怠惰な散歩  2019年

   6月30日(日)

メシの種の仕事に励む。励むことは体を動かしてくたびれた脳みそをフル回転させ考えること。体を動かすのは庭の草取り。小雨がやんだころを見計らってノコノコと長靴、ゴム手袋、草刈りガマ、バケツを友に始まる。この日は新品の麦わら帽子は必要としない。20数年使ったボロボロの麦わら帽子とサヨナラしたのは数日前。

次は、頭の運動。これが問題だ。フル回転させてガンバル、ガンバッタノダ。何とか目途がつくひと安心。

夕方、山王姫が訪れる。わざわざ来なくてもいいと電話をしたが駄目。性格というのは直せないものだ。「よし、やろう!」と思いついた時には足が動いている。「キャプテン齋藤ー人生航路―」の打ち合わせ。そんなに急がなくてもいいと思うが、依頼者こと山王姫は立ち止まることはない。そういうことで本日も終りです。皆さま、お疲れさまです。バイバイ!!。
 
   6月29日(土)

いばぶん事務所で山王姫と会う。約束の時間はいつもお昼過ぎなのだが今日は早かった。11時ごろだろうか。二人で「キャプテン齋藤ー人生行路」の冊子作りに励む。なんとか出来上がるがプリンターのせいか思ったより色が悪い。いばぶんは4色、おいらのは6色。インクだけのせいだけではないだろうがと首をかしげる。ともかく原本のデータはできた。ひと安心。

それから頑張って「光陽会展覧会」案内葉書の制作。なかなかうまく出来ない。ネット印刷は格安という情報を仕入れたのがきっかけらしく頼まれたのだ。だが、データ作りの労力は考えていないようだ。こまったものだ。

今日は寒かった。コロコロ花壇の花もからだを震わせハナミズを流しているようだ。これだけ天候不順で寒暖差が激しいと体の調節がうまくいかない。順調に進んでいるのは何かと探すが見つからない。しいてあげれば、「貧乏生活現在進行形元気也」ということぐらいですかー。
 
   6月28日(金)

いろんなことが起きるものだ。昨日日は阿見医大病院での定期診察日。先生から現在の病状の説明を受け処方箋をもらう。そこまではいいのだ。その処方箋が奥井薬局へもらいにゆくとないのだ。さぁ大変。再発行の了解を得て受け取りに再び阿見町まで。体力がなくなっているというのに余分なエネルギー消化で疲れること倍数。

いばぶんのいろいろな雑事を済ませる。つくば文化郷界隈は実に静かだ。静かな時間は確かに進んでいく。世界中のどこかで、だれかも休みなく心臓を動かしているはずだ。生きているのだ。つくば文化郷で過ごしているとそれを忘れる時がある。

夕方、わが家にのコロコロ花壇の庭石にスズメが餌をついばみに来る。ともかく忙しい。一口二口で慌ただしく食べ飛び立つ。そして数分もしないうちにエサダイで限りなく新鮮なコメヌカをついばんでいる。食べれるということはいいことだ。

記憶にない父の写真が出てきた。左=広島県呉市の実家。左から4番目が父。
 
   6月26日(水)

令和の六月も残すところ四日。あっという間だ。今日は暑かった。夏はギラギラ太陽が照り大粒の汗を流してぼーっと過ごすのもいいかも知れない。朝早く起きて草取りをやったせいか、昼食の冷やし中華を食べるとすぐに眠くなる。昼寝はいい。十分でも二十分でもと目を閉じたらたっぷり一時間夢の世界。そして、必ず目を覚ますのだから幸せ者だ。

兄から宅急便が届く。山形に帰省したらしい。中身は何度も口にしたボウダラ、コンニャクなど昔馴染みの食べ物。かあちゃんが藤代の自宅に電話を入れるが出ない。そこで携帯に。「ただ今、那須高原を四人でドライブ中」という。余裕だ。こちらは、朝食をコメダのモーニングサービスと洒落込んだだけ。これこそ、格差というものではないか。それはそれでいい。みんな違っていいのだ。

