怠惰な散歩  2016年

   2月29日(月)

2月は今日で終わり。春日遅々なり。それでも春はノロノロとカメより遅くアリより遅くナメクジより遅くチョロチョロと怠惰なおいらにもやってくる。その証拠に紅梅がホロホロと涙流し散りだしたではないか。

FMから浅川マキのライブが流れてくる。1970年代の彼女の歌声には若さがあったなぁーと聴きほれる。曲は「ハスリン・ダン」♪♪ハスリン・ダン わたしのいい男♪♪

さて、今日のハプニング。CROSSにでかける朝、指さし確認。「暖房器具の始末」。「必需品の所持」。すべてOK。ところが、昼ごろ胸ポケットにいれたはずの携帯がないことに気づく。ここからてんてこまい。携帯がなければ人生の終わりだ。途中の経緯は恥ずかしいから除く。胸ポケットにいれたと思いこんでいた携帯は自宅の充電器に座っていました。おそまつさまでした。バイバイ。
 
   2月27日(土)

土浦市から阿見町に越境散歩をして新たな発見をした。阿見町の本郷親水公園のひょっとこ池の噴水は午前7時になると天に向けおしっこを始める。そのおしっこ時間は夕方まで続き、いくどきかピタリとやめ睡眠剤も服用することなく翌朝まで熟睡するらしい。

ベンチに座り、目覚めた噴水をぼんやりと眺めていると駐車場に一台の車がはいる。どうやら、運転手つきでワンちゃんがやってきたようだ。主なる人に抱かれクルマからおりたワンちゃんは、おまるつきでチョコチョコ歩く。優雅で怠惰すぎる散歩。その動きにはただ生理的現象を解放させたいだけに見える。

おいらは徒歩で1時間もかけてきたのだ。それはぼんやり精神を発奮させ高尚なる哲学にふける時間でもある。乳ばなれせずよだれかけまでつけているワンちゃんとは天文学的な差がある。朝の光をうけチョコチョコのワンちゃん―。ああ、絶句。どこかで本末転倒している。これじゃ、今晩は眠れそうもない。
 
   2月26日(金)

朝の天気用予報で、「今朝は快晴の空です」。アナウンサーが興奮したように言う。外に出て空を見上げる。まったく雲一点もないきっぱりとした青空が広がる。胸に手をあて考える。この空はおいらのハートと同じ。突然、親戚が増えたようでうれしくなる。

CROSSの帰り、つくば市の梅園公園に行く。数人が観梅を楽しんでいる。今年の梅はどことなく元気がなさそうに見える。ワンちゃんを連れたイノチミジカシオジンに聞く。「春一番で蕾のまま散ってしまったせいではないか。でも、ようやく梅の匂いがただよってきた」。こちらは花粉症で水っぱなを流しており匂いはわかない。「そうですね」。嘘つきは泥棒の始まり。それでもいいのだ。このたおやかな時間をみんなで共有するだけでハッピーになれるのだ。

今日の快晴とおいらの潔白なハートについて金魚ちゃんに報告。
「まったく、うぬぼれ鏡というものだ」。「かいかぶり、おしゃぶり、でしゃばり、どしゃぶりのオンパレードだ」「ああ情けや!、バーカ、はやく寝ろ!」。さようならです。
 
   2月20日(木)

かあさん、ぼくの図書券はどこへいったのでしょう―
ほら、おいっこの結婚祝いのお返しにもらった
あの1万円の図書券ですよ。

7000円ほど使い
友朋堂で残りの図書券をさしだし本を買おうとしたら
「この券は当店では取り扱っていませんので使えません」
しっかりした日本語で断られた図書券ですよ。

きょう、2160円を財布から抜き出し
「聴くことの力」鷲田清一の本を手に
レジにならんでいる時に思い出したのです―。

あの時、女店員の澄んだ瞳と声にうなだれ忘れていた
ぼくにはとても大切な―
かあさん、ぼくの図書券はどこへいったのでしょう―。
 
   2月24日(水)

夕方、雪が降りそうな空模様。ほんのちょっと雪が舞ってくれたらー。そしたらあたりの景色は一変する。そしたら、写真を撮りに出かけやたらめったら歩き、そしたら、寒さに震えながらパチリパチリ。そしたら、日常の景色と違う写真も撮れるのではと期待しているが、雪は降らない。

