怠惰な散歩  2018年

    9月30日(日)

悪夢の9月は今日で終り。過ぎてしまえばあの高熱と下痢に悩まされた1ヶ月はなんだったのだろう。消滅した時間であるがいつまでも脳みその片隅に記憶されてフト思いだしたりするのだろう。

いばぶん事務所のオーナーに神郡まで会いに行く。4月~11月限定オープンしている「CKURA KOFFEE」で待ち合わせ。ゆったりオーナーは約束の時間になってもなかなか現れない。眼前にそびえる筑波山の頂きも雲に隠れ見えない。ゆったりした雲がどこかに消えに双峰が顔を出した時にオーナー颯爽とやって来る。大病を患ったが足取りはしっかりしており順調に回復しているようだ。

いろいろと相談をする。まとまったこと先のばしにすることなどを話し合う。これからどういう絵がキャンバスに描かれるかわからない。おいらはとにかく楽しみたいのだ。帰り金魚ちゃんを買う。10年ほど前は1匹25円だったが今は38円になっている。どれぐらい小松町で生き残れるかわからないので10匹を購入。さて、どんな逆境にもめげず何匹生き残れるか―。見届ける前においらがドタキャンでこまる。みんな元気でそれなりにガンバルのではなくガンパロー。お休みなさい。
 
   9月29日(土)

第4回流山市立小学校運動会を兄夫婦など6人で見に行く。おおたかのもり駅周辺は急激な人口増加地域。そのため児童も1年生で250人で8クラスあるという。台風接近中で運動会は「雨天用プログラム」で行われ午前中のスケジュールだけに変更。それでも多くの人が熱戦を見守っていた。リレーに出場する玲奈ちゃんの雄姿をバッチリ撮ろうと思ったが顔もよく見えず速過ぎて失敗。それでも元気な双子ちゃんを見て安心。

リレー競争に選ばれ走った子どもたちは誰もが真剣そのもの。ここまで無事に育ち力いつぱい駆けることができるようになっただけでも素晴らしいことだ。健康ということを身につまされる。山王姫は1ヶ月入院したら完全回復までその倍2ヶ月は必要という。やはり本当のようだ。運動場をスロースローでブラブラするがやはり疲れて体が怠い。

キョロキョロと会場で見かける若いママさんたちは茨城と比較すると何となく洗練されている。東京に住んでいる時も電車で見かける女子高校生は違って。いわゆる山手線の内回りと外回りの違い。同じ東京に住んでいても都会と田舎が区別できるのを不思議に思っていた。ママさんたちはどこかあか抜けた雰囲気を漂わせている。きっと諸般の事情で東京から逃亡してきたお土産として身につけているのかも知れない。今日の我々のお土産は心地よい疲れ。ああ、疲れた。
 
   9月28日(金)

初めて外来で人工透析を受ける。空は秋晴れだ。明日もこんな天気ならあっこの子どもたちの運動会は行われるだろう。台風が接近しているというが一日だけ遅刻してもらいたい。この場合の遅刻は許される。なにしろロシアのプーチン大統領は首脳会議でも1、2時間の遅刻をするそうだ。それに倣うのだ。

朝早くから芝生の手入れ。1ヶ月も放置していたら思う存分背伸びして10センチほどまで伸びている。ここまで気ままに成長すると芝刈り機を押してもなかなか刈れない。それでもお天気は庭仕事には寒くもなく暑くもなくちょうどいい。想定したより作業がはかどる。

さて長かった入院生活から解放され自由の身となりこれからどう過ごそうかと考える。これといった秒案は浮かばない。やはりころころ花壇を眺めながらぼーっとしていよう。ポカリと思いつき次にステップできるかもしれない。透析を終え帰宅すると石岡の山王姫が退院祝いのお土産をどっさり持ってきてくれる。感謝、感謝です。縁起のいいフクロウのマスコットにお赤飯と快気祝いまでいただく。重ね重ね感謝。このお礼重箱は何段重ねか数えきれないほどです。ありがとうございます。
 



 9月27日(木)

涙雨が降る朝、晴れて退院する。後ろを振り向きたくないが顔を横に振り病院を見る。この中で1ヵ月とらわれの身となっていた。その理由は潰瘍性大腸炎の治療のため。生まれて初めての入院生活だったがそれなりに得るものがあった。

