怠惰な散歩  2020年

   4月29日(木)

朝、起きるなりわが書斎の窓を大きく開ける。キジバト二羽が餌台で一心不乱にエサをついばんでいる。よく見かけキジバトだがいつもと同じかどうかは分からない。夫婦だろうかー。オスだろうか席を譲るように遠慮している。山盛りされたエサを勢いよく食べているのはメスでおなかに赤ちゃんでもいるのだろうかー。

空を見上げると本日は晴天なりの顔をしている。天気予報では今日も明日も晴れ。それならば恋瀬川を越え緑豊かな樹木に囲まれ、忙し気に部屋の模様替えをして気分転換をしている山王姫宅へ行こう。

山王姫の母屋に行くには緩い坂道を上らなければならない。どれぐらいの歩数だろうと数えたら表門まで80歩。くぐり戸を開けここからは敷石伝いに玄関まで進むことになる。一つ二つと数え歩いていると甲高い母屋の方からおいらを呼ぶ声が新緑の庭に広がる。山王姫とともにお世話になっている姫丸子だ。そこで歩数は消し飛んで分からなくなる。今度はしっかり数えてみよう。
 
   4月29日(水)

人生は短いが退屈な時間は長いということで暇を持て余し霞ヶ浦を見ながらブログを書こうとノコノコ出かける。ゴールデンウィークが出発進行となっても走らない絶好の行楽日和。湖岸では釣り人が糸をたれている。魚も自粛要請でじっとして動かないのか釣果は乏しいようだ。

サイクリングを楽しんでいる若い人たちもいる。さすがにマスクは付けていないが金ぴかのヘルメット。さらにカラフルなスポーツウェアで颯爽と風を切っている。

あのエネルギーをもっと生産性のあるものに活用したらと、ぽかんとフリフリお尻を見ながら感じる。今はそれどころではないのだろうがー。犬と連れて散歩している親子連れもいる。若いパパとママは大きなマスク子どもは小さなマスクを付けている。さすがに犬にはマスクを付けていない。そういうことでした。
 
   4月28日(火)

詩人会議から「詩界」の冊子が贈られてくる。特集は「日本の現代詩の課題ー70年その先へー」。いろんな詩人がああでもないこうでもないと論じているが何度読んでもチンプンカン。詩を書くというのは言葉で思ったことを素直に平易に表現すればいい。彼らは住む世界が違うようで頭の中がジグソーパズルのように出来ている。ゴジャラゴジャラ理屈をならべるからとてもおいらの頭では消化できない。

消化不良というのは健康にマイナス作用が働く。そういえば本日のお通じはまだない。広くゆったりしたトイレで白い便座に座り静かにゆっくりと世界の平和とコロナの終息を願い黄色い宝物をポチャン。

本日はこの神がかり的な至福な時間がやって来ないということは、そういう事情があるようだ。バイバイです。
 
   4月27日(月)

空は曇っている。さらに雨まで降っている。そしてうすら寒い。こういう日は心までどずんと沈み暗くなってくる。どんどん気分が落ちて沈んでいく。そうだ、いばぶん事務所に行き気分転換をしようと出かける。ところが文化郷は人出はなく静まり返っている。ああ、日本中に暗雲がたれこめている。

井上ひさしの記事が朝日新聞に載っていた。出身地が山形県川西町とある。同郷だ。「12人の手紙」が読まれているという。遠い昔読んだが内容は忘れた。一つだけ記憶に残っているのは「米沢新聞」というのが文中にあったこと。

というのは、おいらのオヤジは将棋がめっぽう強く県内でもその名を知られていたという。その「米沢新聞」というローカル紙の将棋ランの解説を書いていたと母から聞かされたことがあった。そこで、「米沢新聞=父」となるわけだ。父はおいらが2歳の時に亡くなったから顔も形も記憶なく幻の人であることには変わりない。
 
   4月26日(日)

絶好の行楽日和だ。山は笑い、樹木の葉っぱは緑の競演。だが、外出は控えろというの通知が日本全国に発信される。ああ、信じたくもないような世の中になっている。さぁ、よれよれおじんはどうする。

出久根達郎の「あったとさ」(文藝春秋)を読む。とにかく文章がうまく妙がある。茨城県北浦出身。昔、北浦図書館に行ったら「出久根達郎コーナー」があり著作を展示してあった。今は、どうしたのだろう。

