怠惰な散歩  2016年

   7月31日(日)

今日で2016年7月はおわり、ということは今日という月日は再びもどることはない。今日という日に次の月日がどんどん上書きされ過去は消えていく。これは、実に素晴らしいことだ。生きてきた痕跡がどんど見えなくなる。「空」という意味合いとは違った価値がある。

さて、今日を振り返れば、ひたすらの「空」こと、ぼーっと過ごす。老いぼれからだは昨日の疲れをまだ引きずっている。それならと癒しに徹しよう。だらだらゆるゆるよろよろと終日過ごす。

牛久図書館へ借りた本の返却。土浦市と牛久市の図書館を利用しているのでどちらさま借りたのか頭がこんがらりわからなくなる。そのようなわけで読書の中身をどれだけ消化しているのかも怪しい。その後、グランヴィラへ出勤。だましだまし、1ヵ月休まず日記を書いてきたを自分でほめる。おわりです。
 
   7月30日(土)

どんぐり山昆虫観察会に行く。空はどこまでも青く厳しい日差しが降り注ぐ。薄暗いどんぐり山を歩く。思ったよりカブトムシが少なかった。それでも交尾するカブトムシをパチリ。 オオムラサキも見ることができたが羽を閉じたままで鮮やかな紋様を目にすることはできなかった。久しぶりに相棒に会う。相変わらず元気に飛び回っているようだ。

それにしてもトミコさんは元気だ。もう80歳だから土浦自然を守る会を若い人に譲るといっていた。そして、H氏にバドンタッチしたはずだが、その後、どうなったのだろう。

今日の暑さは体にこたえた。家に帰りぐったりとしたまま過ごす。それでも暑さは去らない。久しぶりに届いた二ランジョンのメールに、次のステップをどうしようかと思案にふける。
 
   7月29日(金)

暑い一日だった。いや、暑さは疲れも知らず現在も進行中。このブログを書いている夕方になっても気温は下がらない。なにようあってこんなに暑いのか。たまさか、暑さに耐えられなくなった体になってしまった己を諫めるべきか。日ごろの不摂生からの贈答品として辛さを有り難く頂くべきだろうかー。その尺度を測るために土浦市からの健康診断の招集令状に従う。

受付の事務員、天使のような笑顔で「結果はのちほどです」。まるで宝くじの当選番号を期待するような心境。吉か凶か。三叉路に立たされたおいらはどの方向に進むのかわからない。ドキドキ感を楽しもう。

かあちゃん、勇んで買いに出かけた土浦市のプレミアム商品券は発売開始から一時間も経っていないというのに完売。「みんな、大変なんだよ!!」、鼻をふくらせ怒り心頭。過剰商品であふれている日本。人びとは次に何が欲しいのだろうか?。わからない。
 
   7月28日(木)

そういうこと、ああいうことがあってはじめて物語は始まる。さて、きょうのことを逆まわしにしてひとつひとつ思い出す。グランヴィラ朝の空気はさわやかだった。その清涼感は黄色いレモンをかじったようだ。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
(以下略)
                *「千恵子抄」より抜粋・HPからのコピー。

ガリリと噛んだ千恵子の白い歯は安達太良山に被った白い雪よりきれいだったのか。おおいに悩むところだ。上野公園の銅像こと西郷さんは父光雲作。除幕式に明治天皇も列席するという。光雲、紋付き袴で式典に臨み、失敗したらハラを切る覚悟。子ども、光太郎はそれを聞いて不思議ではなかったのか。ハラを切ったら痛いまでは理解していただろうが、はたして、父が死んでいなくなるということまではー。いろいろある。話が脱線、脱線、おわりです。
 
  7月27日(水) 

朝からの動き。エジソン電気が来て台所の電気器具交換。明るさが倍になったような気がする。この先の人生もこうであればと願う。般若心経の勉強。4文字書いておわる。ベランダにアブラゼミが落下。残された命の燃焼にむけ羽をバタバタ。諸行無常なり。山三印刷より電話あり。山王姫とタイスケ氏とタカノ社長と会う。水戸のご老候に電話するが通じず。夕方、グランヴィアへ。水戸のご老候から電話あり。

