怠惰な散歩  2017年

   7月31日(月)

暑さに耐え7月を乗り切ることができた、といっても完全に7月が終わったわけではない。あと数時間残されている。それらを織り込んで乗り切ったというこどだ。

そもそも時間、日にち、週間、月、年ごとに区切りをつけるとはどういうことか。時間は過去も現在も未来もつながっているはずだ。それなのに区切りをつける。これは真夏のミステリー。考えたら眠れそうもないのでよそう。もっとも、眠れない夜などないが―。

久しぶりに小説を読む。好きな作家のひとり辻井喬の短編小説「書庫の母」。2007年10月初版というから最晩年のころの作品?。おもしろい。午後は小学生新聞の取材で水戸へ。水戸市内の小中先生の夏期セミナー。東大大学院教育学研究科教授の講演はまったくおもしろくないまま終わる。いや、理解力不足かー。無念なり。
 
   7月28日(金)

ぼんやりの一日だった。暑くて思考能力ゼロ。ぼんやりと写真集を見る。昨日、土浦市立図書館に久しぶりに行く。活字を追いかける元気がわかないので写真集5冊を借りてきた。それを、ぼんやりとページをめくる。写真を撮るというのは体力がいる。それを何気なくぼんやり見るというもはどういうことか。深く考えまい。

朝、洗面所で顔を洗おうと腰をまげたらギクリとする。ヤバイ。これは今日の仕事は気をつけなければ。そういうことで、モップかけはソロリソロリ。

夕方、薬剤師のトミコさんに、腰の具合がかんばしくないので明日のどんぐり山観察会の欠席を電話で伝える。今年は暑いので体調を崩す人が多い。注意した方がいい。おいらより10歳ほど年上のはずだが声は元気そう。男は強そうな顔をしているが弱いものだとしみじみ思う。
 
   7月27日(木)


生のさ中の
書きかけのブログ
ここにあり。
 
   7月26日(水)

車は東京へと向かう。取手市の白山小学校の取材。ナビを頼りに探すがなかなか見つからない。そうこうしているうちに取手競輪場前に出る。今日は競輪開催日ではないのか閑散としている。殺気だった人いきれがない。せかせかした雰囲気がない。静かなものだ。

そういえば、東京で鉄筋屋をやっていたころ仲間とよくギャンブル場には行った。競馬、競輪、競艇。バイクだけはない。荒くれ男の職場だけに女、酒、ギャンブルの話題は尽きない。現場に向かう往復の車中で花札をやり、すれ違う車のナンバーの下数字が丁半かを賭けるぐらいだから本物だ。

そんなことを思い出しに来たのではない。仕事だ。狭い道のはずれに白山小学校はありました。夏休みで子どもたちはいないと思っていたが意外とたくさんの子どもがいることに驚く。先生もたくさんいる。そんなこんなで無事仕事を済ませて帰るのでした。
 
   7月25日(火)

朝からムンムンと大地が汗をかいている。とばちっりを受けているのはニンゲンだけではないようだ。わが家のころころ花壇のエサ場にやってくるスズメの動きも鈍い。それでも空いたハラには我慢できないのかチョコチョコチャカチャカ食べてはさっと飛んでいく。邪魔をする奴はいないのだからもっと落ち着いて食えばいいと思うがチョコチョコチャカチャカと動きが早く眺めている方も落ち着かない。

そこでニンゲン世界に転じる。おいらのまわりを見渡すと同類のニンゲンを探すのに苦労しない。どうも、チョコチョコチャカチャカニンゲンは世界に共通する人種かもしれない。

シルバーの仕事はチョコチョコチャカチャカとはいかない。すべての動きにスピードが鈍く緩慢だ。こういう時に限って時間の経つのは遅く時計の針が居眠りしてのでは疑うほどだ。それでも、今日一日、心臓をチョコチョコチャカチャカ動かして終わるのでした。
 
   7月24日(月)

朝から土手の草刈りに挑む。ナギナタのようなカマを購入した7000円弱。わが家の収入からすれば大出費。金は使うためにある。動けばまわる。

このカマで佐々木小次郎のように飛んでいるツバメを切ることはできるか!。試したいがツバメはいない。ころころ花壇のエサ場にやってくるのはスズメばかり。そこで試し切りはあきらめ憎しみをこめて雑草のなで切り。さて、さあーっと見事に切り倒せたかは秘密。腕がだるくなったのでさあーっと作業を切り上げる。

