怠惰な散歩  2019年

   3月31日(日)

今日で3月も終り。そういうことで明日から4月。新しい元号が決まるそうだ。日本国民は精神的に大きな節目となる。そこで新元号を予測する。宝くじ売り場ではずれ覚悟で券を買うようなものだ。新元号は『成和』(日本は世界に向け和をもって成り立つ国家であると宣言)。金魚ちゃん高笑いとともにオナラをしている。

朝8時に自宅を出発。吉瀬の大師講の写真を撮るのだ。今日はいつも使っているミラーレスカメラではない。本格的一眼レフカメラ。やはり重い。ウロウロおじゃま虫のように動き回りパチリパチリ。おいらが想像した以上にフットワークがいい。まだまだ大丈夫のようだ。

明日は阿見医大で定期検査。必ず診察前に血液検査がある。それならと普段通りに酒を飲みタバコを吸いたっぷり睡眠をとろう夜8時に就寝する。それでは皆さま、新元号と仲よくして下さい。お休みです、バイバイ。
 
   3月30日(土)

どんより雲は居座ったままだ。風も冷たい。空を仰ぐ。とても暗い朝でも空はだんだんと明るくなる。ころころ花壇の目を移す。花はいい。このこと気づいたのは小松に引っ越してから―。せっせっせところころ花壇と菜園作りに励もう。

久しぶりに保立道久著「老子」を手にする。本は手にして肌触りを楽しむものではない。読んではじめて本の仕事を成し遂げるのだ。途中まで読んで長い休暇をとっていた。そのため、どこまで読んだのかも忘れた。どんどん忘れることはいいことだ。なぜなら、まだ新しい入り口に向かうことができるからだ。

老子は「功」(仕事)の役割を果たし、「身を退く」ことこそが人生の重要問題であり、人間はそこを視野に生きることが大事だと論じたのである。―この仕事というものは年寄りにはアンドレ・ジッドの「狭き門」のように入り口が狭くなっている。就労意欲はあり老健施設の清掃パートに申し込んでいるがお声がかからない。待機組が多いのだろうか。
 
  3月29日(金)

今日は朝から寒かった。寒暖の差が激しいと年寄りには辛い。

朝の目覚めに目を閉じ
ぱっと目を開いてころころ花壇を見る
小さく 小さく花びらはふるえている
ふるえる覚悟のよさよ
さあ、今日も生きてみろ
生きる理由があるわけでもないだろうが
とにかくなにも考えずに今日を生きてみろ
さあ、今日を生きるのだ

いばぶん事務所でパソコンに向かっていると、ひょっこりひょうたん島ではないが山王姫と元気印の山本さん来訪。山本さんは初めてなので寒さに震えながギャラリーなが屋門を案内する。山王姫「今日はお土産はない。ただし、若くてはつらつをプレゼント」。「ありがとうございます。大きくて柔かでふっくら饅頭をいただきました」。二人は買い物に行くと言い残してさーっと消える。不死鳥のような二人でした。
 
   3月28日(木)

さあ、大きく背伸びして今日のことを書こう。いばぶん事務所に人材派遣をやっているS氏来る。「女衒のような商売」。しかりなり。

続いてプレステン社長のE氏登場。神さまの先祖を追求しているという。単純に考えれば万物が神であるなら神社というものは後々にできたのではないかー。筑波山神社ができる前は野辺の石ころ一個を崇めていたのではないかー。筑波山神社が創建される以前のことなど誰も分からない。ただ、ひとつ、日本は神さまの伝来の方が仏さまよろはるか昔だったということぐらいー。E氏は怪訝そうなうな顔をして帰る。

ベートーベンの歓喜の歌を聴きながら「新元号」を予想する。個人的には元号をやめた方がいいと思う。グローバル世界の21世紀には通じない。これは日本という国籍を持つ者としては、精神的な支柱を失う考えで裏切者と烙印をおされるかも知れない。世界に元号は通じないと思うからだ。
 
