怠惰な散歩  2018年10

   11月1日(木)

11月の朝日はどうかと霞ヶ浦に見に行く。快晴なり、波静か、静寂が風に運ばれる。横着なよれよれオジンはクルマの中から日の出を仰ぐ。そんなこんなで何でないよという顔をして眩しいまん丸顔をだす。顔が丸いということはやはり地球と縁戚関係にあるのか?

東京医大での定期検査日。心かろやかに出かける。決まっているのだ。順調に回復に向かっている言葉を聞きたいのだ。先生が男でも女でも構わない。順風満帆なり。あなたの進む道には小石ひつもない。おめでとうございます。ただし、この部屋から退出後の責任は負いかねます。ピンコロポックはあくまで夢想願望だろう。

ようやく、アサガオとニガウリのネットをかあちゃんと整理。ひと夏、ありがとうございました。歳月はあっと投げれているようだが、時間の長さは宇宙、地球誕生かから寸分の違いも続いているのだよ~。ああ、こわい、恐い。
 
   10月31日(水)

昨日は疲れ果てブログを書く気になれなかった。なぜそんなに疲れたのか?。東京に行き、つくばのャラリーなが屋門企画やその他の打ち合わせのためだ。ただ、オーナーが運転するクルマにぼんやりと乗り、約束の先方と会い話をそれらしき顔で聞いているだけだが、そのぼんやりとそれらしきに疲れた。

さて、本日はどうしたかといえば、朝起きるなり柔道整復師会の仕事をバタバタと済ませる。これは、母ちゃんと二人とのメシの種。さらに瑞惠先生が銀座で開いた絵画展の写真記録集をまとめ送る。小さな親切大きなお世話。それでもよし。

午後は、土浦市民ギャラリーで開かれている「山口義法 能面展」を見る。やはり小面が一番好きだ。黄泉の世界からハレの舞台を覗き怪しげな微笑。微笑は大切だ。何事に対しても心優しい微笑返し。そういうことで、おいらは金魚ちゃんに満面の微笑みを浮かべながらエサを与える。その怪しげさはダ・ヴィンチの謎の微笑とされる「モナリザ」より複雑怪奇。金魚ちゃん、返す言葉なしと沈黙。ただ、エサにぱくつく。

能面展の後、おいらは散髪へ。山王姫、かあちゃんを自宅までクルマで送り届けてくれる。さらに、たくさんの頂き物をする。感謝、感謝、ありがとうございます。
 
   10月2日(月)

目が悪くなり活字を追うのが辛い。それなら、哲学者ゲーテの最後の言葉とされる「もっと光を!」ということで作戦を考える。読書に見合った電気スタンドを買ってくればそれで解決するのだがお金もかかるし何より芸がなさすぎる。そこで物置から使えそうなものを探す。なんとか間に合いそうガラクタが揃った。後は知恵と技術。これは、ソロリソロリと相談しながら進めることにする。

今日は穏やかな日和であった。日和という漢字は一日と平和という漢字が合体したものと気づく。おいらには平穏な一日であったが新聞やてテレビのニュースを見れば世界中でとんでもないことが起きている。

金魚ちゃんにどうしたものだろうと尋ねる。幸福と不幸があるから世界の人間はバランスをとれているのだろう。そう考えれば少しは許してやってもいい。しかし、人類誕生から今日まで延々と飽きもせず続いているというのには、あきれ返って言葉がない。さっさと寝ましょう。
 
   10月28日(日)

石岡のケアハウスゼーレでスマイルバザーが開かれかあちゃんとノコノコと出かける。かあちゃんは山王姫が出店しているおばさんコーナーの手伝い。おいらは記録写真の担当。それなりに動いて昼食にラーメンをいただいて帰る。さっぱり味のラーメンがとてもおいしかった。みんなの評判がいいようなので来年もきっと昼食メニューはラーメンだろう。

山王姫から金魚ちゃんの絵のいただく。おいらの書斎に部屋に飾る。すごい書斎、プライベートルームだぞ。家全体で3部屋とキッチンしかないくせに書斎ときたもんだ。

インドのタゴール家の全盛期。コルカタにある本宅は200以上の部屋があり、お手伝いさんが一日かけ開閉。それを自分の仕事としていたそうだ。現在は私立大学になり利用されている。さて、おいらの自宅は可能かー。せめて、ノラ猫の運動会場に解放してやれるぐらいの広さはあると自負している―。
本日は皆さま、お疲れさまでした。
 
   10月27日(土)

足が重い。哲学者のパスカルのように考える葦のような高尚なアシではない。昨晩、月夜に照らし出された自宅周辺を歩いたが後半になるとぐっと足が重く感じられる。地面から足が離れずズルズル引きずるように歩いているではないか。このザマはなんだと苛立つ。苛立ってもダメなものは駄目。自宅前の坂道をやっとこさと上がったのです。とても美しいお月さまを見る余裕などありませんでした。