冗談を言っているだけでメシが食えるか?。真剣に考える。こういう場合の冗談というのはどういう冗談をいうのか。面白くなければ人生はつまらない。冗談や戯言や気まぐれでなく自分なりに考える。熟慮黙考の結果。
「冗談で誕生したニンゲンは冗談のまま生を閉じるべし」
よく意味がわからない。
そういうわけで何となく一日が終わりました。
 
  7月23日(日)

とにかく、今日一日を無事に終える。かねてから山王姫邸をしみじみ見たいというN氏と石岡に。今日は朝から涼しかった。涼しさに背中を押されるように早朝からやった草刈りの疲れが出たのか妙に体がだるい。怠い体を引きずるように山門のくぐり戸をあけ庭に入るとすーっと爽やかな風が吹いてくる。

N氏と山王姫の回顧談をぼーっと聞き流す。そういえば鉄砲水で茶室裏の大谷石の塀が崩れ修復して支払いを終えたら3・11で再び倒壊。山王姫の無念さが伝わる。残念ながらその気持ちに応えることはできない。

N氏、念入りに母屋、離れ家、茶室(大谷石で造られた茶室というのは珍しいとのこと)を見てまわる。一緒に歩いているから居眠りもできない。茶室の屋根をはじめてしみじみ見る。蛇の目傘のデザインだ。実に洒落ていると感心するが眠気と気怠るさは去らない。心地よい風が吹いてくる。さては、怠さよ風と共に去りぬとはいかぬかと念じるがいっこうにおさまる気配はない。ともかく、今日一日を無事に終えたのです。
 
   7月22日(土)

アサガオが咲いたので写真を撮ろうとカメラを持ち庭に出る。カメラをスイッチONにするが作動しない。さてはバッテリー切れかとチャージをする。バッテリーを充電してスイッチONにするがウンともスンともしない。いろいろ試みるが死んだように動かない。壊れたらしい。とにかくメインスイッチが入らないのだからどうにもならない。まったく、金のかかることばかりだ。

アサガオは13枚咲いた。朝が苦手でアサガオを見たことがないという人もいる。写真などどうでもいいからとじっくり観察する。どこから見てもアサガオだ。ユウガオではない。花や植物、樹木の名前を学ぶ機会を逃したせいか情けなくなる時がある。それもしかりだ。

夕方、常陽新聞同窓会を開催するための準備会に出席。新聞社に勤務した年代によって各自に温度差があるようだ。それもしかりなり。ともかく来年の11月ごろに同窓会を開くということで落ち着く。会合の後に出された料理がとてもおいしかった。こうして、暑い夏の一日をなんとなく終えたのでした。
 
  7月21日(金)

朝は朝になると明るくなる。セットした目覚まし時計など関係ない。エライものだと思う。なぜならヒトが抱いている朝のイメージや作戦など何の意味もないのだというように明るくなるからだ。のほほんと生きているヒトには理解できない。それもしかりなり。

さて、今日の屋外作業の草取りきつかった。ギンギンギラギラ太陽は燃えている。ヨイトマケの歌のように「かあちゃんのためならー」と雑草一本一本引き抜く。そこで考える。鉄筋工として働いていたころのハードさと比較したら赤ちゃんのようなものだ。ああ、失われたおいらの頑強な肉体はどこへいったのやら、雑草の根っこに訊く。金魚ちゃと同じで返答なし。

アキタのカンちゃんからブログの励ましメール。「どんなことでもいいからとにかく書いていろ」。そうだブログを認めることイコール生きることなり。このような貴重な人には、山王姫邸に実るバナナを盗んできても食べさせたくなる。
 
   7月20日(木)

朝早く空を見あげたら下弦の月がぽっかり浮かんでいる。何用あって月は上弦や下弦にならなければならないのか。理由を知りたければグーグル先生に聞けばいい。いやはや便利な世の中になったもんだ。しかし、考えるのだ。上弦や下弦の月を知ったからといって暑さをしのげるわけでもない。それなら目くじらたてて答を導びかなくてもいい。そういうことで消えゆく月を眺めながらぼーっとひと時を過ごす。

