怠惰な散歩  2018年

   ■3月31日(金)

今日で1週間入院している。69年目にして初めての点滴スタンドというひも付き生活を経験。「モップ片手に―」「点滴スタンド片手に―」。いろんなことを体験させてもらったが「棺桶の中で」だけは未到達。いつまでも眠っていればいいのに朝になると目を覚ます。

昨晩も下痢の症状のひどく苦しめられた。回診の先生に話す。昨日から飲みだした栄養剤がまだ胃に慣れないようだ。しばらく様子を見ましょう。「一般食」への切り替えは来週初めに延期。残念無念。少しは歯ごたえのあるのを食べたい。それに備え一日3度も歯磨きをしている。これまでは一日3分1回だった。今さら回数を増やしたからといっても遅し。ヒマなのだ。ヒマをどうやって潰すか苦労をしている。。

かあちゃんにランダムに新書版を持ってきてくれと頼む。本を読んでもアタマに入るわけでもないが何となく淋しい。ロビーに本を置いてあるが圧倒的にマンガ本が多い。ただ、「ゴルゴ13」シリーズがあるのでうれしい。普段からテレビを見る習慣がないから病室のテレビもほとんどつけない。テレビを見て時間をつぶすということがわからないのだ。こういう時にはこまる。
 
   ■8月30日(木)

昨日の夜は下痢もなくゆっくり休めた、といっても切れぎれの睡眠生活が続いたせいでその習慣はぬけない。1~2時間ほど眠ってはしばらく目をさまし、そして同じような長さで眠る。その繰り返しの中、午前5時ごろにウンチの合図が来る。すぐにベッドから起きてトイレへ。水っぽい便が流れるように出る。おしっこがお尻から出るような感じだ。ハラがはりなんとなくへそのの下あたりが重苦しいのだ。

朝の回診で先生に今朝の症状を訴える。「急がば回れということで、今日から栄養剤を飲むようにしましょう。まずいけどー」いかにも、まずい飲み物のようだ。しかめっ面で話す。それでも、早く治るのなら何でもいい。

少し、本を読む気になる。「老子」だけは手がのびず。ギリシア史の太田秀通氏の『史学概論』の一節。『学問なぞは、自由な生の造形を抑圧し、窒息させるだけではないか。何の役に立つものか。去れ、去れ、歴史学のぼろ切れめ』。文藝春秋9月号を見ていたら「老子」の著者が鼎談で顔を出している。そのページだけを飛ばして読む。かあちゃん、大きな紙袋を持ってやってくる。バス停近くにある饅頭屋に立ち寄り帰るのが楽しみの様子。今晩は豪華な寿司を食べるそうだ。もっともスーパーカスミで買うらしいが―。
 
   ■8月29日(水)

内科、それも胃腸科の入院患者の病室というのは静かなものだ。そして圧倒的にお年寄りが多い。こういうところに見舞いにきたら病気が伝染して精神的にまいってしまうのではないだろうかー。

下痢の症状が治まり今日は一度もウンチがでなかった。まったく食事を摂っていないのだから胃の中は空っぽ。ウンチが出たくても出すものがないのだ。先生いわく「血液の数値がどんどん改善している。ステロイド系の薬が良く効いている。もう一度数値を見てからだが今週末には普通の食事がとれるようにしたいー」。ああ。なんともいえぬ有難いお言葉。先生が神さまからの使者のように見える。

今日は休みの日のはずだったが午後からかあちゃん来る。現状を説明する。どこまで理解してくれたのやらぼーっと聞いている。説明している方もよく理解していないのだからちょうどいいかー。
 
   ■8月28日(火)

昨晩は排便の回数が少なかった。そのせいか朝はすっきり。薬を替えたことで回復に向かいだしたのか―。ところが昼近く、突然の連続お通じ。1時間おきに4~5回。ごはんを食べていないのになぜだろう。下痢の症状はだんだん緩和されていると思っていた矢先だけに残念無念なり。

午後、かあちゃん着替えを持ってきてくれる。ありがたいことだ。無理をしないでということで明日は休み。それでヨシ。初めてシャワーを浴びる。これまでシャワーを浴びる気力もなかった。少しは体が元気になっているのか―。

夕方の回診で午前中の連続下痢事件を訴える。食事もしていないのにチョコレート色をしたおしっこのようなもはどうしてか。「腸汁です。それが治まるまでこのまま様子を見ましょう」と先生。冷静沈着な応対はこれまでの臨床例の経験から話しているのか―。フロアに移動販売車が回ってきたのでゼリーを買う。看護師が先生に訊いたらダメということ。駄目なものは駄目。昔、どこかの女性党首が言っていたなぁ―。
 

