怠惰な散歩  2019年9

   9月30日(月)

今日で9月は終わり。朝夕は涼しいが日中は汗ばむぐらい。今年は残暑が長いように感じられる。朝のひんやりした空気のうちにとコロコロ菜園の手入れ。素人でこれといって勉強をしているわけではないから土作りも自己流。参考書は古本屋で買ってきた数冊が本棚にならんでいるが読もうとしない。理由は、読むのが面倒。すべてにおいて物ぐさになっている。こまったものだ。

茨城国体の相撲を見に行く。大男がふんどし一枚でウロウロしている。大きなお尻と太ももを目の前にして、さてどこから料理するかと思案。そんなバカなことを考えているヨレヨレおじんにお構いなく激しい申し合い。大男が二人が土俵にあがると丸い土俵がやけに小さく見える。驚きだ。

山王姫から電話がある。昨日のお礼と細々したこと。話がこんがらかり混迷だらけ。山王姫闘志満々。やはり士族の血をひいていると思う。おいらにはない闘いの血。どんな色をしているのだろうか?。赤いのか黒いのか?、さては白いのか。みんな違ってもいいと思う。
 
   9月29日(日)

キャプテン齋藤のお見舞いに山王姫と行く。さあ、これからの人生という雰囲気はない。手を握りしめる。力強い握り返しがある。イノチはある。イノチの終着点を信じられないのだろうか。何かに執着する意志だけは強そう。それを見ていると「かわいそうな人」と思う。

信じられるのは自分の名誉とお金だけなのだろうか。ああ、かわいそう。そこには家族愛という一本の道さえつながっていないような気がする。どうしたものだろう。誰かにしっかりと訊いてみたい。その真実を知っているのは意外と野辺の一輪の花かも知れない。

夜、わが家の庭ではコオロギとスズムシの大合唱。ああ、この混声合唱がキャプテン齋藤に聴こえるか。明日は我が身ということもある。出しゃばらないで、踏んばらないで、粋がらずに宇宙の法則に身をまかせ素直に生きるべし。さよならだ!!。
 
   9月28日(土)

いばぶん事務所で根本オーナーと会うなり「今日は、世間は土曜日だよ」「関係ない。毎日が日曜日だよ」。百姓は100種類の仕事を抱えていると自負しているオーナー。今日はユニック、ユンボを上手に操作しながら片付けをやっている。奥さんは孫のおもりをしながら摘み取りブドウ園の店番。元気で働けることはいいことだ。

草ムシリの合間に「私家版」を読む。フランスの推理小説で面白いがすぐに眠くなる。1カ月余になるがまだ半分ほどしか読んでいない。読書=睡眠導入剤。阿見医大の先生が「最近は、いい薬がたくさんできましたら―」と診察の時に言っていたが、この睡眠導入剤は隠れた新薬か―。ひとことでいうなら「睡新」ということで眠くなるの推進させる処方箋のいらない薬かも知れない。こまった薬だ。

ワールドラグビー日本×アイルランドをテレビ観戦。大敗すると思ったが日本勝つ。すごい番狂わせだ。人生もこうありたいと思う。
 
   9月27日(金)

キャプテン齋藤の病状について山王姫から聞く。緩和ケア病棟に移るという。いよいよ覚悟をしていた方はいいと思う。95歳になるから生を十二分に全うしたであろう。水戸っ子気質で質実剛健を自負してそれを貫いて生きてきた。おいらとは10年のお付き合いで山王姫は30年。山王姫は全身全霊でキャプテン齋藤の尽くしてきた。よく辛抱して面倒みてきたと思う。もっと前向きになって欲しいと言い残してさよならする。

コロコロ菜園の土作りに励む。土は生き物だ。生きるということは栄養をとって体力を作らなけらばならない。わが家周辺の土は砂地が多い。そのせいかみんな栄養失調のよう。それでも雑草はひっきりなし伸びてくるのだから何らかの養分は含まれているのだろう。雑草を育てる力を持ったわが家の土はエライ!!

