怠惰な散歩  2020年

   9月30日(水)

新型コロナウィルスの世界死者は100万人越えたという。おいらはどうやらその中にカウントされず10月を迎えることができそうだ。運がいいというしかないだろう。でも10月になったら分からない。運が味方をしてくれることを願うだけだ。

阿見町のふれあいの森に行く。秋の森の小路を歩く。阿見町の新鮮な空気を吸う。きっと土浦市小松町より人口密度は低いからそれでけ空気は澄んでいるはずだ。そういうことでたっぷり吸う。入り口からゲートボール会場まで500メートルある。タラタラ歩くからその倍ぐらいの距離に感じる。

山王姫からアケビが実ったという知らせ。おおアケビやアケビだ。山形に住んでいたころはよく食べた。そして食べさせられた。オフクロが作ってくれた味噌入りのアケビの天ぷらの味が忘れられない。何度も挑戦したがうまくいかない。それでもアケビをもらったらまた果たし合いを申し込んでみよう。
 
  9月29日(火)

私の海をまっ赤に染めて
夕日が血潮を流しているの
あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの

石川セリの「八月の濡れた砂」 を聴きながら夕方の小松を散歩。昔、昔の歌だけどスマホなら簡単に聴けるのだから便利といえば便利。しかし、これらの便利さを自分たちの生活に取り入れ活用できるか?。 これが大問題だ。

この歌を聴くと三浦海岸でひと夏過ごしたことが思い出される。夏のギラギラ輝く太陽をもろともせず夏を食べて食べまくった。今では来年の夏を乗り切ることができるかという体力。団塊の世代は今から戦々恐々としているのではないか。ご同輩カンパリましょう。
 
   9月28日(月)

久しぶりに青空を見る。昨日、張り切って本棚作りや土手の草刈りなど肉体をフル回転させたせいか疲れて何もする気にならない。「堕ちろ、堕ちろ、徹底的に堕ちろ」と青空が叫んでいるようだ。それでも金魚ちゃんのお住まいの清掃を一所懸命にやる。すっきする。見飽きた金魚ちゃんの化粧っ気のない顔をしみじみ拝見する。

―いっそ「死ぬ気」で生きてみよう!―「生きる!」嵐山光三郎(新講社)を読む。作家の開高健が妻から病室で言われたことはどういうことか分かった。何かの本で「奥さんのあの一言がなかったらー」というのを読んでいた。何を言ったのだろうかーと長い間の謎だった。入院中の開高健に妻で詩人の牧羊子は手作り特製スープをつくり運んでいた。開高は拒んだ。ここで一喝「これ、飲まんと、癌、なおれへんやないか」。開高健は自分の病名がガンだとは知らされていなかった。

防犯灯から「夕焼け小焼け」のメロディーが流れると宿直へ向かう準備に入る。いろいろな物をボストンバッグに詰め込む。数冊の本とノートパソコン。財布は忘れてもスマホも忘れてはならない。そういう時代になったのだ。
 
   9月27日(日)

際限ないような普通の日を過ごす。「無名の人生」渡辺京二(文藝春秋)を読む。かあちゃんと清水の舞台から飛び降りるような覚悟でジョイフル本田にフライパンを買いに行く。台所は覗いたこともないから分からないがフライパンがストライキをおこしいつも焦げ付くそうだ。それならということになる。

物は増やしたくないと思う。増やすなら野菜畑の食べ物ぐらいだ。ただ、少しずつ本が増えているようだ。そこで本棚を作る。簡易なもので梁のサンに棚を取り付けただけ。ただ、地震があって下敷きになってイノチを落とすのもつまらないから頑丈にする。疲れた。

そこで考える。無名の人でも棚作りぐらいのことはできる。これはなんとも素晴らしいことではないか。そもそも、国家というのは三角形の底辺から成り立ちこれまでも歴史を積み上げ歩んできたのではないか。ささやかな庶民の力をあなどるなかれ。金魚ちゃんに報告。「そうだ、頑張れ」のエール。こんなことは久しぶり。うれしい。
 
   9月26日(土)

