怠惰な散歩  2016年11

   11月29日(火)

気分がすぐれない。歩いてみたら爽快になるのかもしれない。カメラをぶら下げて歩く、歩く、歩く。歩いてもいたずらに景色が流れるだけだ。ハァハァと激しい息づかいが背後から迫ってくる。ふり返ると同世代と思われる女性がランニングパンツでなま足をおしみもなく寒風にさらけだし颯爽と走ってくる。思わず道を譲る。ランナーはどんどん視界から遠ざかる。すごいものだ。

昨晩、山王姫宅に顔を見にゆくと電話で約束した。ここ1カ月ぐらいご無沙汰をしている。父母の思い出いっぱいつまった庭園の草取りも落ち葉掃きの約束も守れなかった。優柔不断というより、何から何まで面倒になった。山王姫のスベスベ肌のお顔を拝見すれば少しは元気になれるか。そこで出かける。

門扉を修繕した話を聞く。完成してすくっと姿勢をただした門柱を見て父と母がそこに立っているような気がして涙を流したという。父母の言霊を聞いたのかもしれない。たくさんのお土産をを積んだクルマを運転しながら、父母からいつまでも見守られているということについて考える。そして、おいらの父母の思い出を探すが何も浮かんでこない。ああ、こまったものだ。それでも、少しは気分が晴れた。ヨシヨシなり。
 
   11月28日(月)

「ガラパゴス」相場英雄(小学館)上下刊を一気に読み切る。読みたかった本だった。そうかといって新刊本で買う余裕もなかった。ブラブラたまたま立ち寄った三中地区図書館の本棚に背表紙「ガラパゴス上・下」が老眼鏡なしでも見える。この図書館では見つからないだろうとあきめていた。それが、かあちゃんの昔々の大きなオッパイのようにブラジャーなして直立不動。コソドロのようにそそくさと借り帰宅。

さて、読後の感想と問われれば、ただひとこと「面白かった」に尽きる。毎日が面白いことで終われば、すべてハッピーハッピーなり。

金魚ちゃんの声が聞こえる。「考えるな、考えるな、なーんにも考えるな。考えるな、考えるな、なーんにも考えるな。考えないで生きることを考えるのだ!!」「あんたは偉い!!」。絶句なり。
 
   11月27日(日)

暗い日曜のいちにちだった
空はどんよりした冷たい雲がたれこめ
ずんずんと重さをましていく
鬱うつとこころが沈んでいく

ひとは常に新しいものを求め
安楽とぜいたくを旗印に創りだしていく
そのたびに
生糸は複雑にからみあい
もつれ社会が生まれる

もつれ糸にからまれたこころは
重さに耐えかねるように
みどり色の非常口を探す
みどりのドア向こうから
あなたはりっぱな病人と声をかけられるが
見えないこころには
白い包帯をまきようがない

約束ごとは破るためにあるのだ
誰かの声が重たい空から聞こえてくる

■金魚ちゃんいわく。こんな暗い詩を書いてどうするんだい。バーカ、さっさと寝ろ。そういうことの一日でした。
 
  11月26日(土)

仕事で潮来マリーナに行く。何度行っても遠く感じる。いや遠い。霞ヶ浦の湖面がキラキラ輝き、北浦は水位が高く白い波をたてている。空は青く広い。おいらは体だけではなく心も疲れている。仕事を終え、これから土浦に帰るのかと思うだけで気持ちが重く沈む。年をとるということはこういうことか―。何度も自問自答して得た結論だ。

どうにか、自宅へ到着。ユニセフからご支援のお願いが届いている。何度も郵送されてきたが、これまで一度も要望に応えたことがない。思わず、おいらを助けてくれよ!!、と叫びたくなる。さて、何を助けてもらうのか―。お金はなんとか食べていけるからいい。そうだよ、頑健な若い肉体だよ。叶わぬことなり。しごくしごく無念なり。

金魚ちゃんに訴える。「バーカ、そんなことをほざいて鼻の穴から煙りをだしたりアルコールで憂さ晴らししたりすることは止めて、振替用紙に金額を記入して送ることが先だよ」「ハイ、わかりました。いくばくかでもと思っておりますが―」。バイバイでーす。 
 
   11月24日(木)

朝から雪が降る。水分の多いみぞれ雪だ。こういう雪は積もらない。積もってもすぐに消えてしまう。ただ、この雪は重いから小枝などに積もるとぽきりと折ってしまうこともある。こういう日は部屋を暖かくして本でも読んでいるのがいい。たとえ、ページをめくるごとに忘れてしまったとしても活字を追うのは暇つぶしにもってこいだ。

