怠惰な散歩  2018年12

   12月31日(月)

甥っ子夫婦が小太郎という子どもと姉を連れてくる。どこから見ても憶えている顔だ。ただ、甥っ子も姉も年をとった。これはやむえない。妻のえみこさんは初対面。小太郎君は1歳3ヶ月で妻は?歳。えみこさんは静岡出身で甥っ子が静岡勤務時代に知り合い社内結婚。とても明朗で美しい人。

それにしても小太郎とは思い切った名前をつけたものだ。昔ならそう驚く名前でないだろうがとても新鮮に感じる。かあちゃんも小太郎という名前は素朴でいいと感動する。命名する時、たくさんの人に反対されたそうだ。それでも小太郎君は生き生きしている。それでいいのだ。

今日で2018年もおわり。ふり返る事実は過去。これからも過去という影法師を引きずり来年もしっかりと生きようと思う。しかし、人の運命はわからない。わからないからニコニコして毎日生きていられるのだろう。バイバイです。
 
   12月30日(日)

今日は日曜日というが何かピンとこない。ただ、師走のざわつきのようなものを感じる。年末のあいさつ回りでかあちゃんのアッシー君をつとめる。土浦市内からつくば市まで3軒の家に行きお辞儀をしてよろしくと言い残しサラバする。よろしくというのはどうい意味か深く考えない。

親戚という名の邪魔な関係というのもあるようだ。幸い、おいらの親戚付き合いは兄夫婦と姉夫婦。姉夫婦など同じ常磐線沿いに住むというのに10年来会っていない。その息子夫婦が明日おいらの家にやってくるという。おいらにとって甥っ子になるが、彼など20年来会っていないような気がする。どういう風の吹き回しで来る気になったのだろう。老い先短いオジサンを一目見ておこうというのか。それならそれで由とする。

今日も寒い一日だった。寒さを感じるということはまだしっかり呼吸をしている証。素直に受け入れようと夕方散歩に出る北風の冷たさにギブアップ。早々に引き上げる。これもまた由とする。
 
   12月29日(土)

ころころ花壇の文字囲いをしている竹を入れ替える。そうだ、乙女のようにすべすべした青竹。やはり新鮮なものはいい。茶色に寂れた芝生の庭に緑が映える。ああ、すかっとして気持ちがいい。これだけでもう満点満足。ひとりでニヤニヤと薄気味悪い笑いをする。バーカ、ひとりで喜んでいろ―。天の声の主は美意識に欠けるようだ。残念なり。

お隣のダンナサマも庭の手入れをしている。完成された庭はどこもピタリと決まり手を加えることなどないように思われる。それでもダンナサマは農作業スタイルであちらこちらへと動いている。ご苦労さまです。

夕方、庭に枯葉が舞い降りてくる。自宅前の雑木林を見ると大きな木が風に揺れている。あの林の中には針葉樹や緑葉樹が入り混じりこんもり山となっている。太い幹や小枝とおさらばした葉っぱが空を遊んでいる。自由に遊べることはいいことだ。そういうことです。サヨナラ。
 
   12月28日(金)

寒い、寒い一日だった。筑波おろしというのか北風が強く頬をたたく。憎き北風め年寄りには辛い。車窓から見ると年寄りだけではなく若い人も同じように寒そうに背をまるめて歩いている。ああ、北風は平等精神を貫き懸命に吹いているのだと感動。それにしても寒い。

いばぶん事務所でオーナーの壮大な企画の説明を受ける。当財団も少しはからみそうだ。オーナーとおいらでは発想や企画に大きな開きがある。オーナーの場合はともかく描く図面のスケールが大きい。そして、さまざまなしばりを解きほぐすノウハウを持っている。ひとそれぞれだがおいらにはないない能力。脱帽なり。