夕方、スズメがえさ台でパクパクやっている。ヒマワリは大輪を背中を向けて咲いている。それを眺めながらブログを書く。背中をかいているのではない、といっても文字をならべているだけだが―。今日もつつがなく終わりそうだ。バイバイです。
 
   6月25日(火)

今朝、靄が立ちこめている。あたりの景色はぼーっとしておいらの脳みそのよう。しかし、ぼーっはいいことなのだ。朝、目覚めて自分の部屋へ行き大きく窓を開け朝の空気を入れソファーに座りタバコを吸いながら本物のボーッタイムに入る。これがいいのだ。バンザイだ。

さては本日のことを少し認めよう。正直いって泣いたり大笑いするよう報告はない。平穏、平穏。そのせいか、オナラも慎ましく平穏のプープーの連続。ありがとうございます。

仕事というほどではないが、やらなければいけないことが重なっている。整理・消化能力が衰え修正の連続。それでも、これを乗り越えなければと踏んばる。自分でも何を書きたいのかよくわからないのですが、とにかくさよならです。
 
   6月24日(月)

朝から雨は降り続ける。ラジオの天気予報では今日一日雨だと自信ありげに天気予報士が勝手にアナウンスしている。雨も勝手に降っている。この時期に雨がたんと降り夏にカンカン照りのお日さまが射せば稲穂は豊作だろう。そういうことなら、雨は降ってもいいのだ。

ダスキンモップを八の字に回しバックオーライしながら世界平和を考える。入居者が車椅子でやってくる。ここは世界平和どころではない。通り過ぎるまで廊下の隅で待つ。そうだ、譲り合いの精神がみんなにあればいいのだ。大上段に構えすぎたと反省。

夕方、雲間から太陽が覗く。しかし、雨は降っている。お天気雨という名のついた曲者の雨だ。明日は晴れると予報士は言っていた。ココスで山王姫とキャプテン斎藤の打ち合わせ。「なんとかまとまりそうだ」「ウン、ウン」。まだ、本人はまだ目を通していないのに二人で納得する。世界はどこもかしこもみんな勝手動いているようだ。
 
   6月23日(日)

連日の疲れを癒そうと家にこもる。こもるといっても日課の草取りは休みなし。ヒマワリの大輪が顔を見せた。真夏を迎える身支度は整った。しかし、今日は肌寒い一日だった。年寄りにとって寒さはオシッコタイムが短くなることか―。

コロコロ花壇の手入れ。芝生は限りなくグリーンでなければならない。芝生は勝手に成長してそれを見せてくれる。問題は芝生の伸び方。うまく表現できないが芝の背丈は甲子園球児のようにいイガグリ頭でそろっていなければならない。それがどうしたー。うーん、わからないことばかり。

夜、タニグチさんに電話。お互いに昨日の労をねぎらう。みんな、疲れて、精いっぱい頑張ってるのだ。さては、次のシナリオをどう作るか。作れる体力、気力、知力があるか―。これもだんだん難しくなっている。人生とはそういうことです。
 
   6月21日(金)

二ランジョンに会いに静岡県富士市に行く。夕方6時の待ち合わせで時間はたっぷりあるから品川駅で東海道線に乗り換えればいいのだがしばらく新幹線に乗ったことがないの割高だが利用する。車内販売はなく喫煙ボックスが設置されている。二人だけのスペースは犯罪者扱いのよう。それでもタバコを吸えることを素直に喜ぶ。

新富士駅でタニグチさんと二ランジョンに合流。二人とも久しぶりのご対面。顔を見る限り元気そう。二ランジョンは45歳になったという。白髪も混じっている。笑顔は人を引き付ける魅力を持っている。そのせいか多くの日本人に好かれている。

ABCホテルに泊まる。夕食は3人でコンビニで買ってきた弁当とタニグチさんの手料理。明日のミニトークショーについてタニグチさんが二ランジョンにいろいろアドバイス。「難しい日本語は分らない。そこは英語で話す。その時タニグチさんにフォローしてほしい」などなど話し合ってお休み。さあ、明日はどうなるのやら。明日は明日の風が吹く。
 