こんなこともあった。常陽新聞に勤めていたころ出久根達郎に電話をして正月紙面の随筆を書いてくれないかと頼んだ。「茨城新聞に書いたから、そちらはいいだろう」とあっさり断られた。その言葉には「妙」はなかった。弱小地方新聞には興味がないという歯牙にもかけないチクリ言葉。いろいろと思い出すものだ。
 
   4月25日(土)

ああ、世の中死んでいる。コロナちゃんの襲来に世界中の人が慄いている。残念、無念ながらこのまま人類消滅ー。破壊力は原子爆弾の勢いをも凌駕している。さぁ、人類は次への歴史を歩むことができるのかー。

風そよぐ
目ざすは薫風のかおり

風ささやく
もえぎ色に輝く未来

風おどる
重ね着した緑葉は乱舞
 
   4月24日(金)

今回のコロナ騒動で未来の暮らしのリハーサルをしているような気がしてならない。ネット社会の先取りだ。すべての事項は家に引きこもりネットを通じて用事を済ませてしまう。外は大気汚染でマスクどころかゴーグル、防護服でないと出かけられない―。30年後の世の中なんてどうなるか分からない。分からないKらみんな生きようとしてしているのだろう。

そんなバカなことを考えていたら金魚ちゃんの水槽の大掃除を忘れてしまった。まぁ、法律と約束は破るためにあるのだという立派な格言がある(?)のだから許されるだろう。呆れかえったのか金魚ちゃんからの返答なし。

そこで霞ヶ浦を見に行く。湖面がキラキラ輝き、レンコン畑ではレンコンの作付けをしている。大量にアメリカナマズを捕り笑顔のアジア人。そういうことです。
 
   4月23日(木)

朝から「大久保純子邸の庭」の写真整理。急ぐこともないがやっておかないと次の仕事に進めない。次の仕事というのは草取りとぼーっしかないのだが、それもままならない。何とかまとめて頭すっきり。

ころころ菜園も目標としていた野菜苗をほとんど植えた。後はせっせっと草取りに励むしかない。梅雨になれば一気呵成で雑草が出てくる。そのエネルギーは老人パワーでは戦えない。

それに暑さも加わる。早朝、おてんとうさまが顔を見せないうちに勝負だ。今から気合いを入れておかなければと金魚ちゃんに誓う。「バーカ、それより早くおいらの住まいの大掃除をしてくれ!」「はい分かりました。明日頑張ります。
 
   4月22日(水)

朝を散歩。空は曇っている。風がひんやりと肌寒い。散歩するには億劫な天気だ。老人は足から衰えるということで少しでも歩かなければとトボトボ年寄り歩き。決して歩行スタイルが美しくもなく華やかさもない。できるなら他人に見られたくない。シメシメ、コロナの影響か人はまったく見当たらない。そういうことで約1時間歩く。疲れた。

雑処理を済ませるためいばぶん事務所へ。突然、電話が入る。相手は昨日会った山王姫。昨日渡した「大久保純子邸の庭・春」に欠落があるという。完璧を求めて作成したつもりだが、彼女の眼光は鋭い。きっと、タヌキやネコちゃんと日々の闘いで鍛えられているのだろう。

まぁ、人間はどこかタガが緩んでいるほうがハッピーな人生を送れるのだろうと自分を慰める。修正版を作るということで了解してもらう。どうも、青空が見えないとシャッキリしない。「バーカ、それは身勝手というもだ!!」と、金魚ちゃんの声。「ハイ、ワカリマシタ」。今日はこれで終わりです。
■大久保純子邸の庭-春5
 
   4月21日(火)

モロモロの要件を済まそうと山王姫宅を訪問。広い日本庭園の樹木や草花が瑞々しく輝いている。そこで考える。この庭には洋花を植えても似合わない。風情が全部壊れてしまう。おいらの家のようにコロコロ花壇を造ることなどもってのほか。まわり廊下から眺めてつくずく思う。

山王姫と今年の秋に開催する予定の絵画展の話をする。この時節、世の中が死んだように静まり返っている。せめてコロナ騒動の終息を願い明るい話題をということで準備を進めることにする。

帰り、サンフレッシュ土浦でトマトの苗「桃太郎」を買う。山新で購入したのは290円。ここではなんと90円。どうなっているのだろう。シシトウ、ブロッコリーとともにコロコロ菜園へと買い求める。さて、うまく育ってくれるか。神のみぞ知ることだ。
 
   4月20日(月)