今日は朝から雨。ころころ花壇と菜園はバンザイの様子。気持ちよさそうに雨に打たれている。樹木や植物にとって恵みの雨だろうが、予定していた草刈りができず空を睨む。空はたしかにあるが表情が暗い。おいらも気持ちが暗くなる。

昼前、潮来マリーナ社長と仲間たち4人がいばぶん事務所に顔を見せる。つくば文化郷オーナーと懇談。オートキャンプ場や一般のキャンプ場を見学。「うさちゃんミニランド」を撤退し「北浦キャンプ場」にうまく変身できるかー。悩める社長は「参考になった」と言い残し帰る。さて、帰りの車中でどんな思案を巡らすのやら楽しみだ。眺めているだけの外野は気楽でいい。
 
   10月26日(金)

読書とはすっかりご無沙汰している。草取りや日曜大工ならぬヒマモテアマシ大工が忙しい。毎日が日曜日のようなもだからこまったものだ。それにかまけて活字世界から縁遠くなりつつあるのは淋しくなりブックオフに行く。3冊購入。図書館で借りて読むのとは重みが違う。何と言っても身銭を切ったのだ。

土手の草刈りは後二日で終わるだろう。まだら模様に借り残された雑草に囁く「命短し 恋せよ 憎き雑草たちよ―。」みんで刈り取られれば不公平ということはない。平等の精神をいかんなく発揮して明日も頑張ろう。

「剣道の川柳を」という注文のメールが姫丸子から入る。まあ、「みんなでシナイ持てば土浦シナイは安全安心エィ―エィ―オナラ」これは字足らずか字余りか―。面白いのが思いついたらメールで送ってやろう。さて、明日は「動けば回る」とガンバル潮来マリーナ社長がオーナーのキャンプ場を見学にくる。80歳過ぎたというのに事業欲は衰えない。家族はハラハラドキドキ。「男のロマン、女のガマン」というが―。
 
   10月25日(木)

わが家の土手の草刈りをする。急斜面で高さが3,4メートルある。この斜め土手の草刈りというのは上からやっても下からやっても容易ではない。刈り払い機では中央付近が届かない。さあーてこまった。色々と試してみたがハサミでチョキンチョキンがいいことがわかった。ここへたどり着くまで道具をそろえたりしたのでお金もかかった。長刀のような鎌も買ってきたが使い勝手が悪く使っていない。無駄な出費であった。

どの家にも無駄で使わない道具はどっさりとあるだろう。物置に何年も眠り最後は不用品として捨ててしまう。消費は美学なりと教えられて育ったものにとって、この年齢になると「ああ愚かなことに踊らされていたんだなぁー」反省するがもう遅し。それでもわが家は引っ越しの連続で物を捨ててきたから少ない方だろう。

金魚ちゃんは手荷物一つ持っていない。丸裸でも破廉恥罪にも問われない。なんて素晴らしい生き方をしているのだろう。「欲しがりません勝つまではー」などというおぞましい考えももっていない。大いに見習うべき。「バーカ、遅いよ!」金魚ちゃんは吠えながらエサを求めるのでした。
 
   10月24日(水)

どうやら今晩が満月らしい。目が悪いから月はぼんやり円形を描いている。そうなれば満月ということになる。いい加減なことだがこれが現実。上弦の月も下弦の月もよくわかっていないのだから―。月を見あげるということはやや頭を上向きにしなければならない。そうすることによって少しばかりの運動量が増えることになる。健康促進にもいいことだ。10分ていど遠くに視線を向けていると精神衛生上もいいという話も聞いた。こうなれば満月なんて特に関係ない。

いばぶん事務所に行く。理事長と山三印刷がくる。あれやこれやと仕事を頼んだり仕事をしたり。帰りふたりでブドウ狩り。持ち主のオーナーによれば趣味でやっているとのこと。それにしてたくさんのブドウがふさふさとなっている。「もったいない、もったいない」を連発して摘み取る。最後に、「ありがとうございます」とオーナー自宅を向いて最敬礼。

自宅に帰り、製作途中のベランダ造りに励む。あと数本の釘を打てば終了というところに姫丸子登場。手にはたくさんの食料品。いつもいつもありがとうございます。今日はジャンボシイタケをもらいブドウもある。万歳だ。スマホで姫丸子の着物姿を見せてもらう。かわいいものだ。10歳は若く見える。そうか。女性は変身願望が強いのだ。それに比べたらおいらは着る物は無頓着、いろんな人がいるものだ。さようならです。
 
   10月23日(火)