   6月20日(木)

仕事帰りにいばぶんへ。疲れた体を癒やそうと久しぶりにながみね温泉へ。相変わらずジジババのオンパレード。そのせいか来所者は少なく静かでいい。下痢のほうも落ち着いたようだ。しかし、ここ数年間経験したことのないようなすごさだった。まるで大腸を水洗いしているようにドド―ッと。

今日も暑い一日だった。草取りや畑仕事は5時から午前7時ごろまで。後は疲れと暑さで駄目。雑草はすくすく成長して仕事を与えてくれる。高齢になり就職口は狭き門だというのに優しいものだ。

高良留美子の詩集「その声はいま」を読む。やはり言葉が重く鋭い。この詩人の著作を全部読んでみたい。さあ、読む力があるか。遅れてきた70歳の詩人でも読むのは勝手、楽しみだ。写真を整理していたらスマホで撮ったミャンマー旅行が出てきた。パソコンというのはかくれんぼが得意らしい。20日は機中、19日は成田へ向かうバスから。
 
   6月19日(水)

歯医者に行く。前回治療した歯の隣の歯が原因らしく腫れている。口にしたものをとても噛めるような状態ではない。先生「腫れていますね、うみを出します」とメスらしきもので切りながら出す。「出てきました」。その痛さは半端ではない。ここ最近経験したことの痛み。それでも数秒間ガマンしたらすっきりする。痛さを感じることは生きている証か―。

いばぶん事務所で昼食をとる。セブンで買ってきた「とろろそば」と「おにぎり」。しばらくすると激しい下痢。さらに嘔吐。おかしいおかしいと日本そばを少し吐く。歯医者の先生から「抗生剤を出しておきます」と渡されたクスリを服用したせいか―。イイノ氏が現れる。雑談を少しする。「調子悪いから帰ろうところだ」と言うとそそくさと帰る。

家に帰っても体調が回復しない。こういう時に限って仕事の電話が入る。太田胃散を飲んでさっさと寝る。午前1時ごろ目を覚ます。ハラの具合はよくなってきた。風呂にはいりブログを書く。もうひと寝したら完全によくなるだろう。どうもおかしな体調不良の一日だった。
 
   6月18日(火)

朝からなんとなくからだが重い。地球の中心部に引きずまれていくように怠い。お天気もいいのになぜだろうと考える。ともかく歩いてみようと小松散策路をブラブラ。赤ちょうちんはない。共同墓地にぶつかる。墓地内一周の旅に。死んだ人は何も語らないことを知る。アザミの花に出会う「おはよう」と声をかける。もちろん返答はなし。

いばぶん事務所に理事長登場。7月にひたち海浜公園で開かれる茶会の打ち合わせ。なんだかんだといって準備整う。このイベントへの参加は山王姫頼り。とにかく、とにかくお願い申し上げます候なり。

ウーロンハイをチビリチビリやっていると祭太鼓が聞こえる。ああ、もう夏祭りの季節。カレンダーはエライ。なにしろ途中休憩、産休、有給休暇などなど数多の休息を返上するのだから。脱帽なり。
 
   6月17日(月)

■よっこらしょダンス

ダスキンモップはおどる
スピードも遅く優雅さに欠けるが
広く長い廊下を八の字を描きながら
今日も元気で、元気でと手拍子よろしく
ダスキンモップはおどる

ダスキンダンスはリハビリではない
金のなる木を求めて
よっこらしょよっこらしょダンス

伴奏はがんばりましょう―
静かにしましょうね―
散歩ですか、お外に出てはなりません―

■そういうことで今日は終わるのでした。さようなら。
 
   6月16日(日)

今朝のラジオ深夜便の締めは「今日の一日、何かいいことあるといいですね」。空を見あげる。暑くなりそう。お天気の我がままに関係なく今日はおじいちゃんとおばあちゃんの法事。黒い喪服が重くるしい顔で部屋のカーテンレールにぶら下がっている。

