怠惰な散歩  2019年4

   4月30日(火)

平成最後の日、ころころ花壇を見ながら書く。水虫をカユカユして書いているのではない。真剣真面目で武蔵と小次郎が巌流島に決闘に向かう心境だ。海浜公園からお茶会参加をうながされる電話が入る。こんな詩も書いてみる。

その日の朝、
五月の青い風に乗り
「令和」の時代がやってきて
「平成」の時代は白い雲にのり
静かに消える

ときめきはまやかしではない
生きた言葉で
真実を語らなければならない
それを信じて
人々はコバルトブルーの空を見あげる

語るべく未来は
いつまでも平和であり
たおやかな日々でなければならない
人々は黙してただ手を合わせる

「令和」の歳月は
かつてのどの時代より安寧であり
「令和」を迎える五月の朝は
限りなく澄んだ青い空でなければならない
 
 
 4月29日(月)

絅子先生のことをもう少し書こう。おいらより一回り年上だから82歳になる。頭も体もしっかりしており墓参りの時も杖を使うということもなかった。川越の由緒あるお寺の長女として生まれ何不自由なく育った。ただ、戦争で幼いうちに父を亡くしている。

東大印哲を卒業し学生時代はマドンナ的存在で成績優秀。卒業式には銀時計をもらいNHKで全国放送されたという。和男先生はドイツ語でヘルマンヘッセを研究していたが大学院で印哲を学んだ。横浜国大時代はドイツ語を教えていた。どこでどんな風にして結ばれたかは聞いていないが、きっと和男先生のアタックだろうと推測している。

恵まれた環境で育った絅子先生は家事全般をおばあちゃんにしてもらいひたすらの勉強。そのせいか今でも炊事洗濯を苦手としている。勉強家というのは向学心が旺盛で今でも週1回アメリカ人から英語を学んでいるという。もっとたくさんの思い出や書きたいことはあるが、おいらとは比較にならいから筆を置こう。
 
   4月28日(日)

我妻和男先生の墓参りに絅子先生と行く。今年の年賀状に暖かくなったら一緒に墓参りに行きましょうと認めた。今日は先生の月命日。お天気は最高に良い。

千葉の市川霊園の新緑が目に眩しいぐらいに輝いている。インド大好きの墓前にはインドの線香を焚く。墓前に手を合わせ瞼を閉じるといろんなことが走馬灯のように思い出される。30年来のお付き合いの中で様々なことがあった。勉強もさせてもらった。

絅子先生は次男の嫁さんを心配している。彼は一度結婚をしたのだが若いうちに嫁さんを亡くした。東大法学部を卒業して教授からは大蔵省の就職を薦められたが断った。ちょうど大蔵省のシャブシャブ事件が世間を騒がせていた時期で彼はそれを嫌っていた。あの時も和男先生から電話があった。「どうしたらいいものか?」「本人の意思に任せるべし」。外野は勝手なものだ。お話し好きの先生とは電話でよく長いお喋りをしたものだ。いろんなことがあった。
 

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4月26日(金)

朝から寒かった。姫丸子からメールが入る。こうの大福を食べ毛糸のパンツ重ね着して今日も頑張るという。姫丸子のさわやかなニコニコ顔がいい。そして、それなりに頑張ればいい。さて、毛糸の色は?と考える。うす緑がいいと思う。そこで緑重ねの写真を掲載。

寒いので石油ストーブをつける。赤く燃える炎を見ているうちにこの熱量がもったいなくなる。そこで、男子厨房に入るべし。手羽先の煮込みを作ろう。材料を買いにトコトコとスーパーハリガエまで歩く。往復40分。坂道が多いから結構しんどいが、これも天から与えた対価と思わなければ―。

歩きながら考える。一つ目の坂は健康坂、二つ目の坂は先祖を敬う坂、三つ目の坂は世界平和のために。さよならだ。 
 
   4月22日(火)