自宅に帰りころころ花壇を見る。花々は雨にうたれ健気に咲いている。そうだ健気にだ。この雨では草取りはできない。後日の愉しみにしようということで雑多な整理。70歳も越したので整理となると人生のたな卸し。あんまり棚にはモノがないようだが、それなりに引っ張り出す。

夕方、姫丸子が土産をどっさり手にして来てくれる。「よかった、よかった」の連発。ありがたいことだ。花火大会はいつもの席を確保したという。おいらの体はまだ本調子ではないが、あと1週間もある。それまでしっかり快復させなければと思う。


 
   9月26日(水)

朝から空はどんより曇り、時おり小雨ぱらつく。それでも傘をさして病院周辺を歩く。歩きながら退院できることの歓びを噛みしめる。「退位」する人もいる。「退院」とは雲泥の違いだが、やはり自由の身になりたかったのと考える。

病院内で書いたものや写真の整理をやろうと意気込んでみたがロクなものがない。とうとう「老子」は読み切れなかった。やはり、病院というところは読書には適したところでないようだ。

病棟のあちらこちらを見て回って気づいたことはお花を飾っていないことだ。生花は場所がら無理だろうが造花でもと思うが少ない。忙しくてそれどころではないと一蹴されそうだが、ぱっと目に飛び込むお花がないというのは寂しい。
 
   9月25日(火)

朝の回診で先生が「葵のご紋」を示し、「木曜に退院しても大丈夫です」。涙がでるほどうれしい。昨日の回診で「希望の光を下さい」と、お願いしたのが効いたのか―。

若い女の看護師が採血やインシュリンをしてくれる。お肌をしみじみと見る。お肌はつきたての餅より白くてやわらかくきめ細かく美しくほのかな匂い。まつ毛を見るとモノサシで計ってそろえたように長さ。仕事柄、派手なマニキュアはしていない。総じて華奢で細い指をしている。すらりとした足といい団塊の世代が若かったころとは明らかに違う体型。うらやましい限りだ。

さらに気づいたのはいやに敬語というか頭に「お」をつける。「お通じ」「お食事」「お迎え」「おトイレ」「おくつ」「おなか」などなど。「お迎え」だけは「あちらさま」を指すようでいただけない。。
 
    9月24日(月)

病院内にはさまざまな標語が貼られている。いちばんと目につくのが「敷地内全面禁煙」。どんなコピーが書かれているだろうと禁煙パイポを吸いながらブラブラ徘徊。「タバコ止め うれし恥ずかし 禁煙席」「たばこやめ 妻の料理の 味を知る」「まだ吸うの! 聞かれるうちは 愛がある」「喫煙所 探し疲れて もうやめた」………。

ほかにもある「STOP!暴力」「暴言」「暴力」「悪質クレーム」―いかなる暴力も絶対に許しません!―。残念ながらおいらの病棟にはそんな行為に走れるような元気な患者はひとりも見あたらない。

あるアンケートによると、米国は9割近くが「自分は健康だ」と答え日本人は4割以下だそうだ。自分の健康の表裏をどちら側から見るか。おいらは間違いなく表側から。そういうことで早く退院させてください。どうか水戸黄門の「この紋どころが目に入らぬか!」をお願いします。今宵は満月。しっかりと病院で見ました。
 
  9月23日(日)

阿見第一小学校では運動会。君が代斉唱が聞こえる。いったいどれぐらいの人たちが口をあけ歌っているのだろうか―。小学生のころ、体育館で何度も練習させらたことを思い出す。ここ数年、君が代を歌ったことがない。

10時過ぎ、自宅へ帰る。その前にジョイフル本田に立ち寄り買い物。お花売り場を見る。入院生活を送っていうるちに売り場はすっかり秋化粧。秋野菜も苗などもあり畑を耕して植えたい衝動にからわれるが我慢する。わが家の畑はミニミニだがそれなりに体力が要求され消耗する。ここはガマン、ガマン。

