怠惰な散歩  2018年

   4月30日(月)

朝、久しぶりに刈払機で草刈りをする。エンジンがうまくかかるのか心配だったが無事にうなる。近所迷惑にならなければと時計の針が午前7時をまわってから―。おいらは朝5時からでもかまわないが近隣さまの事情というのもある。少し、大人になったのかなー。

かあちゃんとおばあちゃんのお見舞いにゆく。かあちゃん76歳でおばあちゃん99歳。おばあちゃんの顔は白くなっていた。病室の入り口には「集中治療室」と書かれている。一瞬、どきりとする。かあちゃんが何度か呼びかけておいらが見舞いに訪れたことを知り「ありがとう」とか細い声で応える。なんともいえない静かな時間が過ぎる。これが人生だ。

「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」(岩波書店)を読みその合い間に草取りをする。『ある意味では「物語」というもの(小説的物語にせよ、個人的物語、社会的物語にせよ)僕らのまわりで―つまりこの高度資本主義社会の中で―あまりにも専門化し、複雑化しすぎてしまったのかも知れない』(河合)
 
   4月29日(日)

心配だ。わが家の金魚ちゃん元気がない。食欲がないのだ。ところが朝早くやってくるスズメは元気だ。チィチィ鳴いてエサを求める。ぼーっおじんはヨッコラショと腰をあげ米ぬかを餌場に運ぶ。するとスズメたちは一斉にやってくる。きっと、恋人たちや親子づれもいるにだろう。それにしてもテーブルマナーがなっていない。食べながらエサをふりまくのだ。あたりは米ぬかだらけ。きっと、親のしつけが悪かったのだろう。

「めまぐるしく世界を駆け、大勢の人と出会い、三十万枚以上の写真を撮ったが、それで私が追い求めてきた答え見つかったのかと自問する。背筋が凍り付き、心臓がパクパクと喘ぐような状況を幾たびも経験しながらも、その問いの答えはおぼろげにしか見えてこない」(その先の世界へ・長倉洋海・クレヴィス)
 
   4月28日(土)

テレビのKマーシャルで「いちばん幸せのことは何もしないこと―」。まさにぼーっおじんを指しているようだ。しかし、何もしないことが素晴らしい時間の過ごし方ならさっさとあの世に旅だてばいい。そうはいかにないのがニンゲン。

ゴールデンウィークは絶好のお天気でスタート。「この連休中は何処かへ出かけますか?」「はあっー、毎日が大型連休のような生活をしていますから―」。大型連休なら大型客船で世界一周でもと思う。ところがかあちゃんに先立つ不幸をお許しくださいということになる。先立つ大型紙幣がないのだ。そこで自宅でぼーっ。

ぼーっおじんは考えるのだ。「いちばんしあわせなことは何もしないこと」なら連休中のお出かけも大型客船もまったく無用。それはただの出張ぼーっにしか過ぎない。そこで、世のため人のためと自宅で終日ぼーっと過ごしハッピーハッピーで一日を終える。
 
   4月27日(金)

朝5時に起きてころころ花壇の手入れ。昼食をはさみ午後2時までみっちりと真面目にやる。無償の行為だが得られるものが多い。雑草という草はないというがさまざまな雑草が庭のいたるところでしっかりと生きている。それも小さな小さな花を咲かせているのもある。思わず引き抜くをやめようと手を止めてしまう可憐な花。そこは容赦ない。非情の人となり地上から消えてもらう。

荒川沖本郷のカスミで買い出しに行く。カスミの隣にある造園屋のツツジが満開。色とりどりの花がからだに押し被るようで息苦しさを感じるぐらいだ。この植木は商売用。いずれどこかに売られていくのだろう。

ジョイフル本田で洋花を買う。名前は「?」。ころころ花壇にはいろんな花が咲いているのが名称不詳が多い。それでもよしとする。
 
   4月24日(火)

戦場で命からがら写真を撮りメシを食っているカメラマンは世界にたくさんいる。戦争がメシの種になる。これはよく考えなけらばならない。難しい。天地異変といったマイナス面もある意味では写真や文章もメシの種になり糧になるということだ。あまりにも勝手すぎる。考える、考える、モーツァルトの音楽を聴きころころ花壇の乱れ花を見ながら考えるのだ。さらにもっ遠くの誰も見たこともない黄泉の国のことまで考える。わからない、わからないのだ。

