怠惰な散歩  2019年8

   8月31日(土)

今日で八月も終わり、締めくくりとして詩人会議主催の「戦争を拒む」平和のつどいに参加する。会場は上野の東京文化会館。この時世、詩を愛好している人や詩人はどんなことを考えているのか知りたかった。夏の陽射しが強い上野駅を降りる。

会場には60人ほど来ている。同年配の人たちが圧倒的に多い。若い人もいるがチラホラ。スマホ時代、詩集を開いて読む人が少なくなったのだろう。朗読会、フルート演奏、対談とメニューは盛りだくさん。

久しぶりに茨城町に住んでいるカワスミさんに会う。20数年ぶりだろう。今は詩を書いていないがこうした集会には参加するようにしているとのこと。「詩の広場」を主宰していたフカヤさんが亡くなったという。フカヤさんはおいらと同じ歳。真面目な人だった。そうか、みんないなくなってしまうのか。
 
   8月30日(金)

筑波山の写真を撮ろうと出かけるが筑波山は雲に隠れ見えない。風がそよぎ黄色く色づき始めた稲穂が揺れる。雲間から姿をあらわすのを待つが筑波山は見えない。あきらめて帰る。それだけです。

いばぶん事務所へ行く。何をしようかと考える。気分がのるまでスマホでブログを書く。文芸社から詩を15編送って欲しい。返事は審査部で審査の結果、是非本にして、当社の全国特約店150の書店で販売したい。ここまでうれしい話だが、出版費用はこちら持ち。見積りは150万円。やんわりご辞退する。だいたい詩集など買う人がいない。

すっかりスマホの時代になった。スマホを使いこなせない人は生きることができないのだろうか。スマホでブログを書いてスマホで写真を撮ってhpにアップする。何が楽しいのか分からない。こまったものだ。

 
   8月29日(木)

暑さがぶり返してきた。これを残暑というのか―。そうだとすればさっさとあとくされのない形ですっきり離縁したいものだ。こっちがそう思っても相手は偉大なる自然さま。喧嘩をして勝てる相手ではない。そうとなれば、耐えがたきを耐え―と、ひたすらガマンすることだ。ああ、わが人生はガマンガマンで終わりそうだ。かわいそう。

久しぶりにいばぶん事務所へ。暑さは土浦と変わらない。あたりまえだ。庭師が選定作業をしている。野良仕事は暑さに慣れてしまえば耐えられる。長年の鉄筋屋稼業で習得した。それには毎日休まず少しでもいいから体を動かすこと。お盆休みなど長い休み明けが一番辛い。体がなまっているのだ。

いばぶんの仕事にもう一つ燃えるものがない。だんだん資金が乏しくなっただけではなさそうだ。何かを発信してやろうという気概がない。しぼんだ風船だ。これはこまった。起死回生の特効薬はないものかとウーロンハイを飲みながら思案にふける。暑さは黙っていても寄り添い離れようとしない。こまったものだ。
 
   8月28日(水)

中村錦之助出演の映画「宮本武蔵」シリーズで「一乗院下り松の決闘」という映画があった。今日はつくば市大島の一乗院で万灯会があった。人形、玩具などのお焚き上げも行われた。

一乗院はかあちゃんの昔の恋人の菩提寺でもある。山好きの彼は中央アルプスの木曽駒ケ岳で転落死。土浦に来た当初は命日の12月に毎年のように墓参りをしていた。ここ数年はご無沙汰している。墓前に花を供え手を合わせる。ミンミンセミの鳴き声が耳をつんざく。それだけ樹木に囲まれた墓地である。

久しぶりに護摩焚きを見る。供養とは何か―。分からないことばかりだ。ごく最近見たのは千葉の金乗院。護摩堂は煤で真っ黒だったが位置女医うんは建て替えたばかりきれい。重々しい読経が山すそを上り筑波山の頂上まで届きそうだ。かあちゃん、お人形のお焚き上げをやってもらい満足そう。
 
   8月27日(火)

耐えなければならぬ重さ
耐えざるをえない重さ

越えなければ長さ
越えざるをえない長さ

飛ばなければならぬ高さ
飛ばざるをえない高さ

ひとのこころの中に
すっぽりとあぐらをかいた
こいつらをどうやってやっつけるか!
先人は知力と体力で今日まで乗り越えてきた

さあ、考え悩んでみよう
そして、見果てぬ夢を追いかけよう!!
 
