怠惰な散歩  2019年10

   10月28日(日)

昨日は上野の文化会館で開かれた詩人会議主催の「今、声をだそう」に行く。詩の朗読会だがおいらは朗読せず。ただ、どういう雰囲気かを偵察に行ったようなもの。編集長から「会員になってほしい」と頼まれる。財政が厳しいのだろうと引き受ける。握手をして「ありがとう」.。これまでは会友で会費も安かったが会員となるとグーンと跳ねあがる。失敗したかなと思ったときには時おそし。担当者が手際よく入会手続き書を持ってサイン。ああー、なんだか詐欺に遭ったよう。

本日は朝からせっせっとお庭のお手入れ。なにしろお天気がいい。夕方、水かさの増した霞が浦を見に行く。釣り人が糸を垂れている。こんな広い湖から魚一匹釣り上げるのは容易なことではないと思う。開口健は、昔、霞ヶ浦周辺でタナゴ釣りをしたという。滅茶苦茶釣れてザル一個という単位で競ったという。信じられないような話。今日は釣り師、昨日は詐欺師を見たような2日間だった。
 
   10月26日(土)

今晩は、土浦市の大イベント花火大会。当直当番の日でもある。出勤時間帯(午後6時)はクルマが混むというので自転車で行く。ところが、早めに出てきたせいか道路は空いている。会場となっている桜川は先の台風で増水して河川敷での見学は不可能。その影響もあり人出は少ないのではと予想していた。予想が当たったのかー。これならクルマで来ればよかったと思ったが遅し。滝の園まで約30分で着く。

滝の園からは花火がよく見える。スマホで写真をと挑戦。無理だと思っていたがやはり駄目だった。もともと写真を撮るという気構えがなっていない。どうにでもなれと数枚撮る。それに、花火が時々中断する。後で聞けば事故で中止になったという。写真も駄目なら花火大会も駄目。こまったものだ。

花火大会が終わると滝の園前の道路はつくば方面に向かうクルマで数珠つなぎ。こういう光景はなかなか見られない。写真を撮ろうとしたらトイレを貸して欲しいとう親子連れ。おばあちゃんは歩けないので車椅子もと頼まれあっちにいったりこっちにいったり。、その応対に追われ写真は撮れず。新しい体験をしました。
 
   10月25日(金)

どしゃ降りの雨の中図書館に行く。天気はご機嫌斜め。連日のように暴風雨が続きうんざりといったところ。前回の台風で被害に遭った人たちは気の毒としかいいようがない。小松周辺は高台にあり大きな被害はないが雑木林の小枝を揺さぶり叩き落している。なんの恨みがあるのかと窓から眺めているが、自然の猛威という大舞台で演じられるドタバタ劇はニンゲンではどうあがいても立ち向かえるものではない。まいりました。

キャプテン齋藤の通夜と告別式の日取りが決まったという連絡が入る。遺体は横浜に運ばれたと思っていただけに驚く。両日とも所用があり参列できない。亡くなる数日前、病院にお見舞いに行き握手をして別れたからそれでよしとしよう。

ここ1週間で3人の知人が亡くなっている。こうなると気持ちもふさがる。インドのショットさんから絅子先生に感謝とお礼と悲しみのメール。台風ではないが、早く立ち去って澄んだ青空を見せてもらいたいものだ。
 
   10月24日(木)

初めてインフルエンザの予防注射を受ける。特老施設での仕事となればやむえないのか。滝の園の職員とともにパチリならぬチクリ。帰るとき常陽新聞社時代のタカギ君に会う。広告の打ち合わせに来たようだ。今ではふる里通信社の社長。りっぱなものだ。

今日の天気は曇り。心も曇っているようだ。気分転換にイオンモールつくば店の本屋さんに行く。たくさんの本がならんでいる。この本を作るために多くの人が携わりき生計をたてているのだろう。でも、こんなにたくさんの本を誰が読むのだろう。

イオンモールは撮影禁止になっている。誰かが「法律は破るためにある」と言っていた。撮るなと言われれば言われるほど撮りたくなる。写真機材は進化しているが、撮影禁止や肖像権などのしばりごとが多くなり何のための技術開発かと疑いたくなる。とにかく撮ったぞ!!