そこで、本を読む。300人の兵隊で1万5000人のイラク兵を退散させたというIS国へ現地取材。ドイツ人ジャーナリストの「イスラム国の内部へ」(ユルゲン・トーデンへファー著・正樹訳)。「我々は野蛮人ではなく、ただ生きたいだけです。西側諸国の反イスラーム戦争では、アメリカは屠殺者であり我々は羊です。50カ国以上が我々と敵対関係にあります。しかし、彼らが我々を倒すことはあり得ません。我々の強さの基盤は、我々の武器、財力、戦闘員ではなく、我々が正しい道を歩んでいるという事実です」p202。

こうなると、世界がますます分からなくなる。雪は降る、雪は降る。
 
  11月22日(火) 

てのひらにこぼれた
悲しみの涙は
まあるく まあるく
ころころと転がり
とてもうれしそうにはねていました。

こらえきれない悲しみなんて
あるもんですか、ありませんよ―。

悲しみは大きなくしゃみをして
水をはじけ空に消えました。
 
   11月21日(月)

かかりつけ医院巡礼とでもいうのか、今日は皮膚科と耳鼻科の診察を受ける。窓口で診察券をトランプのようにきって探す。ここでも米国次期大統領のトランプ炎上がおきている。驚愕と溜息、絶望と希望。このトランプをきるとは何をもってどんな意味を示唆しているのか―。「慈愛」を鎧兜で身を固めた神さま、仏さまにすがるしかないのか―。

そんなことをぼんやり考えながら順番を待っているとどうもトレーニンパンツのはき心地がおかしい。よく見ると前と後ろが逆だ。ダボダボユッタリユッタリのせいか前後の見分けがつきにくい。さらに、このトレーニンパンツにはオチンチン穴がない。これでは人生後ろ向きだ。人生は前向きのほうがいいに決まっている。周囲の目線を気にしながらトイレにそろりそろり。

後ろ向き人生スタイルでどことどこを徘徊したのだろうと記憶をたどる。グランヴィアから朝帰りして朝刊を読み、昨晩の読みかけ本にケリをつけてから家を出てきた。途中、どこにも寄り道をしていない。ああーっよかったと胸をなでおろす。金魚ちゃん、まったくおそまつな男。情けないと尾ひれで水をピシャリとはねるのでした。
 
   11月19日(土)

夕方、ながみねに行く。風呂からあがりロビーに行くと大勢のうつむく老人。その数15人ほどの男女。いや、ジジババたち。明るくハッピーな雰囲気はゼロに近い。せめても今日は大きな湯舟に浸ることができた。明日はわからない。ジジたちはむっつりしているがババたちはお喋りに余念がない。時には笑い声さえロビーに広がる。ジジたちは全体に暗い。その中のひとりにおいらも加わっている。無念なり!。

山王姫から久しぶりの電話。うさちゃんのマスコット人形を制作中。うまくいきそうだと明るい声。成功を祈る。その後、潮来マリーナの写真整理。たくさんあり撮影日もばらばら。こうなると「潮来マリーナバラバラ事件」。いわば60年余の歴史を一本の線にするのだから容易ではない。

それでもまとめるのだ。気合いだ。気合いだけで人生はクリアできるのか大いに悩むところ。とりあえず、今日はおわり。バイバイ!!。
 
   11月18日(金)

朝からからだが重い。どうしてこんなにからだが重いのか考えてみる。そうか、昨日は朝早くから目いっぱいからだを動かした。その疲れが一晩寝たぐらいではとれないのだ。そんなわけで予定していた潮来マリーナの仕事は休みとなる。自由業の気楽さに感謝。でも、いずれは取りかからなければない。締め切りが迫っているのだ。締め切りがあるから人生には価値がある。

重いからだを引きずるように少しの散歩をしたり本を読んだり、乙戸沼公園の黄色いイチョウを見に行ったり、得意のぼーっで過ごす。

夕方、大相撲観戦。こちらは重いからだをぶつけあって勝負する関取が次々と登場。相撲を生業としているとはいえ、あんな大きなからだでよく動きまわれるものだと感心する。稀勢の里を応援していたが今場所から遠藤にする。勝手なものだ。その遠藤が横綱白鵬に勝つ。バンザイだ。
 
   11月17日(木)