 
 ■8月27日(月)

朝の回診で、先生の方から「一度、大腸の中を見せてください。前回の検査はSクリニックで6月14日にしていますが、それから時間も経過している。再検査をします。本日、午後に行います」担当医、きっぱり。Sクリニックの検査画像をもとに治療を進めていたことの判断を誤ったのかー。私はまな板にのった鯉。まかせるしかない。

午後、かあちゃん着替え用の衣類などを持ってくる。立ち会ってもしょうがないということで検査前に帰る。大きな病院だとたくさんの専門スタッフで処置。検査する担当医は若くて元気そうで腕っぷしも太い。老いた体にムチを打つようにS先生がひとり奮闘していたことを思い出す。

この検査は4度目だから随分と慣れているが本日は、太い検査棒がぐにゃらぐにゃらぐいぐいと突っ込まれるという感じ。若いということはこういうことか。ガマンするしかない。終わってみるとこれまでお尻につかえていたものが一気に吐き出されすっきり。ああ、これでここ数ヶ月の苦しみから解放される。

夕方検査を終え部屋で休んでいると先生2人が来る。検査の報告と今後について。潰瘍性大腸炎は6月14日の検査より炎症がひどくなっている。従って、今晩からステロイド系の薬を中心に進めてゆく。最初に検査をしてから約2ヶ月。病状が進んでいた。その間、体調不十分ながら仕事を続けていた。さらに「イノチに関わる暑さです。身の安全をはかってください」という連日の猛暑。病気と真摯と向き合う真剣味に欠けるていたのは事実だ。



 
   ■8月26日(日)

朝の回診で「下痢気味の大便の回数が減らない」と、苦しそうに情けなさそうな顔をして先生に訴える。返答は昨日と同じ。返す言葉がないので「はい、わかりました」。どうも潰瘍性大腸炎の症状は思っていたより重篤のようだ。

午後、かあちゃんに紙パンツを持ってきてらう。朝昼夕「禁食中」という貼り紙が別にうらめしく感じない。食欲がまったくわかないのだ。本を読む元気などサラサラない。ひたすら横臥している。この状況はしばらく続きそう。かあちゃんに「大きな変化を期待できないのでしばらく来なくてもいい。何かあったら連絡する」。病室は涼しく快適だが窓越しに見える外はギンギンギラギラ。猛暑の中無理しなくてもいい。

夜、点滴液を交換してもらい眠ることに集中。その前に大切なことがある。「駆け込み便所」のお世話にならないでひと晩過ごし朝を迎えることを祈る。
 
   ■8月25日(土)

昨晩は何度トイレに駆け込んだろう。駆け込むといっても点滴スタンドを片手で押しながらヨイショ、ヨイショとままならず辛い。太宰治に「駆け込み寺」という小説があった。こちらは「駆け込み便所」。うまくたどり着いて便器に座り間にあえば万事OKだが、失敗すると深夜の大仕事。せっかくシルバー清掃の仕事を辞めたのに―。思ったより駆け込み回数が多い、といいうよりほとんど前日までと変わらない。どうなっているのだろう。

朝の回診で先生に訴える。「まだ始まったばかりです。しばらく様子を見ましょう。がんばりましょう」。先生のがんばりましようは先生自身への励ましか、どんな患者さんに対する励ましの常套句としているのか―。うん、素直さが足りない。反省。

午後、かあちゃんオブちゃんと来る。着替えの下着類やその他モロモロ。今日はオブちゃんがアッシー君をしてくれ助かる。そうはいっても甘えてばかりいかない。面白いもので移動手段として徒歩や公共の交通機関の利用を宿命づけられている人はそういうフォーマットが組み込まれその都度判断してこなしてゆく。かあちゃんもその一人。夜、点滴液を交換してもらい寝る時、「駆け込み便所」に用がないことを祈る。
 
   ■8月24日(金)

今回の入院は正確に詳細に認めておこうと決意。朝起きてからフラフラしている。車の運転に自信がない。そこで、鈴木クリニックで紹介状を受け取り、そのまま、阿見の東京医科歯科大学茨城医療センター(東京医大)へ。

