怠惰な散歩  2017年

   6月30日(金)

土浦の蓮河原に住んでいたころ、この季節は散歩途中に大きな紫陽花を見つけると顔をうずめ大きな花びらを両手ですくいぬぐった。朝露をいっぱいためた水滴は冷たく新鮮で心洗われたようだった。そんな思い出を山王姫の部屋にデンと飾られた紫陽花を見ながら、遠い記憶を呼び起こす。

今日はよく動いた。石岡のいばぶん事務所へ行きHPの更新。山王姫宅で「セピア色の青い空」の取材。CROSSで霞ケ浦の写真説明。その後、皮膚科の医院。帰宅してころころ農園の草取り。まだまだ、動けそうだ。

そのしっぺ返しがくることを忘れてはならない。6月の半分は腰痛で苦しんだ。胆に銘じることはユダンとスカッぺ。そこで、ブログもそろりそろりと書く。そうかといって意気込んで書いても内容は乏しいのだが―。そういうことだ。
 
   6月29日(木)

過ぎ行く日々の一日にそう大きな変化はない。ブログに認めるようなできごとはおきないものだ。それでも、書きはじめてみれば今日一日のいろいろなことが浮かんでくる。

梅雨空の朝、我が家のころころ農園を見に行く。なんとも情けない野菜の生育状態だ。いくら素人とはいえど惨めなものだ。やせ細ったキュウリやナスがかろうじて枝にしがみついている。それでも、奈良から送られてきたカゴメで品質改良したと思われるトマトの苗だけはすくすく育ち実をつけている。

「土浦幻聴」を少し撮影。潮来マリーナ社長、相棒、水戸のご老公から電話あり。K・Nとは7月8日会食と決まる。
 
   6月28日(水)

タキシード歌手、ケアハウスゼーレで熱唱。あくまでも高尚な振舞。魅力的が声がホールに響く。パチリ、パチリやりながら聞く。懐かしい唱歌から昭和歌謡まで20曲。入居者も元気に歌う。もちろん、この企画の仕掛人は山王姫。そういえば、最近、大声で歌ったり叫んだことがない。体のためにも精神的にもこれはよくないことだ。

家に帰り、金魚ちゃんに向かって「バカヤロー」と大声で怒鳴ってみる。金魚鉢の水面が少し波をたてる。しかし、金魚ちゃんの反応はなし。

「バーカなご主人さま。何に不満があるのか自分でもわからずダミ声で『バカヤロー』と叫んでいる。こまったものだ」。「しかし、毎日エサをくれるのはこの『バカヤロー絶叫男』しかいないのだから好きにやっていろ」。ああ、ニンゲン社会は実に情けなく滑稽なものだとしみじみ思う。
 
   6月27日(火)

「循環する時間、循環する時間ー~」と唱えながら土浦市民センター大ホールロビーのモップかけに励む。同センターは築50年だそうだ。半世紀前に1200人収容の観客席を備えた近代的な文化ホールとして華々しくオープンしたであろう。それは過去の話。近隣の市町村には負けず劣らずの施設がニョキニョキ。

「循環する時間、循環する時間ー~」大江健三郎の「懐かしい年への手紙」のギ―兄さん。時間はどうやって循環するのだろうー。まっすぐに過去に向かって消えていくだけではないかー。

夜、山王姫より連絡あり。明日の「歌声の集い」の件。昼食でも一緒にどうか。承諾する。そういえばK・N氏からランチでもいかがかーは、どうしたのだろう循環しない時間とでもいうべきかー。
 
   6月23日(日)

朝から小雨がぱらつく。早朝の草取りを計画していただけに無念。それでも、小雨の合間に草取りをやる。嫌われ者の雑草はなぜニョキニョキと地上に元気よく顔をだすのかを考えていた。今日よくわかった。それはぼーっとしているニンゲンに仕事を与えているのだ。そう考えるとなにもかもが辻褄が合う。朝どっさりのうん子のように。

山王姫の母がいっていたという。「草取りさんは、次の仕事をもらえるように根っこまで取らないよ」。これはシルバーの仕事にも通じる。機械化してスピードアップすれば雑草は一網打尽。次の仕事がない。当然ようにシルバーに報酬はない。こまる。そこで、子どもの遊びのような草取りに精を出す。時間を稼ぐことでカネを得ることができる。

