怠惰な散歩  2017年

   4月29日(土)

いばぶん経由で潮来マリーナへ。やはり北浦は遠い。県南の穀倉地帯といわれる稲敷地方の水田には水が張られ田植え機がゆったりと動いている。ゴールデンウィークになればサラリーマン兼農家は大忙しといったところか―。そういえば、昨年ヤギ一家の田植えの手伝いをして一日でクビになった。あちらこちらで何度も首切りを経験しているからツラの皮が厚い。ああ、そうですかで終わったことを思いだす。

今年はひたすらの草取りに励むつもりだ。これには首切りはないが体が音を上げることが目に見える。それでも頑張るのだ。必殺、草取り人を目指すのだ。

「うさちゃんミニランド」のオープンは5月3日だそうだ。これといったセレモニーもなくそーっと幕開けするそうだ。とにかく顔を出すことを約束して帰る。約4時間近く運転をしてぐったりする。これは、夢を見ることもなく熟睡できそうだ。もっとも毎晩のことだがー。
 
   4月28日(金)

ぼーっと歩いていたら元相棒に会う。さっそうと自転車に乗り帽子にサングラス。いで立ちはりっぱで洒落ている。こちらのオジサンは着るものには無頓着。きっと、哀れな年寄と思ったのではないか。別れ際、「それじゃ頑張ってね」。

元相棒と別れてからぼーっと歩いていると常陽新聞社時代のタカギ君に会う。今は「ふるさと通信」を発行しており社長だ。よく頑張っているものだと感心する。常陽新聞社は消えてしまったが散り散りになった元社員はたくましく生きている。人はどんな状況に追い込まれてもそれなりに生きていくものだ。

それらのことを金魚ちゃんに報告。何も語らず。しょうがないからベランダから夕暮れに沈む雑木林を眺めながら語りかける。これも何の反応もなし。こうやって一日は終わるのでした。
 
   4月27日(木)

昨日取材した記事をまとめようとがんばるがなかなか進まない。頭を冷やそうと朝を散歩。小雨ぱらつき肌寒い。近辺はどこを歩いても坂を登ったり下ったり。通常の散歩の距離にかけること2倍の数字になるのでは―。帰宅後、何とか原稿をまとめる。

午後、土浦シルバー人材センターの説明会に出席。「待機児童」ならぬ「待機シルバー」ということもあることを知る。乙戸沼公園の清掃の仕事があるようだ。そこで説明会終了後に乙戸沼公園を散歩。この公園で、数えきれないほどぼーっ時間を過ごした。

家に帰ると奈良の姪っ子からトマトの苗が宅急便で届いている。さらにいばぶん宛の郵便物が投函されている。元相棒が親切に配達してくれた。いばぶんの整理を早く済ませたい。だれか、いい知恵を授けてくれないものか。今回は金魚ちゃんに相談せず。どうせ、まともな答えは返らない。バーカ金魚、さっさと寝ろ。
 
   4月26日(水)

久しぶりにインタビューの仕事。相手は50数年前に学んだ小学校。イガグリ頭でランドセルならぬ教科書を風呂敷につつみ通った小学時代。思いだそうとするが何も浮かばない。その時代はたしかにあった。今あることがそれだから―。夢幻のよう。

姫丸子からメール。幸せの黄色い漬け物樽のそばにタマネギを置いきたという。おいらには感謝ハッピーメール。そこで気づく。黄色い漬け物樽には使い古しのビニール袋と小鳥のエサが入っている。すでに遅し。

帰ると物干しざおに出羽屋の紙袋がぶらさがっている。中を見るとタケノコごはん。これはこれは喜びと感謝を込め三つ指ついてから食べるしかない。姫丸子さま。いつもありがとうございます。

空き缶ことカンさんら久しぶりにメール。書くことは好きだが読み手はどうとらえているのか?。金魚ちゃんに問う。「そんなこと知ったことか!」それでいいのです。
 
   4月25日(火)

朝5時に目ざめる。かあちゃんオットセイのような鳴き声でスヤスヤ。静かに着替えて散歩。まだ、陽は昇ってはいない。それでも東の空は明るく濃いオレンジ色に染まりつつある。ああ、限りなく静かだ。

春というか初夏を思わせる空気の匂い。いちばん好きな季節と時間だ。ひたすら歩く。時どきはパチリパチリ。このシャッター音さえはばかられる。

山王姫と「セピア色の―」の原稿校正。聞き書きということで、今回から「語り:すみこ」に変更。「お詫びと訂正」は得意分野。どうっていうことないよ。明日は「常陽小学生新聞」の初取材で取手市へ。戸惑いと不安。長いあいだ他人の話を聞いて文章にまとめたことはない。ブランクとでもいうのか―。とにかく、がんばろう。
 