図書館に行く。正月をはさんでいるせいか貸出期間が長い。そこで大判の写真集など6冊借りる。さすがに重い。係員、「大丈夫ですか?」「大丈夫、イノチよりは軽い」彼女、微笑返し。うれいしい。
夕方、姫丸子が大きなお花を持ってきてくれる。感謝感激。家の中が急に明るくなった。酔いじゃなく良い新年を。サラバだ。
 
  12月27日(木)

1ヶ月ぶりに阿見医大病院へ。予約は11時だが早めにと10時半に着く。会計を済ませて時計を見ると午後1時半。院内で3時間ぼーっとしていたことになる。小松の自宅と違ってここは人の往来が激しい。それも圧倒的に希望が持てない年寄り。そういう年寄りを診察する先生は心の裡は「もっと若くてピチピチした患者はこないものかー」と嘆いているかもしれない。もっとも若くて元気者は病院を必要としていないだろうが―。

一種類減ったクスリは奥井薬局で処方してもらう。仲よしだった4歳年下の岩崎さんも亡くなり「みんないなくなって淋しくなる」。ご主人は90歳になり年賀はがきを一所懸命書いているという。奥井さんの弟「加藤尚彦全集」の広告が毎日新聞1面に載っている。すごいものだ。

久しぶりに図書館へ。そこへ携帯が入る。図書館内は電話禁止。係員が小走りでやってくる。一回経験しているのでさっさとベランダに逃げる。電話は奥井薬局から。来月の診察日を聞かれる。特殊なクスリで取り寄せる都合があるから。ぼーっおじんは特殊、規格外の人間か―。無念なり。
 
   12月26日(水)

体を180度反転して今日のこと振り返る。「破顔一笑」の文字が入ったカレンダーが目に入る。昔の人はうまく言ったものだと感心する。いずれ昔の人となるおいらは何の言葉を残すのか―。「ただ、ぼっーという時間をつくりなさい」とでもしておこう。

わが借家のオーナー宅へ竹をもらいに行く。いばぶん事務所から近く土浦市宍塚に住む心優しきオーナー。竹取物語ならぬ竹もらい物語か―。オーナー1500センチほどに切った竹を用意しておいてくれる。えっちらよっちらとクルマに運びこむ。

切り落とされた青竹の表面はスベスベして気もちがいい。ああ、このような肌触りの恩恵を受けたのはいつのことだろうかー。みんな年寄りになるとスベスベと文字は辞書から消さなければならない。しかし、消えない。かわいそうなスベスベは沈黙。そうです、沈黙は大きな武器になるのです。サラバだ。
 
   12月25日(火)

いばぶん事務所へ。オーナーとお手伝いの女性ふたりの三人でギャラリーなが屋門の大掃除をしている。長い脚立にオーナーはのり掃除機で天井の梁の埃を吸い取っている。手伝おうと思ったが邪魔になりそう。そこそことギャラリーをさよならしていばぶん事務所の大掃除に取りかかる。

ハタキでパタパタと埃を払う。ハタキを持つのなんて何年ぶりだろう。床をほうきで掃いて最後は床の雑巾がけ。これも何年ぶりだろう。年末の大掃除はホームセンターで察知していた。幾種類もの清掃用具やら洗剤が山高く積まれていた。あれを見た時から事務所の掃除をしなければと思っていた。

美しい夕日を見ながら帰る。信号待ちしている間スマホを取り出してパチリパチリ。これはあぶない。なんでもナガラーには危険という副作用がともなうものだ。「そうだそうだ、それでなくても鈍くなっているのだから!」天の声届く。そうですね―。
 
   12月24日(月)

寒い一日だった。北風がピュウピュウ吹いて木々の葉っぱを大きく揺らしている。葉っぱはハラハラと(はっぱ8×8=64)で64枚散る。いや数えきれない。そもそも樹木は自分たちの枝についている葉っぱの枚数を知っているのだろうか―。「無意味、無駄、バーカバーカ」金魚ちゃんの声が北風にのって耳もとにやってきて連呼している。ご苦労なことだ。

