怠惰な散歩  2017年

   8月31日(木)

朝から激しい雨。気温も低い。残暑なしの秋がやってくるのか。ひと時を過ごし、ぼんやりと吉瀬のいまぶんへ。オーナー根本氏と打ち合わせ。ながやもん画廊の運営についていろいろ教わる。当人はどこまで理解しているのか―。事務所から見える庭園の芝生に雨粒がピョンピョンと跳ね大地と激しいキッス。こころおどる。雨の贈り物というのか―。

川又南岳先生宅へ山王姫と行く。途中、水戸の蕎麦処みかわで昼食。山王姫、おいしいおいしいと連発しながらホクホクサクサク天ぷらを口にする。ひとはおいしい物を食べているときは静かになる。

南岳先生宅で4人で抱腹絶倒の時間をしばし過ごす。11月、ながやもんギャラリーで書道展開催を依頼。快く引き受けてくれる。根本氏を含めた会場下見の日にちも決まる。なにもかもうまくいきそうで恐い。
 
   8月30日(水)

今日は涼しくシルバー仕事日和。3人の老人は軽快に仕事をこなす、といってもお年寄りの軽やかさだからたかがしれている。若い人からみたらそれこそナメクジような動きだろう。それでも、オジンオバンはそれなりに頑張っているのだ。腰をのばし「サーッ」と気合いれて次の仕事をに向かっているのだ。

つくば文化郷のことをいろいろ考える。文化の発信。吉瀬という集落。そもそも文化というものの定義はあるのか。広辞苑をひもとく。ゴチャゴチャと解説されている。読むのも面倒で理解しようにもおいらの頭脳が追いつかない。そこで、諦める。文化とは「文章」が「化ける」こと。要するに生産性のないウソつき社会を目指すことか。なんとなく納得。
 
   8月29日(火)

本日、日本の皆さんは早起きしたことでしょう。ミサイル発射警報がスピーカーから流れ慌てて目をさました方も大勢いらっしゃると思われます。おいらは芝生に青いビニールシートを敷き、ペタリと座りこんで芝刈りに汗を流していました。「頑丈な建物へ避難してください!」、慌てて周囲を見わたしましたがそれらしき建物はありません。ましてや、そこまで行く体力も気力ありません。あらためて空を見あげれば薄い雲がいちめんたれこめているだけです。それらしき物体など見えるわけがありません。ああ、こういう時代になったのかと溜息をついて何事もなかったように再び芝刈りを始めました。

数年前。姫丸子の招待を受け山王姫と一緒に土浦の花火大会を桟敷席から見ました。花火が打ちあがるたびに耳をつんざくような爆音と地響きと美しさへの歓声。戦争になったら歓声でなく悲鳴なのかと考えさせられたことを思い出しました。お休みなさい。
 
   8月28日(月)

草取りおじさん朝からせっせと雑草とお見合い。にらめっこしては一本ずつ抜いていく。雑草に声帯はないのか痛いとか苦しいと叫ぶでもなく地上から消える。ところが数日もするとニョキニョキと生えてくるのだからエライものだ。

吉瀬のいばぶん事務所へ。ひかり電話移動の手続き完了。これでなんとなく枕を高くして眠れそう。うそだぁー。いつも高いびきでぼんやり口をあけて寝ているくせに。ウソツキはドロボーの始まりだぞ!!。

昨晩、がんで死んだS氏の夢を見る。「みとも駄目だぞ!みとも だめだぞ!」と大声で後ろから呼び止める。どうもおかしい。黄泉の国へ旅立ったのはS氏でおいらはまだ生きている。朝になると目がさめピンピンしているというから生きている証だ。それならなぜ?、おいらを呼び止めるのか。理由がわからない。「どうしてだと?」と振り返るとS氏はいない。そこで目を醒ます。いろんな夢があるものだ。今晩、その夢の続きが見れるか楽しみだ。
 
   8月27日(日)