   8月26日(月)

絅子先生とショットさんと娘のアキちゃんに東京文化会館で会う。アキちゃん大きくなる。22歳だそうだ。ショットさんは22年前、カスミで1年間の研修を受けていた。その時、インドでは奥さんは出産をした。女の子だった。我妻先生に名前をつけてほしいとお願いして「秋」に生まれたから名前は「アキ」。スペルは知らない。

ショットさんはタゴール国際大学の事務員。今年10月に定年の60歳。今、次の仕事を探しているがなかなか見つからない。息子は大学1年生。まだまだ働かなければならないという。世界は広く、どの家庭でも苦労しているようだ。それも、お金があれば解決することばかり。悲しいかなわが家もしかり。

ショットさんがカスミの研修を終えて帰国した年にインドを訪問した。その時、ショットさんの家に立ち寄り奥さんにせがまれ赤ちゃんだったアキを抱いた。今、抱いたらショットさんに蹴とばされるだろう。歳月の流れは早い。ビンボーにも飽きたが、季節は初秋となり本格的な秋を迎える。アキちゃん頑張って。
 
  8月25日(日)

理想的な涼処を見つける。土浦地区四中地区公民館だ。日曜日だから学生が勉強に来ているのかと思ったが図書室にはだれもいない。だだっ広い部屋の壁に本棚がずらりと並んでいる。二階では土浦日大高校の演劇部が稽古をしている。時どき、大きな声が室内まで聞こえるが気にするほどではない。

「涼しい脳味噌」養老孟司著を借りる。脳味噌は涼しい方がいいと思うが外は暑い。そこで、クーラーがガンガン効いているロビーで読む。普段は冷房のお世話になることが少ない。そのせいか30分も本を読んでいたら寒くなる。次に来るときはもう一枚ジャンパーを持参しよう。

早朝、インドのショットさんが娘を連れて日本に来ているという電話が絅子先生から入る。これから栃木の氏家まで来れないか。ショットさんは講演して娘はタゴールダンスを披露するという。結局、今日は辞退して明日、上野の文化会館で会うことにする。脳味噌は涼しくなるどころではない。
 
   8月23日(金)

昨日、みーこちゃんこと保立道久さんと妹の真理ちゃんが来訪。昼食は土浦市内の「つじ山」。まだ一色園という名で暖簾を下げ営業していた二十数年前に来たことがある。日本庭園が素晴らしいという印象が残っている。今回、久しぶりに訪れ、昔見た面影を思い出そうとするがどうもピンとこない。記憶はどんどん薄れ消えていくのだろうか―。

昼食後、小松の本宅に招待、といっても3DKの平屋で借家。自慢できることなど何もないところが自慢だと案内。ただ、四人で駄弁ってたわわに実ったゴーヤ狩りを楽しんでもらい手土産としてもらう。

保立さんは、ただ今執筆に追われている。内容は日本神話について。岩波書店から刊行するそうで全3部作を計画しているという。そういえば前回出した「老子」のあとがきに「―次の『古事記』『日本書紀』の神話の仕事を必ず形にしたい―」と結んでいた。東大教授を退官して今は初版歴史作家として活躍中。健康には留意して励んでもらいたいものだ。
 
   8月20日(火)

南岳先生宅を訪問。二ランジョンから頼まれていたのをお願いする。「今年の夏は暑かった」と開口一番。奥さまもウンウンと頷く。「今日は涼しくて助かる」。久しぶりのご対面となったが元気そう。二ランジョン著の表紙に先生の書いた「心」が使われているのを見てニコニコ顔。

二ランジョンが6月下旬に来日した時に頼まれていたもので実に2ヵ月も経ってしまった。これはまさしくインド時間。どうやら感化されてしまったらしい。何かと落ち着かなかったこの2ヵ月だった。それなら、これからは落ち着くのかといえば、それも怪しい。