向日葵がどんどん大きくなる。どうして向日葵は熱中症にもならず背を伸ばすのか。考えると暑さがどんどん辛くなる。それにしても逞しく強い花だ。どういう理由で暑さに強いのか―と、金魚ちゃんに聞く。「それはね……」NHKラジオの子ども科学電話相談室の回答者のような話しぶりだ。でも……で疑念を残したまま終わる。

ああ、今日もくだらないブログを書いてしまった。間違えてこのブログを読んだ人はとんでもないものを見せられ貴重な時間を失ってしまった。「なんとかならないのか!!」と絶句、絶叫しているかも。そんなこと知らないよ、バイバイでぇーす。追伸、今年は山王姫宅のバナナが食べられそうというニュースが入りました。うれしい。
 
   7月19日(水)

久しぶりに涼しい朝だった。チャンス到来と仮払い機を持ち出して土手の草刈り。下から2メートルぐらいまではなんとか刈れるが上は仮払い機が届かない。土手の上からの作業となるがこれは危険。そこで手鎌で刈り取るしかない。一気にカタをつけてやろうと思ったが疲れたので中止お終いとする。

さっぱりするためながみね温泉へ。ヘルストロンに座り熟睡すること30分。よく眠れる。おいらには不眠症ということがない。見わたすと文庫本を熱心に読んでいる人がいる。そういえば、ここしばらくじっくりと本を読むこともなくなった。暑さと気力の減退がダブルで 効いているようだ。

グランヴィアで宿直の仕事をやっていた時はヒマにまかせてよく本を読んでいた。今は時間を持て余しても本を読む気にはなれない。じっーと暑さに耐えぼーっとしながらころころ花壇を見ていることが多い。これも人生なりと気が向いたように金魚ちゃんにエサをやったりしている。そういうことで一日が終わるのです。
 
  7月18日(火)

朝早く、桜川を渡り恋瀬川を越え石岡のいばぶん事務所に行く。そうだ、気合いをいれて暑くならないうちにと出かけたのだ。いばぶんの雑務をこなして山王姫宅へ。健康坂を上りくぐり戸を開けて庭に出ると涼しい。こんもり山は緑のオンパレード。冷気に包まれている。下界より1、2度気温が低いという体感。

セピア色の取材。庭の裏手にあるバナナ園の実を成長させはじめたバナナちゃんがテーマとなる。なんだかんだと話を聞きパチリパチリ。山王姫邸はいろいろな角度から切り出せば題材に不自由しない。問題はいつまで続くかだ―。これは体力と根気勝負。年々衰える気合いにどうカツをいれるかだ。

昼食にと出向いた中華料理屋で山本姫夫妻とばったり。二人は沖縄に住んでいたということからバナナについていろいろと講義を受ける。知らなかったことをたくさん教わる。さらに取れたての新鮮タマゴまでいただく。帰り、山王姫いわく「動けばまわる」。ご同感なり。冷やし中華ごちそうさまでした。
 
   7月17日(月)

仕事の途中で携帯電話が行方不明になったことに気づく。それからが大変。今の時代には生活必需品となり片身はなさず持っていないとこまることが多すぎる。気づいたのは10時の休憩時間。それから探すこと1時間。そもそも自宅を出る時に持ってきたのかも怪しくなり公衆電話でかあちゃんに聞いたり。それからしばらくしてひょんなところからガラ携帯が現れる。

忘却とは忘れ去ることなりというがこういう忘れ物はこまるのだ。数十年前には想像もできなかった必需。昔は友だちや自宅の電話番号をすぐ憶えられたが今では無理。メモ代わりに使用するということは脳みその進歩か退歩か―。

そんなこんなで暑い一日をさらに熱く過ごしたのです。金魚ちゃんに顛末を報告。「バーカ、勝手にしろ!!」と3匹そろって口をパクパクさせるのでした。わが家の向日葵が咲きました。パクパクバイバイ。
 
   7月16日(日)

朝、土手の草刈り。手強い。傾斜がわがも顔ででんと居座り、「さぁ、おいらを刈ってみろ!」。それなりに挑戦して早めに切り上げる。雑草は逃げはしまい。ただ、成長していくだけだ。放っておけば冬には枯れるはずだ。バーカ。勝手に伸びろ。枯れたら火を点けてやるぞ。

