怠惰な散歩  2019年

  「5月31日(金)

今日で5月ともお別れ。「令和」狂騒曲も沈静化したようだ。そんなに大騒ぎすることもない思っていたが、商魂逞しく一部の人々が踊らされていたようでしょうがなかった。世界はグローバル化して島国ニッポンだけの考えだけでは済まされないことが多数ある。喜んでいいのか悲しんでいいのか―。徳川幕府が鎖国という旗印に300年も続いた。今、ニッポン近海が海上封鎖されたら日本国民はたまったものでない。1億数千万人がキリギリスのように痩せ衰えあちら様に旅立つだろう。みんなで彼岸に行けば怖くないとはいかないのだよ。

絵画展も終了して搬出のため醤油の町、野田市へ。市街に入ると「醤油の匂いがする」と同行したイイダ氏。おいらは蓄膿症気味で匂いには鈍感。「ああ、そうですね」と嘘の相づち。「ウソツキはドロボーの始まりだよねぇ―」金魚ちゃんの声がどこからともなく聞こえてくる。
 
   5月29日(水)

言葉のある写真というものについて考える。言葉のある絵画について考える。そして、ひたすら草取りに励む。時々、小雨がぱらつく。マッチ箱のようなわが家の軒下に逃げる。そういえばわが人生はマッチ箱のように小さいものだった。そのマッチ箱のマッチ棒もだんだんと残り少なくなった。

神林奨学会に採用された学生に目を見張るような美人もいる。いつの年だったか「なかなかかわいい顔をしているな―」と会長が話しかけてきたことがあった。あの女の子はもういないが、今回は横顔の美しい女性がいた。まさか選考基準に容姿まで含まれていないと思うが美人は何ごとにおいても得だ。それではわが家の金魚ちゃんの横顔は美しいか―。うーんとため息。

草取りの合間に写真整理をやる。絵画展の疲れを癒すため終日自宅で過ごす。そうやって平穏な一日は終わるのでした。
 
   5月28日(火)

加藤瑞惠絵画展も今日で終わる。さあーて、これからは静かにしていよう。イベントを企画して実行する過程を楽しんでいるが、加齢とともに瞬発力が衰えた。歳を重ね老人という名の部類に属するようになればみんな同じだろうと思うが無念なり。

閉館近く瑞惠先生の師匠夫妻が来る。絵についていろいろ説明してくれる。「引き締まっていい展覧会だ。絵が上達した」」と高い評価。絵を見る心得なども教わる。「最後は絵を描く本人が持つ確固たる魂と覚悟」。

夕方、自宅前方に見える雑木林の嶺が大きく波打っている。雑木林といってもわが家から見れば緑の小さな山。小松山と名づけてもいいぐらいの迫力がある。そうだ、これからは小松山と呼ぼう。小松山の大きな樹木は闇の中で揺れている。おいらも布団の中で揺れ揺られ眠ろう。お休みなさい。

 
   5月27日(月)

「いばぶん」の行く末を占う三者会談を開く。事業支援という形でオーナーからは多大な応援を頂いてきた。そして、おいらの勝手わがままな企画をこれまでギャラリーなが屋門で開催させてもらった。今後をどうするかということだが引き続き現状のままで進めることに決める。ただ、覚え書きだけは交わそうということでまとまる。しかし、いばぶんの資金にも限度がある。その後どうなるか―。わからないが、その時は流れ解散がふさわしいような気がする。

今日も暑かった。暑さとの覚え書きを交わしたことはない。一方的な行為だ。これから逃れる方法をいろいろと考える。冬眠ということがあるから夏眠というのもあっていい。そこで二か月ほど眠っているのだ。ただひたすら眠る。眠っていることさえ忘れるほど眠る。バーカ、それは死ぬことじゃないのか。

明日で絵画展も終了。一週間という日にちは思っていた以上に長いということを知る。これからしばらくは静かにしていよう。雑草という草はないそうだが、ひたすら草取りに励むのだ。おいらにはそれが一番似合っているようだ。
 