今日一日を振り返ってみればざっとこんなところ。日々の暮らしに大きな変化はない。これが普通なのだろう。ところがそうはいかないことが時々発生する。想定外というのか、予測もしなかったことが身の回りに起きるとパニックになる。そうなると肉体だけでなく精神まで異常をきたしたりする。

日々平穏であればいいと願いながらも、そうなるとあまりにも単調で飽きてしまう。そこで、よからなくことを考えたり行動に移ってみたり。金魚ちゃんに訊く。悪しきことを考えたことはないか?。ぴしゃり、と尾っぽをふっておわり。
 
   7月26日(火)

風はない
風は吹く
ふうふうと―。

とてもつかれているようだ。
そこで、いっぱいの水をさしのべる。
のどごしに流し込まれたみずはしずくとなってきえる。
きえると、ふたたびはない。

それでいいのだ、と、思う。
 
   7月25日(月)

物語を作るのか破棄するのか―。さて、どうしたものかと考える。頭を左右にふりふり上下に動かし、おまけとしてぐりぐりまわす。カラーンカラン―と深井戸からの反響音だけ。空っぽなのだ。

今日は少し涼しかった。そのせいか体は楽だった。楽だったというのは、ひたすらのぼーっに飽きることなく思う存分に浸ることができたということだ。これはハッピーハッピーと小躍りしてもいいと思うのだが、残念ながら肉体はヨロヨロでヨロコビは体内喝采にとどめる。

今朝のグランヴィアはホトトギスの爽やかな鳴き声で迎えてくれた。その音色は朝の空気を独りじめしているようだ。そして、目の前に広がる濃い緑のこんもり山を背にして咲きほこる西洋月見草。可憐な黄色い花びらが微風に揺れ照れくさそうに朝のあいさつ。そうだ、花を愛そう。そういうことです。
 
   7月24日(日)

なにが一番大切かといえば元気な体だ。これまで大病をすることもなく入院生活という経験がない。グランヴィアの当直で愛和病院の病室の灯りを見ながら、「ああ、今、病魔と闘っている人もいるんだなあー」といつも思う。

ところがだ。辺見庸の「美と破局」を読んでいたら、入院生活を余儀なくされた作者が、―「ふん、死ぬまで生きるさ…」とベッドでほざいていたら―某夜、経験豊かな当直看護師が私にポツリと反論した。「でもねえ、なかなか死ねない患者さんだっているのよ。それはそれでつらいわよ」。はっとした。当方としては、手持ちの死生観を修正せざるをえない。―

おいらもはっとする。そういうことか―。あの灯りの内側ではどんなドラマが繰り広げられているのかはわからないのだ。あの夜は、満月が煌々と輝いていた。
 
   7月23日(土)

夕刊を見て驚く。「ドイツで乱射9人死亡」。またか、絶句。テレビやラジオをふだんほとんど見たり聞いたりしないから、情報を入手するのは遅い。遅いが新聞でもわかる。瞬時に情報をキャッチしたからといって現場の当事者でなければ緊急性は欠ける。いわゆる、傍観者だ。
ヒトがヒトとして生まれる確率は少ない。それなのにいとも簡単に他人の命を抹消する自由・思想とはなんぞや―。とにかくわからない。

四角四面の国境にさえぎられ生きる金魚ちゃんの水替えをやる。そうだ、明日への空気の入れ替えだ。わが家の金魚ちゃんは大きくなり赤いフナだ。スタンダール「赤と黒」の小説を思いだす。赤は共産党、黒は僧侶。僧侶はイノチを大切にするはずだ。70億人といわれる地球上のニンゲンのイノチはひとつ。金魚ちゃん命の重さを問うがこたえない。やはり、アンタは偉い。
 
   7月22日(金)

体調が優れない。ここ数日、ハラにチカラがはいらない。どうしたものだろう。世間に迷惑をかけるようなことはやっていないと自認するがどこかで悪さをやっていたのだろうか―。例えば、庭を歩いている時に気づくこともなく一匹のアリを踏みつけ昇天させていたのか―。因果おうほうを願う。