いばぶん事務所を出ると外は美しい夕焼け空。小松も吉瀬も太陽は西に傾いていくようだ。この平等精神は見習うべき。田んぼが広がり筑波山が見える。この田園風景には学園通りにまだら模様で建ち並ぶ店舗が邪魔だ。そうはいってもみんな生きているんですからね―。

自宅へ帰ると夕闇の空に満月。みごとな美しさを見せている。「ああ、満月や、満月や」。満月は恥ずかしいのかすぐに雲の中に隠れてしまう。そうケチケチすんなよと声をかけるが反応なし。

そういえばころころ花壇の花たちも今日は花を咲かせますというわけでもなく美しい花びらを広げる。何の反応もなく黙し生を披歴するチカラ。それは誰しも持っていると思う。問題は反応なしではなく反応できない状況に追い込まれている地球上の生物たちだ。考えれば考えればほどわからない。ヨダレをたらしながらブログを書く。バイバイ!!。
 
   10月22日(月)

NHKテレビの「しぶ5時」を見ながらブログを書く。外はもう暗くなっている。わが家の夕飯は早い。夕方5時ごろには食事が始まる。そのため、寝るのも早い。6歳年上の兄貴が夕方5時ごろメシを食べて寝るという話に驚いていのは数年前。今では同じことをやっている。血筋は争えないというのか―。

夜早く寝るというこは翌朝の目覚めは早い。絶対権力者の太陽でに逆らう行為だから顔を見せる前に目ざめるため外は真っ暗。ぼーっとしていると新聞配達のバイク音が響きポストに新聞を入れる音がやけに大きく聞こえる。これから冬に向かい新聞配達には辛い季節だ。何度も経験したからよく分かる。

いばぶん事務所でお仕事をしていたら「ふるさと通信」の社長が息子と共にひょっこり現れる。営業に来たらしいがオーナーは不在。四方山話になり、新聞社時代の仲間が黄泉の国に旅立ったこと。みんな新聞社時代は不摂生な生活だったからどんどん亡くなっていく。次はおいらの番かと彼は言う。この順番だけは分からない。分からないから面白いと言っていた元相棒はどうしているだろう。みんな本当にどうしているのだろう―。秋のセンチメンタルに浸る。お休みなさい。
 
   10月21日(日)

今日の昼は暑いぐらいだった。爽やかな秋晴れの日曜日とでもいうのかー。所用があり筑波山の麓までドライブ。軽のスズキパレットは坂道を苦にすることなく走る。もっともこれぐらいの坂道でストライキを起こしてもらってはこまる。帰り、狭いつくば古道を下りる。こういう場合は小さなクルマは楽だ。

神郡のクラコーヒーで休憩。おいしいコーヒーを飲みながら眼前に迫る筑波山を見あげる。お化けのような大きな竹ぼうきで掃き清めたように雲ひとつない。見事なぐらいだ。日光連山も霞んで見える。山は大きいことを改めて知る。

金魚ちゃんはエサの食いつきが大変よい。「いただきます」も「ごちそうさま」もないからテーブルマナーには欠ける。買ってきた時から比べると随分と成長した。成長には未来があり夢があるはずだが金魚ちゃんの場合はどうか―。ただ食べて大きくなるだけで大地を走ってみようとか空を飛んでみようとという冒険心は微塵もなさそう。ただ食べて大きくなる。それでいいのだ。
 
   10月20日(土)

久しぶりに潮来マリーナに行く。1年ぶりだろうか―。月日はあっという間に過ぎてゆくものだ。村山さんも病気をして2週間ほど入院していたそうだ。大腸の悪性ポリープとさよならする手術。今日も病院に行ってきたといいながら元気な顔を見せる。入院をきっかけに「うさちゃんミニランド」は閉店。うさちゃんがいた庭で今はシイタケ栽培をしている。商魂逞しい。1本原木をちょうだいする。これは図々しいというもの。

潮来マリーナへ行く通り道にあるこうの饅頭店でお土産にと寄ったら売り切りで閉まっている。それにしても昼ごろに売り切れるとはすごいことだ。しょうがないので潮来のスーパータイヨウで饅頭を買う。値段は半値。それでも、みんな喜んで食べてくれる。ありがたいことだ。

さて、村山さんお用件は少しばかりの内職の話。真剣に内容を聞いて「ガンバリマス」と言って帰る。新米3キロをちょうだいする。帰り、北浦の湖の写真でも目論んでいたが疲れて中止。一目散に家路に向かう。そういうことで今日は終わりです。バイバイ。
 
   10月19日(金)