グランヴィアの朝、抜けるような青空が広がる。このまま真っすぐ家に帰るのはもったいない。乙戸沼公園に寄ろうか―。そうだ、グランヴィアから近いつくばどきどきファームに行こう。ハンドルさばきも鮮やかに数分も車を走らせどきどきファームに到着。静かで空が広い。雑木林は朝の光を浴び命輝いている。今日は快適な一日になりそうな予感。

青空に誘われるように広い駐車場を回りながら秋風景をパチリパチリ。まだオープン前で納品のトラック数台と社員の車があるだけだ。店先では品出しをしている人もいる。彼らはこれからが仕事本番。おいらは仕事を終え寄り道をしているヒマなおじん。「文句あるか!」。途中、「土浦幻聴」をパチリパチリなり。

自宅に帰り今度は庭の草取り。家の中より外の方が暖かい。ひと休みしながらぼーっと青空公園を見ていると見覚えのある車がゆったりやってきて目の前で停まる。運転席にはM氏。CROSSに届いたいばぶんの郵便物を届けてくれる。有難いことだ。ああ、住所変更をやらなければ、と深いため息。コーヒーでも飲んでいったらと誘ったが、よほどくたびれたおじん見えたのかサーっと帰る。正解なり!!。おいらの貧相くささは永遠なり。これも人生だよ。
 
   11月16日(水)

窓の外には
紅葉の幼児手がそよぎ

窓の外には
野良猫がしのびあしで歩を進め

窓の外には
空き家の玄関先でススキはからっ風になき

窓の内にはカーテンのすき間から
明るい光がさしこみ
読みかけのページをさまよう

窓の外にも内にも
疲れしらずのこどものように
ときは永遠を刻みつづける

 
  11月15日(火)

朝、金魚ちゃんにおはようのあいさつ。金魚ちゃん水槽の隅からおいらにからだをくぬらせ泳いでくる。そして水面近くまでやってきて口をパクパク。エサを要求しているのだ。金魚ちゃんの朝食はいつも同じメニュー。主菜だけで副菜なし。もちろんデザートやコーヒーなどなし。砂粒のようなエサをパラパラまく。勢いよく食べる。食事時の礼儀作法は遺伝子に組みこまれていなかった。しかるに満腹になると主人を無視。瞑想の世界へ。

牛久図書館と土浦三中地区図書館に行く。両方で10册借りる。文藝春秋に「今月買った本」のコーナーがある。著名人が10册あげている。タイトルより、これでいくらお金を使ったのだろうと計算してしまう。大雑把に1万円強から2万円前後。新刊本だからそれぐらいだろう。おいらの場合は「今回、図書館で借りた本」。ざんねんながらそういうコーナーはない。

さて、金魚ちゃんの世界には読書コーナーもなければテレビ新聞もない。食事時だけメタボ対策のように少し派手に動くだけ。あとはじーっと世界平和を考えている。その姿には神がかり的な美しさがある。ごりっぱなり。 
 
   11月14日(月)

CROSSで相棒こと相坊と久しぶりに会う。目的は昔、土浦市新治にあったという砕石場跡地の見学。電話で誘いを受けた時、もしかしたらあそこではないか―。

予想は的中。おいらが見たのは20年ほど前。大師講の巡礼コースで歩いた。その時は林道からの俯瞰だった。今日は違う。案内人のほねおりで地底というか、まさに現場に立つ。見あげる跡地は棚田ならぬこそばい緑を抱きしめるように広がる棚石に圧倒される。

人びとはここで歴史を刻んでいた。今は人の吐息、喘ぎ、歓喜の声も聞こえない。すっかり乾いたような湿り気を含んだ景色。ふと思い出す。芭蕉の「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」。

新治砕石場時代の最盛期は昭和元気に重なる。多くの物語を生んだであろう地底から宝篋山の電波塔がくっきり。ありがとうございます。
 
   11月13日(日)

にわか評論家は考える。このところの世界情勢はおいらの予想を大きく外れている。英国のEU離脱。米国ではトランプ氏が次期大統領。

『9日、首相が求めたトランプ氏との電話会談のセットに、外務省幹部が「トランプ氏は何を言い出すか分からない」と反対。首相は「そんなことを心配している状況じゃないだろう」と再び調整を指示。(略)外務省は、首相がトランプ氏と会うことにも慎重だった。1月まで任期のあるオバマ大統領に失礼にあたる―という理由からだったが、首相は電話で直接打診。トランプ氏はニューヨークで17日(現地時間)に会うことを快諾した。』(読売11/13)