夜、キャプテン齋藤の死去の知らせが山王姫から入る。約10年のお付き合いだった。何冊かの小冊子作りのお手伝いをした。輝かしい実績の持ち主で頭も切れたが頑固さも兼ね添えていた。ここ10年、山王姫は献身的に尽くしてきた。それなのに、何となく不自然な別れとなった。これから、いろんなことが分かってくるだろう。人間不信に陥る原因はいろいろあるだろうが、まるでかん口令を申し渡したようなホームの態度が一変したのには理解できない。こまったものだ。
 
   10月23日(水)

久しぶりにいばぶん事務所へ。文化郷オーナーともしばらくぶりのご対面、元気そう、何よりです。吉瀬集落も秋模様の準備に入っているようだ。今日は空は青くすがすがしい気分。

吉瀬を一周してパチリパチリ。今年の一月から一年間は吉瀬の美しいところだけ写真の収めようと撮り続けてきたが、それも後2ヶ月余。月日の経つのは早いものだ。

さて、来年は何をテーマにしようかと考える。頭の中ではいろいろと思いつくのだが、すっかり体力が衰え行動力が鈍くなり狭くなった。加齢という不気味なものが体内の隅々まで巣喰い日々生きている。これだけはしょうがないと諦めるには口惜しい気がする。こまったものだ。
 
   10月22日(火)

二ランジョンから電話あり。珍しい、いつもメールでのやりとり。なぜなら、メールならお金がかからない。絅子先生が亡くなって衝撃をうけているのはインドの方かもしれない。我妻和男・絅子先生という太いパイプで結ばれていたインド・西ベンガル州との文化交流が絶たれてしまった。これからは若い人たちがガンバルしかない。

二ランジョンはぜひシャントニケトンに来て「こころ」をコンセプトに建てたわが家を見てほしい。金がないとこたえる。航空チケットは用意する。半信半疑で聞く。パピア、二ランジョンにしても簡単にインドに来てほしいというが、「さて、なに用あってゆくのかだ?」

山王姫に昨日執り行われたおとうとさんの告別式の写真データを渡す。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというようにバシャバシャ撮ったから数が多い。フィルム写真時代には考えられないことだ。科学はどんどん進化していく。それに比例して、チキュウ破滅→ニンゲン消滅が刻々と近づいているような気がする。詩のタイトルは『純子さんに捧げるーおとうとよ』みともふみのり。よし、これで、決まりだ。
 
   10月20日(日)

当直明けの朝、ただ疲れた。それ以外、言葉なし。なぜ疲れたのかといえば初仕事。そのため仕事の勝手がわからない、仮眠室に聞こえてくるボイラー音もうるさい、酒が飲めない。完全爆睡を自慢しているが、この日だけはウツラウツラとしか眠れなかった。それで、疲れたのだ。負けていられない。次回は完全爆睡作戦を練る。これは極秘だ。

昼ごろ、インド・コルカタに住むパピアから電話が入る。パピアのかわいい名前のように女性。絅子先生の死去があまりにも突然で信じられないと電話口で泣いている。泣かれてもこまるのだ。おいらにはどうしようもない。聞けば亡くなる前日13日に、絅子先生がバングラディシュに行く打ち合わせを電話で30分ほどやったばかりという。それなら驚くのも無理ない。

「コルカタに来てください、コルカタに来てください」何度も繰り返す。となり石岡の山王姫に会いに行くような簡単ではない。あいまいな返事をする。ジャイカの招きで日本語研修に来日して半年滞在したこともある。コルカタの日印文化センターで日本語を教えて12年になるという。そうか、あれから10数年も季節は巡ったのか―。なにもかもが過ぎ去りし日のこと。
 