茨城県知事選の投票に行く。ぼんやり担当者は無限大のぼんやりで手持ちぶたそう。職務遂行に徹しているのか。小さな地震がある。選挙に行けとうながしているようだ。そうだ、投票もしないで県政を批判するのは反則。税金も納めないで市政の悪口をいうのは卑怯者。さて、国政はどうか―。とにかくきな臭くなってきた。これは、世界に共通すること。

図書館に行く。本を16册借りる。忘れないようにパチリ。返却日は12月9日。20册まで借りることができる。あと4冊の余裕、最終日に行ってみよう。図書館移動にともなうボランティアを募集している。体力に自信がある方という条件。自信がまったくない。今回の引っ越しで経験済み。本好きだが断念。

からだがだるい。暑さだけだはないようだ。とにかくだるいのだ!!。
 
   9月26日(土)

シルバーのお仕事日。かあちゃんの愛情弁当を手に力強く市民センターへ。今日を生きるため市井の人びとは忙しく動いているようだ。なぜなら、そんなに急がなくてもいいと思うのにやたらとうしろのクルマが追いたてる。これまで、追いたてられぱなっしの人生、もういいだろう、カンベンしてくれと叫びたくなる。

市民センターの舞台からモップを片手に客席を見る。1200席イコール2400の瞳にどんな思い出をアルバムに刻んできたのだろう。沈黙の客席は語らず。それでいいのだと思う。

仕事帰り、土浦市立図書館へ。5冊返却してまた5冊借りる。新しくオープンするまであと15冊借りられることを重ねがさね確認。ぼんやり職員はマニュアルを脱線せず応答。おいらのぼーっが図書館の本棚の隅々まで巣くっているのか―。くたびれた。土浦残念なり!!。
 
   8月25日(金)

早朝の草取りに挑戦。いつも5時過ぎには目がさめる。まだ薄暗いが時おり爽やかな風が吹いて気持ちがいい。今日一日こんなお天気だったらと願うが太陽が顔を出し始めると暑さがじわじわとやってくる。夏はまだ終わらない。

N氏がある人を紹介したいからというので吉瀬のいばぶん事務所で待つ。約束の時間を1時間ほど過ぎてから二人でご登場。名刺を渡すが先方は持ち合わせていないよう。これから吉瀬を案内するからと数分で消える。

夕方、かあちゃんと日用品や食料の買出しにクルマで行く。わが家の周辺にお店らしきものはない。やたらと坂道が多く年寄りが住むには何かと不自由。町のまん中で生まれ育ったかあちゃんは買いだめということをしらない。最近、ようやく買いだめということを学習したようだ。目をサラのようにしてカートを押す姿は山姥のようだ。情けないことだが、これが現実なり。
 
   8月24日(木)

22日からブログは夏休みというより怠け休み。備忘録として認めておこう。22日(火)常陽小学生新聞の取材で水戸へ。遠い、片道2時間かけ上大野小学校へ。23日(水)シルバーのお仕事。猛暑日で年寄り3人が熱射病で倒れたら迷惑をかける。そこで午後の草取りは中止。夕方、山王姫よりキャプテン斎藤の本に関する催促電話。とにかく暑いのだ。うまく取り計らってくれることを願う。

さて、本日24日(木)は、22日に取材した記事をまとめて出稿。朝6時からはじめて10時ごろ終わる。カクチカラが衰えたことを痛切に感じる。集中力と気力の減退。なんとか踏んばってきたが限界。委託記者の辞退を申し出て了解を得る。つくづく迷惑をかけた。申しわけないがカンベンしておくれ。

吉瀬のいばぶん事務所へ。整復師会ニュースのまとめ。意外にはかどる。仕事場の環境が違えばうまくゆくのか。なんでも博士の相棒よりメールあり。ブログトップ写真の小鳥名を教えてくれる。ありがたいことだ。カラスとスズメの違いぐらいはわかるがどんな小鳥も同じに見える。無知の涙というのか―。かわいそうなり。
 
   8月21日(月)

