怠惰な散歩  2020年

   8月31日(月)

8月最後の日、ビッグニュース飛び込む。ネット販売に出しているニランジョンの猫の絵が一枚売れる。これは驚きだ。ネット販売の出品者数を最初に見た時にこれは駄目だと思った。その数はなんと数万点。信じられないような数。これは交通事故より確率が低いのではー。

ところが北海道の某氏が落札したという。世の中にはヒマな人が北海道から南の沖縄までウロウロいるようだ。流通業は大きな変化をしており、年寄りはそれをうまく活用できないというだけらしい。

急に涼しくなった。何となく今年の夏を乗り切ったような気がする。9月に入れば暑い日があったとしても凌げるのでは—。そこで土いじりをやる。水が欲しくて泣いているような雑草をむしり取る。その雑草も踏んばって反抗するような元気もなくなったようだ。夜になればコオロギの鳴き声も聞こえる。秋本番近しです。
 
   8月30日(日)

軽自動車はエンジンも小さく馬力がないからクーラーの効き具合もこんなものだろうと思っていた。それが修理したら実に涼しく爽やかな風が車内に広がるではないか。驚きだ。この一カ月近く汗をかきながらクルマを運転していたのが嘘のようだ。

わが家のおいらの部屋は日当たりがいい。冬など太陽の熱だけで部屋が暖まるぐらいだ。ところが夏はいけない。午前中はまともに陽が射す。それもフルモードの状態。午後になれば陽が射さないからそれまで逃げよう、ということで四中公民館へ。今日は勉強におかっぱ頭でメガネをかけている少女一人。

賢そうだ。黒いマスクをしてノートになにやら書き込んでいる。おいらの少年時代の夏とは雲泥の違い。だが、その先はどうなるか誰も想像できない。人の運命の糸など気ままに吹く風のようなもだ。
 
   8月29日(土)

『「花の谷」の人びと』ー海辺の町のホスピスのある診療所ー土本亜理子著(シーピーアール)を読み終える。「怖い絵」に続いて久しぶりに本らしい本を読んだ。「花の谷」は手元に置いておきたいが残念ながら土浦地区四中地区公民館の捺印がべったり。もっとも二度と手にすることはないだろうと思うが要するに欲張りオジンなのだ。

「私はあの世があるとは思っていませんが、自然に還るということが、唯一支えになるかもしれない。生まれたことが自然なら、死んでいくのも自然だという、そのことが支えになるのではないかと思えるんです。自然を見つめることが救いになるといってもいいのですが」「人間みんな、死んでいくのは大変だと思う」伊藤院長。

「サピエンス全史」(-文明の構造と人類の幸福ー(上)ユヴァル・ノア・ハラリ著(河出書房新書)を同公民館で始める。冷房もよく効いており気持ちよく数ページ読むと眠くなる。テーブルに伏せて目を閉じる。こういう姿勢で眠ることはあまりない。そのせいかなかなか寝付けない。訓練しなければと思う。「バーカ、そこは寝室じゃないんだよー」金魚ちゃんの声が聞こえる。
 
   8月28日(金)

灼熱の停止した時間
ひたすら耐え忍ぶ

耐えることは辛抱すること
辛抱は我慢をすること

これまで
どれだけ忍の一字で
生きてきたのかー

夏の強烈な陽ざしは
容赦なく降りそそぎ
もっと耐えてみろと
叱咤してるようだ
 
   8月27日(木)

このくそ暑い日にクーラーの壊れたクルマに乗るということはどれほど辛いかを体験。窓はすべて全開だから風はたっぷり入る。そこまではいいが生暖かい湿り気のある風が肌にじっとりまとわりつく。次々と風は入り込み入れ替えしているがとても堪らない。額から脇の下からお腹や背中からも流れている。

いばぶん事務所で久しぶりのhp更新。それなりにまとまったと送信するが有り難くないエラーメッセージ。発売元にSOSの電話を入れる。そのソフトのサービスサポートは終了しました、お客様の自力でお願いします。ああ、無念なり。