   3月26日(火)

「めくる」という言葉を考察する。女性のスカートをめくりパンティの色柄を見る。続いてパンティをめくり森林地帯を確かめる。さらに続いて秘密の園を覗くー。それからそれから物語は静かに進行して頂点に起つ―。ああ、言葉は探れば探るほど無限に広がる。

さて、本日をどうやって過ごしたかのかと振り返ればまっ白。偶然にも目にした女性のパンティのように真っ白。少しは春一番のピンク色かと期待したがまっ白。それでいいのだ。

夜、山王姫と4月6日のイベントについて相談。抹茶サービスをやるという。そこで、いばぶんで野点傘を購入することにする。あの朱色の大きな傘は魅力的で好きだ。姫も風呂上がりでお肌が輝いているという。自撮りしてメールで送って欲しいと頼む。送ってやりたいが使い方が分からなという。覚えたら送ってくれるとのことで乞うご期待。ときめき色のハート印で鳴くまで待とう。お休みななさい。
 
  3月25日(月)

三寒四温というが、今日は寒い一日だった。脳ミソもその影響をモロに受けてぼーっとしたまま封印されている。昨晩のおかずは手羽先の煮物。残り物の骨を餌場に置いたら真っ黒な野良猫がやってきて堂々と食べている。スズメちゃんは電線にとまり立ち去るのを待っている。わが家の周辺を縄張りにしている野良猫ちゃんは5、6匹がお住まいになっているようだ。

昼過ぎ、宍塚に住んでいるH氏宅へ伺う。15年も会っていないから顔もぼんやりとしかわからない。久しく話しているあいだに昔のことをだんだんと思い出す。霞ヶ浦の古写真を探している時にH氏に案内されて浮島周辺をぐるぐる歩いた。

年寄りというのは明日を語れないから昔の記憶を断片的に思い出し今日を生きるべきか―。H氏のすごいところは、毎日の日記を欠かさないということ。孫たちに見せるために書いているという。冊子にまとめているがその数は増えるばかり。しかし、孫たちは読まないという。でも、いつの日か読むかもしれない。去年はエジプト旅行を楽しみ、三月下旬からはイタリア旅行に出かけるそうだ。82歳になっても知的好奇心は旺盛で元気そう。うらやましいかぎりだ。
 
   3月22日(金)

「そうだ、花の命をすくってみよう!!」。「セピア色の青い空」の2019版を考えている時に思いついた。セピア色のモデルとなっている山王姫は茶道家はもとより華道家でもある。父が残してくれたという自慢の日本庭園には四季折々の花々が咲き樹木の種類も多い。「お花を活けるといことは、どういうことか!!」

昼過ぎ、所用でいばぶん事務所にやって来た山王姫に相談。快く応じてくれる。うれしい。何となく三日遅れの元気が出る。

笠間のグリエールの作ったハート印のケーキを頂だいする。かあちゃん満面笑みならぬ満面シワを緩め食べる。美味しいものをごちそうになるという幸せに浸っているようだ。「帝国ホテルで披露宴を挙げるような人の新婚旅行はどこへ行くのだろう?」「月にでも行ったのではないか!」。いや、意外と近場の大子温泉だったりして。うーん、わからない。
 
   3月19日(火)

朝一番、充実した健康印のウンチがぽっこり。うん、昨日受診した担当先生との会話。「1日に何回お通じがありますか?」「3回です」。「うんこちゃんのご機嫌はどうですか?」。「はい、おはよう、おはようと元気な顔でにグッドモーニングです」。これは決してびろうな話ではありません。金魚ちゃんや毎日エサをついばみにくる野鳥も土に中でひっそりと眠っているミミズも地球で生きるすべてのものに共通することです。

昼過ぎ、いばぶん事務所にひょっこりとプレス店の社長が現れる。真剣な顔をして日本の発祥地がどこか―。これから、それらしき証拠と資料、ロマンをこめてまとめ発表するという。早い者勝ちだと煽る。