去年の2月、スリランカを一週間旅した。仏教徒が7割を占める。そのせいか同じ宗教を受けつぐ日本人には親しみやすく現地の人々は穏やかに見えた。治安も安定しており、これからは観光を売り物にして発展していくような印象を受けた。そのスリランカで異常な事件が起きた。こうなると誰を何を信じていいのかわからない。

人生は分からないから面白いなどと冗談を飛ばしている場合ではない。死んでしまったら何もかもお終い。バイバイサヨナラだ。それを無差別に抹殺するとはどういうことか。金魚ちゃんに訊いても無駄だろう。

さて、写真展の方は今日が最終日。次は米の収穫期の秋バージョンを考えている。たかだか一週間の留守番というがこれが疲れる。ぼーっとして閉館まで入ればいいのだが、何となく疲れるのだ。ともかく終わった。皆さまお疲れさまでした。
 
   4月21日(月)

わが家から見える雑木林の群生する緑の色をどう表現していいのだろう。そこで、吉祥の色見本から拾いあげてみる。緑青、青瓷(せいじ)、花白緑、黄草、若葉、群緑、濃緑、古代緑青。これだけの色が折り重なるようにして映えている。実に美しい。

その前景となるころころ花壇の色鮮やかな花々も美しく咲き誇っている。これも実に美しい。美しいものを見ながら幕を閉じたいと思っているから大願成就。ところがうまくいかない。朝になると目を覚ますのだ。

写真展の方は茨城新聞で見て水戸から駆けつけてくれた人もいたがチラチラと訪れるだけ。今日は月曜日、普通の人は働いたり学校へ行ったりしている。会場に足を運んでくる人はおいらのようにぼーっと過ごしている人だろう。ご苦労なことだと欠伸をこらえて留守番をしているのでした。


 
   4月20日(日)

「ご町内の皆さまお騒がせします。毎度おなじみの、チリ紙交換車でございます。古新聞、ダンボールなどございましたらどうぞ気軽に声をかけて下さい。当社のチリ紙と交換いたしますー」。わが家周辺にはチリ紙交換車が頻繁に訪れる。週に2、3回の時もある。ここで面白いのは「当社のチリ紙と交換」。まるで自分のところでトイレットペーパーを製造しているような言い回し。日本語、気を付けるべし。

写真展の方は午前中バタバタと10人ぐらいやってきて午後からはポツリポツリ。ピークは過ぎたようだ。チャーコが手伝いに来てくれる。簡単にいえばお茶を飲みかあちゃんと駄弁ること。それもよし。

アサガオ棚の構想がまとまる。いよいよ本格的に「花盛りの小さな家」造りに専念できる。写真展が終わるまで待つのだ。よしよし。
 
   4月20日(土)

今日の写真展会場は大勢の人が訪れ賑やかだった。人の声が聞こえるのはいいことだ。展示されている写真は田んぼに人の声が行き交っていた時代。今は、機械のエンジン音だけ淋しく響いているだけ。どこかに人が置き去りにされてしまった風景を見るようで辛いものがある。

佐賀先生と会う。いろいろなことを考慮して29日の件はキャンセルとする。その方が良い。先生はそれどころではない世界に浸り超多忙。つまらないことに付き合っている暇などないというものだ。おいらも何となく胸のつかえが取れたようでホッとする。

さて、写真展の方は後3日。月に2回イベントを開催するというのはハード。こういう経験を積んでいろんなことを学ぶのだろう。「今さら、もう遅い」とは金魚ちゃん声。それもしかりなりだ。
 
   4月19日(金)

写真展開催二日目。今日はのんびり構えようと心を強くしていたがその通りになった。来場者は圧倒的に高齢者が多い。昔日を懐かしんでいるようだ。こういう時代があった。五月から元号は「令和」に替わる。その前に「平成」がありその前には「昭和」があった。すっかり忘れられようとしている「昭和」。写真を見て昭和という時代を噛んで考えてほしい。