午後は、ころころ菜園の草取りをかあちゃんとやる。大きなトマトやナス、雑草が背伸びして繁茂。さながら運動会の運動場のようだ。作業時間は1時間と限定。延長も切りあげもない厳守だ。かあちゃん野良着スタイルで頑張りとうちゃんもそれなりに頑張る。この場合ばおあさん、おじいさんと書くべきだと金魚ちゃんの声が聞こえそう。だが、とうちゃんと同じでかくも長き不在なり。退院したらまた飼おう。草取りの方は予定通りに終了。病院に早めにご帰還。こうして今日も終わるのです。さようなら、お休みなさい。

 
  9月22日(土)

62円の切手1枚買ったら40円しか残っていない。「4」という数字は病院ではタブーではないかと確認する。病室は「3」の次は「5」で「4」を飛ばしている。エレベーターにはしっかり4Fがある。人工透析室のソファーには14人が座り順番待ちしている。その廊下に飾ってある絵が一番好きだ。

東京医大病院に展示されている絵を見て歩く。同大学写真部の写真も展示してある。カラーとモノクロ20点ほど。作品の感想は遠慮させていただきたい。医療従事者はやはり患者の病を癒してやることに専念するべきか―。四国に緑川洋一という写真家がいた。瀬戸内海の風景写真を得意としフィルターの魔術師と呼ばれていた。本業は歯科医師。「本日休診」の看板を出しては写真を撮っていた。歯の痛さに耐えられず顔をしかめやってきた人は歯痛と「本日休診」腹立たしさで痛さが倍加したのではないか。見るに耐えられる写真があると思ったらレントゲン室の廊下。よく見ると富士フィルム提供。ありがたいお客さまにメーカーはしっかりと寄贈。

寄贈された絵画もたくさん展示されている。気になった暗い照明の場所に沈んだ暗黒調の絵が飾っている。こういう場所は明るい絵がふさわしいのではないか。特に1階会計そばにある絵は裏手の「ぼたん」の絵と交換したほうがいい。余計なお世話かも知れないが―。
 
   9月21日(金)

朝から小雨ぱらつく。昨晩はトイレ回数が少なく楽だった。順調に病状がよくなっているのを実感できる。朝の回診で先生が来週には退院のメドがつくのではと光明が射す希望的なお言葉。おもわず敬語を使いたくなる。ルンルン気分で3回目の人工透析を受ける。何かトラブルがあったようで予定時間を超過。それでもルンルン気分で終わる。来週の月曜日にははっきりしたことが決まりそう。

人口透析を受ける部屋は白いベッドがズラリ。それに枕もとに異様な機械と何本ものチューブがぶら下がり赤い血が見える。何度も目にしたくない光景だ。透析を受けている人はみんな冬眠しているようだ。

横綱対決の一戦と注目が集まった稀勢の里は予想通り白鵬に敗れる。相撲の世界は勝つか負けるかの二つしかない。あいまいな日本人といわれるがスポーツの世界は白黒がはっきりしている。おいらの病気もはっきりと良くなり「白」という刻印を押してもらいたいものだ。「当院としては大切なお客さまを失うことは残念でありますが、とりあえず退院おめでとうございます」。そうなってほしい。
 
   9月20日(木)

男性はひとつの部屋にとじ込まれるといかに脱出しようかと考え、女性はいかにこの部屋で快適に過ごそうかと行動するそうだ。男女の精神構造違いについて述べた本を大昔読んだことがある。入院生活も20日、シングルベッド1台と少々のスペースでいかに満足のいく入院生活を送れるか―。なにか考え方が女性的になるようになった。

ただぼんやりとベッドで過ごす。勇んで持ち込んだ本を読もうという気力がわいてこない。ある人が入院したのでヒマだろうからと数冊の穂を差し入れたことがある。後で聞けばタイトルを見ただけで開くことはなかったと話していた。その気持ちがようやくわかった。

大相撲中継を見ていたら、いざ稀勢の里の取り組みが始まろうした時にテレビカードがチャージ切れ。慌ててラジオを聞く。大一番らしいが稀勢の里が勝つ。勝てばいいのだ。横綱が勝てばおいらの病気も早く治るというものだ。だから勝ってほしい。明日は白鵬戦。力関係から負けるだろうが、それでも勝ってほしいものだと祈る。
 