先生の診断を仰いで後は検査漬け。胸のレントゲン、腹部のCTスキャン、血液検査、心電図。いずれも鈴木クリニックで年に数回実施している項目だが腹部のCTスキャンだけはなかった。検査を終え二度目の診察。各種のデータを見ながら先生が検査内容を説明するが話すが内容がよくわからない。早口で専門用語が混じり私もぼーっとしてるからなおさらだ。

とりあえず今日から入院することになる。早く治るなら何でもいい。6人部屋に入り看護師が点滴をセット。そして壁に貼り紙。「朝昼夜」禁食中。看護師のだれもが見てもわかるようにとのこと。さらに、「糞尿採集中」。小水は紙コップに入れ毎回自動検査機に投入して1日の量をはかるとのこと。全自動だ。すごい世の中になったものだ。
ところが、私の大便は下痢気味でせいでとてもユルイ。シヤーッっと小水のように流れる。小水を紙コップに取ることは至難の業に近い。

担当医が服用薬の種類を替えるという。期待してまかせるしかない。点滴が始まると、かあちゃん、入院に不足なものをメモしてからそそくさと帰る。私たちが住む小松からはバスを利用しかない。なにかと不便でこちらも心配。なんとかするだろう、しなければならない。
 

■ここより上は、阿見町にある東京医科歯科大学茨城医療センターで書いたもの。
 
   8月20日(月)

17日、かかりつけ医院へ。先生に現在の症状を訴える。先生はクビをかしげながら「これまでのお薬を服用して今月いっぱい様子を見ましょう」。同じような病気で苦しんでいる患者さんは同じ薬を飲み1週間ぐらいで改善しているという。足もとがフラフラしている明日のおばあちゃんの納骨式を欠席と決める。薬を飲んで氷枕を何度も取り換えひたすら寝る。解熱剤を飲むが効果はなし。高熱と下痢はおさまらない。

18日は、とにかく処方された薬を飲み床に臥す。夕方、納骨式を終えたおぶちゃん、かよこさんにまこの3人が見舞いがてら来てくれる。足もとはまだフラフラしている。それでも、「小松の盆踊り大会」を見に行く。ほんの少しの時間、元気印の踊りを見て帰りあとはただひたすら寝る。19日も終日、寝ている。

そして本日、朝起きると体調が少しずつ回復に向かっているのを実感。少し散歩。山王姫から久ぶりに電話あり。彼女も体調すぐれず昨日は一日中休んでいたという。みんな猛暑に疲れ体力を消耗しているようだ。その後はひたすら布団の中で呼吸を整える。夕方、だいぶ良くなっているのを自分でもはっきり自覚できる。そこでブログを書く。どなたさまも御身を大切にしてください。
 
   8月16日(木)

昨晩から体が怠かった。今朝、体温を計ったら38.2℃。パブロンを飲む。氷枕をして寝る。体温が下がると激しい下痢も落ち着く。どうやら、風邪と下痢が一緒にやってきたようだ。何度もパブロンを飲んで氷で頭や首を冷やしてひたすら寝る。夕方、少し落ち着く。明日は朝一番でかかりつけ医院に行こう。

人間というのは体温が上がりすぎると死んだような状態になるようだ。昨日の15日(水)終戦記念日、岩田正先生亡くなる。85歳、大往生だろうと思う。夏は逝く人が多年寄りが多い。朝夕は涼しくなったが日中は、日陰に逃げても熱風が吹いてくる。

そういうわけで昨日はブログどころではなかった。ひと呼吸、ひと呼吸がアップアップ状態。まるでエサをねだる金魚ちゃんのように口をパクパクさせて終わる。お休みなさい。
 
   8月14日(火)

なぜブログを書くのか?。この問いは永遠に解けないであろう。「老子」を読み始める。読みながらここからなんらかのヒントを見つけることもできるかもと考える。考えながら読むからなかなか先に進まない。いつ読了できるのだろう。読了することより考えながら読むことのほうが大切ではと思う。

この暑さからの脱出方法を考える。冷房設備が整った建物に避難すればよいのだろうけど、それではあまりにも姑息な方法だ。自然を満喫しながら涼しさを味わいたい。高い山に別荘でもあればそこに逃げ込むこともできるが、まったくの無い物ねだり。ガマンするしかない。

いばぶん事務所へ。ひっそりとしている。人の気配が感じられない。まるで死んだような空間が田舎の片隅にぽっかり浮いているような印象。見わたす田んぼには稲穂が顔を出し風に揺れている。まったく静かにお盆は過ぎてゆく。これが現実でありごく普通のことだとあぜ道で立ちしょんをする。バンザイだ。
 
