怠惰な散歩  2016年

  5月26日(木)

世界の動きを知らなければ日本国の立ち位置がわからない。日本国の立ち位置を知らずして、わが住む土浦市荒川沖東の立ち位置もわからない。立ち位置がわからなければ自らの言葉を発せないのではないか―。

そこで、今日から茨城県民大学で、「今日の国際問題と日本」を受講。階段教室の上席から見下ろすとヒトらしき頭部は桃色吐息ならぬまだら白髪と円形ハゲの受講生100人ばかり。これらの世代は歴史を変えるという度胸も体力も知恵も遺物となり、もはや細々とくすぶっているだけではないか―。

アンケートが配られる。先生は考える。今回の聴講生は自分の親のような年代。どうも理解しがたいオジンオバンたちが集い100名近い座席がうまっている。大学のようにピチピチもち肌の若い娘はいない。どうも勝手が違う。少し予備知識をいれておこう。
○支持する政党? (その他)「金魚党」と記入。すべて神が知るのみ。今日はこれだけでも大収穫というものだ。
 
   5月25日(水)

最終コーナーをまわりだした人生は「日々探し物」に明け暮れそうだ。とにかく、物忘れがひどい。ながみねではT字型のカミソリ。数日後には塗り薬。これらは電話で問い合わせたら「届けられています」ということで解決。さらに、図書館で借りた本を返そうと探したがない。大型の写真集だから目立つはずだ。それが見あたらない。念のために図書館で確認をすると返却済み。いつ返したのかはまったく記憶にない。こまったものだ。

それだけなら、まだ笑って済ますことができるが今朝は最悪だった。電車で土浦へ写真を撮りに行く。駅周辺をブラブラ歩いてパチリパチリ。それなりに撮れたのではと満足し帰宅。家に帰り朝刊を読もうとズダ袋にいれたメガネを取り出そうとしたがないのだ。カメラを出し入れているうちに落としたのか?。決して高価な品でないから諦めてもいいのだが納得がいかない。そこで再び電車に乗り土浦駅へ。記憶をたどりながら探すがない。荒川沖駅と土浦駅でも訊ねるが届けられていないという。そこで、きっぱり諦める。

ところが、なにげなくソファーにあったジャージをめくるとあるではないか。もともと、ズダ袋にメガネを入れて出かけなかったのだ。お粗末さまでした。
 
   5月24日(火)

夏の風物詩のひとつに流しそうめんがある。さまざなイベントで繰り広げられ参加者の笑顔が絶えない。わが荒川沖東の老人クラブと子どもたちのふれあいにも登場する。おじいちゃんたちが頑張って麺をゆで洗い、急ごしらえの竹のすべり台に流す。チョロチョロ。決してケチではない。日常生活がみごとに反映されている。自分たちのおしっこに似ているだけだ。勢いがない覇気がない。それでも、子どもたちはニコニコ顔。

そういう話ではないのだ。これだけ世界中の情報が手軽に入るようになり流しそうめん文化の隆盛期に突入している。カタログ文化をさらにコマ切れに収集。ましてや、思考することなく滑り落ちてくる流しそうめんに箸をのばし口に入れる。噛んで咀嚼することなどご法度。

どうも恐ろしい世の中だ。情報過多社会に飲み込まれないようにするにはどうすればいいか。「ひたすらのぼーっ」に徹する。おいらは天才ではないかと思うほどだ。そういうのをうぬぼれ鏡ともいう。用心、用心なり。
 
   5月23日(月)

神林奨学会に写真を郵送し、早く、早くと思っていた「石岡浪漫」の校正原稿を山三印刷に郵送する。山王姫には済まないことをした。今の時代、メールでやりとりするほうが時間も早く金銭的にも安く済む。しかし、郵便局に足を運び大きな口をあけた赤いポストに投函したあとの爽やかさと期待はひとしおだ。

ひと息ついて、昨晩から読みだした推理小説の続きをひもとく。面白い小説を読むと時間の経つのが早い。こんなに楽しいことはない。金魚ちゃんに喜びを報告。金魚ちゃん、ぼーっと泳いでいるだけ。