法事には30人ほど出席。坊さん、お経の前に龍泉寺の歴史をひもとく。早く終わってほしいと願うがなかなか終らない。いつもこうなのだろうかと疑う。そう思って坊さんの法衣を見ると余りにも軽くそよ風でも吹き飛んでしまいそう。坊さんにはそれらしい威厳があってほしい。

墓前に置かれたおじいちゃんとおばあちゃんの写真を見て懐かしくなる。いろんなことがあった。楽しいことばかりではなかったと思うがハレの日の思いだけが浮かんでくる。おじいちゃんの弟夫婦の墓にも線香をあげ手を合わせる。空を見上げると白い夏雲がぐんぐんと力強く泳いでいる。四人は天国から力強く生きろと我々にエールでも送っているのだろうか―。そんなこんなで法事は無事に終わる。何かいいことあった一日だと思いたい。皆さまお疲れさまでした。
 
   6月14日(金)

「今朝、金魚ちゃん一匹が死んだ」。「きょう、ママンが死んだ」は、カミュの「異邦人」の出だし。若いころ文庫本で読んだ。この冒頭だけはしっかり憶えている。そういうわけでわが家の愛する金魚ちゃんは六月の晴れた朝、死亡が確認された。

スマホの歩数計によると、昨日は8,491歩。6,5キロメートル。今日は2,601歩。昨日はダスキンモップと仲良しこよしで清掃の仕事をした。その証拠が数字となって残されている。ああ、恐ろしき怖ろしやの世の中。

昨晩から左奥歯が痛くなりかかりつけ歯科医に。荒川沖時代からお世話になっている。ログハウスの建物で音楽はクラシック。とても雰囲気が好きになりファンとなる。バーカ、歯医者と仲よくなるなんてダブルバーカみたい。天国に召された金魚ちゃんの声が聞こえます。
 
   6月12日(水)

「滝田」に提出する健康診断書のため筑波病院へ。パートの仕事だからそんな面倒なことはやらなくてもいいと思うが、雇い主としては年寄りだから心配なのだろう。それとも、そういう決まりがあるのだろうかー。余計なことを考えず素直に従う。

その後、久しぶりにいばぶん事務所へ。オーナーの顔を見るがすぐに消える。水曜日は定休日だというがオーナー休日なしで24時間営業のようだ。そんなに急いで何処へ行くのだろう。ゆっくりぼーっとする時間はないのだろうかー。まぁ、人それぞれだ。

久しぶりにつくばイオンに行く。平日のせいか3階の食堂はガラガラ。こんなにがら空きでは商売あがったりだろうと思うが、そこなお殿さま稼業らしく太っ腹。しっかりと冷房も効いている。窓際のカウンター席がなくなっている。どうやら幼児は大歓迎という感じ。結局、幼児たちのママパパの財布がお目当てだと気づく。年寄りの居場所は段々狭まれていくようだ。時は令和、年寄り万歳の時代だというのに残念なり。
 
   6月11日(火)

限界集落という言葉があった。どういう意味かあやふやだったのでグーグル先生のお世話になる。「過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者。冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落」

そういうことですか、はい分かりました。その限界に達したのがおいらの所有するカメラが一列行進でガタがきた。考えてみれば常陽新聞時代から乱暴に使ってきたカメラやレンズに限界がきてもおかしくない。そこで「お疲れさま」と新しいのと買い替えられればいいのだが財布に余裕がない。ただ欲しいからネットやカタログを見ては大きなため息と小さなオナラ。

朝、言葉が浮かぶ。「紙一重で産まれ/紙一重で生き/紙一重で死ぬ」。カメラ機材は紙一重どころではない。何重にも束になって阻まれている。
 
   6月10日(月)

今日は朝から雨。降りやまない雨はないというが夕方になっても激しく降っている。日本の夏は、初夏・梅雨・盛夏と三つに区分されるという。今は梅雨の時期らしく繁忙期に入っているようだ。夜になっても雨は忙しく降る。稼ぎ時商売の雨具関係社は社員一同で「雨よ降れふれたんと降れ!」とハタでも振っているのか―。

