張、デマ、ときには妄想をも動員する「ネトウヨの作法」そのもだ。p29

○長きにわたりずっと犠牲を強いられてきたなかで、それでもさらに、根拠なき偏見をぶつけられる理由なんてありませんよ。それは新聞社だけの身勝手な思いではけっしてありません。普通に、平和に、戦争の影を感じることなく暮らしたいう、当たり前の県民感情に突き動かされて、私たちは記事を書いているのです。(タイムス・編集局長・武富和彦)p57

○白いセーラー服に身を包んでいた。上空をマスコミ各社のヘリコプターが旋回していた。仲村はちらっと上に視線を向けた後、マイクに口を寄せて声を上げた。「もう、ヘリコプターの音はうんざりです」意外な「開口一番だった」。その瞬間、会場のざわめきは消えた。p75
基地の周りには七つの小学校と、四つの中学校、三つの高校、一つの養護学校、二つの大学があります。ニュースで爆撃機やヘリコプターなどの墜落事故を知ると、いつも胸が騒ぎます。私の家からは、米軍のヘリコプターが滑走路に降りていくのが見えます。p77

○「東京に来てよかったと思う」と宮城は言った。理由を尋ねると、「沖縄との温度差を知ることができたら」だと返ってきた。喜んでいるのではなく、明らかに悲しげな表情を浮かべた。p145

○「これまで正面から国防を論じることのできなかった人でも、うちの新聞を起点に意見を発信できるようになった。遠慮がちだった声をすくい上げることができるようになったじゃないかと思っています」(八重山日報・沖新城編集長)p271「

「自死」現場から見える日本の風景―瀬川正仁(晶文社)

○かつて、知り合いのドイツ人からこんなことを言われたことがある。「日本人は何かを始めるとき「どのようにしたらうまくいくか」という議論から始まる。アメリカ人は「お金がいくらかかるか」というところから議論が始まる。一方、ヨーロッパ人は「そのプロジェクトをやる意味は?」と問うところから始めるんだ。P87

○突発的な事件や事故などで命を落とした人はなかんか自分が死んだことを受け入れることができない。そのため、死んだという自覚が持てるようになるまで、死者の魂は往生できず、何ヶ月も、ときには何百年も命を落とした場所に留まり続け、その場にかかわる人に悪さをすると考えられている。これがいわゆる「地縛霊」。こうした怨霊信仰は原始仏教の中にも、また日本の伝統宗教の中にも存在していた。p109

○「日本では、自殺が文化の一部になっているように見える。直接の原因は過労や失業、倒産、いじめなどだが、自殺によって自身の名誉を守る、責任を取る、といった倫理規範として自殺がとらえれている」そう指摘したのはWHO(世界保健機関)のホセ・ペルトロテ博士だ。p167

○日本がこれほどまでギャンブル依存症大国になってしまった背景には、いくつかの要因がある。まず、経済的に豊かな人が多いため、ギャンブルに金を使える人口が多いことだ。またすべてに高い精度を求められる日本はストレスをためやすく、それも要因のひとつといわれている。日本人の遺伝子の中に依存症になりやすい資質があるという意見もある。P217

○私は、これまで海外の難民キャンプで暮らす人々や、日本社会の底辺で暮らしを見てきた。たくさんの「自死=自殺」にも出会った。でも、そて以上に心に焼き付いている光景がある。それは酒や薬に溺れ、静かに死を待っているとしか思えないおびただしい数の人々の面影だった。そこには死の香りが充満していた。そんな場所に居合わせるたびにこう思った。「彼らは、死ぬエネルギーさえないために、仕方なく生きているのだ」と。p236

「明日の記憶」(萩原浩)光文社

○懸命に蓋をして閉じこめておいた感情が胸の奥から噴き出してきた。不安。恐怖。絶望。体が砂の人形になって、足もとから崩れていく気分だった。P95

○無数の配線コードに繋がれた無数の電球だ。人間が物を考えたり、記憶するたびに、脳に配置された何十億もの電球が点滅を繰り返す。頭の中の電球がゆるんだり、コードを流れる電圧が下がるのが通常の痴呆だとしたら、アルツハイマーは、いきなりコードが断ち切られる―。P150

○忘れるはずがない人間なのに。たとえ私の寿命がまだ長く続いたとしても、一緒にいられる時間がたくさん残されているわけじゃない。P180

○汗と一緒に悪しきものが溶け出して流れていくようだった。嫉妬妄想も、怒り衝動も、生き続けることへの恐怖も、私の頬を伝い、顎から垂れて、土と混ざりあった。P319

「癌細胞はこう語った―私伝・吉田富三」吉田直哉(文藝春秋)

○個人の人生とは、しょせん、回想の積み重ねであります。人生の終わる日の自己の回想を、快く豊かなものにする為に、その日その日を善く生きるのだという説が正しいならば、あの三年の間の自由を与えられたことは、今からどんなに感謝しても足りないのです。p29

○人は人が造るべきものではありません。自らが造るべきものだと思います。人が自ら造るによき条件と環境とを造ってやるという政策ならば、これは歓迎されます。p35

○「癌も身の内」という言葉をよく口にした。個体のなかで、いままで正常に機能していた、つまり全体との協調を保っていた一つの「部分」が、ある日突然、まったく別の「自分で決めた規律」あるかのような方式で増殖、独自の生存をはじめる。その増殖はやがて全体の衰弱を招き、死に至らしめ、結局は自分たちも死ぬのだから、こんな理不尽「反社会的集団」はないが、いきものとしてみた場合、「反社会的」とはなにか。これも身の内ではないかといのだ。p44

○従って終戦の日から「国は死に、社会だけはアメリカに移植された日本」のイメージを、富三は抱いていたのである。その日から半世紀を迎えようとするいま、子は父のイメージの正しかったことを確認している。もはや「崇高なるもの」、精神的なるもの」は一顧(いっこ)だにされなくなり、数字に還元できるもの、とりわけ経済だけが偏重される社会へと、完全に変わり果てた。p51

○人間の生活、社会の事象については、今のわれわれと同じように感じもし、考えもし、思いもしたに違いないのだが、言葉を慎む「徳」を身につけていたのではないか。そして少ない言葉で、お互いに通じ合い、理解し合うことができたのではないだろうP55

○年をとれば歯が落ちるのは自然の理で、また歯が落ちるころには、体内の内臓の方もそれだけ弱っているはずだ。(略)長年の間に歯ぐきも相当固まっているから、この歯ぐきでこなせるものだけを食べて、それで生きられるだけ生きたいと思う。それが自分の寿命で、その上に望むのは、欲というものだ。P58

○人生とは思い出の集積である。思い出を集めたものが一人の人間の人生だという、そういう哲学であります。P91

○要するに、「借りものの型」と「仮装」ぐらい馬鹿ななものはない、与えられた場所で「自分の素顔」で人間は生きて行かなきゃいけない―。P99

○当時教えられた書物の読み方、文献の読み方というのは、人の書いたものは、出来るだけ広くみて出来るだけ忘れてしまうということでした。そのうちに、何か自分にひっかかるものは忘れて宜しい。(略)かじりつくように気張るるのでじはなく、ただ眺めていて何となしに自分の心にふれるものを釣り上げる。太公望の心持で読書すればそれでよいのだ、ということであります。P118

朝日新聞(哲学者・國分功一郎)日付不明 

○理論物理学者のユクスキュルは、すべての生物は、それぞれが異なった時間と空間、「環世界」を生きていると考えた。同じ一瞬でも、カタツムリと環世界に生きているから、違った長さに感じられる。私たち人間も環世界の中に生きている。ネット時代の今は、自分の環世界を補強する、都合のいい情報ばかりを受け取りがち。こういう時代だからこそ、遠くで起きていることを身近なこととして考える想像力が必要だ。

精神科医が読み解く「名作の中の病」岩波明(新潮社)

○私たち自身も内面に、狂気を持つ主人公たちと類似した心性を持っているために、精神疾患を示すフィクションの登場人物に惹かれてしまうのではないか、私自身はそう考えています。p3

「快挙」白石一文(新潮社)

○女性は論理に従うことはあっても、論理を信ずることは決してしない。女性にとっての神はあくまでも自分自身なのだ。常に外部に神を求めざるを得ない男性よりも彼女たちがいつも強くてたくましいのはまさしくそのためだった。p113
○山本周五郎の文学碑の前に立つ。「あなた生きている目的が分かりますか」「目的ですか」「生活の目的でなくはなく、生きている目的よ」p129

「朝子」ーインド独立の志士ー笠井亮平(白水社)

○ときどき戦争が憎らしくなる。どうして戦争が起こるのか。人が人を、どうして殺すのだ。生死は神に任せて、人間同士はお互いに助け合って居きられないのか。p152(朝子の日記)

「習近平の中国」宮本雄二(新潮新書)

○確かに中国共産党の変革の力には侮りがたいものがある。だが、中国の変化に共産党の統治能力の能力の向上が追いつかなくなった時、共産党の統治は終わる。p4

○毛沢東は、中国を強くし外的を追い出す道を求め、最後は共産主義にたどりついた。共産主義は唯物論であり、排他性が強く、唯物論の儒学だけではなく全体的な伝統的価値観全体と折り合いが悪かった。p144

○そういう「立派な人物を見かけることがますます少なくなってきている。これは中国の教育が伝統的な価値観を正面から取り上げなくなっただけでなく、中国社会の現代化進んで、物質文明の大波が中国社会に押し寄せていることと関係しているからではないだろうか。p146

○共産党が分裂含みのとき、全国的な指揮系統を持つ人民解放軍がどちらに付くかは、党内の抗争に決定的な意味を持つ。p196

○拝金主義にどっぷりとつかった社会の風潮に対する反発は強まっている。仏教やキリスト教、それに道教といった宗教に対する関心も強まっている。中国社会の価値観や倫理観も、伝統的な価値観の影響を強く受けながら、これから大きく変わっていくであろう。p225

「中国の歴史認識は」ワン・ジョン・伊藤真訳(東洋経済新報社)

○日々の暮らしの中で、「過去」は必ずしも確固とした客観的な事実に基づく真実であるわけではないーp69

○清朝末期、愛国心に駆られた知識人たちは盛んに意識高揚のための運動を展開した」。覚醒を促すそうした活動では、「国恥」ー不平等条約の歴史ーをテーマとして取り上げ、(略)、そして間もなく、国民的な恥辱となった第一次中日戦争や「21か条要求」といった歴史的な出来事が、中国の覚醒とアイデンティティ構築のシンボルとなった。p112

○これに対して田中首相は「中国を侵略したことで、日本は中国に多大な迷惑をかけました」と述べた。すると毛は繰り返したー「日本が中国を侵略しなかったら、中国共産党は勝利できなかったでしょうし、さらには今日はこうしてお会いすることもあり得なかったでしょう。これが歴史の弁証法というものです」。p131

○愛国主義教育キャンペーンは歴史の変えたわけだが、もうひとつ大きな変化が起きているのが、「勝者」から、「被害者」へという転換だ。p152
○中国の一部であるという台湾の地位を変えることは絶対に許すことができない。国家の主権を守り、領土を保全する中国共産党の立場は決して揺らぐことはない。ー江沢民の2001年の演説。p191

○一方でこんな指摘をする学者たちもいるー中国のリーダーたちが全般的に暴力よりも和解を望むという点に、今日でも儒教や道教の哲学の非暴力的な教えが表れている、と。どれにしても文化は永遠不変のものではない。儒教ですらダイナミックに発展する思想である。あるいは文化は単なる慣習の集まりだと見るのも誤りである。p267

○しかしもし望むなら、歴史は古くからの傷を癒すツールとしても使える。敵意を煽るツールとしてではなく、和解のツールとして歴史を使ってみたらどうなるのか?中国と日本のーー特に支配層のーーの人々に、過去の呪縛から解放されるための意識と意欲はあるのか?過去の影を乗り越えるためにどのような戦略や方法があるか?p301

○ある国が過去の「選び取られたトラウマ」から解放されるための最も望ましい戦略は、現在の憎しみと闘争の言説に替えて、新たな「平和の言説」を導入することだろうーー寛容、許し、そして和解の対話を進めるのである。p307

「捏造の科学者ーSTAP細胞事件」須田桃子(文藝春秋)

○「一流雑誌への投稿に慣れ、幹細胞での信用もある笠井氏や丹羽氏が著者に入ったことで、STAP論文は初めて科学論文としての体を成し、編集者も賢明な判断ができなくなったのではないか。くさった丸太を皆で渡って、たまたま折れずに渡り切れてしまったということでしょう」。p323

「報われない人間は永遠に報われない」李龍徳(イ・ヨンドク)河出書房新社

○「喫煙は緩慢な自殺なんですってよ」p82

○僕もまた、こまめにメールをしたためたものだった。なぜといって、こうして格好の話し相手見つける以前の僕たちというのは、益体もない言葉の泡に埋もれていた。暇な人間はそうである。人生の埒外に置かれた人間とはそうだ。自分自身に対話者がいないから言葉の泡が身辺に吹き溜まりーp22

「柄谷行人文学論集」柄谷行人(岩波書店)

○このような外国語の極端な学習は、むしろ仏教の修行と同じです。外国語は母国語と異なる、記号(シニフィアン)の関係体系です。先ず、その中に入らなければならない。自分の思想、意味、あるいは欲望を捨てなければならない。その意味では、仏教の修行と同じです。違いは外国語の場合、完成がない。つまり、母国語のようになることはけっしてない。p329

○「人間の発見」は、彼にとって、言語と切り離せません。むしろ、むしろ、それは「言語の発見」です。安伍はは学習することを通して、病気から治ったと書いています。私も昔そういう経験がありましたが、頭がおかしくなったときは外国語をやればよい。第一に、日々確実に進歩するので、精神衛生的にいい。第二に、外国語をやるとバカになる。何も考えられないからです。考えるということは、母国語によるのですから。母国語では、意味あるいは思考が先にある。p333(坂口安伍その可能性の中心)

「妻との修復」嵐山光三郎(講談社現代新書)
○どれほどかわらしい娘でも、結婚して七年たつとおばさんになる。十四年たつと妖怪になり、二十一年たつと鬼婆になり、二十八年で超獣となって、それ以上たつと手のつけられない神様となり、これを俗にカミさんという。p208

「考える人」坪内祐三(新潮社)

○然し家庭から学校まではこばれる学童たちは、途中の楽しみというものを喪ってしまった。近代の文明は人間から次第次第に途中を奪う方向に動いているが、途中という途中という距離を奪って得た便利というものと、途中を喪ってしまった味気なさとくらべてみれば、果たしてどちらが幸福かは疑問である。p68(唐木順三)

○体験は、その本質上、群をつくり、徒党を組む方向にむかうが、経験は、その本質上、孤独な個人をつくり出す。p119(森有正)

○空襲が続いて、ここ一週間ゆっくり日記を記す時もなかった。しかしこのような時局はさばさばしてよいところがある。明日死ぬかも知れないと思って生きるのだから、いつでも死ぬ用意がなくてはならない。p88(神谷美恵子・美智子皇后の相談相手など)

○ジャーナリストやコラムニストは、その現役の時に出会えなければ、過去の人として復活されにくい。つまり、言説が、その時代の中で消費されてしまう。(略)その数は少ないものの批評的な言説を残した人もいます。深代惇郎は、数少ない一人です。p124

○書くことがなくて、動物園にも異変がなく、トイレットペーパーも出回ってきて、雪月花にも感慨がわかないときは、政治の悪口を書くといってはふがいない話だが、そういう時もある。本人は、ほかにないから書いているのであって、そう朝から晩まで悲憤こうがいしているのでもないのに、コラムだけは次第に憂国のボルテージが上がって、自分といささかちぐはぐな「書生論」になる。ジャーナルリズムには、そういう気がひけるところがある。p127(深代惇郎)

○たぶん考えながら暮らしていることが、自分をいちばん利口にしているんだと思うかもしれない。けれどもそれはずうっと昔のことだった。いまの世の中で何がいちばん楽しいかというと、考えないで暮らしていることだろう。つまり自分をバカにしてしまうことなのである。p155(植草甚一)

○やはり大事なのは、毎日を同じ調子で暮らすことですね。第一そうしなければ、刻々の変化が楽しめない。そうやって時間になじんでいく。なじむほど時間は親しいものになります。帽子屋ならここの帽子屋、仕立屋ならあの仕立屋というのと同じことです。そうなるには長年かかりますがね。p178(吉田健一)

○自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のまま生きることを欲していないし、それに堪えられもしないのである。程度の差こそあれ、だれもが、なにかの役割を演じたがっている。また演じてもいる。ただそれを意識していないだけだ。そういえば、多くのひとは反発を感じるだろう。p237(福田つね存)

「詩人 金子光晴自伝」金子光晴(平凡社)

○ー70年生きても、僕はまだ、人間がつかみきれない。人間の考え出した生活方法は、おおかた上手に一生を通りすごすための「暇つぶし法」なのだ。政争も、革命も、時には芸術もそうだ。生きると同時に、生きることに疑いをもつことは、人間に課せられた最初にして最後のながい原則だ。詩人は「常に、酔うてあれ」というが、それは刑罰の苦しさを知っている人間の言葉だ。p242

「死を悼む動物たち」バーバラ・J・キング(秋山勝訳)草思社

○ゾウはすぐれた記憶力をもつ動物で、体験した事件は鮮明に記憶にとどめている。その記憶は心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむほど生々しく焼き付いているのだろう。血縁や仲間のゾウが密漁者の手にかかる光景を目の当たりしたあとで、悪夢にうなされ、ぐっすり眠ることができない。p15

○つまりヤギの悲しみはニワトリの悲しみではない。ニワトリの悲しみは、チンパンジーの嘆きでもなければ、ゾウや人間の悲しみでもない。肝心なのはその違いなのだ。p23

○ティモシー(リクガメ)が面食らったbのは、自然界に存在するものなら、人間はなんでも数字に置き換えて分類し、厳密にラベルを貼っておかなくては気がすまないという点だ。p174

○どれほど善意にあふれていても、動物園で飼育されている限り、動物に精神的安定をもたらすことはできない。p205

○動物が地面に置かれた骨に目をこらすのは、人間が新聞の死亡記事を読むようなものではないだろう。たとえがとんでえもなさすぎて、わたしにも確信はない。ただ、そつなく書かれた死亡記事の場合、人の一生はイメージ豊かな数行の言葉に凝縮されている。動物の場合、言葉は用いないが残された骨は同じ要領で、死んだ動物の一生を物語っているのかもしれない。p231

○肉親と死別したヒヒが喪失のあまり生理的な反応を示していたこと、失った妹の姿を探して鳴き続ける猫の姿から知った。あるいは、仲間を埋葬した塚を囲む群の馬たち、仲間の遺骨のもとを訪れるためにわざわざバイソンの群れ、鼻を使ってなんども肉親の骨に触れつづけていたゾウの姿から知った。デズモンドが「人間の訃報がそうであるように、ペットの死亡記事もまた、その生涯の意味を見出し、生の絶頂を見定め、社会的にすぐれた功績をほめたたえつつ、ある生き方の見本を示している」と書くとき、やはりその言葉はまちがっていない。p239

○生物学者のタイラー・ボルクは「死とはなにか」の中で「死者を嘆き悲しむ者夷の姿を見て、人は未来に訪れる自分自身の死に対する慰めを感じている」とも書いている。p253

○聖なる死後の世界と生まれ変わり信じる者には、死はむしろ心が満ちた存在にいたる経路のように思えるのかもしれない。死が意義ある存在の消滅ではないと見なされた場合、死を悼むことはある種の祝福というニュアンスさえ帯びてくるだろう。p266

「中国ニセモノ社会事情」田中淳(講談社新書)

○市場経済導入とともに到来したニセモノ時代は、我先に幸福を希求する人民の欲望と彼らの抱える先行き不安が同時に大爆発した結果であり、「とにかく今、稼がなければ明日への保証が無い!」という焦りも、ニセモノを生む大きな原動力なのだ。p10

○結局、ニセモノは淘汰されるのかーまず、無理だろう。人権問題と異なり「外圧」に揺れる可能性は低い。すでに人民は、「知的財産保護」という名目の莫大な著作権が、一部アーティストやキャラクターの権利を守り、潤すだけに気付いてしまっているからだ。しかも、カネ儲けに手段を選ばない人民には、日本的な「恥」の文化も、信仰に基づいた自制心も無きに等しいから、ニセモノが「みっともないこと」だと自覚し、改めようという思いすr浮かぶことはないだろう。p11

「日本語の科学が世界を変える」松尾義之(筑摩書房)

○欧米の科学者の解説記事を長年見てきた経験からすると、彼らの中には、右か左か、上か下か、動物か植物か、生命か非生命か、人間か人間以外か、ーーといった二分法が潜在的にある、と何度も何度も感じた。
ところが日本の文化は、いつも、その中間に真理がある、本質があるという前提でものごとを考える傾向がある。それゆえに、あいまいというか、中途半端な態度になってしまう面も多い。だいたい、良いか悪いか、簡単に割り切れることは少ない。良い点も悪い点もあるのが常なのではないか。そう考えるのが日本人なのだ。p118