昼過ぎ、山王姫が来てくれる。もちろんお土産つき。おいしいおいしいキュウリの漬物、有難く頂く。そこで感謝をこめパチリ一枚。

インド人はポートレートを撮ってもらう時は必ず自分のポーズをとる。日本人のようにVサイン二コリというのはほとんどない。これは日本人も真似をした方がいいかも。誰にでも美しいものをアピールできる自由は日本では許されている。山王姫、心配種を抱えているためそそくさと帰る。
 
   4月18日(木)

今日は忙しがった。しみじみ年寄りになったと思う。足はヨタヨタで頭はノロノロ回転.。おしっこチョロチョロという状況の中で写真展開催の準備を進める。案内はがきを送った中に想定しない人も現れ応対。頭の中はパニック状態。それでも何とか全て想定通り整い完了。

昼、かあちゃんが買ってきてくれた冷やし中華を夢中で食べる。バタバタ動き回っていたせいか胃袋が空っぽになって腹がぐうぐうーっと泣いていたのだ。それにしてもコンビニで売っている惣菜はおいしくなったものだと感心する。

本日、何が一番疲れたかといえば来館者の接待。普段は一人でのんびり気ままに過ごしているせいかニンゲン相手の応対は疲れるものだ。金魚ちゃんやスズメたちならエサを与えて放っておけばいいがニンゲン様となるとそうわいかない。今日を乗り切ったのだから明日から23日までアクビをこらえて留守番をしよう。
 
   4月16日(火)

いばぶんで18日から始まる「水郷の想い出」写真展の準備をする。午後、山王姫も手伝いにくるが彼女はそれどころではない。ソロプチのこと入院しているS氏のことで頭がいっぱい。あちらもこちらもうまくいかないらしい。そこで、少し手伝って足早に帰る。石岡からクルマを走らせ駆けつけてくれただけでも有難いことだ。

さて、展示準備の方は順調に進んだ。一人で作業をしながら考える。「朗読会」や「写真展」といい、おいらはいったい何をやりたいのだろうかー。風の徒労の使者―か、とも思う。いろいろな人生があるものだ。

暖かい一日だった。今日の日がいつまでも続けばと願うが梅雨がきて初夏を迎え真っ盛りの猛暑日がやってくるのかと想像するだけでウンザリ。ウンザリでは未来は開けない。そこで、未来について高尚な思索をする。とたんに眠くなる。さては、未来とは永遠の眠りこそが真実とでもいうのか。わからない、とにかく枕高く東方に向け熟睡してみよう。
 
   4月15日(月)

クタクタになるとはどういうことか?。ぼーっオジンは考える。くたくた、クタクタ、くたくた、クタクタと何度も復唱する。クタクタは最近痛み出した奥歯の一角でもがいている。痛いのか、クタクタなのかはっきりしろ。応答はない。

いや、玄関の方から聞こえる。それもブクブクという泡音を連れ添ってだ。いわく「クタクタというのは判然としないぼーっオジンを総がかりでバカにしたこと。あまり放言しないほうが身のため。バイバイ」

ああ、恐ろしき水の神さまと同居している金魚さま。「わかりました。夢も見ないで眠ることを誓います。皆さまお休みなさいです。バイバイ!!」。自分で何を書いているのかよく分からない。こまったものだ。
 
   4月14日(日)

昨日、かあちゃんと土浦市内の桜巡りをする。どこかしこも桜は満開。新川の桜、蓮河原の桜、みんな美しいが乙女桜があれば年寄桜もあるのだ。「あっ、花びらがこぼれた」と、かあちゃん。「散った」と表現した方がいいのでは―。

その後、佐賀先生に会う。熱のこもった話を聞く。言葉が咆哮するという感じ。「和歌と日本人」の講演会を開くそうだ。古事記の話も飛び出す。帰り、ながみね温泉に浸かる。イタイイタイ腰の回復に努める。

そして本日、高橋先生のアドバイス「自助努力をしなければ」ということで、朝4時半に起きて霞ヶ浦まで歩く。今朝の朝焼けは美しかった。霞ヶ浦の朝陽を拝めるのは宝くじより当たる確率がいい。およそ2時間のぼ―散歩。ああ、疲れた。
 
 4月12日(金)