   9月19日(水)

外出許可をもらいわが家に帰る。用紙には何のために外出をするのかという記入欄がある。「気分転換」と書くのが通例となっているようだ。東館5階の病棟には外出できるような患者は入院していない。ほとんどが寝たきりで明日への希望が見えない。そのせいか全体に暗く沈んでいる。救いは若い看護師、準看護師、学生が入れ替わり立ち替わりやってきて明るい黄色い声が聞こえることぐらい。

さて自宅はどうか―。ジジババが草取りをする。弾んだ元気な声は聞こえない。「うんこらしょ、どっこいしょ」「ああ疲れたひと休みしよう」。それでもいいのだ。花は黙って咲いている。

かあちゃん、おぶちゃんとおばあちゃんの墓参りに行く予定だったが中止。「おぶちゃんも疲れているのだから無理をしないほうがいい。お墓は逃げないだろうあから―」予定が狂ったかあちゃんはしばし茫然。どうしても受け身の生活をしているからこういうことになると辛い。そんあことになことに構っていられない。5時まで病院に帰らなければならない。さっさっとバイバイする。
 
   9月18日(火)

新聞広告に「ウンコひらがなドリル」子供の食いつきがスゴイ!。そこで自分のウンチについて考える。作家の武田泰淳は戦後の食糧不足の中、暇を持て余すように本堂でお経をあげていた。ひとり娘の花はハラを空かして泣きじゃくっている。そうこうしているうちに花はウンチをして自分のウンチを食べ眠ってしまった。日本人はそれで黄色人と呼ばれるようになったのではないか、とエッセーに書いていた。

自分もそのひとりとしてしっかりウンチを見る。まだゆるいのが疲れたような表情を浮かべ顔を出す。どっさりもっこりという充実したウンチとはここ1ヶ月対面していない。あの自信に満ちた顔でこんもり山をつくるウンチは何処へ行ったのでしょうね。「たかがウンチ、されどウンチ」ということで、只今奮闘中なり。

午後、かあちゃんリックを背負い来る。明日、自宅に帰ることと退院のメドを伝える。かあちゃん明日はおぶちゃんとおばあちゃんの墓参りに行くという。おいらはころころ花壇の手入れをやりたいだけだ。庭にビニール座布団を敷きどっしりお尻をのせ雑草を取る。夢中になりウンチとの闘いも忘れてしまう。そういう日があっていいと自分を納得させる。追伸:サイコロの目、丁と出ず。
 
   9月17日(月)

2度目の人工透析を受ける。ここのお休みは原則的に日曜日だけ。土・祭日も受け付けている。エライもんだ。20床は全部うまっている。腎臓の透析を受けている人はおよそ4時間を要する。おいらは1時間で終わる。汚れちまったおいらの血液をサラサラきれいにして悪さをしている菌(?)を退治するのだという。エネルギー不足の血液でなかなか回復が進まないということの処置。10回を予定しているが早い人は3回ぐらいで良くなるという、そうあって欲しい。

人工透析が終わると看護師が車椅子で迎えに来てくれる。車椅子を利用するほどでもなく歩けるのだがせっかくだからと乗る。いつかどこかでこういう生活がやってくるのだろうか―。そうでならないであって欲しい。

看護師の話しでは明日の血液検査の結果次第では通院になるのではー。希望ある言葉をいただきうれしくなる。しかし、これは分からない。先生の判断に委ねられている。胸三寸でどっちに転ぶかわからない。丁半のサイコロのようだ。丁と目を出して欲しい。
 
   9月16日(日)

自宅へ帰る。こrころ花壇はお花が真っ盛り。いいもんだ。残念ながら病院ではこういう心地良さを味わえない。おいしくない病院食なら味わえる。かあちゃんところころ花壇の草取りをする。陽気は暑くもなく寒くもなくちょうどいいあんばい。ただ、体力が弱っているからほどほどにしなければならない。実に静かだ。近隣には大きくてりっぱな家が建ち並んでいるが閑静を通り越して死んでいる。物音ひとつしない。もちろん、人影などまったくない。