草取りの合間に大江健三郎の「懐かしい年への手紙」を読む。読み始めてたから1ヶ月になるというのにまだ終わらない。この長編小説は重い。重い瞼は早く閉じるべき。そこで布団に入って眠ることにする。バイバイ!!。
 
   6月24日(土)

物語はつくり、つくられ、つくられるものだ。さて、つくることで大切なことはなにか―?。後々までも残らなくてもいいという覚悟と潔さ。

今日は暑かった。シルバーの仕事で午前2時間、午後1時間の草取り作業。ノー天気、永遠のぼーっを生き甲斐としているおいらでもこたえた。暑さは逃げ場がない。日陰、日陰を求めての作業。「おわりにしようかー」の声を聞いたときは天にものぼる気持ちだった。

それでもくじけず、明日の早朝にはわが家の草取りに励もう。そうしないと、そしてそれからの物語がつくれそうもないのだ。この問いの名答は、いつか必ず金魚ちゃんから聞き出してみようと思う。バイバイだ。
 
   6月23日(金)

しばらくブログを休んでいた。それなりの事情があってだが6月21日(水)のこと忘備録として記しておこう。その日は仕事当番。それなりに働いて帰宅。

19日に取材した水戸市立緑丘小学校に記事を書いている時、相棒登場。そこで酒を飲み出す。それなりに話がおさまり終了。これからが問題発生。すでにずいぶんと酔っている。

突然、インドのデリーに住むコウシクから電話。今、市川のケイコ先生の家にいる。これから土浦のおいらの家に来るという。とてもクルマを運転して駅まで迎えにゆくという状態ではない。土浦駅からタクシーで来るように。わが家に着いたのは夜の9時。何を話したのか記憶は薄い。30分ほど滞在して慌ただしく帰る。何の連絡もなく突然やってくるとは、まったくインド人らしいインド人だ。
 
   6月20日(火)

暑い一日だった。腰痛休み穴埋め仕事で土浦市民センターへ。午前中は小ホール、大ホールの清掃。休みをとらないと続かない。椅子に座りモップにもたれぼんやり休憩。このスタイルは如意観音像、ロダンの考える人に似てる。「モップを持つ考える人」、これは素晴らしい。自撮りをしたいぐらいだ。

午後は草取り。これがきつい。何度も立ち上がり腰を伸ばす。ああ、哀れなオジン。そういえば、作家の開口健は酒に酔うと「哀れな開口です」と深夜、友人に電話をしていたそうだ。

仕事の帰りながみねへ。目的は汗さっぱりと腰痛サヨナラ。願いは通じるか。そうだ、「腰痛観音像」をころころ花壇に建立しなけばと思う。難問、珍門、疑問。バーカだ!!。
 
   6月19日(月)

大江健三郎の「懐かしい年への手紙」をゆっくりと静かにぼーっと読む。「受け身はよくない」という中野重治の言葉が突然あらわれる。おいらは、ただ暗い青春にあと戻り。ああ、あの一瞬の時代はまぼろしとなりつつる。1987年12月初版。あの年はどこで何をやっていたのやらー。思いだせない。それにしてもすごい小説だ。

今日は忙しかった。常陽小学生新聞の取材で水戸へ。いばぶん監査の認め印もらい。山王姫と待ちあわせてサイトウ氏の原稿をいただく。どう処理していいのやらー。

今日のできごとを金魚ちゃんに報告。「それが庶民の普通の暮らし。トコトコカタカタプルプルと音をたて心臓が動いていることに感謝しろ。うるさいから、さっさと寝ろ」「ハイ、わかりました。バイバイです」。
 
   6月15日(木)

今日は市民会館の仕事。先週、2日休んだ穴埋めで出勤となる。今日の仕事は通常の館内清掃に加え館外の草取り。草取りなら毎日欠かさず自宅でやっているからお手のもの。ところがだ、刈り込みバサミが切れない。雑草に歯向かおうとせずまったく切れない。まるで草を切るのが嫌だとストライキを起こしているようだ。