そこで悪戦苦闘すること2時間。どうにか元に戻る。どういう手順だか覚えていないからまた同じエラーが出たら回復できるかは不明。こんなことはこれまで何度もあった。文明の利器は完璧においらを追い越してしまった。ああ、無念なり!!。
 
   8月26日(水)

「パンがなければお菓子を食べればいい」マリーアントワネットは言ったという。わが家は何がなくてもゴーヤを食べればいい。今年は白いゴーヤの当たり年。食べても食べてもなくならない。いや、新鮮なゴーヤを腹一杯食べられる幸せに感謝すべきだ。世界には腹を空かした多くの人がいる。ところで、わが家でゴーヤがなくなったら何を食べるかー。ゆらりゆらりと金魚ちゃんが泳いでいるではないかー。

ながみね温泉に久しぶりに行く。当直明けはどうしても体が重く気怠い。さらに暑さが追い打ちをかける。そこでお助け寺として公共施設を目指すことになる。この暑さでながみね温泉まで足を運ぶのも容易じゃないのかガラガラ。湯船をでぇーんとひとり占め。

大広間に行くとでかい腹を惜しげもなく見せた中年の男が大の字になって寝ている。部屋の電気は消えているがクーラーは効いている。畳を数えたら50枚、50畳に舞台もあるからもっと広い。贅沢な保養所である。貧乏人はせめてこういう施設を大いに利用すべきだ。
 
   8月25日(火)

明日が当直日だと思っていたら本日が当番。カレンダーには26日(水)に赤丸がついている。おかしい、これまで水曜日というのはなかった。そこでプリントされたカレンダーを見ると25日となっている。ああ、見直して良かった。月終わりに勤務表をもらいカレンダーに赤丸をつける。何度も確認したつもりだが間違えていた。こういう時はぼーっとしていてはいけないと反省。

インドのミミを柏に迎えに行った時から車のクーラーの効きが悪かった。暑さ慣れしている彼女は暑いとは言わなかったが車内は蒸し風呂のようだった。クーラーをかけるが温風が吹いてくる。あきらかに効いていない。クルマ屋さんで見てもらう。パイプが漏れているので交換という。クルマはオジンでおいらもオジン。何かと汗だけでなく想定外の金も出る。こまったものだ。

朝早く詩人会議に投稿するために郵便局へ。徒歩で片道20分で往復40分。おいらはノタノタと牛のようにゆっくりしているから50分ぐらいかかる。年寄りはそれぐらいの運動をしなさいということらしい。
 
   8月24日(月)

中野京子著の「怖い絵」(朝日出版社)を読んでは、ぼうーっ。土本亜理子著「花の谷人びと」(シービーアー社)と交互に読んでは、ぼうーっ。後者は千葉県千倉に「花の谷」というホスピスのある診療所のノンフィクション。死んでいくということは大仕事だと知らされる。

久しぶりに草取り。雑草も力を失ったのか簡単に引き抜かれる。グングン伸びていた時の勢いはない。季節は静かに夏から秋に向かっているのを感じる。やはり、自然にじかに触れることによって季節感を味わえるのは素晴らしいことだ。

風が吹き空が洗われているせいか青空が美しい。夏の湿った空気をたっぷり吸いこんだ空とはあきらかに異なる。おいらのハートのように澄み切っているのだ。「バーカ、勝手にそう思ってろ!」とは金魚ちゃんからの天の声。ああ、かわいそうな金魚ちゃん。今日も玄関の下駄箱の上で青空を見ないで終わってしまう。まぁ、それが宿命だな。
 
   8月23日(日)

今日、久しぶりに雨が降る。コロコロ花壇もコロコロ菜園も大喜び。うれしいという声が聞こえそうだ。これからは一雨ごとに涼しくなるののだろうか—。そうであってほしいものだ。

宿直明けの日は普段からのぼーっに拍車がかかりウルトラぼーっとして一日を過ごすことが多い。この日もそんな一日だった。昨日はミミへのリップサービスで忙しかった。それに暑さも加わり体力が消耗したのか、とにかく眠いのだ。