   5月26日(日)

神林奨学生の採用式に行く。常磐線の電車に揺られる。スマホを取り出しキンドルにアクセスして立原道造詩集を読む。

夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に
水引草に風がたち
草ひばりはのうたひやまない
しづまりかへつた午下りの林道を

早く着いたので上野公園の子規球場でぼんやりと少年野球チームの練習を見る。なにか失敗するとストップウォッチを手にした監督の罵声が球場に響く。何か似合わない。ひとりの少年に声をかける「何年生?」「4年生です」。ああ、この子の背丈のころ新聞配達を始めたのか―。

君がバットを力いっぱい振っているころ
ぼくは懸命にペダルを踏んでいた―。
 
   5月24日(金)

「加藤瑞恵絵画展」の二日目。一番乗りは野田市からやってきたという老人。その後、ぽろぽろやってきて本日は15人ほど。圧倒的に仲間が多い。それも年配者。あたりまえだ。平日のこの時間に暇なのは現役を退いた老人たちしかいない。

野田からやってきたという人をつくばエクスプレスつくば駅まで車で送る。外はカンカン照り。もう真夏日だ。これからの暑さを考えただけでウンザリ。その人はアトリエが満杯になったので駐車場にキャンバスを広げて描いているという。夏は暑くて大変だという。「日射病に気をつけてください」と言って別れる。

夕方、姫丸子も参上。こちらは営業がらみらしい。急に吉瀬の集落が賑やかになる。元気な声が弾めばそれでよし。何よりの健康は笑いからだ。それにしても甲高い声のような気がする。
 

コロコロ花壇 
 5月23日(木)

そうだ、柿の種を食べながら世界を考えよう。まず、米中貿易問題。勝手にやっていればいい。米国とイランの罵りあい。これも勝手にやってればいい。しかし、これでは何の答えを見いだせない。そこで、黙考すること30秒。結局、何も分からず世界情勢を考えるのを終了。

今日から加藤瑞恵絵画展が始まる。かあちゃんとぼーっと吉瀬の空気を吸う。意外にも山王姫も登場。ジョンの会があるというので足早に立ち去る。

大相撲はバタバタと大関、横綱が敗れ優勝は混戦模様。その中に髙安が入っていないのが残念。世界は残念なことばかり起きているようだ。地球儀を回しながら「ああ、この丸い地球でしか人間は生きていけないというのにー」。深いため息を飲み込むようにウーロンハイをごくり。さよならです。

コロコロ菜園 
   5月22日(水)

すがすがしいお天気。今日は加藤瑞恵絵画展の準備。総勢7人でああでもないこうでもないといいいながらノロノロと進める。高齢者集団だからソロソロで慎重という文字のハッピを全身に着込んでの作業。10時頃から開始して午後1時半ごろ終わる。

展示を終え食事を済ましてからハプニング。大事に大事に至らなければと思いながら7人はそれぞれ別れることになり流れ解散となる。

さて、明日からのオープン。どれほどの人たちが訪れてくれるかー。これだけは分からない。ただ、これをきっかけにつくば文化郷が盛り上がり賑わってくれればと願う。コロコロ菜園のブロッコリーが見事なぐらいに大きくなる。これなら、スーパーカスミにも卸せそう。そうだ、ブロッコリーステーキを食べてスタミナをつけ明日から一週間ガンバロー。
 
   5月21日(火)

朝から雨。今日はコロコロ花壇とコロコロ菜園の水やりをやらなくていい。昔、つげ義春の漫画に多摩川で変わった石を拾い集めて河川敷に簡単な置台を作り販売していた。もちろん、お客などあるわけがない。確か、「無能の人」というタイトルだった。おいらは無能でなさそうだ。なぜなら雨の中で水やりをしないのだから―。