いばぶん事務所へ行く。長や門ギャラリーでは洋服の展示販売会を開いている。年4回開催しているいつも姉ちゃん。「よろしく」とあいさつに来る。今日が最終日だそうだ。まあ、それなりに頑張ってください。オーナーは亡くなったとはいえつくば文化郷はいつものサイクルに戻るのだろうか?。そうなって欲しいと願う。

今日は朝から体調が悪かった。胃がもたれ重く頭はぼーっとしている。頭はぼーっはいつものことだが本日は最悪。こういう場合はどうすればいいか?。これまでの人生経験から思いつくことは静かに静かにぼーっとしていること。そういうことで終日ぼーっとして過ごす。

少しは詩集を読んだりする。少しは庭の草刈りをしたりする。少しは金魚ちゃんとお話しをしたりする。少しは詩人会議自由の広場に投稿する詩の推敲をしたりする。少しはプップッと小さなラッパを鳴らしたりする。ゴキちゃんもハエちゃんも涼しくなったのか現れない。寂しい秋の一日でした。
 
   9月25日(金)

朝起きたら両足の太ももが痛い。昨日は踏んばって土手の草刈りをした。その影響がモロに現れたのだ。もしかしたら明日はもっと痛むかも知れない。年寄りになると体に無理させたことは数日後にニタッと笑って出る。ゆっくりゆっくり歩くことにする。

「動けば回る」の潮来マリーナへ行く。大生殿神社の沿革をまとめて欲しいという依頼。2回目の打ち合わせだ。マリーナ社長も何だか昨日から両太ももの裏側が痛いという。2本の杖をつきながら現れる。今日の約束は2週間前にしたこと。昨日、念のために電話をしたらしっかりと覚えていてくれた。85歳で働くことには意欲満々。恐ろしい人がいるものだ。

姫丸子にこうの饅頭をお礼にあげる。元気に働いている。周囲の知り合いは高齢者ながらみんな元気。素晴らしいことだ。ただ残念なことは、山王台の姫から愛猫のララちゃんが死去したという連絡を受けたこと。17歳だそうだ。人間でいえば80歳を越しているようだ。天寿というべきかー。
 
  9月24日(木)

土手の草刈りに挑む。体調も良くほどよい寒さだ。このチャンスを逃してはならない。土手に足を踏んばらせ土や雑草を掴み這いつくばりながら夢中でやる。とにかくケガをしないことだ。1時間ほどで作業は完了。これまでで一番きれいにしたようだ。すっきりさっぱりする。

本を貰う、本を買う、本を借りる、本を読む。昨日、山王姫から豪華な写真集を頂戴する。弟さんの友人の写真家らしい。写真集は高価でなかなか買うことができない。もっぱら図書館を利用するようにしている。

「われら地球人」三輪晃久 (クレオ1992年発行)28000円。1962年から1992年の間に世界各国を巡り撮影した大作だ。三輪氏なる写真家は知らなかった。おいらが知らない写真家はそれこそ無限大に近いだろう。 
 
   9月23日(水)

宿直明けの朝、台風がきているということもあり滝野園の空は曇っている。昨晩はぐっすりと眠ったつもりだがどんより空とお見合いするように目覚めが悪く、おいらの頭もぼーっと霞がかっている。

久しぶりに山王姫宅へ行く。晴れていたら庭園の写真を撮ろうと思っていたが雨で中止。山王姫が元気な声で出迎えてくれる。ピーちゃんはテーブルの上で堂々と威厳を見せつけるように、どおーんと眠っている。白いフサフサ毛をなでる。気持ちよさうに甘えてくる。かわいいものだ。

ぼーっは利根川を渡った柏市あたりにもお住まいになっているらしい。どうもぼーっ男は神出鬼没で全国津々浦々にいらっしゃるようだ。ブログ用に写真を撮りためておこうと姫宅の和室をスマホでパチリパチリ。整理が行き届きいつも模様替えを楽しんでいるようで新鮮で被写体にはもってこい。これでしばらくは持ちそう。帰りにたくさんのお土産を頂く、いつもありがとうございます。
 
   9月22日(火)

