怠惰な散歩  2020年6

   6月30日(火)

今朝は涼しかった。山王姫の個人送迎タクシーは元気に役目を果たす。帰り、土浦の「錦水」でうな重をお土産に頂く。国産うなぎを使用とパンフレットには書いている。それだけにお値段も張るだろうがスタミナをつけなければという。ご相伴に預かり感謝。

山王姫の体は順調に回復に向かっているようだ。腰を痛めてから3週間近くなる。若い時ならもうとっくに完治しているのだろうがそうはいかなくなったのだ。先生は痛くなったら1週間後にくるようにというが、もう通院しなくても全快するだろう。そう願って多神教の日本人のおいらは世界中の神さまに祈る。どうか年寄りを大切にして下さい。

いばぶん事務所で写真整理をしていると元相棒がCROSSにまだ写真があったと段ボール2個を持ってきてくれる。ようやく整理の目途がついたと思った矢先。唖然とする。昔はこんなに動き回って写真を撮っていたのかと感心する。今では小松界隈をチョコチョコ歩いてパチリパチリ。老いるということはこういうことかー。「バーカ、もう随分昔から老いてるよ!」金魚ちゃんの声。ありがたくいただく。
 
   6月29日(月)

本日、草取りをせずに一日を過ごす。これは珍しいことだ。いつもは、どこかに隠れている花壇や菜園の雑草をむしり取ってはすきっ歯をパノラマのように広げひとりほくそえんでいるおいらには珍しいこと。

どうして草取りをやらなかったのかーという理由は簡単。暑くて体が動いてくれないのだ。「年寄り殺すには刃物はいらぬ。一時間もカンカン照りの屋外に放っておけばいい」。そういうヤバイ声がジンジンと伝わってくるのだ。これはまずい。そういうことで引きこもり老人となる。

堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」下巻をキンドルで読む。文字が大きく暗いところでも読めるのは有難い。「せめて35歳まで生きたい」と若者は太平洋戦争開始時の状況下で願う。若者は24歳。「戦争に行くのは殺されに行くのだ」「人間は、小学校と軍隊で、階級の上下を問わずにね、社会の全階級が一度いっしょになる機会があるんだ」。いろいろと考えさせられる。
 
    6月28日(日)

パソコンに向かい写真の整理をしていたら姫丸子から電話。ランチサービスをやっているお店があるから一緒にどうかというもの。場所はわが家から車で10分もかからない。かあちゃんとノコノコ行く。姫丸子はほかの友人にも声をかけていたらしく阿見町に住む夫婦も登場して5人でおいしい昼食。

姫丸子のリップサービスは食事だけにとどまらずデザートにバームクーヘンまでごちそうになる。さすがにボリューム満点で残し持ち帰る。他のひとを見ているとペロリと食べ残しがない。きっと食べるというエネルギーに満ちているのだろう。姫丸子さま、ごちそうさまでした。

「詩人会議8月号」が送られてくる。編集長から長すぎるから前の二連をカットした方がいいというアドバイスを受けバッサリの「乳房(おっぱい)の重さ」が掲載されている。読み返してみると二連をカットしてすっきりとしている。結婚式のスピーチと女のスカート短ければ短いほどいいというからと納得する。
 
   6月27日(土)

いばぶん事務所で写真整理。山王姫から電話あり。物事を進める順序を間違えると軌道修正するのに大変なエネルギーを要求される。詳しい話を聞き電話を切ってからつくづくそう思う。

姫丸子から頂いた鶏のから揚げの残り物(骨)を小鳥の餌台に置いていたら何処かの猫がヒラリと飛び乗り食べている。それを電線にとまっているスズメ数羽が見下ろしている。これを長閑な風景というのだろうか―。

仕事前の夕方、隣のお隣の奥さんがしっかりマスクをしてジュース1本持参でドライフラワーにするのだとコロコロ花壇に咲いているシロタエギクを貰いにくる。かあちゃんチョッキンチョッキン切っている。それをまたスズメ数羽が電線にとまり見下ろしている。これを平和な光景というのだろうかー。
 
   6月26日(金)

どういう一日だったかと問われれば返答にこまるような平穏な終日だった。この平穏という言葉がいかに大切かだ。新型コロナ騒動で社会は混乱の渦中にある。その中でオジンとオバンが平穏な日常を過ごせるということは神さまの仏さまその他大勢の神々に感謝。