コキアが思春期に入ったのか段々と赤く色づき始めた。これから山々は秋のお化粧を始める。筑波山は温暖な気候のせいか、どちらかというと薄化粧。京都や日光のように厚化粧ではない。控えめでほのかなお化粧といったところか。かあちゃん、無駄な抵抗と知りながらも毎日お化粧をする。わが家の金魚ちゃんが鏡に向かいペッタンペッタンやっているのを見たことはない。もしかして、4匹はオスばかりの世界か―。気持ち悪い!!。
 
   9月26日(木)

年内のいばぶんではこれといった企画の計画もないから仕事をしよう。そこで土浦シルバー人材センターに電話。偶然にも今日は就職相談日だそうだ。午後3時に来てほしい。いろいろと相談員からシルバー事情を聞く。「どんな仕事をやりたいか?」「駐輪場の仕事」。

これは東口駐輪場で係員がぼんやり外を見ていた。とても暇そう。これならおいらにも勤まりそうだとピーンと胸に響くものがあった。そのことを思い出して「駐輪場」と答えた。本日は6人が相談に来たという。そうか、老人たちは働きたいのか貧しいのか暇をもてあましているのか―。妙に納得する。まzy

さて、どうなるかは分からないが「手は打った」。なんとなく心が軽くなる。毎日、ブラブラしていてもしょうがない。お金は自分の体を動かして稼ぐもの。新聞配達をして覚えさせられた。それに、体調はすこぶるいい。今日の秋空のように晴れやかだ。それなら、もう一度、ひと踏ん張りしなくてということ。金魚ちゃんに報告。反応なし。追伸、真鍋のピアタウンに二ランジョンの絵があった。驚く。
 
   9月25日(水)

千葉の野田市に行く。常磐高速道路から眺める田園風景はすっかり秋景色。お天気もよく絶好の行楽日和。野田に行く目的は光陽会の展覧会の記録写真を撮ること。会場に着くなり会員がその任をやるとのこと。即、お払い箱。結局、お昼ごはんをごちそうになり帰る。

いろいろなことがあるものだ。雑談をしていると、突っ張って生きていた独身の女性が終末期にあるという。緩和ケア病棟で治療を受け静かなる最後を待つ。妹が面倒を見ているというが彼女も後期高齢者。妹は嘆いているという。あれだけ世間に反抗してきて自分の力で生きていくとタンカをきっていたが最後は身内の世話になる。始末に悪いことに世話になっていることさえ認識しているか分からない。こういう人生はどういうものだろう―と。

帰り、守谷のドライブインでひと休み。平日なのに大勢の人がいる。レジャーだけではないだろう。仕事の人もたくさんいるようだ。ひやかしで店を見てまわる。見慣れた店先で面白くも可笑しくもない。ああ、人生に飽きたのだろうかー。
 
   9月24日(火)

ベンジョバエがうろうろ部屋を飛び回っている。小さくて黒い物体は危害を加えることでもないが、我が神聖なる書斎では目障り。高尚なる精神統一ができない。イライラが募る。宮本武蔵はハエを箸でつまんで退治したというが、おいらはそうはいかない。必殺、ハエたたきで一撃。命短し哀れハエちゃん。どんな宗教を信仰していたのか知らないが天国へ召されたと推測する。アーメンなり。

我が屋から見える朝焼けは実に美しかった。「美はわが家の庭にあり」「雑草は老人の労働力促進」「金魚ちゃんの笑顔は餌のおねだり」

パソコンをああでもないこうでもないと操作していたら、2016年に書いた詩が66編も見つかる。記憶からは完ぺきに消えていた。おいらのハードディスクには本人も忘れた記録がたくさん残されているだろう。そうかといって、過去を振り返り探そうという気にはなれない。そもそも、おいらにはまったくのよそ者。パソコンは偉いと思うが、電気がないとタダの置物。ざまぁーみろ。
 
   9月23日(月)

朝、4時半に家を出る。老人の家出ではない。散歩だ。目をさまして空を見ると宵の明星が見える。昨晩はどしゃ降りだったがお天気は回復してお星さまが漆黒の空に輝いている。赤いライトを点滅させた飛行機も見える。これは、霞ヶ浦まで行けば美しい夜明けが見られるのではと期待して出かけたのだ。

奥井さんと会った朝に見た空と雲の美しさが忘れられない。それを求めてこれまで何度か早起きをしてカメラをぶら下げて出かけるのだがいつも期待はずれ。あの時の美しさは何だったのだろうと思うぐらいだ。

