怠惰な散歩  2019年7

   7月31日(水)

今日の朝日新聞の文化・文芸欄を読んでいたら、作家の小野正嗣が「このひと月は、ずっと大江健三郎ばかり読んでいる」と書いてあった。このくそ暑いのによく本が読めるものだと感心した。どういう環境で読んでいるのだろうとおいらの部屋に生暖かい風を送っている扇風機を見ながら思う。彼はきっとクーラーの入った部屋で読んでいるのだろう。

大江作品はどれも重い。「燃え上がる緑の木」について述べている。おいらもこの本を読んだが数ヶ月かかった。それも涼しい季節だった。高温注意報が発令されているさ中に読めるとしたら並みの神経ではない。いったい世界中に並の神経の持ち主でない人はどれほどいるのだろう。

キャプテン齋藤の印刷がようやく終わる。一日がかりだ。うっかり目を離すとエラーが出る。ヒマな人間でもなかなか辛いものがある。ぼーっとしている間に7月も今日で終り。月日の経つのは早いものだ。
 
   7月30日(火)

世界の平和を祈るにはあまりに暑すぎた。それならと、かあちゃんと金魚ちゃんの幸せを祈ろう。ところが、かあちゃん後期高齢者の顔つきで「ああ、からだがだるい」。金魚ちゃんといえば水槽の隅でじーっとして何かに耐えている。「我、耐えることが生きることなり」

「土浦市からのお知らせでぇーす」。防犯スピーカーがようやく職を得たように甲高い声で吠える。アナウンスしているうらわかき女性はしっかりと冷房がきいた部屋でスマホに夢中になり台本を読んでいるのだろう。ああ、その姿態が見えるようだ。

猛暑のせいかスズメもエサ台にやってこない。朝食のパンのミミをあんなにていねいに細かくちぎったというのに。そうだ、みんなで暑さとドッキングして天国へ行こう。それがいいと金魚ちゃんに伝える。「そうか、ようやく我が主人は暑さでまともになったようだ。ヨシヨシ」。ありがとうございます。
 
  7月29日(月)

夏の風

冷凍庫から逃げ出した風は
心地よい風に乗り
店内をひとまわり
レジ担当者は不在
するりと抜け
出入口ドアが開くのを見て
チャンスとばかり外に出る
暖かな空気と合体して
密室から解放された喜びに浸り
夏の青空をどこまでも飛んでいく

「ダスキンモップよ離縁じゃ!」と申しつけ今日でさよならする。そう、一期一会、サヨナラだけが人世だよ。さらば、ダスキンモップよ!!。 
 
   7月28日(日)

朝はどしゃぶりの雨というのに午前中にあがり、午後は湿気を食べ過ぎた空気が蔓延してジトジト肌にまとわりつくような一日だった。昨日はどんぐり山でてんてこ舞いだったが、今日はいつものぼーっと怠惰の時間で過ごす。

コロコロ花壇をを眺め人生最大の詩を詠もうと頭をひねる。頭はだんだん傾いていく。方角は左。どうしてかと考える。中立では休めないのだ。そのことは昨晩風呂に入り気づいた。湯加減が熱いと思い水を出しながら入る。すると、下はぬるく水のようではないか。そこでかきまわす。ちょうどいいんあんばいになる。ああ、そうか、世界平和もこういうやり方でまとめたらと思った。

本を読みたい。しかし、最近では新聞の書評欄を読むのさえ億劫になった。金魚ちゃんに訊く。「ひねもす、ぼーっとしていればいいんじゃないんですかー」明快な返答。それができないから悩んでいりのだ。「バーカ、バーカ」を金魚ちゃんを連発。多いに満足する。
 
   7月27日(土)

どんぐり山昆虫観察会に行く。毎年参加していたが、どういう理由か記憶にないが昨年は欠席した。台風接近で時おり小雨も降るという気象条件。どうなるかと心配されたがどんぐり山に行くと青空も見える、みんなうれしそうな顔。よかった。

さて、昆虫の方はどうかというとカブトムシやオオムラサキも数多く見られ全員多いに満足。何より、今回のイベントをつくばニュースに投稿しようと企んでいる。採否はともかくだ。