大相撲をテレビ観戦。白鵬強し。まったく怪物だ。でも、こういう力士は大好きだ。実力の世界。明日はどうなるかわからない自分の体と毎日を闘う姿に感動。そういうことで全勝で賜杯を手にすることを期待する。バンザイです。
 
   3月18日(月)

充実した一日だった。なにしろ一人でクルマを運転して病院に行き診察を受け処方箋をもらえたのだ。院内には車椅子に乗せられ付き添いを伴っての患者が大勢いる。おいらは一人で来られた。

山王姫から電話あり。帝国ホテルでの披露宴はつつがなく終わったようだ。心配していたことが取り越し苦労で終わったらしい。よかった。染色家・志村ふくみのエッセーを読みたい。彼女は「草木から色をいただく」と自然を敬愛している。いつか、図書館で探そう。

かあちゃん荒川沖のかかりつけ医院での診察日。アッシー君も今日は診察日。かあちゃんは自力勝負。徒歩、バス、電車を利用して行く。少しは歩いたほうがいい。
 
   3月15日(金)

おいらはかあちゃんのアッシー君。荒川沖の掛かりつけ医院に行く。この地に住んでいたころ自宅近くの医院を定着させようと内科、歯科、皮膚科など徒歩で行ける場所と決めた。ところが借家のオーナーから思わぬ退居命令が下り小松に引っ越しを余儀なくされた。貧乏人は辛いところ.。それが現実なり。

しかし、10年余お世話になり慣れ親しんだ近在の内科のお医者さんだけは引っ越すことは出来ない。ここで問題が発生する。かあちゃんはクルマの運転はできない。免許証を持っていたが後期高齢者となりゴールドカードの称号をついたたまま返上。ゴールドはあたりまえだ。有効期間中に一度も運転をしなかった。そこで、暇なおいらはいつのまにかアッシー君となる。このアッシー君をいつまでできるのやら―。

金魚ちゃんにアッシー君とはいうものかを尋ねる。「忍耐、忍耐の二文字」というお言葉をいただく。山王姫と佐賀先生から電話あり。いろいろある。男なるものは直球勝負できないのか一。われ、金玉2個あり。こまったものだ。


 
   3月14日(木)

今日は朝から土いじりに没頭する。土は問いかける、「おまえは何を考えて雑草をとったり土をかきまわしてるのだ」「わかりません。こうすることによって精神が落ち着くのです。どうか、ヨレヨレオジンの精神安定剤と思って好きなようにやらせてください」「そうか、それなら好きにやりたまへ。大地は無限のトイレだと思ってもいい。いつでもおまえさんの排出物を受け入れてやるぞ」「ありがとうございます」。そこでおいらはチョロチョロジジィおしっこ。

土は雄弁。イノチに大事なのは光と水。ある対談で、ショーペンハウエルが「目があるから光があるのですね」、ゲーテは「光があるから目はあるのではないですか」。光りは一つしかないのも事実だ。

夕方、阿見町で仕事中の姫丸子に鶴の恩返しならぬぼーっのバレンタインデーのお返しに行く。姫丸子はいつも元気そう。だが今日の笑顔は違っていた。入院中の96歳になる母への物案じか―。困難だが受け入れなければいけないことも―。ガンバルのだ。
 
  3月12日(火)

まだ薄暗い早朝、明けの明星が金色の光を孤独の中で輝いている。空は晴れているのだ。それだけで昨日のような沈んだ気持ちが弾んでくる。

いばぶん事務所で奥井薬局の年表作りに励む。どうやってまとめようかと思案するだけでまた気持ちが暗くなる。そこで目の前にはぶら下がった課題を一つひとつ潰していくことに専念する。

午後、山王姫宅へ。庭の池では眠っていたカエルがぴょこぴょこと顔を出している、春爛漫とばかりに交尾しているのもいる。ネコちゃんも暖かい陽気に誘われるよう庭に出てきてゆったりゆったりと春を楽しんでいる。そうだ、春なのだ。夕方、佐賀先生に電話。明日、「金色姫」についてあいさつに行くアポをとる。先生とはあ10年ぐらい会っていないような気がする。楽しみだ。、
 