さて、本日もハズレ。お天気は勝手気まぐれ。天気予報はあるが霞ヶ浦湖岸から眺める太陽や雲の動きまでは教えてくれない。夕方、風が強い。わが家から見える雑木林の樹木は西日を受け大きく波打つ。ざわざわと虐げらしき音をたて緑の小波大波のオンパレード。こういう表現はおいらが好きな作家・開口健がピカイチだった。2019年没後30年になるという。きっと、50代で亡くなった開口は無念だったろうと思う。
 
   9月22日(日)

夕方、自転車で水郷公園に行く。爽やかな初秋の風が吹く。絶好の行楽日で子どもを連れた家族が多い。年寄りを探すが見あたらない。ここは高齢者お断りの公園だろうか。いや、老人は足が弱くなり公園まで歩いてこれないのだ。クルマで送り迎えをしてもらっても歩くだけの元気がないのだ。ああ、かわいそう。

広い芝生では親子でボール遊びに夢中。あのボールを老人はあ追いかけることはあちらさまへの旅立ちを約束するようなもの。ああ、かわいそう。残念ながら、おいらもその中のひとりというのもわいそう。

江成常彦の写真集「被爆ー ヒロシマ・ナガサキ いのちの証」を見てきた後だけに、水郷公園の楽しそうに遊んでいる人たちを見ていると「日本は平和だ」とつくづく感じる。平和とは、だれにはばかることなくおならが出来ること。平和の鐘ならぬ「プゥーッ」と異音を残して水郷公園を後にする。
 
   9月21日(土)

いばぶん事務所に行く。オーナーは台風で壊れたビニールハウスの補修工事、ブドウ園では週末だけ開いているというブドウ園の掃除を奥さんがやっている。広い敷地と建物を持っていると維持管理も大変だ。

かあちゃんに買い物を頼まれる。ヨークベルマルでカップラーメン88円。お一人さま10個限り。10個を買う。880円だと思って得いたらレジでは1000円では足りない。納得いかず店員に聞く。消費税が加算されているとのこと。大きく頷く。その消費税も10月からまた上がるそうだ。わが家は三食カップラーメンかー。

テレビでラグビー観戦。大男たちがグランドを走ったり跳んだりしている。まったくこいつらの体はどうなっているのだろう。あれだけ激しくぶつかり合って体が壊れないのは並の鍛えかたではない。きっとカップラーメンなど食べていないだろう。おいらが体当たりを食らったら、たちまち天国行きだろう。それとも地獄かー。
 
   9月20日(金)

本を読まないのはどういうことか?
本を読みたくないとはどういうことか?
本を読めないとはどういうことか?
以上の3項目について土浦図書館で考える。館内の書架には山ほど本がならんでいる。どうやら読み手を待っているようだ。しかし、借りる人はまばらでよれよれオジンのような老いぼれはただ素通りする。それでも数回、あいさつだけしておこうと館内を周回する。ここは本の展示場ではないという声が聞こえる。

「目で見るつくば」の本が欲しいと電話がある。午後、事務所に受け取りに行く。有料で3000円と返事。その彼が事務所の来る。入ってくるなり「金がなくなったからいらない」。これはどういうこと?。用意しておいた本はテーブルに鎮座している。かわいそう。

金魚ちゃんに報告。「世の中にはいろんな人がいる。隠れ変人も多いはずだ。その変人を相手にまともに付き合ったアンタはエライ。みんな忘れろ」。励ましのお言葉を有難く頂く。さようならです。
 
   9月19日(木)

朝起きると自宅から見る空はきれい。昨日の風と雨で洗われたのだろうか。青い空にたなびく雲は時々刻々と様々な色を見せ変化していく。これは動く芸術だ。もったいない、もっと遠くに行って見よう。そうだ、桜川から見よう。そういうことで、自転車を桜川に走らせる。格好良くいえば雲に誘われたぼーっ老人の散歩。

桜川の土手を走っていると90歳の奥井清さんに会う。今日は遅く朝5時に家を出たという。毎朝の日課で2~3時間歩く。女房、娘には歩くことを反対されている。しかし、歩くのが一番と自分の理に合っているという。女房、娘の声は無視して毎日歩いているという。恐るべき老人は健在なり。

今日は、定期診察日で阿見医大に行く。病院前の小学校では運動会の予行練習。空はどこまでも広く青い。青いということは子どもたちのお尻も青いのかー。どうも思考がちぎれ雲のように流れ消える。こまったものだ。
 