「墓地裏」倉野憲比古(文藝春秋)

○墓地のある種無機質で清浄な空気が、夷戸は好きだった。明治神宮などの広大な神社仏閣に足を踏み入れた時と、同じものを感じる。一切の邪気がない、清められたものを感ずるのだ。魔術的な「結界」などと関係があるのだろうか、と彼はいつも思う。p009

○「この夏に起こったことの、すべての真実は黄昏と暁の間にーp149

「文明探偵の森」神里達博(講談社現代新書)

○科学技術の発展と諸制度の高度化は、世界を便利で快適にするとともに、それまで考えられなかったような新たなリスクをもたらしている。たとえば、グローバル化によって世界が、知的・人的・情報的なつながりを強めれば、遠隔地の新型ウィルスや経済波錠、あるいは国際的テロリズムが、瞬く間に、ローカルな日常を生きる人々の生活を脅かしてしまう。そんなことは、つい最近まで起こり得なかったことだ。p40

○少なくとも、自由がありさえすれば問題の多くが解決すると信じられていた、かつての近代の理想が輝いていた時代とは、すっかりかけ離れた時を我々が生きていることだけは、間違いなさそうだ。p47

○社会問題の原因を若者に帰責しがちなのは、今も昔も変わらない。若者は注目されやすく、期待されやすく、だからこそ落胆の対象になりやすいのだ。p54

○「過去は単なる記憶に過ぎず、未来は存在していないのだから虚構であって、実在するのは現在だけだ」、という考えかたもありえる。p70

○科学技術の恩恵が隅々まで行き渡ったこの時代においては、非常に重要な課題になりつつあるのだ。しかも、そのマネジメントの具体的なやり方については、実は世界中がまだ、手探りを続けているのが実態なのである。p119

○専門家ですら隣の専門家の言葉が分からないという「ジャーゴンの王国」が、いつの間にか広がってしまった。とうとう、科学の世界で本当のところ何が起こっているのか、全貌を正確に理解できている者は、誰もいなくなっていたのである。p146

○これだけデータが環境化してしまっている中で、それを売って料金を取ろうというのはどだい無理な話だと思う。経済は希少なものに価値を許す。「今、何に注目すべきか」という情報にこそ意味があるのであって、生のデータ自体は、どうしても価値を下げていく運命にあるのではないか。その流れに対して、たとえば現行の著作権制度で抗おうとしても、長期的には徒労になるのではないか、というのが文明探偵の見立てである。p159

○大人になると忘れてしまいがちだが、とにかく小学生という身分は、退屈である。さまざまな「人としての権利」が制限されているから、できることは非常に限られている。生活圏は極めて狭く、また強制される日課も実に単調だ。あのような苦行に耐えられるのは、真の自由を味わったことのない気の毒だからではないかと、文明探偵は思う。p169

○より基底的な問題は、自らが情緒的・感傷的なもの「ばかり」に突き動かされていることに、あまり無自覚な人が多すぎること、ではないだろうか。いずれそれは致命的に効いてくるのではないか、と不安になる。p185

○次はどんな時代がやってくるのだろうか。朧気ながら見えてくるのは、「中世のようで中世でない時代」かも知れない。(略)主観が尊ばれ、客観性が重視されず、科学の限界性が強く意識され、自由と責任とリスクから逃避しようとする人々が増えていく。物質主義を否定し、情報や精神的な価値を重視する傾向、エコロジー思想の台頭なども、むしろ中性に近い。

■「西洋と異なる思想 今こそ」佐伯啓思(朝日新聞6・3)

○美しい花を見た刹那、われわれは、我を忘れている。言葉にならない。美しいという感動だけにとらわれている。その一瞬の感動こそが本当のものだ、というような考え方は、確かにわれわれはになじみ深いものであろう。

○今日、西洋の思想や科学が作り出したこのグローバルな世界は、ほとんど絶望的なまでに限界へ向けて突き進んでいる。新たな技術を次々と開発し、経済成長に結び付けることで人間の幸福を増大できる、という西洋発の近代主義は極限まできている。

「連写」今野敏(朝日新聞出版)

○どうやら、木島のような若い世代は、信頼性などどうでもいいようだ。情報も娯楽と同じで消費するためにあると考えているようだ。p249

「脳内汚染からの脱出」岡田尊司(たかし)文春新書

○覚醒剤(アンフェタミン)(0.2mg/kg)を静脈に注射した場合のドーバミン放出の増加は、約2・3倍と算出される。ゲームを50分間プレイすることによって生じたドーバミンの放出の増加が、約2・0倍だということは、ゲームをプレイすることによって、覚醒剤を静脈注射をしたのにほぼ匹敵する状態が、脳の中で起きたいたということである。p49

○ところが、発達途上の子どもでは、まるで違うことが起こる。出会った環境が優先され、それがそのまま自分自身の中に取り込まれ、出会った環境に合わせて、自分自身が作られていくのである。つまり、環境が、自分自身の本質的な土台に組み込まれるのである。子どもはこうした高い吸収力と可塑性ゆえに、環境に染まりやすいのである。環境が、その人そのものになるのである。p84

○「大学で経済学を教えています。十年位前から、さらにここ数年、学生と接していて、彼らの「脳が動いていない」という思いにかられています。昔の(?)学生は、論理的な展開のおもしろさを楽しむことができたのですが、今の学生は、ひたすら与えられることを待ち、脳が冷たいままで、教室の熱気が上がりません。ゲームの害を話したら、皆つらそうな顔をしました。著者の危機感に同感します」p162

○そもそも我々の祖先は、何のために「心の痛み」を感じるシステムを進化させたのだろう。体の痛みだけでも十分なのに、人はなぜ、心の痛みまで背負わなければならないのだろう。だが、少し考えただけで、心の痛みは、人が
生き延びるのに必要なシステム
だということがわかる。(略)社会的痛みが存在しなければ、すべての社会生活や家庭生活、子育てさえ成り立たなくなり、重大な生存の
危機を招く。そして、前部帯状回は、その命綱とも言うべき社会的痛みの中枢なのである。p185

○喫煙が肺ガンの発症に関与しているのではないかとの、最初の疑いがもたれたのは「1920年代においてである。(略)64年にはアメリカの公衆衛生局が、喫煙と肺ガンに因果関係を認めるとの報告書を出したが、タバコメーカー側は猛反発し、「科学的根拠が十分ではない」と受け入れを拒んだのである。(略)喫煙の有害性が一般に認識されるのはらに四半世紀を要し、我が国では、つい最近のことである。70年以上の歳月が費やされたことになる。p325

○幼児は目にした行動を真似るという本能的欲求を備えているが、その行動が模倣すべきものかどうかを見極める、先天的な本能を備えているわけだはない。幼児は、何でも真似てしまうのである。その中には、ほとんどの大人が破壊的で反社会的だとみなす行動も含まれる。p85

「銀狼王」熊谷達也(集英社)

○消えかけている命に必死にすがりつこうとしている犬を、容赦ない苦痛が弄んでいた。折っていた膝を伸ばした二瓶は、手にしていた銃の筒先を、疾風の頭にあてがった。「勘弁してくれ、このほうがお前も楽だべ…」p124

■「孤独について」中島義道(文春新書)
○孤独というのは自分に課せられたものではなく、自分があらためて選びとったものだという「価値の転換」に成功すると、そこにたいそう自由で居心地のよい世界が広がっていることに気づく。孤独とはもともと自分が望んだものだということをー。p123

○幸福に関する貧乏性なのである。そして、よくよく考えた末に人生を(半分)降りようと思った。
自分のこれまでの苦しく辛かった人生を徹底的に吟味しよう、自分の五十年間の過去を骨までしゃぶるように思いだそう。そのために生きようと考えた。もう、普通の意味で積極的に「生きる」のはやめよう。「いち抜けた」と叫んで外側から人生レースを眺めてみることにしよう。p155(1946年生まれ)

○とにかく私は苦労して来た。 苦労して来たことであった!(「わが半生」)中原中也の詠嘆に自分の詠嘆を重ね合わせる。そして、自分の過去を思い起こし、しばしば気がおかしそうになる。だが、フッと正気に戻る。誰も悪くない。これが自分に与えられた人生なのだ。これが「私」なのであり、これが私なのだから大切にしなければならないと思った。…私の人生をさまざま彩る宝石の輝きである。p157

「家族のゆくえ」追加

○老齢になると、衰える部分と拡張される部分がある。身体の運動性は衰える。しかし長い年月生きてきて、それを使うことに慣れている想像力と空想力、あるいは思いこみ、妄想といった機能は拡張されるようにおもえる。自分に慣れている能力は衰えない。長いあいだそれについて考えてきたこと、長いあいだ体験してきたことは衰えない。それはむしろ発達する。
老齢者がもし成長期の若い人について「幼稚だな」と感じることがあるとすれば、それは発達している部分でそう感じるからだろうとおもう。p161

○老齢者というのは、どこかに「通路」がなければ生きている甲斐がない。もちろん、死ぬのが怖いとか、死に直面するのは不安だという気持もふくまれている。どうすれば生きているいる甲斐があるのか、自分なりに納得できる通路を考えるよりほかない。それは生きているよりずっと面倒なことだ。介護士でも、その面倒さをわかるのはむずかしいのではないか。これが老齢者の言い分だとおもえる。p177

「老人の極意」村松友美(河出書房新社)

○人間というものは、極端な衝撃、恐怖、悲しみ、痛みをともなう体験の記憶を忘却し封印しようという本能を内包している。p86

○けっきょく、力感も脱力も早さも遅さも省エネも、そしてしつこさも厳密さも言い訳癖や説明癖も得体の知れぬスピード感も、赤瀬川原平の「老人力」にはすべてつまっている。p138

○「リンゴの栄養は、皮と身のあいだにあるんだから、丸ごとかじるんだよ。丸ごと」(略)そして、物書きを業とする身になった今、私が祖母と同じようにリンゴを宙にかざすようにして矯(た)めつ眇(すが)めつ打ちながめれば”皮と身のあいだに”は、”虚実の間(あわい)”と重なってくるのであり、私なりの物事万事を租借するさいの流儀に大いに馴染むキーワードなのだ。p190

○きんさんぎんさんが本を出しベストセラーになって得た印税や、テレビ出演でもらった謝礼金などについて、「そんなにたくさんのお金を何につかいますか」という質問に「老後のために取っておく」と言った件…すべてが軽い笑い話として残されるのみだが、そこに長寿を生き人々に見守られて生きることへの感謝から発する、サービス精神にみちた”特権的ユーモア”が、微妙に混合されていることは、十分にあり得ることだ。p195

「医師の一分」里見清一(新潮社)

○どのみち、あなたがどうこうできる範囲はそんなに大きくないのである。そのごく狭い範囲内の「決定」を自分でするために、家族の本音を含めすべての「闇」知りたいという患者がどれほどいるのだろうか。ファージーな部分を残しておいた方が「幸せ」ではないか。(医療費と生存の可能性に対しての自己決定について)p50

○90歳の身寄りのない女性。「私もこの年だから、もういいんじゃないか。あの大震災で、若い人がいっぱい亡くなったというのに、私みたいな役に立たない年よりが永らえていること自体が申し訳ない。あの時、私が死ねばよかったんだ」。これを聞きつけた若い担当医はこう判断した。本人は死にたいというようなことを言っている。これは精神医学用語のいうところの「希死念慮」に該当し、鬱病の症状である。よって、精神科に診てもらわなければならない。p67

「人生なんてくそくらえだ」丸山健二(朝日出版社)

○なにしろ自殺ほど正面切って本能に逆らう行為はないのだ。とはいえ、そこで問題になるのは、自殺者の大半が大前提としている、そこへ行きさえすればありとあらゆる負担やストレスから時き放たれるという、心身共にくたびれ果てた者が講じた方便として理想郷のあの世とやらが実在するかどうかだ。p199

○六十数年間この世に生きみて感じることは、絶体絶命、孤立無援、四面楚歌、万事休すといった窮地のなかにこそ、正真正銘の生の核心が秘められていて、その中で必死にあがく過程のなかにこそ正真正銘の感動が隠されているという確かな手応えだ。p200


「宮沢賢治」井上ひさし(太陽)

○科学も宗教も労働も芸能もみんな大切なもの。けれどもそれらを、それぞれが手分けして受け持つのではなんにもならない。一人がこの四者を、自分という小宇宙のなかで競い合わせることが重要だ(略)できるだけ自給自足せよ。それが成ってはじめて、他と共生できるのだよ。そうしないと、科学が宗教が、労働が、芸能が独走して、ひどいことになってしまうよ。賢治がそう云っているような気がしてなりません。p151

○あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたしから見えるのは
やっぱりきれいな青空と
すきとおった風ばかりです。
「眼にて云ふ」賢治。


「小説だったら、たぶんこうはならない。物語の筋が小説のテーマと響きあい、推進力にもなる。だが、詩はそのような働きをしてくれない。筋には徹底して無関心だ。それは多様なイメージが乱反射して想像力を刺激するように書かれる詩の言葉と、意味を伝えることに重きをおく小説の言葉とでは役回りが違うからだろう」大竹照子(作家)○「その姿の消し方」(堀江敏幸)書評から。4/17朝日新聞

「メメント・モリ」原田宗典(新潮社)

○「つまりだな、例えば五歳の子供は、一年という時間を自分の人生の五分の一の長さとして捉えているけど、四十歳の奴は、一年という時間を自分の人生の四十分の一として捉えているわけだ。だから年を取れば取るほど、一年は短く感じられるようになっていくー時間が早く経つように感じられるんだろう。どうしようもないよ」p26

○自殺志願者はたいてい考える時間だけはたっぷり持っているので、ありとあらゆる自殺方法をシミュレーションする。しかし、だるくて動けないから、実行に移さない。死ぬのも面倒くさいのである。p116

○「どうして凧を揚げているんだい」
 青年は凧紐の先を石に結びつけ、寝転がって凧を眺めていたのだが、私の問いかけに不思議そうな顔で、こう答えた。「だって……きれいだから」私は馬鹿げた質問をしてしまったのだろう、と自分が恥ずかしくなった。年を取るにつれて人は理屈を好むようになり、理由の必要がないものにまで理由をこしらえようとするーこういう頭でっかちになってしまった大人たちに、自らの不純さを気づかせてくれるのは、いつも青年である。p155 

「家族のゆくえ」吉本隆明(光文社)

○わたしは、子育ての勘どころは二か所しかないと思っている。そのうちの一ヶ所が胎内七~八か月あたりから満一歳半ぐらいまでの「乳児期」、もう一ヶ所は「少年少女期」から「前思春期」にかけての時期だ。(子供の性格形成、こころの生育にかかわる重要な時期について)p28

○普通、「やる」ことは「考える」ことより大切だと思われがちだが、わたしはそんなことは信じない。(略)埴谷雄高さんに感心する点はそこにあった。クモの巣にかかったような部屋に引きこもっていたって革命家は革命家なんだ、と名言した。そこまで言い切った人はいない。世界中にひとりもいないといってよかった。p50

○老齢は社会通念とも倫理的な善悪感ともかかわらない。だからもちろん生存は屈辱でも誇りでもないし、敬いでもないでも侮辱でもない。(略)老年期は乳児期、幼少年少女期(学童期)、前思春期、成人期とまったく同じように、充分に学問的に、また文学・芸術的に探求するに耐ええる内容をもっているのではないだろうか。p160

「テロリストの息子」ザック・ヘブラヒム(佐久間裕美子訳)TEDブックス

○争いを解決するために非暴力を示すことは、受動的であることを意味しない。被害者意識に甘んじたり、侵略者の猛威を受け入れたりすることを意味しない。必ずしも戦いを諦めるわけではない。その代わり、敵対者をちゃんと人間と見なし、彼らのニーズや恐怖を認識して共有し、報復ではなく、和解に向けて働きかけること。ガンディーの「命を捧げてもいいという大儀はたくさんある。しかし人の命を奪うための大儀はひとつもない」という名言を…p168

「嵐」ル・クレジオ中地義和訳(作品社)

○風が海女たちの歳月を運び去った。空は灰色、悔恨の色だ。p8

○海中には、地上で見るのとは違う世界があると思う。皮膚を剥ぎとり、見る目をひりつかせる硬く乾いた世界とは別の、すべてがゆっくりと優しく滑るように移動する世界だ。p30

○しかし海はまた、そこですべてが消滅し、忘れ去られる渦巻く深淵だ。だから私は毎日海辺海へ来て海を眺める、忘れないため、私も死んで消え消えさらなけれならないことを弁えるためだ。p84

○人はときどき、死こそは生きることのできない唯一の瞬間だという。p143

○沈黙とは闇であり空虚だ。沈黙とは世界の終わりだ。p146

○歌詞をはっきりと区切って歌うフェラの「ぼくはジェントルマンじゃない」がき聞こえる。何かを意味するのはこうした言葉だけだ。他の言葉は死んでいる。言葉は死んだらどうなるのか。空の雲の中で生きるのか。もしかしたら、遠い星雲、アンドロメダ銀河あたりの、人の目にはけっして見えない無名の星で生きるのか。亡霊になるとは、視力を失うことではない。p180

「流される」小林信彦(文藝春秋)

○満州事変(1931年)に生まれた私は、生まれると同時に戦争の中にいた。以後、シナ事変(日中戦争)の中で育ち、つねに戦争の中にいることを不思議とは思わなかった。違和感もなく、人間の生活とはこういうものだと思っていた。p46

○(昭和26年)1月13日の新聞の夕刊に、近ごろ高校一年ぐらいの子が、「人間失格」「斜陽」「仮面の告白」に読みふけり、志賀直哉、夏目漱石、島崎藤村を読まぬのはなげかわしいといった記事が出ていたからである。

○祖父の目には、いったい、なにが映っていたのだろう。すべてを見抜いていて、世人とは合わなかった人。仕事だけを考えていた人。人間ぎらい。無類の記録癖。晩年には、ほんの少し金の使い方を知った人。そして、誰にも理解されずに死んでいった人。ーしかし、人間は皆そうやって死んでいくのではないか。葬式など、なんの意味もな。p250

「シリア戦場からの声ー内戦2012ー2015」桜木武史(アルファベータブックス

○…しかし、それだけが私をシリアに駆り立てているのではない。現地で私の瞳に映るものは、生きた証を残そうと必死でもがいている人々だった。彼ら幾人かは誰にも知られることなく内戦の中で生涯を終える。私はそんな彼らの生きた証を目に焼き付けたかった。それは、シリアに限らず、これまで訪れたどの国にも当てはまる。p151

○…過去を振り返ると、間一髪で死を逃れた場面がいくつも頭に浮かんだ。イスラム教徒で彼らに言わせれば、「神が守ってくださった」と祈りを捧げるところだが、私は単に運が良かっただけだと片付けた。
 シリアでは何十万という人々が殺害されている。老人も子供も女性も分け隔てなく命を奪われている。神が守ってくださるのであれば、なぜそういった無この民が殺されなければいけないのであろうか。私は口に決して出さないが、神の存在には懐疑的だった。p191

○被弾後、取材に向かう際は必ず遺書を書いた。帰国してアパートに戻れば、机の上には遺書が埃をかぶっている。○危険地帯に足を運んでいても、死ぬのは恐い。それが私の本音である。戦闘員だって同じである。p196

「この世で一番の贈り物」ネグ・マンデイーノ 菅靖彦訳(PHP)

○どう説明していいかわからないけど…畏怖の感覚…驚異…なんなら、ある種の波動と言ってもいいかもしれない。意味のある過去に近づいたときにいつも襲われるような気がするんだ。p27

○すべての神のラクビッカー…つまりですな、幸運に恵まれない人に進んで援助や思いやり手を差しのべるほぼすべての人間にあたえられる、ある種の不思議なボーナスのような気がするんです。p64

○利他主義とは、見返りを期待せずに他者の幸福を尊重すること、あるいは、他者の幸福のために献身することです。p68

○都市の住民のなかには、朝について知っている者はほとんどいない。(略)彼らにとって、朝は新たな光の流出でも、新しい太陽の出現でも、命あるすべてのものの新たな目覚めでも、神による天と地の創造の再現でもない。p104

○わしは、本当の意味でのアメリカン・ドリームを生き、楽しんでいる人たちが、絶滅寸前の種族になりつつあるのではないかと気がかりなのですよ。p120

○歴史上のもっとも強力なメッセージは、つねに短く簡潔なものでした。…十戒、リンカーンのゲティスバークの演説…ロングフェローの人生賛歌。p190

「硝子の葦」桜木柴乃(新潮社)

○呼吸する骸より、動けなくても意思の持った肉体の方が看護のしがいがある場合と、逆に意思さえなければとも思う場合もある。負担は意識のある者の心をいろいろなかたちに変える。p119

○褒めて欲しい、欲しくないの問題ではなかったつもりだが、活字にして幾人かではあっても他人の手元に届けるという行為の片隅に自意識がんかったかと問われたら言葉に詰まる。p168