ここで気になったのが「1月まで任期のあるオバマ大統領に失礼にあたる―」というフレーズ。「失礼にあたる」というのは日本独特の恥の文化。世界ではこういう大和撫子のようなしとやかな対応では通用しないのか。それはどういうことか?、不明なり。やはり、にわか評論家はやめた方がいい。報告、今日は潮来市大生神社の秋季祭礼の写真を撮りました。バイバイ。
 
   11月10日(木)

ときどき疲れたような顔をして社会の不平等を嘆くひとがいる。それがわからないのだ。そもそも、人類誕生から平等という約束ごとはあったのか。もしかして、ニンゲン社会が成立するという以前から平等という習わしはなかったのではないかー。弱者は滅びる。強者は生きのびる。あたりまえのことが不平等という言葉にひとくくりされるのには納得がいかない。ああ、わからない。

それでも新しい生命が誕生する。それでいいのだ。それで地球は今日まで保たれてきたのだ。残念ながら、この先々まで見たいとはおもわないし残された時間も少ない。みんなで青空に拍手して天なるものに魂を捧げ永遠に幸せであればいいと願うだけだ。あちらさまも、こちらさまも一緒にお手てつないで仲よくだよ。ああ、こんな高尚で意味のわからないことを書いていいのか!!。ああ、くたびれたよ!!。
 
   11月8日(火)

HPの「土浦幻聴」を更新する。ずうーとまえから更新しなければとハラの中では思っていたがノウミソがいうことをきいてくれない。今日は意を決して取り組む。朝、今日の予定をたてる。午前中、「みともページ」の整理。午後、潮来マリーナの仕事。ところが、HPをあれやこれやとやっているうちにクタクタ。結局、午後のお仕事はお休み。これは重大なことだ。なぜなら、いくばくかの収入に結びつくのだからと気合をいれるが駄馬、動かず。

気晴らしに牛久図書館へ。図書館には本がたくさんある。どうしてこんなにあるのだろうと考える。さらに、本棚にならんだ本は背中を向けみんな直立姿勢。まるで悪さをして廊下に立たされた子どものようだ。いつも立ちっぱなしでくたびれないだろうか。あれやこれやと考えるがわからない。

風は遠くから吹いてきて
風は遠くに去っていく
まるで、自分の故郷を探しているように

風は遠くから吹いてきて
風はときどきくしゃみをする
まるで、道しるべをつけるように
 
   11月7日(月)

からだのあちらこちらが痒い。とにかく痒いのだ。ポリポリかいているうちに皮膚が悲鳴をあげ、あちらこちらに赤いひっかき傷。これはいかんといつもお世話になっている薬局に紹介された皮膚医院へ。皮膚科は女医が多いが今回診察してくれた先生は男性。「年齢は?、いつごろから?」矢継ぎ早に質問をする。それから「加齢によるものです」と、模型を使い症状と原因について説明してくれる。加齢の引き算はできない。いやだといっても年はとってゆく。残念無念。処方箋を手にすごすご退却するのでした。

わが家ではとうとう石油ストーブの出番となった。赤い炎をみているうちにモツ煮込みを作りたくなった。カスミで具材を買ってきてグタグタタラタラと煮る。なにかおいらとそっくりな調理法ではないか。そうだ、なにごともゆったりとスローモーションのように物事を進めれば失敗は最小限にとどめられる。グタグタタラタラと時は流れ、フワフワといい香りがただよう。

モツ煮込みのお味のほうはいかがか?。もちろんうまいに決まっているよ。かあちゃんは絶対ハシをつけない。信じるという言葉をかみしめる。バイバイでーす。
 
   11月6日(日)

山王姫に電話をする。お天気もいいしお肌もツルツルで快調。そこで室内の掃除を始めたばかりという。諸々の件を報告。結論からいえば様子見というところに落ちつく。ご老公に頼まれたレンコンの写真をメールで送る。野菜の写真が欲しいというので、つくばのどきどきファームで昨日撮ったものだ。ここで気づいたのだが、すべて野菜はラップされている。なま足ならぬむきだしの野菜を求めていた。それなのにご丁寧に透けたラップにくるまれている。これじゃ反射してうまく撮れない。そこでほかを探すと安物コーナーはむき出しになっている。ここでも格差社会。かわいそう。

山王姫が部屋の掃除というなら、おいらは庭の草取り。そうはいっても猫の額ほどの広さ。山王庭園とは比較しようがない。そでも30分ほどやりきれいきれいにする。おいら大いに満足。大きく背伸びして秋晴れの空気を吸い込む。うまい。

