2012年インド旅行日誌(8月29日〜9月5日)

 

コルカタの朝。汚い池で洗濯をして食器も洗い体も一緒に洗う


8月29日(水

涼しくなったせいか朝はぐっすり眠れる。朝5時頃、一度目を覚ましたがまた眠りについて布団から起きあがったのは6時過ぎだった。
アイスコーヒーを飲みながら考える。いかようがあってインドに行くのかー。よく分からないがとにかく行くのだ。準備をして6時40分頃、かみさんと家を出て電車でひたち野うしく駅に向かう。

今回のインド旅行には不安もないがときめきもない。なぜだろうかー。この旅立ちのためになんの苦労もせず、ツアーの一人として参加するからだろうかー。

成田空港で、今回参加の人たちと会う。添乗員を入れて16人。知っているのは7人。そのうち住職を生業としているのが6人。もしもの場合には心強いものがあるが、そうならないで欲しいと願い機上の人となる。

デリーで乗り換え目的地のコルカタのホテルに到着したのは深夜の12時頃。サントリーウイスキー5本のお土産のうち1本は寝酒用にする。ウイスキーを飲み熟睡。
 
 

コルカタ市街を流れるフグリ川の渡し船




謝辞を終えて合掌する絅子先生





瑞恵先生の絵と南岳先生の書が入口ロビー左右に展示されている





絅子先生と孫の翼君(9)





印日文化センターで日本語を学ぶ生徒が日本の歌を披露した

8月30日(木)

ハウラ地区のフグリ川沿いにあるラーマクリュナ寺院を見学。思ったより観光客が少ない。寺院は際だった荘厳さはないがとにかく大きい。そして、蒸し暑い。湿り気をはらんだ空気が地上を浮揚する。その空気は体温近くまで上昇している。写真も撮っていけなければ煙草など問題外だと、日傘をさした警備員が目を光らせている。

一行の坊さんたちは礼拝堂で30分ほど瞑想する。わたしも座って目を閉じる。暑さにじっと耐え背中から流れる汗の音を聞くだけで瞑想どころではない。次にタゴールハウスに行く。ここも写真は駄目。タゴールの生まれた部屋、亡くなった部屋を見る。

ホテルで昼食。よく冷えたビールを飲む、うまい。午後はインド博物館を見学。ここは50ルピー払えば写真を撮っていいという。お金を払い許可をもらったがカメラを構えることが少なかった。

夕方、ソルトレイクにある印日文化センターで開催される「故我妻和男先生を偲ぶ会」のセレモニー参加。クルマの渋滞に巻きま込まれ遅刻して会場に到着。オロクさんにお土産のウイスキー4本を渡す。セレモニーの写真を撮ろうとシャッターを押したが動かない。電池が入っていないのだ。今のカメラは電池がなければどうにもならない。コンパクトカメラで撮ることにする。

式終了後、招待を受けた日本領事館で夕食。寿司や天ぷらまである。




中外日報(2012年9月25日付け)
 


式典参列者。一番左が日本国コルカタ総領館の川口総領事。右端に二ランジョンがいる 




 

瑞恵先生の絵と南岳先生の書が入口ロビー左右に展示されている





日本語学校の講師パピアが記念写真を撮ってほしいというのでパチリ




我妻和男先生と新井慧誉先生の追悼法要を営む


 


ガラスの祈り堂
8月31日(金)

コルカタのハウラ駅から電車に乗りシャントニケトンのポルプル駅へ。タゴール記念館やタゴールがノーベル賞を受賞した「ギタンジャリ」を執筆した建物などを見る。3年も続けて訪れているせいか感動が少ない。学生も休みでいないので閑散としている。

季節は雨季の終わりに近い。空は晴れているのに突然のスコール。その勢いはバケツを逆さにしたようなドシャ降りだ。どういうわけか数分もしないうちに雨が上がり、今度は地面から熱気が上昇してサウナ風呂の中にいるようだ。じめじめとした暑さが全身を襲う。この季節のインド観光はいただけない。まるで修業に訪れたようなものだ。全員暑い暑いと吹き出る汗を拭いている。日本でかく汗、インドでかく汗。どちらも同じだがなんでここまで来て暑さの愚痴をこぼさなければならないのかー。わからなくなる。

夕方、ホテルで吟遊詩人の歌を聴く。一行は女性1人に男性4人のグループ。この歌い手は村々を回り稼いでいる。日本でいうなら旅芸人の一座のようなものだが、娯楽の少ない村民にとっては格好の贈り物だ。原住民サンタル族の家族は一時間ほど歌い踊り終わるとさっさと楽器をしまい、風のように消えた。ギャラは5000ルピーだそうだ。 



 

ベンガルシャラの木。どこが本家の根っこだかわからない。
とにかくバカデカイ
 

原住民のサンタル族の集落
9月1日(土)

 午前中、タゴール国際大学を見学。音楽部の舞台を案内してくれる。懐かしい。2000年、ここで当時の音楽部長のジデンダの案内で春の踊りの練習を写真に収めた。ベジタリアンでどういうわけか酒とタバコが好きだったジテンダはどうしているのだろう。

その後、サンタル族の集落を見る。これも懐かしい。1995年、我妻先生と最初にインドへ行き案内された場所だ。その時は藁葺きの屋根が多かったが、今はトタン板に替わっているのも多く見られた。驚くことに、子どもが裸足でランドセルを背負い学校に向かう。当時は子どもは学校に行っていなかった。教育と暮らしぶりが向上したのだろうか。