いばぶん事務所で昨日CROSSから運び込んだ荷物の整理。ほとんど捨てるべきという覚悟で作業を始めると速やかに進む。断捨離とはこういうことかと考える。

山王姫から電話あり。順調に回復しているという。それはいいことだ。今後は年相応な行動をと願う。この際だから世界中のあらゆる神さまに全治のお願いしよう。それでは、東西南北にいらっしゃる神々さまよろしくお願いします。
 
   6月25日(木

わが家から郵便局まで往復約3500歩ある。傘をさしてトボトボ郵便物をポストに入れに行く。道中の野辺にはユリの花やコスモスも咲いている。一雨ごとに緑が濃くなっていくようだ。季節は盛夏に向けまっしぐら。

元相棒からメールが入る。CROSSが引っ越しするので個人荷物の整理をということ。ノコノコ出かける。以前座っていたデスク隣の棚にはフィルムがたくさん保管されている。常陽新聞時代に地方要覧のために撮った写真だ。30数年前のことですっかり忘れている。

ところが数枚の写真を見ると記憶が蘇る。どこで何を目的に撮ったのか。不思議なものだ。ほとんどのフィルムは不用で処分することになるだろうが、とりあえずいばぶん事務所に運ぶ。事務所はいろんな人の預かりもので部屋いっぱい。コツコツ整理処分するしかないだろう。
 
   6月24日(水)

朝起きてすぐに畑仕事。仕事とよべるほのオーバーなものではない。昨日買ってきた野菜苗を10株ほど植えただけだ。それでも本人は天下に誇れるような仕事をしたと満足しているのだからバーカなオジンだ。こういうバーカがいるからこそ国家は成立する。

山王姫の腰の具合は少し良くなったという。今回で2度目の施術を受け前回よりはぐーんと楽になったというまだまだのよう。二人でジョイフル本田で買い物をして帰る。先生は1週間後に来るようにというがそれまで完治しておればいいがー。

土浦イオンの本屋に立ち寄る。本を一冊買おうと思ったが金がないので諦める。人出を見る限りいつもに戻ったような気がする。ただ、カラフルなマスクを着用した人が目立つ。これもお洒落かー。顔が見えない分、せっかくのお化粧も雲隠れ。化粧品メーカーの売り上げが減ったのではー。
 
   6月23日(火)

 ■
スカシユリが咲き出し
ヒマワリは大きな葉を揺らし
咲き誇る黄色い大輪を目指す

そうであることも考えず
命は一途に前を向いている

物語を作るということは
言葉に衣をつけるようなもの
ひたむきに ひたむきに
 
 

菜種梅雨とでもいうのか朝からどんよりした雲が垂れている。石岡から土浦荒川沖まで臨時配送業を務める。荷物は人間である。生きものだけに乱暴には扱えない。そういうわけで、知り合いの医療院で満足に歩けない山王姫の施術をしてもらう。夕方、様子はどうかと電話を入れると「少し良くなった」。よかった、よかった。

毎日が健康であればいいと願うがそうはいかない。今日の天気のように晴れたり曇ったり日々変化する。それをうまくコントロールして乗り切れるか―。これは神業に近い。

チャーコが遊びに来る。ダンナさんがやはり腰を痛めているので病院への送迎でなかなか時間が取れないという。さらに、ダンナさんはここ数カ月で10キロも痩せたという。体重オーバー気味だったからそれは良かった。
周囲の知人を見渡すと病人が多い。我々はどういうわけかそれなりに元気だ。ありがたいことだ。
 
   6月21日(日)

2馬力の威力。山王姫宅の刈り取った雑草のかたずけに母ちゃんと行く。夫婦シルバー隊は働くのだ。働かなけらば食えないのだ。年寄り、年寄りと引っ込んでいてもしょうがない。少しは自分の体をいじめて体力の増進は無理としても維持に努めることだー。

作業は1時間半ほどで終わる。汗も少しかく。心地よい汗だが息はあがってハアハアゼイゼイ。母ちゃんガンバル。元気なものだ。さて、この鶴の恩返しがいつくるかー。これが問題だ。