今日で人工透析(Gキャップ)を終える。もう1回あると思っていたが先生が今日で終わりですというから間違いないのだろう。毎日、ぼーっと過ごしているとすべてがあやふやでぼんやりとしたまま終わってしまう。ニンゲン、オギャーと生まれてぼーっと死んでいくのだろうか―。20人ぐらいの透析患者はみんな眠っている。細い透明なビニール管を赤い血液が休みなく流れている。それは生きている証拠なのだろうが、ぐっと胸に迫るものがない。何とも淋しくおぞましく見えてしまう。

いばぶん事務所で瑞惠先生の展覧会の絵の整理。記録集を作り送ってやろうというもの。いろいろお世話になった鶴の恩返し。小さな親切大きな迷惑といわれても構わない。なにごとも自己満足ですべてよし。

金魚ちゃんがすくすくと育っている。朝になるとエサを求めて金魚鉢の水面にやってきて口をパクパク。彼らは喋れない。そのため全身を使って意思を伝えようとする。その姿はいじらしいほどかわいい。ニンゲンもそうあるべきだとエサを与える。小さな口はパクパクさせてハラに収める。さて彼らの大腸はどうなっているのだろうか?と考えるがわからない。それでいいのです。
 
   10月18日(木)

今日は充実した一日だった。ころころ花壇ところころ菜園のゴミ捨て場を完成させたのだ。構想3ヶ月、作業2時間。この凝縮した時間はお金では買えない。世の中、貨幣で計れない漬物石があるのだ。びろうな話だが、さらにしっかりたウンチが出るようになったことだ。どっさりとまではいかないが体内から顔を出すには恥ずかしくないそれなりの色と固さをもってサヨナラするのだ。これはおいらにとって大ニュース。ハッピーなりバンザイだ!!。

午後は山王姫宅へ。聞き書きした文章に添付する写真撮影。山王姫に頼んでいろいろと居合ポーズや配置を注文をする。これは難しいのだ。生身の日本刀は生き物だ。これを知らずして写真を撮るという愚かさを知る。

そんなわけで、写真は満足がいくものを撮れなかった。原因は簡単、勉強不足でした。チャンスがあったら庭に出て撮影してはと考えています。山王姫さま頼みますぞ。本物の日本刀を手にしたのは初めて。妖艶なる凄みを感じる。相手を切ったり、自ら腹を切ったり、首をはねたりしたのだと思うと武士道精神というのはどういう歴史の積み重ねで生まれたのだろうかー。疑問だけがつきまとゆ。もう、これだけでも腹いっぱいです。さようなら。
 
   10月17日(水)

さあ、ブログを書こう。何について書こうか。わが家では取り立てての大事件が起こったわけでもない。近隣の家でも騒々し争いごともなかった。もっとも、日中は生きているか死んでいるかわからない住人がほとんど。波風立たずあくびとため息に耐えきれずオナラも出ないようなもの。

いばぶん事務所でそれなりのお仕事。お仕事などと敬語を使うほどに中身が詰まっているわけではない。自己満足の仕事をパソコンに向かってやっているだけ。誰からも文句をいわれないのは助かるが1時間もすると目がパチパチ。こまったものだ。

井上ひさしの小説に「41番の少年」という小説がある。茨城県は全国知名度ランキング47位だそうだ。世の中はトップがあるかぎりビリは必ず生じる。それによってはじめて社会はうまく成立しているのだ。41番の小説は仙台のカトリック系養護施設に入れられたひさし少年の話。その寮番号が41番。まったく47番とは関係ない話だ。うろ覚えなので詳しくはグーグル先生に尋ねるか読んでみてください。決して、わが家の金魚ちゃんに聞くようなことはなさならいようにお願いします。
 
   10月16日(火)

いばぶん事務所へ。陽気は可もなく不可もなく。それなりの気温とそれなりのお天気。気まぐれな天候はいつ心変わりするかわからないが、今日はそれなりに過ごしやすい一日だった。デスクでぼーっと外を見ていると関野氏が突然現れる。ドアが開いていたから立ち寄ったという。どうやら事務所前道路は彼の仕事の通り道らしい。

事務所周辺を徘徊する。畑には葉物の野菜が育っている。いかにも満足そうに生きているという感じ。きっと農家の人が植え育てているのだろう。たい肥の臭いではなく作りてのプロの臭いがプンプンする。おいらのころころ菜園とは雲泥の差だ。おいらも大根、ジャガイモ、キャベツ、ニンニクなどを植えているが無事に育ち食卓の一品と追加されるかはなはだ怪しい。どうなることやら。時間的に余裕があるので畑があってものすごく助かっている。大家さんに感謝。