中野京子の「怖い絵」の一章を読んでは眠る。この本は面白い。ところが読んでいるといつのまにか本を片手に眠っている。眠れる美しき老人ーならいいのだがヨダレをたらし口を半開きにしている寝顔はきっと醜いのひと言に尽きるだろう。それでも眠いのです。さよならです。
 
   8月22日(土)

「なまえはミミ、これは愛称です」。インドのオロクさん一人娘と会う。今から20年前、当時10歳だったミミとインドで会った。コルカタの印日文化センターでも何度か会った。日本で会うのは初めて。

ダンナさんをインドに残し日本語の勉強に来日、大阪に居をかまえたのは昨年の4月。今年の4月に帰国予定だったがコロナ騒動で延びた。今回、特別便のチケットを入手したという。関空からの便はなく成田だけ。デリーに着いたら1週間の隔離。家族に会えるのは9月になってからとクチビルを噛む。

オロクさんが働いていたカスミつくばセンターを案内。こんな立派な会社で働きたい。ミミは大学法学部出身でダンナさんは9歳年上の大学教授。日本企業がたくさんインドに進出するようになりそこの会社の日本語通訳をしたいという。日本語レベルは5段階の3。ひらがなカタカナはもちろん300ぐらいの漢字をマスターしたという。ただ今30歳、とにかく明るく元気で頼もしい。
 
   8月21日(金)

涼しいうちにと8時半の受付にあわして運転免許の更新に行く。そうはいってもうだるような暑さだ。生半可暑さではない。土浦警察免許コーナーは盛況なり。おいらと同じ考えの人たちが沈んだ顔でソファーに座り順番待ち。待つことは慣れているようなオジンオバンが多い。

暑さは駆け足で去り行くことを知らないようだ。これは教育が悪い。世の中の悪事はすべて覚えさせる時にきちんと学ばせなかったことが原因だ。それに教育の不平等が影響している。国家は重大責任を負っている。それをぼうーっと傍観しているだけの国民もバカだ。

ああ、暑さですべてが狂いだしたようだ。しかし、わが家の金魚ちゃんからメッセージが届く。「狂うのはオマエさんだけでいい。あと3年の運転免許を取得しただけでこれだけ狂う人も珍しい。さっさと寝るべき」「ありがとうございます」
 
   8月20日(木)

高齢者免許講習に行く。これを受講しないと貴方の運転免許は更新できませんということ。足が萎えてきたと気弱になってきた。クルマがなければ何かと不便だ。
ここでもコロナ禍の影響を受け講習会場は窓を開けている。クーラーなど効かない。暑さで先生の話している内容がぼうーっと通りすぎていく。暑くて居眠りもできない。困ったことだが忍耐しかない。

千葉の白石さんから電話あり。去年、日本語を勉強するために来日していたインドのオロクさんの娘が23日に帰国できることになった。おいらの家に一泊して成田から帰りたい。泊めることはやぶさかではないが、「この、ご時世だからホテルに宿泊した方がお互いにいい」と返事する。

4月に帰国予定だったがコロナ禍で飛行機が飛んでいない。ようやく特別便のチケットが手に入ったという。それにしても急な話だ。インド人は相手のことを考えない。これまで何度翻弄されたかー。無事に帰り着くことを祈る。
 
   8月19日(水)

昨日の「一日一章」で「焼けはらに茂りおひそふ夏草のちからをたのみ生きゆかむとす」がよかった。
生い茂る夏草の力をもらい、この夏を乗り切らなければならない。暑さ寒さも彼岸までというぐらいだから日は長くなり暑さも和らいでいくはずだ。

「一日一章」を転載させてもらっているが初めて聞く名前もあり、意味がよく理解できないのも時どきある。焼けはらに茂りおひそふ夏草ーの土岐善磨というのは初めて知る。日本の歌人とあるがローマ字三行書きの歌集を出し石川啄木などと親交があり国語審議会会長なども務めた。