   8月13日(月)

「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真集ーメキシコの幻想と光―」(岩波書店)、どんな写真家でどんな写真を撮っていたのだろうとページをめくっていたら1枚のヌード写真で思いだした。「眠れる名声」このヌード写真は何度も目にした。しかし、写真家の名前は記憶から消えていた。

「別離と邂逅の詩」堀田善衛(集英社)を読んでいたら本が郵送されてきた。きっと保立道久氏だろうと思って開けたらやはりそうだ。現代語訳「老子」保立道久/訳・解説(ちくま新書)。パラパラと読む。面白そうだ。なんといっても現代に照らした解説がわかりやすい。おいらのような基礎学の乏しい読者には大助かり。

こういう類の本は国家や社会をリードする世界中のリーダーがいつも手もとにおいて読み肝に銘じるべきだろう。おいらは平民としてそれに従い粛々とついていきますぞ。これを金魚ちゃんに報告。ぽかーんとしている。その後、「セピア色の青い空」の取材で山王姫宅へ。大雨に遭遇することなく帰還。ヨシヨシなり。
 
   8月12日(日)

突然、昼近く姫丸子参上。大きな盛り花のお供え物も一緒。びっくり。あばあちゃんのご仏壇にとのこと。ここへ辿り着くまで電話でいろいろとやりとりがあったようだが、そういう経緯はどうでもいい。ただ、姫丸子の心遣いと温かさに感謝して素直に受けとる。

写真家の入江泰吉は「お花は究極の美」という。これまで気づかなかったが花の命というものを少しは考えるようになった。まだまだ、究極の美を写真にとらえる自信はないが、いつか挑戦してそれなりの満足できる写真を撮れればと思う。

そんなにも暑くもないので野良仕事やぼーっとして終日過ごす。ぼーっところころ花壇を見ながら自分がぼーっとしていることも忘れる。これはどういくことかをぼ~っぼーっぼ~っぼーっから解放されてから考える。わからない。今日は本を手にすることもなく1ページをめくらなかった。それで、いいのだ。
 
   8月11日(土)

昼食を終え、さあ午後の仕事に就こうと起き上がると激しい嘔吐、さらに便意が襲ってくる。上から下から出すものを全部出す。体中が汚物まみれ。リーダーに午後の仕事を休むことを伝え逃げるように帰宅。風呂に入り体を洗ってすっきり。

仕事帰り図書館に立ち寄り堀田善衛の「若き日の詩人たちの肖像」を探そうと思ったが中止。彼の著作は昔よく読んで書棚にならんでいたが引っ越しの連続で行方不明。手もとにあるのは「方丈記私記」の文庫本1冊。全部忘れてしまったが、どういうわけか「若き日の詩人たちの肖像」を思い出して読みたくなる。

それどころではない。汚物まみれで帰宅してさっぱりしたと思ったら悪寒がして体がほてっている。こういう時に限ってかあちゃんは実家へ行き留守。氷枕にパブロンを飲んでひと眠り。起きたらすっきりしている。人生いろいろある。
 
   8月10日(金)

避暑地、土浦イオンに行く。ここなら無料で快適な時間を過ごすことができる。注意しなければならないことは少しでもお金を持っていると買いたくなること。なにしろ百金の「デンソー」もあるから110円持っていれば役に立たないようなものにでも手を出したくなる。クワバラ、クワバラ。そこで財布を持たずに行く。

柔らかそうなソファーを探してポツンと座る。往来する買い物客や欠伸をこらえ接客している店員を眺めながら、これからの世界情勢について考える。いや、考えるふりをしているだけだ。たんにイオンに出張ぼーっにやってきて今日のブログを昼過ぎから書き始めたというわけ。

おいらの部屋には扇風機しかないから暑い。そこで逃げ出してきたというわけだが、こういうざわつきのある場所ほど集中力が増すことも確かだ。セピア色の青い空の原稿がほぼまとまったから不思議。自宅にいると落ち着かないというのはよほどの貧乏性である。それにしてもイオンは快適な避暑空間だ。
 
   8月9日(木)

テレビで盛んに台風に備えての準備を呼びかけていた。我が家は特段の被害もなく万札1枚も風に乗り庭に舞い降りてくることもなかった。朝のうちは体調が良く今日一日ハッピーに過ごせると張り切るが午後になるとぐったりする。