   3月11日(月)

今日は朝から雨が降っている。気分が重い。ぼーっとモヤモヤがどんどん全身にのしかかってくる。まどろんだ暗い精神は昼ごろまで続く。降りやまない雨はないといい聞かせる。暗い日曜日という歌があった。自殺ソングともいわれた。暗い月曜日という歌はあるのだろうか―。。

そこでいばぶん事務所から元気印の山王姫に気合いを入れてもらおうと電話をする。降りやまない雨はないといい聞かせる。

今朝、本を読んだタイトルは「生きる哲学」。新書版で読みやすいから一気だった。内容は明るくない。そのせいもあるかも知れない。読み終えるころ空が明るくなった。それでも雨は降っている。降る雨はいつかはやむ。今日はパンツを重ね着しているような感じで終わる。サヨナラだ!!。
 
   3月10日(日)

今日はテレビ漬けだった。午前中、「名古屋ウィメンズマラソン201」、午後は「琵琶湖男子マラソン」、夕方は初日の「大相撲春場所」を見る。しばらくぶりに長時間テレビの前に座る。もっとためになる番組にチャンネルをまわすべきだと思うがママならない。そういう番組は集中力がなく途中で眠くなる。こまったものだ。

女子マラソンはファンの福士加代子が日本人2位でMGCを獲得。よかった、これで東京オリンピック出場のチャンスができた。男子は公務員ランナー川内優輝を応援。日本人2位。うれしい。相撲は稀勢の里の引退でハラハラドキドキがなくなった。土浦出身の髙安を応援。勝った。勝つことの裏に敗者がいるのだ。敗者の心の裡を考える。髙安ガンバレ。

いつも健やかな老いの中でお休みする。健やかな老いについて考える。眠くなる。暗雲をたれこめ空は涙さえこぼす。いろんなことが分からない。さよならだ、サヨナラだ。
 
   3月8日(金)

よっしゃ、長瀬清子の詩集を探そう。いざ、土浦図書館へ。検索する。「該当本はありません」。詩集の本は少ないから予想はしていたが残念。あっても著名な詩人ばかり。特に谷川俊太郎が多い。ある批評家は「谷川の詩には谷川節がないからどこからでも自由に書ける。そのせいか多作で息が長い」といっていた。ごもっともなり。

高見順の詩集「死の淵より」で「安東次男は詩は老年の文学であると書いていた」とある。そこで70歳からの詩人と名乗っているおいらは「詩と老人」について考察する。手始めに昨日買ってきた「生きる哲学」(若松英輔・文春新書)を読む。眠くなる。お日柄もいいようだし、コックリコックリ。

いばぶん事務所の裏手ではオーナーが土木工事をしている。現場は超危険な状態。とてもケガをしやすい状況にある。長年の経験から分かる。足もとに突起物がたくさんある。つまづいて転んだりする。お年もお年がらですからご用心を。そうでなくても動作は鈍くなっているのですからと言ってサラバする。奥井薬局に行き相談。しばらくはデータ収集を進めること。全体についてはあらためて考えようということで別れる。今日は、これでお終い。
 
   3月7日(木)

そうだ、本屋さんに行って本を眺めてこよう。そういうことでつくば市のイオン「未来屋」。久しく来なかったら本の配置が変わっている。気分転換をしたのか売れ筋を考えてそうなったのか。ともかく本は書棚やワゴンなどにたくさんある。この中から1冊を求めるとなると相当の体力が要求される。それはハラが空くということ。

新書版を1冊購入。やはりハラが減った。本を買ったということもあり昼食は丸亀うどんの一番安いやつ。ネギと揚げ玉をどっさり。おまけにショウガとゴマを盛る。欲張って天ぷらなどいれるとハラがもたれてしょうがいない。これまでの経験から学んでいる。