LinkedInというネットがある。インドのfaudn uman(ベナン)から、日本語メッセージ。「LinkedInでつながってください」。クリックすると会員登録が必要という。この種のコンタクトはかたくなに拒んできた。なぜなら英語でのやりとり。それとニンゲン関係を増やしたくない。静かにミズスマシのように生きたい。

しかし、と考える。現代は英語から日本語へ自動翻訳という機能もある。この2年、同様な催促が何度もあった。どういうわけで同じようなメールがくるのだろう。そこで決断する。登録してみよう。結果はどうなるかわからないが、いつでもキャンセルできるらしい。まだ、人生のキャンセルには時間がありそうだから―。
 
   7月21日(木)

さて、なにから書いたものがいいやら。ある人から不安を募らせるような連絡をうける。杞憂に済めばいいと願う。「国際情勢と日本」の勉強会どころではないが、気をまぎわらせるためにも出席する。民族主義的な思想が強まり世界は不安定な状況にあることをあらためて認識する。

さて、次の一歩をどう踏み出すかー。これがわからないのでさらに不安が募る。「混沌とした不安」「ぼんやりとした不安」。どこかで聞きかじったような言葉だ。

「蛍の森」石井光太著。どこかで聞いたような作者だ。作者略歴を見て思いだした。インドの底辺層の人々を取材している。たしか、書棚にあるはずだと思って探すがわからない。みんなぼんやりと忘れるだけだ。こまったものだ。
 
   7月20日(水)

そんなあんなの水曜日だった。15日から2日間のスケジュールは最近になくきつかった。暑さも加わり、なにより15日夜の酒がまだ体の隅々に残っているような感じ。ぼーっに拍車がかかる。

今晩はグランヴィラの出勤日。いろいろなことがありどうしても生活リズムが狂う。その分、ぼーっ時間が長くなる。ぼーっぼーっの中に埋没して消えてしまいそうだ。

これはいかん、世界の平和と家内安全がなにより優先されなければならない。そこで地球儀をまわしながらそれなりの頭脳で思考を巡らす。空っぽ、空っぽという声がこだまする。ああ、これも人生なりかー。「そうです」という金魚ちゃんの声が聞こえてくる。ありがとうございます。
 
   7月19日(火)

あっさり、すっきり、さっぱりと稀勢の里は敗れた。瞬きもする間もなかった。おいらがテレビ観戦する時はいつも勝利の女神は瞼を閉じる。きっと、女神はマスカラが取れそうになって目をつむったのだろう。稀勢の里よ今日もフンドシを脱いで風呂に入れよ!!。

さて、本日の行動をふり返ればそれなりの一日だった。ただ、年よりいじめのような暑さは辛かった。辛さは生への導きの指針でもあるが―、とにかく辛く憎い。

それからは、神さんことカミさんは出張介護で留守。スリッパ攻撃がないと知ったゴキちゃんは和室で運動会。まだ、秋の本大会には遠いというのに聞く耳もたず。それなりの、生きざまを披露して四方八方にのたまう。あんたは、エライ。明日も生きろよ!!。
 
   7月18日(月)

新聞の書評欄を見ていたら、売れている本として「終わった人」(内館牧子)がよく読まれているという。近年、「終わった人」を実感していたからドキリとする。終わった人は何歳ぐらいからさすのか。どうやら、やはり65歳以上になると認めたくなくても実感するらしい。

ぼーっおじさんはとうに65歳を過ぎているから賞味期限はとっくに切れている。それでも生きているし生きなければならないと思うが、正直いってシンドイ。

土曜日の飲み疲れがとれなくとにかくぼーっと本を読んで時間をつぶす。修行の意味もこめて冷房なし。じとーっと体内から吹き出る汗とともに汚れ物を一掃できるかー。わからない、わからないが本の内容はチンプンカンプン。こまったものだ。
 
   7月17日(日)

「荒川沖東の夏祭り」の写真をフラフラしながら撮る。毎年、ポスター用の写真を提供しているので、なんとか使えそうなものをと頑張るが、完璧な二日酔い。このまま、山車についていったら暑さでぶっ倒れる。町内会の役員として踏ん張るがほどほどに退散。