なぜ雪は降らないのか。きっと空の彼方で道草をしているうちに行方不明になってしまうのだろう。気まぐれで薄情なやつだ。

その点、花粉症はこの季節になると呼びもしないのに必ずやってきて耳鼻咽喉科で三種の神器を頂くことになる。先生はニコニコ顔で治療してくれる。杉花粉とは刎頚の友というように処方箋を書いてくれる。もしかしたら、神棚に杉花粉の新芽でも祀っているのではと疑ってしまう。診察室は明るく元気にあふれ、意外なところから春がやってきていることを知る。今日の収穫はこれだけだった。
 
   2月23日(火)

久しぶりに顔を合わせた相棒いわく。「金魚の日」は、3月3日だという。そこで考える。「ゴキちゃんの日」はどうなっているのだろう。ゴキちゃんだって多大なほど経済活動に貢献しているはずだ。

なにしろ、ひとは、黒兜に髭チラチラを見ただけで卒倒する。これには女性に多いようだ。おいらのかあちゃんなど、見つければスリッパ攻撃、新聞紙まるめ攻撃と忌み嫌っている。しかし、負のイメージに耐え真っ黒な甲羅で防御しながら、今日まで歴史を刻んできたことは認めなければならない。

ここで経済活動の話。われわれの生活の中に「ゴキブリホイホイ」などという商品が登場する。そこには研究者、生産者、販売者など多彩にわたるひとの職業が誕生し生活の糧としている。わかったか、日本経済の生産性に大きく貢献しているのだぞ!。感謝をこめ神棚に祀るぐらいの度量がなければならない。もちろん、「ゴキちゃんの日」も制定すべきだ。
 
   2月22日(月)

きょう2月22日は「ニャン・ニャン・ニャン」の猫の日だそうだ。それを聞いたわが家の金魚ちっゃん怒り心頭。真っ赤な顔をして青筋(見えない)をたてケツをまくりウンチちゃんの連発。まるで長距離貨物列車のようにウンチを連ねる。愛をこめよく見ると五月の青空にたなびくこいのぼりのようにも見える。まあ、まあ、金魚ちゃん静かに、静かにとなだめる。

なだめすかすこと1時間、ウソ、数分。さて、なぜ金魚ちゃんは赤い顔に青筋たてそんなに怒らなければならないのか。プライドの高いわが家の金魚ちゃん。人間どもはなんでもかんでも記念日を作る。その中に金魚ちゃんは入っていない、差別だ。あったとしても、わが家の主人は興味もなく知るわけもない。ああ、情けなや情けなや!!。

世界は広いのだぞ。生き物は地中深くから天上まで生存しているのだ。その生きものたちにバーカみたいに記念日を作っていたらカレンダーは真っ赤で毎日が退屈になるだけだよ!。バーカ、お休みなさい。
 
  2月21日(日)

昨晩の町内役員会で話題になった花粉症の薬を飲んでいるせいかとにかく眠い。午後、山王姫の「ひな祭り」を見に行く。お天気うららかで過ごしやすい日和だ。

幸せ健康坂を上ると「石岡雛巡り」のポスターが長屋門にはられている。門をくぐると満開の白梅は見えてくる。長椅子には比毛氈が敷かれ野点傘が立てられ静かに客を待っている。山王姫に声をかける前、おいらは野趣あふれる日本庭園をひとりで歩きながらパチリパチリ。

次は山王姫の登場。説明を聞きながら母屋の飾られたひな人形や100匹のねこちゃん人形などを写真におさめる。展示品には大久保家の歴史を物語る貴重な巻物や高価なものがならべられている。縁側に座り、おいしいコーヒーを飲み紫煙をくゆらせ庭園を眺める。ウグイスが二羽白梅にやってきてエサをつまんでいる。「ホーホケキョ―」の鳴き声はない。まだ、キャンプ中なのかもしれない。至福な時間を過ごさせていただく。今晩はよく眠れそうだ。
 
   2月20日(土)

ブログの更新がはかどらない。原因は何かを考える。書く材料がないのか、飽きてしまったのか、能力が欠如しているのか―。どれもあてはまる。それでも、パソコンに向かえばなんとかなるだろう書き進める。

二日続けて献本が郵便で届けられる。「火山と日本の神話」−亡命ロシア人ワノフスキーの古事記論ー(桃山堂)桃山堂、「地殻災害の軽減と学術・教育」(公益財団法人日本学術協力財団)。どちらも、保立道久東大名誉教授(歴史学)からだ。桃山堂からは「京都大学の保立道久先生の紹介で―」とある。京大と東大を間違えている。そなんなことはどうでもいいことで有り難くいただくことにする。