水戸からの帰りハンドルを握りながらアクビが出てしょうがない。睡魔に襲われる。自宅で過ごしている時は眠くなればそのまま眠ってしまう。その習慣が身についてしまっている。しかし、ここは眠っていけない。なにしろ走る凶器を運転しているのだから―。何度もほっぺを叩いたりして無事に帰還。やはり、これからも怪しい日々が続きそうだ。夕方、バケツを逆さにしたようなドシャブリ。自然というのはすごいものだ。
 
   8月19日(月)

「人間にとって寿命とはなにか」本川達雄(角川新書)を読む。なかなか面白い内容だった。筆者が同年生まれということもあり、「第六章 老いの生き方」など共感できる、というより同じ考えの人を求めているせいかも知れない。このスピード社会に対応するために自分だけの時間をデザインすることを薦めている。おいらの場合は「ぼーっ、ぼーっ」の時間が長いから「ぼーっ」をメインにつくる必要がありそうだ。

今日は涼しくて過ごしやすかった。畑仕事が順調に進む、といっても一時間もするとクタクタになる。雑草の根っこを見ながら考える。土の中で根っこ同士で闘っているのことが分かる。複雑に絡み合った根っこは自分の縄張り確保に懸命に生きているのだ。おいらは、それらのイノチを断つ。

小松の盆踊り大会で撮った写真をヒロセ宅へ届ける。「ありがとう」の言葉を聞く。これだけでいい。何も求めない無償の行為。太宰治の小説で「彼は人を喜ばせるのを無上の喜びとしていた」。そんなことを思い出す。
 
   8月17日(土)

小松公民館前に多くのクルマが停められている。何ごとかと覗いて見ると盆踊り大会の準備。このくそ暑いのにご苦労さんと声をかけてやりたいが「手伝って下さい」と頼まれそうでチョロチョロ見て回り退散する。

歯医者さんの治療が今日で終わる。「長い間ご苦労さんでした」と声をかけられる。これでしばらくは何でも噛めそうだ。もう歯ぐきもしぼんだしまったから、いつ痛くなるのか分からない。おいらは子どものころから歯が悪かった。兄は虫歯が一本もなく魚など骨をバリバリおいしそうに食べる。同じ兄弟でも違うものだ。

夕方、物見遊山ということで小松の盆踊り大会を見に行く。浴衣姿の粋な姉ちゃんをキョロキョロ探す。楽しみといえばそれしかない。知っている人に会う。記念写真を撮ってやるが酔っぱらっているので写ってるかどうか分からない。こまったものだ。
 
   8月15日(木)

朝、霞ヶ浦へ。電動自転車で快走。6時ごろは風も爽やかで実に気持ちがいい。気持ちいいことは長続きするわけがなく9時過ぎると猛暑。土浦図書館に逃げる。駈け足で本をパラパラめくり2冊借りる。借りたものは返さなければならない。そうしないとトラブルが発生する。これは本に限ったことではない。世の中、すべてがそういう仕組みになっている。肝に銘じて借りる。

保立家のおばあちゃんの仏壇に手を合わせる。おばあちゃんとおじいちゃんの写真が飾られている。懐かしい顔。いろんなことがあった。それもあれも過去のこと。おいらは父親知らずで育ったこともあり、おじいちゃんは親代わりの存在でもあった。父親とはどういうものかと思いながらいつも接していた。それも全部思い出のひとコマ。いつまでも忘れないだろう。

かあちゃんの妹と姪っ子がわが家に泊まりに来るという。その前に晩飯の買出しにカスミに行く。女三人の買い物は長い。ただ、忍の一字で待つ。「お待たせしました」「お待たせされました」で買い物を済ませ小松へ。その後、おいらはながみね温泉へ。
 
   8月14日(水)

今日はゴーヤのことについて書こう。なぜなら、わが家の家庭菜園でたわわに実ったゴーヤを姫丸子の家に届けたから、というのはゴーヤがなり過ぎてわが家では食べきれない。それなら大家族の姫丸子宅へとなったわけ。

