日印タゴール協会
JAPAN−INDIA TAGORE ASSOClATION

 タゴール・ハウス
(コルカタ市)1998年1月
 タゴール国際大学
(シャンティニケトン)1998年1月
 タゴール記念館
(シャンティニケトン)1998年1月
 春のおどり
(シャンティニケトン)2000年3月
 NGLISH

タゴール
アジア人として初めてノーベル文学賞を受賞(1913)した近代インド最高の詩人タゴールは、1910年、インド東部のシャンティニケトンに生徒5人、教師6人で小さな学校をスタートさせた。開校の目的は、自然の中での全人的教育で、その後、アジアやヨーロッパの国々と文化・学術・芸術的交流、学問と芸術の統一、農村再建のための開かれた教育を理念とし、現在のタゴール国際大学へと発展した。小学校から大学までの一貫した教育の中で、「経済に倫理」を提唱し、「貧困の経済学」で1998年ノーベル経済学賞を受賞し、現在、英国ケンブリッジ大学で教鞭をとるオモルト・シェン教授も高校まで学び卒業している。

タゴールは、明治期の日本美術指導者・岡倉天心と1902年インドで出会い、天心はインドのルネッサンスや民族運動に大きな影響を与えた。それ以来、天心とタゴールの精神的な交流が生まれ、タゴールは日本にも5度来日して全国各地で講演している。初来日の1916年、タゴールは天心没後にもかかわらず、北茨城市五浦の六角堂を訪れ、天心を偲び、1929年の来日の折りには水戸市の水戸二高で講演をするなど、本県とのかかわりも深いものがある。

詩人・哲学者としてだけではなく、タゴールは思想家、小説家、劇作家、教育者でもあり、社会改革の推進者でもあった。また、インドとバングラデシュの両国歌をはじめとする多くの歌を作詞・作曲し、創作舞踊を考案した。晩年には絵筆をとり、ヨーロッパ画壇を瞠目させた画家でもある総合芸術家だった。 その中でも、タゴールが作詞・作曲した歌は1500曲以上といわれ、その旋律は語りかけるような文学的な音楽で広くインド国民に愛唱され、その音楽全般は、現在のタゴール国際大学音楽学部に受け継がれている

我妻 和男 (日印タゴール協会事務局長)

1931年生まれ。 東京大学大学院修士課程修了。(印度哲学および独語独文学専攻)

筑波大学・麗沢大学名誉教授。元タゴール国際大学客員教授。元麗澤大学外国学部教授。
  タゴールおよびベンガル語、ベンガル文化研究家。
  インド政府より国民至高者賞を受賞。

主著に「タゴール」(人類の知的遺産61、講談社、1981)、「タゴールと日本 日印文化交流100年」(ベンガル語、コルカタ刊)、「光の国・インド再発見」(編者、麗澤大学出版会、2005)、「タゴール 詩・思想・生涯」(麗澤大学出版会、2006)、他。
訳書に「タゴールの絵について」(S、ボンドバッディヤイ著、第三文明社、1988)

日本におけるタゴール研究の第一人者。97年にはベンガル語による日本紹介などの功績により、日本人として初めてのタゴール賞を受賞。日印文化交流の架け橋として大活躍。

◆2008年 瑞宝中綬章(日印文化交流功労)受賞

■我妻和男先生は2011年7月28日逝去されました。享年80歳でした。
  ただ、ご冥福を祈るばかりです。
top ただ今、諸般の事情で活動を休止しております。