依頼主は腰を痛めながらも陣中見舞いに顔を見せる。相当な痛みのようだ。気丈な彼女があれほどの苦痛を訴えることは相当なものと想像する。ともかく、一日も早い回復を願いさようならする。
 
   6月20日(土)

瞬間的に思いついた写真がある。そこで試して見ようと水郷公園に自転車で行く。なんでも閃きが大切。自分なりに工夫して撮るがなかなかしっくりいかない。

加藤登紀子の「土にいのちの花さかそ」を読む。多彩な人で詩も書いている。最初の赤ちゃんを産んだころの詩が新鮮でとてもいい。世界中を旅しているからエッセーの話題も豊富だ。夫が残してくれたという「鴨川自然王国」を一度見たいものだ。

夕方、「断捨離の祈り」の小冊子届く。山王姫から電話あり。テレビで野球観戦とスイッチを入れるとゲームは終了している。巨人戦は昼間行われていた。ほとんどテレビを見ないのでどうなっているか分からない。きっと、いい番組もたくさんあるだろうが最後まで見るという集中力がなくなったから段々縁遠くなる。こまったものだ。
 
   6月19日(金)

久しぶりに土浦図書館に行く。受付カウンターに透明なビニールシート。館員はマスクにゴム手袋。椅子は間引きされ半分に減っている。館内アナウンスがあり「館内ではマスク着用と出入りの時は必ず消毒をするように。利用時間は1時間程度でお願いします」。これが、新図書館利用方かー。

それでなくてもいつも閑散としている図書館。それに輪をかけたように来館者も少なく清掃をする人と館員が本の整理をする足音だけが聞こえる。

利用者にとって空いているのは結構なこと。ただ1時間程度の利用をという時間制限はどういうものか―。2時間利用したかったら、一度退館してから再入館しろということか。これは、駐車券を持っている人にはあてはまるが、ぶらりと入ってきて居眠りしてからの人にはあてはまらない。まさか、そこまで監視はしていないだろう。そう、信じたい。
 
   6月18日(木)

さあ、藍工房シルバー草刈り隊のメンバーひとりは張り切って朝早く自宅を出る。快適な空模様で野良仕事には最高。やや肌寒いぐらい。出張先は桜川、恋瀬川を越え石岡市内の大きな邸宅。主はまだ夢の世界だろうが、その旨を話し承諾を得ている。ケガをしないように慎重、シンチョウに!!

草を刈りながら考える。或る人は、「百姓は百のこなせなければならない!!」。そう言って果敢に動いていた。それが、今は病に罹り思うように動けなくなっている。おいらは、まだ動ける。神はいつまでぼんやりしているのだろう―。

草刈りを終え主とお話し。さては、分からない、淋しい人が横浜にいるらしい。言葉というのは温かくなくてはならないのだ。安倍首相はテレビカメラと用意された原稿の棒読み。おいらは、一瞬、目を疑った。この人は普段からあまり本を読んでいないのでは―。
 
   6月17日(水)

心地よい朝の目覚めだった。宿直室の窓を開けると筑波山が望める。紫峰の山と形容するように朝夕は薄い紫がかかる時があるが、今朝は普通の筑波山の色合いに見える。

ヤフーオークションを始める。もっとも実務的な作業はS氏におんぶに抱っこ。おいらは他人さまの持っている秘蔵品をうまくだまらかし写真を撮りS氏にデータを送付する役。何かの楽しみと思いついた次第だがよそ様の財産を利用して金を稼ごうというあさましさ。いつか天罰が下りそう。

売れたらそれなりの喜びもあるだろうが、出品作の多さに驚く。数万点単位。これは無理だ。誰がこのオークションを見ているのだろう。世の中には摩訶不思議な世界があるものだと感心する。
 
   6月16日(火)

「女々しい男」について考える。グーグル先生に問う。「考えやふるまいが女性らしいこと」「意気地がなくて弱々しい奴」とある。おいらからいえば「チンポコ+オチンチンの小さい男」。

さて、本日の一日を振り返れば可もなく良もなく、実に慎ましい終日でした。ただ、暑かったです。フォンティーヌの森に潮来マリーナから譲り受けたというクルーザーを見に行く。こどもランドにでんと座っている。キャンプ場にクルーザーがあるというのはどういうことか―。深く考えてもしょうがない。とにかく在るのだ。