その後はぼんやりと辺見庸「霧の夜」を読む。彼の著作は読解できない本に出合うことがある。この本もその類。途中で投げ出す。あくびも投げ出したいが、これは疲れもしらず次々とやってくる。こまったものだ。
 
   11月5日(土)

午前中は土浦環境展に行く。会場はもの寂しいものだった。予算消化のために毎年、この時期、なんとなく開催しているという雰囲気。「地球に優しく」、ウソだぁー。どんぐり山のメンバーにあいさつしてそそくさと帰る。

午後、荒川沖東三町目の生き字引といわれ重宝されたY氏の告別式に参列。Y氏は祭り好きでにぎやかなことがあれば先頭を走りいつもリードしていた。告別式には三丁目役員のほとんどが神妙な顔で出席。さて、次はどなたでしょうかという面々が喪服姿でズラリ。異様だ。みんな次は自分ではないと思っているだのだろう。さて、最後まで見届けるのはどなたやら―。

夜を歩く。わかりやすくいえば徘徊老人。ただ、歩く、歩く、歩く。歩くヒトと死んだヒトに少し考える。死んだヒトは歩かない。歩かないヒトは死んでいる。あたりまえのことに気づく。素晴らしい!!。さよならだ。
 
   11月4日(金)

久しぶりに山王姫の声を電話できく。元気そうだ。今日の澄んだ青空のような爽やかさで、そのまま羽ばたいてどこかへ飛んでいきそうだ。さて、羽ばたいてどこへ飛んでいこうとしているのか。空の彼方に消えてもらってはこまるのだ。まだまだたくさんの忘れ物をタンスにしまいこんだままだぞ。

山王姫から、「風邪をひかにように」と、励まされる。そこで考える。「バカは風邪をひかない」ことはわかっている。きっと、よれよれおじんもそうだろうが、ここは本音をおさえガマンガマン。きっとそうに違いない。それでも有り難くいただく。

わが町内会のまとめ役の長老だったYさん死去。告別式は明日。寒さが厳しくなると年寄の不幸が多くなる。切ないものだ。
 
   11月3日(木)

今日は「文化の日」という。そこで考える。一般的に体育系のひとは竹を割ったようにぱっとしているが文科系のひとは歯切れが悪くグダグダしているのではないか?。両方を照らし合わせ自分を見てみるとおいらは後者に近い。文系の人はぐだぐだして始末におえないところがある。こまった性格だが、これも世の常なりとするか。

さて、今日は実に爽やかな青空が広がっていた。こういう日はしかめっ面をして安っぽい文化論などせず、大きく体を動かし思いきり澄んだ空気を吸ったほうが利口のようだ。そういうわけでもないが潮来マリーナにクルマをひたすら走らせる。ブラックバス釣り大会のイベントをやっているせいか潮来マリーナは大盛況。たいしたものだ。

水戸のご老公から久しぶりの電話あり。レンコンの写真が欲しいとのこと。了解する。退院の目途はまだたっていないというが、声を聞くかぎりでは元気そう。病室で茨城民俗学会の冊子の編集をやっているようだ。それだけの体力があれば近いうちに退院できるのでは―。その後の方が心配だが、おいらとしてはいかんせんどうしようもないこと。こまったものだ。
 
  11月1日(火)

日めくりカレンダーをめくっても、月めくりカレンダーをめくっても今日から11月だ。2016年、ぼーっと10ヶ月も生きてきたとは― ああ恐ろしいことだ。驚いているおいらを見て金魚ちゃんは茫然としてる。「なんでまぁニンゲンはやたらめったら時間割りつくりたがるのだろう。年とか月とか日にちとかを決めため息をついている。ああ情けない」。松尾芭蕉にこんな俳句があった。「情けなや ああ情けなや 情けなや」ウソォー。

とにかく今日から11月です。そこで世界全般を見渡せば不安や怒りのニュースの花盛り。明るいニュースもあるが、どうしても自分の不幸を正当化しようと悪いニュースに目がいきがち。これも情けない。

今日をどう過ごしたかといえば、午前中は天気が悪かったこともあり暗い半日だった。午後からは天気も回復し青空もすっぴんぴん顔を見せ明るい時間を過ごせた。潮来マリーナの仕事に精を出す。そして耳鼻咽喉科医院に行ったり本を読んだりながみねの湯舟に浸かったりで終わり。これで情けない終日とはならなかったかー。バイバイでぇーす!!。
 

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