自宅でひたすら体を休める。祭りなんかどうでもいい。この胃袋を取り出してきれいに洗って緑陰の下で干したい心境。バーカはこまったものだ。写真は夕方になったら撮ろう。じーっと息を殺すようにした体力の回復に努める。

山王姫と姫丸子にお詫びの電話を入れる。おいらの家を出たのは深夜の12時ごろ。きっと疲れているだろう。「元気印」のハッピをいつも羽織っているといいながら、それでも、それなりのお年。今後は気をつけるべし。
 
   7月16日(土)

海浜公園で水戸のご老候の講演を聞いてから、土浦市街にできた「ホワイトブックス」のオープンセレモニーに参加。主宰者はT・I氏。山王姫と姫丸子も一緒。会場でY氏に会う。名前も顔も一瞬、思い出せなかった。20年ぶりぐらいだろうかー。

雲龍の笛を聴く。2次会までつきあい痛飲。どうしても酒に飲まれてしまう。もう過度の酒は慎むようにと言い聞かせているのだが、どうしてもダメだ。バーカとしかいいようがない。

さらに、山王姫と姫丸子にクルマで自宅まで送ってもらうというオマケもつく。こまったバーカだ。みんなに迷惑をかけてしまった。おおいに反省。反省ならサルでもできるといわれそうだ。それでも反省!。
 
   7月15日(金)

15日の思い出しながら19日に書く。子どもの夏休みの宿題のような日記だ。小学生のころ、鉛筆の芯をなめなめ何日かまとめて書いて先生に平気な顔をして提出したものだ。あきらかに自分ではウソをついている。後ろめたさがあるかといえばない。まわりの友だちも似たり寄ったり。先生もそのへんの事情はよーくわかっている。それでも先生と子どものコミュニケーションは成立していた。懐かしい。

さて、15日のことだが、祭礼準備の手伝いを少しやる。当番町ではないからほどほどで十分。何よりヒマを持て余したオジンの数が多い。「疲れる、体力がきつい」と言いながら楽しそうにそれなりの仕事をしている。それでいいのだ。後は記憶が怪しいのでやめよう。今日のこともぼんやりなのに、4日前のことなど憶えているけがない
 
   7月14日(木)

グランヴィアの帰り、つくばイオンでパンを買う。早朝7時から食料品売り場は営業している。チラホラお客さんもいて買い物をしている。便利なのか商魂たくましいというのかわからないが、100円のアイスコーヒーを飲みながら考える。

何を考えるかということについて考えるが何も浮かんでこない。こういうのを空っぽのアタマが恥も外聞もなくクビの上に座っているというのだろう。世の中、そうやって時々刻々進んでいくかと考える。まてよ、これは少しは何かを考えているのではないかー。まんざら捨てた頭でもないと妙に納得する。

午後、「世界情勢と日本」の勉強会に出席。「先の戦争について」。さて、先の戦争、先はどこの戦争をさしているのか意味不明だが、誰もがピーンとくるはずだ。とても実り多い時間を過ごす。山王姫から電話あり。いばぶんのことでS氏来訪。
 
   7月13日(水)

気分がすぐれないというのに「精神医が読み解くー小説の中の病」の本を読んでますます気が滅入ってしまう。何度も途中下車しようと思ったがとうとう最後まで読み切る。きっと退屈なのだ。

精神的な疾患も種類が多く百花繚乱といったところ。一つひとつの症状に自分をあててみると必ずどこかひっかかる。きっと、世界中の人々は何らかに精神的に追いつめられ悩みを抱えているはずだ。そう思って自分を慰め正当化する。さて、金魚ちゃんはどうか?、尋ねるが返答なし。

夕方、グランヴィラへ行こうとするが、何となく気が重い。ハレハレ気分になれない。きっと、雨が降っているせいだ。天気が悪い日はいつもだ。それでも、青空公園の防犯塔から「七つの子」のメロディを聞きながら出かける。バカまじめに夕方5時になると必ず流れる。これが、普通のことというのかー。
 
   7月12日(火)

日曜日の暑さがモロに効いたのか、からだの節々に気だるさが覆いかぶさってくるようだ。とにかくからだが重くいうことをきいてくれない。思考能力は完全停止。終日、部屋にとじこもり休む。