本日はお盆休みで姫丸子は在宅。盛んにお礼の言葉をもらい、帰る時には笑顔をふりまきゴーヤよりすべすべした手をふり見送ってくれた。

夕方、庭で草むしりをしているとチャーコがお菓子を手土産に参上。今日は何か貰い物が多そうだと期待するがその後はなし。そもそも他人様からの貰い物をあてにして生きようと考えるのは図々しいというもの。金魚ちゃんに報告すると「バーカ、貧乏人は情けないことを期待する。期待するバーカ、期待されるバーカ。どちらもバーカだよ!」「ハイ、わかりました」
 
   8月13日(火)

昨日はネコちゃんのことを書いたから今日はわが家で飼っている金魚ちゃんについて書こう。出身地はジョイフル本田だが生まれは不明。ただ今4匹の金魚ちゃんがスイスイと泳いでいる。泳いでいるというのか歩いているというのか走っているのか分からない。本人たちは意外にも水の中を這っているのだと言いたいかもしれない。しかし、おいらから見れば泳いでいるとしか思えない。

2、3日前に水槽の大掃除をしたからガラス越しによく見える。よく見ると顔つきは全部同じ。体長に差があるにせよどれがオスでメスだかまったく分からない。水槽には産卵場所がないから、オスメスが仲良しこよししても家族が増えることはない。ひたすら減るだけだからかわいそうといえばかわいそう。

庭の隅では金魚ちゃんとメダカを飼っているが、これはホテイアオイがびっしりと覆い中が見えないから生きているのやら死んでいるのか分からない。いつかはホテイアオイを取り払って様子を見てみようと思っている。
 
   8月12日(月)

ピーちゃん

ピーちゃんのお仕事はひたすら眠ること
お掃除や炊事洗濯は
みんーなご遠慮させてもらい
寝心地のいい場所を探しただ眠ること
パパ、ママから教わったのは
いつでもどこでも
すべてを忘れ健やかに眠ること
ごはんの用意ができたら
あくびをこらえ起きだし
満腹になったらまた眠る
仕事は真面目に
いつも真剣勝負でなければー
そういうことでお休みなさい
バイバイでぇーす!!
 
   8月11日(日)

今日は朝から涼しかった。そこで刈仮払い機を物置から持ち出し土手の草刈り。ほんの10分だ。体力がもたない。斜めの土手は草を刈るには往生する。体力さえあればいとも簡単に一網打尽してやるのだが今は無理。今日一日のことを考え早々とやめる。

昨日はながみね温泉から土浦図書館のコースを計画していたが疲れて断念。そこで、今日は逆コースにする。午前10時自宅を出発。図書館に着き机に座ったとたん眠くなる。そこで居眠りがやりやすそうな椅子を探すが満席。敵は意外と身近にいることを知る。

夕方、再び庭木の手入れ。あっちからこっちから夏の暑さにもめげず元気に育つ。すごいパワーだ。宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩を思い出す。優等生のような詩。好きではないが「アメニモ負ケズ、カゼニモ負ケズ―」をブツブツ言いながら作業。今日も終りです。さようなら。
 
   8月10日(土)

ながみね温泉のサロンで椅子に座り編み物をしているおばさん。97歳になるそうだ。これまで私より年上の人に会ったことはない。そして、指先を動かすのはボケ防止にいいとせっせと編み物をしている。目も耳もしっかりしている。ああ、おそろしや怖ろしや大先輩。

久しぶりにプールで泳ぐ。猛暑続きで水温は下がらず本日は35℃。まるでお風呂に入っているようなもの。プールで体を冷やしてさわやか気分で帰ろうと思ったがそう簡単に問屋は卸してくれない。

「はしょる」という言葉がある。家を出る時は2、3の用事を済まして帰ろうと考えるが体が思うように動いてくれない。途中でスタミナ切れとなって最後の方の用事ははしょってしまう。ええ、面倒だから人生もこのへんではしょってしまおうと思ってもそうすんなり問屋は卸してくれない。ながみね温泉を出たら土浦図書館に行こうと予定していたが泳いで疲れたのではしょることにする。ともかく、今日も暑い一日だった。
 
   8月9日(金)

