怠惰な散歩  2019年2

   2月28日(木)

今日で2月は終り、サラバ2月よ!。ところが今日は1ヶ月ぶりにサラバしたい阿見の医大病院で潰瘍性大腸炎の経過診察日。病院だけは友だちになりたくないといつも願うが自己回復力が年々衰えクスリなしでは生きていけない体になったようだ。そういう体に自ら向けたということもあるような気がする。

病院の待合室には圧倒的に老人で占められている。大きな病院ということもありかかりつけ医院のような施設と違い遠方からやってきている患者も多いようだ。待合室には世間話に花を講じる場面が少ない。ひたすら順番を待つ。おいらは待つこと2時間半。予約制になっているが効力なし。

おいらの症状はブーメランのように入院していた頃のような症状に戻ってきた。この場合、おいらに必要な戻ることない弓矢のような快癒であったが駄目なようだ。本気になって病気と闘うか、本気になって命を考えるべきか悩ましい。ともかく、酒を飲んで雨降る庭を眺める。お休みなさい。
 
  2月27日(水)

明るいため息というのはあるのだろうか?わが家の裏手に咲いている白梅に訊く。「それはね、明るい場所でため息をつけば明るいため息。暗いところでため息をつけば暗いため息。わかりますか。うすらぼけおじんさん」。まるで子ども電話相談室の無着成恭先生からの声。ここまでは25日に書いた分。続きを書いてUPしようと思ったが酔っ払って断念。

今日は27日だから2日間ブログをお休みした。2ヶ月余休まずに滅茶苦茶なこと書き続けてきたがとうとう電車は停止してしまった。日々の暮らしの中でそんなに大きな変化はない。逆にいえばそういう事態が起こることは不幸なことかハッピーなことかのどちらかだ。平常であればそんなに頻繁にあるわけがない。それを無理やり引っ張ってきた図々しさにあきれ返る。やはり無理があったのだ。

このブログはヨークベルマルのカジュアルレストランで書いている。どういう意味だろうと視線を移すと「ハッピーホワイトデー」「キモチにはキモチで!」という看板が目に入る。そこで突然に姫丸子を思い出す。ミャンマーに旅立つ前日、バレンタインデーだとチョコレートのプレゼントを頂いた。ホワイトデーはいつだろう。その日はカレンダーを先送りできないものだろうか―。
 
   2月24日(日)

春の風は南から吹いたり北から吹いたりと浮気者。それでも確実に本番の春が静かにやってきている。お日柄もいいようだしところころ菜園にジャガイモの植えつけをする。男爵とメークイン。このジャガイモが食卓をにぎわしてくれるのに期待する。ヨイショヨイショと踏ん張りながらの作業。終えると同時にジャガイモに頑張れと思わず声をかける。

お天気さま頼りの生活が始まる。自助努力が成長をうながすのだ。おいらの体はヨボヨボになって自己回復の力が衰えクスリ頼りの毎日。クスリに生かされているようなもの。情けないがこれが現実。

プロ野球のオープン戦をテレビ観戦。わが栄光のジャイアンツの今シーズンはどうか。世代交代のせいか知らない選手が出ている。この世界で生き残るのも並大抵ではない。市井の人々もまったく同じ。どうにか生きていることに感謝。

なにしろ、死んでしまった人の方が生きている人より圧倒的に多いのだから―。
 
   2月23日(土)

わが家のころころ菜園にフキノトウが顔を出して久しい。赤ちゃん顔だったフキノトウはすくすくと伸び青春期の真っ盛り。要するに食べごろとなったのだ。そこで今晩はフキノトウの天ぷら。フキノトウは命を絶たれることになるが、おいらには大変なごちそうである。

イノチをなくしてもフキノトウは喜びを感じ取っているのだろう。熱い熱い天ぷら油を通り出来上がった顔には湯上りの火照った輝きとほんのり漂う春の匂い。ああ、うっとり。

ニンゲンに限らず、食べたものは当分の量を排出するそうだ。フキノトウもいつかはほんのり匂いからきらわれ臭いとなるのだろう。生きもの運命とは分からないものだ。分からないことだらけの世の中だが時間だけはしっかりと確実に過ぎていく。その中で、おいらは明日の朝は本当に目をさますのだろうか―。それならそれでよしとしよう。ともかく、今日も無事に生き延びたことを神に感謝しよう。バイバイ。
 