  4月24日(月)

朝の空気は冷たかった。それでも頑張って散歩としゃれこむ。小松地区は坂が多く細い道が入り込んでいる。そしてどんづまりとくる。なんど引き返したかわからない。まるで迷路を歩いているようだ。ぼんやりオジンの散歩をからかっているようだ。バーカ、負けないぞ!!。

久しぶりに本を読む。「海の見える理髪店」萩原浩著。軽い短編小説。プロは読ませる力をもっている。ここ数カ月、「離陸」「消滅」の純文学など多数つまみ食い。どれも、記憶が怪しい。

しかし、どれもつまみぐい。ものごとを深読みすることはできないが、しっかりした本を探して読むことを誓いとじ、実行イコールとはなかなかならないことは辛い。バイバイでぇーす。 
 
   4月21日(金)

「ひょっこりひょうたん島」の主題歌ではないが、ひょっこりと「つわぶき」出てくる。引っ越し最中、この本は必要になるからと別立てした。それがいけなかった。なんでもそうだ。大事なものだと置き場所を変えると、さあ大変。「さがしもの狂想曲」がスタート。年をとることはこういうこかと認識させられる。

小松の越してからはじめて土浦の図書館に行く気になった。とりあえず。四・六中地区公民館の図書館を偵察。どちらも図書館ではなく図書室とあり規模も小さく貸借もゆるか。それだけ、利用をする人が少ないのだろうかー。

図書館に足を向けようとなったのは、どうやら少しずつ今までの生活のリズムに戻ったというこtかもしれない。ぼーっと過ごし金魚ちゃんとお話をする。さらに花壇造りと野菜造り。ウムウム、人生ハッピーになりそうだ。
 
   4月20日(木)

金を積めば食えるという松坂牛のステーキではない。心のこもったタケノコステーキを食べる。これがうまいのだ!。姫丸子が初物のタケノコごはんとタケノコを届けてくれる。おいらが山王姫宅へ出かけた直後だったと、かあちゃん。姫丸子も仕事へ行く途中に寄ったようだ。ベランダに黄色い漬物樽をいつも置いておくようにと言い残して帰ったという。

以前、ベランダの黄色い漬物樽に姫丸子からのお土産が入っていた。これは「幸福の黄色いハンカチ」ならぬ「幸福の黄色い漬物樽」ということになる。いつもきれにして空にしておこう。姫丸子さま、ごちそうさまでした。ありがとうございます。

山王姫宅で「セピア色の青い」に使用する黄色い山吹をパチリパリ。家に戻り、話題になった故とみ句集「つわぶき」を探すが見つからない。探しても探してもわからず最後は何を探しているのだっけ―となる。こまったものだ。
 
   4月18日(火)

ある神社に嫁いだその日から境内の草取りが始まった。それが毎日の務めとなった。地方の小さな神社とはいっても境内は広い。「ああ、わたしの人生は草取りで終わるのか―」と思ったそうだ。20代前半のうら若き女性。鳥居から覗く白い雲が自由に流れていくのを見ながら無念さを噛みしめたという。

そんなことを思いだしながら草取りに励む。細い細い根っこが土にしっかりとはりついている。その根っこから生への執着心が伝わってくる。土の力。これはなんとも表現のしようがない。山王姫の庭園を初めてみた食品研究家が「土の力を感じる」といったそうだ。それを聞いて、妙に新鮮で納得がいったことを思いだす。

ついでにいえば、養老孟司は「人はどれほど土の生命を奪っているか」。アスファルトにかためらめつつある地球を嘆いていた。これもしかり。草取りは土と雑草とお話しかができるすばらしい時間ではないか―。ああ、生あるものは美しく逞しい。
 
  4月17日(月)

小松に越してから金魚ちゃんはベランダ隅で飼うようになった。キラキラ太陽がたっぷりふりそそぐ。そのせいか金魚鉢には藻が発生するようになり緑がへばりつく。米国大統領はメキシコ国境に壁を造ると吠えているが壁で遮断すればどうなるか―。金魚ちゃんの姿が見えないのだ。これはいかん。お話しができない。そこで場所替えを考える。すっかりものぐさになりいつ実行されるやらー。

15日に撮った写真データ届けに山王姫宅へ。セピア色の再撮。初めて咲かしたという名前もわからない花をパチリパチリ(左右写真)。サラバしていばぶん事務所へ。少しお仕事。その後、昼寝と思ったが所用があってどうしても小松に戻らなけらばならない。断念してクルマのハンドルを握る。運転中はひたすら睡魔との戦い。いつもなら、空き地を探して車中寝となるのだが―。

