怠惰な散歩  2017年

   5月31日(水)

土浦シルバー人材センターの研修日。朝7時半から土浦市民センターのお掃除が始まる。人生は心の清掃と市民センターのごみ拾い。これを充たされた生活というのか。ともかく無償の研修をお昼に終える。なにか虚脱感だけが残る。

自宅に帰り整復師会のお仕事。9割ほど終えほっとする。昔のように集中力がなくなった。ぼーっとしながら「エィ― ヤルゾ―!!」の気合をいれスイッチオン。それでも、それなりに今号もまとまりそうだ。これこそ我が人生と同じ。なるようにしかならない。そうやって今日まで二本足で地上に立っていたのだ。

さて、二本足のない金魚ちゃんはどうか。ノホホンだけが我が人生というように泳いでいる。達観しておられる。ありがとうございます。お休みなさい。
 
   5月30日(火)

今日は常陽小学生新聞の取材日。取手市立戸頭小学校へ勇んで行く。午後1時にアポをとったので昼メシはかあちゃんが作ってくれたおにぎり弁当。途中の小さな神社の境内で食べる。取手市樹木指定1号というイチョウの太い幹と背を仰ぐ。うん、りっぱなものだ。

ところが、取材担当の戸頭小の教頭先生と会うなり6月1日ではなかったのですか?。頭が真っ白になる。確認すると今日の予定は水戸市立浜田小学校。すでに取材予定はおいらの脳みそにゆるぎもなくインプットされ微動だもしない。それが全部ダメとなったのだ。てんやわんやは話したくない。

「今日は5月30日は”ゴミゼロの日”というが、おまえさんは”ノウミソゼロの日”」と金魚ちゃん。さらに続く、「まったく嘆きの言葉も浮かばないよ!!」。バーイバーイでぇーす。
 
   5月29日(月)

いろいろなことがあるのが人生。ところがいろいろなことはなくぼーっの連続。犬は飼い主に似るというからわが家の金魚ちゃんもぼーっとしているのかと覗いてみると。たえず体を動かしている。遠出はできないからいつも水槽の中にいるが同じところにはいない。でも、体を動かしながらぼーっとしているのは分かる。目に輝きがない。これはあきらかに精神状態は空っぽ。とても世界の平和を祈っているとは思えない。ましてや今日は何の日でお天気はどうだとか問うこともない。バーカぼーっ金魚ちゃん。

金魚ちゃんからメッセージ届く。「ぼーっだのバーカだのとほざいていないで草取りに励め。これといった特技はないのだからウンチスタイルで雑草と戦うのだ。もっとも草には雑草というものはないそうだがそんなことに躊躇することない。ましてや考えることもない。ただひたすら雑草とにらめっこして土にしがみついている根っこを取り出せばいいのだ」。「雑草ちゃん、ぼーっオジサンに命絶たれた気分は?」きっと、こういう返事があるはずだ。「くそぼーっに殺されるとは不覚、無念なり」。
 
   5月28日(日)

朝から草取りに精を出す。日が高くなれば暑さが厳しくなる。炎天下での草取りは天国が近くなる可能性もある。それだけはカンベンしていただきたい。そこでまだ朝がボーッとしている間に済ませることにする。

途中、町内の一斉掃除に参加。小松では初めて。ここの清掃はゴミ拾いではなく道路端の草取りが主体。竹ぼうきとカマを取りに二度もくたびれ坂を上ったり下ったり。それだけも疲れる。

午後は爽やかな風を受けながら読書。「父は1冊の本と晩酌があれば満足していた」。父の死を看取った沢木耕太郎はそう書いている。「なにもしなかった、できなかった」と言い残し無名のまま亡くなったという。そのうちウツラウツラ。30分も読むと眠くなる。こういう生活を健康的というのか。無名であれ有名であれ人のイノチは一つなり。
 
   5月22日(月)

ころころ花壇の筑波石にいつもコメヌカを置いている。簡単にいえば小鳥のエサ場。仕入れ価格ゼロで家計の負担なしということで始めた。貧乏人の発想は豊かというかとんでもないことを思いつく。まるで、お乳いっぱいの大きなおっぱいのようにアイデアはあふれている。

そこへスズメはよくやってくる。しかし、チョコチョコと動きまわり落ち着きがない。情緒不安定。チャカチャカして自閉症ではないかと疑う。ニンゲンさまの世界にもそんな症状をかかえた輩がウジャウジャいる。もしかしたらおいらもそうかもしれない。それは、それでヨシとしよう。