   2月22日(金)

ミャンマーの写真整理をする。デジカメ時代になり残りのフィルムを気にせず写真を撮れるようになったせいか数が多い。無駄打ちの写真も多くなる。ましてや、ツアーの旅行となればなおさらだ。場所も時間は限られ被写体と向き合うことがおろそかになる。

昼過ぎ、いばぶん事務所にS女史現れる。タゴールの詩の朗読と音楽のイベントを企画しているという。タゴールといっても知っている人は少ない。内容はどうであれやってみようということにする。ハキハキして行動力がありそうだ。それに若い。

今でもそうだが、これからは増々世界と競争しなければならない。日本という国土に小さく収まっているようでは生き残れないのかもしれない。おいらのような年寄りは日向でぼーっとしながら欠伸と友だちになって成り行きを見守っているのが賢明のようだ。
 
  2月21日(木)

久しぶりの日本の朝を迎える。とにかく暖かくなった。ミャンマーに出かける朝とはまったく違う。常磐線の列車を全部止めるから、早く春を東京方面から運んでほしいと願かけに行こうと思っていたが、この気候では大丈夫そうだ。

今日は、柔道整復師会の仕事に集中する。なにしろ、大切で宝物のようなスポンサー。これがあるからこそ、かあちゃんと三度三度の食事にありつけるというもの。組合員に感謝をこめながら、ガンバル。

夕方、整復師会の仕事の目途がつく。ほっと一息。クビコリコリ、カタカタカタ、メチョボチョボ。まるで、三種の神器のようにそろって体に症状が現れる。まったく招待状も出さないのにと思う。明日からはコロコロ花壇と菜園に手入れに勤しもう。それこそ健康印のクスリだ。バイバイ。
 
   2月20日(水)

朝早く成田飛行場に着く。予想していたより暖かい。一週間ぶりのわが家に帰ったのは10時頃。ころころ花壇を見る。予想していたより草花は咲いていない。春はまだまだ遠からじということかあちゃん元気そう。だぁーれも尋ねてこなかったという。お陰で身辺の整理ができたという。

パソコンを立ち上げメールを見る。たくさん届いているが必要なのは整復師会。メシの種だ。予想していたことだ。中身を読まず閉じる。明日からの仕事。

夕方、潮来マリーナより電話あり。請求書の振込先と金額が間違えているのではないか。再度、送付することにする。電話の主は娘のあっこ。父親の愚痴をいろいろと聞く。予想していたよりこまっている様子。いかんせん、おいらには暴走老人を止める力もなければ権限もない。うんうんと頷くのみ。とにかく、明日から仕事だ。
 
   ■ここまで「ミャンマー旅行記」
 2月19日(火)

専用車でヘーホーへ。空路ヤンゴンに向かう。今日で3回目の国内飛行。日本にいてもこんなことはない。一生の経験をミャンマーで一週間でやってしまった。これは、これはという思い。

午後、ヤンゴン市内のジュエダゴンパコダ、チャウットジーパコダなど仏教寺院を見学。目を見張ったのはヤンゴン市内のスーレーパコダ寺院。どれも黄金色に仏塔や釈迦像。こうなると信仰を越えた大きなテーマパークのよう。ミャンマーの人々は信仰の世界を心の奥底から信じている。おいらは神仏信仰にほど遠い暮らしだけにうらやましくさえ思う。

さぁ、いざ日本へということでヤンゴン飛行場へ。ところが成田空港は天候不良で着陸できない。出発は2時間ほど遅れるというアナウンス。出発ロビーでひたすら待つ。ミャンマー最後のぼーっの時間。そういえば、ぼーっと過ごす時間がなかった。綿密に練られたスケジュールに追われるように仏跡や観光地を巡る。こうなると何かに管理されているようなもの。ヨーロッパからの観光客は休暇が長いからのんびりしているという。日本は豊かな国とされるが、ぼーっの時間が持てないのは、やはりまだまだなのだろうか―。
 