昨日はこんだ荷物の整理に吉瀬のつくば文化郷に行く。初出勤といったところか。昼飯は自宅と思っていたがズルズルと過ごして結局、午後4時すぎまでいる。

暇にまかして吉瀬集落散策。とんでもなく大きな屋敷がずらり揃い踏みといったところ。けして日本人はうさぎ小屋に住んでいない。誇っていい。もっとも、おいらの家は3DKで狭いが二人で住むにはこれで十分だ。

いばぶんの新事務所から眺める芝生が敷き詰められた庭の景色が美しい。最後は美しいものを見ておしまいにしたいと願っていただけになんて運がいいのだろうと思う。水戸のご老公に結果報告。元気そうな声が返ってくる。戦争をくぐり抜けた人は強い。
 
   8月20日(日)

いばぶんの引っ越し無事におわる。ほっとすると同時に疲れた。本物の疲れはいつか―。筋肉ポキポキいたいいたいは明日からの楽しみかー。山王姫に報告。3日ぐらいたったらどっと疲れがでるよ!。いや、もうくたくただよ。よれよれヨタヨタだよ。

これまで、引っ越しをなんど体験したろう。山形の山村から東京時代、茨城時代を合わせると両手両足の指をおっても足りない。もういいだろう。残すは無縁仏かー。

朝、枯れた向日葵にタネをついばみに野鳥がやってくる。アサガオが咲く。ぼんやり―ころころ花壇を眺める。金魚ちゃん水槽の中で激しく泳ぎまわる。「おはよう、おはよう」と声をかけパラパラ餌をやる。ハッピーなり。
 


 
 8月18日(金)

朝を歩く。時計の針は午前6時。時間はそこからうしろをふり返ることなく前に進むだけ。人生ふりかえべからずとカメラを手にしてひたすら歩く。以前から気になっていた下高津の旧6号国道陸橋の工事現場を目指す。とろとろとぼーっ老人は歩く。人影は少ないが猛スピードで車が往来する。そうか、今日は仕事日だ。

家に帰り着いたのは8時40分、およそ2時間半歩く。まだまだ歩けることに感謝。息を整えてアイスコーヒーを母ちゃんに所望。「どっかで、ぶっ倒れているんじゃないか」と心配していたという。ありがたいことだ。

新発見。おしりプリプリ坂に出くわす。健康坂、筋トレ坂、ヨイショヨイショ坂、ドッコイショ坂となんでもありだが、なんといっても女子高校生がエイヤラコラヤと自転車のペダルをこぐ後ろ姿は魅力的。命名「おしりふりふり坂」。さぁ、みんなで元気よく明日へのペダルを踏もう。バンザイです。
 
   8月17日(木)

健康坂を上ると耳をつんざくような蝉の鳴き声。濃いみどりに包まれた山王姫の森にはミンミンゼミとアブラゼミの大合唱。聴衆はひとりだがそれに猫ちゃんも忍者ごとく加わる。秋の装いに大忙しのヒグラシも間奏というより絶叫。すごいものだ。

今夏の天候不順で農家は大変だろうと山王姫いわく。そうだ生き物を扱い生活の糧としている人びとは自らの力ではどうにも対処できない自然現象。きっと、農家の人は神はどこで居眠りしているのだと嘆いているはずだ。

ぼーっ神は不要と人びと訴える。そこで、「毎度お騒がせします~」の業者に引きとってもらう。お礼にいただくのはトイレットペーパー。これも神ならぬ紙。世の不幸をダブルパンチで浴びる。おいらは、ごはんは農家の人に感謝しながらゆっくり噛みしめ食べることを誓う。「ウソだぁー」。金魚ちゃん吠える。「ハイ、わかりました」。本日はさらばだ!!。これは、本人でもよくわからないブログです。
 
   8月16日(水)