ころころ花壇にはロウソクの明かりを灯すようにした。ところが秋のつるべ落としというようにすぐに暗くなる。暗くなると花壇の花々は見えない。せめて1カ月前に作業をやっていればと思うがそれどころではなかった。来年の愉しみとしてとっておこう。写真集「歴史原風景」(石橋)睦美)を見る。写真家の名前は睦ましく美しい。どんな因縁があるのだろう。東北の風景に魅せられて撮り続けたという。重厚感のある風景写真集だ。とてもかなわない。まいった。


 
   10月15日(月)

阿見町が恋人の日。会う場所は東京医大消化器科。会う先生は残念ながら男性。この病院には目ん玉が飛び出るような女医さんはいないのか。もっともマスクをしている先生や看護師などが多い。華やかなステージでお披露目したいような美人もかわいそう。そういうわけで8回目の人工透析を終える。

竹取物語ではないが我が家の裏山から竹を1本失敬する。裏山には鬱そうとした竹林が広がる。手入れをする人がいないから竹は伸び放題。まぁ、自由奔放に好き勝手に自分たちの生を謳歌しているよう。ご立派なことです。

無断失敬した竹を見ながら萩原朔太郎の詩を考える。朔太郎の詩はよくわからない。朔太郎の娘、萩原葉子の随筆はよく読んだ。オフクロもよく読んでいた。その影響を受けたせいだろうか―。今日一日、空はご機嫌斜めだった。金魚ちゃんはいつも曇り空のような顔をしているがエサをねだる時だけハッピーチォウダイ、ハッピーチォウダイと尾っぽをフリフリ。勝手なものだ。
 
   10月14日(日)

土浦のウララで開催された「第34回水郷水都全国会議・霞ヶ浦大会」に出席。実行委員においらも名前を連ねているので1度は顔を出さなければと出かけた。登美子さんに会うなり「まぁ、よく来てくれたね。からだ大丈夫」。これで約束は果たした。全国持ち回りで34回もやってきたから発足当時のメンバーはみんな高齢化。その影響をモロに受け会議は年々先細りしている。

会議は今後の運営のことについての議論があったようだがおいらは途中で抜け出す。司会者が「自由闊達な意見を」と呼びかけてもおいらには金魚ちゃんに念仏のようなもの。「自由闊達=自由にお帰り下さい」の意味。80~90年代に鵜の目鷹の目のように発足したこのような組織はどこも疲労制度を起こしている。これからは、次世代に委ねればいい。それがどのように展開していこうが知ったことじゃない―。

久しぶりに土浦図書館に行く。4階のパソコンコーナーに座ったらぐったり。からだが金縛りにあったように動かない。昨日の疲れが今ごろどっと出てきたような感じ。これは家で休んだ方がいいと写真集とDVDを借りてそそくさと帰る。いや、トボトボとした足取りだ。ああ、無情なり。
 
   10月13日(土)

水戸の県民文化会館グリルで開かれた「今瀬文也先生お別れの会」に出席。70名ほどが故人を偲ぶ。顔なじみになが屋門ギャラリーでの企画を売り込む。少しは反応あり。後はアタックだがこの勢いがものすごく衰えた。昔はイケイケドンドンで走り回ったがこれからどうなるのやらー。

会場には知った顔、知らない顔がズラリ。久しぶりに顔を見るが共通するのはみんなそれなりに年寄りになったなぁー。しかし、こういう席に参加できる体力があるだけでも自分の健康に感謝しなければ―。紅一点はかあちゃんの着物姿。それなりのお顔でも着物姿で会場にいるというだけでひときわ目立つ。後で気づいたがかあちゃんの盛装姿を写真におさめなかった。ゴメン、ゴメンなり。

お別れ会の帰り、水戸市内にある老舗木村屋で和菓子を買う。かあちゃんの目がランランと輝く。このために4時間も我慢していたような顔。どんなものを買ったのか知らない。ただ、しばらくはニヤリと笑って口に入れることは確かだ。とにかく、無事にお別れ会を終え一区切りついた。肩の荷がおり今晩はぐっすり眠れそう。「うそだぁー、いつも爆睡しているくせに!」金魚ちゃんの声が届く。とにかく、皆さまお疲れさまでした。、
 
   10月12日(金)

今日は人口透析日。また涙雨が降っている。前回はどうだったのだろうかろ時計を逆回りにブログを見る。前回は5日だった。ここで考えるのだ。自分で書いたブログの過去を振り返って見ることはまったくない。それなら消去、ゴミ箱に捨てればいいと思うがケチだから残しておく。まったくいやらしオジンだ。

透析室には白いベッドがズラリと捕虜収容所のようにならび患者は息をひそめ寝ている。枕元には青い点滅灯が不気味に光っているだけだ。全国、世界で多くの人々が腎不全で苦しんでいることを改めて知る。よく考えてみるとここで治療を受けられるのは支払能力があればこそ。おいらも最初の支払いで会計の女子事務員が平然と「42,000円です」「そんな金は持っていません」。絶句した。