ブロッコリーのような雑木林が雨上がりに映える。思わずパチリパチリ。人は普段見ている色でもっとも多いのが緑だそうだ。青い色は見上げなければならない。緑なら首を上向きにする運動は少なくて済む。なるほどと思う。そういえば養老孟司は「15分間、遠い緑を見ると健康のためにいい」。鎌倉の自然豊かな環境で育ったことが影響しているのだろう。老いたおいらの視力には不可解な緑の饗宴。みんなガンバレだ。
 
  5月20日(月)

さあー、今日のことを書こう。ともかく朝、目を覚ます。寝ぼけまなこで時計の針を見る。午前5時。東の空は明るくなりだした。窓を大きく開けて新鮮な空気を吸う。そしてです。さわやかすーっのオナラ。これで小松三丁目かいわいの人々は健康的な朝を迎えることができる。感謝、感謝です。それから、山王姫に電話。なんのことか?。そうです、いろいろなことですが秘密です。

それから、加藤瑞恵絵画展の準備で野田市の金乗院へ。途中、とんQでトンカツとアジフライランチを食べスタミナをつける。金乗院で絵画をせっせと車につめ込め吉瀬へ戻る。ああ。仏は動くのだ。いばぶん事務所に仮置きして22日の展示に備える。

オーナーと簡単な打ち合わせをして石岡へ。借りた車は返さなければならないのだ。無事車のカギを返して帰宅。チビリチビリやりながら大相撲観戦。こうして一日は終わるのでした。
 
  5月19日(土)

朝4時50分に自宅を出る。薄曇りの空から太陽が寝ぼけまなこで顔を出す。恋瀬川を越え山王姫宅に着いたのは5時20分。もちろん姫は眠っているだろう。でも、石岡の空はすっかりお目覚め。

さてはと踏んばり作業に取り掛かる。草を刈ること、雑念を追い払うこと、山王姫の無病息災、かあちゃんの健康。さらには、世界の平和を願い、一心不乱。無心で作業に励む。2時間ぐらいで終わると思っていたが3時間半かかる。やはり、年寄でパワー衰えたのだ。

自宅へ戻りながみね温泉へ。湯ぶねにゆっくり浸かる。風呂から上がりマッサージ機で老いた体のケア。夢の世界へ。すべてを終え散髪したようなさっぱり気分でご帰宅。そういうわけで、とても充実した一日を過ごす。
 
   5月18日(金)

いばぶん事務所にシノヅカ氏とサカモト氏が来る。「金色姫」制作打ち合わせ」「予算はどれぐらいか?」「理事長と相談する」。返答を保留する。世の中、すべて金が支配しているようだ。あたりまえのことだろうが、これがおいらにはピンとこない。そうだピントが合わないのだ。いわゆるピンボケというやつ。こまったものだ。

奥井薬局へ。登美子さん「明日と明後頑張るから直して」。保留になっていた「奥井薬局の歩み」にようやく取りかかる心境になったらしい。こちらは23日から始まる絵画展のことで頭がいっぱい。すっかり忘れていた。「わかりました」と言い残して足早に立ち去る。

どうしても山王荘の空地の雑草が気になる。意を決して山王姫に電話。「明日の早朝、草刈に行く」。性格的なことだが気になることがあると先に進めない。そうだ、貧乏性なのだ。明日、決着をつけてやろうじゃないか―。
 
   5月16日(木)

そうだブログを書こう。何でもいいから文字をならべていればいい。指先の運動と頭の中にあるごじゃごじゃを掃き出す。そういうことでノートパソコンを広げる。

母ちゃんの買い物のアッシー君をやった後、いばぶん事務所に。13日行われた「令和お茶会」のUP作業に取り掛かる。真向いのギャラリーでは女性だけのセミナーが開かれている。手仕事屋も喫茶店もオープンしている。話し声が聞こえ息づかいが伝わる。やはり、人がいるということはいいことだなと思いながらパソコンとにらめっこ。途中休憩をしてセキノ氏と昼食。いばぶんの行末を相談。参考になる。