ながみに行き泳ぐ。キャンドルで立原道造詩集を読む。「のちのおもひに」―夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に―。昔から好きな詩人のひとりだった。もう何度読んだろう。いつも新鮮な気持ちになる。

夕方、小松の夏祭り最終日を見に行く。若い子が元気に踊り声を張り上げている。帰ると姫丸子わが家に登場。今晩のお土産はうな重。びっくりした!たまげた!おどろいた!。仏壇か神棚にお供えしてから食べなければー。ところが、わが家にはどちらもない、かといって食べなければ失礼になるしもったいない。ごちそうさまです。
 
  7月15日(土) 

暑さに本物と偽物はあるのか。今日は正真正銘の本物の暑さだった。しからば偽物の暑さというものはどういうものか。それを考える。頭をひねるが本物の暑さに負けて思考回路は動かない。ただ、じーっと庭をみているだけだ。

小松町内の夏祭りが始まった。炎天下の中を山車がノロノロと町内の細い坂道を練り歩く。元気なのは子ども御こしぐらい。役員が先導しているがみんな暑さに閉口しているようだ。

太陽が雲に隠れる間隙を盗むように庭の草取りに精を出す。夕方、お仮屋に戻ってきた山車を迎える。くたびれたご一行、なんとなく元気がない。熱帯夜。やはり、本物の暑さ到来のようだ。お休みなさい。
 
   7月14日(金)

さて、今日の暑い一日をふりかえってみよう。朝4時過ぎに目ざめる。寝床から朝焼けが見える。空はあくまでも澄みわたり白い雲がなびき赤い光は濃度をあげると一瞬にして眩しい光の放射となる。ぼーっとしながら空の戯れに感動する。

さて、次はシルバーの仕事。無心の掃き掃除。無言のモップかけ。お辞儀の雑巾かけ。そうやって午前の仕事は終了。問題は午後だ。麦わら帽子に草刈り鎌。日陰を求めて雑草をひっかいでとる。ガマン、がまんだ。姫丸子のメールここで知る。また頂き物をする。感謝。、

さて、仕事を終え帰宅途中にN氏から電話あり。石岡にあるいばぶんの持ち物を見たいという。いばぶんの事務所を見てもらう。書籍が少ないことに少しがっかりしたよう。次はドロボー猫のように山王姫宅を訪問。やはり、家主不在の自宅を歩くのには抵抗がある。そそくさと退散。山王姫にお詫びの電話をいれる。終わりです。
 
   7月13日(木)

物語りは小さなできごとから生まれる。姫丸子、仕事帰りにわが家を訪れる。たくさんのお土産と笑顔。元気をもらう。ありがとうございます。返礼品としてころころ菜園の採れたてトマトやニガウリなどをプレゼント。100点満点の笑顔をパチリ。

そこで気がつく。平凡に生きて日々を送ること。これが難しい。真っ只中の生は待ったなしだ。「懐かしい年への手紙」大江健三郎。3ヶ月かけて読み終える。人は神を心に抱くのは必然的。

インドの仏教史跡巡りに参加したとき。痩せた男がこれも痩せた土地を耕しているのを見た。気温は40℃をゆうにこしている。痩せた牛と眠るように畑を往復していた。あの時、神は人にとって必然的なものだと確信できた。それなのに、世界のあちこちで宗教上のイデオロギーの違いで殺し合う。それがわらない。寝ます。バイバイでぇーす。
 
   7月12日(水)

気温はどんどん上がる。疲れをしらない子どものよう。暑い一日だった。それでも朝一番でわが家の土手の草刈りをやる。広さは高さが3メートルほどで長さが10メートルぐらい。仮払い機でも扱いにくい斜面。年寄夫婦の作業としては辛い。もっと早い時期に切り倒し墓場にと思っていたが腰痛で日延べで今日となる。みごとなぐらいのとら刈りで終了。

キャンドルをいじっていて思いだす。そういえばぼーっとした漫画家がいた。名はつげ義春。そこで1冊購入。タイトルは「無能の人・日の戯れ」(新潮文庫)を読む。おいらとピッタシカンカン。違うのは有名か無名かだが同じニンゲンであることには間違いない。

夕方になるとどんどん眠くなる。そこで、おいらはすみやかに布団にはいるのだ。まだ、外は明るい。眠いのは明るさに関係ない。バイバイだ。
 
   7月11日(火)