昼過ぎ、いばぶん事務所にS氏が来る。県に提出する書類について。行政手続きというのはやっかいなものだ。これまでやっかいなものから逃げて生活してきただけに余計ウンザリ。今年一年の辛抱だ。一線を退いたらやはり淋しくなるのだろうかー。よく分からない。
 
   6月15日(月)

心も体も脳みそもとろけそうになる暑い一日だった。そんな中、堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」(上)を読む。おいらとまったく違う境遇の中で育ったようだ。もちろん、日本を取り巻く社会状況は違い一概にはいえない。ただ、勉強に明け暮れていた青春時代。そういう環境下にあったことをうらやましく思う。

人それぞれの子供時代。妬んでもどうなるものでもない。自分自身が納得できる人生ならそれで良しということだ。

―先人たちの英知は、明日を生きる心の糧に―。という帯文がついた岩波書店から出ている「一日一文」木田元編を見つける。これはM氏から譲り受けた本の中にあった。本日は芥川龍之介「また立ちかへる水無月の欺きを誰にかたるべき。沙羅のみづ枝に花さけば、かなしき人の目ぞ見ゆる」 
 
   6月14日(日)

今日は日曜日。当直明けの朝は曜日が時々わからなくなる。雨は止んでいるがいつ降ってきてもいいような梅雨空。日曜日は何となくルンルン気分になるのだが気分が晴れない。お天気のせいだろうか―。

緑のカーテンにしようとベランダ側に植えた白い朝顔が一輪花を咲かせている。朝顔で花のトンネルを作ろうという作戦。これがうまくゆけばと念じているが朝顔の発育はいま一つ。これからグングン伸びるのだろうか―。

雨が止んでいるうちにと忙し気に畑の草むしりをやる。トマトは背丈が伸び元気だがまだ花芽もつけていない。キュウリは元気で順調に育っている。今年、一本だけ食べた。これからが楽しみ。山王姫から押しかけで草刈りの仕事をもらう。体力とお天気の具合を見ながら行くことにする。
 
   6月13日(土)

シトシトと雨が休みなく降る。梅雨入りしてただ今進行中。止まない雨を見ているだけで気分が沈んでいく。これじゃ、気晴らしの草むしりもできない。傘をさしてやる方法もある。合羽を着てやる方法もある。しかし、そこまでしてやりたいと思わない。雨は降る。

写真集の祈り」のテスト版をネット印刷のラクスルに送る。どんな具合に仕上がるのか試してみよう。少々の出費はしょうがない。そうしないと心がどんどん暗くなり沈没してしまう。

今日は宿直の日。どういうわけかおいらの仕事日は雨の日が多い。出かける準備をしていると山王姫から電話。完璧なシナリオ作りに没頭しているようだ。今回のようなハプニングはボケ防止としてもいいのかも知れない。まるで、雨降れば地固まるを実行しているようだ。雨はまだ降っている。
 
   6月12日(金)

電動自転車で颯爽と水郷公園に行く。坂道が多いからとせっかく兄貴が買ってくれた5段ギヤ付きの電動自転車。なにしろ家を出るとすぐに急な坂が待っている。その坂を下りるだけで一大決。そのせいかなかなかペダルを漕ぐ機会がない。

水郷公園では若者が野球をやっている。遊びでやっているようでピッチャーはセカンドベースから投げている。とても力強く感じる。おいらならキャッチャーまでボールが届かないだろう。若いといことは素晴らしい。

でも、彼らは彼らなりの悩みを一つや二つは抱えているだろう。犬を連れて散歩している人も見かける。その人も犬もとんでもないような悩みを背負っているかも知れない。外見からは真実の心の奥底は分からない。そういうことで本日はお終いです。
 
   6月11日(木)

「今朝、ママンが死んだ」は、カミュの「異邦人」の冒頭部分。わが家では、「今朝、金魚ちゃんが死んだ」。カレンダーを見ると大安。そうか、おまえさんにとってこの日が最良の死ぬにはふさわしい日だったのか。裏のコロコロ菜園に埋める。肥料となってもうひと働きしてもらおう。

いばぶん事務所へ昼過ぎ理事長こと山王姫参上。いろいろと打ち合わせ。昨日はソロプチの定例会があったという。コロナ騒動も少しは落ち着き社会は少しずつ動き出したようだ。おいらの収入源の一つである整復師会も正常に戻り早く仕事を貰いたいものだ。そうしてもらわないと、とてもこまるのだ。