   9月18日(水)

シノヅカ氏とつくば図書館内にある喫茶店で会う。頼まれた写真を渡す。80歳を過ぎても映像作家として全国を飛び回っている。驚きだ。明治村にあるSLを撮影してきた。今年中にはSLビデオをまとめて上映会を開きたいと意気盛ん。たまげたもんだ。

夕方、おいらの大家さんの兄が亡くなり通夜に行く。亡くなった兄という人は一度だけお目にかかったことがある。サガ先生の出版記念会の時。10数年前。顔はよく覚えていない。

夕方、かあちゃんと広瀬氏の通夜へ。フカヤさんやサガ先生に会う。外は冷たい雨が降っている。涙雨か。長男があいさつ。温厚な性格の人だったらしい。充分に生を全うしたことが窺える。小松3丁目は広瀬姓が多い。どこが本家で分家かわからないが、顔立ちでなんとなく広瀬一族ではと感じることが多い。どの顔も温厚篤実な印象。さて、おいらはどうだろうかー。
 
   9月17日(火)

潮来マリーナに行く。久しぶりのせいか遠く感じる。クルマを走らせても走らせても田んぼだらけ。そして空はどこまでも広い。到着して気づく、そうか今日の火曜日は定休日。昨日の電話ではそんな話題は一つも出なかった。フォークから転げケガをしたという村山氏が待っていてくれる。

潮来マリーナはドッグを含めると2万坪の広大な敷地を抱えている。「多すぎる。とても管理できない」。財務省、国交省、潮来市を入れたバトルは50年も続いている。その決着に向けていろいろ話を聞く。おいらだできるこは、ぼーっと話を聞いてやることだけ。これも一つの人としての生き方かー。

昼飯と新米をもらって帰る。霞ヶ浦大橋コースにする。それでも遠い。稲敷台地のサツマイモ畑を見ながら土浦を目指す。イワナミ氏と霞ヶ浦取材をしていたころを思い出す。何度も西浦、北浦の湖岸をぐるぐる回って写真を撮った。あの頃は夢中だった。そして元気な体があった。今は老いた体にムチを打ちながらの運転。それでも、こうやって動けるのだ。金魚ちゃんに報告しなければー。
 

   9月16日(月)

そして、今日という日が終わる。そして、今日という日がどうだったのかを考える。はたして、今日という日は何のために存在しなければならなかったのかーそして、明日を迎える。これは、どういうことかについて考える。眠れない。

眠れないことはない。いつも完璧なほどの熟睡。そう、ぼーっと眠る。睡眠さえもぼーっの世界に浸れるのだから天才に近い。悩み事相談があれば受付ますといわれたら「悩みがないのが悩みです」。さて、先生は何と答えてくれるかー。それを考えたら眠れない。いや、眠れる。

しいての悩み事といったらブログに何を認めるかと思案するぐらい。どうせくだらないことを書いているだけ。さっさと止めるべきかもしれない。それでも更新するのは単なる暇つぶし。ニランジョンからメールあり。タゴールが日本で過ごした記事を雑誌に書いたらしい。ベンガル語で書いているからさっぱり読めない。正直いってベンガル語かさえ定かでない。さようならです。
 
   9月15日(日)

朝からテレビに釘付けになる。東京オリンピック選考の一発勝負の男女マラソン大会。これを見逃すわけにはいかない。夢中で見ていたら時間も経つのも忘れお昼近くになっている。そして、クビやカタがコリコリ。そんなに力んで見ることもないと思うがマラソン大会だけは別だ。

このくそ暑いのに、なぜ走らなければならないのか。それは大きな目標があるからだ。オリンピックに出たい。なぜ、そんなに苦しんでまでして出たいのかー。そこには名誉があるからだ。

そこで、名誉について考える。そもそも名誉とはなんぞやー。辞書によれば「ほまれあること。よい評判を得ること」「道徳的尊厳」とある。「ぼーっと過ごす」に名誉の称号を与えるだけの価値はあるのか。悩ましいところだ。
 
   9月14日(土)

いばぶん事務所に行く。今日は土曜日のせいかつくば文化郷に出入りする人が多い。それも若い人たちで子連れ。初秋の日が射す庭で遊んでいる。ギャラリーで洋服の展示販売会をやっている。そのせいもあるかも知れない。