空からは夏の陽が遠慮なく降りそそぐ。「暑い、切れない、イライラ」が募る。ここで思う。ストレスが重なり刈り込みバサミが凶器になるのでは―。3人が体を寄せ合うようにして草取りをしている。「暑い、切れない、イライラ」の三拍子が破裂して誰かが狂う。そして殺傷事件。ああ、クワバラクワバラ。

聞くところによると、人材センターに頼んでも新しいのをなかなか購入してくれない。それなら土浦市長に直訴。選挙スマイルの顔を思いだす。アキタのカンさんもフェスブックには閉口しているよう。お詫びのメール届く。
 
   6月14日(水)

仕事の帰り霞ヶ浦を見に行く。蓮河原に住んでいたころ湖岸をよく歩いた。朝の霞ヶ浦は七変化のようにさまざまな顔を見せる。怒ったり嘆いたり喜こんだり。ハッピーな時間を何度も過ごすことができた。

湖畔の瀧田東公園でぼーっと時間を過ごしたことを思い出し行ってみるとネジ花が一本西日を受け風に揺れていた。その姿は背伸びするようにすくっとたちピンク色の小さな花が螺旋階段のように咲いている。かわいいものだ。

小学生らしい少女二人がブランコで遊んでいる。そういえば小学生新聞の次の取材日を決めなければ。急にメシのタネに戻る。ぼーっはどんな仕事をやっているのやら―というように霞ヶ浦は波高くざわついているだけだ。我関知せず。たいしたものだと思う。

追伸:姫丸子さま。ラッキョウのみそ漬けごちそうさまです。美味しかったです。ありがとうございます。
 
   6月13日(火)

アキタのカンさんからフェスブックのメールが届いたのは先月。軽い気持ちで登録だけしてみる。そしたら「友だちになる」のメールがどんどんくる。それもインド人がほとんどで約100人。パピア、オロク、ショットさんの連環らしい。知っている人もいるが知らないインド人がほとんど。

日本人は数人。どいうわけか土浦市長の中川清さんがデンと登場している。中川市長とは知らない仲ではないが、そんなに懇意にしているわけではない。顔写真はあきらかに選挙スマイルだ。

おいらのブログを更新するだけでも閉口しているというのに―。世界は水中の会話が増えてきたのでせめても顔だけでも見せようというのだろうか―。世の中はどんどん進化しているようだがもう結構ですという気持ちが強い。
 
   6月12日(月)

朝5時に起きて歩く。小松から富士崎町、下高津、小松ヶ丘をキョロキョロしながら歩を進める。まだ朝が早いせいか人影はない。それでも走る人や犬を連れて散歩をする人とすれ違う。そうだ「土浦幻聴」のパチリパチリだ。

ウロウロキョロキョロしているうちに相棒の家の道路に出る。こんな朝早く起きていないだろう。予想通り家の前はシーンとしている。通りにも人は見当たらない。静かなものだ。静かに眠れるということは有難く幸せなことだ。

夕方、市川接骨院へ。治療を終えると体が軽くなっている。もちろん脳みそも軽いがこれなら水曜日の仕事は大丈夫と自信がつく。親は何ひとつ財産を残してくれなかったが健常で頑健な体を授けてくれた。それが大きな財産か―。グランヴィアではたくさんの病人を見てきた。あの姿は痛々しかった。それを思うとぼーっでもいいから元気な体は有難いものだとしみじみ思う。金魚ちゃんに吉報を報告するが反応なし。
 
   6月11日(日)

少しだけ草取りをする。用心しながらだ。無理は禁物と何度も休みをとる。なにごとも慎重にことを進めることは年寄りには大切な習い事のような気がする。師匠がいたわけではないが体がそういう反応をする。これは老いて知ること。若くはないのだ。

湯楽の里へ行く。市川接骨院は日曜で休み。少しでも腰の回復が早まるようにということだ。肩、背中、腰にジェット泡をたっぷりあてる。たっぷり時間をかけたせいか頭がぼーっとする。これはこれでこまったものだ。