山王姫の頭は冴えている。「女ひとり生きていくことは大変なんだから」というように自己防衛の網の目はこと細かい。思わず戦略を聞いてうなってしまう。やはり、男より女の方が強いようだ。
 
   6月10日(水)

朝、起きて新聞を読む。東京に住んでいる頃は必ず夕刊も届いていた。そういう契約をしていた。茨城に越した蓮河原、荒川沖時代は夕刊もとっていた。ここ、小松に越してからしばらく夕刊も購読していた。ところが、あまりにも朝刊とのダブりが多く無駄だとやめた。

ところがだ。夕刊を読んで一日が終わるというケジメがなくなったせいかどうも落ち着かない。あの時から何か生活のリズムが狂ったような感じ。

その違和感も今は慣れ何とも感じなくなった。気張って世界や日本の動向を知ってもおいらとあちゃんの生活に支障をきたすようなことはない。それより、ポストには善意の現金が入っていた方がうれしい。それも、重い硬貨ではなく軽い軽い紙幣の方がありがたい。お待ちしております。よろしくです。
 
   6月9日(火)

暑い一日だった。とにかくガマンの終日だった。暑さ寒さも彼岸までというから8月中旬までガマンガマンとして生きなければならない。そう思っていても途中でどうなるかは神さまが知るのみ。

久しぶりにながみね温泉に行く。ようやく営業を開始したが朝9時から夕方5時までとオープン時間は短くなっている。室内は新型コレラ感染防止のためにあらゆるところにベルリンの壁ならぬ透明なビニールで遮断されている。万里の長城、トランプのバカカベといい人は仕切りを造るのが好きなようだ。

おいらは加齢による年寄りの壁。ながみね温泉の大鏡に映った裸体は老人という名に恥じない。ああ、よくぞここまで生きてこられましたと湯船にドボン。イノチはドボンでサヨナラではなくきちんと湯からあがることができました。感謝です。さようならです。
 
   6月8日(月)

「人間と病」詫摩佳代(中央新書)を読む。ペスト、コレラから新型コレラまで。新型コレラについての功罪として「感染症の管理は国際社会において、数少ない共通項となるので、関係国の協力を深める貴重な契機となる。

「現代社会では、喫煙や糖分のとりすぎによる生活習慣病も課題だ」。愛煙家としてはこちらの方を興味津々と読む。「多くの喫煙者はストレス解消を求めて喫煙するというが、実際には、ニコチン切れによる離脱症状(禁断症状)からの緩和にすぎない」(P162)

そこで考える。「離脱」についてだ。結論「愛煙家は人間社会から離脱しないように喫煙する」という自分勝手な理由をつけて、特老施設滝田の喫煙室でプカリプカリやる。さようならです。
 
   6月7日(日)

昨日はS氏と山王姫宅へ行きネット販売に向けた写真撮影をした。そしておいしい昼食もごちそうになった大いに満足できる充実した日だった。こういう日は最近は少なくなった、と夕方チビリチビリやり感慨にふけっていた。

その反動か今日は何もする気になれない。食欲もなく全身が気怠い。そうか、ぼーっとしていろということかー。そういうことで草むしりやったり本を読んだりかあちゃんの買い物のお手伝いをしたりで過ごす。

わが家から見える雑木林の緑が色濃くなる。緑の葉っぱが折り重なるようにこんもり山を作っている。自然の逞しさを見せつけられ、何とか詩にできないものかとぼーっと見る。何も浮かばない。空白の脳みそ。そういうことで本日はお終い。
 
   6月5日(金)

どうして朝になると目が覚めるのだろうー。いつも思う、起きるのが面倒ならそのままずうーっと眠っていればいいのにー。そして、本人が知らぬ間に焼かれて土の中で永遠に眠る。それらの行為が本人の意識なく行われるというところが面白い。

死んだら何ができないかといったら、自分の死亡記事を読むことができないことだ。それじゃあまりにもかわいそうだからと生前葬を行うのもいいかも知れない。

人間は死んで焼かれるから自然界に何の恩返しをできない。その点、野生の動物や植物全般は死んでからもきちんと恩返しをする。「死はこわくない」立花隆(文藝春秋)を読んでいたら、そんなことを考えてしまった。今晩もぐっする眠れそうです。そして明朝も目覚める予定です。