涼しくなり過ごしやすくなった。畑仕事が楽になった、とはいえクワで耕してもすぐに息切れする。だいたいクワを持つだけで重く感じられる。それを見て畑は笑っている。畑は笑ったり悲しんだり泣いたりするのかー。雑草だらけの休耕田を見ると田んぼが泣いていると思う時がある。どんなものにも喜怒哀楽はあるのだろう。

そういえば、わが家の金魚ちゃんの涙を見たことがない。きっと体の具合が悪い時は苦しみの涙をいっぱい浮かべているのだろう。それに耐えられなくなるとコロリと腹を天に向け召される。あっさりして覚悟がいい。エライものだ。
 
   9月13日(金)

いばぶん事務所へ行く。ブドウ園のある駐車場で作業をしている人と話す。社長に頼まれて木枠を作っているという。何に使うのかわからない。週二日働いているという。さらに特老施設で宿直もしている。そこで会話は弾む。なにしろおいらも経験者だ。

もともと、東京で教員生活を送っていたが定年退職を機会につくばみらい市に越してきたという。宿直の仕事のベテランらしくいろんな施設の情報を聞く。今の通っている施設を紹介してやるというので名刺を渡す。

事務所にイイノ、シノヅカ両氏が来る。雑談をしてシノヅカ氏より小遣い稼ぎの写真の仕事をもらう。人生、どこでどうなるか分からない。大相撲を見るためにそそくさと事務所を後にする。姫丸子からちょうだいしたモモを食べる。甘くておいしい。ありがとうございます。
 
   9月12日(木)

朝早く、東の空が変化していく。大空に広がる雲は時々刻々と表情を変える。一時も同じ形をしていない。そして、色も変化していく。それを眺めているうちに段々と明るさが増してくる、それなのに、おいらの生活に大きな変化はない。これはどうしてか―。人々の日常生活に仰天するような変化はないはずだ。あるとすればとんでもない天地異変が起きた時ぐらい―。

今住んでいる借家は庭が広い。いばぶんオーナーと比べたらそれこそスズメの涙ほどが、おいらにとっては広い。それだけに雑草もニョキニョキと生えてくる。その勢いには逞しさを感じる。それとの戦いを今日もやる。負けないぞ。

セキノ氏、土浦ハローワークから65歳以上の募集案内を持って来てくれる。仕事を探していると昨日話した。有難いことだが9月は休もうと考えている。しばらくしたら本格的に高齢者には狭き門となるパートの仕事を探そう。
 
   9月11日(水)

今日も暑かった。千葉県では停電が続き全面回復までのメドがたたないという。停電ということは涼場を求めて公共施設や大型店に逃げ込むわけもにもいかない。暑い暑いといいながらいばぶん事務所でそれなりの仕事をやれるということは幸せ者というべきかー。

まずは、詩人会議の原稿にとりかかる。17文字20行という指定。決して長い文章ではない。「平和のつどい」に参加した感想といわれても、毎日平和ボケして怠惰な生活をしていると張りつめた緊張感もない。そこそこにまとめる。

昼過ぎ、久しぶりにセキノ氏現る。暑さで、父の自宅のかたずけが進まないという。やはり、みんな暑いのだ。暑さ寒さも彼岸までというが、今日でも明日でもいいから来てほしいと願う。わが家の金魚ちゃんだけは暑さ知らずのようだ。朝になると催促のダンスが激しくなる。エライものだ。

 
   9月10日(火)

暑さぶり返す。出戻り夏だからそんなに大きな顔をできないはずだが厚顔無恥とでもいうのかどんどん暑くなる。尋常な暑さではない。それでも水戸の南岳先生を訪問する日。ニランジョンに頼まれた書を受け取り行く。

帰り、美野里のどきどきファームに立ち寄る、安くて元気で美しい花を探すが、頭上から照りつけるギラギラ太陽で頭がクラクラする。とても花選びをしている状況ではない。早々に退散する。

どきどきファームの帰り山王姫宅へ。ソロプチの写真を届ける。駐車場の屋根がない。夏空が見える。相変わらず暑い。憎き夏め。おいらの知り合いはみんな高齢になった。こういう暑い日は家の中で静かに欠伸をしながらやり過ごすに限る。皆さま、ご用心を!!。
 
   9月9日(月)