これには訳がある。アキタのカンちゃんと電話で話していたら、毎日おいらのブログ見ている。読み終わったらリンクで張り付けてある「つくばニュース」を見るのが日課になっているという。そこで投稿を思いついたのだ。採否の結果はボツにならず採用され公開された。紙文化に親しんでいる者にとって何ともいえない気持ち。その速報性には驚くばかりだ。時代は大きく進化している。とても追いついていけない。こまったものだ。
 
   7月26日(金)

昨日、病院の診察日だったの休みをとり今日は振り替え出勤。朝から太陽がギラギラ照り付けている。かあちゃんと「今日は暑くなりそうだね」。どちらも生気も覇気もない。ないないずくしの朝。それでもハラは減るのだ。

ニガウリのネットを上に追加しようと思っていたがなかなかできなかった。気がついたらツルが右往左往にからみつき手がつけようがない。もう、勝手に自由を満喫して好きなように伸びてくださいとサジをなげる。

春になるとルンルン気分で植えつけをやるが盛夏の季節は逃げ惑う。おいらだけかと思って家庭菜園や貸農園を見るとみんな同じようなものもチラチラパンツ。ご同輩、気持ちは-くよーく分かると納得して喜んだりしている。まったく勝手なものだ。
 
  7月25日(木) 

ブログの写真がない。そう言えば、しばらくカメラをぶら下げ散歩することが少なくなった。天候がはっきりしないせいもあるが体調がすぐれないこともある。

そこで今日は奮闘して自転車で霞ヶ浦まで行く。薄い霧が立ちこめている。霞ヶ浦はどんより曇り寝ぼけまなこのような湖。どうもすっきりしない。それでも霞ヶ浦は霞ヶ浦。

母ちゃんいわく「いろいろ考えたけど今の仕事を辞めることを考えて欲しい」。体力の衰えを痛感していた。たった4時間のダスキンモップとのお付き合いだが終わるとぐったりする。こんなはずじゃなかったと思うがそれが現実。台所事情もある。どんぶり勘定で生きてきたつけがここへ来てしっかりと証明された。見事なものだ。

 
   7月24日(水)

今日はアランドロンの映画ではないが久しぶりの「太陽がいっぱい」。夏らしいギラギラ太陽が燦々と輝く。思わず「暑い、暑い」の連発。夕方、さわやかな風を体に受けながらブログを書く。そして、ウーロンハイをチビリチビリ。なんて幸せな時間だろう。

朝、雑草と格闘。この勝負、我にあり。米国の詩人、ホイットマンは「草(雑草)をうたうことは人間をうたうことであり、地球をうたうことであり、さらに宇宙をうたうことなのだ」。そうか、雑草は地面から引き抜きオサラバするだけではいけないのか。ある宇宙飛行士はスペースシャトルのドアが開いて草の匂いが入ったとき、初めて地球に帰還したことを実感したという。雑草ちゃん、あんたはエライ。

今年もヒマワリの種を食べる鳥がやってくるようになった。スズメぐらいの大きさでスズメより美しい。名前が分からない。きっと、どこかに飛んでいってヒマワリの種をこぼすのだろう。無農薬だぞ、頑張れだ。
 
   7月24日(水)

今日はアランドロンの映画ではないが久しぶりの「太陽がいっぱい」。夏らしいギラギラ太陽が燦々と輝く。思わず「暑い、暑い」の連発。夕方、さわやかな風を体に受けながらブログを書く。そして、ウーロンハイをチビリチビリ。なんて幸せな時間だろう。

朝、雑草と格闘。この勝負、我にあり。米国の詩人、ホイットマンは「草(雑草)をうたうことは人間をうたうことであり、地球をうたうことであり、さらに宇宙をうたうことなのだ」。そうか、雑草は地面から引き抜きオサラバするだけではいけないのか。ある宇宙飛行士はスペースシャトルのドアが開いて草の匂いが入ったとき、初めて地球に帰還したことを実感したという。雑草ちゃん、どうしたらいいものだろう。

今年もヒマワリの種を食べる鳥がやってくるようになった。スズメぐらいの大きさでスズメより美しい。名前が分からない。きっと、どこかに飛んでいってヒマワリの種をこぼすのだろう。無農薬だぞ、頑張れだ。
 
   7月23日(火)

今朝起きると体が重い。気怠さが団体でやってくる。快適な気分のためにと歩いてみる。それでもダメ。それなら大好きな草取りをして気分転換をはかろうとやってみるがダメ。部屋にハエがブンブン飛んでイライラするからハエたたきで思いきり殺してみるがダメ。あきらめる。今日はぼーっ頭で過ごすことを期待しよう。そう考えたら気分が少し良くなる。不思議なことだ。