   2月18日(月)

終日、3000近くの仏塔が立ち並ぶカック―遺跡(カック・パコダ)を見る。すごい数の仏塔がずらりと建ち並び圧倒される。信仰のすごさを実感する。

少数民族となり保護されているパオ族の村を訪れ暮らしぶりを見学。粗末な小屋に住み、粗末な身なりでも元気に生きている。世界中にはこういう暮らしに満足して毎日楽しく過ごしている人々はたくさんいるのだろう。ホテルに帰る途中、ミャンマーの乾いた原風景を車窓からぼんやり眺める。

集合時間に一番遅く着いた。集団行動で必ず一人か二人はチームを乱す人が表れる。こんかいのツアーの場合、どうもおいらがあてはまるらしい。夕食の時間にも遅れる。いや遅れていない。7時集合の3分前に着いたが全員そろっている。日本人は真面目だ。
 
   2月17日(日)

朝2月8時45分ホテルを出発し、空路、ヘーホーへ。今回のツアーは国内線の移動が3回あることに今日、初めて知る。これで2回目だからもう1回だ。

インレー湖では、日本のサッパ舟の幅を少し狭くし長さは倍ぐらいある観光船に乗り水上生活者の暮らしぶりや片足漕ぎで舟を操りながら行う独自な漁法を見る。

夕食後、長野から参加しているS氏夫妻の部屋で酒をごちそうになる。範さんからは「会長さん、会長さん」と呼ばれている。会社の社員旅行で二班に分かれ全額会社も地でエジプトのピラミッドを見に行ったという。ただ驚くだけ。瑞恵先生のつくばでの展覧会を盛んに売り込む。世界旅行好きで仏の世界にも関心が強い。世の中、いろんな人がいるものだ。
 
   2月16日(土)

バスでミャンマー土着信仰の地、ボッパ山のウン・カラッ寺院へ。777段の急こう配の階段を上がった頂上に寺院はあった。今回の旅行でこの階段を上がるということは何ひとつ記載されていない。年寄りの多いツアーを脅かしてはいけないという配慮か。男性二人はバスで待機となる。人がようやくすれ違いできる急こう配をハアハアと息づかい荒く手すりをたぐり寄せるようにして上がる。去年のスリランカは1500段。それに比べればだが歳をとった分苦しい。

昼食はのウン・カラッ寺院が眺望できる体面の山の中腹にあるれレストラン。標高1000mほど。心地よい風が吹く。ここでも豪華な料理。だんだんと納豆とみそ汁が恋しくなる。ツアー参加者が梅干しをおすそ分けしてくれる。増々恋しくなる。

夕方、クルージングを楽しみ船上から夕日を眺める。霞ヶ浦で見る夕日と変わらない。太陽は静かに山影に隠れ空が鮮やかなオレンジ色に染まると徐々に空が暗くなる。

あやつり人形を見ながらの夕食。300人ほどの客席は満員。中国人の観光客が圧倒的に多い。中国は豊かな国になった。そして、人々に余裕ができたのだろう。とにかく、大声で喋りながらの食事のパワーに圧倒される。
 
   2月15日(金)

パークロイヤルホテルで朝食後、専用バスで国内空港に向かい、空路、仏教遺跡の町、バガンへ。数千ともいわれるベンガラ色の仏跡を見る。これは一見に如かずというもの。雨の少ないバガンは樹木は乏しい。道路は砂利道で観光客で賑わう各仏跡を移動する時、砂ぼこりで視界が悪くなる。

昼寝をした後、世界最大の仏教遺跡群を参拝。バガン王朝を代表するアーナンダ寺院、ダマヤンジー寺院を参拝。いずれも大きさといい人出といいお土産の売り子といいそれぞれの位置で動き回り活気に満ちている。さらに36℃という暑さも加わり体が思うようにに動いてくれない。もう、海外旅行もこれが最後のような気がしてならない。見晴らし台の丘から仏跡群を見ながら夕陽を眺める。カメラの電池切れ。こういうものだ。