新聞のテレビ番組欄を真面目に見る。見たいと思うのがないというより興味がない。昨日は高校駅伝を見たがスポーツ中継のライブなら見たい。この時期はスポーツも冬の時代。駈けるか滑るか蹴るか掴まえるかの真っ只中。ゴルフなんてこんな狭い日本国土でやるスポーツではないと思っている。サハラ砂漠かゴビ砂漠でやるならヨシとしよう。

「バーカ、いつまでもほざいていろ!!」再び、金魚ちゃんの声。耳が遠くなったことは承知しているが、最近は幻聴も伴う。こまったものだ。
 
   12月23日(日)

高校駅伝をテレビで見る。おいらの運動神経は鈍い。小学校の運動会でおいらよりずっと背の低い子がおいらの前を走っている。力いっぱ走るがついていくのが精いっぱいで追い抜くことなど不可能。憎らしくなり後ろからポカリと頭を殴ってやりたいぐらいだ。それもかなわずゴールインしたことを思い出す。

ただ走るだけという単純なスポーツ。何が面白いのかと聞かれたことがあるが答えようがない。ただ、走るという単純さがいいのかもしれない。苦しい思いをしてなんで走るのか。走るのが好きなのだろう。それよりも走れるだけの体力があるというだけでもうらやましいかぎりだ。

いばぶん事務所へ。オーナーが会員となっている大谷石研究会の機関紙に山王姫宅の大谷石で造られた茶室について寄稿している。兄弟愛に支えられたこの庵――という結びはなかなか洒落ている。山王姫が読んだらさぞかし喜ぶだろう。
 
   12月22日(土)

朝早く、暗い灯りの中で老眼鏡なしで茨城のり子詩集をキンドルで読む。暗くても文字はくっきりで拡大すれば不愉快なメガネを必要としない。文明の利器がおいらの知恵を追い抜いている。

「時代おくれ」こんな一節の詩がある。/車がない/ワープロがない/ビデオデッキがない/ファックスがない/パソコン インターネット 見たこともない/けれど格別支障もない/そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの/頭は空っぽのままーーー便利なものはたいてい不快な副作用をともなうーーー

それに反しておいらは文明の利器を使っている。それが必要でないならそれですべて許されるのだろう。そういう人ならおいらのブログなど知る由もないだろう。それも許されるのだ。読み手に耐えられる文章というのは難しい。そういうことでお休みなさい。
 
   12月21日(金)

お天気よし、体調よし、かあちゃん元気だが今日は定期検査で荒川沖のかかりつけ医へ。とうちゃん運転手。かろよかに冗談を交わしながらクルマを走らせる。S先生は超多忙。患者より大明神のからだが心配。ニンゲンの命を預かる真剣勝負の仕事。神経をすり減らしての毎日。おいらには出来ない仕事だ。「あたりまえだ」と金魚ちゃん。了解しました。

いばぶん事務所へ。久しぶりにオーナーに会う。この人も超多忙で姿を見たなと思ったら、午後からは何処へ消えてしまった。持病も平穏のようで毎日が充実しているというから、それはそれは結構なこと。

山三印刷とK氏を交え「目で見るつくばの歴史」出版の打ち合わせ。見積もりをしてもらうことにする。内容が事細かでK氏の労作。こちらは少しだけ手伝ったというだけ。さて、これからどうなるのやらー。
 
   12月20日(木)

スマホでブログを書く。タッチパネルがデリケートで思うように文字が打てないのは指が太すぎるのか。ピアノを弾くのに指が短い人は手術をして長くするというがおいらは酒もたばこもやめて細くするしかないか。内容に乏しいブログにそこまでする必要があるのか。大いに悩む。

写真もスマホで撮影。内容はともかく仕上がりはすごいものだ。フィルム時代にはまったく考えられない驚くほどの技術進歩。でも、なんらかの大きな電磁波が地球を襲い記録されたものは全て消える。空白の21世紀。紙文化は何千年という歴史を残し証明しているがデジタルはまだ数十年。これも、また良しと思う。

今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください、というあいさつが増えてきた。二ランジョンに写真を送ったら珍しくすぐに返事がくる。その中にもそんなあいさつがあった。本を送るとも書いてあるがこれは信じられない。信じられないが2018年も生きて終われそうだ。バンザイ!!

