family 家 族


 
最上川は、山形、福島、新潟の県境にある飯豊、吾妻山系に水源を発し、山形県の穀倉地帯である置賜、村山の各盆地を北上し、新庄市付近で流れを西に変え、新庄平野を経て酒田市において日本海に注いでいる。その流路延長224キロメートル、流域面積7043キロ平方メートルにおよび、山形県の8割を占め、社会、経済、文化の基礎をなしている。

 最上川の治水事業は、1917(大正6年)に着手されて以来、長年にわたり整備が行われてきたが、1963(昭和38)年に至り、水系一貫した計画検討がなされ、白川ダムをはじめとする上流部ダム群による洪水調節方式をとり入れた治水計画が決定された。

 白川ダムが築造された置賜白川は、最上川上流部の左支川で、山形県南部飯豊山系の種蒔山(標高1791メートル)に源を発し、置賜地方を貫流し長井市付近で本川に合流する。その流路延長は56キロメートル、流域面積は323キロ平方メートルの大支川である。
 
白川の流域は、飯豊山系の多雨豪雪地帯で、1967(昭和42)年8月の羽越豪雨にみられるように降雨は集中性が強く(連続降雨量約300ミリ)、夏季はしばしば大水害に見舞われ、冬期は豪雪による陸の孤島化を繰り返している。また、このように豊富な降水量を有するにもかかわらず、一方で相つぐ干ばつで水不足をきたし、本流域の開発に著しい障害となっていた。(白川ダム概要より)

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 この事業で白川ダムが建造され、山形県東置賜郡飯豊町の大上、小坂、須郷、数馬、上原の5集落139世帯が移転を予議なくされた。移転から10年後の1981(昭和56)年より1年間、移転先の47世帯の家族を訪問して写真を撮った。故郷とは、家族の絆とは…。

 置賜地方出身者として、故郷を再確認する意味合いもあったが、発表する機会もなく今日まで眠り続けた。今、核家族化によって家族のありかたが問われている。もう一度、28年前の家族を見直してみるのも大切ではないかと公開することにした。合わせて、その時の撮影メモも付記しておく。 (2009年1月)
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