金魚鉢の清掃をやる。金魚ちゃんたちは夏の暑さを感じているのだろうか。平々凡々と毎日を過ごしているように見えるが心の裡はまったく分からない。きっと金魚ちゃんたちには今を生きているという実感がないのではー。ただ、なんとなく呼吸をしているーそんな感じではないか。
 
   8月18日(火)

セブンイレブンでブログを書く。ここにはwaihaiが設置されている。冷房も効いている。食い物飲み物はお金を出せばなんでも買える。ゴキブリでもネズミでもミミズでもきちんとお金を払えば買い物ができる。とにかく便利になったものだ。便利になった分大きなしっぺ返しを世界中で食らっているのも事実だがー。

わが家の金魚ちゃんでも買い物をできるがセブンイレブンに着くまでに息絶え不可能。水槽に入れて行けば買い物は実現するはずだ。ただ、その任を誰が受け持つか。おいらは嫌だ、ということは永遠に実現しないということ。

夢というのは永遠に実現しないことがほとんどだ。未完の夢として黄泉の国で楽しめばいい。なにしろ時間はたっぷりある。その時間の長さはセイコーやシチズン時計でも刻むことのできない。ああ、こういうバカなことを書きながら永遠の旅立ちするのもいいのではー。
 
   8月17日(月)

本日は晴天なり、本日は暑いなりでいばぶん事務所へ。モロモロの雑用をしているとプレステン社長が来る。「根本さんの意志を継いで農村文化の発展に努めたい」と無念そうに語る。「同じ茨城県人として頑張ってほしい」と伝える。彼は事業化で文化人で根本さんとは違った視点から農村文化を見ているようで面白い。

四中地区図書館で安倍公房の短編集を借りてきた。読もうと本を開く。文字が小さい。数ページ活字を追うが理解できない。昔はすんなり面白く読めたがー。どうしたものだろう。暑さで頭がぼーっとしているだけではなさそうだ。

東京代々木時代。下宿の2階に東大法学部の学生が住んでいた。付き合うようになり麻雀仲間として何度も卓を囲んだ。その学生が安倍公房ファンで仲間と自分の部屋で勉強会を開いていた。何回か誘われそれこそぼうーっとして成り行きを見ていた。北海道の饅頭屋の倅だそうで将来は弁護士になるといっていたが、今ごろどうしているだろう。そういうことで、おいらの安倍公房はさよならしたようだ。
 
   8月16日(日)

暑さから逃れる憩いの場所を考える。ながみね温泉、土浦市立図書館、四中地区公民館図書館などの公共機関。民間としてはいばぶん事務所、土浦イオン、土浦ピアタウン。そこで、山王姫へ写真を届けた帰りにピアタウンでパンを買い昼食。午後はながみね温泉につかりヒゲを剃ってさっぱりすることにしよう。ここまでピアタウンで書く。

本の返却するため四中地区図書館を覗いたら広い室内で中学生とおぼしき子ども一人がデェーンと大テーブルを独り占め。もちろん冷房は効いている。とても贅沢な勉強の場だ。いや、自宅の勉強部屋にはクーラーはなく暑くて勉強どころではないのかもしれない。考えに考えた結論はおいらと同じように逃げ場を探しここ最適と決めた。そうだったらなかなか知恵のまわるガキだ。

そういえば、わが家の金魚ちゃんも知恵がまわる。朝、金魚鉢のそばを通るたびに尾ひれをフリフリエサを求める。そのかわいい仕草にコロリ。エサをやる。食べて満腹になると呼んでもこない。無用の雑音とばかりだ。やはり金魚ちゃんはエライ!!
 