毎日が日曜日のような生活をしているが、それでも仕事らしきものはある。家庭菜園の水やりと草取り。さらにはスズメと金魚ちゃんの餌やり。今日は、それさえ億劫だ。年をとるということはこういことかー。

ぼーっとしていてもハラも減るしノドも乾く。それを補うために胃袋にものを入れれば必ず生理的な作用が働きトイレにも行かなければならない。よく考えてみれば、ひとりの人間が生命を保持していくうえでは実に多くの些事をこなさなければならない。今さらながら驚く。最近、中国関係の本に目を通すことが多いせか、南シナ海の成り行きが気になるところー。とにかく体力回復だ。
 
  7月11日(月)

暑いということを考える以前に暑い。逃避の方策はないか―。金魚ちゃんに訊く。「バーカ、勝手に水温があがり閉口している。なんとかしろ!!」ということで無視する。とにかく、今日は暑かった。でも、グランヴィアの朝5時はすがすがしく爽やかだった。なにより、緊急事態発生コールで起こされることもなかった。ハプニングもなく完全熟睡。うれしい。それが、朝の爽やかさを倍加してくれた。

インドでよく見かけるのは大きな木の下でぼーっとたむろしてる人びと。最初は仕事もなくいたずらに時間をやり過ごしているのかと思ったら大違い。40度を越す大気がわが物顔で居座っている。緑陰の下でぼーっとしながら自らをの命を守っているのだ。旅人の通過儀礼のように味わう灼熱とはあきらかに違う。かれらは毎日をそこで生活をしているのだ。

そんなことを思いだしながら空を見る。太陽はどういうわけが天空の真ん中あたりに達磨坊主ごとく動かない。そして、燦々と光を降りそそぐ。歓迎されない客と知りながら熱量いっぱいの放射はやめない。少しは遠慮して雲の中に隠れるようなこともしない。エライものだと思う。

恥の文化を知らないようだ。だからこそ、何万年、何千年、何億年と生きてきたのだろう。すごいものだ。みなさん、暑さ対策をしっかりしてくださいね!!。バイバイ。 
 
   7月10日(日)

今日の筑波大学の武道館は暑かった。日整全国少年柔道大会茨城予選大会は、会場につめかけた選手と保護者に関係者など300人ほどの人いきれと熱戦でムンムンとして熱気で息苦しいほど。一瞬、目まいがする。恐ろしいこった。

となりで開かれている日・韓交流学生剣道大会の会場は冷房が効いている。どうしてこうも違うのか。頭を冷やしながら試合を見る。選手の「エイヤー」というかけ声に迫力がある。所作の一つひとつに日本を礼儀作法の基本を見るようだ。

少年柔道大会は5年生の部で女子が優勝。世の中、女が強くなったのか男が弱くなったのかー。自宅に忘れた携帯に大家さんから着信が入っている。三中地区公民館で講演会を開くのでどうかー。これからグランヴィラの仕事に行くので遠慮させてもらう。体調がすぐれないというが講演する体力があり元気であるということ。いつものオーバーな表現だろう。暑さ疲れした体にムチうちグランヴィラへ。
 
   7月9日(土)

ながみねの浴槽での会話。「なんの趣味がなくても、元気であればいい」。勇気がわく。「なんの趣味もなくてもいい。こうして、ぼーっと湯に浸かれることに感謝」。その後の会話が悪い。「○○さん、肺気腫で入院したそうだ。どうもタバコがいけなかったらしい。とにかく、スパスパスパスパ蚊取り線香のように煙を吐き出していたからな」。両手で顔をピンピンと叩いて湯で洗う。

グランヴィアのおかげで週2回の休肝日ができた。だが、タバコだけはだめだ。喜びや悲しみがあるとタバコがおいらを呼んでいる。

さて、本日のできごとをふりかえってみると吉も凶もなく平々凡々におわる。毎日を普通に暮らしていければいいのだが、そうはいかない。大波小波のシワが増えるごとに悩みや葛藤も寄り添ってくる。そんなことを考えながら金子光晴の詩集をチラチラ読む。洗面器は長い間、顔を洗う道具だと思っていたが、煮炊きをして女性はそれにまたがって放尿にも使うことをマレーシアのバトパハで目の前見せられたという。世の中、個人の概念というのは一筋縄ではくくれないようだ。
 