数日前に土づくりの終えた畑にキャベツを植える。キャベツはいろいろな料理に使え利用価値が高いと踏んでのこと。それはきちんと手入れをしてたわわな実となった時の話。ど素人の作業員には無知というムチが待っている。育ち具合が悪いとあきらめ放りっぱなしにするという飽きっぽさを持っている。さて、今回はどうなることやら。

「日々の暮らしを繰り返し、その生活の範囲でものを考え、あるいは行動してゆく名もない人びと」「大衆の原像」(吉本隆明)。

ああ、名もない人びとの一人においらも入る。しかし、それだってなかなか難しいことだ。そこで金魚ちゃんに尋ねる。金魚ちゃんはただ水槽の中でゆらゆら泳いでいる。平凡で単純で退屈そうに見えるけどそれが難しい。何も応えずただゆらゆらゆら。エライものだ。
 
   9月21日(月)

いろいろと散歩道を変えているがこれだというのは見つからない。やはり坂道が多いのが辛いのだ。それでもこのコースはどうかと頭に描く。ジジババ公園(いつも居るのはジジババだけ)から小松霊園(終の棲家)を通り飛羽ノ園(老健施設で世話になるかも)を抜ける。このコースだと上り坂が2カ所で下り坂が1カ所だ。何より座って休めるところが2カ所ある。ジジババ公園にはベンチがあり小松霊園では御影石にどんと座れる。だらだら歩いて1時間弱かー。

今朝の朝日新聞のアイポッドの全面広告写真には驚いた。スマホの自撮りらしいがこれだけ大きく印刷しても鮮明だ。大型カメラと何の遜色がない。一眼レフカメラをよっこらしょと構えて写真を撮らなくても充分。もちろんブログ用の写真ならこれいい。問題はうまくスマホカメラを使いこなせないこと。
 
   9月20日(日)

涼しい朝だった。そして朝焼けが美しかった。美しい景色を見ると心まで軽やかになる。そうかといって体重が軽くなるわけではない。そういう皮肉なことを考えるのは年寄りに決まっている。なぜそういうことを考えるかといえば暇で退屈な日々を送っているかだ。

何かに打ち込んでいる年寄りはそんなことは考えない。さっきすれ違ったお姉ちゃんのオッパイは随分大きく揺れていたな。あれじゃ肩こりや腰こりに悩んでいるのではないか。少し太り過ぎではないか。欲求不満で過食症ではないかー。そういう高尚なことを考えて生きている。ここで重要なのは物をしっかり観察するという積極性がある。

ここまで書いてバカバカしくなる。休まないでとにかく根気よく毎日ブログを更新することをモットーにしたのはいいがネタ切れ。さっさと寝た方がよさそうだ。バイバイお休みなさい。
 
  9月19日(土)

今日はお仕事、いや今晩はお仕事日。それはそれはうれしいこと。一つ目はお仕事があるということ。二つ目はお仕事ができる体力があるということ。三つ目はお仕事をやっただけのお給金がいただけること。ああ、万歳です。

本日も不愛想な職員のいらっしゃる土浦図書館に行く。土曜日のせいかそれなりに利用者が訪れている。外国本コーナーを見ていたら駐日アメリカ大使を務めたキャロライン・ケネディ女史jが選んだ詩集を見つける。窓際族よろしく明るい光が入る窓際の椅子に座り読む。彼女はこれまで数冊の詩集を出版しているという。もちろん米国でだがー。

本を開いて読み出し数分もしないうちに猛烈な睡魔に襲われる。本を手にしたままコックリコックリ。これが気持ちいいのだ。パット目を覚ます。時計を見る。もう時間がない。2時間無料の駐車券の締め切りが迫っている。慌てて本を戻し帰る。超過料金100円払わずに済む、万歳だ。
 
  9月18日(金)

時間という
宇宙はひとつだけど
ひとそれぞれに
進み方が違う
違ってあたりまえ
あたまりまえのことが
なおざりになり
怪しげな時間の風が吹く
あの風に
乗っているのはだれだ
だれでもない
ぼくでもない
わたしでもない
獏を主食としている
おいらのようだ