   8月15日(土)

朝の涼しいうちにと庭の芝刈りをやる。機具は刈り払い機。これまで手押し芝刈り機、手動式芝刈り鎌などいろいろ試したが刈り払い機が抜群に効率がいい、これはつくば文化郷で母屋の庭の手入れをやっていた職人やっていたのを見て教わった。

かあちゃんと大久保和司さんの新盆参り。山王台姫宅の健康坂に入るとヒンヤリする。高台の大きな木に囲まれた広い屋敷は温度が平地より1、2℃低いのでは。ともかくと坂を上がる。

仏壇に手を合せるとすぐに「大久保純子邸の庭」の最後の写真を撮りに外に出る。とにかく暑いのだ。それにこの屋敷はやたらと蚊が多い。防虫スプレーを忘れたことを車中で気づいたが遅い。とにかく、喘ぎながらパチリパチリ。終わって洗面所で顔を洗う。ここは井戸水だから冷たく気持ちがいい。何度も何度も洗うが無精ひげはそのまま。ひげまで剃り落としてくれるちパワーまではなさそう。とにかく井戸水の感激に浸る。お土産をたくさん頂きありがとうございました。

■大久保純子邸の庭 夏の巻 18
 
   8月14日(金)

朝5時に家を出て江戸崎町にある五百羅漢の写真を撮りに行く。霞ヶ浦から昇る朝陽を見ながらルンルン気分。田んぼの稲穂も少し黄ばんできた。長梅雨で日照不足が心配されたが順調に育っているよう。お寺に着いたのが5時半ごろ。お盆のせいか墓参りに来ている人もいる。おいらは彼らとは目的が違う。ハアハアしながら急な坂道を上がる。

赤い頭巾を被った五百羅漢は朝の光りを受け佇んでいた。夏草のむせるような匂いがする高台の一角でそれこそ整然と立ちすくんでいる。ああ、君は美しい。パチリパチリと忙しく動きまわる。やはり長ぐつで来るべきだっか。生い茂った夏草は強い。さらに蚊がたくさんいるらしい。虫よけスプレーをかけてきたがまったくひるまない。特に丸裸の手の甲がやたらと痒い。正味30分もいただろうか。痒さにたまらず下山。

午後、「大久保純子邸の夏景色」写真アルバムの整理をやる。このバージョンをまとめれば予定していた一年間通しての撮影は終わる。ただ、まだ8月は一度も撮っていない。行こうと思うが連日の暑さで出向く気になれない。早朝ならいいが、なにしろ女主人はアサガオの咲いているのを見たことがないという夜行型。なかな難しいものがある。
 
   8月13日(木)

朝起きて今日は何処へ逃げ暑さをしのごうかと考える。ともかく水郷公園に行き広々した緑を眺めながら決めよう。そういうことで快走自転車を走らせる。「動けばまわる」「ペダルをこげば前に進む」。

詩人クラブの谷口ちかえさんから、詩と写真「石仏に語る」薬師川虹一が送られてくる。おいらが贈った写真集「断捨離の祈り」の小冊子を見て参考、見習え、学べというということだろう。作者は同志社大学の名誉教授。きれいな写真とそれに似合った美しい詩。これはおいらが狙っている構想とはあきらかに異なる。おいらの場合はもっとドロドロとしたもの。悪臭が漂うどぶ川に一輪の花を流すようなもの。

ころころ花壇の庭石は熱射を浴びて焼ける。おいらの頭は熱射を浴び熱石ならぬ意志不能。そういうことで本日もぼーっのままで終わる。ありがとうございました。
 
   8月12日(水)

宿直明けの朝、仕事を終えるとそのままいばぶん事務所へ。今日は水曜日でつくば文化郷は定休日。実に静がなものだ。庭を見ていたらすうーっと根本さんの顔が浮かんでくる。実にあっけなくさっぱりと消えてしまった。これだけは取り返しがつかない。生き残った者はそれなりに頑張るしかない。

とにかく猛烈に眠いのでひと寝入りする。いつでもどこでも熟睡できるという特技を持っているからすぐに爆睡。目をさまし、さておいらはどこで寝ていたのだろうとキョロキョロ。どうも辺りの雰囲気がいつものと違う。自宅でも宿直室でもない。ましてやクルマの中でもない。しばらくして、そういうことかとようやく気付く。