「その先の世界へ」という写真集のカメラマン長倉洋海は世界各国を駆け巡り写真を撮っている。そして、常に自らの生と死となぜ写真撮るのかを考えている。写真そのものより挿入されている文章に感銘する。なぜ、写真を撮るのかという論争はずうーっと昔からあった。永遠に続くのだろう。考えてもわからないのでぼーっところころ花壇を眺めて過ごす。

追伸:金魚ちゃんいわく。おまえさんの能力ではそこまで。おいらのバカだんなは限りなくバーカ。それでいいのです。
 
   4月23日(月)

寒い朝だった。昨日のお天気と喧嘩をして勝ったような顔をしている。その顔は寒さで震えている。よく見たら顔を洗いに向かった鏡に映るオジン。ああ、情けない。

役所というところはいろいろな書類を求める。そういう類の文書を見ただけで胃が痛くなる。不備があれば何度もやり直し。あたりまえの世界だろうがドンブリ勘定で生きてきたおいらには苦手というより逃げ出したくなる。

そうもいかないのがお天気。寒さや暑さから逃げ出しよその土地に行きたいぐらいだが、どうもがいてもこれだけはしょうがない。とにかく今朝は寒かった。
 
   4月22日(日)

今日の土浦市民会館はライオンズクラブの年次総会で超満員。そのため室内の清掃はできない。そこで野外の草取り。夏日を思わせるような暑さ。息を切らしながらの作業。そのスピードは亀さんより遅い。それでもなんとか無事に終える。

家に帰ると姪っ子夫婦が双子を連れてやってきた。今年の4月にピカピカの小学1年生。おおたかの森周辺は新住民でにぎやかそう。1学年8クラスもあるという。そして新しい学校も建設中というからすごいものだ。

ピカピカ1年生は学校は楽しいと口をそろえる。得意学科を聞くと「給食の時間」。素晴らしいことだ。パクパク食べて大きくなってほしい。
 
   4月21日(土)

真向いの家に咲く新緑のミモザが美しい。ほれぼれするような黄緑の葉をひろげている。こんなところに住めるとは夢にも思わなかった。築30数年も過ぎた賃貸のボロ屋で終末を迎えるものと思っていただけに大家さんに感謝、感謝。

そういう世帯主のはしゃぎを共有することもできず金魚ちゃんは玄関の下駄箱の薄暗いところに住まわせられている。これを格差というのだろうか。それとも虐待というのだろうかー。

金魚ちゃんは嘆くこともなく今日もエサを待っている。そうだルンルン気分でエサをやればきっと喜んでくれるだろう。そのせいか、本日もつつがなく終わるのでした。
 
   4月18日(水)

毎日、やけくそのようにブログを更新する。そこで考えるのだ。「考える葦」ならず「考えるぼーっ」。うん、これはいい。

さて、自らの愉しみはなんぞや。
1、毎晩酒を飲めること
2、プカプカとタバコを吸えること
3、ころころ花壇にやってくる小鳥にエサを置くこと。
4、金魚ちゃんにエサをパラパラまくこと。
5、モップ片手に世界の平和を祈ること。
6、遅すぎたかも知れないがかあちゃんの健康のこと

さて、ひとつだけこまっているのはお金がないこと。これは、貧乏脱出の努力をしなかったため。反省なりだがもう遅い。。
 
   4月17日(火)

寒い朝だった。お天気は気まぐれ。毎日のように寒くなったり暖かくなったりする。これはどんなに科学技術が発達してもかなわない。その日にまかせるしかない。しかし、年寄りには辛い。

いばぶん事務所にゆき雑多な仕事を済ませて約束の山王姫宅へ。出迎えてくれたさ姫はいつもの明るく元気な甲高いで声で歓待してくれる。だが、今日は豪華な大名五目ずしはなし。あたりまえだ。大きな顔をして家のなかにズカズカ入るだけで生意気というものだ。山王姫も転倒したという。幸いケガはなかったが。体のあちらこちらが痛いという。本当に用心、用心。

山王姫は古くなったパソコンを買い替えるという。ウインドーズ7時代のまま。頻繁に使うわけではないがやはりないと不便。そこでデスクトップ型からノートパソコンにすることになった。そんなこんなでパソコンのデータ移動を終える。そして、頂きものをする。今日はおかずが一品増えると感激しながら受け取る。こういう時の顔は素直、すなお、スナオになる。これが大事なのだ。
明日は雨のの予報。聞いただけで気分が暗くなる。さよならだ。
 
   4月16日(月)