自宅に戻り所用を済ませる。エジソン電気が台所の電灯工事にくる。おいらはひたすら畑と花壇造りに励む。主な作業は一所懸命の草取り。これもやりはじめると楽しい。楽しいことはいいことだ!!。
 
  4月16日(日)

昨日は、髙島・内村両家の結婚式に出席。どういうわけか、山王姫とともに遠くの親戚という名目で招かれた。たしかに恋瀬川、桜川、小貝川、利根川を越えなけばならないから柏の平安閣は遠い。

久しぶりの祝宴の席。どういう進行で披露宴は盛り上がるのかと楽しみにしていた。若い人はおごらず飾らずたのもしく感じる。パチリパチリやりながらビールを飲んでいたので帰りは山王姫がハンドルを握る。とにかく無事に親戚役をつとめあげたこともありコックリコックリ。

本日は髙島さんからお礼の電話と山王姫から「お疲れさん」と元気な声。これから東京に出かけるのだという。強い、迫力あり。お疲れさまです。
 
  4月15日(土)

贈ることば

仮縫いではない幸せを求め
君たちはきょう結ばれた
花嫁のほほ笑みには希望が光輝き
花婿の瞳はきりりとひきしまり
覚悟と自信に満ち溢れていた

どこまでもどこまでも華やかな
凝縮された時間のなかで
静かに空を見あげ誓ったはずだ
迷子のちぎれ雲になっても
手を重ねあいのりきることを

これからおおくのことを学ぶだろうが
美しいことばの陰には
棘があることを知っておいてほしい
 
  4月14日(金)

朝5時にめざめる。寝床からガラス越しに見る外は明るい。よし、起きて散歩に行こう。荒川沖に住んでいたころ町内をよく歩いた。目的があるわけではない。気が向くまま足の向くまま。世界の平和と日本の安寧を願い歩いた。その願いが通じたかといえばハズレ。不幸な国は不幸が雪だるま式のようにふくれあがっている。無念なり。しみじ日本は平和だと思う。

さて、何処へ行くのか。とにかくパチリパチリ好きのおじさんは首からカメラをぶら下げ歩く。少しずつ小松周辺の地理がわかってきた。歩く歩く、歩く。たどり着いたのは高台にある三夜様。見下ろすと霞ヶ浦が眺望できる。懐かしき、蓮河原。永遠なれ。

明日の仕事にそなえ体力温存。情けない、無念なり。追伸:恋瀬川をわたり桜川を越えやってきたニラの花が咲きはじめた(左写真)。うれしい。
 
   4月13日(木)

「―― ということ。」
西谷隆義氏の葬儀に参列。西谷氏とは思い出はつきないがすべて済んでしまったこと。一期一会とはこういうことをさすのだろうかとつくづく考える。

今日の空はあちらもこちらも青かった。明るい空がのぞけばハッピーな旅立ちができるはずだ。会場は満員で立っている人も多かった。弔辞が綿々と続く。いろんな場面で活躍していた人だからやむ得ないだろうが、それにしてもと思う。

「―― ということ。」
 
   4月12日(水)

わが家の庭に小鳥たちがやってくるようになった。モズ、スズメ、ヒヨドリ、そして名前はわからないがスズメほどの大きさでクビが鮮やかな小鳥。「あっ、はとバスがきた」、おいらは大騒ぎ。「はとバス」じゃないよキジバトだ」。はとバスは大きすぎておいらの家にはいらないよ。おバカさんが空から飛んできたようだ。

潮来マリーナの最後の仕事を終わらせ花壇造りに励む。今日は花ダイコンを植えるのだ。わが家からスタスタと坂をおりてすぐに左にまがる。突き当りを左折すると広い竹林。そこに咲いている花ダイコンを移植する。大家さんの土地らしく了解を得ている。バケツとスコップを片手に2往復。「心」の次は「翔」という文字。ガンバルのだ。

明日は西谷隆義氏の告別式。そうか、西谷さんはもういないのか―。日が暮れはじめる。雑木林から小鳥のさえずりが聞こえる。「生」と「死」は同義語である。
 
  4月11日(火)

朝早く起きて庭の草取りをやっていたら小雨が思春期の子どもたちのニキビのように降りだした。ベランダで待機。雨はやまない。どうやら人間さまがこしらえたカレンダーどおりの休日とはいかないようだ。