○身軽って怖いんですよ。縛りのない生活の怖さ、分かりますか。拠り所も束縛もなくなった人間て、明日も要らなくなっちゃうんだ。p203

○生きているか死んでいるか分からない状態が続くより、一度お墓に入れてあげた方がお互いのためでしょう。p208

○「30過ぎたって40過ぎたって、バランスの悪いやつは悪いままだよ」p217

「1★9★3★7」辺見庸(金曜日)

○「個としてみなおすとは、わたし個人にまつわる記憶を南京大虐殺がかかわる記録や作品をかさね、すりあわせてみることである。くりかえすが、南京における殺・掠奪・姦は、わたしが犯したことではない。だが、だからといって、それらにわたしはいかなるかかわりもないことということができるだろうか。わたしは他者の記憶にいっさいかかわりがないと断言できるだろうか。
わからない。P87

○訊きなおす。戦後も楽しくなかった?ミイラのようにやせたかれは小さくうなずいた。やっぱりそうか…。敗戦後すでに半世紀以上たっていたので、わたしはやや意外におもい、どうじに、ばくぜんと納得もした。クニに戦後はあっても、かれのからだと記憶にはかんぜんな戦後などなかったのだ。「スネデ、スネデ…」父はかすれ声でうわごとを言った。P153

○「すべての敵が悪、戦争の悪のせいだと言い切れるのだったら、どんなにいいことだろう」。そのとおりなのだ。それでは、敵の悪、戦争の悪以外に、どんな悪の深淵があるのだろう。「汝の母を!」はそれをかんがえるように、読者というより泰淳じしんにせまる。「ツオ・リ・マア」という最低の罵詈は、母子相姦を強制された二人ではなく、「大元帥陛下」以下のニッポン将兵と「銃後」のニッポンジンたちこそが浴びせられなくてはならなかった―p158

○転向者・林房雄はかつてドキリとすることを言った。「明治維新から昭和敗戦に至る三代の天皇は明らかに武装していた」「天皇制がもし解消され消滅する時があるとすれば、それは日本国民が天皇とともに地球国家の中に完全に消滅するであろう。/その時期がいつであるか、どれほど長い、また短い時間の
後であるかは、神のみぞ知る。そこに至る前に日本国民が再び天皇制を武装しなければならなぬ不幸な事態がおこらないことを私は心から望んでいる」(1964年「大東亜戦争肯定論」)p273

○茨木のり子の詩「四海波静」戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねますp306

○ワケはしたたかで尽きはてるということがない。きょうび、ひとびとはたいてい、おろおろとよるべもなく、じっさいにはみとおしと呼べるほどたいしたみとおしもなく、まわりをキョロキョロみまわしたり、うつむいたり、他人の目の色をうかがったり、吐息をもらしたりして日々をくらしている。ゆったりとしているようんなに言いにくいワケがある。p146

「水曜の朝、午前三時」(蓮実恵一)新潮社

○「十年たって変わらないものは何にもない。二十年たてば、周りの景色さえも変わってしまう。誰もが年をとり、やがて新しい世代が部屋に飛び込んでくる。時代は否応なく進み、世の中はそのようにして続いていく」食事が済むと、葉子はそんな意味のことを言った。p10

○融通の利かない人だという評判さえ耳にしました。それは、あながち不当な評価とばかりは言えない部分もありました。理想を持つことは大切だけれど、実際には理想主義者の隣人ほどはた迷惑なものはないのです。p39

○人生は宝探しに似ている、とある人が書いている。掘り下げていくほどに様々なものが見つかるのだ、と。あなたもこの言葉を噛みしめてほしい。宝物である以上、そう簡単に見つけられるものではないかもしれない。でも、金塊はすぐそこに眠っているかもしれないのです。そうと知りながら、どうして掘り起こさずにいられるのだろう?黙って彼の前を通り過ぎるなんて、私にはできない相談相だった。p55

「見えない橋」吉村昭(文藝春秋)

○菊島は、終戦直後に眼にした餓死者と同じ類の顔をそこに見た。顔全体が薄く白い被膜におおわれているように、表情が死んでいる。それは治療の末に病死した者とは異なった、固形物に似た顔だった。「死んでいる」菊島は、つぶやいた。「まさか」彼女が眼を大きく開き、かれの顔を見つめる。p72

○村に死人が出ると、火葬して骨壺をそれぞれの墓所に埋め、それによって霊が土に還り安息を得ると言われている。身許のわからぬ霊は空間をさ迷い、土中にあっても背伸びをして肉親の現れるのを待っている。そうした死霊の願望を叶えてやるには、肉親を探し求めるのに好都合のように、頭のあるある頭部を上にして埋葬してやるのが好ましいという。p110

天声人語(2016・2・23)

○勤勉なアリだけの集団と怠け者の交じった集団をコンピューターを使った実験で比べると、後者の方が長く生き延びたという内容だ。(略)一方、ふだんサボっているアリは、仲間が疲れて休むと代わりに働く。卵の世話をする。短期的には無用と見える個体が、長期的には有用なのだ。実際のアリ集団でも、怠け者のアリが同輩の仕事をカバーする様子が確認されたという。(略)「昆虫に限らず、人間の組織を含め、短期的効率を求めすぎると大きなダメージを受けることがる」

「日本と中国」ー相互誤解の構造ー王敏(中公新書)

○さらにいえば、倫理観や歴史観、思想、哲学が感じられるほど中国人にとっては自然観は充実することになる。毛沢東の詩は、「人定勝天」(人間は必ず天に勝つ)という言葉に象徴されるように天人(人間と自然の関係)を多く表現している。p142

○「愚公山を移す」邪魔な山を何代もかけて移すという寓話。(略)2008年5月に発生した四川大地震に対しても、人間の精神力を発揮して復興に向け立ち上がろうという呼びかけが官民問わず顕著である。p145

○日本人は、一木一草にも生命があることを見逃さない。可憐な山野草にも生命が宿っていると見る考えを小さいころから教えられている。(略)仏教の説く「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしつかいじょうぶつ)の教えによく表れている。日本人に古来、深く浸透してきた教えである。p157

○「不立文字」が日本文化の本質を象徴している。日本人の間では「不立文字」の精神で通じるので、問題はない。「自由・平等・博愛」や「民主主義」は西洋人の賢人が多くの著作を残してくれたおかげで、言葉による理解が進んでいる。現在は国際化の時代である。日本人も世界に進出しているグローバル化の今、自分たちの文化や思想の普及を目指さなければならない。p165

○昔からいわれてきた「同文同種」によって日中の文化は似たもの同士と思い込んでいる人々が多い。同じような文化、民族なら、日中の間にトラブルは起こるはずがない。日中のトラブルやしこりは文化の違いを無視してきたところに起因するように思えてならない。共通項ばかり見る視点は問題解決の方法を生まない。無視してもよくない。偏重してもよくない。p169

○とくに日本はユーラシア大陸の東端に位置した島国である。文明伝播の吹き溜まりともいわれることもある。北から南から西から、寄せ集まり交じりあうように宿命づけられたのが日本文化であったとということができる。岡倉天心はいみじくも「アジア文化の貯蔵庫」(東洋の思想)であることを見抜いた。加藤周一氏は「雑種文化」(日本のかくれた形)といい、青木保氏は「混成文化」(多文化世界)と表現している。今様に片仮名に置き換えれば、「ハイブリット文化」という言い方もできる。p185

○比較文化法を生かした点で「武士道」と「菊と刀」は通底している。日本研究の内向き脱却にはこれら二つの名著の研究法に学ぶのも有効だと思う。日本文化は、二重性の枠組みに収まるであろうか。日本人のアイデンティティは二重性というより、多面的というのが本当であろう。したがって日本文化が多様性の文化であり、明治以前までは中国文化に学び、明治以降は西洋文明を採りいれ、異文化が混在して融和する「混成文化」という認識をもつことが基本にならなければならない。p196

「愚か者死すべし」原尞(早川書房)

○依頼人もいないのに、自分の体力や思考力の限界まで行動するのは、愚か者の所為である。私は自分の体力と思考力の限界がすぐそこまで近づいているのを感じた。p36

○楽しい時間は長くつづかないということを知るのが人生の第一歩だが、苦しい時間も同じだということは人生の終わりが近づいても知るのがむずかしかった。p165

○「~われわれ弁護士はもっぱら興奮した状態にある人間を相手にしている。外見のことではなく、外から見えない精神状態をふくめてのことだよ。われわれはそういう興奮した人間の扱いには充分精通しているんだ。そして、たまにおそろしく冷静なやつが現れるが、冷静なのは言わば興奮の裏返しみたいなものでね。腕のいい弁護士なら、こいつもつつきどころさえ間違えなければ、なんとか対処できる。困るのは、平静な人間だ。きみのような。つまるところ、平静な人間というのは何を考えているのかわからない。何を考えているから、警戒せざるをえない」p167


「太陽は動かない」吉田修一(幻冬社)

○高層ビルなどどこでも似たようなものだが、中華圏には中華圏の美意識があって、どの高層ビルも上層部に華美なデザインになっており、世界各国の有名建築家たちがその奇抜さをように建てられている。奇抜なデザインのため、窓拭きも命がけだという話を鷹野は耳にしたことがあった。p64

○男なんてだらしない生き物だとAYAKOは思う。強い時でなければ、勝っていなければ、生きていけない。弱い時、そして負けている時にでも生き抜けるのは女だけだ。p316

○闇に慣れるということはないんだと広津隆はぼんやりと考えていた。泣き疲れ、長時間つけたままの目隠しは涙で下ぐっしょりと濡れている。そのせいで、広津は闇というものには乾いた闇と濡れた闇があることを知った。乾いた闇は人を突き放しながら、濡れた闇は鬱陶しくなるほど、絶望を煽る。p389

「彷徨い人」天野節子(幻冬社)

○これで夫婦としての時間が止まった。百回喧嘩しても明日へ続く夫婦。一度の喧嘩で時間の止まる夫婦。宗太と淳子は後者の夫婦だ。原因は宗太にある。妻や子の存在が厄介だ。p272


「刑務所の王」井口俊英(文藝春秋)

○「追い越し車線上の人生」の怖さが今になってじわじわと身にしみてきた。幸か不幸かこの男には常人にない度胸と神経が備わっていたため、いままでのリスクをリスクと思わずやってこられた。p103

○「女がひとたび男を愛してしまうと、その男に愛されているかぎり、女はなにがあってもその男から離れられなくなるものだと思います。愛する男のためなら、女は世界を敵に回してでも戦います。子供がいなかったからかもしれませんが、私のジョージに対する愛は、母親が息子を無条件に愛するのとよく似ています。彼が、刑務所に入ってからは、特にその傾向が強くなったと思いました。堀の中にいる彼は、私のことだけを考え、私と一緒になることだけを考え、私と一緒になることだけを考え、私と一緒になることだけを夢見ています。女として、私はそれで十分でした―」。p127


「― 野郎!そのやぶ医者を殺してやる!」悲しみと怒りで、気が狂う寸前だった。敵が人間であれ、病原菌であれ、戦わずして、殺されるというようなことは、ジョージにとり容認できないことである。いくら微かであれ、自分に対する攻撃の兆候を認めたら全力投球で敵を破壊するのがジョージの生き方であり、それは、自分の健康管理にも共通して言えた。p268

○籠に入れられた野鳥が数週間で飼い慣らされるように、人間も五年以上いると、二百メートル平方の堀の中に閉じ込められていることに息苦しさを感じなくなるものである。そして、毎日数時間簡単な仕事をするだけで、衣食住の供給から、健康管理サービス、医療設備、図書館、運動設備等の利用も全てが無料である刑務所に慣れてしまうと、特にジョージのようにな強い人間は、さして不自由を感じなくなってしまうのである。p311

○「何を血迷っているんだ。死ぬのに、誰のおかげだなつうのは無意味だ。病気で死ぬかぎり、死ぬのはたまたまある場所に居合わせたからだぜ。飛行機に乗っていて、死ぬやつもいれば、ゴルフ場で雷に打たれて死ぬやつもいる。家の中にトラックが飛び込んできて死ぬやつもいれば、ギャング同士の撃ち合いの流れ弾にあたって死ぬやつもいる。すなわち、どこにいても死ぬ運命になっているときに何をしようと死ぬということだ。因果関係をどんどん遡れば、出生につきあたるだろう。それだぜ、本当の原因は」いつものように、ジョージの言葉で心が落ち着いた。p375

○「刑務所でなら、俺はなんの問題も起こさずやっていく自信がある。なぜなら、俺を侮辱するやつは一人としていないからだ。ところが、外に出ると俺はただの老いぼれだ。若いチンピラが、平気で俺の顔に唾をかける。だが、仮釈放中は我慢すろと決めたから、何度も唇を噛んで我慢した。p377

○「人それぞれ、侮辱に耐えうる限界があると思う。もう何十年も俺は他人から罵られたことはない。ABであるという、どんな凶暴な囚人でも俺と話すときは敬意を表していた」p378

○「どこへ行っても俺の言ったことを忘れるな」「ああ、分かっている。臆病な奴ほどよく吠える。優しさは弱さの表れ。沈黙は金。だろう」p380

「死はこわくない」立花隆(文藝春秋)

○そういう意味で、私のように年を取った者の死と、若い人の死、あるいは不慮の災難、事故による死とは分けて考えるべきかもしれません。若いときは死を怖れるのは当たり前です。私自身、若い頃は、死が怖かった。高校生のときには自殺を考えるほど落ちこんだこともありましたが、死ねませんでした。文藝春秋を約三年で辞め、哲学科に入り直す前後に、私の頭をいちばん悩ませていたのも、死をめぐる哲学でした。(p11)

○「死後の世界は存在する」という見方は、日本人一般にとっては馴染みやすいところがあるかもしれません。お盆になると死者が帰ってきて、仏壇のロウソクを揺らすと教えられて育った人にとって、この世とあの世はつながっているという考えは自然に受け入れられる。日本人の心の世界は、広い意味で、死者の世界ととの交わりを含めて成立しているように思います。どの宗教的なグループに属するかによって、死生観は異なります。しかし、日本人の場合、自分がはっきりと仏教徒である、神道の子であると認識している人は少なく、ぼんやりとどこかのグループに属している状態です。その上、自分が属しているグループの教義なり世界観と、自分の信条が一致しているいる人は必ずしも多くない。(p29)

○コンポスト葬も美学的かつ法的に難点があるから、妥協点としては樹木葬(墓をつくらず遺骨を埋葬し樹木を墓標とする自然葬)あたりがいいかなと思います。p69

○岡田=麻酔科医もみな臨死体験に興味を持っていますよね。先ほど話題に出たボルジガン準教授と共同で研究していた麻酔科医のマシュール博士もその一人です。彼の話では、麻酔がなぜ効くのか、科学的には何も分かっていない。意識の有無の確認は、目に光をあてて、瞳孔が収縮するという昔ながらの方法しかなく、いまだに意識があるかゼロなのかを正確に判別する方法がないという話には驚きました。夢も麻酔も、意識と無意識の境界にあるという意味で、意識研究の最前線となっています。p162

○科学的なアプローチを極めて行った結果、宗教的な世界観に近づいたとなれば、これはもうどちらが正しいとい話ではないも

○科学がどれほど進んでも、新たに「分からない」ことが出てくる。この「分からなさ」は、自分が死を巡る哲学で悩んでいた若い頃の「分からなさ」と実は大差がないように思います。人間とは何か。生とはなにか。死とは何か。その謎を問い続けていくのが人間なのかもしれません。p180

朝日新聞(2016年1月21日)作家・辺見庸
いまの自分の暮らしが保たれることだけを願っているのか―
○辺見
「そういうことです。『怒りの芯』がない。それは言葉と芯とともにどこかに消失してしまったんでしょう。この傾向は70年代から幾何級数的に進んできたと思います。市場経済の全面的な爛熟って言うんでしょうか、それとともに言葉が収縮し、躍動しなくなったことと関係あるかもしれません」

朝日新聞(2016年1月5日)思想家・内田樹(たつる)
いま、どのような時代か―
○内田
「移行期です。地殻変動的な移行期の混乱の中にある。グローバル資本主義はもう限界に来ています。右肩上がりの成長はもう無理です。収奪すべき植民とも第三世界ももうないからです。投資すべき先がない。だから自国民を収奪の対象とするようになった。貧者から吸い上げたものを富裕層に付け替え、あたかも成長しているように見せているだけです」

「モノの道理」矢沢栄一(講談社)

諺にも「立って半畳、寝て一畳」とあります。それだけの広さがあれば十分だ。だからモノがわかっている人は、佐治(敬三)さんのように住みなすのだと思います。つまるところ、道理をわきまえ、世間に渦巻く嫉妬の原理に心を傾け、そして空気を読むーそれがモノがわかるようになる早道です。p93


人が心を持つようになって以来、人間は文化を生み文明を築いてきました。その一方、心はまた嫉妬、羨望、欲望、後悔、羞恥、喜怒哀楽ーと、百八の煩悩を沸き立たせてきました。古今東西、われわれ人間の悩みは尽きません。そこで、人の心を落ち着かせ、穏やかに鎮めることが人間にとって切実な課題とされてきたのです。言い換えれば、気が遠くなるほど前の悠久の昔から、人は自分自身をもてあまし、扱いかねてきた。それに対する応病投薬の処方が、宗教でありスポーツであり、盤上の駒であり行楽でした。あらゆる祝祭、あらゆる宗教行事、あらゆる気散じは、燃えさかる心の炎に気分転換をもたらすための段取りだったのです。座禅しかり、四国八十八ヶ所のお遍路しかり、鷹狩りしかり、相撲見物またしかり。p178


どんなエライ人でも心の奥底では、世間の人との紐帯(ちゅうたい)を強め、そうして認められたいと、褒められたいと願っているものなのです。だから、相手の心に届く鮮やかなひと言を言うことができれば、それはお世辞とは聞こえません。p181


かつて「あの戦争で、日本には侵略の意図がなかった」とか「日韓併合は韓国側にも責任がある」などという発言で何人の政治家が大臣の椅子から引きずり下ろされましたけれども、真実を口にすると世の中凍ってしまうのです。それゆえ、政治家の言葉が貧しいのは政治家の勉強不足のせいだけでなく、世間のほうも悪いのだと心得るべきではないでしょうか。p113

アサヒカメラ2015年11月号(写真「記録」森山大道)

○いうまでもないが、写真は、すべらからく現実のコピーであり、世界についてのフェイク(偽物、模造品)である。リアリズムもアクチュアリー(確率論、統計学などの数理的)なことも、全てこの内のことだ。

○モノクロームの写真について― モノクロームの世界は「夢性」を帯びているから、「象徴性と抽象性」を持っているから、などと言うのであるが、結局モノクロームの表す世界そのものが、すでに「異界」の光景「異界」の風景以外の何ものもでもないイメージとインパクトを放っているからdと思うつまり、ぼくも、そしてモノクローム写真を眺める人々も、写された事象そのものを見るだけではなく、始めから転写された「非日常」を突きつけられて、一瞬、白と黒のグラデーションに鈍化された映像への想像力が働き、異界との遭遇、もうひとつの現実を経験するのだと思う。少なくても、ぼくがモノクローム写真に惹かれる理由はこのあたりに在る。「写真はモノクロームだろうが!」とほざくのが、ぼくの捨てゼリフである。p25

○手中の、きわめてハンディなカメラに装着された、まるで猫の目ほどの透明なレンズ一個の光軸に拠って、ほんおささやかな指先のストロークに過ぎないにせよ、ぼくは世界を呼び込まれ、写すという一点で、都市と人間の迷路を回遊しつづける。そして、しばし意気ごんだり、途方に暮れたりするからだ。p33

○森山
つまらない世の中になったな、と思う。あれもこれも管理して、プライバシーとか肖像権とかいっていたらスナップなんか撮れないよね。ストリートスナップは写真のすべてのベースなのに。
○森山
今みたいにいろいろ規制されると本質的な意味での記録性がなくなってくる。写真はどんな写真だって記録に収斂されるわけで。路上や都市がいちばんおもしろいよね。アクチュアル(現実的)でさ。都市はパンドラの箱のようなものだから。


アクチュアリーとは、確率論、統計学などの数理的なことを活用し、分析をする数学のプロです。 日本基準・国際会計基準の退職金の分析や資産運用方法、年金数理人として厚生年金や、企業年金のアドバイザー的なこともします。 企業年金が複雑化する中で今後は、アクチュアリーの仕事は相当増えるといわれています。

フェイク -
偽物、模造品の意味。フェイクファー(模造毛皮)など。 バスケットボールなどの対人スポーツで、相手を惑わす動き。 ... 映画[編集]. フェイク (映画) - 1997年のアメリカ映画。 ... テレビ[編集]. フェイク 京都美術事件絵巻 - NHKが2011年に放送したテレビドラマ。

○森山大道とは(仲本剛)
「写真に限らず、生活の規範とか価値基準みたいな感覚が僕はとても希薄だから、一般的な社会の基準なんて、ホントのところ、どうでも思っているんだよ」
「写真とはそもそも現実の複写でしかない」
「本当なら、僕の写真集から?を外したいぐらい。ま、出版社的にいろいろとあるのだろうから、簡単にはできないかもしれないけれど。複写ご自由に、と本当は
言いたいよね。だって所詮、コピーなんだから。鼻の穴膨らませて、オリジナリティーだアートだって言っているのを聞くと『なぁに言っているんだか…』と思うよ。P92