さて、この二冊の本を読み込む能力があるのかと疑わしくなる。それでも牛歩の速度でもいいからページを進めていこうと考えている。考えているばかりではいけないのだ。きちんと読むことが「― 夢に魅かれて異国で不遇な死をとげたワノフスキーに報いることにもなると思う」と保立先生はいっているではないか。 
 
  2月16日(火)

写真のことについて少し書く。父はDPE屋を営んでいた。その手伝いを母がやっていたせいか、山形から上京して母に紹介された仕事先がDPE屋の見習いで15歳後半のころだった。それから、今日まで写真を趣味として楽しんできた。長い中断もあったが、かれこれ50年近く写真と向き合ってきた。それでも、いまだに写真はわからないといういち語につきる。きっとわからないまま一生を終えるのだろう。

さて、金魚ちゃんと写真の因果関係を考える。金魚ちゃんの生きざまにまったく興味がなかった。すなわちカメラを向ける被写体の対象にはなかった。どういうわけか飼い始め、それから物語が始まった。わが家の金魚ちゃん、エサをやる時だけ水面に顔を突出し口をパクパク。なんとも勝手な生き物だといつも思う。そのウブな動いが美しく愛しい。

そういう時は、「金魚ちゃんはかわいい」という表現がすっ飛ぶ。エサを与え部屋の清掃までしている。そこで考える。金魚ちゃんと写真との因果関係について。結論はわからない。これほどバカバカしいことを平気でブログに公開するという厚顔さにただ驚くばかりだ。 
 
   2月15日(月)

昨日の暖かい天気とうってかわって寒い一日だった。朝一番(午前8時30分)、かかりつけ医院へ。終わったのが11時。そこでエネルギーを全部吸い取られてしまった。ふぬけの状態に陥る。かあちゃん歯医者へ。入れ歯がはやくきちんと慣れてくれることを祈り、二人で日本そばをそろりそろそろゆっくりゆったりつるつるつりと昼食。

空から冷たい雨がポツリポツリと降る。いったい、空は何を考えているのか。きっと、バレンタインデーのプレゼントがなかったせいで不平不満が募り焼のやっぱちで仕返しているのだろう。

世界のあちこちでは破壊と創造が休みなく繰り返されている。バレンタインデーのプレゼントのやりとりではない。命のやりとりをしている。なんとも情けなく冷たい雨は休むことができないのだろう。

好きな作家、丸山健二の「ときめきに死す」を読了。さてはという読了感。心臓がドッキンドッキンする。今晩はでっかい夢を見れそうだ。
 
  2月14日(日)

関東地方に春一番の風が吹いたという本日、お仕事でつくば市の国際会議場へ。なんでも、このあたりは禁煙エリアに指定され、タバコはおろか、すかっぺ、ハナミズたらたらも禁止という。もし見つかったら、お尻ピンピンではすまされない厳しい罰則が科せられるという。恐ろしいところに来たものだ。

必殺仕事人はそんなモロモロの決まりごとにひるむわけにはいかない。稼がなければ生きていけないから、与えられた仕事はどこへでも飛んでいく。仕事の内容に文句などない。ただ、加齢による体力の衰えから年毎にこなせる範囲が狭くなっているのは確かだ。

福沢諭吉、「職業に貴賎はない」。この言葉を信じたいが世間には大きな壁がたちはだかっている。壁が高ければよじ登ってもという気概もない。「みんな、よきにはからへ」、「おいらは、おいらの道を行くのだ」、「バーカ、もうおまえさんの道は通行止めになってるよ!」と金魚ちゃんは申しておりますが、マケられません。
 
 2 2月13日(土)

暖かい一日だった。暖かくなると精神も肉体もゆるみやたらと眠くなる。本を読みながらいつの間にか老眼鏡を鼻先にずらしたま眠っている。おいらには幸福度100点満点。

暖かい陽気に誘われるように金魚ちゃんの住まいを掃除する。なにしろ水の中で食事をしてウンチもする。片時も休まず口をパクパクさせて呼吸もする。さらに、平成の時代に生きるものとして日本国家になんの貢献ができるのかーなど、未来思考にふけるときもある。そのようなお偉いお方のお住まいを掃除させていただけるだけでもと感謝。
ところが、金魚ちゃんの有り難いお言葉は世界の平和に反映されない。もちろん日本も。ましてや、荒川沖三丁目のぼーっおじんなどに届くわけがない。