そこで、今日は引きこもりに決めこむ。そうとはいっても作法は知らない。ぼーっとするにも教義や作法などの掟はあるのだろうか―。それを考えただけでエネルギーは大消耗。

消耗した体力効果はすぐにあらわれる。シトシト雨音を聞きながら本を読むがすぐに眠くなる。そういえば「書物の森」を更新したのはいつだろうか―。バタバタと日々は過ぎた。どうにか落ちついて読書三昧と庭造りに専念したいと思うがままならず。これが、しかりなりの人生だ。外の雨は止まない。おわらない悲しみなんてないよ。やまない雨なんてないよ。バイバイだ。
 
   4月10日(月)

朝、起きるなり「ころころ花壇」の隣にある親戚みたいな「ころころ農園」へ。これから植える予定のトマト、ナス、キュウリなどに備えての土づくりだ。昨日降り続いた雨のせいか根っこは抜きやすい。しかし、根っこはしつこくたくましく土にもぐりこんでいる。こうなると、真のコンクラベになりそうだ。

かあちゃんの友だちの墓参りに行く前に53号線から県中央青年の家に向かう角地に咲き乱れる豪華絢爛の花畑を見る。あまりの色彩の豊かさにカメラアングルをどこへむければいいのか迷う。こういう風景は目で見て心に焼きつけておくこと。むやみにシャッターをきらぬこと。貧乏性のわれは辛い。

いばぶん事務所からの帰り山王姫宅。「セピア色の青い空」の打ち合わせ。話しの途中に必ず飛びだす。「おかあさん、ぼくの白いまんじゅうはどこへ行ったのでしょう。ほら、おかあさんのおっぱいのようにふかふかとやわらかい白いまんじゅうですよ―」。この疑問は永遠に解けないのかもしれない。これが、世の常というものか―。サラバだ。
 
   4月9日(日)

朝から雨。昨日の願かけは叶わず。雨でも野点はやると聞いていたので石岡の風土記の丘にクルマを走らせる。いつもの会場に着いたが人影がない。どうしたもかと電話をすると陣屋門そばにある食堂の一角を借りてやるという。風土記の丘の桜はまだ蕾だ。藤棚にも白い花は咲いていない。例年に比べて開化はそうとう遅れている。

雨に煙る公園を傘をさしてのんびり歩く。本降りの雨で人影は少ない。「ちびっ子広場の遊具は工事中で使用できません」の貼り紙。「じじっこ広場」や「ばばっ子広場」はどうしたものだろうと考える。あっても不思議ではないが聞いたことも見たこともない。

臨時にこしらえられた茶席はいろりを囲んで楽しむというもの(無料)。出店で販売している団子屋に気をつかいおも菓子(まんじゅう)は出さないようにと行政から注文。山王姫は勝手が違うと戸惑っている。客席の茶道たしなむ知人に「お茶というものを知らない」と憤懣をぶちまけすっきりしたという。それにしても、200個用意したまんじゅうは誰のおなかに消えたのだろう。
 
  4月8日(土)

雨の中をクルマを走らせて潮来マリーナへ行く。この雨ではせっかく咲いた桜も散り始めるのでは―。雨にけむる桜が車窓を流れる。あと何回潮来マリーナに行けば終わるのだろう。なんでも始まりと終わりがある。

潮来マリーナに着いても雨は止んでいない。催促された原稿を渡す。村山社長は熱心に読む。おいらも読みなしてみる。よく読んでみると漢字の変換ミスや不備な点が出てくる。この内容でいいでしょうということで終了。資料館に写真を展示する日が決まったら原稿を直してまた来ことにする。駐車場を出るとき駐車中のクルマをこする。相手は「
大丈夫です」と許してくれる。助かる。

自宅に戻るとチャーコこと大家さんが来ている。不要になったカーペットを持参。使うならどうぞということ。部屋の中はもらい物ばかりだ。よく考えてみたらかあちゃんだってもらいもの。一匹25円で買ってきた金魚ちゃんが唯一の身銭をきったものか―。外の雨はまだやまない。明日の野点は晴れてくれればと願う。
 
  4月7日(金)

朝、履歴書を書く。クルマで愛和病院に向かう。途中メールが入る。S氏から。「今朝、西谷隆義氏が逝去されました」。「えっ!」。1週間ほどまえS氏と会って様子を聞いたら「CROSSの編集会議に出ていたようだからよくなったのでは―」。それだけに驚きが強い。ただ、ご冥福を祈る。