長崎に原爆が投下されて73年目。NHKFMで特集をやっていた。その中で遠藤周作の「沈黙」が取り上げられていた。「それでも神は沈黙したままだ」。このフレーズはよく覚えている。原爆が投下されようが大地震が起きようが「神は沈黙したままだ」。映画にもなり話題になったが見ていない。見たい映画を一度見逃すとなかなかチャンスがめぐってこない。

年を取ったらチャンスを逃すことが多くなったような気がする。今がチャンスと思い行動を取ろうとしても肉体は動かず頭は金縛りにあったように回らない。金魚ちゃんに訊けば「オマエさんのチャンスというのはスケールが小さすぎる。万札1枚などといわず帯府がついた100万円の札束が空から降るようなスケールだ。ああ、淋しいお人」「そもそも、拾ったお金は必ずねこばばする気だろう。ああ、ますます淋しいお人」。  
 
   8月8日(水)

台風がやってくる。西日本の豪雨や台風被害のニュースを見ながら「茨城という土地はノホホンとしているのか大きな災害がなくていいなあー」とかあちゃんと話していたがそうもいかないらしい。早目の対策をと言われてもノホホン土地での暮らしに慣れ体が思うように反応してくれない。「ああ、そうですねー」で終わってしまう。招かざる客。こまったものだ。

そんなことより奥歯が痛み出した。冷たい飲み物を飲むとアタマのてっぺんにキリでも刺されたような激痛が走る。もう、体のあちこちがガタガタで雪崩のように次から次へと病気が襲ってくる。招かざる客。こまったものだ。

わが家に野良猫が時々迷いこんでくる。野鳥の餌場に置いてあるパンクズが目的らしい。野良猫にしては人によく慣れている。よくよく観察するとどうも飼い猫らしい。おいらが寄っても悠然として芝生の上で眠っている。かあちゃにんに見つかったら大変だ。生まれ育った実家は魚屋。ドロボー猫は天敵で近くにあるものを武器にしてさんざん追っ払っていた。かあちゃんはゴキブリのスリッパ攻撃を得意としている。「見つからないうちに退散した方が身の安全だよ」と声をかける。招かざる客。こまったものだ。
 
   8月7日(火)

さあ、今日のことを書こう。朝、起きる。あたりまえだ、呼吸をしていることに感謝。ああ、美しい老夫婦の朝。幸せの歌を高らかに歌おう―。ところがかあちゃんは爆睡。まだ午前4時半、どなたさまも夢の世界に浸り「ウフフ」と怪しげな寝言を呟いている時間。まあ、人それぞれ。

「セピア色の青い空」の写真を撮りに山王姫宅へ。ああだ、こうだ、そうだ、こうしよう、ああしようといいながらなんとかそれなりの写真。平凡な写真だが平凡こそ平和な世界。

午後、かかりつけ医院へ。ただいまトイレとお友だち関係にある。そのことを先生に訴える。先生、腕組みして「うーん」。考える先生。こう言いたい。「一所懸命考え、考えたください。そして、白い陶器のオマルちゃんと縁切りできる処方箋をお願いします」。言葉はノドの奥につまっている。山形県人は口が重い。自分の病気が悪くなってもだんまり。金魚ちゃん「バーカ、そういのは干からびたオタンコナスというのだ」よく意味が分かりませんが、そうですねということで本日は店じまいです。
 
   8月6日(月)

久しぶりに涼しい朝だった。いつもなら起きるなりスイッチを入れる扇風機も休業。ところが爽快な朝とはいかず両肩が痛い。どうしたものかと考えると昨晩自転車で走り回ったせいだ。フラフラするからしっかりサドルを握っていたせいかもしれない。

いばぶん事務所へ。書棚の整理をする。何度も引っ越しをしているうちに個人のものか財団のものかわからなくなっている。引っ越しを何度もやってきたからおいらの財産なんてゼロに等しい。無一物をモットーにしているがそれでも残しておきたいものもある。

「全部捨ててしまいたい」ワタリウム美術館の館長が晩年に漏らしていた。頷いたがそういう境地になるには生半可な経験の積み重ねなければ出てこない。この言葉を聞いた時、本物の人は違うなあと思った。おいらには無理なことだ。金魚ちゃんに訊いてみる。「すこーしは自分のことをわかっているようだ」。ありがたいお言葉をいただく。
 
   8月5日(日)

夏は来ぬ、夏は去りぬ。土浦のキララ祭も終えなんとなく土浦の夏は終わったという感じがする。シルバー仲間の写真好きが祭りに合わせて開かれる帆引き船の写真を撮りに出かけるというので、それならとお供する。。