   10月19日(土)

今晩初めて滝野園で宿直の仕事。先週の土曜日からだったが折からの台風到来で、初日では不安だろうということで一週間延期となった。これまで勤めた特老施設の中で最もアットホームな感じがする。

我妻絅子先生が亡くなりインドからメールが2通、電話が2件あった。息子さんの話では今年バングラディシュに行く計画あったという。そうであったなら健康には自信があったのだろう。最後に会ったのは、今年8月下旬ショットさん親子と4人で上野の文化会館。電話で話したのは2週間前だった。先生は交際範囲が広かったから遺族はてんやわんやしているかもしれない。

仕事はこれからどうなるか分からない。分からないから仕事をする。そういうことで今日も無事に終わる。久しぶりに金魚ちゃんに報告。金魚ちゃん「まあ、せいぜい老体にムチ打って頑張れや!」「ハイ、ワカリマシタ」
 
   10月18日(金)

砂を噛むような虚しく暗い一日だった。空は朝から重い雲が広がり太陽を隠している。こういう日は精神的には最悪な状態。それこそ、砂を噛みながら一日が終わるのを待つしかない。

空を噛む
雲を噛む
地を噛む
時間を噛む
季節を噛む
噛む感触は
砂を噛むよう
咀嚼と嘔吐を往復
それでも
日々は刻々と進む

■我妻絅子先生逝去の電話あり。インドとのつがりがプツンと切れたよう。a
 
   10月17日(木)

健康診断を受ける。欠陥だらけの体の点検をしても今さらしょうがないと思うのだが、次の仕事のためにやむをえず。親切な看護師さんがいろいろと検査をする。中でも圧巻は採血の時。「チクリとしますよ」といつも言われるが今回はそんな言葉もなくいきなり。それがまったくの痛みがなくあっというまに終わる。聞けば採血には自信をもっているという。「さすがです」と褒めると「それが一番うれしいです」にんげん、褒められていやな気分になることはないのだと知る。

午後、山王姫宅へ。弟さんの告別式の打ち合わせ。おいらは写真記録係。三菱地所で働いていたから大きな葬儀になると思ったが家族葬でつつましくやるという。それがいいと頷く。いろんな別れ方があるだろうと思う。

二ランジョンから南岳先生の書と筆が今日届いたというメール。そうだ、ありがとうという言葉がどれほど素朴で素直で新鮮さを少しは知ったのか、ありがとうの連発。カースト制度が色濃く残るインド。二ランジョンの父はタゴール国際大学教授。退職後はガラスの祈り堂で朝のお祈りを仕切っている。履歴からわかるようにバラモンの最上クラス。そのせいか二ランジョンは傲慢さがあった。今や40代。知るべきして学び悟ったのか。丁寧なお礼メールに怖い気もする。
 
   10月16日(水)

家から一歩も出なかった。ひたすら庭の草むしり。土の寛大さを知る。よくよく考えてみれば大地は何でも受け入れてくれる。動植物はもちろんあらゆるニンゲンの排出したゴミ。それも、無限大に近い種類の数々。エライものだと思う。山王姫の弟さんに不幸があり手伝えることがあればと伝言していたのだ待機していたが連絡なし。それどころではないのだろうと思う。弟さんへ別れの詩をひとつ書く。

今、読んでいるルネ・シャール詩集から引用して鎮魂の言葉として認めよう。

  姉さん
  と弟は死ぬ前に言ったわ
  ぼくは幾番も夜っぴて
  姉さんの眠るのをみていたよ
  ガラス窓に映る姉さんの輝く姿に引き寄せられたまま
 
   10月15日(火)

ルネ・シャールという詩人はフランス人。ランボーの影響を強く受け、生まれは中原中也と同じ年。育った環境は宮沢賢治の岩手に似た地形。翻訳した詩人で評論家の野村喜和男は書いている。少し、読んでみる。おいらにも少しは理解できそう。安心する。