こういう住宅地は日本全国にたくさんあるのだろう。そして、地球に誰もいなくなったではこまるのだろうが、そういう未来がヒシヒシと迫っているような気がする。5時まで病院に戻ることになっている。早目にかあちゃんと家を出る。稲刈りを終えた田んぼが車窓から見える。おいらの9月のカレンダーはまっ白。長い人生にはいろんなことがあるもんだなぁーとつくづく思う。
 
   9月15日(土)

朝食を食べ終えて14個のクスリを服用すると猛烈な眠気に襲われ暗闇の世界に引き込まれ真っ暗な世界をひたすらぼーっと眠りこける。不思議なことに必ず目を覚ますのだ。

帰らざる夏上巻を読み終える。下巻はいつになることやら。老子は部屋の片隅で鎮座している。

「花が美しいと感じるのは、情緒であり、愛だ。花が美しいと感じる時は、ただ花を見ているだけではなく、自分が花の中に入った時だ。花と一つになった時だ。花を愛したのだ。愛というものは、ただ見て、眺めている時には存在しない。その中に入って一つになった時、はじめてそこにあるものだ」(小林秀雄)

 
  9月14日(金)

はじめて人口透析を受ける。透析ルームで1時間ほど仰向けになり血管に2本のチューブを差し込んでじっとしている。沈思黙考。何を思い考えるのか。決まっているではないか静かに世界の平和を祈りかあちゃんの幸せと健康を祈る。

隣りのおじいちゃん個室に移りいなくなる。5人部屋だが2人だけとなった。がらーんとなったが仕切りカーテンがあるせいか以前と変わらない感じ。入院患者の出入りや部屋移動が多いのはどういうことだろう。深く考えなくていいのがヒマだからつまらないことを考えてしまう。例えば、隣りの人のイビキの音色が美しくないからベッドを替えてほしい―。バーカみたい。

篠山紀信「僕たちに写真は、その時の一瞬、かけがいのない一瞬を捉えるんです。その一瞬を知っている人と、あとでどうにかなるという人じゃ、全然違う。話しのレベルが違うわけです」。写真家、終りってことですか?「あ、終りです。最後の写真家です。デジタルの人はね、写真家とは違うね、新しいジャンルの人たちだね」。大いに同感する。「スマホのカメラで撮ることもあるけれど、それより言いたいのは、写真もツイッター化し、思考が深まらない世界にどんどん単純化しているいっている」藤原新也の言葉。まったく同感。
 
   9月13日(木)

午前中、隣りのベッドに入院している患者が退院した。老夫婦ふたりが風に吹かれ静かに消えていった。1週間ほど隣り合わせの生活を送ったが話したのはわずか。看護師は入退院を多く経験しているから実にスムーズに送りだし次の入院患者に備え準備をする。そこには感傷に浸ることなく実にあっさりしたものだ。

午後、隣りのベッドに新しい患者がやってきた。新しいというから若いとは限らない。満足に体も動かせず会話もできないおじいちゃんだ。杖をついたおばあちゃんが付き添っている。年齢はどちらも80代のようだ。おばあちゃんは女の看護師に「舞妓さんのような顔をしているね―」「………」「ゆっくり治してね、治しておうちに帰ろうね―」若く甘ったれた励ましの声。1枚のカーテンに遮られ姿は見えない。

「治しておうちに帰ろうね―」の言葉が重く響く。おじいちゃんの様子から帰ることは生を閉じてからという気がする。「家族を呼んで下さい」といわれ集まってきた暗く沈んだ人たちを入院してから何度も見てきた。病棟の患者は圧倒的に高齢者が多く笑顔で退院という期待は少ない。ナースステーションではピチピチ弾んだ若い声が広がっている。希望と絶望が交錯している。
 
   9月12日(水)

今日も朝を散歩。茨大農学部とは反対のカスミ方面を病める老人ウロウロ。大腸の調子が悪いだけでほかはいたって元気だから歩くのは大丈夫。それだけに体力を持て余している老人といってもいい。余分なエネルギーがあるならもっと生産性のあることに費やすればいいと思うが、今は病院の囚われ身。腕にはIDナンバーがついたバンドが巻かれつまらないことをやらないようにと監視されている。ああ、無念なり。