 
   12月19日(水)

夕方、カマボコ宅の煙突から青紫色の煙がゆらゆらと立ちのぼる。その向こうの西の空は茜色にゆっくりと染まる。冬の乾いた空気の匂いがあたり一面にひろがる。

青空にも
茜空にも
希望があった
恐れるものはなにもない
疲れを辞書から抹消した
青い精神は生を疾走していた
ああ、あれはいくとしつきまえのことか―

二ランジョンからわが家のころころ花壇(心花壇)の写真を送れとメールあり。心静かに執筆に勤しんでおり、その本に使用したいという。本当かなぁー。南岳先生の本はまだ届いていない。裏返せば言葉には誇張も沸騰も膨張もありウソもあるということだ。
 
   12月18日(火)

「動けば回る」と昨日書いたが、これが先に進みすぎ日付を間違えた。それでなくても誤字脱字が多いから目を凝らし確認OKでUPしているつもり。そOKが怪しいのだ。怪しいことはどこにでも潜んでいる。とんでもない間違いをしてもOKバンザイとすることとする。これで安心して書ける。

いばぶん事務所へ。いやその前にスマホ操作を覚えようとしばらく夢中になる。まったくのオモチャ。完全に弄ばれ1時間ほど没頭する。ぼーっじゃなく没頭したのだ。オモチャとあなどってはならない。これで世界を制覇できるかも—。ああ、恐ろしや恐ろしや。

さて、今日一日を振り返っても目新しいことは一つもない。来年からの仕事を探してをツテを頼って面接を受けたぐらい。こ3ヶ月ほブラブラしていたのですっかり怠け癖がついた。それに寒い。もう一つ仕事に対しての本気度がわいてこない。「のほんのほんと生きているんじゃないよ、バーカ」。水槽から雄叫びがあがりそうだ。
 
   12月16日(月)

「動けば回る」。確かにそうだ。潮来マリーナに行く。工事中の護岸堤を見る。国は本格的に工事に乗り出した。「辺野古埋め立てみたいだ」とは村山氏。大きな違いは地元の人々が「どうしてだろう」「どうなるのだろう」という疑問もなくまったく工事に関心がないこと。ヘラブナの釣り堀はお天気が悪いせいか釣り人少なし。

潮来の帰りに鴻野まんじゅう店へ。写真展の打ち合わせ。すべて一任の承諾を得て貴重な古写真をたくさん預かる。とにかくデータ化しなければ―。

CROSS時代の木村氏より電話あり。じつに久しぶりに元気な声を聞く。元気なことはいいことだ。いろいろと相談があるので会いたい。水曜日に会うことにする。これらは、よいこらしょと潮来まで出かけたことから生じたものか。いつもなら、携帯電話も滅多にない。「動けば回る」とグルグル回り過ぎ、結局元の位置にいたり。それも有りというものだ。
 
   12月15日(日)

朝は寒かったが青空が見え太陽も顔を出していた。それが午後は小雨がぱらつき雪を予感をさせる寒さ。寒い日は心も凍りつくという感じ。暑いのも寒いのも苦手だ。どうか、そんなに年寄りをいじめないでくださいと空を見あげると曇天がでんと座っている。ああ無情なり。

お日さまが顔を覗かせているうちところころ花壇の手入れ。霜柱がたって土が凍えている。ビオラ、パンジーも寒さで震えているようだが可憐な花は咲いている。すごい、りっぱ、えらいと呟きながら土をいじる。さすがミミズは現れない。どこで休んでいるのだろう。声をかけるが応答なし。

セピア色の青い空のプリントを待ち合わせ場所のジョイフル本田で渡す。どうしてここの場所になったのか。それは秘密だ。人は多くの秘密抱えてグッドバイするのだ。とにかく寒かった。
 