病気になるとお金がかかる。風が吹けば桶屋が儲かるではないが日常生活はそればかり。ああ無常なり!!。無常なりとはいえ今日も無事に終る。それでは皆さま、サラバだ!!。
 
   10月11日

山王姫様―キュウリのお新香が大変おいしゅうございました。まぜご飯もシャキシャキしておいしゅうございました。秘伝とするタマネギの酢漬けもおいしゅうございました。―男子厨房に入るべきと教えていただいたキュウリの漬物のご指導もありがとうございました。裏庭になっているアケビを脚立に昇りパチリと切っていただき大きな房を手土産にいただきありがとうございました。自慢の広い庭には秋の深まりが静かに忍びより少女の初化粧のように色づいたのを拝見させていただきありがとうございました。

上記の「おいしゅうございました」は、1964年東京オリンピックマラソンで3位になり次大会を期待され自殺した円谷幸吉選手の遺書を真似したものです。各界からこれまでで最高の遺書と絶賛されました。おいらが注目したのは「幸吉は、もう走れません」。この一節を読んだとき涙が止まらなかったものです。なぜ、あなたは走らなければならないのか―。

山王姫宅へおよそ1カ月ぶりに訪れる。セピア色の取材とその他モロモロの用件。昼食をごちそうになったりいろんな話題が飛びだし笑いこ焦げたり。おいらは走るのをやめるわけにはまいりません。したがってこれは遺書ではありません。老いてもなお遡上を試みる魚の心境ですぞぉ―。
 
  10月10日(水)

水戸の整復師会館へ。常磐高速道路をスズキパレットは快走。お日柄は秋を満載で快適なドライブ日和だ。おいらは編集会議に出席するために車上の人。よくぞ広報誌が今日まで続いてきたもんだと感心する。そして、この仕事のお陰で年寄りふたり3食を賄えることにフカークコウベをたれる。シャンシャン編集会議はつつがなく終わる。

午前中、ころころ菜園の土起し。どういうわけかアサガオが咲いている。何処から種が飛んできてナスの蔦にからんで可憐な花を咲かせている。ナスもとうに枯れて実をつけてないから苗ごと引き抜いて土を耕そうと思っていたがアサガオがかわいそうなので日延べする。

水戸から帰る時、猛烈な睡魔に襲われる。そういう時はタバコを吸って眠気防止に努めるのだがあいにく車中にタバコなし。極力喫煙を控えようとしているため置いていないのだ。車中は一種の解放区となりタバコをプカプカ吸う。それをやめようと努力奮闘しているのだ。完璧なニコチン中毒者にとって辛いことだが、これも修行のひとつと必死の思いでハンドルを握る。無事に着いて今日もつつがなく終わる。バンザイです。
 
   10月9日(火)

さて、今日を考える。考えても終わってしまった今日をお喋りするような特別なことはなかった。キンモクセイのようなほのかな香りが匂うこともなかった。そういうことであれば、ブログのためにペンならずキーボードを打つくこともせずぼーっとしていればいいのだがそうもいかない。なぜなら、ブログを休まず更新することが今の随一の生きがいとしているからだ。こまったことだ。そう言いながら文字をならべてゆく。そうすると忘れた漢字もきちんとならんでくれる。これもこまったことだ。

いばぶん事務所に行く。今瀬さんの息子に渡す資料を整理。外に出て空を見あげる。空は黙したまま空の顔をしている。時どき笑ったり泣いてみたり。通り雨だ。この雨は逃げ足が速い。音もなくさあーっと大涙をながしたかと思うとすぐに立ち去る。悪さをして逃げるような泥棒のようだ。

泥棒といえばこれまで何度やったことだろう。大中小とあると思われるがおいらの場合はほとんどが小だ。簡単にいえば小者。肝っ玉が小さいのだ。小といっても塵も積もれば山となる。70年も歳月を重ねれば相当な数だろう。運よくお上からお縄をかけられることもなかった。運がよかったとしかいいようがない、ということはこれから先もそういうことで人生は続くのか―。はなはだ自信がないがそうあって欲しいと願う。そういうことで、本日もつつがなく終わるのでした。バイバイ。
 
   10月8日(月)

退院してから満足に本を読んでいない。土浦図書館とも随分とご無沙汰している。時間はたっぷりあるのだからちょっと電動自転車で行ってみようかと思うが体が反応しない。わが家は玄関を出るともう坂道だ。この坂道をペダルを漕いで颯爽と走ればあっという間に着けるはず。自分の美しき姿を想像するが、そこでプツンと切れる。昨日の東京行きの疲れが癒えていない。あの人いきれでまいるのだ。やはり自然が残されている田舎暮らしがすかっかり体に馴染んだようだ。