朝をちょっとだけ歩く。歩きながらそうか今日は金魚ちゃんに餌をやっていないことに気づく。わが家の金魚ちゃんも蓮河原、荒川沖、小松と三度の転居をしている。原因は飼い主のフーテン。それなのによくぞ今日まで生きてきたものだとあらためて思う。こまった飼い主だと水槽でため息をついている顔が浮かんでくる。

昨晩、かあちゃん立ち上がろうとしたら「グキッ」と鈍い音。もしかしたら骨折したのではないか―。そこで本日の仕事始めは知り合いの施術院へ。先生の診断は「突き指」とのこと。ひと安心。年寄りにはいつどこにでも潜み隙を狙ってる骨折。みなさまご用心、ご用心。

施術院の近くに山羊を飼っているソーラーパネル基地があることを思い出し見に行く。山羊はヤギの顔をしている。「メェイ―」と呼びかける。おまえさんはやはりヤギの顔をしている。そういうことか。
 
   4月15日(日)

今日は霞ヶ浦マラソンだがあいにくの天気。仕事に向かう途中駅前をクルマで通ると大勢の参加者がコートを着てゾロゾロ歩いている。どうしても走りたいようだ。久しぶりに土浦が活気づいた日でもあった。

それでもスタート合図の花火があがるころには雨は止んでいた。むしろ寒いぐらい。これぐらいの気温がランナーにはいいだろうとブツブツいいながら仕事に励む。

インドの留学生アヌシュカからメールが届く。「和菓子はとっても美味しかったです。私は学校でがんばってます! これからも宜しくお願いします!」。日本語をこれだけ書けるのだからすごいものだ。みんな頑張るのだ。

 
   4月14日(土)

風の音を訊くがいい
風に音はないが
風は音をたて吹く

雲の流れに
目をやればいい
雲はたわわな言葉を
産もうとしてしている

空の青さを
心をすまして見ればいい
無限は彼方で
真実は
目の前の
名も知らぬ野草に佇んでいる
 
   4月13日(金)

小松界隈は静かだ。どうしてこう静かなだろう。静かだと感じることは現状に何の不満はないことかー。

みどりの声音を聞きたい。声はどんな色をしていうのか―。自宅前に広がる雑木林のみどりのさざ波にうっとり。静寂に包まれた沈黙の風景。どんなことにも声を荒げない心の静寂とはいかない。ニンゲンだったらそれもしかりかー。

庭の草取りをしては疲れると読書。そうか、森永純という写真家は80歳で亡くなったのか。彼の一枚の写真が今でもおいらの脳裏に焼き付いている。「波」とタイトルがついたもので暗い海に波の一角を切り取ったモノクロ写真。初めて見たのはもう40数年前。それでもしっかりと憶えている。どうして、そんなに長く記憶しているのか今でも定かではない。不思議なことだ。
 
   4月12日(木)

ここ数日、オジンとオバンたちの竹取物語の日々だった。ころころ花壇を竹で囲い際立せようという作戦。竹取物語に登場したのは大家さん夫婦とぼーっ夫婦の4人。9日は大家さんの裏庭にある広大な竹林の竹切り。「何本持っていってもいいですよ」と大家さん。竹はすくすく育ち高さが10数メートルもある。「1本で十分です」。ここで、二人のオバンも奮闘。ところがほとんど役立たず。

10日は自宅に持ち帰ってきた竹のコマギリ作業。20センチほどの長さに竹切りノコギリでしこしこ切る。これがオジンには重労働。年をとるということはこういうことかと切実に感じる。

11日は切った竹を庭に埋め込む作業。背丈をそろえて切った竹をならべて挿していく。トンカチで竹を叩きながらコツコツとぼーっ世界に浸る。世界が平和であれ、そしてかあちゃんの元気を願いながら続けること数時間。結果は写真のとおり。お疲れさまでした。
 
    4月7日(土)

朝を歩く。久しぶりだ。小松界隈の午前5時は限りなく静かで薄暗い。太陽が顔を出そうとしているが雲にさえぎられなかなか現れない。じれったそうに時々太陽が顔をのぞかせる。そして理由もなく隠れてしまう。おいらはひたすら歩。歩けることはいいことだ。

朝食後、ひたすら庭の手入れに没頭する。これでは一生を草取りで終わってしまうのではと考える。そこで思案。こういこともいえるのではないか。一生を刑務所で過ごすより健康的ではないかー。それなら、雑草バンザイというものだ。

ブログを書いている夕方、ころころ花壇に元気印の姫丸子参上。今晩もたくさんの食料品をちょうだいするバンザイだ。それでは、みなさまお休みなさい。
 
   4月5日(木)