涼しい朝だった。寝るのが早いぶん目覚めるのも早い。このごろは午前5時には起きてしまう。陽が短くなったのか薄暗い。数日前はもっと明るかったような気がする。さて、こんなに早起きしてなにをしているかといえばころころ花壇をぼーっと眺めているだけだ。そしてタバコをぷかぷか吸う。睡眠中の数時間は禁煙状態。その反動から本数が多い。「あと、何回の食事か」と作家の山田風太郎が、ガン闘病中にそんなエッセーを書いていた。おいらは、「あと何本の煙草が吸えるか」といったところ。

7時に家を出れば十分にシルバーの仕事に間に合う。30分ほどのぼーっタイムが過ぎるとようやく頭が回転しはじめる。だからといって世界の情勢に関心が向くわけでもなく平和ボケした日本の未来を考えるわけでもない。考えたからといって地球はまわりヒグラシは鳴きやまない。

「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」(ケント・ギルバード)をバタバタと読了。「国恥100年の中国」といわれた恨みを晴らそうとする野望がここ数年見え隠れする。これは、市井でひっそり生きている日本人として感じること。金魚ちゃんでさえ四角四面の壁に囲まれ息苦しさを感じているはず。世界の人々は、何かの壁を築くか打ち破りたいのか―。どうも、それがニンゲンの本性のような気がする。
 
   8月15日(火)

昨年までの熱闘甲子園+熱闘お盆という刷り込みが消えない。それなのに涼しい夏の日が続きお盆も終わろうとしている。今日は終戦記念日、もしくは敗戦記念日。雨は朝から降り続く。

こんな日は読書に限る。ページをめくるごとに一度読んだような気がする。物忘れとど忘れのダブルパンチ。記憶の糸は日毎に細くなり切れかかっている。

「アラ大変、仏壇に観音様を置いてきてしまったワ。誰か取ってきて下さらない。御先祖様のお守りなの」のシーンでしっかりと以前読んだと確信を得る。総p424でp88まで読み進んでから。
間違いなく痴呆の下り坂を歩いていることを実感。辛いものがある。ちなみに本は辻井喬の「茜色の空」。大平正芳首相をモデルとしたフィクション。こんなことになる源といえば土浦市立図書館の書棚だ。バイバイ、お休みなさい。
 
   8月14日(月)

つかれた心

つかれた心につかれたこころをかさね
つかれた心のおもさをはかる
つかれた心はつかれたこころに
つかれたこえでたずねる
たいじゅうけいではかれるおもさですかー?
それとも
てんもんがくてきなおもさですか―?

願い

群れず、
媚びず、
奢らず、
語らず、
風の徒労の使者でありたい。
 
   8月13日(日)

人の名前をうまく思い出せないのを「選択的記憶喪失症」というそうだ。そこで、「痴呆症解消強化合宿」に入門。ところが、まだらボケ老人にはこの合宿所にいる理由を理解できない。オタオタハタハタの協奏曲の渦中においらもいる。そこで目がさめる。ああ、夢でよかった。

今日は先祖のお迎えの日。空は空で、雲は雲でいつもと同じ。それでもそれぞれの思いをこめ提灯を片手にあちらさまの人との再会を念じ菩提寺の墓前へ。

語らない、喋らない、話さない。合掌とは、無限大の宇宙にひたすら黙して身を伏せることか―。
今宵、お月さまはどんな顔をしているのやらー。
 
   8月12日(土)

シルバーの仕事仲間はなんとなくソワソワしている。お盆で孫が4人来る。久しぶりに新潟の実家に帰る。どんな胸中なのか。うれしそうに話す二人の話しをを聞きながら、さておいらは―。なあーんにもない。

仕事を終えて土浦の図書館に行く。11月下旬に土浦駅前に引っ越すので3ヶ月ほど休館になるという。いつもは本を借り終わってもブラブラ書棚を見ながら館内を歩きまわるのが楽しいのだが土浦図書館はなんとなく落ち着かない。そそくさと帰る。

