情 景                                                                                              bP
 まえがき

 自分の死を意識するようになったのは還暦を過ぎてからだった。死ぬことを考えるのは、生きることを考えることと同義語であるということでもあることを知り、これは決してマイナスのイメージではない。もっと明るく死を考えるべきだ。そんな時、生とは何なのだ。そして、その源なる生の原点はどこにあるのだという疑問が浮かんできた。そうだ、原点は15年間暮らした黒川村にすべてがこめられているのではないか。出発はそこから始まった。
 65年前の記憶をどれだけ思い出すことができるのかー。
 山形の寒村に生まれたのは65年前。それから15年間過ごした。そして東京へ出て20年過ごした。疲れた身体にムチ打つようにして茨城に流れ着き30年が過ぎた。生まれ育った山形には法事や同窓会に帰るぐらいで年に数回だったが、ぼくは必ず15年間住んでいた場所に立ち寄っていた。ぼくが暮らした家は跡形もなく消え田んぼになっている。しかし、ぼくの脳裏には田んぼからはっきりと見えるのだ。ここで生きていた自分がー。


キシャカイケンニヨレバ

 どんよりとした空の雲はあくまでも低くたれこめ、一年中、土塊におじぎをしながら働く農民のように、どこまでも忍耐と我慢という二文字を背負いながら生きていかなければならないのだ。
 曇天の米沢盆地にへばりつくように点在している村々の茅葺屋根にしんしんと雪が降っていた。屋根だけではなく村全体を白いベールで包み隠すように雪は降り続けているのだが、どうもしたものか雪はぼくの家だけを狙いを定めているようにしか思えてならなかった。
 葺き替えもままならぬ痩せ細った萱の上に積もった雪の上に容赦なく雪は降り続け重さを増していた。その証拠に家中の襖の開け閉めが不自由になっていた。その軋みにじっと聞き耳をたてるようにして70歳を過ぎた祖母とぼくが住んでいた。音もなく降りつづける雪の息づかいを聞くように祖母とぼくは豆炭の入った炬燵に入り背中をまるめながら向かい合わせに座っていた。時おり大きく息をはくと白い息がさあーっと部屋に広がり消えていく。雪下ろしをしなければという祖母の思いはぼくに伝わり年少の痩せ細った肉体をうずかせるが、とても闘いに挑む勇気もなくだいいちに体力が降りやまない雪の方がまさっていた。「雪国はいやだ」と母が呟いていた声が耳朶に残るが、その母はいなかった。
 裸電球一つが炬燵の上から弱い光を放ち等ラジオが雑音まじりでニュースを流している。「キシャカイケンニヨレバ―」ぼくは首をかしげた。「汽車会見」という意味は何だろう。「汽車と汽車がぶつかってしまうのではないか―」どんなに考えても分からなかった。ぼくの家から歩いて1時間ほどのところに米坂線という在来線があり黒い鉄のかたまりの蒸気機関車が黒い煙をはきあえぎながら走っているのを何度も目にした。あの汽車どうしがぶつかる。それが毎日のようにラジオから流れてくる。年ごとに聴力の衰えた祖母の耳元で鼓膜が悲鳴をあげるような大声で何度も聞こうと思っていた。しかし、祖母は夕食後には狙いをさだめたように炬燵に首をたれこっくりこっくりと居眠りをする。眠っているのに起こすのも面倒と思っていつも聞き忘れるのだった。
 二人で生活するには広すぎるような二階建ての入母屋造りの家だった。夜の風が家中を走りまわりこの冷気を逃れるには布団にもぐりことしかなかった。祖母が入れてくれた豆たんのアンカを布団の中で足をもぞもぞと動かして探す。そして、ぼくは体をまるめるようにして「キシャカイケンニヨレバ―」を聞き終わると眠りについていた。祖母は何時ごろ炬燵から抜け出して布団に入るのかしらないが翌朝はいつもぼくより早く起き出していた。
 
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