昼は真夏日を思わせる暑さだった。これからやってくるであろう猛暑日を想像するだけでウンザリする。加齢とともに夏の海が遠くなり喘ぎだけが色濃くなる。これも、生きているからこその自然のからのプレゼントと素直に受けとめるべきか?大いに悩むところだ。
 
  5月22日(日)

昨日の撮った記念写真のプリントをする。プリンターのご機嫌は良いようで快調に動く。このプリンターはもう6年ほど使っている。何度か操作ミスで病気になり入院をしたが治療を無事に終えて退院。こうして一所懸命に働いて家計の一部を補ってくれる。感謝、感謝。

牛久図書館、土浦図書館、レンタルビデオとあちらこちらから本やビデオ借りているので返却したのか気になって頭の中がモヤモヤして整理がつかない。とりあえず全部落とし前をつけようとクルマを走らせる。

最後はながみねでひと風呂浴びる。家に帰りカミソリを忘れたことに気づく。電話して問い合わせる。忘れ物で届けられているそうだ。ひと安心。ながみねでは財布を紛失して大騒ぎしたことがあった。鬼門なり。今後はもっと用心するべし。
 
   月21日(土)

仏像のような柔らかな顔。

またまた、ブログを休んだ。これはどうしたものか?。日々の楽しみといったらブログの更新とほざいたではないか。飽きっぽい性格はオギャーの時から備わっていたが、なんともザマない。金魚ちゃんに問う。「バーカ、バーカ大空より限りなく広いバーカ。自分で考えろ」「ハイ、わかりました」。

備忘録として空白の日々を記しておこう。
木曜日、死ぬな生きろ、生きている。
金曜日、死ぬな生きろ、生きています。

今日は東京上野の精養軒へ。神林奨学会の新年度採用式の記録写真をパチリパチリ。記念写真で初めておいらも加わる。ボーイさんがシャッターを押してくれた。理事長と喫煙所で雑談。いろいろあるようだ。
 
   5月17日(水)

阿見町総合運動公園を歩く。園内にたくさんの樹木が林立して澄んだ青空に緑濃い葉っぱを広げている。平日のせいか歩いている人はいない。ひょうたん池で魚釣りをしている人を遠くから見るだけだ。狙いは何か、まさか金魚ちゃんではないだろうなぁー。

釣りを楽しむとはどういうことだろう。「哀れな開口です」と、深夜友人たちに長電話をして相手をこまらせたという作家の開口健は世界中の魚を求めて地球を駆け巡った。それにまつわる多くの著作も残した。

霞ヶ浦でタナゴ釣りをした時の本を読んだことがある。釣果の数え方はバケツ何杯で競ったという。それぐらいタナゴが釣れたということだろう。バケツ何杯はうろ覚えなので確認しようと本を探したが見つからない。グーグル先生にヘルプを求めようと思ったがヤーメタ。バケツ何杯は、バケツ何杯でいい。良きに計らえというものだ。
 
  5月17日(火)

携帯電話というものは手元にないと無用の長物だということに気づく。マナーモードにしておけばますます着信はわからない。山王姫から電話があったのは午前10時過ぎ。確認したのは夕方の4時頃。慌てて折り返しの電話を入れる。こまったものだ。

携帯電話が震えるようなことは滅多にない。それだけ世間から忘れられた人になってきた。それはそうとして昨晩の緊急地震予報などはこまるものだ。地震を知ったのは朝刊の新聞。携帯電話はきちんと受けとめている。すごい世の中になったものだと感心するだけで緊急の意味がよくわかっていないのか、ノー天気なのか。

朝から雨。自殺用品専門店で、「またのお越しをお待ちしています」は禁句だそうだ。そして、今日のようなジメジメと鬱陶しい天気の日に来店客が多いそうだ。これは小説の中の話。荒川沖周辺にはそういう店は見あたらない。これからも出店しないことを祈る。
 
   5月16日(月)