姫丸子が昨日オープンしたJAサンフレッシュ土浦で日本そばをごちそうしてくれるというのでルンルン気分で出かける。店内は新規開店というわりにはどこか寂しい品ぞろえ。時節がら派手なことは慎んでいるのかもしれない。お祝いの白い胡蝶蘭だけがヤケに目立つ。

さて、日本そばの方のお味はどうか?おいしかった。姫丸子がアナゴの天ぷら分けてくれツユも残さず食べにコーヒーまでごちそうになり、あきらかに食べ過ぎ飲みすぎ。ごちそうさまでした。

ここでハタと気づく。そうかニンゲンはモノを食べる時にはマスクははずすのだ。マスクをしたままでは食べられないことをみんな知っている。マスクをしていない人たちの顔を久しぶりに見たような気がする。ところが、わが家の餌台にやってくるスズメ、ツグミ、ノバト、ヒヨドリたちはマスクどころか雨の中、傘もささずやってきてエサをついばんでいる。エライものだと思う。
 
   4月19日(日)

昨日の大嵐で洗われた空が澄みわたり青さが眩しいぐらいだった。大嵐は人間や自然にとっては大きな脅威で恐れられているが天空は大歓迎のようだ。

白洲正子の「日本のたくみ」(新潮文庫)を読んでいたら華道家の川瀬敏郎が紹介されている。ああ、懐かしい名前。彼は京都の花屋の息子。友だちの紹介で知り合い意気投合し、正月に京都へ遊びに行きマンションに一週間ほど居候させてもらった。

二人でマンションのベランダから通りを行く人々を眺めながら、彼は呟いた。「かすりの着物に下駄をはき後ろ姿美しい女性は現れないか」「バーカ、この時世に日本画から飛び出したような女の子がいるわけがない」、二人とも若かった。彼の部屋には何もなくやたらと広く感じた。青畳が美しく書棚にドストエフスキー全集と花一輪だけが活けてあった。40数年前の話、彼はおいらのことなど記憶にないだろう。
 
   4月18日(土)

渥美清の口上
「福ちゃん、あれかい、最近小便の切れが悪くなったかね」
「切れかい、そりゃあ悪くなったよ、齢だもの」
「切れもだけど、勢いも悪くなったろう」
「何でも勢いは衰えていますね」
「懐かしいような、あの若い頃のザーッという音が、元気だ、元気だ、って叫びやがってな」

コロナ騒動に加えて天気は大荒れで気持ちがどんどん落ち込んでいく。なにげなく読んでいた本に渥美清の口上を読み吹き出してしまう。小便が元気だ!元気だ!と飛び出していくようなことはもうない。チョロチョロ涙のようで「年寄りだ!年寄りだ!」と訴えているよう。まぁ、それなりに元気出して頑張りましょう。金魚ちゃんもね!
 
   4月17日(金)

うすら寒い一日だった。こういう日は心が晴れない。それよりもコロナで世界中が凍っている。個人の心が晴れたり曇ったりなど問題ではないだろう。これまで自由にできたのが全部しばりをかけられた状態が続けばフラストレーションがたまるだけだ。

さて、どう打開するかー。人間がクマのように冬眠できればいいのだがそれはできない。ぼーっとして一日を過ごす。このぼーっというのが曲者でなかなか出来るものではない。それでも、とにかくぼーっとしているしかないようだ。

いばぶん事務所でさまざまな雑用をする。とにかく何かやっていないと落ち着かない。明日は宿直の仕事。週1~2日でも仕事をしていれば少しは気がまぎれる。ともかく、いつ終息するかわからない不安を抱えての日々。世界中の人々が苦しんでいるのが平等ということが何か不思議な気がする。
 
   4月16日(木)

大久保純子邸の庭の撮影に早朝行く。家を出たのは午前5時半ごろ。道路が空いていることもあり6時に到着。その後は忍者、コソ泥よろしく忍び足抜き足すり足でパチリパチリ。

すると突然、母屋のまわり廊下から山王姫登場。防犯スピーカーからの大音響にも負けない。「おはよう」の声が庭に広がる。マスク越しに鼻水ズルズルを隠すように「おはよう」と返す。ああ、寒い。

パチリパチリ終わり部屋でコーヒーをいただく。ああ、温かくおいしい。やはり寒い日の写真撮りは辛い。体が硬直して動きが悪い。それにやたらと上り下りの石段が多い。神さまの手すりなどあるわけがない。美観を損ねる。軽やかに動くことは難しくなったのかとー。無念残念。
■大久保純子邸の庭 春の巻その4
 