「イスラムの日常世界」片倉ともこ(岩波新書

産業革命とともに加速された工業化社会においては、「人間の意志あるところに道あり」と、人びとははっぱをかけられ、人間の意志があればイエスなければノーと、明快にすることが期待された。「神の意志あらば―」などという返事は、ナンセンスとされた。神への信仰よりも、人間の力への信仰が優先するようになった。…人間は強いのだという考え方が支配的になった。その結果、工業化、近代化は飛躍的にすすんだ。そのために地球の資源は、あらそって開発され、地球の生態系にひずみがおこるまでになった。
自然の系だけではない。地球に住む人間のあいだの系にも、ひずみがおこった。持てるものと持たないもの、飽食におぼれるものと飢餓になやむものが出てきた。それに対して良心のいたみを感じる人の声は、かきけされがちである。p20


祈ることによって、ふだんはねむっているエネルギーが解放されるともいう。祈りにおいては、人は観客ではなく、役者になる。しかも、観客は不必要であるばかりか、むしろ排除される。祈っている人の姿は、見ている人にある種の感動をよびおこさせるものであるが、それを写真にとるのには、
なにがしかのためらいがつきまとう。それは、観客を排除するという祈りの性質によるものだろう。p43


大統領であろうと絶対君主であろうと、一介の羊飼いであろうと、神に対しては、みな同じようにひれふして拝むけれども、神以外の権威に対しては、断固頭をさげない。神の前で、すべての人間は平等である。それがイスラームの根本思想なのである。ムスリムたちは、そのことを毎回の礼拝で確認しているといえる。P70


何が、かれらを、かくもメッカへメッカへとひきつけるのであろうか。さまざまな理由があげられるが、その第一は、イスラームの根本思想である平等主義―神の前に、だれもかれもみな同じである―という精神が、巡礼のときには壮大なるドラマとして展開されるということであろう。P141


そのうえ、過酷な自然環境がある。それは遊牧の昔も近代化のすすんだ今もかわらぬ条件である
。酷熱と乾燥あるいは極度に高い湿度がダブルパンチをくわすような地域における労働は、どんな種類のものであれ、自然条件に恵まれたところとは、くらべものにならぬほどの苦痛をともなう。
からだを動かさずにじっと生き耐えていくだけでいくだけでも、ふつうの労働以上の労働になることもある。こういう環境では、労働そのものに価値をおいて暮らせば、人びとは、たちまち
のうちに人間味をうしない、心身の疲労というみかえりしか得られないことを、かれらはつと悟っている。P183


世界文明の発祥地になったナイル河やチグリス・ユーフラテス河のみならず、ペルシャ湾のほとり歩くと、なにをするでもなく、ぼんやりとたたずんでいる人の姿が、意外に多いのに気づく。…終始、瞑想する、もの思いにふけるだけで仕事をしないような人も、この社会では、その存在がそれなりに肯定されている。P186

「日本人 養成講座」三島由紀夫(平凡社)

自然な日本人になることだけが、今の日本人にとって唯一の途であり、その自然な人間が、多少野蛮でもあっても少しも構わない。じれだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ
、衰亡してしまう。子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちょぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗せられてはならない。p39


このまま行ったら「日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。


自分の人生を記録したいという欲望を持つであろう。ところが、記録そのものに才能がいり、技術がいり、あらゆるスポーツや技術と同じように、長い修練の過程がいる。修練していては人生は楽しめない。また、冒険のただ中に記録の才能を訓練することはできない。そこで、人々が、自分の人生を記録しよう、それを世におもしろい物語として、後世に残そうと思うときは、たいていおそいのである。p88


自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。P179


私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれbなくなっているのである。(「産経新聞」昭和45年7月7日)P180

「人は成熟するにつれて若くなる」ヘルマン・ヘッセ(草思社)

生きる技術のかわりに、それを解体し分解することにかかわりあいはじめる。人格を形成し洗練するかわりに、それを解体し分解ことにかかわりあいはじめる。そして突如として、ほとんど一両日中のうちに私たちは自分が老いていることを感じ、青年の思想や、関心や、感情を無縁のものと感じる。p22


50歳になると人はそろそろ、ある種の子供もっぽい愚行をしたり、名声や信用を得ようとしたりすることをやめる。そして自分の人生を冷静に回顧しはじめる。彼は待つことを学ぶ。彼は沈黙することを学ぶ。彼は耳を傾けることを学ぶ。そしてこれらのよき賜物を、いくつかの身体的欠陥や衰弱という犠牲を払って得なくてはならないにしても、彼はこの買い物を利益と見なすべきである。p39


やはり高齢であることが必要である。数知れないほどのたくさん見てきたものや、経験したことや、考えたことや、感じたことや、苦しんだことが必要なのだ。自然のひとつのささやかな啓示の中に。神を。精霊を、秘密を、対立するものの一致を、偉大なる全一なるものを感じるには、生の衝動の希薄化、一種の衰弱と死への接近が必要なのである。若者たちもこれを体験しないわけではないが、ずっと稀なことはたしかである。若者の場合は、感情と思想の一致、感覚的体験と精神的体験の一致、刺激と意識の一致がないからである。p71


老齢になると多くの苦痛にも見舞われるけれど、いろいろ賜り物にも恵まれる。その賜り物のひとつが、忘却であり、疲労であり、諦めである。これは老人と老人の悩みや苦しみとの間に形成される保護被膜というべきものである。p90


過去は現在と比べてその価値が高くなり、未来には私たちはもうぜんぜんまじめに関心をもたなくなる。これによって私たちは日常の行動は、理性や古い規則に当てはめてみると、無責任、不真面目、遊び半分の要素をもつようになる。これは、よく世間で、「子どもっぽくなる」という、あの行動である。これはかなり当っている。p128


真理は、ひとつの典型的な未成年の理想である。これに対し愛は、成年と、再び崩壊と死の準備をしようと努力している者の理想である。p189

日本の大問題「10年後を考える」(集英社文庫)

○姜尚中
一つの仮説として、先進国で脱成長社会というおはあり得るでしょうか。

○一色清
GDP信仰の成長神話が本当に人間を幸福にするのか、ということについては、ブータンの「国民総幸福量(GNH)」などもありますが、主観的なものがどうしても含まれますから、実際にこうした指標を作るのは難しいでしょう。指標がなければ、なかなかそうした社会を作る方向にはいかなでしょう。p23

○宮台真司
3.11以降、絆ブームが起こりました。2011年の「今年の漢字」は「絆」でした。しかしナンセンスです。なぜか。そこで流布された言説が「おざという時、自分が助かるための道具こそ絆だ」という発想だからです。これがナンセンスな理由は、敏感な人、つまり(感情の劣化)被っていない人にはすぐにわかる。絆は手段ではなく、目的です。「自分が犠牲になっても助けたいと思う人がいること」が絆です。そう思う人がいないのに、人が自分を、自らを犠牲にして助けてくれると期待している時点で、終わっています。p128

「豊かさとは何か」暉峻淑子(てるおか・いつこ)岩波新書


日本について、彼らは質問する。(ドイツ学生)
「日本では和とか調和とか言うけど、いつも周りに合わせて自己規制をしているのでは、新しい考えや文化は生まれないでしょう。お互いに批判したり衝突したりしないというのは、それだけ相手を信頼できないからではないでしょうか。理解や妥協と同時に闘うことのできる社会でなければオルターナティヴ(二者択一)な社会は生まれない。
「日本人の親は、自分の子どもを、どのように社会の枠の中にはめこんで適応させるか、つまり、よりうまく適応することによってよりよい出世の座席に座らせたいと考えて育ててるのではありませんか。でも僕たちはそうじゃない。親は、子どもを自立させるために、そして自立した子どもが、どれだけ大きな自由を、社会と自分自身にもたらす人間になれるか―それを目的として育てているのです。教育の目的は、いまの枠組みに迎合することだけではありません」p30


競争だけではなく機械化された産業技術の過度な普及は、文化的な悪影響を与える。人びとは視野のせまい機械的な思考方法を要求され、それ以外のものは不必要とされてしまう。昼も夜もない情報社会は、人間生活の自然のリズムを無視して職業の不夜城を作り出す。金銭中心の文化は、人間の文明を滅ぼす。p88

「生、死、神秘体験」立花隆対話編(書籍情報社)

【立花】
若いときは、ほとんどの人が、自分の死があまり現実的でないかんがえなくてすむ環境に置かれている。しかし、年をとるにつれて、誰でも自分の死を考えずにいられなくなってくる。何かの拍子に自分の肉体が明白に衰えはじめていることに気がついたとき、この延長上に死があるのだと予感する。その予感とともに、死とは何なのだろうか、人は死ぬとどうなるだろうか、それとも、死は単に存在の消滅すぎないのだろうか、存在の消滅とはどういうことか……と、次々に死に関するさまざまな疑問がわいてくる。P23

○「ぼくが哲学をやるようになったのもその問題があったからです。旧制高校ころ、その問題で、夜も眠れないくらい悩んだんです。それで、この問題は自分で解決するほかないと思って、哲学科に進学したのです」と語ってくれた。私はさらに「それでその問題は解決したんですか。いまではもう死の恐怖はないんですか」ときいてみた。すると、小倉氏は、また素直に「いまでもあります。昔みたいに、ゾッとするような恐怖感じゃないけど、やっぱりあります。正直いって、自分というものがなくなってしまうというのはこわいですよ」と答えてくれた。
 その素直な答えを聞いて、私はホッとした覚えがある。自分に死の恐怖があることを認めるのは、別に恥ずかしいことではないのだと思った。それ以来、私も死の恐怖というものを開き直って公然と認めるようになったが、それによって死の恐怖は、ある程度やわらいだような気がする。p27

○以前、アメリカの宇宙学者と話をしていましたら、「いや、科学にできることというのは結局、ある無知のレベルを一つ上のレベルの無知に置きかえるだけのことで、わかるわからないという点から言えば、科学の最前線の周りは全部わからないことばかりなんだ」P45


【山折】
その絶対的な飢餓の中で、人類が最終的に選択しうえる道は、ひょっとすると断食かもしれないというのが私の仮説です。(略)どうも世界の三大宗教がいずれも断食を非常に重視していることが、私にはただ事ではないような気がするんです。p65

【立花】
現在、非常に強烈な宗教運動が起こっている世界というのがやはりあって、たとえばイスラム原理主義があれほど強い力で世界を動かしている。ああいう世界における貧困の問題、社会的に虐げられた部分の人たちにイスラム原理主義がもっている強い言葉が入って、こころを動かしているという面があると思うのです。そういう要素が、われわれはこういう飽食の世界にいるから見えなくなっているのではないかという気がしますね。

【山折】
いま、おっしゃっやイスラム原理主義のの中にある一種の半近代的、反科学、反西欧的な心情、情熱のようなものは、簡単に越えるのではないでしょうか。p67

【荒俣】
要するに、現在が地球の歴史の中で、ほんのつかの間の人間生息最適環境期なわけです。こんな適齢期が長続きするわけがない。絶滅はわれわれ人間の宿命です。p103

【立花】
ギリシャの哲学者が言っているでしょう。「死を怖れる必要はない。死を怖れているときはまだ死は来ていない。死が本当に来たときはおまえはいないんだ」


【遠藤】
フランスの作家は、死はちょうど海に入るようなのだと言っていますよ。最初は水は冷たいからなかなか入れない。入ってしまえばもう楽だというのです。風呂と同じ。P151


【ベッカー】
臨死体験者が語るあの世の体験も、「あの世」そのものをカッコの中にしまいたいのです。また、生き方のうえでも、もしも「あの世」が実在するとしても、そのためにばかり生きているわけではないし、むしろ「あの世」がなくてもいいように生きているつもりです。「あの世」があろうとなかろうと、死ぬ過程が人間にとって非常に大事な過程であって、その中でいまmさに死なんとする人の意識をどう扱うということが、倫理的にも大切な問題だと思うのです。P187

【遠藤】
それはまだ生命執着力がすごくあるから、還暦前で(笑)。お笑いになるけれど、生命執着力というのは、年齢によってしだいに薄められてくる。ボケに入るとそれがまったくなくなる。ボケは神さまがお与えになったとても大きな恩典だと思うんです。なぜなら、死に対する恐怖がない。僕も少しボケてきてるんで非常に便利なことがある。映画や本なんかを前に何度見てても、いつも最初からおもしろく見られる(笑)。P256

【遠藤】
人間というのはいわゆる「天命」で死んでいくべきか、天命を乗り越えて生きていくべきかという問題になってくる。西洋的な考えからいうと、天命を乗り越えも生かそうということになるのだろうけどれども、そうすることが幸福かなのか、そうでないのか、もし幸福でないとしたら、その幸福でない状態で生かしていいのかという問題もさらに起きてくる。P275

【中川】
医者は間違いをしないものだという考え方は、とくに日本では強いようですね。本当はしょっちゅう間違うんですけどね(笑)。医学というのは経験科学ですから、間違いはつねにあるわけだし、100パーセントなんて保証すべきものではないのです。患者の個人差もものすごくありますし、医者の能力が不安定であるために起こす間違いもありますから。P294

「警官の血」佐々木譲(新潮社)上巻


墓場で殺された―。「死んでからくるべき場所なんだ。死ぬための場所じゃないんだ」p138


「三人って数が揉めるもとだ。男同士でも、男と女の組み合わせでも」p154


「あなたの場合、この不安神経症が再発したとき、怒りや混乱とはまったく正反対のことのほうも心配です」。
「感情の鈍麻、ものごとに対する関心の減退、幸福感の喪失、というようなことです。これまであなたに現れていた症状は、こちらでした」
その自覚はある。このところ、自分がひからびた枯れ木にでもなったような気がしていたのだ。何ごとにも興味が持てず、何かに心動かせることもない。もちろん当初は、それは自分が潜入捜査の恐怖に耐えるために意識的に感覚を麻痺させてきたせいだと考えていた。p333

■「言葉のレッスン」柳美里(朝日新聞社)

○「お客さん、なんか顔暗いけどだいじょうぶ?やめてくださいよ」とかすれた声でいった。その場では、まさかと笑い飛ばしたのだが、深夜12時過ぎて不安に襲われ、妹に母から10万円借 りて私の部屋で待ってくれるよう頼んだ。そして旅館には、母が危篤でと嘘をついてタクシーを呼んでもらい、東京に戻った。午前3時過ぎ、妹はあくびをしながらタクシー料金を差し出していった。「死にたいだったら、ちゃんと死になよ」P75

○「インターネットで知り合って結婚したひともいます」
「あなたの友だちが?」
「いえ、うわさです」
「なるほど、インターネットっていうのはうわさの交換なのかもしれませんね
」私は彼らの顔を見まわした。案外否定もせず、皆苦笑いを浮かべている。

「科学者は戦争で何をしたか」益川敏英(集英社新書)


イギリスの物理学者バナールの言葉を引用しています。「資本主義国においては、科学者はもはや自由職業でなく、政府化、独占資本の使用人でしかない。p92


資金が集まるところには優秀な人材が集まるというのは幻想で、ハングリーな部分がなければいい研究もできない。研究者というものは、貧しければ貧しい程、いろいろ工夫していい研究がで きる。そういうものです。こういうことをおおっぴらに言うと、「現実はそんなもんじゃないぞ」と言われそうですが、私は古典的な化学者なので、一貫してそう思っています。p93


軍事科学者にしても、必ずしも、「自国を強くするためにものすごく強い戦車をつくってやろう」などと思って研究しているわけではありません。ニーズがあるから研究する、ということなの です。(略)兵器研究とは盾と矛のようなもので、もっと卑近(ひきん)で現実的なものです。p96


坂田先生は、物理学も平和も同じ地平に考えていました。「物理の問題を解けるなら、世界平和に向けた難題も解ける」と言い、科学者として世界の平和を向き合う道を真剣に模索していた方 です。p107


「ぼけっとしてたら、お前の子どもが戦地に連れていかれるんだぞ」と檄を飛ばすと、ちょっと目が覚める。「科学の平和利用を」と大上段に言うより、自分の子どもはどうなる、孫の生活は
どうなる、徴兵制ができてもいいのかと、科学者が自分の問題として、生活者の目線で考えることが必要なのです。「科学者には現象の背後に潜む本質を見抜く英知がなければならない」これは
坂田先生の言葉です。私も同感ですし、今こそ科学者に本質を見抜く英知が求められているのだと思います。p115


我が国には徴兵制度はありませんが、選挙権や国民投票法の年齢引き下げと聞くと、どうもそうしたきな臭い国策の意図を感じてしまいます。p132


国家権力が暴走し始めているのに、国民が無反応や無関心を決め込んでいる。あるいは危機意識をあまり持たないのは、もはや何の「歯止め」もないちということです。p132


今の若手の研究者や学生たちには、厄介ごとに自分から首を突っ込んで何とかしようという情熱はほとんど感じられません。何か社会的問題について話そうとしても賛成か反対かという以前に
、「それどういう意味ですか」「何のことですか」という質問が返ってくる。問題の本質を理解していない。あるいは関心がないという姿勢が透けて見えて、がっくり来てしまいます。

「日本の反省」飯田経夫(PHP新書)

「村井氏のような科学から宗教への移動という例は、現在のような科学技術の意味が見えにくくなっている時代、とくに先進諸国ではもうあまり科学技術の成果に期待しない時代にあっては、 真面目で若い科学者においては今後は例外ではなくなるのではないだろうか」神奈川大学教授・常石敬一氏は、雑誌「AERA」1995年5月15日号で述べている。現代が、科学技術の意味が見え にくくなっている時代、とくに先進諸国ではもうあまり科学技術の成果に期待しない時代―というのは、ほんとうにそのとおりだと思う。p15


パソコンという機械は、ある面ではすばらしく便利だが、他面まことに使い勝手が悪く、トラブルが多すぎる。あえて反時代的な言い方をすると、この程度の(?)商品が飛ぶように売れるの は、あるいはことによると、パソコン以上魅力を持つ新製品が、いっこうに出現しないためではないだろうか。私たちは、「情報化社時代」といういささか意味不明の宣伝スローガンに、乗せられているだけのことではないだろうか。流行の「インターネット」にしてもそうである。牧野昇氏(三菱総合研究所)は、「インターネット」のことを「電子版チラシ広告」にすぎないと喝破している。p48


私たちの幸せは、基本的にはモノにあるのではない。よく言われるように、重要なのは「モノの豊かさ」よりは「心の豊かさ」である。経済問題を考えようとするとき、私たちは、明らかに重大な岐路にさしかかろうとしている。古くから「足るを知る」という言い方が、しきりに思い出される。東洋的な言い方であり、欧米流の近代合理主義・個人主義にはなじみにくいだろう。しかし、「飽食」の時代には、「足るを知る」にふさわしい「経済学」を、あらたに構想する必要にがあるように思われる。p61


問題はこうである。「飽食」してほんとうに買いたいものがなくなったとき、はたして人びとは―とくに私たち日本人は、これまでどおりにきちんとした行動を取りつづけ、「社会レベル」を維持しつづけることができるであろうか。p163


まず、たとえ「豊かさ」に飽きて「もういいや」と感じるようになっても、私たちは、働くときには、きちんと真面目に働かなければならない。次に、日本人は今後とも「日本的経営」の下で、そこではぐくまれた人間関係のなかで、生きつづけるだろう。日本の伝統的のなかで生まれた「日本的」が、そう簡単に死滅してしまうわけがないからである。「日本的経営」の下で、これま で日本人はつねに、職場の仲間たちのことを、他のもろもろにまして、大事なものとして考えてきた。p178

「言葉のレッスン」柳美里(朝日新聞社)

「お客さん、なんか顔暗いけどだいじょうぶ?やめてくださいよ」とかすれた声でいった。その場では、まさかと笑い飛ばしたのだが、深夜12時過ぎて不安に襲われ、妹に母から10万円借りて私の部屋で待ってくれるよう頼んだ。そして旅館には、母が危篤でと嘘をついてタクシーを呼んでもらい、東京に戻った。午前3時過ぎ、妹はあくびをしながらタクシー料金を差し出していった。
「死にたいだったら、ちゃんと死になよ」P75


「インターネットで知り合って結婚したひともいます」
「あなたの友だちが?」
「いえ、うわさです」
「なるほど、インターネットっていうのはうわさの交換なのかもしれませんね」私は彼らの顔を見まわした。案外否定もせず、皆苦笑いを浮かべている。

「回想 黒澤明」黒澤和子(中公新書)