今日は涼処を求めてどこへ逃げる。そうだ、土浦イオンの本屋さんに行こう。そういうことで270円のアイスコーヒーを飲みながらブログを認める。ここへ来る前にいばぶん事務所に寄る。昨日、山王姫に指摘されたいばぶんhpの間違いを修正をしてきた。おいらのブログやその他モロモロには大きな間違い誤字脱字がたくさんあると思う。そういうことはしっかりと目を閉じることにしている。なぜなら、恥じるのはおいらの勝手で他人様に迷惑をかけない。実に立派な心掛けだと自分で感心する。

読書ルームのテーブルは満席だ。そして静かだ。みんな真剣に本を読んでいるらしい、らしいというのは読んで身についているのか分からないから判断のしようがない。もっともくそ真面目に本を読まなければならないという規則はない。鶴見俊輔は「読んだ本はどこへいったか」「読んだ本がどれほど自分の中に残っているのか」と述べている。そうだ、おいらの部屋にある本も捨てた本も売った本も本当に何処へ消えたのだろう―。全部、忘れてしまい空っぽ。すごいものだ。
 
   8月8日(木)

午後、山王姫と姫丸子と中貫のココスで会う。山王姫とはソロプチの写真の打ち合わせ。姫丸子は山王姫と何か用事があるらしい。姫丸子とは久しぶりにご対面。母の看病と仕事で忙しそう。それでもはつらつとした笑顔を振りまく。山王姫も連日の猛暑に負けず元気そう。やはり、女は強しか―。

姫丸子から大きなプレゼント。それは高価な化粧箱。カスミでもヨークベルマルでも山新でもジョイフル本田にも売っていないオンリーワンだ。ありがたく頂く。さて使い道に迷う。姫丸子は薬箱にというがほかの使い道を考える。このくそ暑いさ中に考えることは不可能。そこで、とりあえずインテリアの一つとして鎮座させることにする。神さま扱いだ。

夜、巨人戦をテレビで見る。2位と10ゲーム差もあったのがいつの間にか首位の座が怪しくなった。ガンバレジャイアンツ。本当はどうでもいいのですが―。
 
   8月7日(水)

今日はながみね温泉に逃げる日。今日は虫歯の治療で歯医者に行く日。今日は霞ヶ浦高校が敗けた日。ながみね温泉は涼しい。職員も涼しそうな顔をして迎えてくれる。迎えてくれるのは圧倒的年寄りが多い。集会室の大広間では5,6人がグループになった談笑。グループ数3つ。誰も見ていないテレビはこ高校野球を中継している。耳が遠い老人ばかりだからボリュムは大きい。グループの話し声はそれより大きい。

おいらは騒音の中で夢も見ず爆睡。快適な昼寝を楽しむ。眠ること一時間。目が覚めた時、ここは何処だろうと寝ぼけまなこで周囲を見回す。どうやら冥途の世界ではなさそうだ。

テレビは小泉純一郎の婚約のニュース。お年寄りたち一斉にテレビに視線を移す。それは束の間だった。いとも簡単に自分たちの世界に入り大きな声で話し始める。こうやって夏は過ぎてゆくのでした。終わりです。
 
   8月6日(火)

「そうだ、図書館に逃げよう!」。おいらの部屋は午前中は爆弾を抱えているような暑さ。図書館に返却する本もある。それならと暑さ対策として図書館に逃げよう。ところが土浦図書館は10時オープン。今日まで知らなかった。知らないことを教えてくれるのが図書館ではないか。それが閉まっている。開館を待っている高校生が数人。「バーカ、早く開けろ!」という顔をして待っている。

待つこと十数分、シャッターが上がると同時に暑さから逃げるようにして入る。そしたら、どこに潜んでいたのか十数人の年寄りががドヤドヤと入ってくる。おいらと同じように涼を求めて図書館に足を運んだのかー。

数時間過ごして帰る、と、駐車場の超過料金を徴収される。無料は2時間まで。今日の冷房休暇料金は100円也となる。世の中、こまったことや悩みはすべてお金が解決してくれること身をもって体験させられる。家に帰るとかあちゃんゴーヤの棚が崩れたと騒いでいる。ああ、このくそ暑いのに外での作業を思うとガックリ。
 
   8月5日(月)