肌寒い一日だった。昨日の暖かさはどこへいったのだろう。寒暖差の影響を受けたのか体がだるい。思うように動かない。市民会館大ホールのステージでは若者たちが舞台作りに忙しくキビキビと動きまわっている。無念なり。おいらも昔はもっとしっかりと動きまわっていたのだと叫びたくなる。

水戸のご老公から電話が入る。言葉が明瞭でないので何を話しているのかよくわからない。念を押して聞くが語尾がはっきりしない。長電話は辛そうなので早めに切る。およその見当をつけ理解する。間違っているかもしれない。

息子たちは見舞いにきているのだろうか。みんな遠くに住んでいる。それに仕事も抱えていることだろうから―。心配だがどうしようもない。おいらもそれなりに仕事をやっている。それに体力的にも辛い。こまったものだがどうしようもない。
 
   4月5日(木)

肌寒い一日だった。昨日の暖かさはどこへいったのだろう。気象病の影響を受けたのか体がだるく思うように動かない。市民会館大ホールのステージでは若者たちが舞台作りに忙しくキビキビと動きまわっている。無念なり。おいらも昔はもっとしっかりと動きまわっていたのだと叫びたくなる。

水戸のご老公から電話が入る。言葉が明瞭でないので何を話しているのかよくわからない。念を押して聞くが語尾がはっきりしない。長電話は辛そうなので早めに切る。およその見当をつけ理解する。間違っているかもしれない。

三人の息子たちは交代で見舞いにきているのだろうか。みんな遠くに住んでいる。それに仕事も抱えていることだろうから―。心配だがどうしようもない。おいらもそれなりに仕事をやっている。それに体力的にも辛い。こまったものだ。
 
   4月4日(水)

昨日の昼ごはんは「大名五目寿司」を山王姫にごちそうになった。本日は「東京都美術館」のレストランでスパゲティーを食べた。この二日間は贅沢な昼食にありつけた。明日の昼はかあちゃんの弁当となる。

「セピア色の青い空」の写真撮りで自然豊かな大久保邸の庭を歩きまわったが、本日は春休みで賑わう上野公園を人々をかきわけて歩いた。この人込みは土浦では考えられない。外国人の観光客も多い。毎日大きな空と大きな大地を見て生活していることもあり世界から寄せ集めたような人いきれには疲れる。

これでようやくモロモロの用事は済んだ。これからゆったりとしたぼーっ生活に戻れる。うれしいことだ。とりあえずころころ菜園にどんな野菜を植え育てようか―。明日から始めようと考えただけで胸がワクワクする。楽しいことはいいことだ。
 
   4月2日(月)

いばぶんに行く。面倒な決算処理、といっても最終的にはS氏に頼んでまとめてもらうことになる。

オーナーのN氏とばったり会う。しばし歓談。「金色姫」についての企画を伝える。協力してくれるということ。おいらはぜひ実現させたい。全体像はまだ頭の中で描いている段階。企画書とスケジュール表を作りに励もうと思う。

山王姫から電話あり。ゼンマイはすくすく育っているという。早く、写真を撮らなけらばと思っていた。インドから出張してきたぼぉーつと付き合い出かける時間がなかった。なにしろこのチャンスを逃すと一年待つことになる。そういう年齢になったのだ。往く春ははやく到来する夏の暑さが心配だ。
 
   4月1日(日)

さあ、今日から4月。新鮮な気持ちでぼーっとできる。インドのぼうっーも帰った。これからはゆるやかな4月のぼーっを楽しもう。「ばぁーか、いつも脳みそはゆるやかではないか。ばぁーか」と、わが家の金魚ちゃんは呆れた顔をしていますが、ぼーっとすることがどれほど精神的な救いになるかご存知ない方にはわからないでしょう。

さて、本日は仕事帰りに土浦の桜川にある桜並木を散歩。お天気に恵まれ家族連れや若いカップルでにぎわっておりました。葉桜がチラチラと顔をだし花吹雪もあり今年の「桜、咲く」もおわりに近づいているようでした。

「アンリ・カルティエ・ブレッソン」の写真帖」(岩波書店)を見る。頭に焼き付いている写真がたくさんある。彼のいう「決定的瞬間」の影響を大きく受けていたことを再認識。写されて人々の顔を見ると写真を撮られることなど眼中になく今日生きることで精いっぱいという印象。1930~1950年代の世界はそういう時代だった。
 

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