夕食はティリビサヤ・サンクチュアリの近くのレストラン。到着する下レストランは真っ暗。停電だそうだ。店員が素早くロウソクや非常用電灯で対応。メニューは西洋料理のフルコース。こんなに毎日豪華な食事で胃袋びっくり。まいったと言っているようだ。
 
   ■ここより「ミャンマー旅行記」
2月14日(木)

空路、ミャンマーへ最大の都市ヤンゴンに直行便で向かう。飛行距離5300キロメートル。約7時間半。全日空は初めて乗る飛行機。日本人がスチュワーデスというのは有難い。サービスが行き届き細やかだ。しかし、機中で7時間半も缶詰にされるのには変わりない。苦痛というはんてんを着せられガマンのみ。

ヤンゴンに到着すると専用車でパークロイヤルホテルへ。ガイドは日本に5年間住んで言葉を覚えたというローズさん。範さんとは20年来の付き合いだという。日本語の読み書きはできないが会話には何の不自由もない。

ヤンゴンは近年、車が増え混雑して渋滞が激しくなった。空港からホテルに向かう時間はちょうど学校や会社の帰宅時間にぶつかり激しい渋滞。救急車がサイレンを鳴らして走っているがどの車も譲ろうとしない。ヤンゴンではこれが普通だという。ともかく、日本脱出に成功したのだ。
 
   2月13日(水)

いよいよ明日からミャンマーに1週間の旅に出る。成田から6時間は機中の人となる。仏の世界が近づいたようで「ミャンマー仏跡巡り」という名称のツアー。参加者の中で知っているのは添乗員と瑞惠先生だけ。後の4人は関西の人だという。ツアー会社から送られてきた「旅のしおり」には名前と男女だけ記され年齢は書いていない。でも、きっと天国に近い年齢だと思う。高齢になっても、「さぁー行くぞ、いざミャンマーへ!!」という元気さに敬意。

二科会のY先生、いばぶん事務所に来る。かねてから「ギャラリーなが屋門」で絵画展を開催してほしいと頼んでいた。会場の下見。彼とはインド旅行で一緒したことがある。彼の展覧会案内をもらうが一度も見たことがない。絵画についての話しぶりから情熱が伝わる。「来年、70歳になる。その記念にやりたい」。よく話を聞いてみれば吉瀬周辺には何度もスケッチに来ているという。ギャラリー周辺を見てまわり「ぜひ、やりたい」「やって下さいよ」とお願いしてバイバイする。

夕方、姫丸子からバレンタインチョコをいただく。うれしい、ありがとう。おいらのブログは明日からお休み。みなさまの幸多いことを祈る。バイバイです。
 
   2月12日(火)

ようやく準備を始める。14日からミャンマーに1週間ほど仏跡巡りをする。土浦地方は10℃前後の気温だが現地は35℃という。この温度差を乗り切るだけの体力があるのか。あるのだ。医者も大丈夫と言ってくれた。しかし、体がいかなる反応を示すかは分からない。駄々をこねてもらってはこまるのだ。ルンルン気分とはいかないが自信を持って行こう。

久しぶりに恋瀬川を越え山王姫の顔を拝む。そそくさと連れていかれたのは石岡まちかどセンター。物語のあるひな人形を拝見。説明役の女性がおつむが鈍ってきた二人に懇切丁寧に話してくれる。菅原道真にまつわる伝説をイメージしたひな飾り。それぞれのシーンについて語ってくれるがおいらにはなかなか理解できない。そこでじーっと耳を傾け世界平和を祈る。昔の人も現代の人も、その場面ごとに知恵を絞って懸命に生きてきたことだけ何となく分かる。それ以上、頭は回転しない。足踏みしている。そういうことも懸命に生きていることの証であろうということでサラバする。
 
   2月11日(月)