土浦図書館に行く。竹久夢二の画集を借りる。代表作「黒船屋」を見る。この絵は東京に住んでいる頃、デパートで開かれた展覧会で本物を見た。あの時の感動が蘇る。

「死ぬまでに観ておきたい世界の写真‐1001」も借りる。1001点の写真が載り解説がある。結構、読み応えがありそうだ。タイトルが「死ぬまでに観ておきたい世界の写真」とあるから、全ページ観たらおいらは死んでもいいということか―。それは、諸般の事情で今はこまる。さあ、どういしたらいいものだろう。そうだ、1000枚見て終りにすればいいのだ。ああ、おいらは天才だろうかー。
 
   7月22日(月)

今日のダスキンモップとのお相手は体調がよく体が楽だった。こういう日もある。そうだ、毎日がハレの日ではないのだとおいらの体は言っている。「そうです、そうです」と励ましガンバル。無事終える。

自宅で昼食をとり「昼寝」。30分ほど爆睡。おいらの場合、いつどこでも眠れることを特技としている。。そのまま、天国でもいいと思う時もある。天国も地獄も迷惑なのか、いつも朝になると目覚めるのだ。

つくばイオンに行く。ブログ用の写真をと被写体を探す。みんな見飽きた風景。それでもビートルズの看板を撮る。東京銀座のみゆき座で「レットイットビー」を見たのは何歳の時だろう。友だちと一日中観ていた。あの時の歓喜と感動は何だったのだろうー。1970年8月公開というから30歳のころだった。月日の経つのは早い。
 
   7月21日(日)

本日のビッグニュースは何といっても、アキタのカンちゃんから自宅に電話があったこと。特筆することだ。なぜならメールのやりとりは水の中の会話。温みがない。その点、ナマの声を聞いて会話をすることはあんこの入った饅頭を食べるようなもの。

カンちゃんは元気そうだ。声にハリがある。ちょうど毎日やってくるスズメのさえずりのように弾んでいる。「お互い、病気と友だちになって生きるしかない」ということで終わる。その友だちの病気が時々反抗期の子どものように暴れ出す。これはクワバラクワバラこまったものだ。

山王姫から電話あり。彼女はメール嫌い。お互い生の声を聞いた方がいいという哲学の持ち主。キャプテン齋藤を納めて無事に終えたという報告。キャプテン齋藤の満面の笑顔を見たかったという願いが叶い満足したという。ヨシヨシということで本日は店じまいです。
 
   7月19日(金)

朝、雑用を済ませ「詩作」に励む。なんとも教養高い知的な世界のようにとらえられそうだが、メモ書きとボールペンを手にしてぼーっとコロコロ花壇を見ていたに過ぎない。

本日は暑かった。これからはもっと暑い日がやってくるだろう。その備えはあるか?「ない、ない。あるわけがない」。そもそも、どういう備えをしていいか分からない。分からないからその時はその時だと開き直るしかない。

つくば文化郷で久しぶりに元相棒に会う。元気で毎日を送っているようだ。立ち話し数分だから「こんいちは」「はいさよなら」という感じ。映画「織る」をつくばの記者クラブに投げこみ。常陽リビングに広告の申し込み。なんとなく慌ただしく今日をおえる。暑くて体が怠い。何も考えすに爆睡したい。さよならです。
 
   7月18日(木)

淋しい夜に
淋しい雨が降る
淋しい空には星くず月光は見えず
淋しい静寂だけが漂い
淋しい時間だけが虚しく流れ
淋しくない明日に期待を寄せる
淋しい時間は
淋しくないよと声をかけあい
淋しくないお休みしよう
淋しくなんかないと
淋しい言葉に声をかけ
淋しくない明日を期待する
 
   7月17日(水)

朝方は涼しかったが、夕方になるとカーッと太陽が照りつける。暑い!!。これはたまらん。こういう気温の変化に体がついていけない。これが夏本来の姿だろうがと空を見あげる。久しぶりに見る太陽、アンタはエライ!!