ソラマメをつまみにウーロンハイをチビチビ。最高だ。ソラマメの経緯を申せばこういうことだ。朝、グランヴィラの仕事を終えぼーっと広い駐車場に向かう。途中、プーッとクラクションが背後から聞こえる。振り向けば我が勤務先のオヤカタであるT・I女史。出勤途中の施設長の笑顔が見える。

「ソラマメをゆでたから食べて」と、ドア越しに手渡される。「自分で作ったのか」「いや、もらったの」。彼女が自宅裏の畑で野菜を作っていたのを咄嗟に思い出した。もしかして自分で栽培したのではと聞いたのだがそうではなかったらしい。

彼女は頑張り屋だ。その甲斐があって施設長の地位までのぼりつめたのだろう。医療法人の理事も務めているという。エライものだ。駐車場でソラマメを渡すとすーっと車を回転させすグランヴィラのほうへ走り去った。ビニール袋に入ったソラマメを手に見送る。
ソラマメとウーロンハイの関係はそういうことなのです。
 
   5月15日(日)

しばらくぶりのブログ更新だ。ここ数日、頭の中は豆腐のように真っ白でスカスカのオカラのような状態だった。

ブログを休んだ金曜の13日から思い出す。水戸市内原で開かれたいばぶん主催の健康講座に出席。帰り、山王姫宅へ。「石岡ロマン」の原稿打ち合わせ。二人で石岡市役所へ。車中、「頭がおかしくなってる」と山王姫に訴える。「まだ、大丈夫。自分でわかっているのならー」

土曜の14日、ぼーっ解消散歩を試みる。熊谷達也の「銀狼王」を読む。「ー しばらくぼうっとしていたようだ。いかんな、と自分に向かって首を振る。最近こういうことが多くなった。家にいるときならまだしも、これから狼を追おうとしている狩人としては誉められたことではないー」という、ぼーっの場面が登場する。場所を問わずぼーっとしているわが身は決して誉められたことではないのかと愕然。

日曜の14日、今日は整復師会の仕事でぼーっとしながら水戸へ。ぎりぎりまで取材してぼーっとしながら牛久のグランヴィラへ直行。ぼーっとしながらブログを書く。ぼーっの日々はいつまで続くのやら。こまったものだ。
 
  5月11日(水)

なんとなく田んぼに映る筑波山を見たくなったのでつくば市神郡へ。筑波山は頂上付近一帯に雲がかかりてっぺんは見えない。カメラを片手にミケランジェロの考える人のように歩く。実は何も考えていないのだ。ただ、じっとしていると落ち着かなくぼんやりした脳みその暗雲を追い払うためだ。

広島へ米国大統領が訪問するというニュースが新聞に大きく報じられていた。広島原爆記念館を訪れたのは20代前半だった。展示室でヒザがガクガクと震えとまらなかった。あれは恐怖だったのか憤りだったのか、今でも定かでない。

田んぼと筑波山をチラチラ見ながら歩くがヒザは震えない。ここには豊かな自然の確かな息づかいがあるだけだ。平和の郷に包まれているのだとしみじみ感じる。この偉大なる時間を金魚ちゃんにもわけてやりたいが金魚を連れた散歩というのは聞いたことも見たこともない。どうしたらいいもかと思案しながらあてもなく歩を進める。おわりです。
 
   5月10日(火)

バナナをつまみにウーロンハイを飲む。作家の吉本ばななは冷蔵庫をあけたらバナナがたくさんはいっていたのでペンネームはひらがなのばななにしたそうだ。本当かな。映画「ゴジラ」のタイトルはゴリラとクジラをもじって作られたそうだ。知らなくてもいいことが矢継ぎ早に入ってきては消えていく。

ごはん一合炊く。別に報告するまでもないことだが、10数年使った炊飯器がダウンしたのでお疲れさまと廃棄。米のメシを食べなければ四股を踏んでがんばろういう力もわかない。一時は廃棄か購入でもめたが、台所にデンと新しい炊飯器が座る。かあちゃん出張介護で留守。自分でやるしかない。

兄貴から電話が入る。母の13回忌。これが最後だから出席するように。場所は山形県の片田舎。先月、同窓会のついでに墓参りしてきたが、今度は姉兄とその連れ合いともども。母はどんな顔をするか。
 