インドへ行ったとき、世紀を超えて、数世代の人間が鑿や金槌でコツコツ切り出した、見事な石像が居並ぶ岩山や岸壁を見て、父は感嘆していた。見上げるような岩山、金槌をひと振りしただけでずっしり手に応える固い石。自分の生きている間になどと考えず、来る日も来る日も鑿を振るった職人たちを駆り立てたその情熱はどこから来るのか。人間のすごさを感じたと目を輝かせていた。
滔々と流れるガンジス、大地に根を張るガジュマルの大木、原色の衣装、混沌、光と影。人はどこから来て、どこへ行くのかと深く考えさせられた。何か魂を強く揺さぶられた。あれは何だったのだろう。「なにか、初心に戻って、考えさせられた」と父は言っていた。p8


潔(いさぎよ)く生きるしかないじゃないか。学者のように頭脳明晰というわけじゃなし、巨万の富を持つ富豪でもなし。かのお偉いさんたちのように厚顔無恥にもなれないしね。出る杭は打たれる、出られない杭は足蹴にされる。自分で自分を誉めてやるっきゃないものね。意地の悪い世の中になったもんだね」p40


いつの世も人間は懲りずに馬鹿なことをやっている、そう言ってしまえばそれまでだけど、うまく言えないけどね、チャンスはあるんだよ。これからの時代にこそ、哲学が必要なんだ。もう一度、人間はなぜ生まれて、どこへ行くのか、何のために生きているのか、見詰めなくてはいけないときが来たんじゃないかね。倫理だよね、人の心だよね。資本主義、利益至上主義でさ、自分だってそれを享受しているわけだけれど、どこかで反旗を翻さなければいけない。豊かに暮らすことがね、イコール幸せに暮らすことにならずに、歪みがでてきていてさ、弱いところにますます追い討ちをかけて、悲劇が生まれる。ある意味では進歩したさ、でも昔の物のほうが精魂込めて作られているじゃないか」p41


「人間年を取ると、幼いものに対する気持ちが、ひとしお勝るもんだな」。孫たちへの思いは、今の世の中に対する憤懣やるかたない気持ちを増幅させ、やがて考え込む父の姿を多く見るようになった。p50


「人はちゃんと生きていれば、それだけで人の足しになるんだよ」p51


「学問ばかり詰め込んでも、感受性がなけりゃ、人間のため正しく使うことはできやしない。戦争のための技術を造り出した時間とお金と努力を、善いことに使っていたら、今頃は世界中の人間が幸せだったんじゃないかと僕は思うよ」p75


「日本人は付和雷同する民族だ。関東大震災や二度の世界大戦も知っているけど、恐怖にかられた人間は、常軌を逸した行動に走る。平常のときに好人物でも、自分や家族の命がかかってくると弱いもので、あらぬ妄想に執りつかれる。善悪の境は木端微塵だ。扇動化に操られているのか、自身の中にある恐怖心に操られているのかも、判断がつかなくなる。一人が走り出せば、みるみるうちに大の大人が群がるんだ。だから、戦争は絶対してはいけない」p86


「人間は、集中して夢中になっているときが、一番楽しいんじゃないかな。それが幸せだよね。子供が遊んでいるときの、あの無心な顔は素敵なだものね。声をかけても聞こえない。自意識がない感じ。あれが幸せというものなんだね」p118


「スポーツは、勝ち負けがはっきりしていいよ。カラッとしていられる。誰のせいにもできないからね。映画とかそういうものは、勝ち負けがハッキリしていない分、人のせいにしやすいから、それじゃ進歩しない。だから、映画監督は船長と同じで、僕は自分に全責任があると思って撮っている。潔くなけりゃ、前へは進めないからね」p193


父は晩年、「人の心はどこへ行くのだろう」「今こそ哲学が必要なときだ」と盛んに繰り返し言った。父の考えていたこと、望んでいたことを、一篇一篇に切り取り、綴ってゆくことで、父のエッセンスを届けられれば嬉しい。今の世の中で心が疲れた人に、少しでも支えとなる言葉が贈れたら、そう思って書いてみたのがこの本である。…父の口癖だった「どうして人間は幸せになろうとしないのか。どうしたら人間は幸せになれるのか」ということを、もう一度見詰め直し、少しでも成長できるようにと思う。そして、自分自身をもう一度見詰め直して、次の章に進みたいと思う。p203あとがき


朝日新聞2015年7月16日(インド仏教の指導者・佐々井秋嶺)

一方、日本では貧困・自殺問題などに僧侶が一部に現れているが、仏教界全体としては社会問題に対する動きは鈍い。…「仏教本来の僧の使命は人を救うこと。なのに、寺の運営ばかり考えているように見えます。自殺しそうな人を助けるといった肝心のところに手が回らずにいるのでは?」
背景の一つには、宗派の間の溝が深いことがあると指摘する。宗派を超えて取り組む問題に対しても「宗派仏教にがんじがらめの状況」と見る。「りっぱなスローガンを掲げてはいますが、民衆の中に入っていますか?民衆と一体になっていないから『お坊さんに葬式をしてもらわなくてもいい』という風潮が広がるのではないでしょうか」

「日本人が忘れた水の水の文化」山折哲雄(文藝春秋2015年8月号)

インドのラ-ジギル(王舎城)に行ったときのことが思い浮かぶ。その地に、かつてブッダも入浴したという温泉に入ってー。
両脚をのばすと、自然に柔らかい砂地にふれた。ほっとして周囲をうかがうと、男も女も身動きひとつしないで、静かに湯につかっている。女性のサリーが水の中で揺れていた。 一刻、二刻と時が過ぎていった。やがて一人二人と湯舟から上がって、手拭いで水をぬぐって出ていく。からだをこするのではない。もちろん石けんははじめから使わない。 しばらくして気がついた。ああ、かれらはからだの汚れを落とすために湯につかっているのではない。心の垢を清めるために温泉に身をひたしているのだ…。インドの温泉では、われわれの社会がすっかり忘れてしまっていたみそぎの作法がいぜんとして生きていたのだ。p333

「羊の歌―我が回想―」加藤周一(岩波書店)

外に出て遊ぶことの少ない子供は、容易に文字を覚えた。そして文字を覚えると共に、病気の恢復期の私にとっての意味は、全く変わり、もはや何日寝たきりでも、退屈することはなかった。私に本を買いあたえた両親の心配は、子供があまり読まぬだろうという心配ではなく、読みすぎるということだけであったらしい。「もういいでしょう、病気によくありませんよと母はいった。しかし母がいなくなると、私は読んだ。その習は性となり、今でもいいきかせることがある、「本を読んでいては、本を書く暇がないだろう」と。P45

○はるかに身近かな、打明け話に似た一種の親密さのなかにそれ自身を包み込みながら、心理的な起伏に富み、期待から焦燥へ、ためらいから情熱へ、甘美な憧れからきらきらと輝く束の間のよろこびへ、移りゆき、ゆれ動き、遂に消え去ってゆこうとするものである。その頃の私は死を怖れていた。p153

○人間の生命を軽んじることにさえも理くつらしいものをつけ加え、自他を欺くことに専心していたあの御用学者・文士・詩人は、どこへ行ったのか。私にとっての焼け跡は、単に東京の建物の焼きはらわれたあとではなく、東京のすべての嘘とごまかし、時代錯誤と誇大妄想が、焼き払われたあとでもあった。p250

○―広い夕焼けの空は、ほんとうの空であり、瓦礫の間にのびた夏草はほんとうの夏草である。ほんとうのものは、たとえ焼け跡であっても、嘘でかためた宮殿より、美しいだろう。私はそのとき希望にあふれていた。p251

「夢見る美術館計画」(ワタリウム美術館の仕事術)日東書院本社
O「死はブルーミングデール(ニューヨークの百貨店)に行くようにあたりまえのことだ」アンディウォホールの言葉。(
O「死。私は、その言葉を聞<と、とても悲しい。いつも何か不思議なことが起こって、やってこなければいいと思う」(アンディ・ウォーホルの哲学)1975年より)

「人は死なない」矢作直樹(バジリコ出版社)

生物は天変地異に対して、種の中に多様性を内在させることで、どれかの個体が生き残れる仕組みをあらかじめ持っていると考えていられます。細菌に対しても同様であり、巧みにその形質を変えていく細菌からの攻撃に対して、生物としての人類が「細菌感染症の個人差」有するからこそ、人類全体からみると一部を犠牲にしながら生き残りをはかっているというわけです。p25

原初の神道、いわゆる古神道は、太古の日本人の民俗信仰であり、森羅万象に精霊(神)が宿るとする点で、アニミズム(原始宗教)に近いものでした。その後、大和朝廷によって編纂された記紀(古事記、日本書紀)において王権(天皇)の出自と結びつけられ祭政―致のかたちをとり、以後仏教や陰陽道、儒教などの影響を受けながら、現在まで連綿と続いています。その過程で、儀式を付加したり、政治的な意図の下に再編されたり(明治維新時の国家神道)した点は、他の有力宗教と似通った経緯を辿っています。


メスナーは、ディアミール壁を降下中に800メートル墜落した時、自分の体から魂が離脱したことを意識し、自分の体が山を転がり落ちているところをはっきりと目のあたりにして、もう一人の冷静な自分が存在していることに気づいたといっている。

Oplo3
 「スピリット(霊魂)、マインド(心)、ボディ(体)の調和こそが人間本来の姿である」


人は、必ずこの世を去る。考えてみればあたりまえのことですが、医師がどんなに手を尽くしても、人の命を覆すことはできません。しかし、この「厳然」とした事実を我々は忘れがちではないでしょうか。



自然科学が近現代の人々の精神に与えた影響は圧倒的です。人々は、人間の知恵によって解明できないことは何―つない。現在わかっていないことでも将来は必ず解明できる。解明できないことはすなわち無いことと同義である、という「信仰」をいつの間にか持つようになった。p189


彼らは「事実」と「真理」は、まったく異なった概念であることを理解していたのではないか。だからこそ、宗教的な啓示あるいは霊的現象との遭遇を契機として「真理」に触れたいと考えたのではないか。そこから導き出された理念を一般の人々にも伝えたい、しかし「科学信仰」にどっぷり浸かった人々に理解させるには「科学的方法」によるしかないと考えたのではないでしょうか。p189


人の生存限界の正確な把握はできていません。そうした極限状況の中で現れる体外離脱、臨死体験、サードマン現象のような、常識的を超えた人の生存限界や非日常的を知るにつけ、人間が持っている本来の能力は、我々の想像をはるかに超えたものであることがわかります。p191

■「ナポレオン狂」阿刀田高(講談社)(サン・ジョルマン伯爵考)

「生命が存続するというのは、古い細胞をどんどん新しい細胞と入れ替えて、いつまでも亡ぴずに続いて行くことです。一つの世代が自分の部品を新しく入れ替えたところでそう長くは持たないと考えたとき、もう部品の取り替えなんてケチなことはやめたしまって自分の細胞から次の世代を作る。これが親と子の関係です。大部分の人類はこういう形で、シバの女王と言わずもっと古い昔からずっと不老不死を続けて来たんです」

「私とは何かさて死んだのは誰なのか」池田昌子(講談社)


来るか来ないか(死)のどちらかではなくて、早いか遅いかの違いにすぎない私たちの「死」というものの絶対性の前には、年収いくらの男性と何歳で結婚、何歳で出産、ゆとりの老後など、考えたくても考えられないのでないか、当たり前ではないか!p28


キリギリスよりもアリのほうが賢い人生を送ったというのはウソだ。人生の不思議と哀しみを、心に深く知っていたのは、うわの空で生きていたキリギリスのほうだった、と私は思う。行き倒れて雪の降りつむ彼の顔のうえに、すべてこれでよしという至福の笑みが、広がっていたのではかったか。p29


哲学を経由したところで、この人生の姿は、ほんの少しも変わりはしない。つまり私たちは皆、死ぬまで生きている。私たちは死ぬ、彼も死ぬ。しかしー「死」とは何か。この世の誰ひとりとして、未だかつて経験したことのないそれは、いったい何なのか。誰ひとり死んだ経験がないにもかかわらず、死ねば何も無くなると信じこんでいるのか一。p32


生(ある)と死(ない)を巡りつつ、螺旋状に離陸してゆ<悩ましい思考は、彼方のある消失点で、きっと自爆する。p32


 「わかる」ということ、「感じる」ということは、自分の死を他人が死ぬわけにいかないのと同質の、厳しく孤独な経験なのだ。このことがわからないその限り、その人には何をいってもわからないだろう。いみじくも、古代ギリシヤ人は言った。哲学は死の学びであると。p35


正確には、文学では「物語る」、哲学では「記す」とでも言われるべきのもので、文学は書くよりうたうに近<、哲学は書くより考えるに近い。p46

Op47
何か正しいこと支えになりそうなことを彼に教えてもらおうなどの、みみっちい考えをもたないこと。(略)なぜと言って、彼らが生涯賭けて思索し、その叙述の仕方に頭をひねった最終的な目標とは、私たちが日々平然とそれを生きているこの「常識」に他ならないからである。


争い合いながらでも人類は在ったほうがいいと思う人の数のほうが多ければ、まだしばらくは人類はあるのだろう。p51


私たちが共に闘うべき相手は神なのだから、地上の出来事に、その都度おろうおろうするのは、やめにしようと言おうとしていたのだった。p52

平たく言えば、どの時代も人間の考えることに大差ないということ、こう言うなら誰も、何だそんなことと納得するに違いない。


つまり、余計な深読みばかりをしていて、死ぬまで心の安まる時がないということ、気の毒に!p53


世の中には、世の中に役に立たないことをする人が、必要なのである。そのような人こそが、本当に役に立つのである。世の中全体が、役に立つこと金になることを価値と信じて走っている時に、本当の価値とは何か、人は何のために生きているのかを、考えるからである。
 (略)学者を大事にしない国は滅ぶと、論語においても言われている。p61


 「どうしてだか生まれてきちゃって、お天道さんも昇るけれども、死んだらどうなるか、やっぱりわかんねえな」とつぶやいた老人の横顔が、私には忘れられない。本当の哲学者は、こういうところにこそ、居るのだ。plO8


人は必ず死ぬ。遅かれ早かれ、必ず死ぬのである。生と死は同じものだ。誰だって明日死ぬかもしれない。そんな当たり前のことすら、人は気づかなくしまっている。p149


酒が精神に与えるもの、それは、酒によって与えられるところの、じつは精神なのである。酒は精神なのである。したがって、酒を飲む私は、精神を飲む。杯を干す。精神を飲み干す。渇えた私の精神は、精神漬けになって、ああ、死にたがっていたのだ。p162


しかし、病気を生きるということは、死を恐れることと別のことだった。死を恐れるということは、その頃もうすでに私にはなかった。考えたので、その決着はついていたのだ。しかし、病気、これは思わぬ伏兵といったところ、「したいことができない」「したいことを我慢する」な
どということは、あってはならないことだった。なぜなら、生は常に輝かしくも死と等値であるはずだったから。pl73


一番わかりやすいのは、自分が死ぬということを考えること。明日は必ず死ぬという状況になってみれば「自分の人生はなんぞや」と、少しは考えるかもしれない。p221


ギリシヤ時代から三千年かかって、人類は変わったかというと、ちっとも変わってんないように思えます。人間が生きて、死んで、ここにいるということ、つまり人間の本質というのは不動なんです。p224


とにかく時間がかかる。ひとりひとりの人間の精神を確実に変えていくんですから。だって、いま六十億人いるわけでしょう。すべての人が目覚めるまでには六十億年かかります。
 つまりみろく菩薩の救済と同じこと。永久革命って、私が言うのはそういうことなんです。無限に時間がかかるけど、道はそれしかない。それだけ断言できます。
ですから、宇宙史の側から見れば、いろんな時期とかいろんな失敗とかをこの人類が経験するのもいいのかなというっように見ることもできます。
 (釈尊入滅後56億フ千万年の後に個のこの世に下乗して竜華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するという未来仏)かんぶつえの異称。p226


「人類を救う哲学」梅原猛掛十稲盛和夫


日本古来の考え方に「草木国土悉皆成仏」(しかいそうもくしっかいじょうぶつ)という思想があります。人間ばかりか、草も木も、さらには鉱物や無機物も、仏性(ぶっしょう)を持っていて仏になれる。じつは、これは日本で生まれた考え方です。(梅原猛p34)

●「医療倫理の扉」小松奈美子

Op36
告知された患者は否認→怒り→取引→繰櫛→受容の経過をたどる場合が多い」アメリカの精神科医キュープラー・ロス「死ぬ瞬間一死にゆく人々との対話」


○(p29)p53
多分、末期的な病気にかかることの有利な点は、どう死ぬかを計画できることにあるでしょう。
そして、本当に、患者は死を計画するものなのです。そこには怒りのかわりに閑静な心があります。動揺ではなくて、彼らは愛を表現します。そして、患者が死ぬ時に、彼らは、強い尊厳の意識と内的ななヴァイタリティーをもって死に向かうのです。彼らは最後の息を引き取る。まさに
その時まで、一日一日を精一杯生きるのです。千葉敦子「よく死ぬことは、よ<生きることだ」


Op63
 「希望」-。それは人間にとってかけがいのないものです。人間は、どんな絶望的な状況に陥っても、なお、希望をもつことができる存在であり、反対に、希望を失ってしまったら、客観的条件が絶望的でなくても、肉体的に死」にいたることがあります。その意味では、人間は究極的
には希望によって生かされている存在であるともいえます。

Op68
収容所内での人格的破じょう■からフランクルを守ってくれたもの。それは、最終的には、パンでもスープでもなくて、一段と高い立場から客観しする学問的興味でした。そして、その成果を講演している自分の姿を思い浮かべてみるという「トリック」のおかげで眼前に繰り広げられて
いる過酷な状況をまるで過去のものように感じることができたのです。

Op83
尊厳死「自分が意識不明になって人間としての尊厳が保てなくなった場合は無駄な延命治療をしないように」。自分の意思をあらかじめ文書にしておく。

Op160
日本人の信仰心のなかには「何となく」の要素が強いようです。その時の自分の願望を満たしてくれそうな神様や仏さまに向かって手を合わせるということです。


多神教的信仰形態。

Op161
仏とは何か、今まで私は超越的なもの、人間以外のもの、聖なるもの、なんて言ってきました。
それは宇宙の生命です。宇宙に充満する生命。

Op162
死ぬというのは宇宙の生命に還元されるんだと思うんです。そうすると死ぬというのはそんなに惨めではありません。死んで焼かれて、それきり何もなくなってしまうのは、ちょっと寂しいでしょう。(瀬戸内寂聴より)


Op170
河の水はいつも流れています。とどまることがありません。同じ水が同じ箇所にじっとしていることはありません。よどみに浮かんでいる泡も同様です。泡ができたと思ったらすぐ消えてしまいます。長いあいだそこにとどまるの状態を維持することはできません。世の中のすべてのことも泡のようなものです。ずっと永久に続<事象は一つもありません。すべて移り変わっていくのです。

Op181
どうして日本の仏教は「死」と直結しているのでしょう。その理由としてもっとも強調される点は「日本仏教が先祖供養を行っている」ということです。もちろん、先祖供養は本来の仏教の教理にはまったく関係ありません。しかし、日本人は古来より死者の霊魂の実在を強く信じ、これ
を鎮めたり、慰めたりする儀式を行ってきました。

Op190
キリスト教における「罪」とは、人間が誕生以来背負っている「罪(原罪)」を意味します。私たちの心の奥に潜んでいる「神を無視し、自分の思うままに生きようとする傲慢な気持ち」が「罪」とされます。これは仏教の「我執(がしゅう)」とよく似ています。

Op192
イエスが復活して天国から聖霊を通して自分たちに働きかけてくれているからこそ「肉体的な死をも越えた明日があるのです。

                   

梅原猛「日本人の”あの世”観」
○5-23p

人が死ぬと魂は肉体を離れて、あの世で待っている先祖の霊と一緒に暮らします。したがって、死体は魂の抜け殼です。蛇の抜け殼と同じようなものであり、何の価値もありません。一縄文時代以来、日本人の心のなかに受け継がれてきた「あの世」観です。p164

「詩と死をむすぶもの」谷川俊太郎十徳永進(朝日新聞出版)

Op22俊
日常のことばが表層言語であるのに対して、詩のことばは深層言語とも呼べるもので、それは人間の意識下にある混沌から、意味を求めて生成してくるものだと言える。

Op54徳
生きている時も心のわだかりはあるけれども、死を前にすると、そのわだかまりがくっきりと浮かんでくる。満潮の時は海水で見えなかった不協和の岩が、干潮の時、その姿を現すのに似ていて、死の時は干潮。憎しみ、怒り、不安の韓ではな<タンポポ綿毛で心が守られているなら、死
に向かう人も、その死を見ている人も、ホッと安堵する。包み包まれている。その現象に辿り着く過程を漢語で「和解」と呼ぶらしい。和語だとなんだろう「なかなおり」