ミトモ家の系統は運動神経が鈍い。そのため「体育の日」といわれてもピンとこない。かあちゃんの血統はスポーツを得意としている。運動会でリレーの選手になったりバスケやバレーで活躍したそうだ。それは半世紀も前の話で今までその雄姿を見たことがない。きっと永遠に拝むことは不可能だろう。

いばぶん事務所に行き会計の整理。これが一番苦手としているがおいらがやらなければ誰もやってくれる人はいない。そこそこに済ませて今瀬文也前理事長のお別れ会の準備もしなければと考える。さらに、今週の予定をチラチラ考えながらそそくさと帰る。予定といってもそんなにないことに気づく。バンザイです。
 
   10月7日(月)

金魚ちゃん1匹昇天する。これで7匹が残り小さなイノチをパクパクユラユラさせながら息づかせている。大きさはまだ小指の爪先より小さい。それでも生きている。すごいものだ。

暑い日だった。今日は静養日としてころころ菜園の土耕し。休憩の時間が長いかクワをふるっている時間が長いのか問うまい。そうやって日長に細々と金魚ちゃんのようにおいらはハアハアスウーッスウッーと生きていくのだ。

ころころ花壇にろうそくの灯を作ろうと考える。裏山から竹を1本無断で切ってくる。
こういうのを窃盗というのか―。それも問うまい。あれやこれと考えノコギリやトンカチ、大家さんからもらったナタで作業を進める。試行錯誤というのか頭の運動というのかボケ防止というのかクルクル脳みそに刺激を与える。今回も想定したようには出来なかったがそれらしきものが出来たので夜を楽しみにする。それがこの写真。なかなかなもんだとひとり満足。それでいいのだ。

雑然とした部屋を見渡すとまだ扇風機があるというのに寒さに備えストーブまで用意している。連日の寒暖の差が激しいこともある。それはこじつけでただ横着しているだけだ。金魚ちゃん「そうだそうだ」。
 
   10月6日(土)

今日は土浦の花火大会。まちがなんだかソワソワしている。土浦市にとって全国にアピールできる年1回の大イベント。今日のために多くの人たちが苦労しながら準備に追われてきたのだろう。それを思えば花火大会を成功させなければならない。天候次第というハンディを背負っているがそれも味方にしてでも最後までやり遂げなければならない。ところが、前半戦で強風のため中止。これも天命として受け入れるべし。

細々とした雑事をこなす。これといった目的も義務もあるわけではないが始めるとなかなか止まらない。終わってみれば何のためにこんなことをやっているのだろうと思うのだがそうやって1日は過ぎてゆく。その中に金魚ちゃんにエサを与えるのも入っている。体調は少しずつよくなっている感じ。

夜、瑞惠先生より電話あり。展覧会は明日が最終日。「明日、待ってます。無理をしないようにー」。最終日には行くと言っていたが体のコンデション次第では中止しようと思っていた。はやり、瑞惠先生にとって集大成となる個展。何とか頑張って行こう。瑞惠先生との思い出のアルバムを整理する。夜はシンシンとふけていく。。
 
   10月5日(金)

朝食後にクスリを飲み1時間ぐらいするとハラの真ん中が重くなり吐け気がしてくる。しばらく静かにしていると自然に消える。今日は人口透析を受ける日。なんとなく気分が重くなる。人工透析を終え起き上がる時に軽い眩暈。しばらくじっとしていると落ち着く。姫丸子から招待された土浦花火大会を遠慮させてもらおうと決める。姫丸子にメールする。こういう不都合な時は便利なり。

太平洋戦争中、米国に住んでいた写真家の石元康博は日本人収容所に収監された。「写すものがないから雲ばっかり撮っていた」。好きな写真家のひとりだ。静物写真も得意としている。「

―清楚な、あるいは妖艶な、その姿の中に思わぬ”強靭”さを秘めた花の造形に対峙し、凝視し続け、その不思議のひとかけらでも、手元に引き寄せようと、撮影に没入する主人の姿、なりふりかまわず、時には滑稽でさえありましたが、これもやっぱり美しかったと言わせていただきましょうか―。アシスタントを務めた滋夫人の後日談。撮影のため家中花だらけだったという。うらやましいこった。
 
 10月4日(木)

庭の手入れをしていると草むらから思いもよらぬ虫が飛びだしてくる。生い茂った草の間に隠れるように生息している虫を知らぬまま刈り取った草と一緒につまみ出してしまう。名も知らぬ虫はそのままゴミ捨て場に捨てられる。彼の命はどうなるのか―。綱渡りの人生ということはどういうことか。肝心の綱がボロボロで切れそうでもあるうちはいい。その綱が切れたらどうなるか―。虫たちにとって雑草に潜んでいることがイノチの頼み綱だったわけだ。それを断ち切ったおいらの罪はどうなるか。ウム、これは難しい問いだ。保留にしておこう。