   5月9日(月)

シニアということ。どこへ行ってもシニア割引のおまけがつく。これを喜んでいいのかと時々考える。シニア割引制度の恩恵を受けるまえに地上とグッドバイした多くの人びとにどのように報告していいのか―。適当な言葉が見つからない。幸せすぎるのだろうかー。

風は自らの風の音を聞くことは知らず聞こうともしない。人類誕生前から風は吹いていた。ごく自然に。風の音はどういうものという愚問はご法度。なにしろ風という言葉は存在しなかった。あたりまえのことなのだが―。

夜、山王姫と電話で話す。元気そうだ。山王姫は元気で強い。そして、日本刀の刃先に賭けるような覚悟を持っている。士族の流れをくむ血筋が受け継がれているのか―。たじろぐ。たくさんのお喋りをしてさっぱりする。でも、明日には忘れているだろう。恐ろしいことだ。
 
  5月8日(日)

荒川沖から水戸行きの一番列車は6時8分。勝田駅までごゴットンゴットンと走るという。それならその電車に乗ろう。「当駅では終日禁煙です。お客さまのご協力をお願いします」朝から晩まで疲れもしらないアナウンスに見送られて出発。そういえば、新幹線の車掌(?)が勤務中に喫煙して注意を受けたという新聞のベタ記事があった。こんなので紙面を割いていいものか。こまったものだ。

さて、車中から眺めるわが茨城県の田園風景はぼーっ日和。蓮田で働いている人、田んぼで働いている人、散歩をしている人が現れては消える。けっしてぼーっと過ごしてはなさそうだ。しっかりと働いたり健康づくりに努めている。エライものだ、と感心しながらフト考える。夜、グランヴィアに隣接する病院の窓灯りを眺めながら、きっと今ごろ病魔と闘っている患者がいるのだろうなー。健康が第一だ。車窓から流れ去る人々はともかく健康な体をしているのだろう。

今日から大好きな大相撲が始まる。応援している稀勢の里はいかなり。勝った。あんなに激しく動いてよくケガをしないものだ。ニンゲンは鍛えればなんとでもなるようだ。しかし、そうもいかずに入院を余儀なくされる人もいるわけで、死ぬのは平等だがそれまでの過程は平等ではない。こまったものだ。 
 
  5月7日(土)

どうもブログを一日休むとクビの座りが悪い。これはどうしたものかと考える。きっと貧乏性だとおもう。ひたすらぼーっとして無我の境地で一日を過ごせないという煩悩だらけのアタマがクビからうえにあぐらをかいているのだろう。こまったものだ。

そこで電車に乗る。車中ぼーっに挑むのだ。車窓から眺めは水戸方面に向かえば空が広くなり東京方面に向かえば狭くなる。どちらが気持ちいいかといえば、広い空の下で 水を張った田園風景が見えるほうが精神衛生上よいようだ。

あとは本を読んで過ごす。本ばかり読んでいるからバカになるのではないかと心配になる。よく考えてみるとすでにバカの頂点に達しているのだからで安心して活字を追うがいいと自分を納得させる。
 
 5月5日(木)

「ねえ、子どもの日ってなあに?」、唐突な質問だ。子どもだからといってうざとくはできない。この子どもはよほどひねくれいる。そこで答える。「子どもも大人も休みの日」「うそだぁー働いている人がたくさーんいるよ」。そこで、おもおもしく咳払いをして諭す。「バーカな子どもほど長生きするよ。おまえさんはそのまま、そのまんまでいい」。世の中、丁寧丁重と中庸に奔走しているようだ、ご用心、ご用心。

なにごとにも波立てず日々泰平を神さまに祈願。根本的な課題である神がなんであるのか問うとことをしない。なぜなら、考える力がない。

藤代の兄夫婦が突然くる。おおきな米袋をよっこらしょよっこらしゃと運んでくれる。貧乏所帯に有り難いことだ。コワイコワイアニキ、声静かに伝える。「ありがとう」。
 
   5月4日(水)