   12月14日(土)

霞ヶ浦を見たくなったので日の出前に行く。太陽は湖上の彼方からまだ顔を出していない。ようやく目がさめトイレでも行ったのか―。「バーカ、年寄りじゃあるまいし夜中のトイレットタイムのオマエさんとは違うよ」遠くから聞きなれた声がする。

写真展を計画している鴻野さんの写真整理をいばぶん事務所でやる。想定したより仕事がはかどる。きっと、早起きして霞ヶ浦を見たせいだ。頭がすっきりしてスムーズに回転するのだ。それなら毎日行けばいいと思うだろうが外は寒いからよほど気分が乗らないと行けない。これも後期高齢者というハンコを押されたせいかー。

読書を少しだけする。高村薫の小説はこと細かい。これは読者サービスだろうか。きっと高村薫のスタイルというものだろう。自分のスタイルを持つことができなかっただけに嫉妬さえ感じる。そういうわけで今日もなんとか生きました。
 
   12月14日(金)

寒い一日だった。あたりまえだ。これが真夏のような暑さだったら本物の夏になったらどうなるのだ。冬は寒くなければならない。でも、年寄りには辛い。日々の寒さに震え体を動かすことが億劫になる。ああ、かわいそう。それでも頑張ってセピア色の青い空のプリントを終了。月曜日、村山さんと鴻野さんと会うアポイントをとる。

午後、兄夫婦から頂いた「お見舞い」のお返しとして「快気祝い」のお礼。四人のジジババが雑談。結論、年寄りになると死ぬという垣根は段々低くくなるのだ。

兄夫婦の帰り阿見町にある靴屋に寄る。そこでばったりと姫丸子に会う。サンタクロースのような大きな買い物袋を手に100%の笑顔。笑顔はいい。そうだ、笑顔満点クラブを結成しよう。まったく、ノー天気な考えは休息を知らない。皆さん、いろいろとご苦労さまです。
 
  12月13日(木)

小松シルバーのよれよれおじんは石岡の山王姫宅へ出張草刈り。依頼主は心優しく門扉を開けて出迎えてくれる。それを見ただけでこれは本気印でガンバラナケレバ。それなりにガンバル。何に対して何のためにガンバルのかは問わない。とにかく「ガンバル」のハチマキをしたような気合いで作業を進める。一昨日刈った雑草の山は昨日の雨で濡れ重くなっている。それをブルーシートに載せて捨て場まで運ぶ。ここでヨイトマケの歌が飛び出す「かあちゃんのためならー」こうなると「負けらません勝つまでは」という気持ち。

おいらは何をやっているのだろう。何をやりたいのだろうと自問する。あんな時もあったという思い出作りかもしれない。上を見あげると真っ青な空。とにかく、熊手でかき集めた雑草は捨て場ならぬ雑草墓場へ運ぶのだ「うんこらしょ、よっこらしょ、どっこらしょ」。

昼食は姫が作った昼食をごちそうになる。とにかく姫オリジナルのきゅうりのお新香がうまい。満腹になったらクルマの中で寝る。これがよく眠れる。土浦シルバー時代に車内を寝れるように整えているから快適だ。
自宅へ帰ると姫丸子がたくさんのおかずを持ってきてくれたとかあちゃんニコニコ笑顔。みなさま、ありがとうございます。

 
   12月12日(水)

朝から雨で気分はどんどん落ち込んでゆく。こういう日は何もやる気がしない。金魚ちゃんのエサやりも億劫。ポストから取り出した新聞も読みたくない。なんかやろうという気力がわいてこない。昨日の草刈りの後遺症はでていない。明日になるのか。加齢とともに肉体労働からくる筋肉痛はだんと遅くなっている。

つくばイオンへ。見たい映画がない。本屋に立ち寄ると百花繚乱ごとく週刊誌、月刊誌がならんでいる。まだ活字文化は衰えていないのか。これだけあるということそれぞれに読者がいるのだろう。