夕方、キャプテン斎藤の二校を山王姫と待ち合わせて届ける。こちらも弟夫婦が15日に来るとうれしそうに話す。それぞれのお盆。これが過ぎるとなんとなく夏が終わったという感じ。そういえば、ここ数日は初秋を感じさせるような涼しさ。朝など寒いくらいだ。金魚ちゃんも食欲が出てきたのか朝になるとエサを求め忙しく動きまわる。この扶養家族のためにおいらは働くのだとブツブツいいながらエサを与える。
 
   8月11日(金)

朝、目覚めると天の声が聞こえる。
「きみにあたえられたあさのぼんやりじかんにふさわしいしごとはくさとり。つつましくすみやかにはじめなさい」。
ああ、おいらに神からの啓示があるとは感激。

そこで、辺見庸の「しのびよる破局」(角川文庫)の問いを考える。――世界から瞬時に情報の伝達が受容できる。―― 時間と空間を感じる力をぼくらは失ってきている。ぼくらの時間は時計化された時間です。――」。痛感。世界は時間を瞬時に共有し過ぎ、自らの力で考え噛んだ言葉を発信できなくなっている。

そこで、水槽の水替えをやりながら悟りきったような金魚ちゃんにこっそりと訊く。
「バーカ、おまえさんだって噛んでいない文しか書けないじゃないか、もっと勉強しろ!!。かさねがさねバーカメ!!」
「ハイ、ワカリマシタ」。
それでは、みなさまお休みなさい。
 
  8月10日(木)

昨日は暑かった。シルバーの仕事は辛かった。さすがに午後の草取りはやめようということで中止となった。年寄り3人が外で倒れたらそれこそ大事件。大騒ぎになる。これはリーダーの賢明な判断。

ところが今日は寒いぐらいだ。この気まぐれ天気には往生する。それでなくても自然の急激な変化に順応できなくなっている年寄りだ。涼しいのはいいが後が恐い。気まぐれといえば気まぐれだろうが自然界のいつもの営みともいえるのだろう。ご苦労さんです。

小学生新聞から記事の書き直しを求められ再提出。山王姫と話し合いながら「セピア色の青い空」の8回目をアップ。ギブアップではないぞ!!。 
 
   8月8日(火)

さあて、今日のことを書こう。ブログとはなんぞや!!。個人の日々雑感を素直に認めることと勝手に解釈している、とはいっても個人のプライバシーにはうるさい世の中。いろいろと神経を使う。おいらには隠すことは何もありません。どうぞ、丸肌にしてもらってして結構。ところが、おいらに関心を寄せる人はいない。すごいことだ!!。

アサガオが100個も咲きました。薄いブルーの花びらが爽やかな顔を見せました。とても静かな朝の時間を抱きしめました。

今晩は暑く寝苦しそうです。暑さを感じ方は自由です。さて、今晩のお寝んねはパジャマのパンツを左足から通すか右足からかにするか大いに悩む。悩むオジンよ強くあれ!!
 
  8月7日(月) 

一つひとつのことをクリアしなければならない。雑音は回避するようにつとめているがそうもいかず動きがとれない時もある。こまったものだ。そのような事情で明日の「セピア色の青い空」インタビュー延期を山王姫にお願い。OKをもらう。

ころころ花壇にある小鳥の餌場にやってくるスズメちゃんはどこか元気がない。夏バテか?。そんな中、アサガオはたくさんの花を咲かせ「おはよう、おはよう、おはよう―」の大合唱。100を超えるアサガオ一つひとつにあいさつを交わすことはできない。世の中、すべてがそんなものだと思う。

かあちゃん、ハエたたき片手でハエを追い退治、いや冥途に送る。その気迫に驚く。ああ、クワバラクワバラ!!。これも一つのことなり。
 
  8月6日(日)

午前中、ころころ花壇の手入れをやる。一球入魂ならぬ一草入魂。それこそ全力投球だ。疲れた体にムチをうち昼食。

柳澤桂子の「いのちの始まりと終わりに」をうつらうつら読みながら昼寝タイムに入る。すると、グランヴィラ牛久の施設長T・I女史から久しぶりに電話あり。「どうしている?」「それなりに生きているよ」「そうか」「仕事は辞めたのか?」「9月で辞める。もう限界よー」。