■追伸
本日、不愛想な土浦図書館員の顔を見ないようにして本を借りる。「記憶する水」「埴輪たち」「詩的思考のめざめ」以上3冊也。 
 
   9月17日(木)

いばぶん事務所へ行く。「石岡浪漫」贈呈のHPupをやる。1時間ぐらいで終わると思っていたが2時間近くかかる。どうしてそんなに時間がかかったのかといえば「ノロイ」からだ。よく考えてみると世の中が気忙しくなっているから「ノロイ」というのは褒められることかも知れない。

道の風
満たされた生活
充ちたりぬ日々
未知なるものへの期待
風は道をつくり
気ままに吹いている
 
   9月16日(水)

朝を散歩。坂道を駆け下りてくる同年配のオジンと出会う。頭は禿げ上がり皺だらけの顔は紅潮している。しかし、足が上がらずひきずるようにして腕だけ大きく振っている。あれをランニングと表現していいものかー。急ぎ足といった方がふさわしい。それでも本人は走っていると言い聞かせるように形相は険しい。すれ違いしばらくしておいらは後ろを振り向く。歩いている。

昨日のお礼にとわが家で採れたゴーヤを上げようと姫丸子にメール。いつもならすぐに返事が来るのにない。どうしたものだろう。しばらくして電話を入れるが出ない。どうしたものだろう。自宅に届けて置こうということになり向かう。そこで電話が入る。こんなこともあるものだ。

「散歩の一歩」黒井千次(講談社)のエッセーを読む。帯には「いちばん大切なものは、ゆっくりと考える時間」。作家の最初に読んだ小説は「五月巡歴」。二十代の頃でとても印象に残っている。おいら流に解釈する。「いちばん大切なものは、ゆっくりとぼうーっとしている時間」。
 
   9月15日(火)

今日は9月生まれの淑女が四人揃い、その中に一人だけ男が入るという食事会。その一人に選ばれたおいらは幸せ者か。呼びかけ人は元気印のハッピを着てニコニコマークのハチマキをキリリとまいた姫丸子。場所は神立駅近くの割烹料理店「喜作」。姫丸子はいつも先導役を引き受けまとめてくれる。エライものだ。

ごはんは白米と五穀とキノコの三種類から選べるという。全員がキノコごはん。キノコの種類は松茸かと聞くと中居さん大きく手をふりノーの合図。小鉢に入った数種類の料理はどれもおいしかった。姫丸子さま、ごちそうさまでした。感謝です。

同じ土浦市内といっても神立町にはなかなか来ることはない。リニューアルした神立駅舎は外観を見たことはあるが利用したことはない。新しい道路ができ国道6号線までまっ直ぐ行けるようになり便利になったということで帰りに通る。駅前周辺は工事中。それでも話に聞いたようになっている。驚く。こっそり工事を進めていたのかー。まったくすごいものだ。
 
   9月14日(月)

「石岡浪漫」の贈呈式で石岡市役所に行く。新しくなった庁舎を初めて見たがデザインがとても素晴らしい。天井や壁に木材が使用され温もりを感じさせる。土浦市の市庁舎とは違い職員と市民との垣根がとても低く感じられた。石岡市には何かもったいないような気がする。

石岡市長から大久保理事長にお礼の言葉と感謝状を頂く。めでたく全員で記念撮影で終わり。参加したのは理事長のほかは、おいらに高島さんと高野さんの両理事。こういう社会貢献はなかなか出来るものではない。きっと、おいらにとっては最初で最後だろう。

山王姫と別れてから無性に霞ヶ浦を見たくなった。そこで水郷公園近くのりんりん道路にクルマを停車させしばし霞ヶ浦を見る。薄墨色の湖は小波をたてたおやかなり。自然は雄大で心を豊かにしてくれる。おおきな深呼吸息を一つしてサヨナラする。
 
   9月13日(日)

糖尿病を本気で治すなら刑務所に入るのがいいらしい。栄養士が計算したカロリーの食事がきちんと摂れるからー。そんなことを書いていた本があった。本を読むといろいろと知らない世界がわかる。それが雑学といわれようと知識が一つ増えることになる。もっとも、最近はすぐに忘却の彼方に消えてしまうことが多いがー。