午後、外出許可をもらい自宅へ帰る。ころころ花壇にお花がたくさんの咲き美しい。心の奥に爽やかな清涼飲料水のシャワーを浴びたような気分になる。お花は文句なくいい。いろいろと雑用を済ませる。たいしたことなく、ただメールをチェックをしただけ。水郷水都会議の知らせがたくさん届いている。

退院したらどういう生活を送ろうかと考えるが暗いことばかり。まずは、人生の棚卸しをしなければならない。数十年にわたる庶民のひとりの歴史など耳カスみたなものだろうが、それなりの思い入れもある。どうなることやら―。
 
   9月11日(火)

朝食前、茨大農学部のキャンパスを散歩。朝露に濡れた緑の木立が美しい。「パチリパチリ」と聞こえるのはシャッターを切る音だけ。キャンパスは静まりかえっている。今ごろ、学生たちはヨダレをたらして眠りこけているのだろう。それでいいのだ。

かあちゃん来る。病院近くのカスミに買い物に行く。途中、かあちゃんに電話が入り、おぶちゃんが土浦に来ているので病院まで迎えに来て自宅まで送ってくれるという。ありがたいこどだ。感謝、感謝。

雲龍からお見舞いの電話あり。山王姫に近況を報告。とにかく、これまで計画していたのが一切中断している。退院したらすべて仕切り直しだ。
瑞惠先生から展覧会の図録が届く。ユニークで何とも楽しくなる出来栄えだ。人生、楽しくなければつまらないのだよ。
 
   9月10日(月)

朝6時ごろ、検査のため採血。ところが看護師がうまく針がさせなく4度もやり直す。若い看護師には朝早過ぎ寝ぼけているのか夜勤明けで頭がぼーっとしているのか―。失敗するたびに「ごめんなさい、ごめんなさい」何度も謝る。「自信をもってやって下さい」と、痛いのをガマンして笑顔で励ます。

回診の先生、採血検査から「一つの数値がどうしても下がらない。次のステップとして透析をやります」「はいわかりました」。透析といわれてもよく意味がわかっていない。「とりあえず、お通じは1日3回、便もしっかりしたものになるように頑張りましょう」。ウンチはほどほどに固くなったが回数が多い。これが問題だ。問題を解決してもらわないとこまるのだよ―。

『ウンチとオシッコを制するものは世界を征する』。この病棟は消化・泌尿科の患者が多い。そのせいかトイレの出入りが男女を問わず多い。おいらもそのひとりだ。排出前にうまくトイレにたどり着き白い便器に座れると便器が神さまが見えてしまう。山の神、森の神、水の神…。高天原の神々に一つくわえたい。ほほ笑み返しの白い陶器。
 
   9月9日(日)

朝早く起きて庭の草取り。留守のあいだかあちゃんが草取りをやってくれているがとても追いつくものではない。そこでおいらの登場となる、といっても病床の身、用心用心、火の用心と作業を進める。まだ、5時をまわったばかりで空がようやく明るくなってきた。この快適な朝の空気は実に気持ちいい。1時間ぐらいやってやめる。まだまだ続けたいが体力のことを考えほどほどにする。

さて、本日は何をやろうかと頭をひねるがぼーっと曇った世界が広がるばかり何にも浮かんでこない。それならしょうがないと自慢のころころ花壇を眺めながら過ごすことにする。「花は究極の美」と多くの著名人がいっているが、おいらも年寄りになってから感じるようになった。

花たちに

あなたは
なにも語らず咲いている
野辺にも
路地裏にも
庭先にも
玄関わきにも
咲きし咲くべくことを
天命と信じ
何も語らず
黙すことさえ拒むように
あなたは
ただ、咲いている
 
   9月8日(土)

一泊帰りの許可を得て自宅へ帰る。風呂に入りさっぱり気分で昼食。久しぶりに日本そばを食べる。病院の食事に麺類はこれまでなかった。それだけに美味しさがひとしお。味わって食べようとよく噛もうとするがツルツルと入るから歯ごたえはなし。あたりまえだ。

月曜日に血液検査をして結果がよければ退院となる。12日ごろには無事退院できるのではと踏んでいるがどうなるのやら―。病院は静かで雑音が入らないから快適に過ごすことができるが、やはり自分の家はいいものだ。自宅に戻りたいという入院患者が多いというが納得。