「金色姫」について打ち合わせ。シノザキさん、貧乏くじをひくのはいばぶんではないかと盛んに心配してくれる。これこそ風の徒労の使者。自分でも何を考えているのか、何をしたいのか分からない。分からないから動く。

今日から髙安が休場。応援する力士がいなくなった。それでもテレビ中継を見る。何のために見るのかわからないがぼんやりと見る。そして、ぼんやりとコロコロ花壇を見る。花はいい。色とりどりの可憐な花を咲かせている。花はいい。金魚ちゃんにも見せてやりたいぐらいだ。
 
   7月16日(火)

朝から雨が降る。もううんざりだ。近くの雲も遠くの雲もどんより曇っている。暗い一日の始まりだ。気分は限りなく重く倦怠感が全身を覆う。それでも呼吸を休むわけにはいかない。

ノコギリソウが雨に打たれ倒れそう。何か添え木をしてやらなければ。しかし、どしゃぶりの雨が行く手を阻む。水色のカーテンならぬ壁ができている。ああ、うらめしや雨野郎め。さて、雨女郎というのはいるのか―。

仕事を終えいばぶん事務所へ。山王姫はキャプテンさいとうの冊子づくりで懸命だ。もうすっかり終わっているものと思っていたが延長戦。家に帰りコロコロ花壇を見ながらぼーっと過ごす。コキアだけでがふくれっ面でどんどん大きくなる。さては、コロコロ花壇を占領しようとしているのか?。そこのけそこのけそこのけと大きくなっている。よく聞くがいい。それは侵略というものだ。
 
   7月15日(月)

今日は「海の日」。いつもの年ならこの時期は暑さに閉口しているが今年はまったく違う。朝から小雨がぱらつき肌寒いぐらいだ。

ひたち海浜公園でお茶会にいばぶんからボランティアとして参加。ボランティアについて考える。これは自らの体力をつかい金も要求せず、ただ、ひたすら主催者の指示に従い黙々と従事すること。そうはいってもという声もある。おいらの場合は参加することで自分を楽しみたいと思っている。

さて、本日のお茶会。かあちゃんも初出席。それなりの所作で無事終える。今回は外人客が多かった。日本人より興味深いのだろうか。熱心に質問する外人客。その度、山王姫は丁寧に説明。なかなかなものだった。当日ボランティアとして手伝ってくれた参加者も絶賛。みんな喜んでくれればいいのだ。お疲れさまでした。
 
   7月13日(土)

小松の夏祭りが今日から始まった。去年はしっかりと写真を撮ったが今年は体が動いてくれない。ましてや、そんなに関心がないことも拍車をかけている。楽しみたい人は楽しめばいいという投げやりな気持ち。それでも、「ぴーひょろぴーひょろ」という音色は聞こえる。まだ、耳はしっかりと生きているようだ。

昨晩、生まれて初めて歌舞伎を鑑賞した。とても良かった。場所は東京の国立劇場、開演は午後6時半。そういうわけで自宅に帰り着いたのは11時過ぎ。ふだんは爆睡の時間。こういうことも時にはあってもいいのか。

今日は草取りと文芸社に送る詩の推敲。眠くなる。それでも依頼され詩15編をメールで送る。採否の結果はどうなるか分からない。ビジネス的においがプンプンするが、なんとなく「よくぞ頑張った」と自分を誉め満足する。さよならです。
 
   7月11日(木)

焦ることも急ぐこともないのに慌てて事を進めるととんでもないしっぺ返しを食らう。この原因は記憶力の衰えだ。自分自身がイヤになることが次々と起こる。一つひとつ書いていったらパンクしそうだからやめよう。

本日のダスキンモップとの仕事は疲れた。2時間もすると体力がガクリと落ちる。モップ片手に椅子に座りいつまでできるだろうかと本気で考える。体が動くうちはどんな仕事でもいいから働こうと思っていたが、それが不可能になる日が近づいているのかも知れない。雇用契約は1年だがそれまでもつのだろうか。さらに、その後の生活はどうなるのだろう―。

夕方、コロコロ花壇に水を撒いて部屋に戻ったらポツリポツリと雨が降りだす。「バァーか、バァーか」の連呼が薄暗い玄関の下駄箱あたりから聞こえる。さよならです。
 
   7月7日(日)

県整復師会主催の少年柔道会に筑波大学武道場へ。例年だと熱気と暑さで場内はムンムンするが今年は寒いぐらい。開会前のアナウンスで大学構内は全面禁煙になりましたのでご協力をと呼びかけている。愛煙家は普段から肩身の狭い思いをしてをしてきたがまた追い打ちをかけられたような気持ちになる。