昼過ぎ自宅に帰る。一カ月ほど寝かしておいた詩をまた推敲して応募する。今年はあちらこちらに応募して八勝三敗。選者によってまったく異なる評価が出るのが面白い。とにかく詩を書くという楽しみができた。幸せ者だよ、おいらはー。
 
   8月11日(月)

運動不足だ。少しは自分の体をいじめハッパをかけなければー。そこで元気印の自転車に乗り朝の散歩。コースを変えようと土浦駅東口から土浦港を目指す。朝5時半だから出会う人も少ない。朝は平和でヒマなのだろうかー。まだ口を半開きにして眠っている人がほとんどのようだ。

快適なのは朝だけだった。家に帰ると夏の暑い日差しがドンドンおいらの部屋に入ってくる。不法侵入だ。扇風機をハイパワーにしても生暖かい風が吹いてくるだけ。これはたまらんと水風呂に入り汗を流す。しばらくは快適だがすぐに体がほてってくる。

そういうことで午後は読みかけの本を持って土浦イオンに逃げる。ほっと一息ついてソファーで本を読んでいるとご同輩らしき白髪のオジンがいる。おいらでも考えつくことだから居てもおかしくない。それにしても暑い日が続く。これまで経験したことのないような異常気候。立花隆の「思考の技術」を読んでいるせいかー。30年前に出版したものを再編集したというが今でもりっぱに通用する。30年前に予測した事態が地球上で今まさに起きているのだ。
写真は滝野園の宿直室から見た夕焼け。きれいだった。
 
   8月10日(日)

さあ、逃げよう。うだるような暑さから逃げようということで土浦図書館へ。午前10時過ぎの館内はオープンして間もないせいか普段より空いている。「三密」の心配不用といわんばかり。写真集をパラパラめくる。写真にも流行があり表現方法がどれも同じような時代がある。おいらもその時代に合わせて真似をした。ところがデジタル時代になるとガラッと変わる。若い人の真似をしようという意欲がなくなったのだ。

ソフトを使い思い通りに加工した写真ができるようになったのが大きい。おいらにはパソコンを使い編集ソフトを自由自在に操る技術がない。もっとも、そういう技術を身につけたとしても写真を覚えたころのリアリズム写真というシバリから抜けられられないだろう。

最近はストレートに撮りそのままにしている。この方が作業的にも楽だし被写体と向き合ってシャッターを感触が伝えられるような気がする。それよりままならないのは体力の衰えだ。今日のような暑さになるとカメラを持って出かけようとい気にはなれない。途中で倒れてしまうのではー。そういう心配は大あり。図書館でくすぶっている方がいいのだ。
 
   8月9日(日)

宿直明けの日は頭がぼーっとして駄目だ。そして体が重く動かない。追い打ちをかけるように強烈な暑さ。頭の中も肉体もボロボロの状態。そして、とにかく眠い。昨日買ってきた本を読んでは眠る。この繰り返しで一日が終わる。

いや、午後はかあちゃんの買い物のアッシー君をやった。いつも行くスーパーはいつもより閑散としている。きっと夕方になれば混むのだろう。店員はもちろん買い物客も全員マスクをしている。最初は違和感があったが、新しい生活スタイルというマスク姿にも慣れてきたせいか抵抗なく見れるようになった。

慣れというのは恐ろしいものだ。これがこのまま定着しないで欲しいと願いながらブラブラ歩いて自分で食べたいものをカゴに入れる。どうしても酒のつまみ類が多くなる。「柿の種」は忘れてはならない。そそくさと帰り野球観戦をしながらチビリチビリ。巨人は絶不調のようだ。おいらも絶不調だ。
 
   8月8日(土)

朝の散歩は快走自転車で川口運動公園を目指す。初秋の風が吹いているような爽やかなお天気。霞ヶ浦では釣りをやっている人がチラホラ見える。おいらが土浦に越してきてから街並みの景色も随分と変わった。これからも遅々と変わっていくのだろう。