賢い人は同じ轍を踏まないのだ。金魚ちゃんニヤリとする。それとは関係ないだろうが長瀬清子なる詩人を知る。もっともほとんど詩人は知らないのだが―。辻井喬が解説している。「長瀬清子の詩は、難解な現代詩と違い平明であること。平明にということは、その考えが自分のものでなければ表現できないはずである」。もっと知りたいといばぶん事務所の帰り土浦図書館へ行こうと思ったが激しい雨。雨は黙って地面にたたきつけている。二の足を踏む。明日にしよう。雨はフットワークを鈍らせる。そういうことは何度も経験してきた。今日もしかりなり。
 
   3月6日(水)

いばぶん事務所でコンコンと金槌を叩いてサブデスク作り。どこからともなく「ああ、アタマはトンチンカントンチンカン!」と小松町周辺から聞こえてくる。金魚ちゃんだ。出来上がってみるとやや歪んでいる。お言葉に通りでした。完璧を目指したが叶わなかった。なにしろ目もチョロチョロでスケールの目盛りがよく見えないのだから止む得ない。ピザの斜塔ならぬ吉瀬の斜机とでも申しましょうか―。まぁ、いいか!!

オーナーも母屋の裏で肉体労働をやっているようだ。つくば文化郷は水曜定休日だから、その日は百姓の「百の一」のひとつの仕事をやっているのか。廃材を燃しているせいかほんわか煙が吉瀬の里にゆらゆら立ち昇る。ああ、なんて牧歌的なのだろう。

ギャラリーなが屋門で明日から衣料品の販売がある。今日は準備で関係者数人が来ている。久しぶりに賑やか。カメラマンもいるようで大きなカメラでパチリパチリやっている。あんな重そうなカメラを自由のなんなく扱えるのは若いという証拠。うらやましい顔をさらけ出しスマホでパチリパチリ。今日も無事に終りました。皆さまはいかがですかー。えっ、それなり過ごしましたでしたら、それはそれは結構なことです。さようなら。
 
   3月5日(火)

今日はがんばった。自分をほめてやろう。朝5時からパソコンとにらめっこ。モロモロ、モヤモヤ、フラフラ、遅遅として進まなかった作業に集中。日の出が近くになっても東の空は明るくならず。ぼーっ太陽よ顔を見せろと訴えるが厚い雲に覆われている。洗顔してやらなければと思うが余りにも遠くママならず。空は悲しい涙色。

かあちゃんが作ってくれ昼食のスパゲティを食べ、いざいいばぶん事務所へ。空は朝からこまったような暗い顔をどこに隠したのか―。晴れ晴れとした青空が見える。気まぐれわがままのお天気はどこかの親方さまのよう。どんな権力を握ってもお天道様がしっかりと見ているのだぞ。この場合、神はただひとつの太陽なり。

高見順の詩集「死の淵より」を読む。この本は東京時代は手もとにあった。転居続きで無くした。今はキンドルで読んでいる。この本を求め読んだのは30代前半だったのか―。最初は分からず流すように読んでいた。今日、あらためて読み、すごい詩だと思う。何度も読み返す必要あり!!。

夕方、山王姫に「セピア色の青い空」の続きをどうするかと電話。「姫は点景人物としてのカメラアングルを考えている」「検討します」という返事。それでは、皆さますこやかににお休みなさい。
 
   3月4日(月)

今日は雨が降っている。今日は石岡のケアハウスゼーレのひな祭りお茶会。今日は山王姫の顔を久しぶりに拝見する。外は雨が休みなく降っている。今日は写真パチリパチリの日。そういうことで桜川橋と恋瀬川橋を渡り石岡へ。

茶会を手伝っている女子職員の作法がきれいになった。姿勢がきちんと整いきれいだけではなく美しくなった。若さが瑞々しい指先にも表れる。日本の女性はこのようなつつましくしとやかな所作をすると一段と輝いて見える。