わが家の餌場にやってくる野バトは考える。餌場から見るぼーっオジンは動かない。視線はおいらに向いている。どうやらアタマの中は豆腐のように真っ白。いや、クラゲのように透き通っている。きれいなものだ。

それにしてもおかしい鼻から口からモウモウと白い煙が上がり部屋を泳いでいる。ボヤかも知れない。消防署に電話をしなくてもいいのだろうか―。心配になる。それにしてもぼーっオジンは悠然としている。何かがおかしい。

引っ込み思案の思想ならどうでもいい。大切なのは今日生きるという覚悟だ。世の中、毎日が大吉だったら案外とつまらないかもしれない。そんなことをぼーっと考えているちに今日は終わりました。

 
  4月11日(木)

昨晩から腰が痛かった。今朝、目覚めると増々痛くなっている。どうしたものか?。昨日はいばぶんで夢中になりHP 更新をやった。普段慣れないデスクワークをこなし同じ姿勢で長時間が椅子に座っていたのが悪かったのかー。それに寒かった。

祈るような気持ちで高橋医療院へ。あちらこちらガクガクポキポキやってもらう。痛み和らぐ。それでも痛いが歩ける。「若いわりに背中が曲がっている」と先生。そういえば歩く姿勢はいつも俯いている。そして、寒さに震え散歩もさぼっている。体のすべてがゴチゴチに固まっているようだ。

念を押して土浦の湯楽の里で散髪と入浴。サッパリスッキリ。気持ちいい。ああ、ひとは単純。薄くなった毛髪をチョキチョキしてもらうだけで天からの授かりものを独り占めしたような気持ちになる。単純、単純。春風のキッス。バンザイだ。
 
   4月10日(水)

酒のつまみに豪華な刺身がテーブルにのる。刺身は鮮やかグリーン。山盛りだ。この量のマグロだったら軽く1000円
円は越すだろう。わが家の場合は200円未満で済む。そうだ、刺し身はサシミでもこんにゃくサシミだ。それもいい。ありがたく頂く。

文化郷オーナーからメールが入る。「今日は寒くて用心のため昨日頼んだ撮影は中止します」「了解」と返信。寒暖差の厳しい日が続く。くれぐれもお互いに注意したほうがいい。

そんなことでおいらのHP更新といばぶんHPの更新をする。いばぶんは1時間もあれば終わると思ったが手抜きのコピーコピーで済まそうと横着したらダメ。2時間もかかる。「急がば回れ」というように直球勝負のほうがスムーズに進むようだ。直球勝負でものすごく眠くなる。お休みなさい。
 
   4月9日(火)

吉瀬の桜を撮る。この集落には目を見張るような桜並木はない。ポツンポツンと山桜が白い花を咲かせている。クルマでぐるぐる回りこっちの桜、あっちの桜をパチリパチリ。菜の花も満開だがこれも点在しており群れをなしてるのはない。

いばぶん事務所に帰ると白いマスクをしたオーナーが現れる。おいらもマスクをしている。マスク越しに立ち話をする。二人とも加齢により聴力は衰え、さらにおいらは発音が悪いから何度も聞き返してくる。その声が段々と大きなる。明日の約束をして別れる。

昼食に500円ランチのサエゼリヤに行くと混んでる。幼稚園か保育園の入学式帰りのママさんと子どもたちみたいなのがたくさん。店内に子どもの大きな声が響く。子どもは小さな口を目いっぱいあけて力いっぱい喋る。テーブルのブザーを面白がって押すからピンポンピンポンは休みない。「うるさい、うるさい」と迷惑そうにウェトレスは小さなお尻をふりふり走る。満腹になったら睡魔が襲う。ここでこのまま永遠に眠ってもいいと思えるぐらい。サラバだ。
 
   4月8日(月)

寒い日曜だった。朝、石油ストーブに入れた灯油は夕方には残り少なくなっている。ひとり生きているということは何かを消費させ、何かの犠牲にしていることを深く考える。また、玄関の方から「バーカ」という声が聞こえる。もう慣れた。無視する。