特老施設「滝田」の仕事日。寒いせいか施設内には暖房が入っている。驚く。お年寄りが多いから風邪でもひいたら一大事と気をつかっているのだろう。おいらも半歩足を突っ込んだ高齢者。それでもお揃いの紺色の「滝田Tシャツ」を着てお掃除に励む。ダスキンモップと梅雨について考える。雨が止まないように帰るまで結論はでなかった。

ころころ花壇のヒマワリが元気に育っている。まるで健康優良児のようだ。雨に打たれ風に揺られてながらのしなやかに身を動きはバレーダンサーのようだ。おいらの体はカタカタコットン。自然はスゴイと感心しながらチビリチビリ。今日も無事に終わりました。
 
   6月9日(日)

曇り空の一日だった。早朝、公募展に応募する写真を郵便ポストに投函に行く。これまで、いろんなところに応募したが見事なぐらいに落選。「詩人会議」に採用されたのは奇跡に近い。さあ、奇跡は二度起こるだろうかー。

その後、ブラブラタラタラフワフワ歩いていると貸農園の一角からNHKの朝のラジオ体操の音楽が流れている。一人のおばさんが音楽に合わせ体操をしている。どうやら、日曜日の野良仕事前の準備運動らしい。そうか、おいらも花壇や菜園の手入れをやる前にやるべきか―。

夕食のおかずは肉じゃが。もちろんジャガイモはころころ菜園で育ったもの。やや発育不良で小さいが旨い。そういわないとせっかくの苦労が台無しになり自分がかわいそうだから旨いというしかない。うまい旨い美味いうまい旨い美味いうまい旨い美味いうまい旨い美味いうまい旨い美味いうまい旨い美味い。さよならです。
 
   6月6日(木)

今日は6・6のゾロ目の日。今日は「滝田」清掃仕事日、今日は「暑い日」、今日は「草むしりにかあちゃんも参加した日」ということです。

仕事を終え「いばぶん事務所」へ。強い西日が射しこんでくる。しかし、重厚な屋根に守られているせいか涼しく爽やかで過ごしやすい。「バーカ、避暑地ではないぞ!!」という雄叫びが土浦市小松三丁目あたりから聞こえる。

そこで、遠くからの声というものについて考える。遠くというのは下辺の人々の声か?。そういう声は無視されやすく軽んじられ泡沫化されやすい。権力者はいかに末広がりに存在する民衆を平等に守り生かしたもうかー。そこまで考えて疲れ、眠くなる。大上段に構えた思考ほど睡眠導入剤のような効果があるようだ。
 
   6月5日(水)

草むしりをするのには体力だけだけはなく道具も必要となる。ここへ越してそのための設備投資をした。刈り払い機、大鎌草刈りなど。芝刈りハサミは蓮河原に住んでいた時のもので10数年前の年寄りだ。荒川沖時代は一度も使ったことがない。長い間物置きに眠っていた。昨年は研ぎ直してもらってスパスパと小気味よく芝を刈り取ってくれた。

さあ、今年も張り切っていこうと芝刈りハサミに声をかけ始めるが切れ味が悪い。自分の仕事を遂行しないのだ。職務怠慢としかいいようがない。酷使されて刃がボロボロなのだ。でも、彼にはそのことを訴える能力がない。そこでストを起こすかのように切れないのだ。

これまで、ジョイフル本田に刃研ぎを頼んでいたが定年で辞めたという。さあ、こまった。いろいろと情報をたぐるとサンアピオの焼き鳥屋でやっているという。「焼き鳥屋と刃物研ぎ」。焼き鳥屋のオヤジは二足の草鞋を履いているのだ。そこで昨日お願いする。「できました」という電話が入る。そういうわけで、今日はピカピカ一年生の芝刈りハサミを受け取りに行ったのです。しめて1500円也。
 
   6月4日(火)