今の楽しみは何かと問われたら「草むしり」。「草取り」ではない。あくまでも草むしりだ。取るとむしりの違いは何かと聞かれてもこまる。気分的に「草むしりをする」の表現がおいらにはしっくりなじむ。これからの課題は「草取り」と「草むしり」について考えよう。バーカみたい。それでいいのです。
 
   6月10日(土)

ころころ花壇にやってくる朝一番のお客さまはモンシロチョウ。遠くの林からウグイスのホーホケキョ。ぼーっはその中でさらなるぼーっとすること30分。頭の中は真っ白、とはいってもモンシロチョウのように純粋な白さではない。悪さをたくらむほどの知恵はないから、それこそサラサラヒラヒラとどこまでも軽くぼんやりとしている。

ナスが4本、ニガウリが2本イノチ散る。引っ越してきて慌ただしく野菜作りや花壇作りをしたせいかもしれない。しっかりと土づくり(どうやるか知らない)をしなければならなかったが無我夢中で植えた。そのせいかどれも成長が悪い。あらためて土のソコジカラを知る。

夕方N氏から電話あり。明日ランチでもどうかというもの。今、腰が悪いからあまり動きたくない。そこで来週の平日にあらためて日程を決めることにする。とにかく、今度の水曜の仕事日までには完治させたいのだ。どうか、おいらの願いを聞いてとコシをさすりながら布団へ。お休みなさい。
 
   6月9日(金)

メロンを食べる。甘くておいしい。「年寄りになったら美味いものを食べるだけが楽しみだ」と母は言っていた。母の思い出はかすかなもの。一緒に暮らした年月が短かった。父となるとまったく皆無。ゼロだ。父から「おまえの名前はお墓から取った」と言われた阿川佐和子の「強父論」を読む。父ことを思いだし1冊の本になる。これが普通なのだろうが、なかなかうまくいかないことが多い。

読書といえば大江健三郎「懐かしい年への手紙を」のページをめくっているがなかなか進まない。こういう重厚な純文学を読もうとするには気合が要求される。今はその力はない。それでも半分ほど読んだが文中に出てくるヨコ文字は全部とばす。こうなるとどこまで理解できているのか怪しくなる。

腰痛もだいぶ良くなった。それでも草取りは控えている。朝夕は涼しい風が吹き絶好の草取り日和だが用心、火の用心、コシ用心だ。雑草め、すくすく伸びられるのは今のうちだけだぞ!。
 
   6月8日(木)

巨人の連敗はさらにのびる。ますます応援したくなる。これまで弱いものいじめをしてきた長年のツケがまわってきたのだ。ひっぱったゴムは必ず自分にはね返ってくる。腰痛の日々も続く。巨人が連敗を止めたら治るのかー。それなら、早く勝ってほしいものだ。

市川接骨院の話では「だいぶよくなったようですね。こういうのは1週間から10日かかる」。デンキをかけてもらうようになり4日目。まだ先は長い。土曜日の掃除仕事は無理なようだ。休ませてほしいと連絡。了解してもらう。来週の水曜日には行けることを祈る。

夕方、酒を飲んでいたら山王姫がメロンとニンニクとイチゴジャムを届けてくれる。山本姫子からの贈り物という。感謝感激だ。本来なら受け取りに出向かなければならないのにこのザマだ。とにかく有難いことだ。かあちゃんも交えてしばらく雑談。山王姫よいつまでも元気であれ!。山本姫子さま、ありがとうございます。
 
   6月7日(水)

さて、今日をどう過ごしたかといえば、友だちでも親戚でもないはずの腰の痛みに追いかけられ終わったということだ。痛みからいつ解放されるかわからない不安。これは始末におえない。イタイイタイの飛んでけと言ってもしがみついている。

市川整骨院でデンキをかけてもらっているあいだは気持ちはいい。だからといって痛みが消えるわけではない。これは時間が解決してくれるのだろうか。時間とはそのためにあるのだろうか。つまらないことを考えても痛みは風と共に去りぬとはいかない。

ジャイアンツの連敗は続く。新聞見出し「巨人42年ぶり11連敗」」と大きくおどる。プロ野球には興味がなかったが42年前、長嶋監督が負け続けるのでかわいそうになり応援するようになった。こうなったら新記録達成を願う。
 