朝から雪が降る。今日は加藤瑞惠絵画展の打ち合わせでオーナーと野田市の金乗院に行く予定。降りしきる雪を眺めながら雪質はベタ雪ですぐに溶けてしまう。これは雪国で暮らした経験から自然に覚えたこと。車の運転には支障ない。
オーナーから電話あり。雪が心配でためらっている。事務所まで車で来ているが大丈夫と話すと、ようやく重い腰をあげ出発することになった。豪雪地帯で暮らしたおいらにとって赤子の涙のような降雪だが茨城県人には慣れていないこともあり慎重になるのだろう。

金乗院での打ち合わせはスムーズに進行。愚図愚図して日延べしてもらってはこまる。今日、すべてを決めてもらいたいと思っていただけにほっとする。終ってからお寺の本堂を見学させてもらう。本堂には大きな涅槃図。ああ、これはこれはと言葉にならない迫力。境内の隅々まで手入れが行き届いた日本庭園の美しさにほれぼれする。こういう環境で毎日仏と向き合って生活していれば精神は自然と浄化されるのだろうかー。深いため息を残して帰る。
 
   2月10日(日)

夢を見る。自由の広場で遊んでいると、いつの間にか不自由な広場に包囲されて自由の広場が自由でなくなっている。そのことに気がついた洟垂れ小僧がわんわんと泣きだす。そこへ、洟垂れ娘が慰めにやってくる。少年期の貧しい片田舎での出来事。あの頃、子どもはみんな洟を垂らしていた。ぱっと目を覚ます。オシッコタイムだ。

いばぶん事務所に行く。吉瀬の雪景色をパチリパチリ。今日は青空が広がる。人っ子ひとりいない。大きな家屋敷が多い集落。炬燵にでも入って暖をとっているのか。大きい家だから暖房費もかさむだろうといらぬ心配。バーカ、おまえさんのような貧乏暮らしとは違うのだという天の声。ごもっともです。ともかく、吉瀬の雪景色の写真は十分に撮れたような気がする。

夕方、山王姫に電話。元気そうな声が返ってくる。雪と寒さで外出を控えているという。そうだ、皆さまはそれなりのお年を迎え何ごとも慎重に慎重に行動すること。火曜日に顔を見に行く約束をする。そして、おいしいキュウリの漬物を食べさせてもらうことにする。とにかくおいしいのだ。パリパリとした食感が忘れられない。
 
   2月9日(土)

報道写真家の長野重一が93歳で死去したのを新聞で知る。若いころ随分と影響を受けたような気がする。でも代表的な写真は思い浮かばない。劇作家つかこうへいは62歳の若さで死去という文章を見つける。この若さというのは年々上昇している。そのうち90歳の若さで、100歳の若さでという表現の時代が来るのかもしれない。

今日は朝から雪が降る。しんしんこんこんと雪は降る。中原中也の詩にそんなフレーズの詩があった。あれは、幼い自分のこどもを亡くし悲しんで詠んだ。白い雪がすべてを覆い隠しいずれ溶けて消してくれる。すごい詩だ。

つくば市吉瀬周辺の1年を通して写真を撮ろうと力いっぱい決意をした。今日の雪景色は見逃すわけにはいかない。そこでクルマを走らせ吉瀬へ。途中、クルマの燃料計からSOSのシグナル。なんとかなる!!。吉瀬のひとつかみの景色をパチリパチリ。2時間ほど滞在しておさらばする。明日はこの雪はどうなっているだろう。わからない、わからないから面白い。今日は終りです。
 
   2月8日

本日もいばぶん事務所へ。山三印刷とK氏の「目で見るつくば」の入稿に立ちあう。そうだK氏と山三の担当者とのやりとりを見ていただけだ。とても寒々した部屋だという印象だけ残っている。

帰り、阿見町のスーパータイヨ―に立ち寄る。柿の種と卵を買ってレジに行くと長蛇の列。どうやら明日は雪が降るという天気予報を聞いて買い急いでいるようだ。みんな考えることは同じ。雪の中、外へ出たくないという顔をしている。