よく考えてみればバカでボケでもアンポンと呼ばれる人でも生きる権利は平等だ。それなら「バーカ」と吠えている相手を無視すればいい。「バーカ」と声を発している奴は自分のバカサ加減が分かっていないんだから。

金魚ちゃんに「バーカ」と呼ばれた年寄りはともかく今日を生きた。それでいいのだ。何も考えずに生きる、そして何も考えずに神さま仏さまに手を合わせる。それでも足りないと思ったら教会の前に立ち十字をきってもいい。
そして、無事に今日も終わるのでした。
 
   4月7日(日)

花曇りの空を見あげながら東京へ。今日は上野の東京都美術館で開かれている「光陽展」を見に行く。昨日、瑞惠先生から電話があり明日の12時半頃なら会場で会える」「はい、わかりました。その時間に合わせて行きます」。

上野駅を降りるとまっすぐ近代国立美術館へ。ここにはロダンの彫刻とともに喫煙所が設けられている。そこで一服。桜を見に来た人々で混雑している。人はひとを好きにならなければならない。しかし、そのひとがあまりにも多すぎる。

ブタと思えばいいか―。ブタが立ち止まってスマホで自撮りしている。ブタが車椅子に乗ってケラケラ笑っている。ブタが赤ちゃんブタを抱いている。ブタが桜の木の下で眠っている。ブタがブタがブタがー。ああ疲れた。

帰りの車中、スマホをいじっていたらミャンマーから帰国の夜、ヤンゴン空港で遅れに遅れた出発便を待っていた時に写した瑞恵先生の写真が出てきた。そうだ、「ミャンマーの青い風」をまとめよう。5月のシルクロード展覧会開催まで、しっかりまとめよう。金魚ちゃんに決意を報告。
 
   4月6日(土)

動けば回る。「金色姫」の朗読会は無事に終了した。出来具合はどうかというより「とにかくやった」ということである。メールでの打ち合わせで当日開会前にスタッフ3人で「最終確認」を行う約束も全員そろうのが遅れ、それもなしでスタート。

あれやこれやとしているうちに「金色姫」が終りインドコットンの紹介、さらに続いてインドヨガの実演。そうこうするうちに終了となる。佐賀先生の感想は「予想していたより百倍良かった」。

今回のイベントで思い知らされたのは女性パワーのすごさ。サッと現れパーッと花を咲かせスーッと消える。お見事というしかない。大場さんの朗読はうまかった。少しは練習をしたのだろうか―。台本を見ると書き込みやアンダーラインが見える。
「お主、やるな!!」。
 
   4月5日(金)

いばぶん事務所のオーナーに吉瀬の桜自慢を案内してもらう。桜の開花はいまひとつ。ここ一週間ぐらいで咲き誇るだろう。小さな集落だからクルマで30分ほど回れば終わってしまう。吉瀬に展開している雑木林の芽吹きが美しい。春の装いは自然界も待ちどおしくてしょうがないという顔をしている。

明日の「金色姫」朗読会についてメールで何度かやりとりする。そういえば、今回の件に関しては全部メールで済ましてきた。直接電話でやりとりしたりお互い目と目とを合わせて話すこともなかった。こういう時代になったのか―。ふと、かあちゃんを見ればようやくガラ携を持つようになったがまだメールのやりとは出来ない。そういう人もいるのだ。

金魚ちゃんもだんだんと大きくなった。外でも金魚ちゃんとメダカをカメの中で飼っている。思い出したようにしかエサを与えていないが元気でこのグループも元気だ。そこでころころ菜園から元気そうなキャベツを採りサラダにして食べたらおいしい。おいしい生活。これはこれはとひとり満足する。
 
   4月4日(木)

朝焼けを見ながら小さな幸せに浸る。「心」を形どった花壇に柔らかな光が降りそそぐ。あたりは水をすましたように静まり返っている。空は眠り人を優しく抱くようにゆっくりと明るさを増していく。耳を澄ますと遠くの雑木林から小鳥のさえずりが聞こえる。今日は始まるぞと伝えているようだ。