なにゆえもってこんなに暑いのか。なにか大きな理由がありそう。とにかくしっかりと暑いのだ。シルバー仕事の午後はセンター周囲の草取り。麦わら帽子をかぶりさあ張りきってとはいかないのだ。青空にはりっぱな入道雲。手に持った草刈り鎌にはギンギンお陽さまがメラメラ燃えている。

山形の山村に住んでいたところ、この時期は百姓の水争いが絶えなかった。おらが田んぼの水をいかに確保するか。どこの農家もイノチがけなのだ。そんなことで阿見町のヤギ一家を思いだす。もう徒歩でブラリと行ける距離でない。今でも、ヤギ一家主人は 朝早く起き田んぼの水回りをしているのだろうか―。

石油争いの後は水争いの世界になるという。日本列島は馬の背骨のような地形。降った雨はあっという間に海に流れる。一滴の水は命がかかわることもある。わが家の金魚ちゃんは水なしでは黄泉の国に旅立つはずだ。「おまえらわかっているのかー」金魚ちゃん沈黙。エライものだ。
 
   7月10日(月)


暑い一日だった!! 暑い一日だった!! 暑い一日だった!!。
どちらさまも
あちらさまも
こちらさまも
夏祭りの準備が進んでいるようです。
暑い一日だった!! 暑い一日だった!! 暑い一日だった!!。
 
  7月9日(日)

暑い一日だった。今日は日整全国少年柔道大会の県代表選考会。会場となっている筑波大学柔道場は熱気と人いきれで絶対暑さ。ガマンの時間をを無事過ごす。聞けば室温は42度にちかいという。そこで朝9時から午後2時過ぎまでガマン、ガマン。

小学5年生の部で優勝した男の子は体重が106キログラム。よくぞ、ここまで大きく育ったものだ。きっと大食いで親もこまっているのではと邪推する。つくばの環境研の研究者に霞ヶ浦の鳥はどれぐらい食べ湖にたれるのか?「動物は食った分だけ出す」という。それならこの大きな少年も相当な量だろうと推察される。さらに、テレビで大相撲を見ていたら少年よりさらに大きい力士がズラリ。考えただけで身震いする。

水戸のご老公にN氏からの有難い提案を伝える。承諾するという。さて、また引っ越しだ。考えただけで疲れるがもうひと踏ん張り―。明日は山王姫にも伝えなければ―。
 
   7月5日(土)

朝7時から営業しているという喫茶店「美味小屋」へ。はたして営業しているものかと話しながらかあちゃんと行く。たしかに営業をしておりママさん準備に追われているよう。しばらくすると顔なじみのお客さんがくる。朝7時からの営業に納得。

昼はN氏と相坊と3人でつくば市吉瀬の文化郷で昼ランチ。N氏いわく。「長屋門にある部屋が空いているからいばぶんの事務所に使ってみたら。そして、文化情報をどんどん発信してほしい。もちろん家賃は無料」。無料というのは魅力だがただほど高いものはないということもある。

石岡市にいばぶんの事務所を移転したのは昨年の暮れ。山王姫から「土浦から遠すぎて不便ではないか」という意見もあったが、わが家は家なきジジババになる状況。申し込んだ市営住宅も決まらず二人ともパニック状態。いばぶんどころではなかったが、山王姫のお陰でなんとかクリア。当初はもっと頻繁に石岡へ行けると思っていたが恋瀬川を越えるのにはエイヤーの気合がいる。やはり遠いのだ。吉瀬の文化郷なら石岡の五分の一ぐらいの距離でしかも無料。魅力的で有り難い話だが、とりあえず水戸のご老公に相談してみるとして別れる。さて、どうなることやら。
 
   7月7日(金)

霞ヶ浦を見ても地上に視線を向けても空を見あげても夏だ。寒かったら厚着して体を動かして暖をとることができるが暑さは逃げ場がない。こまったものだ。

シルバーの仕事帰り、土浦のネイチャーセンターに立ち寄る。昔、世話になった市の職員とばったり会う。同センターと霞浦の湯とテニスコートの所長をやっているという。月日の経つのは早いものだ。来年は世界湖沼会議が開かれる。水郷公園で県知事と子どもたちが霞ヶ浦に向かい湖がきれいになることを願って声をはりあげた。あれはどこへいったのだろう。

