ミャンマー旅行記(2019年) 
  2月14日(木)

空路、ミャンマーへ最大の都市ヤンゴンに直行便で向かう。飛行距離5300キロメートル。約7時間半。全日空は初めて乗る飛行機。日本人がスチュワーデスというのは有難い。サービスが行き届き細やかだ。しかし、機中で7時間半も缶詰にされるのには変わりない。苦痛というはんてんを着せられガマンのみ。

ヤンゴンに到着すると専用車でパークロイヤルホテルへ。ガイドは日本に5年間住んで言葉を覚えたというローズさん。範さんとは20年来の付き合いだという。日本語の読み書きはできないが会話には何の不自由もない。

ヤンゴンは近年、車が増え混雑して渋滞が激しくなった。空港からホテルに向かう時間はちょうど学校や会社の帰宅時間にぶつかり激しい渋滞。救急車がサイレンを鳴らして走っているがどの車も譲ろうとしない。ヤンゴンではこれが普通だという。ともかく、日本脱出に成功したのだ。
 
   2月15日(金)

パークロイヤルホテルで朝食後、専用バスで国内空港に向かい、空路、仏教遺跡の町、バガンへ。数千ともいわれるベンガラ色の仏跡を見る。これは一見に如かずというもの。雨の少ないバガンは樹木は乏しい。道路は砂利道で観光客で賑わう各仏跡を移動する時、砂ぼこりで視界が悪くなる。

昼寝をした後、世界最大の仏教遺跡群を参拝。バガン王朝を代表するアーナンダ寺院、ダマヤンジー寺院を参拝。いずれも大きさといい人出といいお土産の売り子といいそれぞれの位置で動き回り活気に満ちている。さらに36℃という暑さも加わり体が思うようにに動いてくれない。もう、海外旅行もこれが最後のような気がしてならない。見晴らし台の丘から仏跡群を見ながら夕陽を眺める。カメラの電池切れ。こういうものだ。

夕食はティリビサヤ・サンクチュアリの近くのレストラン。到着する下レストランは真っ暗。停電だそうだ。店員が素早くロウソクや非常用電灯で対応。メニューは西洋料理のフルコース。こんなに毎日豪華な食事で胃袋びっくり。まいったと言っているようだ。
 
  2月16日(土)

バスでミャンマー土着信仰の地、ボッパ山のウン・カラッ寺院へ。777段の急こう配の階段を上がった頂上に寺院はあった。今回の旅行でこの階段を上がるということは何ひとつ記載されていない。年寄りの多いツアーを脅かしてはいけないという配慮か。男性二人はバスで待機となる。人がようやくすれ違いできる急こう配をハアハアと息づかい荒く手すりをたぐり寄せるようにして上がる。去年のスリランカは1500段。それに比べればだが歳をとった分苦しい。

昼食はのウン・カラッ寺院が眺望できる体面の山の中腹にあるれレストラン。標高1000mほど。心地よい風が吹く。ここでも豪華な料理。だんだんと納豆とみそ汁が恋しくなる。ツアー参加者が梅干しをおすそ分けしてくれる。増々恋しくなる。

夕方、クルージングを楽しみ船上から夕日を眺める。霞ヶ浦で見る夕日と変わらない。太陽は静かに山影に隠れ空が鮮やかなオレンジ色に染まると徐々に空が暗くなる。

あやつり人形を見ながらの夕食。300人ほどの客席は満員。中国人の観光客が圧倒的に多い。中国は豊かな国になった。そして、人々に余裕ができたのだろう。とにかく、大声で喋りながらの食事のパワーに圧倒される。 
 
   2月17日(日)

朝2月8時45分ホテルを出発し、空路、ヘーホーへ。今回のツアーは国内線の移動が3回あることに今日、初めて知る。これで2回目だからもう1回だ。

インレー湖では、日本のサッパ舟の幅を少し狭くし長さは倍ぐらいある観光船に乗り水上生活者の暮らしぶりや片足漕ぎで舟を操りながら行う独自な漁法を見る。

夕食後、長野から参加しているS氏夫妻の部屋で酒をごちそうになる。範さんからは「会長さん、会長さん」と呼ばれている。会社の社員旅行で二班に分かれ全額会社も地でエジプトのピラミッドを見に行ったという。ただ驚くだけ。瑞恵先生のつくばでの展覧会を盛んに売り込む。世界旅行好きで仏の世界にも関心が強い。世の中、いろんな人がいるものだ。
 
   2月18日(月)

終日、3000近くの仏塔が立ち並ぶカック―遺跡(カック・パコダ)を見る。すごい数の仏塔がずらりと建ち並び圧倒される。信仰のすごさを実感する。

少数民族となり保護されているパオ族の村を訪れ暮らしぶりを見学。粗末な小屋に住み、粗末な身なりでも元気に生きている。世界中にはこういう暮らしに満足して毎日楽しく過ごしている人々はたくさんいるのだろう。ホテルに帰る途中、ミャンマーの乾いた原風景を車窓からぼんやり眺める。

集合時間に一番遅く着いた。集団行動で必ず一人か二人はチームを乱す人が表れる。こんかいのツアーの場合、どうもおいらがあてはまるらしい。夕食の時間にも遅れる。いや遅れていない。7時集合の3分前に着いたが全員そろっている。日本人は真面目だ。
 
 

  2月19日(火)

専用車でヘーホーへ。空路ヤンゴンに向かう。今日で3回目の国内飛行。日本にいてもこんなことはない。一生の経験をミャンマーで一週間でやってしまった。これは、これはという思い。

午後、ヤンゴン市内のジュエダゴンパコダ、チャウットジーパコダなど仏教寺院を見学。目を見張ったのはヤンゴン市内のスーレーパコダ寺院。どれも黄金色に仏塔や釈迦像。こうなると信仰を越えた大きなテーマパークのよう。ミャンマーの人々は信仰の世界を心の奥底から信じている。おいらは神仏信仰にほど遠い暮らしだけにうらやましくさえ思う。

さぁ、いざ日本へということでヤンゴン飛行場へ。ところが成田空港は天候不良で着陸できない。出発は2時間ほど遅れるというアナウンス。出発ロビーでひたすら待つ。ミャンマー最後のぼーっの時間。そういえば、ぼーっと過ごす時間がなかった。綿密に練られたスケジュールに追われるように仏跡や観光地を巡る。こうなると何かに管理されているようなもの。ヨーロッパからの観光客は休暇が長いからのんびりしているという。日本は豊かな国とされるが、ぼーっの時間が持てないのは、やはりまだまだなのだろうか―。