夕方、斜め前のかまぼこ型の家の煙突から煙があがる。マキで暖をとっているのだろう。煙は暗くなる景色に存在感を示すように不規則な白い波をくゆらせている。決して同じ形で煙はあがらない。それをじっと見ているとほっとして落ち着いてくる。煙が立ちのぼるということは人の存在を証明している。そこで人間が暮らしているかと思うと安心する。やはり、人恋しいのかなぁー。
 
   12月11日(火)

土浦シルバー人材センターから独立して小松シルバー人材を設立。今日はその初仕事。これがすごい。土浦市を脱出して石岡市に出向いたのだ。これは石岡シルバー人材センターへの越権行為に等しい。小松人材センターはそれを無視する。なにしろモグリで秘密の小松シルバー人材センターだから恐れることはない。

さて、初仕事は山王姫宅の草刈り。常々、年寄りだからと引っ込んでいないでもっと自分の肉体をいじめなければと思っていたから有難く依頼を受託。もっとも、自分から売り込んだのも事実だがー。

刈り払い機は蓮河原時代から使っているから30数年のベテラン。ところが加齢というオマケがついて現在はそれなりのことしかできない。ソロリソロリ、スロースローで作業を開始。そこへ突然、姫丸子登場。まさか応援に来たのかと思ったがそうではない。久しぶりのご対面だが元気そう。そうはいってもみんなそれなりのお年寄り、お互いにご自愛を。
 
   12月10日(月)

どうしても落ちつかない。どうしたものだろ。ここは人生の指南役の金魚ちゃんに尋ねてみよう。聞いてみるが金魚ちゃんはただフラフラユラユラと泳いでいるだけ。これは聞こえないのではと水槽を叩いて再び聞いてみる。「バーカ、勝手にしろ!」という顔をしている。可愛くない。

米国のクルマは月曜日に製造したのは購入しないほうがいい。なぜなら労働者は日曜日に酒を飲みすぎ二日酔いの状態で働いており手抜きが多い。そんな話を大昔聞いたことがある。真偽はともかく「魔の月曜日」「憂鬱な月曜日」。今日は月曜日なのだ。

金魚ちゃんには閉塞感というものがないのか。もっとも産まれた時から閉塞感いっぱいの水槽の中での生活。狭い水槽の中ですっかり世界観が染みついているのだろう。どおりで問いかけに応えようという意志が見られない。不真面目ではない。小さな頭ではそのような煩悩を宿る余裕がないなのだ。従って無言なり。可愛くない金魚ちゃんありがとうございます。写真はスマホでの初撮り。

 
   12月9日(日)

スマホを買った
随分と迷った
ガラ携で十分だと長いあいだ思っていた
時代の波に押されたような気がする
なんでも、社会の時々刻々の変化に
人々は押されながら生きているのだ
抵抗することは
自らの生を拒否するかのように
時代の波に押されもがいて生きる
どんな些細なことがらも
自分の生と密接につながっている
この小さな機器が
人と人を争いに導くこともあるという
悲しくなり空を見あげると
透きとおった冬空が広がっていた
 
   12月8日(土)

猫にまつわる古今東西の話題は多い。おいらも子どものころから猫と暮らしネズミとも同居していた。愛するクロちゃんは捕まえたネズミをおいらが寝ている枕元に持ってきて自慢げに見せていた。驚き、びっくり、たまげて追い払ったものだ。

セピア色の今年最後の取材で姫宅へ。さて、こちらは山王姫から全身の愛を受け18年も一緒に暮らしているピーちゃん。炬燵にはいるとピーちゃんが足もとにいる。暖かさがふわふわした白い毛からゆったりと伝わってくる。これは人と動物はどこかの回線で足もとから頭のてっぺんまでつながっていることではないか―。もしかしたら、ピーちゃんの方が達観しているのではとも思った。