今日も涼しく過ごしやすい一日だっった。この機会を逃してはならないと刈り払い機でわが家の土手の草刈りをやる。そびえるような土手の草刈りは容易ではない。若い時には果敢に挑んだだろうが今は頻繁に休憩をはさまなければならない。それでも虎刈りながら半分ほど終える。

久しぶりに新垣勉のCDを聴く。いい声をしている。山王姫が主催して石岡でコンサートを開いた時を思い出す。思い出というのは生まれてから連綿とつながっているようだ。いろいろな思いでが次々と浮かんでくる。そんな一日でした。
 
   9月12日(土)

涼しい朝だった。これでようやく今年の夏は乗り切ったという感じ。畑のトマトの苗木を処分する。ひと夏頑張ってくれたが今は無残な姿。考えてみればわが家で採れたトマトを何個食べたのだろうか。買い求めた苗木と食べたトマトの収支はどうなんだろう。きっと大赤字だろうと思う。

かあちゃんかかりつけのお医者さんへ。クルマで送り届け帰りはイオンで本を読もうという作戦をたてる。イオンで本を読んでいると寒くなる。暑いのではないのだ。寒さがヒタヒタとやってきてくて体が冷えてくる。年寄りだから体温調整がうまくできないのだろうか。薄手のジャンバーを用意してくれば良かった。それにしても寒い。

「あの世 この世」瀬戸内寂聴×玄侑宗久(新潮社)メモ
〇大地はすべてを記憶している。〇「あの世はあるか?」と訊かれた釈迦は「無記」とこたえる。〇この世は美しい 人の命は甘美なものだ。〇この世も美しい あの世も美しい。
 
   9月11日(金)

石岡市八郷庁舎の教育委員会に山王姫と寄贈本を届けに行く。庁舎内はガラガラ、廊下などはキャッチボールができるほどが空間がある。空いているデスクはピンポンがいいのかー。どこもガラガラだから三密などどこ吹く風と思うが職員はマスクをしている。エライものだ。教育委員会の担当者は山王姫の知り合い。不思議な縁があるものだ。

終わったら蕎麦屋で昼食でもとなる。ナビで案内され向かうがお目当ての蕎麦屋は行方不明。同じ所をぐるぐる回る。ようやく探しあてたらと思ったら「コロナの影響でお休みします」。がっくり。

では次をと観光案内書で探す。2軒目は「麗」という蕎麦屋。そこで久しぶりに故北村馬骨の書と出会う。八郷在住だったからこの辺りをウロウロしたことが窺える。店主は元石岡市役所の職員だという。山王姫はもしや知っている人ではとあいさつに行く。どこかで会っているという。よもやま話をする。おいらはタバコを吸いたいので先に外に出る。ああ、いろんなことがあるものだ。
 
   9月10日(木)

ゆうすけさんと潮来マリーナに行く。今秋にオープン予定のキャンプ場を見てもらいアドバイスをして欲しいという依頼。おいらは付録としてノコノコ付いていったというわけ。村山さんは85歳になる。それでも何かをやっていないと駄目な性格。「動けば回る」を実践している。高齢者であるがすこぶる元気。

キャンプ場をひと回りしてアドバイスする。とにかく敷地が1万5千坪もあるから広い。どこから手をつけていっていいのか分からないという状況。それでも、キャンプ場経営のノウハウをゆうすけさんが説明。30代の彼には先が長いから計画のスパンは長い。村山さんは自分があとどれぐらいできるかを計算している。人出をかけず手間のかからない方法でということで終わる。

行方台地のサツマイモ畑を眺めながら帰る。このサツマイモ畑は広くクルマを走らせても走らせても続く。こんな風景はなかなか見られない。こうやって見ていると茨城も広いものだと感心しながら帰ったのです。今日も無事に終わりました。
 
  9月9日(水) 

「私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何になりたのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」。「サピエンス」(下)ユヴァイル・ノア・ハラリ(河出書房新社・2016年)

最近では珍しく「サピエンス」(上下)を一気に読む。いろいろと考えられさせた。2016年初版発行だから、もう4年前に書かれたもの。それでも現在の世界状況に十分にあてはまる。おそらく、普遍的なテーマからだろうと思う。