早朝から、猛烈な風が吹きまくる。風の又三郎がやってきてわが家のコロコロ花壇の花たちを容赦なくなぎ倒す。抵抗すべき技はなし。部屋から窓越しに見ているしかない。偉大なる自然さまよ。どうぞ気が済むまで暴れまわってくれ。

風が弱くなってから跡片づけ。神は暇な老人に仕事を与えてくれたのかもしれない。倒れたヒマワリの残骸を抜いていく。その数、10本ほど。ヒマワリは枯山水でいいじゃないかと花が終わってもそのままにしておいた。それが見苦しく倒れている。ああ、無情なり。

山王姫宅では駐車場の屋根が吹き飛ばされたという。以前も強風で壊れ修繕したばかりだ。ああ、かわいそう。ヒマワリが倒されたぐらいでグチっている場合ではない。みんな痛い目にあっているのだ。仕事が与えられただけでも感謝しろ。「ハイ、分かりました」
 
    9月8日(日)

朝の水郷公園。散歩をしている人はスマホを手にしうつむきながらソロリソロリ歩いている。それも一人二人ではない。世の中は狂っている。それをぼやーっと見ているおいらも狂っている。みんなで狂えば世の中バラ色。

そういえば、魯迅に「狂人日記」があった。ジャンジッュネは「泥棒日記」を著している。おいらは「ぼーっ日記」を書き残そうか。バー力ー誰も読まないよ。天の声が小松三丁目あたりから聞こえる。

そこで日記について考える。スマホを藻ながら散歩している人たちは誰かのブログっを読みながらかもしれない、おいらのブログはは100%ない。そういえば阿部次郎の「三太郎の日記」もあった。昔、夢中で読んだ。まだ、「ぼうーっ太郎の日記」は聞いたことがない。これはチャンスかもしれない。また遠くから天の声が届く。「重ね重ねのバーカ、カカァーカカァーカミさんなぜ鳴くのだよ」「はい、分かりました」

 
   9月7日(土)

朝、畑仕事をやる。太陽が昇り空が明かるさを増してゆく。ぼーっとした頭も少しずつ冴えてくる。「本日は晴天なり、本日は晴天なり」
と声をだしてみる。うん、なんとか大丈夫のようだ。

本を読む。眠くなる。どうも、最近は本を読み出すとすぐに眠くなってしまう。もしかして、睡眠剤でも仕込まれているのかも。この本はブックオフで買ってきたものだから古本。ニコニコ店員がどうも怪しい。

山王姫宅へソロプチを届けた帰り、遠回りして歩崎観音に行く。キラキラ湖を見たかったからだ。展望台から眺める霞ヶ浦は広い。すごい財産だと思う。そういうことで今日も終わりです。
 
   9月6日(金)

朝、颯爽と電動自転車で霞ヶ浦総合公園まで行く。田んぼ道を走っているともう稲刈りの終えた田んぼもある。明日、吉瀬に行って稲刈り風景の写真を撮ろう。サラリーマン農家が増えたこともあり会社の休日を利用する人が増えた。もしかしたら出合いるかも知れない。

ルンルン気分で公園のベンチで休む。実に静かだ。散歩をしている人も少ない。もちろん高価な財布に札束が入って福沢諭吉がびっしり入った財布も落ちてない。ゴミらしきものが見当たらない。つい最近、日本にやってきたインドのアキちゃんに日本の印象は、「とにかく、まちがきれいです」。日本人はこれを自慢してもいい。インドのコルカタ市内などゴミの中にまちがあるといっても過言ではない。

水郷公園の帰り、坂道で電動自転車がバッテリー切れ。よっこらしょ、よっこらしょと自転車を押し幸せがあるという坂の頂上を目指したのです。上りがあれば必ず下りがある。そう、呪文を唱えながらです。お粗末さまでした。
 
   9月5日(木)

今日こそ決着をつけてやろうと山王姫宅へ。ソロプチのアルバム作り。いつまでも金魚のフンのように中途半端ではいけない。そこで、山王姫宅で聞きながらやったほうがスムーズに進むと考えたからだ。

二人でああでもないこうでもないと言いながらパソコンと数時間にらめっこ。山王姫のパソコンはやや見上げるように使用するようになっている。そのため長時間やるとクビが痛くなる。クビコリコリ、カタカタコリコリ、メンタマショボショボ。それでもようやくメドがつく。