辛い思いでを語れるようになるには過ぎ行く時間に癒してもらうしかないのでは―。忘却とは忘れ去ることなりというが、辛かったことは頭のどこかにへばりついている。それが、何かのきっかけでポツンと顔を出す。ああ、かわいそう。後で気づいたが、ピーちゃんはエサをおねだりする時に「ピーッ」と鳴かなかった。「ニャー」だった。
 
   12月7日(金)

高村光太郎の詩集「智恵子抄」をひもとく。その中でもレモン哀歌が好きだ。中学生の時に6歳年上の兄が教えてくれた。「そんなにもあなたはレモンを待っていた /かなしく白く明るい死の床で―。あの頃は母と姉はいなかったが兄がいた。その兄もしばらくして東京に出ると祖母と二人だけの生活が始まった。

詩集を読み返し悲しくなったので図書館といばぶん事務所へ出かける。図書館はひっそりとしており事務所はぼんやりとおいらを迎えてくれる。写真展を計画している。その準備を少しずつ始めたばかりだ。何かをやっていなければ「かなしく白く明るい死の床」が迫ってくるような気がしてならない。

レモン哀歌は続く。―わたしの手からとった一つのレモンを/あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ/トパアズ色の香気が立つー―。
 
   12月6日(木)

昨日と今日はどう違うのだろう。今朝聴いたNHKFMの「古楽の楽しみ」はバッハのバロック音楽だったが昨日と違うようでもあるし、新聞を広げ朝刊を読めば昨日と違った記事が載っているようだ。それならおいらも昨日と今日は違っていいはずだだが少しも違っていない。時間は意識もなく連続しているようだ。なにか不可思議な感じ。

「セピア色の青い空」の整理にガンバル。頑張る、頑張れる、頑張るのだ、頑張らなければ―など。これらのガンバルということは何かの目標があってはじめて成立する。おいらの場合は「ひたすぼーっ」とすることにあてはまる。

盲目の歌手、新垣勉のCD「さとうきび畑」を聴きながらブログを書く。いい声をしている。幸運と不運を両方背負って生まれたような歌手。石岡の新垣勉、沖縄のさとうきび畑。思い出だけが金魚ちゃんのウンチのように連なりゆらゆら泳いでいる。バイバイです。
 
   12月5日(水)

キャパはパリ解放の日にカメラを置いた。連合軍のノルマンディー上陸作戦に随行して写真を撮りナチスに占領されていたパリに入った。キャパはパリ解放の日に「もう写真を撮らなくていい」とカメラを置いた。そうだったのか、そうだったのかとうなずきながら「暗幕のゲルニカ」(原田マハ)を読む。

今日も暖かい一日だった。いばぶん事務所に行く。水曜日はつくば文化郷の定休日だからだれぁーれもいない。静かなものだ。季節外れの暖かさそうだが喜んでいいのか。これが夏場だったらと考えるだけでぞっとする。

おいらの部屋では暖かさに誘われるようにハエが一匹ウロウロしている。いや飛び回っている。。山新で購入した必殺ハエ叩きを手もとに置いてチャンスを待つ。宮本武蔵はごはんを食べながら飛んでいるハエを箸ではさみ退治した。よれよれおじんはそうはいかない。すべての動作が鈍くなっているのだ。それでも見事に叩きのめすことに成功。ハエは天国に召された。そういえば、今年も身内や知人が地上から姿を消した。それが人の運命と分かっていても辛いものがある。
 
   12月4日(火)

神林留学生奨学会へ写真を送る。年内に残す仕事といえばセピア色と潮来マリーナ。これが済めば年内のお仕事は何もない。やることといったらころころ花壇・菜園の手入れ。さらに、ぼーっ。この時期は家主に似て雑草ものんびりしたもの。こそこそとあちらこちらから顔を出すだけ。怠惰な雑草とのつきあいは楽なものだ。