7月に開かれるひたち海浜公園でのお茶会の打ち合わせに山王姫と行く。空は完璧な夏の様相を見せている。新しくできた古民家での茶会は初めて。今瀬さんはここで茶会をやるのを楽しみしていた。残念ながらそれは叶わず天国へ召された。

打ち合わせに参加したのはボランティアと関係者を含め8人。この中で茶道の心得があるのは山王姫一人。全員、じーっと山王姫の顔を見つめ真剣に説明を聞いている。新しく出来た古民家は山王姫の独断場となる。

打ち合わせを終え「海を見よう」ということで遠回りをして国道51号線を潮来方面に向かう。広い海は本当に広いがもやっている。途中、潮来マリーナに立ち寄り、「うさちゃんミニランド」の営業をやめ「キャンプ場」に模様替中という現場を見る。「動けば回る社長」は不在。まだまだ未完成のようだ。破壊と創造はここに在り。稲敷台地を走行中、いやになるほどのサツマイモ畑を見る。山王姫「もう、いいよ!」と悲鳴をあげる。そういうことで今日も終わる。
 
   6月3日(月)

10ヶ月ぶりに清掃の仕事をする。特老「滝田」で今日から働き始めた。老人だと引きこもっていてもしょうがない、少しは自分の体をいじめた方がいい。家計だって少しでも収入が増えれば助かる。一日四時間で週二日。どれだけ頑張れるか楽しみだ。

潮来マリーナ社長から電話。昨日、つくば文化郷のオーナーが子ども(多分、孫だろうあ)を連れて見えたという。今日、いばぶん事務所でオーナーに会う。立ち話だったせいかその件についてはふれられず。ひたすら忙しそう。

エプソンの写真を早目に決着をつけよう。そうしないと全てが足踏み状態で前へ進めない。「バーカ、おまえさんはいつもグズグズして踏ん切りが悪いんだから」「反省しています」「反省ならサルでできるよバーカ―」。バーカの連発ありがとうございます」。
 
   6月2日(日)

アサガオのネット張りに精を出す。想定していたようにうまく出来たがアサガオが注文通りにツタをはって咲いてくれるかだ。相手は自然。おいらの気持ちなどか知るわけもなく勝手なものだ。勝手な生き物をあやつろうなどということはニンゲンのおごりなのだろう。そうは思ってもいても願い通りに咲いてくれることを祈る。

隣りの家でも夫婦そろって庭の手入れ。いつもきれにしている。そこで考える。リタイヤした夫婦にとって時間はたっぷりある。ヒマになれば庭の手入れで気をまぎわせるぐらいしか時間の潰し方がないのだ。雑草も顔を出したと思ったとたんにむしり取られてしまう。こまったものだと嘆いているかも知れない。。

「詩人会議」の投稿欄に詩を応募したら7月号に掲載された。驚くと同時にたまげる。おいらの詩もまんざらではないと自信がつく。そして勇気が出る。そこでUPする。これはミャンマー旅行でのひとコマ。老人とブーゲンビリア
 
 
6月1日(土)

さあ、今日から六月。それなりに元気に生きよう。さて、本日は静養日と勝手に決めこんで家にこもろうと思っていたが、そそくさと二度も雑用で出かける。やはり、貧乏性は一朝一夕では治らないようだ。

雑草りに励む。ヒマな老人の手助けとばかりに雑草は逞しく伸びる。それを真剣ぼーっオジン流で次々とつまみだしにゆく。サラバ、サラバと言いながら次々とバケツに放り込む。雑草は土から乱暴に抜かれても泣いたりしない。実に従順に抜かれる。そこで考える。もしかして、もっと生きてみたかったのではないかー。いろいろ難しい。

タニグチさんから電話あり。日本詩人クラブのメンバーも高齢化。気は優しく力持ちでありたいが体力の衰えにはどなたも勝てないようだ。どういう経緯で二ランジョンと静岡の掛川市で会うはめになったのか分からない。「とにかく、二ランジョンと迎いに行きます」「ハイ、分かりました」。日々、変化球ばかり。これもヨシとするか―。

 

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