畑に玉ねぎを植える。かあちゃん「今日、ハリガエで大玉タマネギを安売りをしているから行こう」。値段は10個で260円。確かに大玉だ。こうなるとおいらの植えたタマネギはかわいそう。スーパーで売っている大玉のタマネギのように育つつもりで植えているというのに。いつか、大きくなったタマネギを自慢してやりたい。頼むぞタマネギちゃん。

夕方、霞ヶ浦を見に行く。一面の水は濁りいつもよりはるかに水かさを増している。上流からエンヤラコラと流れてきた水を受けとめ貯めているのだ。エライ。空は鈍色でいつもなら望める筑波山は厚い雲の覆われ見えない。まだまだ油断は禁物のようだ。夕方、山王姫の弟さん、死去の一報が入る。ただ驚き言葉は見つからず。
 
   10月14日(月)

一日中部屋に引きこもっていると気が滅入ってくる。陽気のせいもある。気分転換に郵便局の用事を済ましたら図書館に行こう。図書館に着いてすぐに老眼鏡を忘れてきたことに気づく。最悪だ。漢字もちょうろく読めないのにメガネを忘れてきたとなればどうするか。背表紙なら大きな字だから読めるだろうとしたら館内をウロウロしてそそくさと帰る。

土浦地方は今回の大型台風で大きな被害もなかった。しかし、テレビなどで見るとその被害は広範囲でなんとも罹災者にはお気の毒。台風翌日の小松界隈は日常の生活と何ら変わらないようだと書いたが、考えてみれば親せきや友達、知人で被害にあっている家もあるはずだ。やはり、物事は慎重に考え言葉を選んで書くべきだ。

今日、一遍の詩を書いて応募する。頭の体操のつもりで書いているが突っ込めば突っ込むほど難しくなる。ルネ・シャール詩集を衝動借りする。まったく知らない詩人。読んで理解できるか分からないが借りる。背表紙だけで判断する。
 
   10月13日(日)

本日は充実した一日だった。なぜなら、暴風で洗われた青空を下に台風一過の土浦市内を朝早くクルマでひと回りしたから。まず、滝田地区の霞ヶ浦湖岸、それから桜川河口付近、さらに花火会場のある桜橋。花火見物客の桟敷席は増水してさながら水中滑走路。ドローンの離着陸にはもってこい。野次馬は勝手なものだ。

ざっと土浦市内を巡ったが大きな被害状況は確認できなかった。平穏なものだ。そういえば、霞ヶ浦湖岸では女性が盛んにスマホで日の出を写していた。昨晩からの台風騒動は何だったのだろうと思わせるような光景だった。こうやって、日々は過ぎて行くのです。

おいらの家はポリバケツ二つが風で飛ばされて転がっているぐらいのこと。このポリバケツだってネコが蹴飛ばしたのかタヌキがつまずいたかのか分からない。まさか、わが家で飼っている金魚ちゃんではないことだけは確か。そう、金魚ちゃんは台風とは縁遠く元気よく朝からエサをパクパク。おいらの家では、ごく自然に日常の生活に戻ったのです。さよならです。
 
   10月12日(土)

今日は台風の記録的な祭典が繰り広げるようだ。あちらの台風、こちらの台風、そちらの台風が呼びかけ集合、ベートーベンの「歓びの歌」のように喝采。ああ、こまった、こまったと朝からニュースを聞いているFMNHK「安全をする確保、イノチを自らでの行動を」を呼びかている。わが家はの裏は高いコンクリ擁壁。これが壊れたら一網打尽でわが家は消える。サヨナラダ。

辺見庸は、死ぬことについて、「思うことを消され、悩むことを消され、語ることを完全に消されること」。まったく同感。では、生きることはと問いたくなる。今日の台風を見ながら自分なり言葉を考える。窓の外は暴風が吹きまくっている。神からの救いの手はない。自己責任だ。