昨晩の天気予報では午前中は風雨が強く午後は晴れる。その予報はみごとなぐらいに的中して朝から雨が降っている。こういう天気は気分的に滅入る。激しく雨にうたれ風にあおられる青空公園の桜の葉っぱ を眺めながらふと思う、この連休中に田植えをすませようと張り切っていた「雨の日はしょうがない」と、休みを取っているのだろうか。ヤギ一家はどうしているだろう。

雨は昼にはすっかり上がり青空も顔を見せた。「日韓併合」を読んでいたら、こんなにも日本人は韓国をいじめ人を殺していたのかと唖然。チラホラとは知っていたが事実とすれば野蛮人としか思えない。「未来志向の関係を―」、言葉が上滑りする。ほとほと嫌になり図書館に返しに行く。いつまでも手もとにあるのは精神衛生上よくない。そうだ、逃げるのだ。

午後、S氏来訪。いろいろと相談にのってもらっている。ありがたいことだ。かあちゃん、出張介護へ。よれよれおじさんはグランヴィアへ。このブログはグランヴィア仮眠ベッドで書く。
 
   5月3日(火)

今日は憲法記念日。なぜ、今日が憲法記念日とされ祝日なのかは問わない。なぜなら、明確に答えることができないからだ。ただ、憲法の解釈が凹角状態にあり、ひな壇では自信満々の顔で喧々諤々と正義をふりかざす。下々となり枝葉の我々は震える。震えに格差はない。そして、関連項目のしばりごとが増え世間がなんとなく息苦しくなってくる。ひとつ増えれば副作用が無限大に拡散。地球上に存在するどんなヒトでもひとつにまとめることはできない。そこで、神さまが登場。神さまだって戸惑う。こんなつもりでヒトを創造したのではないと―。

今日をふりかえる。わが家周辺は田植えが盛んだ。にわか農民とでもいうのか、素人目に見ても分かる素人農業就業者。それでもいい。時々は、下を向き土塊の波動とお話しするがいい。

夕方、風が強くなる。風は次の命を運んできているようだ。ザワザワヒュウ―ヒュー。ここぞとばかりにぶら下げっぱなしの風鈴がカランカランと不規則に音を奏でる。ああ、爽やかな音色だ。バイバイ!!。
 
   5月2日(月)

グランヴィアの朝を歩く。時刻は午前5時。空は曇っている。ウグイスの鳴き声と名も知らぬさえずりが聞こえる。あたりは雑木林が多い。いわば、小鳥たちの安全地帯が豊富にある。ひとまわり30分。その間のあくびとおならは数えきれない。ああ、数値で表すことのできない自由を噛みしめる。

午後、かあちゃんと武士の傘造りではないが、いばぶん主催の健康講座の資料作りに励む。無料ボランティア2時間。お疲れさまで解散。

記憶に隅にひっかる祖母の晩年を思い浮かべる。母が「老人ホームに入ってもらいます。ふみのりは東京に連れていきます」。祖母を捨て東京に逃げたのは15歳の時。あれから50数年。同じような状況にいる。やっぱり、ひっぱたtゴムは必ず自分のところへ戻るということか。有り難うございます。
 
  5月1日(日)

今日から5月。だからといって特別なことなど何一つあるわけではない。近所をうろつく野良猫が朝のラジオ体操をするわけでもなく金魚ちゃんが口をパクパクさせてハレルヤコーラスをやるわけでもない。ただ、暦が1枚めくれて5月になっただけだ。それなのにウキウキするのは加齢による限界脳が狂いだしたのかも知れない。

ヤギ一家の農作業も忙しくなる時期だ。昨年は応援に行ったが一日でクビになった。今年は声がかからないだろう。そういえば、山王姫のユリ祭りのお茶会はどうしたのだろう。これも声がかからない。今頃の時期だと思うがー。みんなだんだん遠くなる。

今日は日曜日。グランヴィラへ出勤する日だ。家を夕方5時に出れば間に合う。このブログは出勤前の慌ただしい時間をやりくりして書いている。これはウソだ。5月はウソからスタート。何となく気分が晴れる。バイバイだ。
 

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