家に帰ると、これを全部読んでみろという顔をしたように「詩人会議」から3冊も本が送られてくる。ああ、と深いため息。停車中の本がある。「マルテの手記」「太陽を曳く馬」「終ざる夏」「愛のひだりがわ」。数日前、ミステリー「シスト」1冊をようやく読み終えたばかり。それもようやく牛歩のごとくだ。新聞の書評欄を見て読みたいと思うが手が出ない。どうせ積読になってしまうのが目に見えてくるのだ。こまったものだ。
 
   2月7日(木)

土浦図書館のギャラ―で開かれている「ロバートキャパ写真展」を見に行く。キャパの写真はこれまで何度も見てきたからどうしようかと迷っていた。しかし、モノクロ写真のしっかりしたプリントを見ておきたいという気持ちから見ることにした。

平日だというのに駐車場は順番待ち。これは珍しいことだ。いつもなら1階を除いていつも青ランプが点いているのに全階赤マーク。会場も多くの観覧者で賑わっている。キャパの写真は多くの人々に興味を抱かせているのかと驚く。戦争を知らない世代が増えてきた。おいらもその一人。平和日本でのほほんと70年も生きてきた。会場に足を運んだ人たちは戦争のない世界を祈っているのだろうかー。

その後、いばぶん事務所へ。パソコンに向かいそれなりの仕事をこなす。家に戻ると「詩人会議」から本が届いている。70歳からの詩人を目指しているという内容の詩を投稿した。いっそ会員になろうと申し込んだら見本誌として一冊送られてきた。パラパラ読むと生活詩が多いようだ。そして、高齢者が多いようだ。おいらもその一人に加わることになる。バンザイだ!!
 
   2月6日(水)

今日は水戸で整復師会の編集会議。お土産にとドテキンに大判焼きを買いに行くと満員盛況。店内では焼きあがるのを待っている客6人。「20分かかりますが―」「いいです待ちます」。お客さんから小まめに注文をとり包装して清算しているフリルのスカートをはいたファッションで有名なおばさん。このおばさんはかあちゃんと中学生の同級生だそうだ。

そのダンナがおいらだとはまったく知らない。知らないことはいいことだ。知らなくてもいいことは多いのに次々といろんな方向からつまらない話が飛んでくる。情報の暴走列車は命つきるまで走ることをやめない。こまったものだ。

編集会議はつつがなく終わる。この会報がいつまで続くのか―。役員改選や広報紙の存続など耳の痛い話題などもチラチラ。これこそ知らなくてもいい憶測情報が飛び交う。まぁ、今年一年は発行するようだ。ひと安心して帰路に着く。バイバイです。
 
   2月5日(火)

さぁー、今日のことを書こう。そうか、今日は空は晴れていなかった。そして寒さが戻ってきた。そうか、ここしばらくは何もなかったなぁー。何もないのに日々は過ぎて行く。そうか、何もないのに風が吹いたり雲間から青空が見えたりしているから世の中は動いているのだなぁー。

いばぶん事務所へ行くとオーナーが屋外で仕事をしている。大きな体を動かしてフォークリフトを運転して材木をあっちに運んだりこっちに運んだりと忙しそう。百姓は百種類の仕事があるというから、この作業もその一つかー。

「ニュースつくば」を見る。元相棒こと物知り博士もコラムを連載している。コラムのメンバーを見ると知っている人が多い。それぞれの筆者には書く力、書きたいことがあるのだろう。エライものだ。おいらも仲間にいれてもらおうかー。タイトルは「小松からの紙風船」と考える。間隔おかず「バーカ、ヨセヨセ。どうせろくなことしか書けなのだから!」というオレンジ色の声。「はい、分かりました」。
 
   2月4日(月)

暖かい一日だった。ニュースでは春一番の風が吹いたところもあるといっている。今日はパソコンに向かい真面目に仕事をした。モップとホウキではないぞ!パソコンに向かいキーボードを打つのが仕事として認められる時代なのだ。何となく生産性に乏しい気がしないでもない。

ハッカーに重要データが盗まれた話など聞くと彼らは頭が優れているのだろうと感心する。おいらにはチンプンカンプンの世界。大量の情報が世界を飛び回っているというのに目標を定め侵入してデータを失敬する。失敬したものをお金にするわけだから生産性がない仕事とはいいにくい。