金魚ちゃんの引っ越し祝いもせずにいたら、野田に住む絵描きのミズエ先生から引っ越し祝いが届く。豪華なハムセット。フムフムハムハムナルホドと考える。菜っ葉食生活に強いられているおいらを察したのか―。ありがたく頂く。追伸、どんなに金魚ちゃんがおねだりしてもこれだけは絶対にあげませんぞ!!。
 
   5月21日(日)

暑い日曜日だった。加齢とともに夏の日差しはきつくなる。それでも早起きをして「土浦幻聴・小松ヶ丘」をアップする。これでようやくストックがなくなった。気が向いたらパチリパチリとまた市内を歩こう。

整復師会の定時総会で水戸へ。開発公社ビルにはじめて入る。りっぱな建物だ。シャンシャン総会は無事に終了。役員改選でタケフジ会長が誕生。「お疲れさまでした」はイチカワ前会長へ。「おめでとう」はタケフジ新会長へと握手を求める。新会長からは「これからもよろしく」大きな手で握り返される。前会長からは「焼き鳥談義をやろう」と誘われる。

帰り、いばぶん事務所。探し物の書類が見つからずわからない。イライラが募る。こまったものだ。疲れた。
 
   5月20日(土)

東京へ、上野へ行く。神林奨学生・研究助成の採用式に参列。全員の記念写真とその他をパチリパチリ。30数年続け、年間予算は数千万円ほど。継続は力なり。これまでの多くの採用者が世界各地で活躍をしてるという。理事長の子息二人も参加。長男とはカスミ時代に会って久しい。向こうは忘れている。忘れられる人がいて、忘れられない人がいて、どちらともいえない人もいる。こまったものだ。

上野駅周辺はひと、ひと、ひとで混雑。初夏の陽気と人いきれでムンムン。ああ、小松の新鮮な空気が吸いたいと寄り道せずまっすぐ帰る。

自宅に着いてぼーっとしていると豆腐屋さんのアナウンス。急いで坂下に行くと軽トラックでの出張販売。当主人自慢の豆腐二丁を買う。精養軒ではおいしい昼食をごちそうになったが、自宅では冷ややっこのつまみと夕飯。それが現実なのです。お休みなさい。
 
   5月19日(金)

さて、今日のことを書こう。朝5時に目ざめる。外は明るいがお日さまは見えない。きっと、どこかでお目覚めこんにちわと顔をだしているのだろう。

さて、今日の仕事は草取りしかない。草取りおじさんはひたすら腰をかがませ大地に向かい世界の平和と人びとの健康を祈りながら励む。人類の幸福とは―、難しい。結局、ひとは何が欲しいのだ。わからない。雑草の根っこの複雑さがさらに混迷へと導く。根っこは魑魅魍魎のように土の中にもぐりこんでいる。その生命力に感嘆!!。

さて、今日の大仕事は金魚ちゃん転居。玄関の下駄箱の上に移す。金魚ちゃんに訊く「住み心地はどうですか?」「よくもまあ、あちらこちらとありがとう。ご主人さま生きのびてください。そうしないとこまるのです」「ハイ、わかりました」。

バイバイでぇーす。。
 
   5月18日(木)

朝7時から草取り。終わって時計を見たら9時になっている。およそ、2時間、夢中で草さまとお話しをする。雑草と呼称されている雑草の根っこはすごく元気。それを支え受け入れている土もすごい。とにかく、草取りから学ぶことは多い。

毎月開かれているという小松の三夜さまの寄り合いにかあちゃんと初めて参加。元相棒もくる。20数年前、選挙用のポスター写真を撮った元市会議員にも久しぶりに会う。回顧談義にふける。

午後、いばぶん事務所へ。いやな仕事をそれなりにこなす。その後、「セピア色の青い空」の取材。山王姫から「家紋」について少しばかり話を聞く。再取材になる。とにかく、疲れた。眠い。サラバだ!!。
 
   5月15日(月)

空は鈍色。こういう日はこころが晴れない。ぐうーっと気分が沈んでいく。気張ろうとしてもどんどん暗い暗いトンネルに吸い込まれいくようだ。トンネルには出口がある。そして抜けると明かる光があるはずだ。出口を目指して歩こうとするが足が進まない。