Op65俊
ぽくの「神」は日本古来のアニミズムや子どもころから読んでいたギリジャーローマ神話の神々、叔父叔母の家にあった仏壇に象徴される仏さま、近所の氏神さま、それに幼稚園で習ったキリスト教の神等々、いろんな神がごっちゃになっているのです。いまでは、そんな種々雑多な神と
呼ばれる何かは、みんな同じものだと考えるほうがいいんじゃないかと思っています。
怒ったり、罰したり、復讐したり、死んだりする神はもうたくさん、だいたい神を人間に似たものとして考えるのはおかしい。神と呼ばれるものは、ビッグバンでこの世界を始めた目に見えない無限のエネルギーだと考えたい。一宇つゆうに満ち満ちているそういうエネルギーと一体化し
たい。死ぬということもまた一体化するための一過程ではないか、死を忌まず厭らず穏やかに受け入れられたら、それが神や宇宙との和解ということにんなるのでしょう。


Op81俊
<音は、それが消えようとするときにしか存在しない>
ウォルター・オング

Op117俊
ともあれ走り続けることが求められているいまの世の中で、立ち止まって、座って静かにものを想おうとする人間が増えていくのは当然だし、歓迎すべきことだと思う。

Op11俊
瞑想の迷走は止めようとしないほうがいいんですってね。勝手に迷走させておくとだんだん収まってきてアタマが静まるそうです。

Op134俊
 「私たちはみな年のいった子どもたち/床につ<時が近づくと むずがるのだ」

Op134
 「死は暴力だ」ボーボーワル

Op135俊
 「40年間神に仕えてきて、引退したら脳卒中の発作が起きた。何もできなくなり、歩くことさえできなくなった。だからは私は烈火のごとく怒って、神をヒトラーと呼んだ」エリザベス・キューブラー・ロス

Op137俊
 「肉体は死ぬが精神ないし霊魂は不死」エリザベス・キューブラー・ロス(死ぬ瞬間の対話)

Op161徳
 「死というものにはもっと積極的な、肯定的な面が必ずはずだと思う」「ぼくらの世界観の中に死後の生命の存在というのを入れることが大事なるんじやないでしょう
か」(河合)


Op200徳
滅びることに抵抗する技術は、いつか必ず滅びる。

Op208俊
尊厳死の名医(?)は言い換えれば三途の川の船頭さんですよね。

Op225俊
ほとんどすべてのことを1と人なんです。すべてのものは1である。1つであると。全体は1つなんだと。言葉ができたおかげで2になっちゃったと。だから、善とか悪とか、男、女とか、言葉って全部そうやって分割しているわけですよ。言葉の分割のおかげでこっちはいろいろ整理ができて、世界に秩序ができたんだけど、もともとは1なんだから、言葉が分けたものをもう一遍ちゃんと1にしたいという気持ちはすごい強いんです。


「瓦篠の中から言葉を」辺見庸(NHK出版親書)
Op15
大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法も壊したのです。

p18
0祖国とはテリトリーではなく、記憶なのだという意味のことを訥々と語ったのです。(クストリッツア監督)


Op32
宇宙の「一瞬のくしゃみ」のようなようなことだったかもしれない。あるいは、宇宙的な規模でいう大自然の、一瞬の、一刹那の身震いのようなものかもしれない。

Op32
宇宙にとっては、あるいはもっと狭く考えて、地球の一刹那の身震い、咳のようなものが、人類社会の破滅につながることもあるのだという認識です。

Op38
われわれはコンピューターにデータに入力できる数値にあまり頼りすぎて、人の生き方万般が、それにかかっているかのように考えてきました。それは完全な誤りとはいえないまでも、まつた<足りないものがあったのではないかとわたしは思います。

OplOフ
眼の前に暗闇がすべり墜ちた。「夏の花・心願の国」原多喜。

Op117
ニューヨークタイムズ紙は原爆投下から二年後、1947年8月6日付の社説でこんなことを言っています。「原子爆弾の投下は、過去において残忍性を発揮していた鉄の時代から、さらに残忍な原始時代へ移行する転機となるものであった。広島と長崎で行われた涙をそそる記念行事は、心ある人々の心を動かさざるをえないが、われわれはこの両都市が各種記念行事をとり行うただーつの場所として、永久にとどまることを希望し、祈らなければならない」


Op122
無意識で透明な残忍性をその文面に感じてしまうからです。原始爆弾168個分。1万5000テラベクレル。ヨウ素131は16万テラベクレル。この記事にも顔がありません。数字はべらぽうで、やはりノッペラポウです。

Op123
けっして3・11が残忍だったのではない。現代社会の残忍性が3・11によって証明されたのだ、と。

Op140
憲法9条があるにもかかわらず、その実体(実態)はますますなくなっています。原発の安全、低コストといううたい文句の原発の実体がまるでことなることも、言葉と実体の連続性の破断と言えるでしょう。
3・11が、言葉と実体のつながりを破断したのではな<、3・11のおかげで、もともとあった言葉と実体の断層が証されたのです。

Op150
歴史観、宇宙観、人間観は、時代の進行とともに深まって
いるのではなく、むしろ退行しているようにさえ感じます。マイカーもテレビもパソコンも携帯電話も原発もなかった昔のほうが、一部の人々は、いまよりも心の視力にすぐれ、表現が自由間違であった可能性があります。

Op166
「言葉と言葉の間にカダヴル(屍)がある」
堀田善衛(橋上幻像)、(方丈記私記)

Op174
 「人間存在というものの根源的な無責任さ」

Op181
折口信夫は関東大震災を見て「ああ愉快と 言ってのけようか。/一挙になくなってしまった。
」と詩にうたい、川端康成は短編の登場人物に、「関東大震災が人間が絶対化してきたことを一気に相対化したと、こともなげに言わせました。東京大空襲の記憶にかさね串田孫一さんが幻想した人間滅亡後の眺めというのは、「とてもきれいな風景」で「さばさばしている」というものでした。堀田善衛は堀田善衛で、「階級制度もまた焼け落ちて平べったくなる」という、「さわやかなに期待」をもちました。

「必生 闘う仏教」佐々井秀嶺(集英社新書)
Op98
そうだ、自分は彼女に抱かれている。この心も体も世界の一部なのだから、いつも一緒だ。全宇宙が彼女であり、自分と一体なのだー。そのように受け止めたとき、私の中でなにかが弾け飛んだのです。「入我我入」(にゅうががにゅう)小さき我が溶けて大いなる我と融合し、大いなる我が小さき我を包み込む。さすれば小愛は大愛となり、


クリニックの所長としての経験によれば、年を取るにつれて話が大きくなり、現役の人間に対する批判が厳しくなるのも、好好爺になるのも、間違いなく老化の現れである。


日本の資本は敗戦後、社会的自覚に関してその水準は上がったのか、下がったのか。


ある種の緊張の持続が、悪い遺伝子を刺戟して、発病を促す場合があるのではないかという予断を否定しきれないないのだ。


医者が非情だと言われるのは、患者によって非情であることを強いられるからだと内心思っている。


町の名が変わると地霊が逃げていくという。


「生」の日ばかり(秋山駿)

○p9
死を凝視するとき、初めて、「私とは何か」という問いが生ずる。死、とは何か。私が無くなる、ということだ。文学や歴史、物語のなかに、死のイメージは、生のイメージと、等量にある。しかし、私が無くなる、というイメージは、心のうちでひどく形成しにくい。

○p9
人は生まれそして死んで往く。また生まれて死ぬ。日は昇りそして沈んで行く。また昇って沈む。それは自明であり、自然であり、現実である。同じように、私は存在してそして私は無くなる。・・・・・だが、また私は存在し、とは、ならない。

○p18
私は私自身を探求しょう。よし、もう一度!
どんな困難、見えぬ壁も、乗り越えよう。
何が壊■れたよころで、構うものか。
それだけが、私の為すべきところなのだ。

自分の言葉が、他人のものとなり、社会のものになるというときに、どんな奇妙な「自分はまあまあの男なのだ」という虚栄があることか。

○p23
ある任意の一日。それが、わたしの抱く一日というものだ。その一日が、昨日から今日へ、今日から明日へ、と流れるだけだ。まことに平凡、まことに単調、というのが主旋律だ。だから、
抽象的な一日。というのが、一日の内容だ。その心棒には、一日とは何かを問うわたしの呼吸があるばかりであって、世間の出来事や社会の事件が、この小さな透明の容器の中を、貫いて通り過ぎてゆく。
こんな様で、生きているということになるのか。

○p33
人はある時から、老いれば老いるほど、子供時代にいく、という。それは本当のことだった。
それは、日々、生の感覚として明らかだ。骨折って身に付けた社会的衣装が一枚ずつ剥がれてゆき、甘えん坊だった自分、そのときの生の意思が、露骨に出現してくる。潮が引くと、岩の素肌が現れる。
そうか、自分の生の根元は、こんな不細工な仕組みだったのか、と改めて感心する。

○p34
老いる、とは、子供時代の生を味わい直せ、ということだ。生の盛んなときは、前方を見据えて、まっしぐらに、自分の決めた生のコースを、走って走って走り抜けただけだ。自分の影とともに振り捨ててきた道の風景が、いま蘇る。

○p55
殺人へと到る意思の経路の根には、自殺という母胎があった。殺人は、人を殺して自分が生きる、生の意思の発揮だが、自殺は、その反対で、生の意思の否定である。自殺者は、自殺するとき、それまで自分とともに在った生の意思を否定しなければならぬ。自己否定の劇が生ずる。その劇の相手役兼証人として呼ばれるのが、神なのだ、とわたしは思う。

○p96
何モシナイ。何モ出来ナイ。
こんな一行を、文藝手帖の日割りの横に記して、もう14、5日が経つ。この二週間、いったい何をしていたのか。もうまるで記憶がない。

○p99
何ももう要求がないといふことは
もう生きていて悪いということのような気がする
それかと云って生きていたくはある
それかといって却に死にたくない

○p105
「去年、近所の公園で、樹が光に輝き、その下で幼い子供が無邪気に遊んでいるのを見ていると、そらから一つの声が降ってきた。ー早く此処へ還っておいで。強烈な懐かしさが走った。

○p111
この「私」というものに、子供、わが子というものは、連続しない。背理である。それから、いま足を置いているこの地面は、仮の宿であるから、家や土地を所有しない。つまり、なるべく公的な賃貸団地が似合いである、と。
われながら滑稽な話であると思い、感じている。誰もが子供は要らぬ、では、人間の連続がそこで途切れしまうし、家や土地を所有したくない、では、かなり経済活動が不活発になってしまうだろう。

○p123
時を刻んで生きねばならぬ。
公園を散歩しながらそう思った。散歩?違う。歩行である。かたちにならぬ思いが心の内に沈みこんで重くなると、かたちを明らかにするために、わたしは歩行する。考える、とは、内的歩行である。部屋でずっと考えるのは、一つの淵の内壁をぐるぐる回転しているようなものだ。

○p148
老いてみると、これまでいろいろ考えてきた物や事についての、思いが変わってくる。新しい思い生ずる、と言ってよい。
たとへば、生について。
生と、生きる歩行である、と思ってきた。その一歩ずつ自分に証しするために、ノートに書き始めたようなものだ。
生の果てまで歩いて行って、その歩行が窮まるところ、それが、死である、と。そこが変わった。どうではなく「死」への歩行があるのではないか、と。

○p151
権力、とは何なのか。わたしは考えることをしなかった。
日常生活の到る処の細部にまで権力の網が被さっている、と思っていたが、心が1パーセントも興味を持たない問題は、考えようがないのである。

○p155
あんまり「永く生きている」のは、なんとなく、わるいような気がする。それは、人生の声か、それとも、社会の声か。

○p207
知的障害者か差別者として告発されー
あなた方は、日々をどういう心持ちで支えて生きているのか、と聴いたら、ボランティアの車椅子で行動しなければならぬ元気のいい一人の若者が、ー立って動いている者への憎しみで生きている、と言った。その言葉は、わたしの胸を打った。

○p265
三日ばかりを、まったくの無為の中で過ごしたー(略)
この時間、生きている私の時間という奴は、なんとなく危うく、失われ易く、そして貴重な代物なのだろう。(中絶)

○p269
私は本当に混乱している。二ヶ月になる。
だが、考えてみれば、混乱というのは、一種の生の充実の状態のことではないか。現実が豊富なのだ。
だから、こういう状態を、混乱と感ずるとき、私はつまり、この豊富な場面を前にして尻込みしているだけなのだ。私が衰弱しているだけなのだ。一番いい方法は、この混乱の中へ真っ逆様、頭から飛び込んでしまうことなのだ。(略)
しかし、それにしても、私は生きねばならない。(何度も繰り返して表れるものがある。私の敵は、本当にこの私自身なのだ)

「その女アレックス」ピエール・ルメートル(春秋文庫)
○p99
ーあと何日で死ねるの?死ぬとき苦しいの?腐った死体で天国に行けるの?
○p261
人間の脳は悪い思いでを排除し、いい思い出だけを保つようにできていて、だから人は生きていけるのだと聞いたことがある。

「サリンジャー」生涯91年の真実 ケネス・スラウxrンスキー(晶文社)
○p180
ヘミングウェイじはヒュルゲトンのことを公然と非難したが、ほとんどの生存者は二度と口にしなかった。沈黙は究極の対応である。しかし、ヒュルゲトンの惨状と、サリンジャーが経験した苦しみを知っておくことは、のちの彼の作品の深い合意を理解するためにはぜひとも必要だ。

○p330
「彼の悲劇は、彼が人類の仲間になろうとしたら、そこに人類はいなかった」

○p344
フィクションの目的は現実の再創造だが、サリンジャーは本質的にはとらえどころのない精神的な悟りを伝えようと模索していた。

●p416
神がなぜ人間性のなかに対立を産みつけるのか理解できなかったが、それを、人間にははかいしれない神の企みの一環として受け入れるようになっていた。

●p448
精神的な財産への欲望と物質的な富の欲望はおなじだというる。

●p452
バガバッド・ギーター引用をして、
「汝は仕事をする権利を持っているが、それは仕事のために仕事を権利に限られる。仕事の結果に対する権利は持っていない。仕事の結果を求める気持ちを仕事の動機にしてはならぬ」

●p473
サリンジャーは、詩は精神性の表れだという。「倒錯の森」いらい抱いてきた信念をくりかえす。彼は「真の詩人は素材を選ばない。あきらかに素材が詩人を選ぶのだ」と語って、真の詩は神から受けたひらめきの成果だという定説をくりかえすのだ。

●p478
A・E・ホッチナーに、小説とは「拡大された経験」と教えたのはサリンジャーだった。

●p514
世間から孤立するのは自分の仕事に必要な代償だということが、彼にはわかっていた。



「あなたの若さを殺す敵」丸山建二(朝日選書)
○p127
肉体的な老化ろいうひと言であなたの人生を総括しないでください。いかに老いたものであっても自立の若さがきちんと保たれていれば、オーラと呼べるほどの何かを少なからず放っているはずです。

○p128
自室という安全な穴蔵に身を置きながら、パソコンという双眼鏡を通して下界をいくら眺めてみたところで、また、あなたの持論をどんなに展開したみたところで、それは恋愛小説のなかでしか恋愛できない者が恋愛について語っているようなことと同じで、結局は虚しい戯言にすぎず、時間の浪費以外の何物でもありません。あなたは、あなたは、あなたの目と耳を使って、いや、五感全体を使って自室の外に無限に広がっている活社会から生々しい本物の情報を得るべきなのです。

○p131
おのれの足に頼る移動を持続していれば、旅らしい旅をしなくても、自宅の近所を小一時間うろつくだけでも、外国旅行における何十倍、何百倍もの感動に包まれ、どんなにささやかな情報も生きた知識として体の隅々にしっかりと刻まれ、柔軟な思考力を養う貴重な栄養素となり、それがあなたを深い充実へと、生まれてきてよかった人生へと案内してくれることでしょう。

○p141-偉人について
他人の誰よりも自分自身の力を信じ、自分の努力によってその力を引き出すしかほかに道はない、と。

○p150
演説のような話し言葉を駆使するのではなく、書き言葉によって自立の若さと内なる反乱を煽る者です。当人が変わらなければ世の中も変わらず、世の中を変えるには個人の精神を変えるしかないと、そう固く信ずる者なのです。
「真の革命はまずは個人から。それがアフォリズム(格言)であり、スローガンでもあります。■格言とは、人間の生き方、真理、戒め、武術、相場、商売などの真髄について、簡潔に、言いやすく覚えやすい形にまとめた言葉や短い文章。わかりやすく言うと名言。 ことわざが、庶民の生活の知恵から出たものであるのに対し、格言は、昔の聖人・偉人・高僧などが言い残した言葉や、古典に由来するものを言うことが多い。 ウィキペディア

○p151
他者から与えられる名誉はおしなべて偽物であり、それを欲しがったりそれに手を出したりした段階で堕落が確定し、長年の努力と成果が汚泥にまみれてしまうのです。

○p165
あの世があるかどうかは死んでみればすぐにわかることなのですから。あればあったでそこでどうにか生き抜くこということを考えればよく、なければないで無となって消滅するだけのことです。

「遍路みち」津村節子(講談社)
p92
霊が存在するなら、詫びることも出来るが、死は無になることで、死者の顔がおだやかになるのは、死後硬直が解けるからだ、と書いている夫である。

p141
年をとって引っ越しすると病気になる、と言われる。

p176
愛する人を失った喪失感は、やがて年を重ねていくうちに埋められていく。よく日薬というのは、そのことだ。

「ダンテの遺言」谷川悠里(朝日新聞出版)
p133
「なあ。ほんとうに悪い奴らは、どんな顔をしていると思う。いかに強面っていう奴らじゃない。いつも慈愛に満ちてますって笑みを浮かべてやがる。心の底にはヘドロの詰まった毒壺が転がっているんだが、けろりとした顔で微笑みを振りまいて、その一方で、取り巻きの首根っこを捕まえてやがるんだ。俺の祖父が、そういう人間だった」

p218
この世界を含む万物は、やがて崩壊して、すべて原子に戻る。人間が然り、特別な存在などではない。人間も。昆虫も、草も、すべてが原子でできている。
自然界の万物に上下の位などない。
また、自然界の秩序や天体運動は、神の導きによって決まるものではない。人体は死ねばみな原子に解体されるだけだから、ほんとうは黄泉の国や地獄を恐れる必要などないのである。
そもそも肉体を離れた非物体的な霊魂なぞ、存在しない。

p222
「悪そのものであったり、権力を欲しがったりする人間は、とにかく威勢がいい。何にも左右されず、善悪を判断する直観力を持つことは神経と体力を消耗します。恒久的に悪い影響を及ぼすものを、見極める胆力など、彼らには必要ない。それを鍛える義務感もない。ただ、本能のままに、心の欲求のままに、力をよくし欲して動けばよい」

p223
「学生デモかな?なにしろ、こういうばかげた大騒ぎは、時間の有り余る若者がいないことには始まりませんからな。ほんとうに世を変える
ところでは、労働搾取の果てに、人々はものを考えることも億劫になっているわけだから。イタリア半島など、いくら詩人が嘆いてみせても、結局のところは数百年かけて混沌の極みに突き進み、ついに政治が良くなることなどなかったのですよ」

p255
「ゆくゆく、あなたたちは発見しうるものを、すべて発見し尽くすだろう。その時から、科学の発展は、人間性からの乖離を始める。そして、やがてあなたたち科学者が歓喜の声をあげるたび、世界は苦痛の呻きで応えるようになり、あなたたちと人間のあいだには底なしの溝が生まれることになるのだ」

「鳥葬の国ー秘境ヒマラヤ探検記ー」川喜田二郎(1960年5月)
チベット人の葬式には、4つの形式がある。火葬・鳥葬・水葬・土葬である。この中でもっとも奇妙なのが、死体を刻んで鳥に与える鳥葬である。
グラビアp1~p3はコピー
p206~p208はコピー

「サル学の現在」立花隆(1991年)平凡社

「何でまたサル学に興味がないのですか」と問い返す。私の理解するとこでは、およそ人間というのはものに興味を持つ知的人間であれば誰であれ、サル学に興味を持たないはずがないのである。
そもそもヒトとはいかなる存在であるのか。ヒトのヒトたる所以はどこにあるのか。ヒトと動物は本質的にどこで区別されるなのか。人間性とは何なのか。何が人間であり、何が人間的でないのか。何が動物的なのか。動物的と人間的を区別するものは何なのか。
人間はどこから来たのか。ヒトがサルから進化したというのはどういうことなのか。いつどこで、どのようにしてサルはヒトになったのか。ヒトになったサルと、ヒトになれなかったサルとのあいだにはいかなる違いがあったのか。
このような問いに答えようと思ったら、ヒトはサルに学ぶしかないのである。ヒトと動物とのあいだに一線を画されるものができるものとするなら、それはヒトと、ヒトの最近縁種であるさるとのあいだに画されるはずである。ということは、サルは何たるかを知ったときにはじめて、ヒトはヒトの何たるかを知ることができるということである。(p1~2)

「戦争が終わってみて、何で人間は、こんなバカげたことをするんだろうと思った。こんなことをする人間の人間性というものを、もう一度その大元まで立ち返って、探ってみようと思った。そのためには、サルまで立ち返って人間性の根源を調べてみにゃならんと思った」日本のサル学のパイオニアの一人である河合雅雄氏は、自分の研究の動機について語る。(p3)