わが家の金魚ちゃんはどんな生産性のある仕事しているのだろう。食べて食べた分だけ出して水槽を汚す。それを見た飼い主は一所懸命に水替えや洗浄をする。ここで、りっぱな生産性のある仕事をしたということは成立する。世の中、考えようによっては面白いことだらけかもしれない。写真はスマホで撮ったもの。この近代兵器を自由に操れるようになるのは生涯叶わないような気がする。
 
   2月3日(日)

「決断と実行」というキャッチフレーズの自民党のポスターがベタベタと町中に貼られていた衆院選挙が昔あった。その時、おいらは愛媛県松山で某選挙事務所の手伝いをしていた。そのキャッチフレーズ思い出し「決断と実行」ということで金魚鉢の水替えをやる。

午後、一人で霞ヶ浦を見に行く。何用かがあって行ったのではない。ただ、霞ヶ浦を見たくなったからだ。霞ヶ浦はおいらに何の用事もないはずだから霞ヶ浦にとって迷惑で招かざる客だろうかー。招かざる客といったら湖岸を走ったりサイクリングしている人も同じだ。どちらも眺望料や通行料を払っているわけではない。おいらは神がかり的な静かさの中でぼーっと湖を眺めているだけ―。バーカみたい。

今日は節分。小松三夜様の豆まきを見に行く。小松町内にこんなにもたくさんの人たちがいるのかと思うほど多くの人が豆まきを待っている。拾ったのはインスタントラーメン2個。明日の昼食はどうやらラーメンになりそう。
 
   2月2日(土)

いばぶん事務所のオーナーは忙しく動き回っっているようだ。朝、見かけたと思ったらすぐに消えた。「今は充実した毎日を送っている」と話していた。「一日が一期一会だ」とも語っていた。そうか、日々は一期一会か。こうやってブログに文字を連ねていくことも一期一会。そういうことで変化の乏しいこと今日を認める。

お隣さんの奥方は毎朝洗濯物を干してから仕事に出かける。ところが今朝は洗濯物がぶら下がっていない。ああ今日は土曜日で休みなのか―。奥方はそれこそイノチガケで洗濯物を毎朝慌ただしく干している。あの姿を見るたびに坂口安吾の「イノチガケ」という言葉を思い出す。「イノチガケ」も一期一会かもしれない。

金魚ちゃんの住まいが汚れてきた。水替えをしてやらなければと思うが寒くてやっていない。ウンチとオシッコと同居して毎日を生きているのだから神経の太さや体の構造はすごいものだと感心する。世の中には信じられられないようなことが次々と起こる。それに耳を傾けていたらとても身がもたない。見ざる聞かざる言わざるということにしよう。
 
 
2月1日(金)

朝起きると、ころころ花壇が昨晩降った雪で白一色。「心」という文字と「ハート」がくっきりと浮かび可憐な花は寒さにもめげずに咲いている。寒いとか暑いとか愚痴もいわず。ましてや、かあちゃんのように冷えるからカイロプラクティックが欲しいなどとは決して言わない。なんて我慢強い生命力だろう。見習うべきだ。

そこで、朝を歩く。歩くのは好きだがここ数日は寒さに敗けて体が動いてくれない。そうはいっても滅多に見られない雪景色だ。意を決してカメラをぶら下げ完全防備で6時ごろ家を出る。小松の三夜様から市内を見おろす。朝陽が屋根に射し込んでくる。キラキラと雪がオレンジ色の光に染まってくる。ああ、あの屋根の下で人々は暮らしているのかーとひとり呟く。

家に戻り朝めしを食べた後、すぐに吉瀬のいばぶん事務所に向かう。雪景色を写しておこう。春夏秋冬を撮りためてみようという作戦。さあ、どこまで撮り続けられるか。これは根気と体力勝負。なにしろ歩くと膝がカックンカックンとするのだからいつまで体力が持つか。そうだ、金魚ちゃんに願掛けしようということになり、1時間ほど滞在してそそくさと吉瀬を退散する。今日から2月で今日は終りです。
 

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