頑張り屋のT・I女史の働きぶりにはマケル。それでもやはり加齢による体力の衰えからだろうかー。おいらより年上のはずだ。ヒマつぶしにおいらのブログを見たいからアドレスを―。「怠惰な散歩」を見ても若さを取り戻せるわけではないだろうが気晴らしなればー。

夕方、荒川沖の画家T・F氏、東京土産を持って登場。少し駄弁って、すごいスポーツカーで帰る。元気そう。みんな元気でね!!。
 
   8月5日(土)

「私の好きな岩波文庫90」という創刊90周年フェアをやっている。「ルバイヤート(4行詩)」(ハイヤーム)を購入。11世紀にすべてが書かれていたということだ。聖書が完成した時代で人類のやることはやりつくされたというようなことを何かで読んだ記憶がある。

仕事の帰り、山新で髭剃りの替え刃を買う。このことはしばらく生きているということが前提になる。明日死ぬ人に替え刃は必要としないはずだ。そのこと考えるとトイレットペーパーもそうだ。そうか全てが明日も生きていることを前提としているのか―。

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
 われらはどこから来てどこへ行くのやら?
(オマル・ハイヤーム)
 
   8月4日(金)

ボランティアの皆さん お疲れさまでしたということでケアハウスゼーレの昼食会に招かれる。ウーロン茶で乾杯して中華料理を舌鼓。おいしいが量はそんなに食べられない。無念なり。普段は口にできない料理だからと力んでも胃袋が受け付けてくれない。重ね重ね無念なり。

夕方、バーベキュー大会に誘われつくば吉瀬の文化郷へ。ハラを据えて肉料理に挑戦。やはりほどほどにしか食べられない。車で来ているから酒も飲めない、と思ったが目の前に生ビールのジョッキが差し出される。代行タクシーはあるかと聞けばノープロブレム。そこで、飲む。美味い。神はジョッキの中に潜んでいたようだ。

明日は仕事で朝が早い。体力温存のため早目の切り上げをと思ったがズルズルと飲み、食う。そして代行タクシーで帰る。2600円也。そんなことで、本日は店じまい。終わりです。
 
   8月2日(水)

水戸へ行く。整復師会の編集会議。今回からガラリとメンバーが替わる。広報部長が交代し編集委員も知らない顔が3人ズラリ。さあーてこれから物語はどう展開するか楽しみだ。

朝から涼しい風が吹く。風は冷たさを言葉で伝えない。自由気ままににあっちからこっちから勝手気ままに吹く。さわやか風に吹かれぼんやりオジンはますますぼーっ時間が長くなり、終着点を探すののに苦労する。

さて、今日という爽やかなお天気のもとではぼーっの時間が長引くだけ。季節はしっかりと移ろいつつある。ウグイスが生まれた春先を思いだしたようになきヒグラシが初秋を伝えるようにないている。
皆さま、ありがとうございます。
 
   8月1日(火)

8の数字を逆さから見ても8に見える。よく見ると下の○が少し小さいがやはり8に見える。今日から8月。人生も逆さにしてやり直したいと思うけどもそれは無理。とにかく、今日から8月。

書く力が衰えた。文章をまとめる力が弱くなったようだ。小学生新聞の記事をまとめようとするが気分が乗らずなかなか前に進まない。それなのに「セピア色の青い空」は闘志がわく。どこが違うのか。考えるがわからない。

かかりつけ医院に行く。1時間待ちで診察3分。この場合、診察時間は短いほどいいのだろう。どこかに異常が見つかれば、それだけ診察時間は長引くはずだ。そう思って納得する。待合室には若い人はいない。みんな年寄りだ。若い人でにぎわっていたら日本はこまるのだ。そう思えば妙に納得する。そういうことで今日も終わりました。
 

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