テレビは4Kとか8Kといって鮮明な画像に挑んでいるが、いくら細かいところまで見えるといっても心の裡までは映し出すことはできない。「若きウェルテルの悩み」というゲーテの小説があった。二十代前半に読み内容は忘れてしまった。ここでグーグル先生から教えを乞う。概略を読んで少し思い出す。「老いぼれぼーっの悩み」の構想を練る。そこまではいいのだがすぐに眠くなる。

所用で久しぶりにCROSSへ行く。懐かしい顔がズラリ。みんな年寄りだ。残念無念なり。
 
   5月14日(日)

昨日、三中地区の図書館で借りてきた本を読む。欲ばりジジィは7册も借りてきた。谷川俊太郎の詩集「こころ」がいい。こんなにも瑞々しい言葉を詩に寄せることができるとは驚く。そこでヨレヨレおじんに勇気を与えてくれる。

ブログには公開してないが密かにおいらの詩のページを作っている。タイトルをどうしようかと迷っていたが「こころ」をヒントにしよう。とりあえず、おいらの年齢にあわせ68編になったら公開するつもりだ。そうとはいってもどなたが読むのやら―。

詩集「20億光年の孤独」を読んのは20代前半。あの時の衝撃は忘れられない。詩集を片手に昼の代々木公園や新宿歌舞伎町の夜を歩いた。そこには、すこぶる健康的な欲望があふれていたような気がする。詩は大好きだ。今度、伊東静雄の詩集をゆっくりと読もうと思っている。
 
   5月13日(土)

朝、目覚めると曇り空。暑くならないうちに草取りに励もうと長靴に軍手に鎌スタイルで始める。ところが、数分もしないうちに小雨ぱらつく。それでもと頑張るが雨粒はだんだん大きくなり土砂降り。慌ててベランダに避難。雨が降る、雨は降る、雨と土が接吻する。ああ、初キッスはいつだったけ!!。

医療機関は土曜日割り増し料金。それでもかかりつけ医院で定期検査。盗人だと思う。おいらの小水や血液を搾取。さらには胸をはだけ心電図とレントゲン。ああ、おいらは母ちゃんにも見せていないという油切れの肉体を看護師さんはしっかりと見る。無念というより、悲しい。

雨は止まない。土塊は疲れている。草花にこれまでさんざん栄養を供給してきたのだ。休息をとらせてやればいい。雨よ降れ。バイバイでーす。
 
   5月12日(金)

いばぶん主催の「スクエアステップ」講習会で理事の一人である山王姫とひたちなか市へ。参加者は100人ほど。会場は人いきれでムンムンとする。痴ほうにならないための話を聞くが、これだけはどうにもならないような気がする。

帰宅して、ぼんやりとこれからのことを考える。考えているのは金魚ちゃんはやっぱり屋外ではなく屋内で飼おうか―。それならどこへ置いてどんな具合にしようかー。考えることはこんなことしかない。暇人、凡人が合体するとぼーっニンゲンが誕生するようだ。

遠藤周作の「妖女」をなんとか読了。転生や輪廻、再生や幽体離脱―。今の世、すべてが合理主義でとても信じられない話の内容。そこで、またぼーっと考える。明日はころころ花壇の草取りに集中しよう。

小学生新聞の記事、校了の知らせあり。ほっとひと息。ほっとひと息ついて、また、ぼーっとする。眠くなる。お休みなさい。
 
   5月11日(木)

土浦のシルバー人材センターの説明会に出席。6月から土浦市民会館の清掃作業のローテーションに加わることができそうだ。これまでのモヤモヤイライラが晴れる。貧乏性のおいらは体を動かしていないと不安になる。そうだ、ぼんやりとした不安が不安を呼ぶのだ。それもおさらばだ。

夕方、元相棒、いばぶん事務所に届いた郵便物を届けてくれる。乗り物は自転車。それも3段ギアつきとはいってもママチャリにちかい。坂道だらけの小松町界隈をママチヤリはジジィを乗せ走り辛かったろう。ご苦労さんでした。

山王姫と明日の打ち合わせ。スクエアステップ講習会について。軽快な服装と運動靴とアドバイス。山王姫「モンペにしようか―」。こまったものだ。時代は平成、西暦では2017年。モンペ時代は化石に近いのだ。こういう滅茶苦茶でどうでもいい話が好き。明日の山王姫が楽しみだ。バイバイ、お休みなさい。
 
   5月10日(水)