  7月8日(金)

ボキボキ、ガタガタ、カッタンコカッタンコと骨がきしみ変奏曲を奏でる。昨日の山王姫宅の健康坂の効果は抜群。今日は静養しようと思っていたが、気まぐれおじんは土浦の水郷公園にパチリパチリに行く。公園ではゲートボール大会。プレーヤーと会話から同年輩と想像する。

「海外旅行にいった」「浮気してしまった」「息子の嫁と同じ」。いづれも自分の打ったボールが目標地点から大きく外れ無念の言葉。面白いものだとゲームより会話に耳を傾ける。人は会話を通して意思疎通ができるように訓練を受けてきた。だが、教育過程でどういうわけか誤った方向に導かれ左や右へと分かれ、最近では収拾がつかなくなった。

そこで、平和を求め日本人のだれもが愛するというきのこカレーを作る。久しぶりだ。つくづく思う。こまった時にトイレに駆け込む男女に差別はないと同じだ。カレーを作るため男が厨房に入っても大騒ぎすることはない。おいしいかまずいかは別な話だ。 
 
   7月7日(木)

グランヴィラを8時15分に出発。桜川橋を越え、天の川橋をわたり、恋瀬川橋をノロノロ走り、よいこらしょと山王姫宅に着く。ラッシュ時間を過ぎていたせいかクルマは空いていた。ここまで一時間かかることを確認。

さて、本日のやるべくことは、山王姫の指示通りA地点からB地点に荷物を運ぶこと。そこには、不条理があっても感情移入しないこと。山王姫のひとことふたことを天命の声と受け止め従うこと。ただし、それに応えるだけの体力を持ち合わせているか?。これが、大問題だ。

それなりに、リハビリ坂、健康促進坂を何度か往復して荷物を運ぶ。美しい玉のような汗が皮膚を伝わり流れる。久しぶりに体内にたまった灰汁を吐き出し気持ちがいい。ただし、呼吸は乱れている。どうも、ご心臓さまはご乱心のようだ。4名なるシニアご一行さま、今日はお疲れさまでした。ごゆっくりお休みください。これは失礼、若い人も一人いました。
 
   7月6日(水)

世の中には不眠症で悩んでいるお方も大勢いると思うが、ぼーっおじさんは眠っても眠っても、とにかく眠くて眠いのだ。そして、よく眠れる。安眠時計が体内にセットされ、それがフル稼働としているという具合だ。眠ったら、二度と目を覚まさなければいいのだが、まだ世の中に未練があるのか、しばらくするとうつろな眼をまどろっこくあける。

ぼーっとした精神状態を再稼働させ仁王像のようにカットガシリと目を見開き、世のため人のために何かをやるのかと思いきや、ただ、いたずらに本を読みあくびの連結列車をゴトンゴトン走らせるだけ。

このところ、耳鼻咽喉科から処方されたふくびき炎の薬が効きだしたのか鼻の風通しもよく呼吸もスムーズ。そうなると、快眠、惰眠の加速度は増すばかり。これではいかん。世界はどうなっているのかとラジオに耳をかたむければ遠い国で日本人7人が亡くなり永眠の帰国。「痛恨の極み」という遺族の声が眠気を誘い、またウトウト。まったく、こまったものだ。
 
   7月5日(火)

ムネに手をあて、忘れ物を、よーく考え、おもい出してみなさい。昨日、デアハウスゼーレで写真を撮りおわり、データをメモリーカードに移したあとのことだ。さてはとおもいあぐねる。1+2=3を探す。だれがそうきめたのだろう。そして、その約束を世界は認め社会は成立しているという。それなのに、地球各地で争いが絶えない。話は脱線したが、1+2=3は絶対にない。

地球儀をまわしながら世界各国の立ち位置を見る。本来なら宇宙から地球を俯瞰したほうがいいだろうが、おいらにはそれを読みこむだけの能力はない。ますます話が脱線。本人もわからない。