結論。金魚ちゃんは平和の使者ではないのだ。ふな科の淡水魚で頭は空っぽなのだ。おいらと同じなのだ。それでも、愛しいいとしい金魚ちゃん、仲よくしようね!!。
 
   2月12日(金)

しばらく前の出来事を記す。TISTのY女史が結婚するそうだ。新居はおいらの家から徒歩で30分ぐらいらしい。そこで、「新婚さん、おじゃましますよ」「熱いよ、燃えているよ!」「それなら、消火器を持っていくよ」「消さないで、お願いだから消さないで!」。こんなに楽しく幸せな会話は久しぶり。こちらまで、新婚時代を思い出すというオマケつき。ごちそうさまでした。

そこで、身近な金魚ちゃんといつでもこんなハッピーな会話ができないものかと、「金魚はすごい」吉田信行(講談社)を新書版を購入。読みだし、これぐらいならグーグル先生の方が詳しいとガクリ。税別840円なり。この金銭ならタバコが二個買える―。うーんとウナル!。

それでも、著書から多くのことを学ぶ。一つひとつの事項をニンゲン社会にあてはめると共通項が多い。金魚ちゃんから「ニンゲンよ驕るなかれ!」のメッセージか―。おいらニンゲン社会における負の遺産を残さないようにという期待か―?。そんなこんなで今日も終わります。お休みなさい。
 
   2月11日(木)

石岡の山王台あたりにある年寄りいじめ坂、リハビリ坂、シニア健康坂をのぼり、長屋門のくぐり戸をあける。梅は咲いたかー。広い庭にある1本の梅の木をめざす。ほのかな光の中に白梅は寒さをしのぎあうようにして可憐な花を咲かせている。パチリ、パチリ。ここまではよかった。

物語は続く。山王姫、スマホを購入。少しは操作を覚えたようで、おいらの「みともページ」も手軽に見れると披露。「ああ、すごい、すごい!」この記念すべき偉業は写真におさめブログに公開しなければー。「さぁ、ポーズ」。いいショットをと続けてシャッターを押す。ところが「バッテリー不足で撮影できません」と、冷ややかなメッセージ。何度もチャレンジするが結果は同じ。そして、ようやく撮れたのが左写真1枚。どうもお疲れさまでした。

さて、何用あって山王姫にに会いにいったのかー。それこそ、ぼーっの世界でした。改めて申し開きすることでもありませんが―。バイバイです。
 
  2月9日(火)

さて、本日のブログは何を書こうかと考える。これといった事件事故など身辺にそう起きるではない。もっとも、そういう災難が日常茶飯に起きてもらってはこまる。

午前中、予約していた歯医者に行く。歯医者の金属音は不気味だ。自分が治療も受けていないのにキーンという音を聞いただけで脳天から異常信号が発せられる。人を恐怖の底へ誘い込みお金がもらえる商売もあるのだなぁーと妙に感心する。「痛くなかったですか?」。歯科医の腕の確かさを認めてやり尊厳をこめてこたえる。「大丈夫です」「よかった」、実は痛かったのだ。男はガマンということでこらえていたのだ。

世の中には外面の顔がある。そのてん、わが家の金魚ちゃんには表も裏もない。のっぺり顔で365日生きている。こうなると神さまのように思えてくる。神さまに失礼とは存じながらエサをやる。パクパクやっている。どこから見ても安いスリッパのようなのっぺり顔だ。
 
   2月8日(月)

目覚めは爽快だった。これは今日一日ハッピーに過ごせると確信。ところが、CROSS事務所のドアを開けると寒さがシンシン。今日は全職員一斉休み。電話番として一番乗りで入ったオフィスは暗く冷たい空気が談合中。いつもみんながパソコンとにらめっこしているころ出社しているから人がいない部屋は氷の世界だとは知らなかった。それでも寒さにめげずオジンは真面目に仕事。内容なヒミツ。もっとも暖房をオンしたのですぐに暖かい部屋となるがー。

さて、本日の朝日新聞に「人生の勝負は、朝で決まる。」の広告があった。わざわざ買って読むもうとは思わないが、小見出しの抜き出しについて申せば、これまでそれらについてすべて実行してきた、したつもりだ。その結果がこのザマ。さまよい、やさぐれ、くたびれおじんの嘲笑喝采。それでも生き、死ぬまで生きのびるのだ。