家でぼーっと過ごしていると昨日の告別式のことが思い出される。「やあ、久しぶり」と声をかけるとむくっと起き出してきそうな顔をしていた。とても亡くなっている人とは思えなかった。長男のあいさつでしばし嗚咽。きっと無念さがこみあげてきたのだろう。そんなこんなを思い出しながらぼーっと過ごす。

今日は宿直日。仕事前のヒマつぶしに早めに家を出て土浦イオンの書店に行く。衝動買いで新書版二冊を買う。珍しくレジが混んでいる。どこへも出かけられなくなった人たちは自宅で本を読む時間が増えたのだろうか。土浦図書館はガラガラだというのにと思う。
 
   8月7日(金)

故・根本健一氏の告別式にいばぶん理事長と参列する。コロナ禍で全員がマスクをしている。何とも重苦しいお別れの会場だった。昨年十月以来、お顔を拝見する。まるで生きているようだった。遺族代表であいさつをした長男ゆう君の言葉に感動して涙腺がゆるむ。「ー 近くになり遠くになるような気がします -」。根本家の世代は受け継がれるということだー。

つれあいを亡くすということは
ケンカをする相手がいなくなるということかー。

昼食を理事長ととる。そこで横浜に住んでいらっしゃるお坊ちゃんの話を聞く。糸はもつれた、こんがらった糸をほぐすにはどうすれば良いのか?。なぜ今ごろノコノコと出て来て騒ぐのかよくわからない。これは暑さで頭がぼーっとしているという問題ではなさそう。謝罪とお詫びは何も恥じることではない。
 
   8月6日(木)

暑い日のインドはたまったものではない。寒暖計が壊れたのではないのかと疑うほど40℃近い数字にとどまったまま動かない。西ベンガル州シャントニケトンの片田舎でガジュマルの大木の下で褐色の男たちが休んでいる。目だけ異様に光っている。十五、六人が地面にペタリと座り込んでおいらを見ている。壷井栄の「二十四の瞳」というようなかわいいものではない。やせ細った体でランランと光る瞳がおいらを凝視する。一瞬、たじろぐほどの恐怖を覚える。

要するに体を動かすには限界を越えた外気温なのだ。働きたくても働けないのだ。彼らの目の前にはスコップやツルハシなど道路工事に使う道具が転がっている。怠け者とかさぼっているとかという問題を通り越している。

今日の小松界隈はそんな暑さだった。「三密を守れ」というような標語は消し飛んでいく。暑くて動けない。ただぼんやりと太陽が穏便に西に沈みお隠れになるのを待つ。それを待つようにしてブログを認める。どうやら、本日もおいらはお隠れにならずに生きている。感謝、感謝だ。
 
   8月5日(水)

電動自転車で颯爽と水郷公園を目指す。ところが公園に到着するとバッテリー切れ。この自転車はバッテリーとモーターが付いているだけに普通のママチャリより重量がある。帰りの坂道を考えただけでうんざり。かわいそうと身体が同情してくれたのか汗がどっと出る。

根本健一さんの逝去を新聞で知る。去年の十月だと思うが息子さんと三人でラーメンを食べたのが最後だった。倒れてからの病状を聞き一時退院して自宅に戻った時も見舞いに行かなかった。とにかく気の毒で会いたくなかった。根本さんから会いたいとってきたら会おうと思っていたが叶わずとなった。

おいらの部屋は37℃もある。何処かへ逃げ出そう。そこでながみね温泉か図書館かと迷う。そうだ、神立図書館へ行こう。わが家からは少し遠いが同じ土浦市内だ。そこで神立図書館分館へ。コロナ対策の表示が目障りだが本家と同じで人は少なく閑散としている。しばし時間を過ごして帰る。とにかく暗い一日だった。
 
   8月4日(火)

宿直明け。朝からギラギラ太陽が照りつけている。「暑くなるぞ!暑くなるぞ!」という雄たけびが空から降ってきている。イオンに行き外にあるデッキでひと休みする。まだ9時前だというのに買い物客が続々やってくる。そんなに急いで買わなくてはならないものがあるのだろうかと感心しならぼーっと見ている。