   6月6日(火)

昨晩の願いも通じず痛みは佳境に入ったようだ。トイレに行くにも這っていくという状態。つくづく健康な体が恋しくなる。昨日の3時間近いクルマの運転もジワジワと効いているようだ。立ち上がり歩く時はあらゆるものに手を伸ばしつかまらなければならない。こうなると1本の柱や棚が神さまに見える。明日はシルバーの仕事日。回復の見通し立たず休みの連絡を入れる。

台所から固い椅子を運びパソコンに向かう。小学生新聞の締め切りが迫っているのだ。こんな追い込まれたのは単なる思い過ごしからきている。それでもガンバル。なんとかまとめてメールで送ったのが午後3時過ぎ。終わるなり市川整骨院へ。少しは良くなったようだがご用心、ご用心。

夕方、テレビを見ながら酒を飲んでいたら相棒がいばぶん宛の郵便物を届けてくれる。あたりさわりのない世間話をする。おいらは酒を飲んでいるせいか段々とく゜だを巻く。それを感じとった相棒はそそくさと帰る。酔っ払い相手にせずだ。偉い!!
 
   6月5日(月)

朝起きたら腰が痛い。昨日、草取りの最後の仕上げとして仮払い機を使ったのが効いてるようだ。とにかく、夢中になって雑草と格闘した。さらに前日のお掃除で前かがみでほうきを使っていた。慣れないこともあり腰が痛い仕事だなぁーと思った。まだ初日だからそのうちコツを覚えれば―。その疲れも重なったのだ。いかに若くない肉体であるかを証明しているようだ。

今日は小学生新聞の取材で水戸へ行かなければならない。本来ならもう終わっているはずだがとんだヘマからこんなことになるとブツブツ言いながら痛い腰をガマンして水戸市立浜田小学校へ。3人の先生相手に1時間ほど話を聞く。終わって立ち上がろうとするとガクッ。何とか車を運転して土浦へ。

途中、市川整骨院へ駆け込む。40分ほどの治療を終えて帰宅。痛みがどんどん増す。とにかく、明日に期待して寝る。山王姫から電話あり。山本姫子からおいらにとメロンを預かっている。現況を説明する。「お大事に」。さてこのお見舞いが通じるか。神のみ知るはずだ。
 
   6月4日(日)

涼しいうちにと朝早くから草取りに励む。この雑草とよばれている輩はなに用あって地上に顔を出すのか。おてんとうさまを見たいのか?。土の中で一生を終えてもいいと思っているがやはり偉大なる太陽を拝んでみたい。きっとそうだ。そうでなかったらこの暑い日差しに堪えられない。その強い意志に敬服。それでも雑草は取るのだ。

休憩の時は本を読もうとページをめくるが数分で眠くなる。本を開いたまま眠りぱたりと手もとから落ちた音で目を覚ます。口元のヨダレを拭きここはどこだっけ?。あっ、自分の家か―。爆睡している。寝る子は育つというが、この年では「寝るジジィは永遠なり」がふさわしいような気がする。

弱い巨人、また負ける。別に驚くこともない。弱いから負けるのだ。雑草のような逞しさがない。ひ弱な巨人。弱いから応援してやろう。
 
  6月2日(土)

今日はシルバー人材センターの初仕事。張り切っているわけではないがなにかワクワクする。これがうまく回転するようになれば生活リズムがとれるような気がする。

最初に28日(水)出勤の変更願い。初日からと思ったが早い方がいいと申し出る。以外と簡単にOKとなる。これなら今後も安心、とはいっても頻繁だったらどうなるのだろう。

さて仕事の方だが「モップの使い方がうまい」とほめられる。当たり前だ。昔、阿見町のシルバー人材センター主催の「ビル清掃講習会」に1週間通ったのだ。修了書までもらった。もっともその時の内容は完璧に忘れているがー。将来、できる仕事といったら清掃ぐらいだろうと想定していた。それが、こんなところでほめられるとはー。モップの使い方など忘れたと思っていたがどこかに眠っていたのだろうかー。
 

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