とにかく今日も暑かった。地団駄踏んでも暑さからは逃げようもない。猛暑続きのせいか食欲もない。食べなければ食費は浮くが体力は衰える。とてもこまった問題が生じた。金魚ちゃんの問う。「さてはさてはです。さすればさすればです。どうぞ、ご自由に」。ああ、素っ気ない。これが人生です。
 
   9月8日(火)

夕方、ブログ用の写真を撮ろうと早めに家を出る。目指すは土浦イオン裏手から見える筑波山風景。台風一過の空は美しく澄み渡っている。おいらのハートのなかを覗くようだ。汚れがない。なぜかと考えたらヨコシマなことを考える知恵がないのだ。簡単にいえば超バーカ。

いばぶん事務所でパソコンに向かっていたら山王姫から電話。「石岡浪漫」の贈呈準備は順調に進んでいるようだ。電話の奥から「暑い、暑い」の悲鳴が聞こえてくる。暑さ寒さも彼岸までというからもうしばらく辛抱とさようならする。

自分のルーツを辿るということはどういうことだろう。おいらの父は広島県呉市で母は山形県の片田舎。そこまでは分かっているがその先となるとまったく分からない。そして知りたいとも思わない。父と母にも両親が居たのだろうというぐらいは理解できる。さて、その先はどうか―。きっと誰かが存在していたのだろう。それぐらいでいいと思う。
 
   9月7日(月)

昨日の夕方インドのパピアから3回も電話がある。パピアはコルカタにある印日文化交流センターで日本語を教えている。急用があったわけではなく近況を知らせるためか滅茶苦茶にヒマだったのかも知れない。日本語教室で30人ほど勉強しているという。コロナ騒動で今はオンライン授業。

パピアは荒川沖に住んで居た時に何度か遊びに来た。あの時はジャイカの招きで日本語研修をしていた。わが家に来て何をしたかというとインドカレーを作ってくれた。台所でかあちゃんがウロウロオロオロしながらパピアのカレー作りを見ていた。できたのはカレースープのようなもの。スパイスを効かして辛いのでは思っていたが少しも辛くなかった。日本人好みに味付けをしたようだった。

子供が一人いて17歳だという。コルカタに来て下さいと何度も頼まれるが、近所のスーパーに買い物に行くようなわけにはいかない。9時間も飛行機に乗りデリーへ。直行便がないからさらに飛行機で2時間。ニランジョンの家はさらに遠く電車で2時間かかる。インドは日本から遠い遠いのだ。
 
   9月6日(日)

山新でブロッコリーとキャベツの苗を買う。涼しくなったら畑作りに精を出そうと考えている。その行動2番目だ。1番目は土づくり。これは一週間前の暑いさ中に汗をかきながらやった。広さは畳一枚程度。石灰をまいて腐葉土を入れ油粕を鋤き込んだ。畳一枚というのは狭いか広いかー。これが限界だった。

帰り、クルマをノロノロ走らせスマホでブログ用にパチリパチリ。町の中は実に静かだ。静かな環境の中に町があると表現するのか分からない。とにかく人がいないのだ。きっと土浦だけではないだろう。日本全国の旧市街地はこんなものだろう。

草むしりを久しぶりにやる。「サピエンス全史(上)」をパラパラ読む(いつ下巻にたどりつくやら)。村山氏依頼の原稿をチョボチョボ書く。そういうことで今日は終わりです。さようなら。
 
   9月5日(土)

これまでに経験のない大型の台風が襲ってくるというニュース。おいらもこれまにない72歳という年齢を生きている。これから身辺にふりかかることは何でもこれまでに経験したことがないことばかり。すべてが予期できなく未知数だ。

いばぶん事務所で村山さんから預かった資料を読む。読んでも読んでも分からない。今から800年前のことなど分かるわけがない。ともかく適当にまとめてみようということになりクラクラ頭で拾い書きする。すると不思議で少し分かりだす。人間の頭とは動かせば回るということだ。