昼食後、久しぶりにながみね温泉に行く。コロナ対策ガードが堅い。あちらにこちらも透明なビニールで壁をこしらえている。もちろん職員はマスクをして美人か不美人か分からない。もっとも中年女性が圧倒的多いからしみじみ見たいとも思わないが異様な光景。さすがに湯船はフリースタイルでよろしいということです。

大広間には先客二名。たっぷりとたっぷりとした空間が広がっている。ひと眠りしようと横になるが寒さで十分もたたないうちに起きる。いつも過ごしているおいらの部屋にはクーラーがない。扇風機と外からの風だよりの暑さ対策。どうもクーラーは苦手のようだ。今度利用する時は薄手のジャンバーを用意しておこう。
 
   8月3日(月)

いばぶん事務所でそれなりの仕事をしていたらひょっこりCROSSのK氏がやってくる。SK氏の寄贈本について。全部終了したという報告。著者が入院療養中というのでおいらと二人で動き回ったがこれで一応のケジメがついてひと安心。

「検察庁から来た男」(佐々木譲)を読む。ここしばらく推理小説や探偵小説などは読んでいなかった。面白いとすいすい読めるから時間があっという間に過ぎてしまう。この作者は北海道を舞台として警察内部事情もからませて今までのストリー展開とやや異なっている。

結城昌司の「ゴメスの名はゴメス」。このスパイ小説は面白かった。寡作だった土屋隆夫の推理小説には人間の悲しさが描かれていた。開高健が人体で食べてみたいものはと問われ「松本清張の分厚い唇」と答えたという清張シリーズも読んだ。外国物ではフォーサイスなどたくさんいるが作家名が思い出せない。いろんな本があるもだ。
 
   8月2日(日)

朝起きたらの仕事として草むしりをやる。草むしりをやりながら考える。今日は何をしようかー。毎日が日曜日のような生活。時間はたっぷりあるが喫緊にやらなければというものがない。これも何か寂しいものだ。

つい最近。亡くなった大林宣彦映画監督の生前の話をNHKFMで聴く。自らを70歳の新人監督と名のり「生死感」について語ったいる。興味津々耳をかたむける。「もともと存在しなかったものが偶然という形で生を得て死ぬことによって消えていくもの。70歳にもなれば死は怖いけど恐れてはいない」。なるほどなるほど。

夕方、初秋を感じさせるような爽やか風が吹いている。空を見上げるときっちりとした青空。それを見ながら早く始末してしまおうとニランジョンにbiodataをメールで送る。日本語で書いているからニランジョンには読めないはずだ。誰かに英訳してもらうのだろうか?。インドの何とか賞なってもらってもしょうがないが、ただでくれるというものなら何でも貰うだけだ。どうせダメだろうけどー。
 
  8月1日(土)

久しぶりに夏の青空が顔を見せる。ああ、その青さはこういう色だったのか。それに太陽が熱い陽射しをギラギラ。入道雲がぐんぐんとせり上がり夏一色。若い人にはうれしい夏到来だろうが年寄りには光りの強さに喘ぎながら深いため息の連続。

ニランジョンとメールでやりとりが出来た。おいらの「bio data」が欲しいという。さて「bio data」とはなんぞや?。グーグル先生に尋ねるがどうも意味がピンとこない。「bio data」とはなんぞやとメールを送ると「私はあなたに重要なインドの賞を推薦したいと思います。 そのためにあなたのバイオデータまたは履歴書が欲しい。 あなたが生まれたとき? あなたは何を勉強した? どこで働きましたか? あなたの住所と日本インド文化交流のために何をしたか?」。今度は日本語で書かれている。

ニランジョンも出世してそういう役どころに就いたのかー。エライものだ。インドから何とか賞をもらってもしょうがない話だが「後から日本語で書いて送る」と返事。すかさず「待っています」。
 

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