さて、柔道大会はどうかというと体の大きな子どもたちが多い。そして少子化の影響か参加者が減っているようだ。それでも元気いっぱいに試合に臨む少年少女たちは真剣そのもの。保護者と一緒にやってきた年少の子どもたちは広い柔道場を思う存分に跳ねたり駆けたり。

仕事を終えケーズデンキへ。昨日の用紙不足を補うためだ。ところが自宅へ帰りプリントをすると枚数が足りない。10枚は余ると計算していたがそうではなかった。足し算引き算の算数ができないのだ。こまったものだ。納品はまた延期となる。
 
   7月5日(土)

さあ、がんばってブログを書こうと気合を入れる。しかし、どうしようもない倦怠感に襲われ体が太いロープで絞めつけられるに重い。どうしたのだろう。かあちゃんは「陽気のせいかわたしも同じ」という。こうなるとダブル倦怠老人。本当にこまったものだ。

今日は朝早くから山王姫に頼まれたキャプテン齋藤のプリント。ところが両面印刷がうまくいかない。どうしたものだろうと思案にくれながら奮闘すること4時間余。その間、たくさんのインクと用紙を無駄にする。ようやくヒントを得てうまくゆくようになったのは昼過ぎ。

昨晩は酒を飲みながら「いろいろ考えるとパンツは匂いがあったほうがいい。それは生きている証だよ!!」などとほざいていたのがウソのよう。プリントは一日がかりの仕事になる。明日渡せるかとおもったが用紙切れ。明日はあきらめようと決意して布団に入る。
 
   7月4日(木)

今日はダスキンモップの日。しかし、体がだるくてしんどい。雨の日は湿気が多いせいかダスキンモップの滑りが悪い。さらに体調不良ということで後半は休み休みになる。ところが今日もらった労働契約書には休憩なしとある。こまったものだ。

ブログを書く元気もないのでここは踏んばって図書館に行って書くことにする。久しぶりに訪れた土浦図書館は閑散としている。閑散静寂。勉強するには素晴らしい環境だろうが少し寂しさもある。

体がだるい原因はお天気のせいだ。カラリとした青空が見えないので人々の心も沈みがちで暗くなる。キーボードを打っていてもなんとなく体がだるい。こういうモヤモヤを解消するには特効薬が必要だ。そうだ、早く家に帰りウーロンハイを飲もう。そこで、ブログをメールで自宅PCに送りサヨナラとする
 
   7月2日(火)

朝、起きて気分がいい。詩らしきもの書く。それから精神安定剤の役割をはたしている庭の手入れ。霧雨が降っているが気になるほどでもない。それより本降りになる前に終わらせようと急ぐ。急ぐといってもそのスピードは限りなくゆったりしている。

高額医療の申請などモロモロのいやな雑務を済ませる。法務局などという看板を見ただけで気分が悪くなる。その中で働いている人たちはどんな人種なのだろうとつまらない想像までする。

ひろせ邸に向かう小道に露出している巨木の根っこの写真を撮る。いつ見てもその生命力に圧倒される。ニンゲンもこうでなければと思うが年を重ねるごとにツラの皮が厚くなるだけだ。こまったものだ。
 
 
7月1日(月)

菜種露というのか、ここ数日お天気はぐずりっぱなし。駄々をこねてニンゲンどもがのたうち回るのを楽しんでいるのか。毎日すかっとした青空を見たいとあ願っているが本日もダメだった。

「5たす2は7でえーす、5たす2は7でえーす」と職員の質問に同じ答を伝えるオジサン、「ワォーッ、ワォーッ」とターザンのように突然吠えるオジサン、クスリを塗布しようする看護師さんに「イヤだぁー、いやだぁー」と絶叫するオバアチャン。老健の入居者全員に意思はある。

すれすれという言葉が浮かんでくる。おいらの年齢とは10歳ぐらいしか上ではないか。どう転がってもいい位置においらも立っている。すれすれの境界線がぼんやり見える。見えるうちはダスキンモップと仲よしでいよう。仕事帰り阿見町のカスミへ。この店の二階には本屋がある。そして、カスミのトイレには二ランジョンのポスター3枚が飾られている。オープンの時に納品した。それ以来ずうっーと同じだ。カスミはエライ!!。

 

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