メールを見る。秋田のカンちゃんと吉瀬のオーナーから届いている。心配してくれる人がいるということは有難いことだ。水郷水都会議のやりとりのメールがたくさんきている。実行委員に名前を連ねているから明日の会議に出席しようかと考えているが体調がよければということにしようと思う。夕方には病院に戻らなければならない。空っぽの金魚鉢はやはり淋しい。退院したら金魚ちゃんを買いに行こう。亡くなった金魚地ちゃんは1匹25円だったが値上がりしているだろうか―。そして、何匹生き残り育つのだろう。楽しみだ。
 
  9月7日(金)

朝6時に起きて病院の周囲を50分ちかく歩く。昔、阿見町の要覧を作るために1年ほど町内をグルグル回り写真を撮った。そういうこともあり地理には少し明るい。阿見には世話になっていることがもう一つある。新聞社の1回目のリストラで職を失った時、自宅から近いということで阿見区域で新聞配達をして塗炭をしのいだ。さらに、ヤギ一家とも知り合い縁ができた。どうしているだろう、ヤギちゃんたちは―。

昼前、兄夫婦がお見舞いにきてくれる。今年の夏はきつかったとみんなで口をそろえる。義姉は救急車の世話になったという。みんなお年寄りなのだから無理をしないで体に異常を感じたら早めの対策をーということで別れる。

病棟は実に静かだ。兄は何度か取手協同病院の世話になったが「あそこはざわついていたが、ここは静かでいい。スタッフも多い」。入院患者1人に医師のほか7人の看護職員などが担っている。若い姉ちゃんがたくさんいる。大学病院だからだろうか―。 
 
  9月6日(木)

台風21号の影響で大きな被害を受けた関西地方のニュースを見ながら「大変だなぁー」。まるでどこか遠い国の出来事のように受け止め見ている。そしたら、今日は北海道で大きな地震が発生。日本列島は南から北まで連続パンチを浴び満身創痍。おいらは病院のベッドでのほほんとテレビを見ながら「大変だなぁー、大変だなぁー」の連発。

ベッドに寝ころんでテレビを見るかぎり被害の状況が実感として何一つ伝わってこない。自然という生き物の猛烈な生きざまをライブで見ているようだ。その影響をまともに受けた人々は右往左往。それを、ぼーっと見ている。天と地の違いのようなものが一緒の存在して進行しているということを考えるがわからない。

下痢気味のウンチは続いているが、何となく回復に向かっているような気がする。そう、希望的観測を自分に植えつけ「大丈夫だぞ」とハレのメッセージを送っているのだ。 
 
  9月5日(水)

外出許可が下りたのでわが家へ行く。かあちゃん、心配だからと迎えにくる。タクシーで3000円余。バスで帰ろうと思ったが意外と外はむし暑かった。病室のベッドの上で寝たり起きたりしていると外の空気の匂いや温度がわからない。他人と煩わらしさもなく、三食昼寝医者付きとなれば快適このうえない。ここで登場するのがお金の問題。やはり世の中、生き抜くにはお金が重要なことを思い知らされる。なんとかかあちゃんにがんばってもらおう。「なんとかなる!!」。女は強い。

久しぶりに見るころころ花壇の花たちはみんな大きくなっている。それなりに雑草も生えている。草取りをしたいが体力を考えてやめる。病院で書いていたブログをまとめてUPする。誤字脱字が多いだろうと懸念するがどうでもいい。とにかく8月は終わったのだ。「新・死の位相学」吉本隆明(春秋社)を本棚から取り出してバッグへ。さあ、病院で読めるか怪しい。 
 
  9月4日(火)

点滴スタンドから解放される。栄養剤がなくなり潰瘍性大腸炎だけの点滴となり20分ぐらいで終わる。ひも付き生活から解放されると歩きまわれる範囲が広がる。もっとも病院内と周囲の一部だけだが自由に歩けるというのは素晴らしいことだ。

歩いて10分ほどのところにあるカスミに行く。ここには本屋さんがありそれなりの品揃えをしている。そこで新書判を1冊買う。クルマがあればブックランドに行きたいがそうはいかない。開放されたといっても病気の方は一進一退だ。