夕方、水郷公園を歩く。まだ太陽は沈まない。土浦自慢のイルミネーションは点灯していない。暗くなってから訪れる来園者をあてこんだ出店が2つ準備をしている。彼らはおいらが酔っ払って眠るころは繁忙時間になるのだろうか-。みんな金が欲しいのだ。ああ、かわいそう。

かわいそうといえば、今朝、一匹の金魚ちゃんが死んでいた。もうすぐ正月がやってくるというのにかわいそう。死んじゃったらお終いよ。人も金魚ちゃんも同じ。みんな「かわいそう」の大合唱に見送られるのだ。これを、「万々バンザイ!!」というらしい。さよならだ。
 
   12月3日(月)

昨日、東京に行ったせいか今日は体が重い。空も雲が広がり重く垂れこめている。ただ、静かに過ごそうとぼんやりと世界の出来事や日本の行く末を考える。30年後の世界は日本はどうなっているのだろう―。明日の予測すらつかないというのに分かるわけがない。そこで思考停止。みんなで思考停止すれば恐くないないぞ!!

保立道久著「老子」をひもといてはこっくりこっくり。最近は本を読もうとするとすぐ眠くなる。年寄りだから本読みもうなどやめなさいというシグナルか。それとも、この本は睡眠導入剤か―。こっくりぽっくり地蔵の手先ではないか—。ああ、恐ろしや怖ろしや!!

斜め前の家の煙突からゆらりゆらりと青白い煙がたなびく。きっと薪ストーブのある暖かな生活をしているのだろう。ざんねんながらおいらの家にはない。ただ、あるのは、無臭無色のスカッペ。これはは無公害だ。ただ、音を発するだけに本人はともかく近くにいるおいらは気分がよくない。
 
   12月2日(日)

神林留学生奨学会年末交流会で東京上野へ。精養軒の2階から見る街並みはビルがびっしりと建ち並んでいる。よくぞこんなにビルを造ったもんだとしきりに感心。東京に住んでいたころは多くのビル建築現場で働いた。上野周辺はなかったような気がする。ただ、上野動物園のパンダ舎の基礎工事をやった。しみじみ眺めてみるとおいらの住んでいる小松界隈とはまったく異なる風景。何処に住んでも都になるのだがなんとなく気忙しい東京に住もうという気は起きない。これも年寄りになった証拠か―。

さて、交流会は100人ほど集まりワイワイガヤガヤ。韓国語や中国語などが飛び交い国際色を感じさせる。ただしアジアに限るが―。顔なじみもいるが留学生は毎年入れ替わるからそう多くはない。神林理事長は80歳になるというから世代交代も近いだろう。次の理事長はすでに決まっているようなもの。その時はおいらも舞台から降りることになるだろう。それでもよし。十二分に楽しませてもらった。
 
  12月1日(土)

かあちゃん、今年最後の大当たりか!JAサンフレッシュ土浦店へ。安いからと張り切ってレンコンを買った。おまけありのレシートでくじ引きのチャンスを平等に与えられている。そこでかあちゃん2回も1等賞を当てるという幸運に恵まれた。箱入りレンコン2キロを2個も頂戴する。ああ、農協の皆さまありがとうございます。どうか「最初に4キロも買わなければよかった」。後日談のかあちゃんの我がままを許してやってください。

みすぼらしい小さなおばちゃんが哀願と懇願を色こくした眼差しでくじ引きの担当者を見つめる。上から見ても下から見ても中央から見ても暮らしぶりは楽でなさそう。そういえば亡くなったおばあちゃんもこんな最後だった。もうすぐイベントも終了。1等賞の商品はまだ残っている。気づかれないように大当たりの玉を数個入れよう。大当たりのおばちゃんは皺をおそれず満面の笑顔。これでいいのだ、どうせオイラの財布が軽くなるのではない。それにしても、この喜びようはなんだろう。もしかしたら、おばちゃんは長年連れ添ったおじいちゃんと会話が少なく淋しいのだろかー。

こうして2018年12月は幕開けしたのです。
 
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1980年代
2014/15年
2017年
2018年

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