「滝田」に行く。理事長は会議ということで一時間ほど待たされる。年度初めで忙しそうだ。「金色姫」の朗読会のことを話す。今は蚕影山神社から手を引いているという。そういうことで話に乗らず。これはしょうがない。あきらめよう。そそくさと退散。
いばぶん事務所に行く。京都に住んでいる韓国のピロンさんからメールが入る。「今、電話して大丈夫ですか」「大丈夫」と返信。すぐに電話がある。ピロンさんは「織る」というドキュメント映画を作った。映画を見せてもらったが上映時間は61分だそうだ。見ている時はそんなに長いと感じなかった。しっかりした内容だった。なんとかギャラリーなが屋門で上映会を実現させてやりたいものだ。
 
   4月3日(火)

今日も寒い一日だった。寒いということは精神が張りついたような状態になり冴えるのかと思ったが逆だ。どんどん縮こまる。体全体が委縮して動くのさえ億劫になる。それを救うのは「ぼーっ神」。ぼーっの神さまもお目覚めになったのかなぁー。金魚ちゃんにエサをやりながら今日のぼーっタイムに思いを巡らす。

とにかく草取りをしようと芝生にペタンこと座り込んで大地におはようのあいさつ。餌場にはチュンチュンとさえずりながらズメがやってきてエサを啄んでいる。金魚ちゃんもスズメちゃんも五月から元号が「平成」から「令和」に替わることを知らないだろうなぁー。別に知らなくても毎日の暮らしに何の支障もないはずだ。

さて、草取りの方だが芝はまだ枯れ茶色くてのびていないがその隙間から緑の雑草が出ている。名も知らぬが芝より早く春をキャッチしたようだ。そうだ、「生をキャッチする」。うん、いいフレーズだ。そんなことをブツブツ呟きながら草取りをする。そうこうするうちにぼんやりしていた精神も徐々にはっきりしてくる。さぁて、いばぶんに行こうか―。
 
   4月2日(火)

朝3時におしっこタイム。手さぐりでトイレへ。「暗くなるまで待って」という映画があった。この場合「明るくなるまで待って」とオチンチンにお願いするがオシッコは待つことが苦手のようだ。さっぱりすっきりして夜空を仰ぐ。お月さまが弓を引くように輝いている。その美しさにまぶたがゆるむ。

すっかりかとかあちゃんのアッシー君となったおいらは荒川沖東口の歯科医院までクルマを走らせる。かあちゃん歯科院で治療を受けようという意志はこれからもビンビンピンピン元気で生きるようだ。頼もしい。ガンバレだ。

6日開催「金色姫」に向け山王姫がいばぶん事務所に大荷物を持って参上。いや、山王姫と呼んではいけない。当財団理事長がお見えになったと記すべきだ。いつもいつもお世話になり感謝している。さらに、おいしいおいしいキュウリの漬物まで頂く。ごちそうさまです。ありがとうございます。
 
 
4月1日(月)

5月から新元号となる。混乱を避けるために前倒しして本日発表された。「令和」。おいらの予想とは1字違い。なぜなのかを考えたら出典が悪かった。「ぼーっ大辞典」にはそのようなものはひと文字もなかった。「象徴」というのは空っぽの弁当箱かー。置かれた場所でいつでも入れ替えができるように仕組まれている。「天皇」という文字だけが国民に帽子を被せてしまう。これじゃ天皇も国民もかわいそう。

阿見医大で定期健診。予約は11時で診察が始まったのは午後1時半。先生と簡単な門問をすること3分。「元気印のウンチです」「それは良かったです。クスリを減らしましょう」。殺風景な診察室に乾いた声が響く。淋しいから写真を一枚飾ってやりたいと口に出そうだがやめる。小さな親切、大きな迷惑。

山三印刷の担当者を交え「目で見るつくば」の最終確認をする。なんとかメドがつく。ひと安心。それにしてもK氏の私欲のない行為に頭が下がる。世間にはいろんな人がいるものだ。
 

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