朝9時、つくば文化郷までゾンピロン氏とアシスタントを迎えに行く。すっかり帰り支度を済ませていた二人は元気そうな顔。土浦駅まで車に乗せ握手をしてバイバイする。また文化郷に戻り布団やゴミの整理。どう考えても高齢者がバタバタ動いてやる作業ではない。いや、暑さに喘ぎながらもこうして二人が動けるのは元気な体のお陰。両親に感謝。

昼過ぎ、暑さで脳みそが真っ白になる。逃げ場はないかとぼーっと思案。月曜日で図書館もながみね温泉も休み。そこで考える。スーパー店内の飲食コーナーはどうか―。どこが一番近いか。ヨークベルマルかカスミか。あっ、そうだ、阿見町のスーパーカスミ。あそこなら本屋も100円ショップもある。決定、出かける。

店内は子どもの泣き声やアナウンスでうるさい。それでもブログを書き始める。涼しくて快適だ。自宅にいるより会社に行っているほうが涼しくていいや、という時代は終わった。自力でそれらを克服しなければならい。わが家にはクーラーはひと部屋にしかない。おいらの部屋は窓を大きく開け扇風機をフル回転させて涼をとるしかない。この戦いはいつまで続くのか―。
 
   8月4日(日)

今日も暑い一日だった。ゾンピロン監督「織る」を観にきたのは2人だけだった。昨日は10人。合わせて12人の茨城県人が観たことになる。京都から大きな器材とアシスタントを連れてやってきたが、これが現実。諸般の事情を考えれば当然の結果かも知れない。

現在、日韓関係は冷え込んでいる。その中でゾンピロン氏とは政治的な話題に一切触れない。ただ、人間の心の襞に潜む精神性を問うということで交流できたのは大きな収穫かも知れない。

NPO法人「長瀬清子現代詩賞」には460編の応募があり、一次選考通過30編に「沈黙の木」が選ばれたという通知。同法人の運営資金はどうなっているのだろう。「詩人会議」は会員の高齢化で会の存続が危ぶまれているという。今、全国の諸団体が抱えている大きな問題。デジタル時代に突入して紙文化は衰退の一途を辿る。ゾンピロン氏はそこを踏まえ実験映画として取り組んでいる。なかなか難しい表現媒体。さて、これからどうなるのやら楽しみだ。
 
   8月3日(土)

「織る」の映画会を実施。10の椅子席を用意する。猛暑の中、10人が出席してくれる。映画は難しく理解しがたいという意見が多く聞かれた。実験映画とでもいうのか、普通のドキュメンタリー映画を期待していただけにがっかりした人が多いようだった。それも10の椅子が埋まったので満席ということにする。

映画を終えてゾンピロン氏と神林財団事務局の加茂さんでカスミつくばセンターを見学。二人とも初めて見る。「素晴らしい、素晴らしい」を連発。ゾンピロン氏はビデオを回しっぱなし。後の参考にするという。

「詩人会議9月号」が送られてくる。投稿欄においらの詩も載っている。2度目だ。
なんとなく自信がつく。「窓を叩く」。選評者のひとりが「私たちは何者かに窓を叩かれ合図をされているのも気づかず過ごしている―」。ここまで深読みして書いたつもりはなかった。なるほど、納得。
 

 
8月2日(金)

京都からゾンピロン氏とアシスタントの北川氏が来る。土浦駅に着いたのは猛暑のさ中の昼ごろ。つくば文化郷で荷物を下してかあちゃんと4人で昼食。柳内という料理屋。なんと京料理をうりにしている。京都からやって来た人に京都から取り寄せているというゆば料理を食べる。

さて、明日からの映画会はどうなるのやら。何しろこの猛暑。わざわざ映画を見に出かけようと腰を上げる人はどれほどいるのやらだ。

とにかく、猛暑の中、送迎やら買い物やらで疲れる。もう、こういうことは限界年齢に達しているのかもしれない。とにかく、おいらが声をかけてやることになり、その準備までこぎ着けたのだ。あと二日間ガンバルしかない。それにしても暑い。足元から頭のてっぺんまで熱気に包まれる。それも、ヨレヨレオジンとオバンはガンバルしかない。「バーカ、勝手にしろ!」金魚ちゃんの声が聞こえる。


 

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