清掃のパートの面接を受ける。条件が折り合わず次の機会にということで終了。元相棒から西谷氏の死去を知らせる連絡が入る。西谷氏にはいろいろとお世話になった。一度、回遊魚のような人と形容したことがあった。それぐらいバリバリと動きまわり仕事をしていた。思い出はつきない。ゆっくりお休みください。

家に帰るとベランダに姫丸子より届け物あり。後はひたすらひたすら草取りに励む。雑草の根っこの強さに驚く。今日は驚くことばかりだ。
 
   4月6日(木)

朝を散歩。小松に越してきてはじめての怠惰な散歩となる。自宅をでると坂道がデンとあるから荒川沖とはまったく違う。坂道を下りきって突き当りの道路を右に曲がっても左に曲がってもだらだら坂は続く。雑木林の小径を見つける。季節おりおりの草花が楽しめそうだ。うれしくなる。

いばぶん決算の帳簿をS氏に提出しなければと石岡事務所へ行く。大嫌いな数字と格闘。計算するごとに数字が違う。。「合わせてもらしましょうS氏」ということで切り上げる。

山王姫に電話。今、在宅中という。それなら、駐車場裏手に咲いているハナニラが欲しいと頼む。了解してくれる。山王姫から「なるべく根元から」と叱咤激励をうけ頑張る。掘り出してバケツにつめ込んだハナニラを持つと重い。二人でバケツを持ち道路を横断してクルマにつめ込む。もしかしたら、山王姫の方が力があるのでは―。あの「健康坂」は「筋トレ坂」と称するべきではないかー。ああ、男としては口惜しきなり。
 
  4月5日(水)

わが家の「ころころ花壇」を見ながら考える。土浦山新で購入して植えられた1鉢60円のマリーゴールドとペチュ二アに未来はあるのか―。そもそも未来とはなんぞや?。「未来とは限りなく棺桶にちかいひと」。だれかがいっていたのを思いだす。だからといって大騒ぎすることでもない。

さて、本日は潮来マリーナから催促があった「北浦とかんぽの宿」の年表づくりに励む。これがなかなか曲者。資料を何度も読み返す。読みかえすほど混乱。それでも夕方には終了。姫丸子からメール。昨日は「ハレとケ」の日だったらしい。頑張るのだ!!。

次の仕事を探すためいろいろとアンテナをはっておいたせいか反応あり。あちらこちらの誘いを吉と考える。それよりも気になるのが「ころころ花壇」。もし、おいらが棺桶にはいったらおまえさんのイノチは?。

   4月4日(火)

守谷の永泉寺で開かれている「花まつり」を見に行く。メンバーはすごい。自称「レディババァ」と豪語する6人元少女。みんなは何度か会った人たちだから気づかいはいらない。それでもハンドルを握りながら考える。今日はいかなる目的でどこへ行くのか?。山王姫から聞いていたことはすっかり忘れている。恐ろしいことだ。

会場にはいると七色ため息と目が眩むような鮮やかな色彩が飛びこんでくる。これは男にはない女特有のお遊び世界。そう思ってあたりを見わたすと男はひとりもいない。ひと足先に会場を出て境内を歩く。枝垂桜はまだ咲いていないが裏手にある桜は満開。ワンワン吠える犬にウインクしながらパチリパチリ。

山王姫と姫丸子と姫山子に加わること3人のピーチクパーチクは疲れを知らない。終始食べることの話題でもちきり。そこで、最後に立ち寄ったのがつくば市の「だんごのたかの」。みごとに締めて緞帳をおろす。すごいものだ。皆さま、いろいろとごちそうさまでした。ありがとうございます。
 
  4月3日(月)

4月になった。だからどうなんだと問われてもこまる。世界中が4月になったのだからこれこそ「平等}というものだ。そこで、この3日間をふり返ってみよう。1日は水戸のご老公が石岡のいばぶん事務所を見にくる。「鍵を渡しましょうか?」「それはいいでしょう」。体調が悪いというが水戸から自分で運転をしてくるのだから元気というものだ。見学後、山王姫宅へ。3人で雑談。

2日はうららかな天気に誘われるように「ころころ花壇」造りに励む。とても疲れる。夜、T女史から久しぶりの電話あり。彼女はグランヴィア牛久の施設長。いわば元上司。8月には仕事から完全に身をひくと強い決意で話す。ご苦労さま。こちらはそうはいかない。山王姫と長電話。酔っていて何を喋ったのか記憶にない。

本日、山王姫へ「かあちゃん、体調不良で9日のお茶会には出席できない」と電話。了解を得る。明日の約束は大丈夫かと問われるが何のことかわからない。よくよく聞いてみると納得。。まったく酔っ払いは始末におえない。こまったものだ。
 

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