夜は山車の饗宴の写真を撮っておきたいと自転車で行く。若い人の熱気がムンムンしている。おいらは酒も入っているからフラフラしながらカメラのシャッターを切る。内容はともかく祭りの雰囲気だけでも定着させておこう。帆引き船も山車の競演も「土浦幻聴」の1ページに。

昼はかあちゃんと土浦図書館に行く。ハイテク設備が整った館内を見てかあちゃん目をパチパチ。真空管と五玉そろばんで思考は停止しているだけに説明してやってもさっぱりわからず頭の中はクルクル。生半可に覚えるよりまったく知らない方がいいのだろう。普段の生活には何一つ支障がないのだから―。
 
   8月4日(土)

シルバー3人修行の日。外の暑さは半端じゃない。土浦市民会館の広い駐車場を歩いただけでアタマがクラクラする。アスファルトから照り返しは50℃を超えているのではないか?ともかく暑さとの闘いを終え無事に家の玄関をあけて靴を脱ぎほっとする。

かあちゃんからの報告。クーラーが動かなくなったので外に置いてある機械を叩いたら直ったという。確かに応接間のクーラーは仕事をしている。この近代社会において真空管時代のように叩いて直る。うーん、わからない。ともかく作動していることに感謝。なんとか今夏は仕事をしてほしいとクーラーに向けお祈り。蓮河原、荒川沖、小松時代と20数年も働いてくれた。ただ、感謝、感謝。

ごく平凡に生きている人でもつまようじに突きささったようなことが起こる。それもしからばというもの。明日も暑いという天気予報。ああ、くわばらくわばらー。明日は仕事が休みなだけにほっとする。
 
   8月3日(金)

「そうだ、パンツ一枚になって本を読もう」。かけ声は勇ましく若々しいが体は駄々っ子ようにきいてくれない。数分読んでは目を閉じる。細かい文字を読む眼力が衰えたのだ。それに暑さ。パンツ一枚になろうがフルチンになろうが本など読める状況ではない。そこでぼーっとして今日も終わる。

収穫は草取りと芝生の手入れをしたこと。そして無残な姿となったヒマワリを見ながら終焉ということを考えたこと。ヒマワリは来年になれば復活して大輪を咲かせるだろう。エライものだ。

小林秀雄訳だったと思うが、アルチュール・ランボーの詩集「地獄の季節」(季節は巡る、お城が見えるー)の一節を思い出す。季節は巡る、ぼーっが見える。そういうことで本日はお終いです。
 
   8月2日(木)

朝7時より刈り払い機で草刈り。ひっそりと静まり返った住宅街にエンジンがうなる。昨晩から予定していた。もっと早い時間なら涼しくて作業は楽だが近所の騒音迷惑を考え7時とした。この仕事は30分が限界。それ以上やったら「チーン」。

クルマの調子が悪い。購入した店に持ち込めばそのまま入院となる。かあちゃんも調子が悪いと太田胃酸を飲んでヨコになっている。おいらも体調が万全とはいえない。それにこの猛暑。みんなで暑さを共有できるのは平等で素晴らしいこととはいえない。まぬけで情け知らずのバーカなお日さま。

そういうことで今日もお終い。明日もかあちやんと金魚ちやんと庭の餌場にやってくるスズメちゃんとともに明るい朝を迎える所存です。みなさま、バイバイです。
 
   8月1日(水)

さあ、今日から8月だ。8月になれば8月になればと気合を入れてみる。ゼイゼイと荒々しい息を吐くだけだ。8月になればというより、この8月の猛暑をどう乗り切り9月を迎えることができるのか―。いつまでも命あると思うなというものだ。ひょんなことから明日の朝は目覚めることをやめているかも知れない。ああ、恐ろしや怖ろしや。

仕事帰りながみね温泉プールで快泳。20メートルですが―。後はひたすらの水中散歩。同年輩と思われるオジンオバンが水の中では堂々と歩いている。わたしの人生はすべてにおいてうまくいったという顔。これからも前進あるのみと自信に満ちあふれた顔をしている。なにしろ深い皺にはこれまでの歴史が刻まれている。ああでなければとしみじみ皺を見つめながら水中散歩。

「終わらざる夏」は眠ったまま。この本を読み切るまでおいらの夏は終わらない。終わってはならい。金魚ちゃんに訊く。「そんなことよりおいらのエサが底をついたことを忘れてもらってはこまる」ごもっとも、すぐに買いに行きます。
 

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