午後、山王姫宅へ。健康坂を上っていると左手の空地で雑草が大きな顔をしている。今、刈り払機で一掃すれば楽だ。そのことを山王姫に伝える。越境シルバーをやってくれるかという。曖昧に引き受ける。帰り恋瀬川を渡り国道6号からわき道に入る。この街道が緑が多くて気持ちがいい。何という名にしようか?「ルンルン街道」と命名。バ―カじゃないか―。
 
   5月13日(月)

今日はケアハウスゼーレで令和の元号になって初めてのお茶会。昨日、山王姫に電話をして知った。驚いた。きっと酔っ払ってお茶会の日を聞いたのだろう。まったく記憶にない。かあちゃんは突然のことで気もちの準備ができないと不参加。さらにお医者さんの日も重なる。

久しぶりに会う入所者の顔ぶれは大きく変わっている。亡くなったり事情があって退所したりで入れ替わったのだろう。目につくのは圧倒的に女性が多いこと。男性諸君は数えるほどだ。女は強しか―。

今日はいつも水屋を手伝ってくれるメーンバーもみんな休み。山王姫が一人で頑張る。お茶会の方は女性職員が慣れた所作でふるまいつつがなく終わる。シーンと静まり返り厳かに行われる茶席には精神的な安らぎさえ与えてくれる。7月に予定されている海浜公園のお茶会はどうなるのだろう。夏の暑い日だ。みんな御身を大切にしてそれなりのお点前をやってもらうしかない。
 
   5月12日(日)

霞ヶ浦湖岸に車をとめブログを書く。空は広く水を張った蓮田は遠慮なく両手を広げている。霞ヶ浦は強い風に煽られ万象の波をたてている。大波、小波に休みはない。風が止んで水面が鏡のようになるのはいつだろうか―。広い空に大きなエンジン音を響かせジェット機が現れあっという間に雲間に吸い込まれていく。

昼、S氏に会う。智恵を貸して欲しいと面会を申し込んだらOKしてくれた。S氏とは住いが近いので水郷公園のレストハウスで会う。いろいろと相談する。いろいろと参考になる話を聞かせてもらう。やはり、一人では解決できないことは他人の意見を聞くべきだ。わが家の金魚ちゃんでは無理なことを知る。

今日から大相撲が始まった。応援するのは大関髙安。彼は後半戦が弱くガタガタと崩れる。頑張って欲しいと思っていたらコロリン負ける。そんなものだ人生は。
 
   5月11日(土)

そして日が暮れて陽は沈み一日が終わる。県立茨城近代美術館で開かれている染色家の「志村ふくみ展」を観に行く。空は晴れている。肌にまとわりつくような湿気が体に寄りそう。気温はまだ30度に満たないが初夏の暑さ。

志村ふくみの色彩感覚はどうなっているのか―。これが草花で染めたもかと疑うような色変化は百花繚乱といったところ。「植物から色を頂く―」と、彼女は言った。その言葉に感動。「愛を持って接しなさい」と、書き記したのは作家の武田泰淳。言葉の重さを知る。

おいらが土浦に来る前、朝日新聞県内版に連載された「筑波の詩」。篠崎氏から預かり読む。詩情あふれ好きな文章の流れ。もう36年前の記事だが情緒豊かで記者の連載とは信じがたい。是非、手元に残して置きたい。
 
   5月10日(金)

朝を黙々と歩く。朝を黙々とひとりで歩く。太陽がひとりで黙々とあがってくる。それでいいのだ。思わずひとり合点。

怠惰な散歩を終え家に帰る。部屋の窓を開けると一羽の野バトが電線に止まりおいらを見ている。エサ台にコメヌカをパラパラまき、ピアノ曲「エリーゼのために」CDをかけてやる。声をかける、「おまえさんは一体何を考えて生きているんだ!!」。エサもやったというのに下りてくる気配はない。じっとおいらを見ている。もちろんおいらの問いかけには答えない。「エライ!」と声をかける。それでも、まだおいらを見ている―。バーカじゃないか―。