午後、シャントニケトンを後にしてコルカタに向かう。車窓の人となる。
車窓からはどこまでも広がる田園が流れる。この雄大さは日本では不可能だ。しかし、これまでのように電車から写真を撮ろういう気力も興味もなくなった。インドへの情熱が消えつつある。やはり、我妻先生が逝去したためだろうか―。もう、この土地を訪れることもないだろう。

コルカタに着き、時間的余裕があるのでベンガル仏教協会へ。ここは初めてインドを訪れた時に泊まった施設だ。新井京誉さんも泊まったことがある。2人で懐かしむように見る。


 

タゴール国際大学音楽部の屋外舞台

 

ポルプル駅舎はガラスの祈り堂のデザインを施している
9月2日(日)

コルカタからベナレスに向かうためチャンドラボース飛行場へ。空港内の様子が少し変わっている。ごみも少なく物乞いがめっきり減っている。空港ターミナルの横に大きな建物を建設中。ここの空港からコルカタ市内への高速道路と地下鉄を工事しているから関連する施設か。

ベナレスでは釈尊が最初に法を説かれたというサルナートを見学。2010年にも訪れているから2度目だ。ダメーク大塔、迎仏塔、大菩提寺などを見学。一行の坊さんたち、その度に立ち止まっては般若心経を唱える。ぼんやりとそのさまを見ているだけだ。

最後にサルナート博物館を見学。初転法輪像は5世紀の作品だそうだ。解説書にあるようにその表情は慈愛にあふれた美しい表情をしている。この博物館は見応えがあった。
 

子どもたちの授業風景(ポルプル駅舎)

 

聖なるベナレスで新井先生の遺骨を散骨
9月3日(月)

朝早く、インドで最も有名な観光地とされるヒンドゥー教の聖地、ベナレスのガンジス川の沐浴場に行く。ここを訪れた目的は新井慧誉先生の散骨だ。

今日のガンジス川は水かさが増し流れも早い。2010年に来た時の2倍の川幅になっている。危険ということで小型の観光舟は出港禁止令が出され、退避するように岸辺にびっしりと寄せられている。そして、小舟の間をもぐり込むようにして信者は沐浴をやっている。

ガータに打ち寄せられている水は黄土色。ガンジス川に捧げられた色とりどりの花がゆらゆら波間を揺曳している。その中で人々は神に祈り捧げ体を頭までもぐらせ清め聖なる水で口をすすぐ。どこから見ても不衛生の中での営みとしか見えない。さらに小雨も降りやまず傘をさして人ごみの中をかきわけ、一行が移動するという最悪のコンディションだ。

添乗員が用意しておいてくれた四阿屋のような場所で、長女の京誉さんが般若心経を唱え、加藤先生を初めとする坊さん一行が唱和をする。京誉住職はお経が終わると小瓶から取り出した白い遺骨を手に取りゆるりとした動作でガンジス川に撒く。4、5度ビンからつまみ出しては撒く。彼女の手にした白い骨は曇った空に溶け込み消えていく。最後に空になった小瓶をしっかりと見届けると深々と頭をたれガンジス川に感謝の意を伝える。



 

雨季の終りで水嵩は増し、前回見た時の倍近くになっていた
 

聖者がやってくる
9月4日(火)

ニュデリーの豪華なホテルのシャングリラの朝。バイキングの朝食にはおかゆ、味噌汁、海苔、日本そば、ラーメンと日本食が全部そろっている。このホテル に泊まるのは2度目だ。一泊4万円もする。3度目はないだろう。さらば、インドだ。

第一次大戦でイギリス軍兵士として戦死した高さ42mの慰霊碑インド門を見学。1万3500人の名前が刻まれているというが遠くからではわからならい。日本からの観光客と見ると売り子がしつこくつきまとう。これがうるさい。うっかり目と目を合わせるものなら買ってくれる合図だといわんばかりにつきまとう。売り子は生活費を稼ぐのに必死だろうが、せっかくの観光気分が台無しだ。

紅茶のお土産屋に寄る。買うこともないだろうと思っていたがガイドのハミニャさんの勧めで6000円ほど買う。こんなものは日本にも売っていると思うが彼にもリベートが入る仕掛けになっているようなので思わず付き合ってしまった。すでに予算はオーバーしている。
8月下旬のインドは、どこへ行っても暑い。さらに加齢による体力の衰えを痛切に感じる。この旅行はきつかった。さらば、インドだ。本当にこれが最後となるだろう。インディラガンジー国際空港で書いている。
 
 

ヒトもウシもみんな同じ空気を吸ってるのだ




 

ガンジーの墓
9月5日(水)

4日、エアインディア306便成田行きは21:10の定刻に日本に向けて飛び立つ。インドよ、さらばだ。

機内は空いており4人掛けの座席を全部確保する。お陰で横になりぐっすり眠れる。目が覚めると東の外が明るくなりだしている。ここで一服とはいかず散歩もできない。ただ、もうすぐ日本に帰れるのだと実感する。

インドの光と陰の一部を見てきたわけだが、バラック小屋で生活する人も路上生活者も物乞いも観光地のしつこい売り子も、 それぞれが喧噪と人いきれの中で必死に今の時間を生きようとしている。まったくすざましい闘いだ。

今、日本に帰るために機上の人となっているが、インドで垣間見た彼らは今ごろどうしているのかと思いだそうとするが、彼らの姿はすっぽりと抜ける。喪失、忘却、夢幻だ。まったく人間とはすごい勝手な生きものだ。

 

インド門 
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