ところが、おいらの周囲を見渡すとちよっと目をそむけたくる女性もチラホラと闊歩している。きっと、そんなにおしとやかに生きられなかった状況の中で育ったのだろう。そして、そういう時代背景だったのだろうと想像する。それはそれとして許されるべきもので認めてやらなけらばならない。世の中、みんな同じ横並びの立ち位置で動いていたのでは面白くないのだ。ともかく、皆さまお疲れさまでした。
 
   3月3日(日)

今日はひな祭り。かあちゃん、ころころ花壇から花を摘み一緒にささやかなおひな様を下駄箱の上に飾る。対面に住む金魚ちゃんはそれをぼーっと見ている。飾り終えたおひな様をおいらは写真を撮る。おひなババとおジジは大いに満足する。市井のささやかな喜び。「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花 五人ばやしの 笛太鼓 今日はたのしい ひなまつり」

山新に灯油を買いに行ったら土浦市民文化センター時代のシルバー仲間が販売の仕事をしている。びっくり。2月から働き始めているという。今日は雨。「寒い、今日はまだ風がないからいい」「みんなどうしている」「どっかで働いているようだ」土浦老人パワー衰えずだ。

写真の整理をする。無鉄砲に撮り続けた写真は多い。それも、土浦時代のばかり。フィルム時代は全部喪失した。それでいいのだ。すべて消える。なにしろ太陽の命はあと50億年。そうなれば、すべて消滅されるのだ。ああ、有難や有難やだ。
 
   3月2日(土)

そうだ、霞ヶ浦を見ながらブログを書こう。そこでいばぶん事務所の帰宅途中、高級車?スズキパレットを快走させ高架道を通り霞ヶ浦に向かう。満々とたたえた湖は静かにいびきをかいてさざ波を岸辺に打ち寄せる。彼方には白いヨットが浮かんでいる。「霞ヶ浦よ、一緒に世界の平和を祈ろう!!」と呼びかけるが「バーカ、バーカ」とスズメの鳴き声。金魚ちゃんではない。残念。

つくば文化郷に「手しごと屋」がオープン。手づくり品の小物を売っているようだ。若い女性やアベック、子連れのママとパパたちがやってきて久しぶりに賑わう。そこで考えるのだが、やはり何でも手作りのはずだ。足作りというのは不可能。わざわざこだわらくともとクビをかしげる。かしげ過ぎクビが痛くなる。

今朝も草取りをやった。草花は日一日と成長が早い。花盛りの庭を目指しているだけに楽しみと仕事が増える。増えた分、おいらのシワもホリも深くなりホッペはただれてきた。悩み多きというものほどでもない。今さらというジジィなのだから―。
 
 
3月1日(金)

3月になって始めての庭の草取りをやる。「バーカ、当たり前だ。日付けをよく見ろ」。金魚ちゃんも、少しは春の息吹を水の中で感じとっているようだ。ホンワカホンワカと泳ぎワルツのよう。ワルツがどんな踊りかと問われても答えられない。そもそもワルツというものがどういうものか知らない。「ニンゲンはウソツキ、ケチ、エッチ、マヌケなんだ~よねぇ~」。金魚ちゃんは楽しそうに泳いでいる。いや、怠惰な散歩ですかー。

かあちゃん今日は7,000歩を歩いたそうだ。いばぶん事務所に行く途中コーポで下ろすという約束をすっかり忘れ、さっさっとおいらはクルマで吉瀬に向かった。気付いたのはいばぶん事務所に着いてから。物忘れは偉大なり。神に感謝する。

「時代は回る」という歌があった。そこで気づく、時代は決して回らない。ただ過去に消えて行くものだ。回るのなら回って同じところに戻った時に修正できるチャンスがある。それはないのだ。「バーカは、まったくくだらないことばかり考えている。おまえさんの場合、ぐるぐる回り通しで回転木馬のように終着駅がないのだ。ああ、淋しい淋しい。早くお休みなさい」「ハイ、わかりました」。
 

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