今晩は当直日。自宅を夕方6時に出れば十分間に合う。その6時までの時間がとても長く感じる。詩人会議10月号をパラパラ読みながら時間を潰す。会員の会費とカンパで自主運営されている機関誌。コロナ騒動で休刊になるのではと思っていたが休まず毎月発行している。事務局や編集者は苦労をしているだろう。ただ感謝するしかない。今月号にもおいらの詩が掲載されている。これはうれしいものだ。
 
   9月4日(金)

潮来マリーナに行く。電話では仕事を与えてくれそうな話。こうなると暑さなどに負けていられない。ひたすら潮来へクルマを走らせる。県南の穀倉地帯といわれる稲敷地方の田んぼは黄金に輝いている。稲刈りに精を出している姿も見かけられる。美しい風景だがこの時期は必ず台風がやってくる。農家の人はのんびりもできないだろう。

「動けば回る」を生活信条にしている村山さんは元気だ。隠居する間もなく次々と仕事が入ってくるという。「男のロマン、女のガマン」というが、80歳という年齢を過ぎているだけに家族は心配しているがどこ吹く風だ。すごいものだ。

仕事の話を聞く。なかなか難しそう。おいらのぼーっ頭ではまとめられるかー。ともかく資料をどっさり預かる。大変重い宿題を背負って一目散に自宅へ。このくそ暑いさ中ではしばらく手に着かないだろうがやれるだけやってみようと思う。ぼーっ頭で格闘しながら日々を過ごすの悪くないはずだ。
 
   9月3日(木)

―贅沢品は必需品となり(略)私たちは時間を節約できると思っていたのに、逆に踏み車を以前の10倍も速さで踏み続ける羽目になり、日々を前より落ち着かず、いらいらした思い出過ごしている。(サピエンス全史・上)

ごもっともなこと。人類は進化しているというが最終目的は何か?。進化には退化、そして消滅の順序があると思うが、それがどういうことかと考えると暑くて目がまわりそうで結局分からないで終わる。

わが家のエサ台に片足のない山鳩がやってくる。羽根をばたつかせバランスをとりながらエサを啄んでいる姿はかわいそう。エサ台は真竹を二つに割ったもの。そのため足場が悪い。何もしてあげられない。片足がなくても空は飛べる。逞しく生きてほしいと願う。
 
   9月2日(水)

どしゃ降り。もう降らなくてもいいと思っていても雨脚は早くクルマのワイパーは効かないぐらいだ。
ほどほどのお湿りがあったら思っていたがとんてもない勢いで雨は降る。草木は大喜びだろう。田んぼの稲穂はクビうなだれ収穫期を迎えた農家の人は大変だろうー。そんなことを考えながらいばぶん事務所へ。

これといって勢でやることもないが自然と足が向く。よくよく考えてみたらヒマなオジンなのだ。考えなくてもかんがえてもヒマを持て余しているのだと思う。

そうだ、本の背表紙を見に行こうとブックオフへ。立ち読み禁止というワッペンがいたるところに貼ってある。座ってならいいだろうと家具売り場のソファーで本を読んでいたら山王姫から電話。「石岡浪漫」寄贈の話は順調に進んでいるとのこと。そしてハッピバースディのプレゼント。姫丸子からもお祝いのメールが入る。ダブル姫からダブル祝い、ありがとうございます。
 
  9月1日(火)

今年も迎えた秋の季節とてもいうのか今日から9月。そして気温がぐうーんと下がり過ごしやすい。明日は誕生日で72歳となる。よくぞここまで生きてきた。それも五体満足で生きてこられたのだから元気に産んでくれた両親に感謝。

近くに住む専属モデルのこう君が来る。水鉄砲を持っている。来年から幼稚園に入るというがもう射撃訓練に入ったのか。恐ろしい教育をされているらしい。さて、こう君の70年後はどうなっているかー。とうてい見ることはできないが元気なおじいちゃんであってほしい。

夕方、ひと雨ほしいと思い空を見上げる。空は曇っているが雨は降らず。姫丸子から電話。誕生日祝いの食事会を開こうといつものように元気な声。姫丸子は今夏の猛暑を蹴飛ばしたよとでもいうような弾んだ声で元気そう。恐ろしきパワーの持ち主だ。
 

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