そうだ、これからは水すましのように生きるのだ。ああ、金魚ちゃんの仲間入りだ!!。みなさま、バイバイ。
 
   2月7日(日)

自転車で本郷ふれあいセンターへ。マラソンランナー並みのスピードで走っているのだから頬に受ける風は冷たく強い。耐えられぬ寒さではない。なにしろ、スピードはすぐ減速し、歩くよりやや早い程度になるからだ。ややもするとジョギングのランナーにも追い抜かれる。

ふれあいセンターで考える。今の時代、グーグル先生が何でも教えてくれる。しかし、モニターから得る情報や知識はすうーっと簡単に消えてしまう。どうしてなのだろうー。そこで頭をぐるぐるまわし考えた結論はグーグル先生には愛がない。そうだ、ママのおっぱいのような温もりがない。金属的なことばの羅列には愛のかけらもない。

これは、物覚えが悪くなった年寄りの自己弁護とおもわれる。脳細胞がどんどん少なくなり空っぽ。その言いわけだろう。その原因を探れば、きっとグーグル先生は愛情すくなく育てられたのだろう。その生い立ちを思うと悲しいものがある。
 
   2月6日(土)

県近代美術館で開かれている現代作家美術展をかあちゃんと観に行く。彫刻家の中原篤徳くんも出品しておりトークショーもやるという。20数年ぶりのご対面となる。学生時代の面影はなくオッサンになっていた。家族ぐるみのつき合いをしていたから彼の父と母、それに姉も知っている。音信途絶えていた歳月が長くどこから話していいのか分からない。

その後、いばぶんの報告のために水戸のご老候宅へ。それからが大変だった。どうして、どうして、なんで、なんでの連続が重なり、帰宅の常磐道にのったは夜の8時。結局、山王姫宅への訪問は中止。。

なぜ、そんなことになったのかといえば、ご老候宅へ大切なものを忘れてきたのだ。そこで石岡から水戸に引き返す。忘れ物ではない紛失だった。結局、大工町の交番に拾得物として届けられていた。ああ、お疲れた。まったく落ち着きのなく物忘れがひどくなったオジンには面倒でこまったものだ。
 
  2月5日(金)

久しぶりに三中地区図書館に行く。阿見町の親水公園に立ち寄り、ぼーっと二組のママと子どものボール遊びを見る。陽光うららか。噴水が迷子のように飛び散る。陽だまりをうけた芝生で遊ぶ子どもたちから、「ママ!ママ!」と甲高い声が飛び交う。時間はゆったり流れる。瞬きのような音は気にならない。とつてもなく静かだ―。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」。芭蕉が山形の立石寺で詠んだ句を今でもしっかりと覚えている。まだ、ぼけてはいないようだ。今は冬だ。そして茨城。「閑さやぼーっに降りそそぐ貧乏西日」。俳句でない短歌でもない、川柳かー。そもそも、「金持太陽」と「貧乏太陽」が存在しているのか。わからない。

ママたちは盛んに喋っている。子どもの教育、しつけやだんなのおちんちんのことかー。いずれにせよ、世界の平和と安全についてではないと思われる。夫婦にとって、「成熟社会における性生活の知恵」の方が重要だ。「夫婦の和合と平和と安全」。高尚なテーマだ。子どもたちが遊び飽きたのか「ママ、帰ろうよ!」と催促。いや、ここは「和合より交接」。議論沸騰。もうすぐ「カラスなぜ鳴くの〜」のメロディが流れる時間が迫っている。サラバだ。
 
  2月4日(木) 

2月という暦は普段はどんな顔をしているのかと考える。そして、近辺に2月という顔をした人はいないかと思い浮かべてみる。チラチラとよれよれオジンの顔をよぎる。その顔は、扁平でむきだし大根のように真っ白。おしろいでも塗っているのかとしみじみと見つめるが地肌だ。いわゆる、生だし。絶句!!

白い大根に恋文を認めようとするが、途中で迷子になりなにを書こうとしているのかわからなくなる。とにかく、2月にはいり、今日で4日目。どこからのあいさつもなく暦はめくられていく。やはり沈黙は最大の武器となるのか―。

時々思う。大地を切り開いて実りある田畑をつくり、今日まで生きる人間の命をつないでくれた先人には、ただ感謝の気持ちにしかない。その行間には沈黙という五線譜しかない。先人には、ほんとうに感謝しなければならない。人は白狐のまま生きてはいけないのだよ!!
 

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