インド仏教美術研修旅行 ( 2014年11月9日〜11月16日)

 

11月9日(日)

11:30 エア・インディアでインドの首都デリーへ。18:00着。デリー空港に到着するとあたりは薄い霧に包まれていた。機内から出るといつものような熱風にむっとする。体を包むようなイヤな生温い空気とすえたような臭いが地上にたちこめているという感じだ。これが五官で味わうインドの第一印象だ。いつもと変わらない。
国内線乗り継ぎ、21:00空路、商業都市ムンバイへ。ムンバイ空港からバスに乗り継ぎラマダホテル バーム グローブへ。
バスの車中からガード下で寝ている数人の路上生活者を見る。毛布1枚で過ごせる暖かさだが、なんともいえない光景だ。みんな明日も生きようとしているのだ。
ホテルで同室するのは司法書士のY氏。前回のインド旅行も一緒の部屋だった。
ウィスキーを飲みながらつまみなしでいろいろ話す。日本には中国のような大きな国家理念がないと嘆く。このままでは、次の世代に語るものがないと愚痴なのか自省なのかポツリポツリと話す。

 
 


11月10日(月)

ホテル近くの海岸を歩こうとホテルの玄関を出るなり大きな麻袋を肩から背負った老婆に会う。
私の方へ視線を向け手を差しのばす。物乞いだ。無視して歩き続ける。
海岸はホテルから徒歩で数分。すでに大勢の人が浜辺で散歩をしている。
ニンゲンに混じって実にさまざまな生きものが神の恩恵に授かろうとしているようだ。
鳩にエサをやっている人。ゴミを拾う人。神の名を借り寄進を求めている人。ただぼんやり海を見ている人。すべての生き物は海に向けて救いの言葉を求めている。言葉は砂浜に吸われ波にのまれ消えていく。
朝食後、ムンバイ市街をバスで移動しながら見学。急激な近代化が進んでいる。光と影が市内の至る所に散見される。インド門、世界遺産のチャトラバティ・シヴァージー・ターミナス駅、マリンドライブ、洗濯場などなど。その後、プリンス・オブ・ウェールズ博物館を見学。この博物館は見ごたえがあった。1時間ぐらいではとても全部は見てまわれない。ツアー観光の弱点を知らされる。


 

11月11日(火)

2時15分に目をさます。うつろな眼で天井を見上げる。一瞬、ここはどこだろうと思う。
アジャンタに向かうバスの車中からデカンダ高原の風景を見て思う。人々は神を求めていた。高原はただ広く荒涼としている。ニンゲンも動物も植物もあらゆる生物を寄せ付けない岩のかたまりの大地が広がっている。この季節の日中は32〜34°度ぐらいだが、日本でいう真夏になると45°の熱射が天から降り注ぎ乾いた大地は陽炎さえたたないという。その中で生き抜くには強靭な体力だけでなく精神的な支柱が求められる。お釈迦様でもヒンドゥー教のシヴァ神でも何でもいいのだ。求めるというより求めざるを得ない状況に追い込まれた環境下での生活を強いられているのだ。
世界遺産となっているアジャンタの仏教壁画で有名な石窟寺院群を見学。法隆寺金堂内陣に見られる菩薩像のオリジナルとされる蓮華手菩薩と初めてご対面。美しい笑みを浮かべている。
その後、ビービカマクバラー見学。ラマ インターナショナルホテル泊まり。



 
 

11月12日(水)

専用バスでエローラへ。途中、車中から中世のダウラダバードの遺跡を遠望。
仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院があるエローラ石窟寺院群を見学。最大の見どころとされるヒンドゥー教のカイラーサナータ寺院(16窟)は完成まで100年を要したという。ニンゲンのエゴのすさまじさを感じた。人々は神に何を求めたのか。全体の完成まで700年もかけ何代にわたってひたすら岩を掘り続けた。そこで、彼らは自ら信仰する神々を見ることはできたのだろうかー。
当然のように最初に取りかかった人々は全体の姿を想像はできただろうが完成した姿を見ることはできなかった。いや、初めてノミを打ち込みハンマーで岩を打ち砕いた時に思ったのは神への忠誠心だけだったのかも知れない。なぜなら、どんな結末になろうと本人の行為はまったく歴史上に残ることは約束されていなかったからだ。
その後、ブラバル駅から特急列車でボパールへ。到着すると専用バスでホテルへ。もう、この土地を訪れることもないだろうが、まったく慌ただしい旅だ。