   4月15日(水)

阿見町のスーパータイヨーがポイント5倍で5%引きというチラシに誘導されるようにノコノコと買い出しに行く。コロナで人ごみの中に入るのは怖いけどハラを空かしてはコロナとの戦いに負ける。そんな思惑の買い物客がたくさんいる。ああ、何処も同じかー。

帰り道は遠回りして阿見町のふれあい公園へ。荒川沖に住んでいた時はよく足を運んだ。小松町に越してからは初めて。公園は静かで新緑が美しい。

突然、阿見町長のメッセージが防犯スピーカーから流れる。「昼夜を問わず不倫不浄の外出は控えて下さい」。何度も聞いてもそういう文言で聞こえる。ああ、何度も「不用不急のー」を聞いているうちにおいらの耳がおかしくなった。新型コロナめ負けないぞ!!
 
   4月14日(火)

宿直明け、土浦市街からのぼる朝焼けを見る。昨晩の大嵐で空は大掃除をしてもらい今朝の空は澄み切っている。ああ、実にきれいだ。朝焼けは見るだけで写真は撮らなかった。「バーカ、それでいいのだ」と金魚ちゃんの声がはるか遠くから聞こえる。

トルコのことわざに「もう書く本はない」というのがあるそうだ。本当かどうかネットで調べる。トルコ関係の情報が山ほどあふれている。面倒だからやめる。見ない方が利口だ。

ネット社会は洪水のように情報があふれ、それこそ人生を振り回されてしまう。知らないことは何の恥でもない。この時代、むしろ称賛されるべきではないか。それより野辺に可憐に咲く野花をしっかり見てお話しするのがいい。
 
   4月13日(月)

- 最もカミュ的なせりふが出てくるのも「ペスト」ですね。人間は誰だって自分を無罪だとは主張できない。そういう有罪の人間たちが、議論の余地なく連帯できるのは、たったひとつ死に対する連帯だというカミュの根本的な主張と、地中海の無垢を受けるカミュの資質とがここでみごとに釣り合っていると思うんですよ。-(開高健対話集「群衆の中の孤独」カミュを語る 〇開高健×清水徹)

風雨強く外にも出れずひたすら読書。思わぬところからカミュのペストが出てくる。連帯できるのは死に対する恐怖。新型コロナウィルスということです。

局部的な殺し合い、人間はやはり好きなんじゃないでしょうかね。そんな感じもいたします。人間が多すぎるわけですから、一種の自然淘汰のような感じすらしますね。ぼくはいつも覚悟しています。同「ラブレーを読む」開高健×〇渡辺一夫。
 
  4月12日(日)

いしきすることなく息を吸ったり吐いたりして
いしきすることなく青空が瞳に映り
いしきすることなく季節ごと花の香りが漂い
いしきすることなく小鳥のさえずりが天を震わせ

いしきすることなく米粒のふんわかが匂い
いしきすることなく二本の箸で口に運び
いしlきすることなく同じこと三度繰り返し

いしきすることなくおやすみと交わし
いしきすることなく常夜灯になり
いしきすることなく夢の世界へ
 
  4月11日(土)

アタマがすっきりしているうちに「キャプテン斎藤と出会いと別れ」(仮題)をまとめよう。自宅を8時に出ていばぶん事務所へ。自宅では浮気心が出て庭の手入れに走ってしまう。集中力を得るにはいばぶん事務所がいいということだ。

頑張る、がんばる、ガンバル。そして、ようやく出だしが書けた。もちろん粗削りだが船は動き出したのだ。さあ、こうなればしめたもの。数行書いては外の空気を吸いにゆく。空は青く樹々は緑濃く輝きだした。自然界は世界中の人々が恐怖に慄いているコロナの騒動を知らない。

「人間は考える葦だ」と哲学者パスカルは言った。「葦」と「足」の違いを考え歩く。その葦を震わせるがなかな文字は前に進まない。そこで途中下車。文化郷オーナーの容態を聞き、フォンテーヌの森。非常事態宣言の影響でお客はマバラ。「去年の今ごろは満杯だった」とY氏。本当に大変なことが起きていると実感。おいらは何もできない。「まぁ、年寄りは家で静かにしていることだな」と金魚ちゃんからメッセージが届いて今日は終わりです。
 
   4月10日(金)