今日は1万歩ちかく歩いたのだから散歩はいいだろうと思ったが、せっくかくここまでと貧乏神は欲する。ぼーっとしながら公園を一周。歩きながら考える。歩けるうちは花だよ。花のイノチは短い。今日もぼーっとして一日の緞帳を下ろすのです。バイバイ!!。
 
   7月6日(木)

ころころ花壇の小鳥えさ場にやや大きめのパンの切りはしを置いたら黒いカラスがさあーっとやってきて嘴にくわえてバタバタと飛んでいった。泥棒カラスだ。スズメちゃんにはいつもコメヌカ(無料)をやっているのだがご褒美として時々小さくちぎったパンのミミをやっている。大きいパンはどうするだろうと思い試しにスズメでは嘴にくわえて飛べないパンを置いたのだ。しばらく様子を見ていたらカラスの飛来だ。自然界の闘いはすごいものだ。

朝早くから山王姫に頼まれた写真のプリント。やる気スイッチオン。チャンスを逃すと後で苦労する。なんとか昼ごろに終わる。連絡をしてココスではなくマックで待ち合わせ。山王姫はマックをあまり利用したことがないようでいろいろとお勉強。おいらの母ちゃんもそうだが、次々と進化する社会の利便性にお年よりはついていけない。時代は昭和で止まっているのだ。それでもスマホを使いこなせる山王姫は現代人。そういうことで今日もそれなりに生きて終りました。バイバイです。
 
   7月5日(水)

モロモロの雑多なことを整理していたら昼になっていた。これまでも整理しなければと思っていたがなかなか腰があがらない。気力がめっきり萎えた。こまったことだと金魚ちゃんとにらめっこ。金魚ちゃんは目はそらさない。そこで俄然、闘志がわく。本の整理、雑文の整理、写真の整理、面倒だからイノチの整理とはいかなかったが整理に没頭する。
午後、疲れを癒しにながみねへ。ヘルストロン40分、水中歩行40分。風呂3分をこなす。腰の痛みが少なりクジ運に恵まれたような心地よさ。気分爽快なり。

テレビでよく見る魚ちゃん博士。子どものころ先生に「魚のほかにも勉強するように」。母いわく「いいんです、あの子は好きな魚の絵を描かせているだけで―」。というわけで、おいらも夕方、草取りに励もうとするがドシャブリ。うまくいかないものですね。バイバイ。
 
   7月4日(火)

1週間ぶりにモップを手にして働いたので疲れた。体を動かして汗をかくことは精神的にも肉体的にもいいことだ。高齢者になれば体力増進などもはや絵空事。いかに今の健康を維持するか。そこでセンター清掃となるわけで1日の仕事で約12,000歩を歩いたことになるという。

頭を空っぽにしてモップをかけながら世界の平和を祈る。いや、頭は空っぽになっていないのではと考える。なぜなら世界の平和を祈っているのだから―。そう思うと、頭を空っぽにするという無我の境地に入ることの難しさを知る。

夕方、ココスで山王姫と写真アルバム製作の打ち合わせ。タキシード歌手の話題が尽きない。さまざまな角度から彼の心理を読み探る。そういう意味では我々に「お勉強」という宿題とチャンスを与えてくれたことになる。偉いものだ。それにしてみ理解に苦しむことが多い。
(写真は7月1日に開かれた茨城民俗学会の総会とお話会)
 
   7月3日(月)

気がついてみたら、今年も半分おわりで7月に入り3日目だ。暑さにハアハアと息をしてもぼーっと過ごしていても暦は進む。昨日は山王姫と潮来マリーナに行きうさちゃんグッズについて相談しようと思っていたが暑さでぼーっとして何をしにいったのかよくわからない。

今日は真夏日と聞いていたので覚悟をして家でじっとする。よく考えてみたら明日はシルバーの仕事。体を休めることに徹底する。

トランプもサイコパス(精神病質)であるという「サイコパス」中野信子著(文春新書)を読む。サイコパス人間は100人に1人いるという。あたりを見渡し当てはまりそうな人物を思い浮かべる。自己診断もついているのでやってみる。怪しい、怪しい、怪しい輩が次々登場。世の中、いろんな人がいるから面白いはずだが、これはいかん。いつかバチが当たるのではと思う。それでも、地球はまわるのだ。
 

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