 


 
11月13日(木)

仏教美術の原点・サンチ―の仏塔を見学。高台から見下ろす平原にはかすかな靄がかかる。仏塔は土饅頭のようなものだ。田舎で見た小さな土盛りの墓を思い起こす。サンチーの仏塔は大きく威厳がある。K先生がみんなと「般若心経」を唱える。今回のツアーに坊さんが4人参加している。
その後、バスでポパル駅へ。列車を待つ間ホームにいる人々を観察。座り込んでいる人、寝転がっている人。ぼんやりと立ったままの人。その姿態はさまざまだ。時間はゆっくりと流れ、私の顔のまわりを羽音もたてずにハエが飛んでいる。長袖をまくった両腕にとまろうとするハエを腕をブラブラとふり手で追い払う。ハエはプラットホームのエサを求めてアリのようにせわしく動き回っている。いつも駅舎で見かける痩せた野良犬の姿はない。松葉杖をつき子ども連れの老婆が物乞いをしている。裸足の少年が空き缶を持ちながら手を差し伸べている。白いヒゲをはやした老人が大きなあくびをした。ホームある時計の針は19:47の数字を指している。
特急列車にてジャンシーへ。着後、バスにてカジュラホへ(約4時間)ホテル:チャンデラ ホテル に夜遅く到着。ホテルは食って寝るだけだ。

 


 

11月14日(金)

午前中、チャンデラ王朝の都、(芸術的なヒンズー建設で、すばらしいカジャユラホの彫刻の東西寺院群を見学。「あんな格好できないよー」思わずアクロバット的な性戯の彫刻を見て声がでる。周りの日本人たちが一斉に笑う。
赤土の砂岩に彫ったというベンガラ色の性交をモチーフにした彫刻群。この回廊は延々と続き歩いても歩いても次々と現れる。ただ圧倒される。驚きだけが走る。よく考えてみれば、この男女の行為なしではヒトとしての歴史がなかったわけだから人間の真実の姿態を表しているのかも知れない。
それにしてもおおらかでしなやかな肉体のフォルムだ。開放的だ。決して暗闇の中で隠れて行う行為ではない。美しい肉の交わりである。明日を生き抜くためか、瞬時に酔うためかー。永遠の美を見せつけられたような気がする。ヒトよおおらかであれ、ヒトよすべてのものに許しを与えたまえ。そして、ヒトの美しき行為に喜びを与えたまえ。
カジャラホから専用バスで再びジャンシー駅へ。オンボロ列車でアグラへ。アグラからまたバスに揺られITCムガール ホテルへ。

 
 

11月15日(土)

あまりにも有名な「世界遺産」のタージマハールを見学。3度目ということもあり大きな感動はない。ただ、国の財政が破たんするような金をつぎ込んでよくぞ造ったものだ。そして、よくぞこんなに世界から観光客が訪れるものだと感心する。いろんな国の言葉が飛び交う。服装もお国柄を表しまるで百花繚乱。
白は清廉潔白の象徴かー。自らの穢れを清めてもらおうと人々は巨大なモニュメントのドームを目指して歩いている。肌の色もさまざま。顔の造りもさまざま。着ているのもカラフル。共通項はやたらめったらタージマハールを背景に記念写真を撮っていること。その表情は誰もが幸福のまっただ中だ。ヒトは廊墓を見ることによって喜ぶことができるのかー。本来、哀悼の意を表すものだがこの人々の笑みはどこから来るのかー。ここではとにかく明るさに満ちている。
 中に入るとドームの中央に白い大理石の棺が安置されている。お布施するヒトもいる。聞くところによると敬虔なヒンズー教徒が大部分という。
バスで約4時間かけデリー。最後の観光ということで土産店に行く。これも前回と同じで3度目だ。その後、デリー空港へ。デリー発21:15 空路、帰国の途へ。
 

11月16日(日)

朝8時、成田に到着。それとなく自然解散となる。

インドで考えたこと
インドで考えさせられたこと
インドで考えてもわからなかったこと
インドで考えてわかったこと

インドで見たもの聞いたもの
インドで手にふれたもの
インドでにおいをかいだもの
インドで口にしたもの

記憶の片隅にいつまでも残るだろう―

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