わが家は平屋。二階の奥部屋に逃げるにも場所がない。「イノチ、イノチを守る」と絶叫を楽しく聞く。これでいいのだ。みんなの「イノチ」はは自ら守る。これからも生きたいと思うなら当然。金魚ちゃんに報告。「まぁ、イノチを守ってください。そうしないと、ワタシのイノがありませんから」という返事。「わかりました」。
 
   10月11日(金)

朝からからだが重い。気分も重くだるい。からだを動かして疲れるようなことはなにひとつしていないというのにだ。気圧のせいだろうか。お天気によってにんげんのからだは軽くなったり重くなったりするのだろうか―。

ともかく、大型台風に備えて庭の草むしりをやる。なぜ雑草を引き抜く作業をするのか―。「愛と滅亡のパンセ」辺見庸を読んでいたら体だけじゃなく心も重くなった。どすん、どすんと音をたて重くなってくるのだった。そこで気分転換に草むしり。これが台風対策に役立つだろうか―。

「海の眼」という詩集のことを書いている。昔、本屋で立ち読みして難しそうなので買わなかったような気がする。念のためと久しぶりに書棚をあさる。辺見陽は10冊ほどある。詩集はなかったが「愛と滅亡のパンセ」の本があるではないか。「ああ、またやってしまった」、ということは1回読んで全部忘れてしまったのかー。そのまま本棚にしまいこんだのか。いわゆる積読の仲間入りしたのか。こまったものだ。
 
   10月10日(木)

コロコロ菜園で大根の植え替えをやる。朝の空気はひんやりとしている。大きく深呼吸をして空を見上げる。空気中に浮遊する塵を神さまが吸い上げてくれたように、それこそ澄みわたり白い雲が悠々とたなびいている。「ああ、きれいだ」。こんな景色を見ることができるおいらは幸せ者としみじみ思う。

山王姫から電話あり。キャプテン齋藤からいばぶんへの寄付金を預かっているという。いばぶんはこれといった収入源がないだけに有難いことだ。いばぶんの財政が豊かになることはイノチが延びたようなもの。何とかうまく活用して報いなければと考える。いばぶんは豊かになったがわが家は関係なし。近所にオープンしたウエルシアの開店バーゲンセールへかあちゃんとねじり鉢巻きをして行く。

「愛と滅亡のパンセ」辺見庸を読む。武田泰淳の「滅亡」について触れている。昔、武田泰淳の本を夢中で読んだ。今は、わが安普請の書棚に一冊もない。どこへ消えたのでしょう。きっと、引っ越しを繰り返しているうちに静かに深く潜行して「滅亡」したのでしょう。
 
   10月9日(木)

今朝、ようやく「私家版」を読み終える。実に長い時間を要した。読了していろんなことが考えさせられた。「復讐を果たす」とは、どういうことだろうか。分からないので芝生の手入れをする。ビニールシートを敷いてペッタンコと座り込んで気だるさを追い払うようにひたすら雑草をむしり取る。

昼食は映像作家のシノズカさんにおごってもらう。大阪電通の仕事で関西出張。昨晩つくばに帰ってきたという。80歳を過ぎているだろうがバリバリの現役だ。とにかく、あちらこちらと遠出をして仕事を続けているのだからすごい。完璧に負けている。勝負には「勝者」と「敗者」が必ず生じる。そのバランスをとっているおいらはエライと思う。

久しぶりにブックオフへ。「死と滅亡のパンセ」辺見庸、186円+税で200円也。店内のソファーで読んでいたらウトウトと眠くなる。これはまずい。ここは寝る場所ではない。ソファーには19,000円のラベル。りっぱな商品として展示しているのだ。どこでもいつでも眠れるという特技を持っているとはいえ「職権乱用」ならぬ「爆睡乱用」はいけませんということでそそくさと帰る。
 
   10月8日(火)

山王姫宅へ。キャプテン齋藤の看護日誌の整理を手伝う。カレンダーに細かく書かれたメモ。自分で読んでも分からないところもあるというからまるで暗号。8月から始まり継続中。家族のことホームのこと。謎が謎を生みなかなか理解できないことばかり。