整復師会の編集会議で水戸へ。土浦を出発する時は雨が止みそうな気配だったが、水戸に着くと雨足が強くなっている。茨城も広いものだと思う。土浦から水戸へ来たたでけ広いと感じるのだから日本は、世界はとため息をつく。だからといってどうっていうこともないが―。

整復師会のイチカワ会長が勇退するという。驚きだ。今年度は役員改選で大きく動くらしい。イチカワ会長は、「余力が残っているうちに後進に道を譲りたい。これが俺の美学だ」と言ってるという。エライ、さすがだだ!!。イチカワ会長は整復師会の全国区の人。そちらで活躍して欲しい。おいらも「いばぶん」は誰かにまかせたいと思うが、どうなるのやら。

常陽新聞社の元社長S氏より久しぶりに電話あり。いつだったか、朝の散歩でばったり会ったことがある。立ち話で話題になったことの確認。波風立てず静かにしていたいというのが本音。どうなるのやら。
 
   5月9日(火)

モルディブの国から石岡市にオリンピック合宿候補地として視察に訪れる。風土記の丘の曲屋でお茶の接待を山王姫が担当。その手伝いにかあちゃんとパチリパチリに行く。モルディブはアジアのインド洋にある島国。人口は40万人ほど。柏市の人口と同じぐらいだという。

着物姿の元娘たち4人組が張り切る。準備万端でああでもないこうでもないとぺちゃぺちゃしながら待つ。ご一行さまは40分遅れで到着。元娘たち緊張気味に茶をふるまう。こうして、茶席は無事に終了。

よかったよかったで帰宅。かあちゃん気疲れでぐったり。そんなに緊張しなくてもいいと思うのだが、それなりの事情があるのだろう。皆さまお疲れさまでした。
 
   5月8日(月)

水戸の新荘小学校へ行く。小学生新聞の取材。これも仕事、あれも仕事となんでもやることにしている。新荘小は屋敷町ということで大きな家がたくさんあるという。校舎は木材を巧みに使っており全体に温かみがある。おいらが通った山形の片田舎の小学校とは随分違う雰囲気。日本は豊かになったと思う。

水戸ドライブインで昼食。観光バスが続々やってきて大勢の人が降りてくる。話している言葉がわからない。アジアのどこかの国からやってきた団体客。東京銀座に行ったとき中国人の多さに驚いた。これからの日本はこういう光景が珍しくなくなるのだろう。

暑かったせいもありぐったりして帰宅。酒を飲んだら少し元気がでる。やはり酒は生きていくうえでは欠かせない。これを一滴も飲めない人はかわいそう。そういえば、金魚ちゃんに酒をごちそうしたことがない。ごめんごめんと謝る。
 
   5月7日(日)

朝、5時起床。空は明るさをましていく。爽やかな空気から生の喜びが伝わる。そうだ、5月7日の幕開けだ。だから、どうした、どうなんだと問われても返答にこまる。

ともかくやらなければということはない。そこで歩くことにする。仲よし小道とはいかない。表から歩いても裏から歩いても坂ばかり。

そこで思いだす。鉄棒で坂ならぬ逆上がりのできない子どもだった。偏平足、短足だけではなく運動神経は鈍い。スポーツに関しては子ども時代に一つもいい思い出がない。そういうことはすべて忘れることを誓う。バイバイ。
 
   5月6日(土)

静寂でゆるやかな夕方の時間を噛みしめる。平和とは個人だけとはいかないのだ。みんなが幸せになってはじめて世界の平和といえるのだ。きっと、永遠にそんなことはないだろう。人類は有史以来、破壊と創造の繰り返し。その時、沈黙の神は何処にいたのかー。

久しぶりに小説らしい本を読む。「ザビエルとその弟子」加賀乙彦著。「主は沈黙したままお答えにならない。それでも祈り続ける―」p81。ここで遠藤周作の小説「沈黙」を思いだす。映画にもなり観た。どういうわけか小説で味わったような感動は薄かった。神は沈黙するからこそ偉大なのかもしれない。

ぼーっとしながら読書の意欲がわいたことに拍手。こんなことは自己満足でいいのだよ。バイバイ、お休みなさい―。
 
   5月5日(金)

元気はつらつ印の姫丸子が出勤途中におこわとキウイフルーツを届けてくれる。感謝感激。かあちゃん留守で多いに助かる。姫丸子は元気だ。元気の源はどこからくるのかと金魚ちゃんに訊く。「バーカ、おまえさんのようにのほほんとしてないよ!!」。絶句!!。返す言葉なし!!