山王姫から頂いた「からだすこやかW」を焼酎に割りチョビチョビやりながらブログを書く。とにかくどんなことでもいいから文字をならべ2枚の写真を添付して発信すること。これが当面の義務としている。

詩人クラブから会報が届く。新人賞は野口やよいの詩集「天を吸って」。ああ、美しい言葉。こんなリズムで軽やかには書けない。若い人だろうと思ったら五十代後半。やはり、おいらみたいな田舎者とは違う都会的な瑞々しい感性を持っているようだ。

昼過ぎからいばぶん事務所で山王姫とともにキャプテン斎藤の原稿整理をやる。ここでハタと気づく。「おまえら、しっかり生きろ!!」というメッセージが二人に与えれていたのではないかー。ああ、キャプテン斎藤は不死身、不死鳥。ここで一つ、不気味も加わる。この「3不」に立ち向かのだ。
 
   4月9日(木)


水郷公園のチューリップ畑はお行儀よく色分けされ咲いている。おいらの家のころころ花壇はランダムで花が咲くなら何でもいいということで無茶苦茶だ。

日本人は真面目だから整然としたものが好まれる。そのせいかコロナ騒動でマスク使用を推奨される我もとばかりに付けている。すっぴんでスーパーなどに行けば白い目で見られる。まるで、犯罪者扱い。これはこまったものだ。

キャプテン斉藤の原稿をまとめようと踏ん張るが最初の一行が出てこない。書き出せばうまく流れそうなのだが一歩が出ない。そういえば、男子トイレの小用便器前に「もう一歩前へ」というコピーを目にする。いつも考える、女子用はどうなっているのだろう。「バーカ、真面目にやれ!!」天の声あり。
 
   4月8日(水)

宿直明けの朝、ぼーっとしたまま巡回。二階のベランダから朝陽が昇りだした。まん丸で大きく賢そうで力強くたくましいオレンジ色。ああ、どうしてそんなに丸く赤いのだ!!。だんだん高くなり空を支配するように全容を現す。ぼーっは継続中。

外回りをしているとピーチクパーチクとスズメが鳴いている。滝の園の桜の花の蜜を求めてやってきているらしい。そういえば、おいらの家の庭には桜の木はない。あるのは花畑と菜園。ただ、野鳥の餌台はある。

昼過ぎいばぶん事務所で理事長とキャプテン斎藤の原稿整理。ようやく一つの峠は越した。だが、続きはある。予告編のようなたたき台は出来た。これから、二人でまとめることをキャプテン斎藤に誓い別れる。理事長、熱く燃えて「いるようだ。みなさま、お休みなさい。
 
   4月7日(火)幸次

「夕映えの道」をようやく読み終える。不公平・怒り・受容の連鎖。最後まで受容を拒否してモーディーは90歳で死んだ。そして埋葬された。久しぶりに本を読んだという実感を得る。中野孝次の「すらすら読める方丈記」を読みだす。

外に出て土いじりをするのにはもってこいの日和。芝生にビニールを敷いてどっかりと座り込んで雑草を引き抜いていると名も知らぬ小さな虫が出てくる。彼らの世界観はどうなっているのだろう。とにかく今日を生きようという姿勢が丸見え。素晴らしいことだ。

まだ寒い日がありそうなのでホームセンタ―山新に灯油を買いに行く。ここの担当者はシルバー人材センターが請け負っている。昔一緒に仕事をしたMさん。マスク越しに近況を話す。周りを見るとみんなマスクだらけ。こまったものだ。
 
   4月6日(月)

千葉の保立菜園では土作りに忙しいらしい。土は素直だが重い。優しさがアダになり腰を痛めたりしないようにと小松の三夜様に願をかけに行く。まぁ、散歩のついでだが―。三夜様の桜も散り始め葉桜の化粧に忙しそう。

おいらが撮った野仏の写真集を作ってくれるという世にも不思議な人が現れた。気が変わらないうちにとまとめた写真を持ってゆく。残念ながら約束は果たせなかった。急用ができて外出したという。900人もの社員を抱える親方さまは忙しそう。写真を秘書に預けバイバイする。それからしばくして「悪かった」と電話あり。こんなことは珍しい、驚く。

山王姫から頼まれたキャプテン斎藤の第二弾原稿整理が終わる。さあーて、これをどうまとめるか。金魚ちゃんに訊く「バーカ、おまえさんの能力範囲でいいのだよ」「ハイ、分かりました。山王姫に報告します」。
 