回診で先生は、今回の潰瘍性大腸炎は症状が悪い方の部類に入る。そのため腸内の炎症を抑えるまで時間を要する。今、やっている点滴の効果も良い数値は出ている。退院となるには下痢のような便がある程度固くなるのを見届け服用薬を使用することになる。まだ、様子を見ましょう」。ともかく明日は一時帰宅することになった。楽しみだ。 
 
  9月3日(月)

 昼に重湯(米を炊いた上澄みの糊状の汁)を食べる。さらに超薄味の中身不明スープ、デザートにカゴメの「野菜生活」。ほとんど水分だけ。歯ごたえなんてあるわけがない。ともかく、今日から一般食に移行してゆく。食欲も出てきたから回復に兆しが見えてきた。重湯を食べ終えたらかあちゃん来る。実に7日ぶりの食事。ただ、感動。

少し元気になると体をもてあます。ベッドで横になりじっとしているのが苦痛になる。それでは襟を正して「老子」を読むか―。手に取る。パラパラとページをめくる。出版元のちくま新書は学術書を専門としているではないか。やはり、おいらには無理だ。それでも読んでは眠り読んでは眠り時間は過ぎる。58講「知はどうでもいい。民衆は腹を満たし、骨を強くすればよい」。入院1週間で腹が空き骨も細くなりました。 
 
  9月2日(日)

昨晩も下痢の回数が多かった。点滴スタンドを持ってトイレに駆け込んでいては間に合わない。そこでベッドのそばにオマルちゃんを置いている。ウンチが柔らかいといより色のついた水。そのため、目の前のオマルちゃんも間に合わないこともある。そうすると、あちこちに散ったウンチの始末。今はこれといった仕事をやっていないから、これを仕事だと思ってやればいいかー。

朝の回診で昨晩の戦いを報告。「腸炎がおさまらない」即座に答える。いろいろと説明を受けるがぼーっとしていてわからない。最後に先生「すみません」。ジクたるものがあるのだろう。明日から治療法が変更になるかもしれない。

そうだ、今日はおいらの誕生日。70歳になった。もう、十分生きたような気もする、もう少し生きたいという気もある。もう少し生きてもいいよと許されるよううな気がする。休日の病棟に見舞客もチラリチラリやってくる。5F東棟には二人の危篤患者がいる。ひとりは明らかにチューブ老人。もうひとりの患者も老人。家族を呼んでくださいと先生に言われたのか2日前から人の出入りが多い。静かに、死ぬのを待っている。そんな空気がロビーに漂っている。

今日は朝から曇り。暑いのか涼しいのかわからない。芥川賞を受賞したという「送り火」を読む。読みにくい文章だ。描写力は圧倒的。人は沈黙という楽園を探しているのかもしれない。その過程で個人の暴力、国家の暴力の介入が大きな口をあけて待っている。 
 
  9月1日(土)

どういうわけか今日から9月となる。そして夕方には雨が降る。病院は土曜日の午後は休診ということで来訪者も少なく静かだ。昨日、かあちゃんにランダムに持ってきてもらった本。入院の備えてもってきた本。病棟のサロンから借りてきた本。ヒマにまかせてそれこそつまみ食いするようにあっちの本をパラパラ、こっちの本をパラパラ。まるでページ送りのゲームをやっているようだ。

やはり3食メシ抜きというのは辛い。それに時間のリズムが狂ってくる。朝ごはんを食べて数時間後には昼食。それから午後の時間を過ごし夕食となる。3食メシ抜きだとどうなるかといえば区切りとなる食事時間がないから時間は無制限につながっている。おいらは所在なく時間に身を委ねているしかない。

外は雨が降っている。そして、ひとりの年寄りが潰瘍性大腸炎を患い病院で治療を受けている。そして、病棟5階の窓から雨が降っているのを見ている。ころころ花壇はこの雨で生気を取り戻しただろうか。この雨は年寄りが潰瘍性大腸炎とはまったく関係ない。近い親戚で遠い親戚でもなくまったく関係ないのだ。素晴らしいことだ。
8月だけはなんとかUPしました
 

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