今日は「子どもの日」だそうだ。それなら「ぼーっの日」の制定はできないものかと考える。1億総国民、この日はぼーっと過ごす。ひたすらのぼーっがどれほど退屈で苦痛であり有意義であるかを学ぶ。そういういう日もあっていい。一日ぐらいメシを食わなくても生きていけるのだからー。

今日も草取りに励む。時々、読書。今年1月以来、まともに本を読んだことはない。それでもいいのか思う、が、どこか寂しい。
 
   5月4日(木)

昨日、金魚ちゃんが呟いたことを考えながら草取りに精を出す。人には得意、不得意がある。駆けっこは早いが絵描きは苦手。その逆もしかりだ。そこで金魚ちゃんの言葉を噛みしめてみる。おいらは、何にが得意で苦手は何か?。

「バーカ、そんなことは生まれたときから分かっているよ―」。金魚ちゃん水槽で意味不明の宙返り。無念なりと透明のハナミズ流しつつあごを上下。神からの啓示に素直に従うべきだ。得意とするのは「草取り」。そこで考える。神からのお告げはいつどこであったのだろう―。思案と結論。チリ紙交換でもらったグルグル巻きのトイレットペーパー。そのせいか、いつも水に流れされ消えていく。これも神の教えというものかー。

かあちゃん、出張介護で小松とサラバ。リック姿は家出バアサン。「こちらは~、土浦警察署で~す。特長はリックを背負い~」。防犯スピーカーからのアナウンスがこだましないことを祈る。
 
   5月3日(水)

金魚ちゃんいわく。「君は毎日草取りに励んでいるようだ。ここからよぅーく見える。一生を草取りで終わるのもいいのじゃないか。そうだ、大地にお辞儀しながら最後を迎えるのだ。それが君にはふさわしいのかも知れない」。

「朝早く、まだ陽が昇りきる前に起きだし、大きなあくびとおならを一発かましてぼんやりと自慢のころころ花壇に目をやる。さも満足そうにタバコを吸う。それが君の一日の始まりだ。ぼーっと生きているぶん自分が幸せか不幸かを判断する能力はない。ぼーっ人間はそれでいいのだ」。

「もう、新たな期待など持てる年齢ではない。ただ、そーっと大地に話しかけるのだ。ミミズを見つけては喜び、力強く地中にはりめぐされた雑草の根っこに驚く。そうだ、それでいいのだ。役不足の高望みなどするな。精神や肉体の旬は完璧なほどに過ぎているのだ。ひたすらのぼーっを目指せ」「ハイ、ワカリマシタ」。
 
   5月2日(火)

さあ、今日のことを書こう。朝一番、庭の土手の草刈りに挑む。高台の傾斜地に建つわが家には土手がある。周りの家を見ると土手は石垣やコンクリートで固めている。この家は違う。自然むき出し。雑草が生える。イノチを途絶えてもらう作業に励む。これが大仕事。仮払い機では上のほうは届かない。

そこで思案六法。近くの竹林から真竹を一本失敬。草刈り鎌とドッキングさせ長刀の誕生。どんな具合かと試すとうまくいきそう。それを確認して今日の作業は終了。

とにかく、長刀を作るまでの過程で疲れた。しみじみ年寄りになったと思う。本日学んだこと。失敬と失禁と大いに関係あるのでは―。真竹一本失敬する時、ハラハラドキドキで思わずおもらししそうになったのだ。なんとも辛いものがある。
 
  5月1日(月)

かあちゃん張りきる。山王姫に誘われた茶会の着物探しにランランと目を輝かせ和タンスの前でデンと座り込む。頑張れば、いいのだ。

薫風の季節。朝を歩く。常陽新聞時代の元社長と大岩田近くでばったり会う。お互いの近況を立ち話。それなりの会話をして別れる。ここ数日、常陽新聞時代の人たちとの再会が続く。これが、もったいぶった席でないのがうれしい。しかめっ面の議論は嫌だ。

夕方、雨の中、傘をさして散歩。しとしと雨にけむる樹木のみどりが美しく輝いて見える。途中で雨が止む。傘を閉じるのも面倒なのでそのまま歩く。そこで気づく。降る雨は止む。喜びや悲しみで流した涙は必ず乾く。そういうことか―。勉強になりました。おやすみなさい。
 

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