昨日、いばぶん事務所に映像作家の篠崎さん来る。しっかりとした仕事をやってきた人だ。高齢になり仕事を誰かに譲りたいが後継者はいない。このようなケースがどんどん増えている。さて、どうしたらいいものか―。
 
   5月9日(木)

ひとつひとつのことを考えるにはふさわしい日和だった。いろんなことを考える。厚い冬用のパジャマとおさらばするべきか?。そして、ひたすら伸びまくる庭の雑草とたたかうべきか?。不透明な理由が思い浮かぶ。もう、おまえさんの能力は限界に達している。さらに、頑健を誇った肉体もほころび始めている。それならどうするかと金魚ちゃんに訊いてみる。口をパクパクさせてエサをねだっているだけだ。

昼過ぎいばぶん事務所に行く。ギャリーなが屋門では洋服販売の準備をしている。女性用だけにまったく縁遠く遥かなりとチラリと覗いて終り。22日から始まる絵画展のプレスリリースの原稿作りに励む。

4時ごろできあがる。つくばの学園記者クラブへ行く。17社が加盟しているという。室内ではゆ一人の記者がパソコンに向かっている。この時間に記者が在室していることは少ない。どこかで油を売っているかネタ探しで走り回っているはずだ。その後、常陽リビングに行く。知り合いの若い編集者に資料を渡す。さて、どのマスコミが取り上げてくれるものやら。あみだをひくあみだをひくような心境だ。
 
   5月8日(水)

ひとつひとつのことを考えるにはふさわしい日和。いろんなことを考える。厚い冬用のパジャマとおさらばするべきか?。そして、ひたすら伸びまくる庭の雑草と闘うべきか?。もう、おまえさんの能力は限界に達している。さらに、頑健を誇った肉体もほころび始めている。それならどうするかと金魚ちゃんに訊いてみる。口をパクパクさせてエサをねだっているだけだ。

昼過ぎいばぶん事務所に行く。ギャリーなが屋門では洋服販売の準備をしている。女性専門だけにまったく縁遠く遥かなりとチラリと覗くだけ。22日から始まる絵画展のプレスリリース原稿作りに励む。

できあがると、つくばの学園記者クラブへ行く。17社が加盟しているという。室内では一人の記者がパソコンに向かっている。この時間に記者が在室していることは少ない。どこかで油を売っているかネタ探しで走り回っているはずだ。その後、タウン誌の常陽リビングに行く。知り合いの若い編集者に資料を渡す。さて、どのマスコミが取り上げてくれるものやら。あみだをひくあみだをひくようなもの。そういうことで今日とサヨナラします。バイバイです。
 
  5月7日(火)

寒い朝だった。令和時代の本格的な幕開けで社会は動き出したようだ。さまざまな人の声がニュースで流されているのをテレビで見る。それぞれ気持ちを新たにという決意が語られている。おいらの場合は東京医大で大腸内視鏡検査。

これまで3回実施しており今回で4回目となる。午後検査ということで朝と昼の食事抜き。下剤を飲んでひたすら腸内をきれいにする。小松町内の一斉清掃ではない。何度もトイレに駆け込む。だんだんと気分が悪くなる。それに雨も降りだし寒い。最悪の状況。病気で苦しんでいる人たちはこんな気分なのだろうかー。雨に打たれる花壇をぼんやり眺める。

キムラさんから電話が入る。こちらは元気に「目で見るつくば」の作業を再開。元気な声で現在の進捗状況を話す。世の中、いろんな人たちがそれぞれの立場から令和時代迎えている。久しぶりにブログを書いて新聞を読もうと思ったら休刊日なり。いろんなことがあり、まだまだ、世の中捨てたもんじゃないようだ。
 