アケビを貰う。裏庭にアケビの木がある。脚立によじ登り採る。山形に住んでいたころはよく食べた。ほかにもサクランボ、グミ、クリ、カキ、クワの実など口に入るものは何でも夢中になって食べた。バナナを初めて食べたのは中学生になってから。長い間仏壇に盛られたバナナを指をくわえて見ていた。それを食べていいと許された時の嬉しさは今でも忘れられない。

そういえば、作家の吉本バナナのペンネームは冷蔵庫を開けたら「バナナがたくさん入っていたから」という。さて、アケビの方はどうやって食べるか―。かあちゃんは魚屋の娘だから魚のさばき方は一流だが、こういう野山の料理は得意ではない。どうなることやら。オフクロが作ってくれたアケビ料理が恋しいが今は天国に出張中。それも永遠に帰って来ない。こまったものだ。
 
   10月7日(月)

いばぶん事務所へ。ギャラリーながや門では女性服の展示即売会を開いている。どちらかというとオールドファッションで、お金に余裕のあるご婦人方を狙っているようだ。おいらが事務所にいた4時間ほどの間に4人連れのお客さんが来る。どんな宣伝をしてお客を呼び込んでいるのか分からない。春と秋の2回開催しているからそれなりの売り上げはあるのだろう。

そうだ、霞ヶ浦を眺めながらブログを書こう。市役所の用事を終えて夕日の見える霞ヶ浦湖岸ということで手野船溜まりへ。釣り人数人が釣り糸をたらしている。何を狙っているのだろう。ここは淡水湖だ。不漁といわれるサンマではないだろう。しばらくぼんやり見ていたが釣り上げるシーンはお目にかかれず。それでも釣り人は誰も帰ろうしない。段々と日は落ちて暗くなるがも引き上げる様子はない。いつまでも勝手にやっていろとおいらはクルマを走らせ帰る。

空には厚い雲が広がりお目当ての夕日は見ることができなかった。次回のチャンスを待とう、夜、村山さんから電話あり。元気そう、相変わらず動けば回ると汗を流し働いているようだ。
 
   10月6日(日)

朝から体が重い。そして寒い。天気予報では今日の関東地方南部は雨が降ったり止んだり。気温も昨日より7度も低いという。この急激な温度差で体が重いのだろうか。頭がぼんやりしてじーっと庭を見ているだけだ。いや、景色を自分で認識しているのかさえも怪しい。

雨の日はしょうがないと本を読みだす。すぐに目が重くなりウトウトする。これはこまった。こまったといっても眠いのはしょうがない。眠いのだから眠るしかない。そういうことで眠るのです。

雨が上がったのを見はからって刈り払い機で庭の草刈り。体力がなくなったので30分ぐらいやって休む。昨日は山王台、今日は小松と草刈り修行は続く。さて、草刈りをやりながら何を学ぶのか―。とにかく、こうやって動ける体に感謝。元気であること、元気でいられることへの感謝を忘れてはならない。サラバだ。
 
   10月5日(土)

さあ、出張草刈りだ。土浦シルバーセンターからもぐり派遣されたヨレヨレおじんは勇ましく仕事場へ。目的地は石岡に大きな屋敷をかまえる山王姫宅。3日にも作業をやったが途中で止め意図したように終わっていない。今日はその無念を晴らすのだ。

桜川と恋瀬川の橋を越え石岡市に。土曜日のせいかクルマは空いている。まるで、おいら専用道路のようにスイスイ。気分もスイスイ、お天気もスイスイ、これなら仕事がはかどるだろうと胸をときめかせる。ああ、老人になるとこんなことでワクワク気分になるしかないのか。すこし、悲しくなる。