「死はこわくない」立花隆
「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで自然に人間は死んでいくことができるんじゃないか」帯より。

■大久保純子邸の庭 夏その4
 
 6月4日(木)

ようし、今朝は頑張って刈り払い機で雑草をやっけてやろう。わが家の土手の雑草の草刈りは容易ではない。傾斜がきつく高い。刈り払い機では途中までしか届かずいつも苦労している。それでも下部の方はなんとかやっけた。後はコツコツと裁ちばさみでチョッキンチョッキン。

最近、どこの食べ物屋でも持ち帰りをやっている。持ち帰りではオジン語、世間ではテイクアウトと言っている。そこで昼食はラーメン屋幸楽のテイクアウトを試してみる。さすが麺類はない。チャーハンと餃子となっている。これが新生活というのか。何となく味気ない。

夕方、酔っぱらい間違えて中学時代の同級生に電話をかける。翌朝になると全部記憶にないからと酒の勢いを借りての電話はよそうと決めていた。それなのにだ。間違いでも先方は久しぶりと喜び長電話になる。きっと明日になればいつものように忘れているのだろう。こまったものだ。
 
   6月3日(水)

滝の園の朝は出勤者でにぎわう。歩いて来る人、自転車で来る人、バイクで来る人。最も多いのが車でやって来る人。朝の巡回時間にはガラガラだった二つの広い駐車場はみるみる間に車で埋まってしまう。これだけの人が何らかの形で入居者の世話をしている。逆にいえば、これだけの人が従事しなけば入居者の面倒を見られないー。介護を受けている人より働いている人の方が多いような気がする。

おいらは仕事を終えて帰る人。そのことを出勤する人たちは知っているのか「おはようございます。ご苦労さまでした」と声をかけてくれる。何か、こそばいような照れくさいような気持ちで朝帰りとなる。

昼過ぎ山王姫宅へ。キャプテン斎藤のご子息との出来事を聞く。内容が貧しく暗澹たる気持ちになる。表門のくぐり戸を開け入って来た時の爽やかな風がすうーっと消えてゆくような話。いったい何が欲しいのかー。何となくとても淋しい人だと思う。

詩人会議7月号に2編掲載される。
 
   6月2日(火)

わが家にいつもやってくる野鳩が二組いる。単独でやってくる孤独な鳩と夫婦連れの二羽。孤独な鳩は恋人が見つからないのか、それとも結婚適齢期を逃したのか、連れ合いに先立たれたのか分からない。その孤独な鳩が足をピョコンピュコンと跳ね上げながらエサをついばんでいる。どこかでケガをしたらしい。見ているだけで痛々しい。それでもエサを食べて体力をつけ生きようとしている。それともただお腹が空いているだけかー。

野鳩は病院へ行くこともままならぬが、おいらは虫歯の治療で歯科医院へ行く。治療を終えて先生「もう一回くれば終わりです」。野鳩にはそういうことはないだろう。かわいそう。

夕方、キャプテン斎藤のことで電話あり。話を聞いてみるとそうとうしたたからしい。長年、親の面倒も見ないで亡くなってから騒ぎ出す。やはり親は死んでもいくばくかの遺産は受け取りたいのだろうかー。なんとも情けないような悲しいような気がする。
 
   6月1日(月)

さあ、今日から6月。どうする、どうしようもなく生きてみるのも悪くない。そういう日々の繰り返しで高齢者という刻印を押された。それなら、サヨウナラするまでそれを続けるしかない。

わが家の友だちは金魚ちゃん、スズメちゃん。(本当はゴキブリからやぶ蚊ハエやらと同居しているがご辞退させてもらう)そこで、新たな友だち作りとしてスズメちゃんとする。なぜなら、しっかり生きているようだからー。

わが家の野鳥の餌台にスズメちゃんが朝昼夕をとわずやってくる。そこで考える。スズメちゃんとの会話を楽しむのもいいではないかということで6月のトップページはスズメちゃんで飾る。ブログもフォトモーションもスズメ、スズメでバンザイです。「バーカじゃないか!」金魚ちゃんから天の声あり。無視する。
 

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