大工仕事をやる、といっても素人大工だから作業は想定したように進まない。そのうちイライラして寸分も狂いもなくという目論みを捨てる。とにかく形になり使用できればいいやということになる。とりあえず、ここ数日頭の中で考えていた小さなデスクが完成。ひとりで悦になっているとかあちゃんニヤニヤ。金魚ちゃん黙して語らず。

体調は可もなく不可もなし。順調に回復に向かい「完治橋」を渡りきることができるのか―。それなりの人生と思い流れにまかせることにする。つくば文化郷で計画していたことの軌道修正であちらこちらにメール。返事はどうなのだろう。わからない。わからないことばかりで本日も終わり。さよならだ。
 
   10月3日(水)

根本氏と東京で開いている「加藤瑞惠個展」を観に行く。根本氏が運転する車に揺られてだからすごく楽ちん。銀座のどまん中で堂々の集大成ともいえる個展は圧巻だ。ここまで休まずに絵画活動を続けてきたパワーに圧倒される。会場には純章先生も顔を見せている。久しぶりにお会いしたが少し痩せたよう。でも顔色もよく元気そうでなにより。瑞恵先生にぜひ、つくばでの開催をお願いする。

帰り築地の場外市場で遅い昼食。根本氏においしい魚料理をごちそうになる。ごちそうさまでした。この界隈をブラブラ歩いていると大都会の近代的なビル群から取り残された一角で、それでもとばかりに庶民の活気に満ちた生の息吹が感じられ何となくホットする。

帰宅すると姫丸子からたくさんの差し入れがあったと興奮気味でかあちゃんが吠える。吠える、まくしたてるという表現がふさわしい。いつもありがとうございます。やはり、東京は疲れるのかぐったりする。病気は少しづつ回復しているのだろうが体調は一進一退の状態。金魚ちゃんにお休みなさいとラブコールを送りそそくさと布団に潜り込む。みなさまお目々を閉じてお休みなさい。
 
   10月2日(月)

どういうわけか体調が優れない。ハラが重く気怠くさっぱりしない。朝食後、病院から処方されたクスリを飲む。しばらくソファーで休む。目を閉じておいらのハラは何を考えているのだろう―。ぽっかりふっくらハラをなでながらぼーっとする。すると、ハラがくしゃみをしたように嘔吐が襲う。まだまだトイレとの縁戚関係は断ち切れないようだ。

そんなわけですっきりしないまま1日は終わる。今日の終わりがあれば明日の始まりがある。終わったことはいい。明るい希望がある明日に期待しよう。さて、明日はどうして過ごそうか―。ゼロでいいと思う。ゼロからのゼロへの間に見えないものが見えるかもしれない。それでいいのだ。ここしばらく本を読んでいない。テレビもチラチラパンティーのようにしか見ていない。じゃあ、何をしているのか―。答えよう―「限りなく無限なる偉大なるぼーっ」。ああ、これが真実のおいあらなり。恥ずかしくないのだからすごいものだ。

二ランジョンからメール届く。左写真の右男性は二ランジョンの父親。右写真はどういうわけかポーズをとるカミさんことオロニカ。
 
  10月1日(日)

台風一過の澄んだ空を見ようと夜明け前に霞ヶ浦湖畔を目指して歩く。空は激しい真っ赤に染まり今日のハッピーな幕開けを知らせているようだ。実に美しい。しかし、その美しさも数分だった。岸辺に立つ前に消える。そこでそそくさと引きかえす。夢中で歩いて疲れたのだ。まだま体力あ小学生並みのようだ。

人工透析に行く。会計をしていると思わぬ人と会う。常陽新聞社時代の仲間ミワちゃん。現役のころから病気がちだったような気がする。昨年と一昨年は死にぞこなったという。東京医大には15年世話になっている。ヘビースモーカーだったが今はやめた。盛んに禁煙をすすめる。ニコチン中毒者としては耳の痛いアドバイス。それでも入院をしてから極力減らしていると話すと「いや、絶対やめるできだ!」。あれこれ話して別れる。

病院で処方してもらう薬は奥井薬局で受け取ることにする。久しぶりに登美子さん夫婦に会う。どちらも元気そうでなにより。登美子さん水郷水都会議で張り切っている。継続とは力なり。おいらはすっかり関心が薄れた。新聞社時代、あんなにのめりこんだのは何だったのだろうと金魚ちゃん訊く。飼い始めて2日目ということもあり会話成立せず。金魚ちゃん1匹水槽からジャンプしすぎて落下、死去。現在9匹なり。
 

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