   5月4日(土)

おいらは新聞を読むのもイヤになってきたが、かあちゃんは丹念に読む。チラシ広告に週末の別刷り。そして、二度と目にしないだろうと思われる切り抜きという具合にしっかりと支払った代金を回収している。おいらは新聞も読みたくないというぐらいだから読書とはすっかり縁遠くなった。

庭の手入れをやる。キュウリのネット張りと草取り。朝のうちは涼しくて仕事がはかどるが太陽が昇りだすと暑さにこたえる。休んでは草取り。刈り払機をテストがてら使ってみる。エンジンは絶好調だが体力がもたない。10分ほどでやめる。

本日の疲れを取るとるためながみね温泉へ。自動マッサージ機が空いている。ラッキーとお世話になる。機械を入れ替えたようで今のは以前より性能がよい。そのせいかいつも誰かが座っている。誰かといってもほとんど高齢者だ。若者はいない。ながみね温泉は子どもと老人で占められいる。何かいびつな感じがしないでもないが静かでいい。眠くなる。ここで寝込んではまずいと、すっきりした体でそそくさと帰る。
 
  5月3日(金)

「令和狂騒曲」も終ったようだ。ここ2,3日、新聞も読む気がしない。平成の時代は終わったとニュースで流しているが時間は継続しており終わっていないのだ。翻って考えればどこまで遡っていいのかー。きっと永遠に分からないだろう。

土浦に流れ着いた時には知人が誰もいない。これでは島流しにあったようなもので淋しすぎないかと「詩の広場」で会員を募集していたので入会した。5、6年所属したのだろうかー。水戸の図書館で青い議論をよくしたものだ。

新聞社に入社してから日々の雑事に追われ自然退会となった。今は時間的な余裕もできたので70歳の詩人を目指し「詩人会議」に入会。毎月送られてくる会報誌で懐かしいK・S女史の名前を見つける。早々に電話。あの時、主宰者でいろいろお世話になったフカヤ氏が亡くなったことを聞く。里美村に住んでいたので何度も県北まで足を運んだ。71歳だったという。チャンスがあれば会いたいと思っていた。残念。K・S女史とはいつか、会ってゆっくり話すことにする。世の中、どう進むのか分からない。バイバイです。
 
   5月2日(木)

朝を歩く。坂道の多いわが家周辺はどっちにいっても坂から逃れることはできない。上り終わらぬ坂はないといい聞かせよっちらよっちらと歩く。平坦な道に出ると何か儲けものをしたような気がする。さて、どうやって本日を過ごすかと考えるが思い浮かばない。さらに気力も沸いてこない。ヤカンに入った水は沸騰しないのだ。

ひたすらの草取りに励む。こうやって体を動かさないとますますぼーっが進んで行くような気がする。いや、静かにぼーっからぼーっぼーっと進行しているのかもしれない。

夕方、ながみね温泉に行く。浴槽から見える藤の花がきれいだ。だけどその美しい眺めを邪魔する奴がいる。浴槽のヘリに仰向けに寝ている男。女なら許してやるが疲れたオジンだ。裸でオチンチンは白いタオルで隠しているが決して美しくはない。おいらは美しいものを見ながらグッドバイしたいのにと思う。そそくさとながみね温泉をさよならする。
 
 
5月1日(水)

できれば
五月晴れの青い空に
令和の白い雲が浮かんでほしかった
それは叶わなかった

空は朝から雲っている。空は晴れていないのだ。昨日、神さまに祈ったが駄目だった。もっといろんな神さまにお祈りすればよかった。八百万の神々だけでは足りなかったようだ。

土浦図書館に行く。いろんな人が勉強したり本を読んでいたり読みたい本を探したりしている。さらに寝ている人やパソコンとにらめっこ。スマホに夢中の人。さて、皆さまの究極の目的は何なのですか?。わからない。

 

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