「神なき死 ミッテラン最後の日々」フランツーオリヴィエ・ジズベール(春秋社)
○p5
荷物の中にはテープレコーダーが三個あった。そのうちの一個、もしくは二個が壊れても大丈夫なようにと、万全を期したのだ。これはジャーナリストに付き物の強迫観念である。インタビューを取るために山を越え、大洋を渡ったのに、オフィスに戻ってみたらテープには何も録音されていなかったという悲惨な経験をした人たちを私は知っている。
○p40
レオン・ブロアのこの言葉をささやきつづけていたからだ。「貧しき者の血、それは金である。何世紀にもわたって、人々は金のために生き、金のために死んでいる。金はすべての苦しみを端的に表す」


「人間は黒くもないし、白くもない。灰色だ」と、よく言っていた。

○p55
「ある年齢を過ぎると、人は死を受け入れるようになります。死が避けられないことを理解するからです」
「死は、生という夢から我々の目を覚ましてくれるようだね」

○p57
「こんなことを断言する友人がいました。『人間を見放す命がある。そして命を見放す人間がいる』と」
「そのふたつは多くの場合、同じことだ。我々が生を見限るのは、生の方が我々を見限っているからだ。呼吸したり、咀嚼したり、腕を動かしたりするだけでひどい痛みを感じるなら、生きる気を失せるよ。ある日、妻を癌で失った友人の一人が、自分も死のうと心に決めた。すると今度は彼が癌にかかり、数か月後にはおくさんのもとへ旅立った。しかし、彼は癌で死んだのではないね。悲しみのあまり生きる気力を失ったか
ら、死んだのだよ」

○p139
「私は魂の強さを信じるよ。それがなければ、人間はどうなるだろう?」
「しかし、肉体の死後、魂には命があるのでしょうか?」
「少なくても私には、その答えを出すことはできない。だが、肉体の死後も、魂は地の塩でありつづけるのだろう」
神を信じているかどうか教えて欲しいと言うと、彼はこう答えた。
「私自身、自分が神を信じているかどうかは、わからない。でも、神を信じたくなることはよくある」


○p148
「無名でありつづける傑作はたくさんある。それに加えて、むなしく傑作もある」
「あと40億年も経って太陽が消滅してしまえば、すべてのものに価値などなどなくなるでしょう」

○p170
彼女は鍋の水の中で未来を占った。そして大統領に足を見せるように言った。大統領は言われた通り、ズボンを持ち上げた。
 このとき彼女が言ったことは、通訳されなかった。アジェエはこう言ったのだ。
「何も見ることができない。この男にはもはや、過去もないし、未来もないし、何もない。もうすぐ死ぬだろう。何か月後という問題ではない。数週間後だ」た


「加賀乙彦自伝」
○p153
50メートルほど先に大きな岩があって、そこに目がけて落ちていく。
死ぬと思ったときに、まず頭に浮かんだのは、「ああ、人間の死というのは、こんなに簡単に訪れるものなんだな」と。第二に、死ぬと決まったときには案外怖くないものだと。
○p218
死刑囚というのは特殊な在り方のようですが、そうではなく、パスカルがいっているように「人間は生まれながらの死刑囚」なんです。つまり、ある日、人間は誰でも等しく神に呼び出されて死の宣告を受ける。私もパスカルのように考えました。死は神の命令によって行われるものであれば、死を乗り越えるためには神と対話しなくてはいけない、と。それで、キリスト教だけでなく、さまざまな宗教書を読み漁りました。たとえば、仏教の本を交互に読んでいきながら両側に積み上げていく。そこで点数をつけるわけです。たとえば「老い」に関して釈迦はきちんと語っているが、イエスはそれについて何もいっていない。その点、釈迦のほうに軍配が上がるー。
○p258
人間にとって確実な未来は死という出来事しかない。死以外のことは起こったり起こらなかったりしうるが、死のみは確実に起こるのだ。しかし、この絶対確実な死も、いつおこるかわからないという留保つきだ。死刑囚のように明日何時に殺されるという宣告は、常におこらない。(中略)自然の死に予告がない。神はー近木(拘置所の医官で精神科医)は神という言葉で漠然と宇宙の調和を思い浮かべたー人間に予告のない死しか与えなかった。ひとり人間のみが死刑宣告という殺人法を考案し、同胞に死を予告する。

「なつかしい時間」長田弘(岩波新書)

人が死んだら墓碑として、好きだった木を植えるようにしたら、とまで考える。石塔ではなく、木は成長するし、繁って行く。死んだ人に代わって生きていくのである。(大佛次郎「日附のある文章」創元社)p30

わたしたちにとって故郷と言えるのは、過ぎ去った時間のほかにないと言っていいのかもしれません。故郷というのは過ぎ去った時間の手ざわり、感触といったものではないか、と思われてなりません。p50

そんなふうに、故郷の村の墓地に眠る人びとの生涯に寄せる挽歌とともにはじまった。それが、近代のこの国の百年の時代だったのです。故郷というが、そこで生まれた土地でそこで育った風景でもなく、もはや自分たちの生きたそのときの時間のなかにしかないというのが、否応ないこの百年の時代だったのではないでしょうか。
そのときにそこで生きた時間、生きられた時間のほかには、もう故郷というものをもっていない。そのような二十世紀のわたしたちの来し方をふりかえって、わたしたちをささえてきた、そしていまもささえている「時間のなかの故郷」のもつ意味を、自分で自分に訊ねてみることが、自ら問いただし確かめることが、いま、あらためて深く求められている。その時間の重みを考えます。p51

「ぼくがいま、死ぬついて思うこと」椎名誠(新潮社)

ぼくがチベットの死生観でとくに興味をもったのは、死者の痕跡を一切なくしてしまうというシキタリだった。当人の写真はもちろん故人の書いた文字や持っていたもの、衣類などみんな人にあげたり捨ててしまう。 それは徹底していて,集合写真などは故人の顔だけハサミ切り抜いて無くしてしまう。そういうわけだからもちろん墓などないし、日本などでは当然である仏壇や位牌や豪華な写真立ての中の故人の笑顔の写真など何もない。死者は、遺体はもちろんその生きてきた痕跡のすべてをこの世から消失させてしまうのだ。p58

「人生は廻る輪のように」エリザベス・キューブラー・ロス(角川書店)

わたしは「生まれることと死ぬことはよく似ているのよ」といった。それぞれが新しい旅のはじまりなのだ。しかし、誕生と死では、死のほうがずっとたのしく、はるかに平和な経験であるようになった。この世にはナチス、エイズ、がんのうおうなものが多すぎる。
たとえ怒り狂っていた患者にも、いまわの際にはいかに静謐な、リラックスした瞬間がおとずれるものに、わたしは気づいていた。(略)かれらはわたしにはみえない人たちと生き生きとした会話を交わしていた。例外なく、どんな場合でも、死の直前には独自の静けさがおとずれていた。p219 


「もし人間が、あらゆる生き物を、よろこびとたのしみのために創造された、神からの贈り物ちしてみなし、それらを愛し、それらに敬意を払い、次の世代のためにそれらをたいせつに保護し、同じ配慮を自分自身にも払うようになれば―未来は恐れるものではなく、宝のようなものになるだろう」p345


とわの別れを告げようとしているこの世界にたいしてだけは不安を感じている。いまほど衰弱した時期はない。あまりにも無遠慮な搾取によって、地球は長いあいだ虐待されてきた。神の庭園のめぐみを人類が庭園を荒しつくしてきた。兵器、貪欲、唯物論、破壊行動。それらがいのちのを支配するルールになっている。恐ろしいことに、いのちの意味について瞑想する人たちによって世代をこえて受けつがれてきたマントラ(真言)は力
を失った。p373


まもなく地球がこの悪行を正す時期がくると、わたしは信じている。人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるだろう。わたしにはそれがみえる。わが亡霊たちからも、聖書に描かれているような規模の自然災害が起こると聞いている。それ以外に、人びとが目ざめる方法はないのか?自然をうやまうことを説き、霊性の必要性を説くためとはいえ、ほかに道はないのか?p373


その部屋でコーヒーと煙草を要求した患者はわたしだけだった。病院がほどこしてくれた配慮は、煙草をやめなければ入院を拒否するという医師をよこすことだった。「やめないわ!」わたしはねべもなくいった。医師は偉そうに腕を組み、正当性を誇示していた。その医師が脳卒中病棟の医長だとは知らなかった。医長だとしても事情は変わらなかった。「わたしの人生よ」そういってやった。p343


神が人間にあたえた最高の贈り物は自由選択だ。偶然はない。人生で起こることは肯定的な理由がある。峡谷を暴風からまもるために峡谷をおおってしまえば、自然が刻んだ美をみることはなくなる。p373


「すべてが完璧だったら、成長なんかできっこない。苦しみは、人が成長するために天があたえた贈り物であり、ちゃんと目的があるんだ」(火災で全部を失って)p362

「死に支度」瀬戸内寂聴(講談社)

ハンちゃんは顔色も変えずに納戸に連れていくと、二つの使い旧したトランクをひっぱりだして見せた。「庵主死装束」と張紙した白いトランクの中に、真っ白な下着から腰紐の類まで整然と入っていた。足袋もまっさららのが二足ある。
「どうして二足なの?」
「私ひとりの縁起かつぎです。もしかして、お棺の中でよみがえっらら、足袋をはきかえて帰ってきて下さい」
 私は笑おうとしたのに涙があふれてきて、その場にしゃがみこんでしまった。p35


認知症とか、舌を噛むような病名で今は呼んでいるが、私は聞き慣れないあの言葉が嫌いだ。日本語には古来、呆けというすっきりした言葉がある。千年前には、「ほうけ」という優しい言葉が使われていた。惚(ほう)ける、耄(ほう)けるということで、老人呆けのことは「老い呆ける」と呼んでいた。
認知症がすすみ、施設に入れたなどという言葉を聞くと、ぞっとする。人間に上命(じょうみょう)が知らされないのは音量寵恩寵(おんちょう)だろうか、劫罰(ごうばつ)だろうか。p115


尊厳ある死に方というのは、人間として最後の誇りの示しどころであるのだろうか。日本の仏教では魂は死後もあるものと信じ、今生の死は来生への旅立であると考える。p184


一年に三万人という自殺者が一向減らない日本の現状に対してマスコミから意見をあがめる需(もと)めたりする時は、人間は上命(じょうみょう)が尽きるまで自分を殺してはならないなどともっともらしく答えているが、私の心底を覗きこむまでもなく、老人で生きつづけることに喜びと情熱がなくなれば、自殺してもいいように常に思っている。僧侶の立場では絶対口にできない考えだが、小説家としての私の心の底には自殺した作家たちの誰彼をとがめたりけなしたりする気持ちは毛頭ない。むしろその人たちになつかしさを感じている。p234


近頃よく、老人の孤独死が取り上げられ、社会問題として論議されているが、誰にも気づかれずいつとも知れない定命を無視してひっそりと死んで行った人が気の毒だとばかりに評されないと思う。もう飽きていたのかもしれない。死ぬ瞬間は肉体的苦痛もあったかも知れないが、これで死ねると思った時、ほっとしていたのかもしれないという想像も可能なのだ。孤独死しても、家族に取り囲まれて惜しまれて死んでも、死という事態は同質であって、死に上下の点数はつけられない。p234

「生と死の心模様」大原健士郎(岩波新書

日本は、世界でもずば抜けて自殺が多く、「自殺王国」と呼ぶ学者もいあた。自殺は社会の赤信号である。一つ自殺が発生すると、その周辺には10人の自殺未遂者がいるといわれている。その周りには、100人も1000人も悩む人たちがい

るはずである。自殺は突発的に起こるものではない。その背景には必ずうつ病や神経症などの心の病気が存在する。自殺が多い時期には、心の病気になっている人が多いのである。また、自殺は他の病理現象とも密接に関係している。自殺が多い場所や時代には、非行、犯罪、家出、浮浪なども多い。p8


慢性自殺には、アルコール依存症び他に、ヘビースモーカー、過度のギャンブラー、ある種の心身症などもはいる。これらはすべて自己破壊行動であり、同じ一つの器の中で考えてみる必要がある。p70


アルコール依存症で自殺をした人の過去を調べてみると、過去に致命的な事故を起こしている人が非常に多い。つまり、酩酊時の彼らは、「矢でも鉄砲でも持ってこい。当たるなら当ってみよ」といった自暴自棄的な気持ちで道路に飛び出していったり、車を運転したりする。p71

「それからの納棺夫日記」青木新門(法蔵館)

「あなたはインドへ行かれたでしょう。インドは11億とも12億ともいわれる人口があって、年間800万人ほどの死者がいます。そんな巨大なインドで、10人か20人か知らないですけど、行き倒れの人を抱きかかえて、死を待つ家に運び、体をきれいにして、自分の腕の中でからだを抱えて死に往く人を看取ることをなさったのがマザーテレサという人です。その行為はインド全体からみれば、人が気づかないほどの一隅を照らす行為だと思います。しかしそんな小さな光にノーベル平和賞が与えられるのです。そういう意味で申し上げました」と言って電話を切った。P4

「問う力」長田弘対談集
瀬戸内寂聴
○でもコミュニケーションというのは、結局愛ですから。だから、相手に対する愛があれば通じると思うのです。今はそれがないのです。人と人の間に通い愛が薄くなっているから、なかなかコミュニケーションができないのですね。P306

 
 
■■インドメモ ■■

■ 見田崇介(朝日新聞 2016126日夕刊)

インドの旅は、全身の血が入れ替わるような経験でした。赤裸々な欲望と、とんでもない理想主義と透徹した宇宙感覚とが渦巻いている、原色の人間たちの世界。人間が生態系の一環として動物や植物たちと平等に、沸き立つような陽射しの中で生まれて死んでゆく。これでいいのだ。と思った。欧米や日本の内部にいては見えない、近代の虚無からの出口が見えたと思いました。

 「インドで考えたこと(堀田善衛)岩波新書 (1956年の晩秋から57年の年初めにかけて、第1回アジア作家会議に出席)

「われわれは貧しい。しかし50年後にはー」。p53

■ 「第3の道ーインドと日本とエントロピー 」

インドを「貧困」という状態で均衡を保ちつづけるシステムーつまり、一部の人に援助を与えたり、または自発的衝動が起こったりして、経済状態が部分的に向上しても、システム自体がもつ「現状復帰性」によって、たちまち、またもとの「貧困」状態に戻り、この状態で「平衡状態」をつづける、というのである。p43


ベナレスはガンジス川に沿った「聖地」として有名で、インドのヒンズーが、一生のうち、ここに来て、ガンジス川の水で身を浄めることによって「天国に行ける」と信じている信仰である。


「ベナレスに行くと、人生観とか世界観が変わるそうですね」


満水期になると、ガードの大部分は水没し、水位が下がったときは、ガートの下のその階段が姿をあらわす。


まっ暗いうちに川岸について、東の地平線から昇ってくる「日の出」を見る。


宿泊施設
宗教施設
生との決別の施設
マーケットとしている露天商、物売り、ガイド
p67~p73

「文明の逆説」立花隆(講談社文庫)


いかなる人間もヒトよいう生物の一種族のメンバーであることから逃れらないし、生まれ落ちたときにすでに与えられている遺伝子から逃れることもできない。またもの心ついたときにはすでにそれまでの家庭環境、社会環境などから与えられたものによる精神形成上の刻印づけから逃れられないようになっている。
人が生きていくためには、あらかじめの種の歴史、血筋の歴史、それまでの我身の歴史を与件として受け入れておかねばならない。人が自由を持ち、自分の未来を選択できるということはそれなりに正しいが、しかし、それは無条件なものではない。

■「インド放浪」藤原新也(朝日新書)

*ガンジスと支流の一つ、カルカッタとハウラという混乱きわまりない町にはさまれて流れるフグリー河というのがある。

*肩に食い込んだ鞍をキーコ、キーコといわせて、牛車がノロノロと歩いており、それと同じくらいの速さで、鉄くずを満載した車を、5人の裸の男が引っ張ったり押したりしながら、牛車と先を競いあっている。

*橋の左右を貫いている歩道の端には、露店の野菜屋や揚げ物屋、オモチャ屋、占い師、風船屋等々、だいたい人が持って移動できるぐらいの商いなら、何でも店を開いており、また、そこは歩道であるから、車道で通行すると都合の悪いようなものは何でも行き来している。p6

*恐るべきものが現れたー恐るべきものというより、ぼくにはそれが、何か不思議ですらあった。つまり、その流れてきたものとは、女であった。いったい、これが不思議でなくて何であろう。p9

*やがて、その一つの生きたものと、一つの死んだものとは、ぼくの視力の中で区別のいかぬものとなっていた。p11

*回るということは、中心を作ることであり、また逆に、中心から逃れることでもある。そしてこの二つは矛盾しない。そしてそのどちらもが、人がこの地上に生活する上において正しい運動のように思えた。ぼくはこの「回る」という、人間のその生存の中で逃れがたい運動形式を、ふたたびこのガンジスの縁(ふち)において見ていた。p19

*不思議なことに、インドでは変死人(病気、交通事故による死など)と幼児は、焼かずに河に流す。”変死人と幼児は、己の生命を全うしなかった。だから、回生の機会を与えられないのだ”
そういえば、火葬者の遺族は、死者に対してあまり嘆かない。焼かれず河に流されるものの遺族が、しばしば狂ったように泣くのをぼくは見た。p25

*人間一個のたかの知れた力で肩肘張って歩くより、すべての矛盾に順応することのできる、哀れな体こそがこの土地では要求されるのだろう。

*思うにーかつてカルカッタで出会った不可解な出っ張りは、それは多分に人間単位の出っ張りだったが、ー

*混乱の街カルカッタのフグリー河にかかる巨大な鉄橋、そして、その橋の下もまた、行き場と食うに困った人々の悪臭渦巻くーだが彼らにとって、雨露だけはしのげる最適の場所だった。P74


*火葬の時、人間の体の大部分は水分であり、それは水蒸気となって中空に舞い上がる。そして、それは雨の一部となって、誰かの肩に降りかかるかも知れない。
それから、何パーセントかある脂肪分は、土にしたり落ちる。そしてまた、何パーセントかある骨も、炭素になって土の上に散らばる。
それはガンジスの水に押し流されて少し下流まで行って、多少はその辺の土地に栄養分与えるかも知れない。
(p21)

*焼ける時のにおいの強弱というものは、焼かれる人の人格によって異なってくるのだろうか。


*火葬ー死体を焼いて葬ること。荼毘(だび)。もと、インドに起こり、中国を経て日本に伝わった。
p22

*ガンジスには、およそこの世にあるもの何でもかんでも、ピンからキリまで流れている。(どざえもん)
p30

*ガンジスはーたとえば2001年になって、どこかの国で白いカラスが真っ黒な人間の子を落とすようになっても、やっぱりそれは流れている。p31

*ぼくはこの宗教(生活)に聖書という副次的な認識のなかったことを理解できた。

*かつてコルカタで出会った不可解な出っ張りは、それは多分に人間単位の出っ張りだったが、ぼくはブシュカールでの一件によって、あの不可解な人間の営みというものを、驚くほどすみやかに消化してしまう胃壁を持ちえたように思う。
冬の1月、夜の白みかけた頃、ぼくはここで死産を見た。(略)ほうり投げられる時、この二人の知人も何か叫んだ。
父は我が子の行方を追うでもなく、ひとたび河に赤子を預けると、まったく奇妙なことに、人間がガラッと変わってしまったのだ。p78

*恐れずに言うと、地平線を見ること、これはヒンズー教だ。傍らにころがって石や岩などを持ち上げてみること、これもヒンズー教だ。月の軌跡を、その消え入るまで目で迫ってるみることもヒンドウ教だ。(略)
つまり、我々ぼ中に失われつつあるもの、そのどれをとってもヒンズー教だ。p82~83

*もし君が本当に神を見たけりゃ、どこにだって神はいるさ。君の目の中にもいるし、君が目によって見る全部のものの中にいる。p85

「河童が覗いたインド」妹尾河童 
*ベナレスで。聖なる河のガンジス川は「ヒンドゥー教徒の最も崇めるシヴァ神の髪からしたたり落ち、座った足もとからの流れ出ているからだ」
*「死ぬまでに一度はベナレスに行きたい」「とか「死ぬならベナレスで死にたい」というヒンドゥー教徒は願っているのだから、「ベナレス」の持つ意味はとてもなく重い。ここは、文句なしの聖地なのである。p18

*べナレスは、とほうもなく長大な河である。ヒマラヤ山脈の標高7000メートル以上のガンガトリとかいう氷河から源を発し、北部インドを曲がりくねながら、ベンガル湾にそそぐまでの2510キロメートルにおよぶという。数字ではピンとこなかったが、地図で、その直線距離を日本にあてはめてみると、なんと北海道の北端の稚内から、九州を通り越して、沖縄の那覇に至る距離に相当する。

*ベナレスが総てのインド人の聖地というわけではない。83パーセントがヒンドゥー教徒だが、イスラムや他の宗教の人々には関係ないし沐浴もしない。p19

*町の中は、ただでさえ人間が多いのに、その間を縫って動物が生活している。数もさることながら種類もやたらに多い。その生態も、人間と共存しているというのか、勝手に生きているという感じなのである。p28