帰り、高価そうなナシを頂く。今年は天候不順で不作だという。農家の人は気苦労がたえないだろう。その点。おいらの畑はのんきなもの。なにしろ、万年不作だから心配することもない。農家の人にし叱られそう。
 
   9月4日(水)

いばぶんに行く。文化郷の中庭の芝刈りをやっている。お店は水曜日でお休みでひっそり。植木職人は刈り払い機を使用している。これならおいらもできそう。試してみよう。

風が涼しくなった。涼しいといわれているうちは風もかわいいが、これが冷たく肌をさすようだといわれるようになれば、りっぱな嫌われ者。嫌われ者はどこにもいる。その中で、どうやって折り合いをつけていくか。これがなかなか難しい。難しいから面白いかもしれない。

詩人会議から原稿依頼が届く。「平和の集い」に参加した感想を送れとのこと。ハイハイ、いくらでも書きます。それだけ、ぼーっタイムが短くなるのですから大歓迎。ただ、惜しいことにギャラなし。100円でも200円でもあれば有り難いのにー。二人して大きなため息。窓から吹いてくる風は涼しい。
 
   9月3日(火)

久しぶりに桜川を越え、恋瀬川の橋を渡り山王姫宅へ。駐車場から玄関に通じるなだらかな小径はきれに手入れされ秋の気配を感じる草木の息吹さえ聴こえそう。爽やかな気分でトコトコと上っていく。山王姫はこの坂を何往復したのだろう。そして、これから何往復するのだろうー。

山王姫は元気そう。痛めた膝も回復しつつあるという。「道」という名がつく茶道、剣道、柔道などを極めている人には膝が悪く正座できないのは、さぞ辛いことと思う。

山王姫の話を聞いて、世の中にはいろんな人がいるものだ。または、いろんな家族関係があるものだ知る。無償の行為のしっぺ返し。そうなれば、この10年間の善意の奉仕は何だったのだろう。そして、そういう状況に追いこまれたことに同情する。『花落ちて砕けし影と流れけり』(夏目漱石)。きっと、山王姫は砕け流されないだろうし、そう願いたい。
 
   9月2日(月)

今日は何の日か知ってますか?。そう、おいらの誕生日。71歳になる。よくも71年もぬけぬけと生きてきたものだと鏡でじーっと自分の顔を見る。普段は滅多に見ない。朝、歯を磨いて顔を洗う時ぐらい。それもチラリ。どう見ても長年連れ添ってきた顔だ。貧しい顔だ。そのせいか生活も貧しい。生活が貧しいから貧しい顔になるのか―。うーん、分からない。

朝、吉瀬集落の子どもたちの通学風景を撮ろう出かけるが子どもたち現れず。もしかして、小学校に通う子供が吉瀬にはいないのか。横断歩道で黄色い旗を持ったおばさんも手持ちぶたさのようクビをかしげ帰る。

畑に植えるタマネギを飼う。前回はうまく育ってくれたが今回はどうか。どうも、土壌が栄養失調のような気がする。貧乏人の畑はかわいそう。満足な物を食べさせてもらえないから、どこかの国の痩せた子どものようになっているかも知れない。そうだとすれば、かわいそう、なんとかしてやらなければと思うが知恵が浮かばない。こまったものだ。
 
   9月1日(日)

さあ、今日から九月。九月になれば稲穂も実りおいらも元気づく。まあ、そんなことはない。ただ、明日迎える誕生日で七一歳になる。よくぞ、ここまで生きてきたものだ。図々しいという厚顔というのん気というか、なんのてらいもなく地上に顔を出して生きている自分を誉める。

中原中也の詩にこんなのがあった「―私の上に降る雪に いとねんごろに感謝して、神さまに 長生きしたいと祈りました―」(生い立ちの記)

終日、庭の草取りと読書。こういう日があってもいい。もっとも、ここ数ヶ月はこんな日々を送っている。明日、シルバー人材センターに行き仕事を探してもらおう。貧乏性は、とにかく体を動かさないと精神的に落ち着かない。そして、涼しくなりそれなり動けるようになった。庭の草取りをしていたら小さな虫たちが懸命に動いている。生きている証拠だ。それなら、ぼーっとばかりしていないでおいらもということだ。さて、どうなるやら?。
 

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