さて、忘れ物に戻ろう。山王姫に電話をして解決。たくり寄せた記憶は正しかった。そこで疑問が噴出。ボケ道の交差点にたたずんでいるのではないかー。金魚ちゃんいわく。そこまで自己反省できるなら、まだ大丈夫。それが、こわいのだよ!!。バイバイ、おやすみなさい。
 
  7月4日(月)

グランヴィラの朝、日の出を拝む。澄みわたった青空に橙色の太陽がさっぱりした顔で現れる。写真を撮りたいと思ったが、ざんねんながら今日はカメラを持ってこなかった。それならお話しようと空に向けての言葉を探すが出てこない。ただ、くちをパクパクさせてじっと空を眺める。くちパクパクで金魚ちゃんを思いだす。どうしているのだろう。くちパクパクさせ世界の平和でも祈っているのだろうかー。それなら、教育の甲斐があったというものだが、無理だろうなー。

昼過ぎ、石岡のケアハウスゼーレへ。今日は楽しい七夕茶会。会場の七夕飾りの短冊にはそれぞれの思いが綴られている。「とにかく元気でいたい」という願いが多い。未来は語ることは短いと察しているのだろうかー。辛いものがある。

山王姫、職員にあれこれ指示しながらバタバタ動きまわる。担当者やお手伝いさんたちはやや緊張気味。こういう、ひとときがあってもいい。
 
  7月3日(日)

今日はかあちゃんの誕生日だそうだ。そうだと書くのは本人はしっかりと覚えているが、ぼーっ亭主はまったく関心がなく言われて「ああ、そう」で終わり。数字にからっきし弱いというより、みとも家には誕生日に誰彼をを祝福するという習慣がなかった。かあちゃんの本家ではそういう記念日は大切にしており、しっかりと受け継がれている。

そういわけで、ケーキを食べて記念写真と誕生日祝いの昼食となり、誕生日を祝う割安案内はがきを片手にでかける。写真で見る限り豪華メニュー。ところが、抜け穴落とし穴に引きずり込まれ、だまされたようお膳にがっくり。まあ、一年に一回だけだと慰めあう。

さて、本格的な暑さ。今年初めてエアコンをつけてみる。それが作動して涼しい風を送るのだ。もう20年ちかく使っているおじいちゃん。ヨボヨボで今夏は働かけないだろう。それなら、エアコンなしの扇風機でひと夏を乗り切ろうと思っていただけにびっくり。老兵死なず。まだまだ、がんばれということかー。
 
   7月2日(土)

とても疲れた風が
西のほうから吹いてきて
すずめの
さえずりをはこんでくる

ちりんちんちりんちりん
窓辺の風待ちふう鈴がゆれ
まとわりついた汗を
まだるっこくはきちらす

青いキャンパスに描いた
過ぎし日々のページをめくる
あの夏、この夏、いつかの夏ー

いつのまにか
さえずりもかわいたおとも消え
とても疲れた風は
東のほうへ去っていく
 
   7月1日(金)

今日から7月だ。シタだしアゴだしアエギの季節到来。暑い日は家の中でひっそりとー。それなのに、気がついたら石岡のまちかどギャラリーにいる。そこには女性5人。それなりのツルンツルンお肌と麗しき瞳を輝かせ迎えてくれる。男ひとり、小さくなって山本工務店こと飛翔姫が差し入れてくれた冷たく甘いメロンをいただく。

「久保田直子のまばたき写真展」を見る。みんな、なんのてらいもおごりも気負いもない素直なほのぼの写真。そうだ、これでいいのだ。スタッフは展示レイアウトを楽しんでいる。どことなくほのぼの写真と似ている。どういうわけか、番外助っ人の大久保、山本両工務店こと山王姫と飛翔姫は別世界にいるようだ。これでいいのだ。

昔、篠山紀信が「スマホで撮った写真で木村伊兵衛賞や土門拳賞をとる人がでるのではないか」と言っていた。まったく同感。コンセプトさえしっかりしていれば写真を通して自らのメッセージを発信できる。(2つの賞は写真界の芥川賞とされるもの)。みんなで果敢に挑戦しよう。
 

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