さて、本番の草刈りだ。前回残したこんもり山の雑草をビニールシートに積み込みエンヤコンヤラサと捨て場に運ぶ。ビニールシートを引きずりながら考える。昔、山形に住んでいたころだ。冬、馬そりがチリンチリンと鈴を鳴らして荷物を運んでいた。美しい音色だと思っていたが馬は辛かったはずだ。本日、60数年過ぎ馬の苦労を知る。山王姫、いくら石岡消防署が目の前にあるとはいえ倒られたらとこまるとばかりにストップをかける。ドクターストップならぬ山王姫ストップ。素直に従う。久しぶりに汗をかいて爽快。肉体的には辛かったけれど大いに満足する。バイバイ。
 
   10月4日(金)

整復師会ニュースの編集会議で水戸へ。県庁近くの街並みがすっかり近代的な建物に変わってきた「昔はこの辺は何もなかった」と、荒川沖で整骨院をやっているタカギ先生。編集会議にはいつも電車でやってきて終わるとおいらの車で一緒に帰る。荒川沖に住んでいたころ先生の整骨院で世話になったこともあり顔なじみ。タカギ先生はクルマの運転がキライだという。そういうことで帰りは駄弁りながらのドライブ。編集会議のほうはつつがなく終わる。

朝から降っていた雨も昼過ぎには止み青空も見える。お天気というのは生き物だ。体の具合が悪くなると駄々をこねる。それも半端ではない時もある。でも、茨城地方というより土浦には優しいようだ。大きな災難がないだけでも有難いもの。

滝の園の仕事が決まる。当面は週一回の宿直。諸般の事情で週二回を希望する。それでも、仕事がありいくばくかの収入があるということでひと安心。金魚ちゃんもしばらくは生きられるぞと報告。知らん顔をしている。世間にいつも吹いている風はそんなものと納得する。
 
   10月3日(木)

今日は朝から体調がいい。散歩をしていても何となく体が軽い。そこで、急遽、山王姫宅の草刈り行くことにする。朝食を食べ薬を飲んで草刈り必携品の刈り払い機、長靴、手袋、ブルーシート、予備の燃料と刈り払い機の歯をクルマに積んで出かける。

作業は3時間ぐらいか。前回の経験から刈った草を捨て場まで運ぶのがきつい。そこで、今日は刈った草を寄せ集め大中小のおにぎり数個を作って帰る。乾けば軽くなり作業も楽と考えたからだ。ただ、片付けるまでの間に雨が降ったらどうなるだろ。天気は悪くなるという。土曜日に行くことになったのでそれまで降らなければと祈るしかない。

土浦四中地区公民館に本を返しにゆく。図書室には人っ子ひとりいない。館内の電灯も消されている。まったく静かで読書にはもってこい。江成常夫の写真集「被爆―ヒロシマナガサキ いのちの証」をもう一度見て返す。「老人とカメラ 散歩の楽しみ」赤瀬川源平を借りる。そういうことで本日はお終いです。
 
   10月2日(水)

いばぶん事務所へ。今日は水曜日でつくば文化郷など一連のお店は公休日。実に静かなものだ。それでも飯野氏が来る。常陽新聞時代は上司だった。今はタウン誌を発行しているプレステン社長。エライものだ。営業は好きだという。モロモロの雑談をして帰る。

メールが不通になり遠隔サポートで直してもらう。画面を見ているとあっという間にメールはつながる。説明書をよく見て手順通りにやればおいらでもできそうだが、どこかで間違え前に進まないとパニックになりイライラが募る。これまで何度も苦い目にあわされた。そこで今回は最初から問題回避。逃げたのだ。ともかく、これまでのように使えるようになって安心して帰る。

午後、滝の園の面接。仕事は当直。いつから始めるのかは決まっていない。朝、犬の散歩や枯れ葉の清掃もやってもらうという。グランヴィア牛久とは違い規則は緩いようだ。詩人会議にまた掲載される。これは励みになる。やはり、潮来マリーナの村山社長ではないが、動けば回ることを実感する。ヨシヨシ。
 

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