*「インドは決して貧しい国ではない。しかし貧しい人々が多い国だ」という表現があるが、たしかにそうだと思う。p54

*なんとも気持ちになった。いつになれば人々はこのアンバランスに疑問を持つようになるのだろう?。他の国の旅人がとやかくいってもはじまらないかもしれない。しかしーと思う。

*インドでいちばんよく聞いた言葉は、「ノー・プロブレム」(問題はない)(大丈夫だよ)(心配ない)であった。p72

*「火」は重要な意味を持つが、「火」だけではなく「空気」「大地」「水」も汚してはいけないそうだ。だから「火葬」「土葬」「水葬」をしない。大地を汚さないために、地面より高く作られた石の床の上に、死者を横たえる。鳥に死体を与えるのは、人生で最後の功徳である。「鳥葬」は奇異と誤解されがちだが、あらゆる環境汚染を防ぐもっとも「衛生的で合理的な葬法」だということだ。p98

*パースィー同士の団結が強いわけだし、金も貯まわけだと思いかけたら「いや私腹のための蓄財ではない。人間の一生の完結は”鳥葬”が、それを象徴している”個人の蓄財は葬儀に集まった親類縁者によって、教育機関、研究事業など、社会に出来るだけ多く還元するように合議の上配分される。そんな財団が1000以上ある」という。そういえば、彼らは大寺院などを建造しない。p110

*車にもカースト制度があるらいしい。駄目だという理由をどう答えるか?悪戯心を出して聞いてみたら、「タイヤが4つある車でないとダメなんです。オートリキシャは残念なことにタイヤが一つ足りません」
オートリキシャの運転手たちも差別の不当性を訴えるでもなく、当然のこととして受け入れている。p136

*水面近くから眺めるとガンジスの河幅がさらに広く見えた。対岸の地平線に光芒が輝き、太陽が昇る。ガンジスの流れに入って、河の水ををおしいただき、それを頭にかける人、頭まで潜る人、口をすすぎ耳の穴まで清める人。みんな真剣に昇る太陽に向かって祈っている。女性はサリーに身を包んだまま、男は裸に近い姿である(略)みんな熱心なのは「沐浴」もこのベナレスで行うと、現生での罪の汚れが洗い流され、来生ではいまよりも安楽な世界に迎えられると、堅く信じられているからだ。(略)教義の「業」と「輪廻」は、「現世が人生の総てではなく前世・現世・来生とつながったごく一部にすぎない。現在の自分の姿は前生の業であり、来生での自分が決まるのは、今の生き方によるという。だから、貧困や苦痛も「来生願望」にすりかえられる。「沐浴」の祈りは来生へのパスポートなのだ。死期が近づいたことを知った人が、ベナレスで死にたがるのは、ここが来生にもっとも近いからだ。火葬された遺骨はベナレスのガンジスに撒かれることが最大の望みだという。

*人の流れの渦が、あちこちで変化する。何人もか塊まって寝ている所を跨げないから、歩く方向を変えて迂回せざるをえない。跨いだり回ったり、とにかく真っ直ぐに進めない。歩く方も大変だが、寝てる方も踏みつけらそうになりながら、こんなところによくも―(略)彼らは捨てられたボロ布の塊りのように動かない。p64

*たとえ、小さな節穴から垣間見た程度であったとしても―
「これこそインドだ!」と思うほど、強く印象に残ったのは、どの人もみんな「お互いの間に違いがあるのは当然だ」と、ごく自然に思っているらしいことでした。p276

*どれが本当なのか、と戸惑ったりします。でも、それぞれが、間違った答えというものではなく、みんな個々に真実なのです。答えの差は、それぞれの人が生活している環境や地域、宗教観によって違っているわけです。p277

*ただ、「答えは一つではない」と考えているインドの人たちが選択する道は、地球の将来を占うものとして、多くの示唆をふくんでいるような気がします。なぜなら、インドが抱えているさまざまな問題は、地球全体が抱えている問題と同質ですからです。p278

*「機械化されて仕事が
くできるようになると仕事が亡くなる人が沢山でてくる。みんな働いて暮らしている今の方がいいのではなだろうか?機械化しても、稲の成長するスピードはかわらないのだから」

*次に迎える世紀にも、ひょっとするとあまり大きな変革や修正を迫られず、生き延びられる可能性がある。p182

■ 「インド夢幻」瀬戸内晴美
*雑然と活気にみちていた町のどの通りも、まだ森閑と眠っている。ガートに近づくにつれ、人々がどこからともなく湧くようにあらわれてきて、たちまち道路は力車と自動車と人々の群で埋まってしまう。p119

*まだ暗い中をカンテラの灯りや、蝋燭の灯がゆれるのを頼りに、バスを降りた。

*まだ明け切らぬまだ夜が明けきらぬ薄明の中の影絵のような人の動きのせいだろうか。

*迷路のようなせまい石だたみの細い道をいくつも曲がったように思うが覚えていない。突然、石の階段の上に立ち、誰かの声で目をあげると、目の下に悠々とガンジス河の水面が広がっている。さっきよりやや明るくなった薄明の中に、すでに川岸を埋めつくしたおびただしい人影を見ることが出来る。河は豊かな水量をたたえて、満々とあふれんばかりだが、日本の雨後の水田のような赤い濁流である。聖水という印象にはほど遠い。―それはなんという濁りにみちた底知れぬ厚さをかかえた不気味な河であろうか。対岸ははるかに遠い。(p122~126はコピーをとる)

*私は今バスにゆられている。この道を自分の足で一歩一歩あるいていくのと、バスで走り去るのとは違う。歩けば、人類が忘れた昔のことばを、道がもっと思いださせてくれ、過去の祖先たちのあの世からの囁きが聞こえてくるかもしれない。p133

*私は沙羅双樹の苗木の根にとりつく赤い土を掌で握りつぶしてみる。粘り気のないさらさらした感触で土は指の間から落ち、掌をひろげると、私の掌のしわの一本一本にしみつき、葉脈のように拡がり、未知のはのように見えてくる。考えてみれば自分の掌の筋一本だって、人間は自分の自由にすることは出来ないのだ。指紋が何億の人がいても決して同じないという不思議も、とりたてて考えてみればずいぶん不気味なことだと思う。p133


*一遍上人が、「人が死ぬ前にきずい奇瑞(きずい)などおこらない」といった言葉が思い出さられてくる。
人間として生き、苦悩し、病にかかり、老い衰えて普通の人と同じ死を、奇蹟も奇瑞も伴わず死んでいったからこそ、釈尊は尊く私にはなつかしいのである。p136

■ 「インド文明とIT産業」大場裕之(麗澤大学国際学部教授)財団法人 統計研究会(2007年1月
*「幸せとは何か」という問いでした。経済発展しても幸福を手にしたわけではない印象をうけます。p53

*ソロモン王だったわけです。すべて欲しいものは全部手にした。そのようなこの世のすべての富を手にした人物が晩年に出した結論とは、「空の空。すべては空(むなしい)(「旧約聖書」伝道書1章2節)だと。だから、そこを考えると、ある民族だけでなくて、人間に共通した問題なのではないかということを思うんです。無については民族レベルではないと思うんです。p54

*やはり、人間の知性を神にしてしまう傲慢さから来ているかもしれないわけです。つまり、もともと我々というのはどこからどこへ行くのかという非常に難しい問題だと思うんですけれども、やっぱり本来あるべき存在(真理)から背を向けて歩き出したのではないかと思うんです。“0”から脱出したものの〝1“に向かう歩みそのものを問い直す必要があるかもしれない。p54

*インドのDNAは過酷な風土環境の中で形成されたもので、そこで培われているのがインド的サバイバル感性ではないかと考えています。したがって、経済的に豊かになったからといって低下するものではないと思います。

*「頭の中にこれがぱっと出るんですよ、書かなくても出るんです」。口で覚えるのではなく目で覚える。

*カースト差別は憲法で禁止されていますが、カースト意識は現在でもインド人の心の中に根強く残っています。また、年金なんかあるわけがないですよね。

*国家として最低限、外交だとか国防だとか、そういうものは文化としてきっちりしているけれども、それ以外はもう個人に任せっ切りというか。国が豊かになってもそれは任せっきりというわけですね。(田村)

*そうです。だから、自分たちで貯蓄するんです。これは中国にもあるかもしれませんが、インドというのは日本と同じくらい非常に家計の貯蓄率が高いんです。何があるかわからないから、自分たちで貯蓄して自分で守るみたいな感覚が強いです。それからあとカネに対する不信感が今でも根強いので、宝石類とかゴールドとかを持っているんです。ですから、あまり国に頼らないですね。 

*インド人は3年でも、3カ月と同じような感覚なんですね。気長なんですよ。
私が出会ったインド人の中で信用できるのはさほど多くありません。しかし、信用できる人は本当にすごいでんです。日本の比ではない。
*それから家族づき合いになるといいんですよ。家族づき合いになるかならないかが基準です。p56


■「心は孤独な数学者」藤原正彦 1997年7月
*空中分解しそうなきしみ音には閉口したが、バッテリー倹約のためライトをつけず、ガソリン節約のため信号のたびにエンジンを切るのにはあきれた。片道三車線ほどの広さだが、乗用車のほかにトラック、バス、自転車、リキシャ、オートリキシャ、さらに牛車、牛までいて、実質は二車線あるかないかなのである。交通規則が徹底しておらず、自転車、人間、牛などがひっきりなしに斜め横断をする。タクシーはクラクションを鳴らし続けて走る。時には急ブレーキもある。道路脇には掘立小屋が並び、空き地や歩道にも人や牛が寝ている。夜中の一時過ぎだというのに人影が絶えない。p93

*「応仁の乱の頃の日本がきっとこんなだったろう」「この国は人間の原点を覗くことができるという、ふしぎな魅力がありそうだ」「いずれにせよ時計を5時間半戻したのは間違いだった。五世紀半戻さねばならなかった」p94
(p98~99、p104~105、p110~111、141、p152~153、p172~173、p181~182、コピースミ)

■「インド特急便」ダニエル・ラク著(光文社)2009年5月

*「水中で口を開けたら死んでしまうかもしれません。だから唇をぎゅっと結んで、鼻をつまんで、このいわゆる聖なる水が一滴たりとも口に入らないようにしているんです。呑み込んだら死んでしまいかねないんですから。少なくても、病気になることは確かです」p321

*「それなのに私たちはガンジス川にどんなことをしているのでしょうか?下水を垂れ流しにし、わが聖なる川を便所にしている。製糖所、醸造所、化学工場も、政治的なコネクションさえあれば、例外なく廃液をこの川に注ぐことができる。私たちは死体を投げ入れ、小便をし、唾を吐いて、毎日この川の水を汚しています。北インドに住む私たち、あまり多くの人間が、ガンジス川に対する敬意を失し、聖典を無視しています。それでいてこの毒のなかで沐浴をして、罪からお救いくださいと神に祈っているのです。それが今日のヒンドゥー教の姿です」p321

■インド特急便
○p128
危険なのはネズミどもの鋭い歯や病原菌ばかりではなかった。ほかのネズミキャッチャーたちに獲物を奪われそうになることもある。「連中は丸儲けですよ。こっちをそっと見張っていて、たくさん捕れたと思ったら飛びかかってくるんです。ネズミを奪って逃げていくか、手渡すまで殴りつけます。やられたら悲惨なものです」バランデさんもやられたことがあった。丸一晩かけて捕えた25匹のネズミを奪われてしまったのだ。だから、今は護身用の武器を携帯している。


■「インドの樹、ベンガルの大地」西岡直樹(講談社文庫)1998年

*カルカッタにはじめて下りたのは、夜だった。ムンと暖かい空気の中に牛糞の匂いがした。それは牧場などに行ったときに嗅ぐ、のどかな田舎の匂いだった。(略)巨大な人口と多様な民族を抱えたカルカッタ。想像するにも能力の範囲をを越えた混沌の大都会。花や香の刺激的な匂いやきらびやかな音、鮮やかな原色の織り成す未知の世界との対面に身構えていた私は、予期もしなかったその鄙びた匂いによって、それまでの緊張から瞬時に解放された。そして、ここなら肩肘張らずに地でやっていけるという予感があった。(略)カルカッタの目抜き通りのチョウリロンギーやボロバサルの問屋街の人込みを歩いていても、ごったがえしてはいるが、人の心を押しつぶすような都会の重苦しさや倦怠感がない。p148


*夕暮れの町の雑貨屋の軒先に吊るされたプラスチックのマグや食器が、たった今灯された光をあびて赤や青の光を放っている。小さな露店に並んで掛けられたチェックの薄いガムチャ(体拭き用の布)がやけに美しく見える。そうした小さな日用品を見てまわる人たちのみな幸福そうである。自転車や人、牛車などが行き交うボルプルの町の通りをリキシャに乗って進むうちに―。p25

*カルカッタ寺の和尚さん(ダルマパーラ・マハーテーラ)は、「現代インドの仏教」という論文のなかでこう書いている。(p210~p212コピー)


そこで、石畳にぺたんと座りこんで笑みについて記憶の糸をひっぱり出してみる。あれは確かコルカタ市内の路上で見た少女の表情と似ていることに気がついた。彼女はヒンズー教徒だろうか、それとも隠れた仏教徒だろうか―。(旅の最後の方に弥勒菩薩の微笑み+コルカタ市内で見た夢見る少女の話を盛り込む)

■インドの樹、ベンガルの大地(西岡直樹)
ヒンドゥー教の隆盛とともにしだいに衰退をはじめた仏教は、その後も数世紀にわたり、周囲の状況を取り入れながらもインドの地に残存していた。インドの仏教が破局に直面したのは12世紀の終わりに、バクティヤール・キリジ(アフガンのゴール朝の王ムハンマド・ゴーリーの武将)の襲撃を受けたことであった。当時ビハールからベンガルを治めていた最後の仏教徒の王は、その襲撃に抗することができず負けてしまう。このとき、聖地ナーランダの大僧院をふくめ、多くの寺院が破壊され、僧が殺された。舵取りをなくした小舟のように、行く先を見失った仏教徒たちは命からがらあちこちに逃げ、また多くが改宗を余儀なくされた。

■「年をとって、初めてわかること」立川昭二(新潮社)
○p81
「天人五衰」の読み方はいろいろあるであろう。ただ三島が最後の作品として書いた長編の最後に、これほどことばを尽くして老いの浄化を書きつづったということは、なぜだろうか。老いには衰亡の相とともに浄化の相もあることを彼は希求していたのではないか、という読み方は思い込みだろうか。

○p89
「その日その日の老い」(全集18巻)幸田文
軽い。身軽、気軽。軽いということは、少ないということ。身上も軽けりゃ身も軽いという。財産のない、みえも体裁もいらないささやかな生活なら、心を縛られることなく好きに振る舞えて、軽快である。

○p101
長男の嫁とタンポンの話をしたことを思い出して、独りつぶやく(田辺聖子「姥見合」)

何しろ、タンポンもナプキンも不要の身になってよかったよかった。若い女の子らは、ああいうものを使いつつも、現在の若さをこよないものと思い、青春を謳歌しているのであろうけれど、ほんまいうたら、ええのは、それより50年後、みんなアガッたそのあとや。がらんどうになったあとが青春や。

○p224
「銀の匙」中勘助 自伝小説。大正2年

人の死をいうとき、今でもいちばんよく使われるのは「息を引きとる」ということばであろう。これは古典的死の三微候のの中の呼吸停止をいうことばであることはいうまでもないが、もともとは息を「手もとに引き受ける」という意味と、息を「もとに戻す」という意味からことばである。つまり息は残された者が息を引き受け、また前の世に戻すということである。ここには生と死は断絶ではなく連環しているという古くからの日本人のメンタリティ(心性)が生きている。「むすこ」「むすめ」を「息子」「息女」と書くのは、親の息を引き継いだ者という意味なのである。

■「タゴール」我妻和男
○p128
コルカタの新興上流階級のタゴール家の教育は、英国風の家庭教師教育と英語学校教育を平行して行うものであった。
ー暁に起こされて、バンジャープのレスラーにインド・レスリングを習い、次に骸骨の標本を見ながら医学部の学生について骨格の勉強をし、朝7時には数学の先生に数学を習い、時々11自然科学の実験を勉強し、次に、サンスクリット語とベンガル語の勉強をする。9時半に軽く朝食を済ませ、10時に学校につく。学校で数時間勉強した後、午後4時半に学校から帰宅。体操の家庭教師、次に絵画の家庭教師が教えに訪れ、夕食語は英語の先生に英語を習い、ようやく夜10時に床に就く。次の朝暗いうちに起こされ、またこの日課を繰り返す。

○p208
日本人は喧嘩をしないというのは本当であるが、必要な時生命のやりとりをするのに躊躇しない。物を使用する際にかれらは自制を保が、それぞれの物に対するかれらの支配力は少なくない。あらゆる事に関して、かれらは力を持っていると同時に巧みな器用さと美意識ももっている。このことに関して、私がかれらを賞賛した時、かれらの多くの人から聞いたことはー私はここで仏教の恩恵を受けています。即ち仏教には一方で自制があり、他方では慈悲があります。その中にまさに調和への道があります。その中でわれわれは、節制された行為によって計りしれない力を得ます。仏教は中道の宗教です。」

○p216
「絵は今まで描いたことがなかったし、描こうとは夢にも思わなかった・・・生という本のすべての章が終わりになってきたこの時に、今までになかったような手立てで、私の生命神が、この本の付録を書くように、素材を提供してくださったのだよ」


■インド特急便
○p128
危険なのはネズミどもの鋭い歯や病原菌ばかりではなかった。ほかのネズミキャッチャーたちに獲物を奪われそうになることもある。「連中は丸儲けですよ。こっちをそっと見張っていて、たくさん捕れたと思ったら飛びかかってくるんです。ネズミを奪って逃げていくか、手渡すまで殴りつけます。やられたら悲惨なものです」バランデさんもやられたことがあった。丸一晩かけて捕えた25匹のネズミを奪われてしまったのだ。だから、今は護身用の武器を携帯している。


○p111
タゴール15人兄弟のうち、6人が女性である。

父が44歳、20歳も年の長兄、次兄には、幼児には直接面倒を見てもらえず、15人グループの日常生活は、召使たちにまかせられていた。「下僕支配」である。召使が庭に境界線を書いてそれから出ることを禁止した。その圧迫から自由になることが、少年の夢であった。教育は、三兄のヘメンドロナトに任せられた。

7歳の時、ベンガル語で教える普通のオリエンタル・スクールに入るが、同じく7歳の時英語で教える英国式のノーマル・スクールに転入する。

●「インドの大地で」五島昭(中公新書)

冷房のない、おんぼろタクシーの窓をあけると、拭きつける熱風に体はたちまちじっとりと汗ばんでくる。時折、鼻をつくゴミと汚水と牛糞の入り混じった強烈な異臭。じっと目をこらすと、道の両側に、屍のようにるいるいと横田たわるおびただしい人の群れがヘッドライトに浮かんでは消える。小さな屋台の屋根にうずくまる幼児、歩道からはみ出て車道に横たわる老人たち、ボロボロのサリーの胸をはだけて、赤ん坊に乳をふくませている若い母親。周辺部を含めると人口900万を超すインド最大の都市カルカッタ。市の北東部約10キロメートルのダムダム空港から市内に向かう道中の光景は、何度見ても圧倒される。p6

○「ドビー」(洗濯夫)
ドビーの洗濯風景は、バーナーラスのガンジス川、南部タミナールドゥ州のマドゥライのブァィハイ川、カルカッタのフグリー河畔、その他到るところで見かけるが、なかでもボンベイ市内の巨大な市営洗濯場は壮観である。「インド門」から南へ下ったコラーバ地区にあるこの洗濯場では、ドビー百数十人が、風呂桶ほどもある大きな木の衣類を洗っては、石にバシン、バシンと叩きつけていた。p24


ドビー・カーストの社会的地位は低い。その理由について、日本のインド専門家は次のように説明する。
「インドの社会で明白に穢れと結びつけられているもの例としては、『血』と『死』が挙げられる。―生理期間中の女性はたいへんに穢れており、普通は家族の食事を作ることもできないし、寝る時に部屋まで別にしなければならない。―そのように女性の生理が穢れていることになると、洗濯人のカーストは、女性の穢れた衣類に触れることによって起こる汚染の下におかれることになり―、したがって洗濯人それ自身が穢れた存在となり―、したがって洗濯人それ自身が穢れた存在ということになってしまう」(幸島昇・奈良泰明著「生活の世界歴史」第5巻「インドの顔」河出書房新社)p25


車夫の数は十数万。彼らは農村からの出稼ぎが多く、その流れはインド亜大陸の貧富の格差をくっきり浮かび上がれせている。インドで最も豊かな穀倉地帯、パンシャブ州の車曳きの多くは、貧しいウッタルランデシュ州の出身者であり、カルカッタのそれはインドの最貧困地域であるビハール州からの出稼ぎが圧倒的に多い。p38