   4月5日(日)

宿直明けの朝、滝野園の満開の桜を見る。空はだんだんと明けてゆく。桜に花びらの色は刻々と変わり化粧を急ぐうら若き女性のよう。

新型コロナ騒動はわからないばかり。目覚ましい科学発達に目を見張っていたがおごりという言葉を忘れおぼれていたのではないか―。詩人会議会員で医師でもあるYさんは「今回はまだ弱いかもしれないが、これが変化したときの次を思うと、もう計り知れないものがある」。それなら今回は単なる予告なのかー。

信じられないことが宇宙で起こっているのかも知れない。バイバイです。
 
   4月4日(土)

保立さんよりノートパソコンにGmailが届いている。アドレスを教えたつもりはない、どうしてだろう。ツイッターをやっていると聞いたから、それと共有しているのだろうか?通信網の進化にはただ驚くばかりだ。

ゴーヤの植え付けが始まったらしい。おいらは4月下旬に植えようと思っていたから早すぎるような気がする。それにホームセンターではゴーヤの苗はまだ販売していない。大きな張り紙「マスクは品切れです。入荷の予定はありません」が堂々と居座っているだけだ。

新型コロナの終息は来るのだろうかー。カミュの「ペスト」が読まれているという。大昔読んだが記憶はあやふや。誰にでも平等に伝染病のペストが襲い罹った人も罹らない人たちの心理を書いた小説だったような気がする。もう一度読もうという気はしない。何しろ現在は渦中の人となっているのだから―。
 
   4月3日(金)

朝4時に起きる。もう一度眠ろうと思ったが面倒だとそのまま起きる。外はまだ暗い。あたりは静まり返っている。小鳥のさえずりも野良猫のオシッコの音色も聞こえない。そのうちだんだん空は明るくなる。東の空を見るとようやく太陽があくびをしながらお目覚めのようだ。

そこで思いつく。大きな空を見に行こう。ここしばらくご無沙汰している霞ヶ浦を目指し歩く。老人よ、書を捨て大きな空を見に行こう!!。空を見ました。大きな空はなんのあいさつもなくどこまでも広がっていました。

今日はS氏から頼まれた野仏の写真整理に没頭。午後ようやく終える。正直いってこれまで整理できなかったその他モロモロの写真も整理できただけでも有難い。思わぬチャンスというのはスリッパの下にいつも張り付いてのではないか。それも良しとて、今日は終わりです。■大久保純子邸の庭 春の巻その3
 
   4月2日(木)

青空が見えた。うれしかった。どうしてだろうかと考える。「バーカ、考えなくても青空はオマエさんを一挙一動を見ているのだよ。エリを正して生きろ!」「はい、わかりました」

そういうわけでエリを正して山王姫宅へ。主目的はキャプテン斎藤の介助日誌の最終整理。サブ目的として庭園の春景色のパチリパチリ。到着してカメラ片手に庭を一周。姫宅の隣に菜の花畑があるのを発見。見事なぐらいの黄色い絨毯。この上にゴザでも敷いておにぎりでも食べたらさぞおいしいだろうと思いながら眺める。

白とピンクの淡い花がついた木を発見。こんなところの桜の木があるとパチリパチリ。後で姫に聞いたら桃の花だそうだ。がっくり。この時期、みんな桜の花に見える。これぞ無知の涙です。
 
   4月1日(水)

四月は雨から始まった。雨音は四月、四月、四月ですとハーモニー。そうです今日から四月でエイプリルフール。新型コロナは終息しましたとウソでもいいから聞きたい。

自宅前から見える雑木林に大きな山桜が咲いている。いつも遠くから見ているから近くで見ようと長ぐつカメラクビブラスタイルで行く。傾斜がきつい雑木林をヨッコラシャと足もとの枝木をはらい辿りつく。見上げるとさすがに大きい。しかし、幹回りは山王姫の山桜の半分ほど。サクラサクラとパチパチ。曇り空に花びらは溶けこみ写らない。それでも桜は咲いている。

さてと、S氏から注文のあった写真を整理しようとパソコンを立ち上げるがモニターが真っ黒。さあ、パニックだ。メーカー電話をしてもラチがあかない。近所のパソコン屋に2度足を運びようやく解決。簡単な操作ミス。疲れる、そこで本日の山王姫宅訪問をキャンセルしてもらう。とにかく、パソコンのトラブルはパニック状態になる。こまったものだ。
 

おひまな方はこちらへ